合邦問題(六十)

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60回っつうと、丸々2ヶ月ですか・・・。
350人前後の読者の皆さん、良くついてきて下さいました。
今日で、今回の合邦問題に関する連載は一旦終了です。
前回の最後に紹介した文書を以て終了宣言として取り扱っても良かったんですが、あと何個かの史料が残ってますので、ここ迄やったんだからそれを紹介してからでも遅くは無いっつうことで。(笑)

では早速、『統監府文書10』から、曾禰統監から桂首相への1910年(明治43年)2月21日付文書。

別紙寫の通、石塚総務長官事務取扱より来電有之候條、為御参考及御送付候也。

○ 別紙 来電第71号(暗号寫木)
明治43年2月20日
石塚
曾禰統監

李・宋会見の内容、亀山に取調べしめたるに、昨夜左の返電あり。

宋・李の会見は、十数日以前山縣侯から首相、寺内陸相との協議に依り、愈韓国合併のこと決せられ、一進会従来の行動を是認し、将来は帝国政府に於て引受け、之を遂行すべしとの覚書の交付を受け、且つ之れが実行は議会閉会後なるを以て、之れに関し互に研究し置くとの口達ありたるに就き親しく相談の必要起りたるが為めと、小官并に警察署長に対し明言せり。
以上の覚書等のことは、杉山茂丸馬関に於て宋に告知したるものの如く、宋は之を携へて来釜し、宋・李の両人は、数日に亘り協議せる事項は、凡そ(一)合併の形式、即ち王室の存続如何、之れに対しては、当分王室の存置を欲するものの如く、(二)合併決行の当局者は、李完用内閣に強ひて屈服するものなれば之をして続行せしむるも、否らざれば相当の内閣を組織せんとし、尚統監の身上に関しても云為する処あるものの如く、(三)合併後の統治機関は寧ろ統監府を廃し、従来の如く韓内閣のみとし、之れに日韓しなのを混用せんことを欲し、(四)大臣両班等の処分に関しては、大臣等は兎に角、両班に族禄を与ふるが如きは、絶対に反対すること、(五)一般人民の幸福を増進し、之をして悦服せしむる方法は、殖産工業に力を用いんとること、且つ之を以て合併に対する人心の鎮撫方法となすこと、(六)合併に対する人心の動揺を防ぐ方法は、一方地方有力者を丸めるのみならず、両班には何等救済を与へざるも、一般人民には大に殖産上の保護を与ふることを声言し、且つ之を実行すること、(七)外国宣教師の件其の他外務に関する事項にあるものの如し。

李は昨夜行にて京城に、宋は明日の連絡船にて馬関に帰ると云ひ居れり。
尚今夕両人と会合する筈に就き、聞き得たる点は更に報告すべし。
えーっと、この時点で既に李容九等一進会側と、内田を始めとする一進会の顧問的立場にある人間の、合邦或いは合併に関する内容の齟齬が生じてますね。
何やら、李容九は死ぬ前に武田範之に宛てて「杉山・内田・武田の皆さんが人に欺されたのであるか、宋・李の二人が人に欺されたのであるのか」と語ったそうですが、今まで見てきた限りでは「そうですね。杉山茂丸にまんまと騙されましたね。」だわな。

それ以前に、合併の形式について何故かこん時に協議してるじゃん、って突っ込んだ場合には、ホントに李容九そんな手紙出したのか、と。(笑)

続いても『統監府文書10』から、曾禰統監から桂首相へ。
1910年(明治43年)3月2日付『号外』より。

別紙寫の通、石塚総務長官事務取扱より来電之候條、為御参考供閲覧候也。

○ 別紙 来電第87号

本日、日韓通信社及電報通信社に達したる東京電報に依れば、日本の廟議は韓国合併に一決し、議会閉会を侍って発表せらるべく、其形式は、日韓政府之を宣言すると同時に列国に声明する所あるべしと云ふにあり。
右記事は人心動揺の虞あるにつき、之を取消すこと并に日韓新聞紙に掲載せざる様注意し置けり。
日本政府が韓国併合実行の閣議決定をしたのは、この後の1910年(明治43年)5月27日。
ってことで、これは菊池忠三郎や内田良平、杉山茂丸による飛ばし記事というか、工作の可能性が高い。
掲載を禁じられて当然ですね。

次が、今回の連載最後の史料となります。
『統監府文書10』から、曾禰統監から桂首相への1910年(明治43年)3月8日付『号外』より。

別紙若林警視総監報告、警秘第77号為御参考供御閲覧候也。

(2月21日警秘第65号)、参考として寫添付す。

○ 別紙 警秘第77号
一進会に関する件

既報、一進会は邇々政務研究会を開き、各支部長を召集し、夫の桂首相より杉山茂丸に内訓せられたりと称する3個條を示し今後の軽挙妄動を戒むとの議は、其後之を中止せりと云ふ。
其内容は、右3條件を支部長に示すときは殆んど之を公表すると同様の結果を来し、国民の動揺を醸すの恐れありとの議出たるに依るものなりと云ふ。
右及報告候也。
2月21日付『警秘第65号』については内容不明。
で、前回の「桂首相から杉山茂丸への内訓」と称するものを各支部長に示して今後の軽挙妄動を慎むというのは、公表するのと同じになってしまうので中止と。
一進会側は機密だと思ってるんでしょうなぁ。

この後合邦問題は、一進会側はどうせ自分等の意見が受け入れられて合邦されるからと反対派を相手にせず、反対派は合邦が成立するはずが無いと高をくくって一進会を相手にせず、急速に問題は沈静化するわけです。


ってことで、なんか尻切れトンボな終わり方ですが、合邦運動自体が尻切れトンボなんだからしょうがない。(笑)

それではここで、今回の連載、合邦問題に関する総括をしてみましょう。
まず、巷間言われているような日本政府の主導という話は、非常に眉唾ものであるという事。
日本政府の関与は、騒擾とならないような努力の範疇でしか行われていません。

そもそも日本政府が主導したのであれば、ドイツ連邦などが例として出されている上書にするはずが無いわけで。
また、桂は韓国皇帝に対する上書について、一旦は差し戻しする事を認めており、この点からも日本政府の関与は否定されるのではないかと。

次に、「合邦」と「合併」について。
良く言われる、一進会が目指していたのは合邦であって合併では無いとの事について、一進会の想定する合邦の形が史料に出たのは、今回の1910年(明治43年)2月20日『来電第71号』が最初。
ちなみに、先ほど言及したドイツ連邦の話にしても、曾禰統監への上書及び李完用総理への上書には見えますが、純宗皇帝への上書及び合邦声明書にはその記述は存在しません。
合邦反対派も、一進会の言う「合邦」を「合併」と捉えて批難しているのが殆ど。
要は、明確な定義づけがなされて問題提起された訳ではない話。

附言すれば、内田良平や杉山茂丸といった一進会の顧問連中も、述べている事は「合併」であって「合邦」ではないわけで。
結局この問題における「合邦」と「合併」というのは、11月6日のエントリーで曾禰統監の述べた見解、「合邦の意味は連邦なるが如く又合邦なるが如く見え、甚だ不明なり。」のまま推移しているんですね。

良く反論として出される、合邦声明翌日の国民大演説会については、それ以前から開催日は決まっていたのであり、合邦宣言が出されたから開かれたわけでは無い。
また、国民大演説会において「一進会の挙を排斥し、以て今日迄に温めたる日韓の親睦を、以て冷かならざらしめんことを切に望む」とされているように、国民大演説会や大韓協会を始めとする一進会の合邦論反対派の団体は、保護統治そのものは認めている場合が多く、併合に関して時期尚早派も多数見られるわけで。
勿論、個人としては一方的な排日論を述べている者も居る。
さらに言えば、一般民衆は何が起きているかすら分からない者が殆ど、というのが実情でしょう。

尚、李完用が買収等により反対運動に関与しているという噂があり、韓国政府内に於ける対応などをみても、彼が一進会の合邦論に反対だったことは明確なわけですが、その運動の最中に李在明により刺されたりもする。
併合時期尚早派の伊藤を暗殺した安重根といい、李在明といい、阿呆ばっかり。

日本側に於て積極的に世論を併合に煽っていたのは、自由民権運動→対露同志会の経緯を辿って結成された、朝鮮問題同志会(対韓同志会)。
おまけで、この対韓同志会は、内田良平らを情報源として統監政治つまり政府の対応を非難していたグループでもあります。
民衆を煽り、世論に乗って政府を攻撃するというのは、自由民権運動から続く、彼等の一定の手法ですね。

で、在京城日本人記者団は、内田良平の手柄一人占めが嫌で一進会の合邦論反対。
これが元で、後に対韓同志会においても内田良平の締め出しが決められる、と。

で、尻切れトンボで終了。

なんか、細かい部分で忘れてる事もあるかもしれないなぁ。
誰か、これもまとめに入れておいた方が良いよ、という追加項目があれば、コメント欄にて御指摘下さいませ。

では、長期に渡る連載にお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。
これにて。


合邦問題(了)



合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
合邦問題(三)     合邦問題(十八)     合邦問題(三十三)   合邦問題(四十八)
合邦問題(四)     合邦問題(十九)     合邦問題(三十四)   合邦問題(四十九)
合邦問題(五)     合邦問題(二十)     合邦問題(三十五)   合邦問題(五十)  
合邦問題(六)     合邦問題(二十一)   合邦問題(三十六)   合邦問題(五十一)
合邦問題(七)     合邦問題(二十二)   合邦問題(三十七)   合邦問題(五十二)
合邦問題(八)     合邦問題(二十三)   合邦問題(三十八)   合邦問題(五十三)
合邦問題(九)     合邦問題(二十四)   合邦問題(三十九)   合邦問題(五十四)
合邦問題(十)     合邦問題(二十五)   合邦問題(四十)     合邦問題(五十五)
合邦問題(十一)   合邦問題(二十六)   合邦問題(四十一)   合邦問題(五十六)
合邦問題(十二)   合邦問題(二十七)   合邦問題(四十二)   合邦問題(五十七)
合邦問題(十三)   合邦問題(二十八)   合邦問題(四十三)   合邦問題(五十八)
合邦問題(十四)   合邦問題(二十九)   合邦問題(四十四)   合邦問題(五十九)
合邦問題(十五)   合邦問題(三十)     合邦問題(四十五)


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合邦問題(五十九)

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今日から早速平常営業ってことで。
今日は『3 隆煕4年〔明治43年〕1月7日から〔明治43年〕2月18日(伊藤公爵薨去後ニ於ケル韓国政局並ニ総理大臣李完用遭難一件)(レファレンスコード:B03050610500)』より。
42画像目の、菊池忠三郎の行動に関する1910年(明治43年)1月29日付『乙秘第250号』。

菊池忠三郎の行動

日韓電報通信社長菊池忠三郎は、内田良平が退韓後、同人に代り一進会操縦の任に当り居りたるが、今回李容九の内命を銜し、杉山茂丸、内田良平と会し善後策を講ぜんが為め帰朝せるものにして、着京後は日々杉山及内田と会し協議を重ねつつあり。
始め日韓合邦論の起るや、一時韓国の政界を賑はしたるも事予期と齟齬し、今や頗る窮状に陥り、殊に近く合邦の成功を期するの見込なく、今や一進会は土崩瓦解の悲境に瀕し、此侭推移せば一進会は遂に暴徒に変ずるの虞なきにあらず。
茲に於てか李容九は晏汝たる能はずして、菊池をして■意を齎らせるものなるが、内田は此際一と先づ一進会と絶縁する方得策ならんとの意見なりしに、杉山の抑止する処となり、一進会最後の手段として合邦論を唱導したる以来今日までの経過を叙したる意見書を起草し、朝野の縉紳に頒ち、以て頽勢を挽回せんとするに決し、目下菊池の手に於て起草中なり。

附記

菊池は28日訪客に対し、左の如く語れり。
一.自分は、客年9月渡韓の上、日韓電報通信社を引受けたるものなり。
一.今回帰朝せしは、国家の為め対韓政策を確定し、且つ其進捗を計らんが為めなり。
一.自分等は、韓国民の希望せるを好機をし、合邦の■を容れんことを望む。
現に満州鉄道中立提議の如きあり、将来に於て韓国に関する提議なきを保せず。
一.是れ今日に於て速に合邦の議を容し、列国をして■■■■議■為す能はざらしむるの要を見る。
一.韓国が愈我が版図に帰する以上、韓皇は帝国皇族の如き格と為し、日本全国3分の1ある土地人民を差出す代りに、4、50万円の世襲財産を与ふる位のこととせば、韓国民は決して服せざることなきを信ず。
現に一進会は勿論、負褓商、耶蘇教徒を始め多数の国民は、挙て合邦を希望しつつあり。
一.自分は大学を出でし後京浜間に在り、一度洋行し、帰朝後後藤逓信相の書生となり、満韓露国等を■■し、遂に渡韓することとなれり。
一.自分は用済み次第、明日にも帰韓する筈なるが、此処一週間位は滞在の要あらんか。

以上。

菊池が今日迄交通せる重なる者は、

杉山茂丸 内田良平 江藤恒策(熊本県人鉱山業) 倉辻明義(やまと新聞記者)

菊池は、27日在京武田範之(104字)、馬関大吉楼宋秉畯(98字)の両名に、暗号電報を発信せり。
菊池忠三郎、杉山茂丸、内田良平は、一進会の合邦声明後予想に反して窮状に陥り、合邦成功の見込みも無く、このままいけば一進会は瓦解し暴徒に変ずるかもしれないということで善後策協議、と。

また、内田はひとまず一進会と縁を断った方が得策だろうとの意見だったけど、杉山茂丸に抑止され、菊池が起死回生の意見書を起草中。
つうか、12月3日のエントリーなどで「合邦提議の真相」なんて出しちゃってるわけで、意味あんのか、と。

そして、内田が述べた縁を切るってのは、内田だけなのか、杉山や菊池も含めてなのか。
いずれにしても、かなり自信を失ってるようで。

でも、菊池忠三郎は訪問客に対しては、一進会は勿論、負褓商、耶蘇教徒を始め多数の国民は、挙て合邦を希望している何て、未だに言っちゃうわけで。(笑)
で、まぁ彼の言う合邦っつうのは、見て貰えば分かるとおり合併なんですね。

続いて、51画像目の1910年(明治43年)2月3日付『乙秘第386号』。

菊池忠三郎帰韓の件

合邦問題に関し、杉山茂丸、内田良平に会見の為め帰朝中なりし日韓通信社長菊池忠三郎は、昨4日午后3時40分新橋発、帰韓の途に就けり。

以上。
こうして、杉山及び内田と会談を為した菊池は、再び渡韓する、と。
で、この後、一部で有名な「桂首相から杉山茂丸への内訓」と称する文書の話が、頒布されるわけです。

『統監府文書10』から、曾禰統監から桂首相への1910年(明治43年)2月16日付文書より。

別紙憲機第471号菊池忠三郎に関する件、本官に於ては素より信用致さず候へ共、兎に角右様の報告有之候條、御参考の為め及御送附候也。

○ 別紙
菊池忠三郎に関する件
憲機第471号 寫本

一.一昨8日帰韓せし菊池忠三郎は、訪問者に対し大要左の如く語れり。
 (イ) 韓国問題も議会開会中は其儘にて置かるるが、議会閉会後は必ず何等かの解決を見る事あるべし。
 (ロ) 一進会の行動は、其筋に於て既に是認せられ居れり。
 (ハ) 年末に合邦論の梗概と題する印刷物を東京に於て配付せしが、漸次新聞雜誌にも記載せしむる計画を為し、帰りたり。
 (ニ) 今回桂総理より、別紙の通り内訓ありしに付、自分は昨夜帰韓すると直に会長に此旨を告げ、会長は今日(9日)総務員会を開き、会員一同に別紙内訓の主旨を貫徹せしめ、一層此際慎重の態度を取り、時機来るを待つ事に決したり。
 (ホ) 別紙内訓は総理が杉山に口頭にて達せられたるも、口頭にては証明困難なるを以て、桂侯の面前に於て筆記し、総理の証認を受けたるものなり。
而し之れは秘密にしてあるから、其積りで含み置かれたし。
 (ヘ) 尤も、日韓関係の重なる官憲には、桂侯より夫々内訓になりて居るが、一進会の機関新聞にも之れ丈けは掲載せぬ事に致し置けり。
為念申添ふ。
 (ト) 自分(菊池)は平和的の事を為し、決して粗暴の事も致さず、又国家の害になることは為し居らざる筈であるが、何故か探偵に始終尾行せられた。
是れには試に困つた。
宿屋料理屋にては面目を失ふたことも屡々あり、其筋より其宿料理屋に就き自分の出入及訪問先等を尋ねらるるから、自分は何か犯人の如く思はれ、殆んど閉口したり云々。
以上。

明治43年2月10日

○ [附属書]
本日、桂侯爵より拙者へ左の内訓ありたり。

一.一進会及其他の合邦意見書は其節に受理せしめ、合邦反対意見書は悉く却下し居ることを了解すべし。
二.合邦論に耳を傾くると然らざるとは、日本政府の方針活動の如何にある事故、寸毫も韓国民の容喙を許さず。
三.一進会が、多年親日的操志に苦節を守り、穏健統一ある行動を取り、両国の為め盡碎し来りたるの誠意は、能く了得し居れり。

右3條は、尚ほ当局の誤解なき様、其筋に内訓を発し置くべし。

右の内訓を聞くと同時に、拙者は一進会に左の事を開陳すべし。

一.一進会の誠意は、已に十分日本政府に貫徹し居れるを証すると同に、頗る同慶の意を表すべし。
二.一進会が政治を批議するの状態は過慢放恣にして毫も保護国民の姿なく、其不謹慎の言動は、頗る宗主国民の同情を破壊するの傾あり。
三.常に党与の間に動揺の状態を以て、間断なく空論に属する政治意見を提げ、総て不遜の言動を以て、政府の政治方針を己れの意見通りに左右せんとするの観を示すは、頗る戒飭を要すべし。
四.政治を論議する志士にして、官吏に対する感情より常に慷慨を懐くは、耳を傾くるの価値なきを自覚せらるべし。

一進会にして、右等の事を知了せずして尚ほ言論運動を擅にせんと欲せば、拙者と関係を断ち、自由の行動を執らるるは隨意たるべし。

明治43年2月2日
杉山 茂丸
一般に出回ってるのは、出典が海野福寿編『外交史料 韓国併合 下』らしいですが、この史料における杉山茂丸への内訓とされる附属書だけですね。
海野福寿自体が、どのような引用の仕方をしているかまでは調べてませんが、ネット上でこの部分だけ引っ張ってくる人は、かなり杜撰。
海野福寿がこの部分だけを引用しているとしたら、海野が杜撰。
曾禰は「素より信用致さず」として、桂に取りあえず報告しているわけです。

で、菊池の言っている事はどうかと言うと、「別紙内訓は総理が杉山に口頭にて達せられたるも、口頭にては証明困難なるを以て、桂侯の面前に於て筆記し、総理の証認を受けたるものなり。」って・・・。
凄い強引だと思うのは私だけでしょうか?(笑)
秘密にしなければならないものを、口頭では証明できないからと言って面前で筆記し、桂から証認を受けたってのは無理ありすぎ。

まして、冒頭の『乙秘第250号』で合邦成功の見込みも無く、このままいけば一進会は瓦解し暴徒に変ずるかもしれないということで善後策を協議しているわけで。
杉山の話の中身も、見てのとおり一進会が暴走しないように戒める方向で話されている感が強い。
で、日韓関係の主な官憲には、桂首相からそれぞれ内訓されているが、一進会の機関新聞にもこれだけは掲載しない事にしたって・・・。(笑)
曾禰は「素より信用致さず」と述べてますが?
どう見ても、嘘というかでまかせの確率の方が高いでしょうね。

肝心の内訓の中身についても、一進会の合邦意見書を受理させたのは事実ながら、合邦反対意見書も受理はしているわけで。
おまけに「寸毫も韓国民の容喙を許さず」なら、一進会も同様じゃん、と。(笑)
で、これ以上言論運動すれば一進会から手を引く、と。

ええ。
ある意味「終了宣言」です。(笑)
要するに、先ほどの内田の一旦一進会と絶縁するべ、という話と、言論運動止めるのと、両天秤にしてるわけですね。
合邦論を唱導したる以来今日までの経過を叙したる意見書」って、これじゃないよね?(笑)


さて、これだけ信憑性に欠ける史料を、巷間どのように補強し或いは信じて使っているのか、全く疑問。
恥ずかしく無いんだろうか?
無いんだろうなぁ。(笑)


ってことで、次回連載60回にしてようやく終了、っていうか不明な処も残ってるので「一区切り」かな?
今日はこれまで。


合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
合邦問題(三)     合邦問題(十八)     合邦問題(三十三)   合邦問題(四十八)
合邦問題(四)     合邦問題(十九)     合邦問題(三十四)   合邦問題(四十九)
合邦問題(五)     合邦問題(二十)     合邦問題(三十五)   合邦問題(五十)  
合邦問題(六)     合邦問題(二十一)   合邦問題(三十六)   合邦問題(五十一)
合邦問題(七)     合邦問題(二十二)   合邦問題(三十七)   合邦問題(五十二)
合邦問題(八)     合邦問題(二十三)   合邦問題(三十八)   合邦問題(五十三)
合邦問題(九)     合邦問題(二十四)   合邦問題(三十九)   合邦問題(五十四)
合邦問題(十)     合邦問題(二十五)   合邦問題(四十)     合邦問題(五十五)
合邦問題(十一)   合邦問題(二十六)   合邦問題(四十一)   合邦問題(五十六)
合邦問題(十二)   合邦問題(二十七)   合邦問題(四十二)   合邦問題(五十七)
合邦問題(十三)   合邦問題(二十八)   合邦問題(四十三)   合邦問題(五十八)
合邦問題(十四)   合邦問題(二十九)   合邦問題(四十四)
合邦問題(十五)   合邦問題(三十)     合邦問題(四十五)


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合邦問題(五十八)

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うひゃひゃひゃ。
大晦日なのに間に合わねーの確定。(笑)
ま、いいや。
いつも通り先にいこ。

今日も、『2 〔明治42年〕12月29日から〔明治43年〕1月22日(伊藤公爵薨去後ニ於ケル韓国政局並ニ総理大臣李完用遭難一件)(レファレンスコード:B03050610400)』より。
1910年(明治43年)1月20日付『乙秘第139号』。 【画像】


韓人渡来の件

既報(客年12月18日乙秘第2784号)帰韓中の韓国留学生、合邦問題に関する注意人物、金益三及び金尚沃の両名は、本日午后2時10分新橋着汽車にて再入京。
神奈川県より尾行引継ぎを受く。
両名は、直に神田区小川町34番地旅人宿、矢澤直吉方に至り投宿せり。
目下、厳密行動視察中なり。
以上。



12月14日のエントリーで韓国に向かい、12月20日のエントリーで捕まった自称中央大学生の金益三他1名。
1ヶ月ぶりに帰ってきました。
マークされっぱなしです。(笑)

続いて、統監府からの報告。
1910年(明治43年)1月20日付『機密統発第110号』。 【画像】


合邦問題に関する情報、別冊4件為御参考及御送付候也。


さて、ここで別紙として『高秘発第7号』、『高秘発第16号』、『高秘収第6号の1』がまず付いているわけですが、それぞれ12月28日のエントリー及び12月29日のエントリーで紹介してきたため、今回は省略。
【画像1】 【画像2】 【画像3】 【画像4】 【画像5】 【画像6】 【画像7】 【画像8】 【画像9】 【画像10】 【画像11】 【画像12】 【画像13】 【画像14】 【画像15】

ってことで、次の1910年(明治43年)1月15日付『高秘発第49号』を見よう。
【画像1】 【画像2】 【画像3】 【画像4】 【画像5】 【画像6】


合邦問題に関する其後の状況

京畿道
水原郡居金宗漢は、日韓合邦も大勢既に定まり、今如何とも為し能はざるも韓国民として空しく黙過するに忍びず。
然れども、意見を発表せんが、言辞激越に亘り、日本官憲の怒に触れ、縲紲の辱を受くるなしとせず。
故に、時局に対しては緘黙を守り居るのみ。
合邦問題は一進会の提唱の如しと雖も、裏面には日本政府なる傀儡師アありて、李容九、宋秉畯を操縦するものたり。
傀儡師たる日本政府は、貪・(林の下に心)強慾飽くを知らず。
曾て清の属邦当時は、政府人民平穏にして暴徒は起らず、物価は安値、所謂国家泰平の兆ありき。
今にして思ふに、日本が独立せしむと称し清国との関係を絶たしめるは、却て韓国を亡す手段なりしなり。
日本、果して韓国を独立せしむるの意あらば、我国母を殺害するの理なし。
後日本は愈仮面を脱し、韓国を保護国とし、多額の金員を貸付したりと唱ひては彼れ自ら之れを費消し、同胞の得る所僅に3分の1にだも過ぎず。
合邦問題を彼の一進会なる木偶に提唱せしむるは、列国干渉の万一に備ふるものなり。
即ち傀儡師は、一度干渉に遭遇せば、韓民挙て合邦を絶叫せるものなりとし、巧に韓国を併呑せんとするものなり。
要するに日本は、韓民を樹梢に登らしめ、動搖して地上に墮落死に至らしめんとするものにして、如斯日本に師事するは堪ゆる処にあらず。
二千万同胞は、排日行動を為すは当然なり。
真に同胞が苦悶の窮境にあるを悲まざるを得ず云々と語り、悵然久ふしたりと。
又富平郡要視察人任章惇は、一進会の合邦提唱後既に2ヶ月を経るも毫も変化なし。
有識者の多数は、内心孰れも合邦せらるべしとの感想を抱けり。
思ふに韓国の現状は、名あるも実なく、皇帝上にあるも皇威下に行はれず、亡国と毫も撰ぶ所なし。
日本は、委任名義の下に既に法権を奪ひたり。
是恰も人体より手足を奪ひたると同じく、万事日本の意思如何に決し、陸上一兵なく海上一艦なく、何を以てか之を拒むべけんや。
徒らに口舌を労するも、何等の実なし。
合邦は、遂に止むべからざるに至るべしと語り、又同郡上吾丁面長金璡鉉は、合邦問題も大韓協会及国民の反対に依り消滅の姿となりたるは、実に韓国民の幸福なり。
合邦なるものは韓国の滅亡なれば、韓国民全部の死亡せると同一なり云々と。
又同郡守鄭雲衢は、曾禰統監の帰朝は、長谷川大将と交代せんが為なり。
若し大将統監とならむが、合邦を断行するや必せり。
実に曾禰統監の帰朝は、合邦問題の解決にありと認むべしと。
又仁川府内に於ける重なる者の説に依れば、韓国現下の状態よりせば、合邦も亦止むを得ざるべし。
然れども、彼の一進会の唱導するが如く寸時を争ふ要ある問題なりや否は、須く講究を要す。
今日の場合は、宜しく現状を維持し、統監政治の普及を図るにあり。
而も、尚其実を挙ぐる能はざるの障害に遭遇して、初めて合邦を遂行するは可なり。
苟も急遽事を為さんが、徒らに不測の禍乱を醸成するに過ぎざるべし云々と云ふにありと。
而して、近時合邦に対する韓人間の感想、巷説は逐日其声を潜め、今は殆んど之に言及する者なく、頗る平静の状ありと云ふ。

慶尚南道
河東郡大韓協会支会長は、郡内会員に別紙(第一号)訳文の如き檄文を配布したるを以て、之を禁止せり。

江原道 鐵原邑居趙鍾大は(耶蘇教徒にして、目下認可申請中に係る培英学校長なり)、大韓毎日申報支社長と称し、同地普通学校副訓導金明済、同朴榮喜及学務委員にして富豪なる姜大汝・李鳳正、雑貨商にして金昌胤等と団結し、合邦反対演説会を京城に開催し、一進会一派を攻撃せんと議せしも、更に合邦反対決議書を発表することに決し、金明済起草し、学校教員、面長、里長等約200名に調印せしめ、客月20日頃、在京城耶蘇伝導師全徳基に発送したりと云ふ。
本件は、警視庁へ取調方移牒せり。

黄海道
海州地方韓人(大韓協会員、弁護士学校教職員其他一般のもの)は、合邦問題に反対し、国民大会219名の調印ある別紙(第二号)の書面を発送せり。
而して一般民も、一進会の合邦宣言に関しては激昻し居る状況なるが、客月27日、安岳郡細洞面の路傍に別紙(第三号)の書面を貼付したるものあり。
又本月6日、忠清南道藍浦郡郷校直員より海州郡郷校校直員呉憲洙へ対し、別紙(第四号)の書面を送付し来れり。
依て所轄警察署にては、目下の形勢上他人に見聞せしむべからざることを説諭せりと。

平安北道
義州郡楊西面掲示台へ、別紙(第五号)の檄文を貼付したるものあり。
其何人たるや判明せず、現に調査中なり。

咸鏡北道
各地の政党支部又は之れが関係者は、互に自党の勢力扶殖に努めつつあり。
観察使尹甲炳の如きは、全力を挙げて一進会の勢力拡張に努め、会と共に一身を浮沈するの覚悟を以て活動しつつあり。
客月27日の如き、午後6時より夜半迄、自己の官舍に侍天教鏡城支会長韓景昊及一進会有力者金溶郁、并に地方両班儒生にして名望ある者15名を集め、一進会の執るべき方針を声明し、合邦問題に盡力すべきことを勧誘したるに、集会せる両班儒生等は其勧誘に従ひ、各自郷党を提げて一進会に入会の約成りたりと。
又、大韓協会も一進会に譲らざる運動を講ぜんとするものの如し。
要するに全く衰微振はざりし一進会も、合邦問題以来観察使尹甲炳の運動により、勢力を恢復しつつありと云ふ。

右及通報候也



まぁ、そんなに目新しい話があるわけでは無いんですが、取りあえず気になる処だけ。

まずは京畿道。
水原の金宗漢は、12月1日のエントリーで奥さんの病気のために国民大演説会の開催予定日に、上京が間に合わなかった人物である。
しかし、論理が今の韓国人や良心的日本人と変わりませんな。(笑)
今も昔も現実の見えてない人ってのは居るわけで。
まぁ、一番の笑い所は実はこの史料ではなく、親日派名簿に彼、金宗漢の名が載っているって事なんですがね。(笑)

江原道の趙鍾大については、12月26日のエントリーで取り扱った史料の方が若干詳しい。
でも、大韓毎日申報支社長と称しって事は、身分詐称・・・?(笑)

咸鏡北道では、観察使の尹甲炳の運動により、合邦問題で勢力が衰え振るわなかった一進会も、徐々に勢力を回復している、と。
これはちょっと面白い傾向ですな。

文中の各別紙については、それほど面白い事が書かれているわけではないので、省略。
確認したい方は、こちらから→ 【別紙(第一号)1】 【別紙(第一号)2】 【別紙(第一号)3】 【別紙(第二号)】 【別紙(第三号)】 【別紙(第四号)1】 【別紙(第四号)2】 【別紙(第四号)3】 【別紙(第五号)1】 【別紙(第五号)2】


ってことで、次が今年最後の史料となります。
1910年(明治43年)1月28日付『乙秘第110号』。 【画像1】 【画像2】


朝鮮問題同志会員の会合

本日午后5時より、桜田倶楽部に朝鮮問題同志会員

服部綾雄 大竹貫一 加瀬禧逸 金尾稜巌
小川平吉 三浦逸平 福田和五郎 繁野珠城
権藤震二 横矢重道 相島勘次郎 五百木良三
大谷誠夫

外三名会合。
大谷誠夫は、韓国の状況に付左の如く報告せり。

自分は五百木と共に同志会を代表し韓国に到り、一進会、大韓協会、統監府、韓国大臣、在韓本邦新聞記者団を訪問して、合邦問題に関し意見を闘わしたり。(梗概を叙述す)
記者団が内田良平に対し悪感を懐くは、内田が合邦問題を好餌に私利を計るに基づくものにして、其結果は延て一進会に反響せるを看取し、記者団と一進会の間を融和し、且つ同志会とも歩調を同ふすべく調停することを得たれば、爾後は相互気脈を通じ、合邦の遂行に努むるを得べく、尚統監府及韓国当路の合邦反対者も、記者団と一進会が邁進するに於ては、必ずや目的を達するべしと信ず云々と述べ、終りに、内田良平は合邦問題には熱心なるも、記者団との感情もあり且つ甚だ不評判なれば、我が同志会も彼を排斥せざるべからずと附言せり。

次に五百木も大谷と大同小異の報告を為し、終て3、4の質問に応答し、6時30分散会せり。

以上。



昨日の史料で韓国へ向かった大谷と五百木の報告会ですな。
つうか、お前等自体マスコミ人だったろ。
この報告も、思いっきり記者団に肩入れしてねーか?
で、統監府や韓国当局の合邦反対者も、一進会と記者団が団結して邁進すれば、合邦の目的を達する事ができるだろう、と。
民間とマスコミの圧力ですな。
で、おまけとして、内田良平は嫌われてるから、同志会も彼を排斥しないわけにはいかないだろう、と。
まぁ、主導権争いの延長にしか見えません罠。


ってことで、今年はここまで。
皆さん、良いお年を。


合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
合邦問題(三)     合邦問題(十八)     合邦問題(三十三)   合邦問題(四十八)
合邦問題(四)     合邦問題(十九)     合邦問題(三十四)   合邦問題(四十九)
合邦問題(五)     合邦問題(二十)     合邦問題(三十五)   合邦問題(五十)  
合邦問題(六)     合邦問題(二十一)   合邦問題(三十六)   合邦問題(五十一)
合邦問題(七)     合邦問題(二十二)   合邦問題(三十七)   合邦問題(五十二)
合邦問題(八)     合邦問題(二十三)   合邦問題(三十八)   合邦問題(五十三)
合邦問題(九)     合邦問題(二十四)   合邦問題(三十九)   合邦問題(五十四)
合邦問題(十)     合邦問題(二十五)   合邦問題(四十)     合邦問題(五十五)
合邦問題(十一)   合邦問題(二十六)   合邦問題(四十一)   合邦問題(五十六)
合邦問題(十二)   合邦問題(二十七)   合邦問題(四十二)   合邦問題(五十七)
合邦問題(十三)   合邦問題(二十八)   合邦問題(四十三)
合邦問題(十四)   合邦問題(二十九)   合邦問題(四十四)
合邦問題(十五)   合邦問題(三十)     合邦問題(四十五)


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合邦問題(五十七)

テーマ:

いつ大掃除で嫁さんに粗大ゴミとして棄てられるか、ビクビクしているdreamtaleです。
ども。

早速今日も、アジ歴の史料から見ていきましょう。
『2 〔明治42年〕12月29日から〔明治43年〕1月22日(伊藤公爵薨去後ニ於ケル韓国政局並ニ総理大臣李完用遭難一件)(レファレンスコード:B03050610400)』より。
大垣丈夫の行動についての、1910年(明治43年)1月9日付『乙秘第26号』。 【画像】


大垣丈夫の行動

滞京中の大垣丈夫は、別紙写の如き合邦反対の理由書を起草したる趣にて、近々印刷に附し、各方面に頒つ計画中なり。

追て同人は韓国謝罪使の一行に会見し、一昨7日は同行し、故伊藤公の墓前に参拝せり。



以前、zeong氏の調査に乗っかって連載した、韓国謝罪委員における墓参の史料と同一のものである。
前回連載時にはテキスト化していなかった為、今回あえてテキストに起こしてみた。
墓参に関しては既に取り上げているので、続けて別紙の合邦反対の理由書について見ていこう。
【画像1】 【画像2】 【画像3】 【画像4】 【画像5】


合邦反対の理由 大垣丈夫談

日韓合邦は、目下の状勢に於て寧ろ我国の一大不利なりと断言するを憚らず。
其理由は、概ね左の五項を以て之を悉くすを得ん。

一.新政に対する韓民一種の危惧心は、未だ全く除去されたりと云ふを得ず、この際若し強て合邦せば一般の民心之が為めに自暴自棄に陥り、即ち一面には産業の衰微を来たすと共に、更に他の一面に於て排日思想再燃の目と為り、少くも今後10年乃至15年間は我国人の地方発展を阻止するに至るべし。

二.左なきだに保護的経費及建設費は年々累進して、既に可なりの多額に上り、従て其れ丈けの新負債を我国民の頭上に加へつつあるあるに、今若し合邦せば、更に一段の施設費を要し統治費も亦多額に上り、勢ひ一層の苦痛を我国民に与へざるべからざる道理なり。
故に、合邦論其のものは仔細に此点の利害をも計較し、徐に之を打算するの要あり。
猥りに小功名心に駆られて名義上の合邦を急ぐは、徒らに無用多額の多忙を招くに過ぎざるのみ。

三.合邦主唱者たる一進会が、実数4,000に満ざる会員を以て漫りに百万と称するは、虚声も亦太甚し。
一進会員集して百万なりとせんが、老幼及婦女子を除くの外、殆ど韓民の総てを挙て同会員たらざる可らざる筈なり。
然るに、事の実際に於て一部少数の同会員なれば、左まで政治的及社会的勢力を有する者にあらず、反て同会は予て韓民多数の排斥を受け居るは事実なり。
故に民心の安堵を図らんとせば、窮余の一策に出でたる同会の合邦論に対し、特に深重の顧念を払ふの要あり。
実状、洵とに然り。
区々たる一進会を非難するにあらざるなり。

四.単に声のみにても、日韓合邦の四字が実際異様の響きを為して、清廷及清国人に少からざる不安を与ふるの恐れあり。
而して其結果、吾国人にして手を支那の利源に離れしむるの変態なきを保すべからず。

五.韓国各道到る処として教民の集団を見ざるは莫し。
而かも教民の行動に由て、我外交上の不利を招きし前例に乏しからず、今回卒然として起れる合邦論の如き亦盖し教民の口述に上り、甲乙相伝へて、意外にも国際上の一亀裂を不吉の流説中に現出せずとも限られず。

以上、5項中の第2以下は、賢明なる政治家及外交かの判断に一任すべしと雖、第1項に至りては、何人の反対あるも我確信を翻すべき理由を有せず。
何となれば、予は5年間韓国に在りて、自強会及大韓協会顧問の任に当り、傍ら韓字新聞に従事し、国情調査を為したる結果として動かすべからざる証拠と確信とを有するに依る。
惟ふに、今や保護政治は着々親交し、外交、軍事、司法の三権は、全く之れを我手に収め、其他の諸機関も大抵邦人官吏の手に依て取扱はれ、統監は親しく最上機関を指揮監督すると共に、従来継子扱ひを受け居たりし排日派にすら一道の慰安を与へ、大に信頼の念を起こさしめたり。
斯くして国情益々良好に赴き、不平者日々減少し、心ある者争ふて統監旗の下に自奮自励せんことを期するにあらずや。
且各地に産業組合、工業会社、植林事業等の著しく勃興したるは、何れも韓民の生活状態を改造すべき前途の光明に属し、一として新政の徳に基かざるはなし。
若し、現状を以て進行せば、将来の大成期して待つ可し。

然るに我国人にして、何の必要ありてか有利の保護政策を棄て、強て不利の合邦実行を提唱せんとするや解すべからざるなり。
若し凶行の続出に由り、一概に国情険悪の結果なりと速断するものあらば、大なる謬想と云はざるべからず。
彼の「スチブンス」氏と云ひ、伊藤公爵と云ひ、李完用氏と云ひ、其遭難は孰れも韓人の凶行に相違なしと雖、凶行者は悉く治外に住居する乱民にして、韓国に現状と懸隔せる思想を有するものたるを知らざるべからず。
浦塩斯徳に韓人同義会なる者あり。(会員34、5名)
曾て「スチブンス」氏を暗殺し、米国の監獄を脱走したる田明雲、海牙万国平和会議へ出掛けたる連中、及5年前に軍部大臣李根澤氏を刺して逃亡し、王世東と変名せる者等、悉く彼徒に属す。
伊藤公爵を狙撃したる安応七(一名安重根)は実に其牛耳を執り、李完用氏を刺したる李在明も亦其一人にして、孰れも常に治外に住居す。
思ふに、治外の乱民を取締るは別途の方法に属す。
然るに、彼等の凶行を以て直ちに韓国の現状を険悪なりと推想し、此動機を捉へて周章して合邦論を提唱したるにあらざるか。
然る所以のもの、畢竟韓国に関する知識乏しきに依るべしと雖も、国家の利害得失に対する比較研究を軽視したるの跡あるを掩ふこと能はず。
是を以て予は、短簡に其反対理由を説明するのみ。



これまで取り上げてきた大垣丈夫の言説と、あまり変わる所は無いので、一気に引用させてもらった。
ここでは、合邦論の反対理由として、5つの項目が挙げられている。
1.合邦を強行すれば、韓国人が火病を起こす。
2.日本にかかる費用負担。
3.一進会はみんなの嫌われ者だし。
4.合邦することで、中国利権が失われるかもしれない。
5.教民(恐らくキリスト教徒)の行動によって引き起こされるかもしれない国際問題。
簡略化するとこんな感じ?

この文書も例の如く、理由の3の部分抜粋によって、一進会が実数4,000以下であり、韓民多数の排斥を受け窮余の一策に出たとして、一進会否定の史料として良く使われるようだが、大垣丈夫も退韓命令を受けそうになって帰ってきたわけであり、朝鮮問題同志会(対韓同志会)等に見られる日本国内の世論からして、自らの正当性というか妥当性を示さねば立つ瀬も無いわな。
おまけに、理由の2に「故に、合邦論其のものは仔細に此点の利害をも計較し、徐に之を打算するの要あり。」とあるとおり、合邦に反対じゃねーし。
中盤では外交、軍事、司法の三権も握ってるし、保護政治によって国情も益々良好となってる、と。
後半では、スチーブンス、伊藤博文、李完用、李根澤などの暗殺や暗殺未遂に触れ、治外の乱民の仕業であって韓国の実際の国情と違う、と。
これらを見られると困るから、部分抜粋なのかしらん♪

11月24日のエントリーでも言いましたが、「合邦」自体に消極的賛成や、時期尚早で反対ではないとする意見を多数史料で見てきた私には、何で「一進会不支持」や一進会の数(しかも根拠不詳)ってのがそんなに大事なのか、さっぱり分かりません。(笑)

続いても大垣丈夫について。
1910年(明治43年)1月11日付『乙秘第43号』。 【画像】


大垣丈夫に関する件

韓国自強会及大韓協会顧問大垣丈夫が日韓合邦反対の理由なるものを起稿せることは既報(一昨9日乙秘第26号)の通りなるが、今般一万部を印刷し、貴衆両院議員及新聞社并本邦在留韓国人に配布し、尚ほ近く神田錦輝館に於て合邦反対大演説会を開かんと昨今計画中なり。
洩れ聞く所に依れば、本人は李完用より合邦反対運動費として金壱万円を受取り、其内5,000円を大韓協会の費用に充て、3,500円を韓国京城に在る家族に預け、残1,500円を携帯、出京したりと云ふ。

追て、今般印刷せる合邦反対理由は既報の通りにして、紙末に左の文字を附記せり。

大垣丈夫

頭白経綸功未成 帯将感噴出韓京
氷心一片請看取 四十余年只一誠



貴族院議員、衆議院議員、新聞社、在日韓国人に先ほどの「合邦反対の理由」を配布し、神田錦輝館で演説会を開く予定、と。
で、例の李完用の運動資金の話が出てくる、と。

次は朝鮮問題同志会(対韓同志会)に関する史料。
1910年(明治43年)1月11日付『乙秘第49号』。 【画像】


韓国政況視察員の件

朝鮮問題同志会韓国政況視察員大谷誠夫、五百木良三の両名は、本日午後3時40分、新橋発汽車にて渡韓の途に就けり。

以上。



大谷誠夫と五百木良三かぁ。
どっちも物書きですな。
まぁ、今頃韓国に行っても、殆ど得るところは無い気がしますが・・・。

今日最後の史料も朝鮮問題同志会(対韓同志会)について。
1910年(明治43年)1月18日付『乙秘第105号』。 【画像】


朝鮮問題同志会員下の関に向ふ

朝鮮問題同志会員望月龍太郎は、宋秉畯に会見の為め昨17日午后3時40分新橋発。
下の関に向へたるが、来る22日頃帰着の同会派遣韓国視察員大谷誠夫、五百木良三の2名を同地に於て待合せ、然る後、渡韓の予定なりと云ふ。

以上。



大谷誠夫と五百木良三、1月11日に発って22日帰る予定、と。
で、入れ替わるようにして、望月龍太郎渡韓予定。

むー。
やっぱり、合邦問題における宋秉畯って、何してたんだろう・・・?


今日はここまで。


合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
合邦問題(三)     合邦問題(十八)     合邦問題(三十三)   合邦問題(四十八)
合邦問題(四)     合邦問題(十九)     合邦問題(三十四)   合邦問題(四十九)
合邦問題(五)     合邦問題(二十)     合邦問題(三十五)   合邦問題(五十)  
合邦問題(六)     合邦問題(二十一)   合邦問題(三十六)   合邦問題(五十一)
合邦問題(七)     合邦問題(二十二)   合邦問題(三十七)   合邦問題(五十二)
合邦問題(八)     合邦問題(二十三)   合邦問題(三十八)   合邦問題(五十三)
合邦問題(九)     合邦問題(二十四)   合邦問題(三十九)   合邦問題(五十四)
合邦問題(十)     合邦問題(二十五)   合邦問題(四十)     合邦問題(五十五)
合邦問題(十一)   合邦問題(二十六)   合邦問題(四十一)   合邦問題(五十六)
合邦問題(十二)   合邦問題(二十七)   合邦問題(四十二)
合邦問題(十三)   合邦問題(二十八)   合邦問題(四十三)
合邦問題(十四)   合邦問題(二十九)   合邦問題(四十四)
合邦問題(十五)   合邦問題(三十)     合邦問題(四十五)


合邦問題(五十六)

テーマ:

今年も今日を含んであと3日・・・。
間に合うか間に合わないか実に微妙ですが、頑張って先に進みましょう。

前回、10時間に亘る説得の結果中止が確約された寧辺の地方国民会。
ところが。
1910年(明治43年)1月8日付『高秘発第16号』より。


平安北道
一.寧辺に於ける一進会排斥運動に関し、崔夢華等が発起せる国民会を禁止せし件は既報の如し。
然るに、本月3日寧辺市日を利用し、各面里より約400余名を召集し、国民大会を開催すべきことを所轄警察署へ届出でたり。
依て、発起人崔夢華、韓忠燁を警察署に召喚し、曾て訓諭したるに係はらず多衆を集め不穏の行動をなすの不都合を責め、厳戒しつつありし際、午後2時既に普通学校門前に於て国民大会の旗を建て、演説を開始せり。
茲に於て署長は現場に出張し、演説を中止せしめ、会の主管者たる趙亮均、崔夢華、韓忠燁、朴寬俊、金洙喆等を学校内の一室にて取調べたるに、国民の憤激は制し難く、別紙(1号寫)の如き順序に演説議定をなすことを主張せり。
然るに其文字穏当を欠き、一般を煽動するものと認め之れを領置し、且演説及議決をなすことを禁止したるに、発起人は、一進会の声明書に二千万国民を代表し云々とあるも、当国民会にては同意したるものにあらざることを声明したりと陳述せるにより、穏に会衆に其旨を伝へ、直ちに退散すべきことを諭し、発起人総代より之を会衆に伝へ、午後3時退散したり。
此時会衆中、学生らしき者盛に演説をなせよと呼び、又は一進会を攻撃せよと呼ぶものあり。
又は自ら進んで演説せんとするものあり、稍々不穏の状況ありしも、憲兵の協力及発起人等も解散を呼びたる為め、無事退散するを得たりと。



やっちゃいました。(笑)
いや、警察に届け出るだけ偉いか。(笑)
で、警察も行動も演説も不穏当だとはするんですが、恐らくはちゃんと届け出たからでしょうな。
話を聞いて、じゃあ穏やかに一進会の合邦宣言に同意したんじゃないという趣旨だけ伝えて解散しなさい、と。
まぁ、集まった目的が目的ですので物足りない連中は騒ぐわけですが、憲兵や発起人も警察と協力して無事解散、と。
警察も、優しいじゃん。(笑)


一.同日午後10時、発起人等は寧辺邑内倉下里吉信玉方に集会し、李容九罪悪を詳述し、政府の処分を仰ぐ旨上申書を提出すべく密議したり。
翌4日午前10時、再び前記崔夢華等5名は吉信玉方に会合し、別紙(2号寫)の如き上申書を起草し、総理大臣宛郵送し、一通は大韓毎日申報に広告する為め郵送せり。
今回の大会に狂熱し、極力奔走したるものは、私立維新学校教師金洙喆なる者にして、同人は平壌居住のものにして日本に留学したることあり。



で、上記の集会解散後また集まって、今度は政府に上書を郵送するんですな。
この集会に一番熱心だったのは金洙喆とされているわけですが、親日派名簿に載ってる金洙喆とは違うよね・・・。


一.本月3日の国民会に参列すべく、平安南道价川郡及寧邊辺郡各面学校の任員及主なる生徒は、寧辺維進学校修業証書授与式に参列の名義にて本月1日寧辺に集りたるも、署長及郡守の厳訓により開会前夫々帰郷せり。
学校教師及生徒が往々主動者となり、一般を煽動するの状況あり。



修業証書授与式参列の名目って、無理有りすぎ。(笑)
この頃、少しでも教師が出来るくらいの人材って、要するに儒生や両班、キリスト教徒なわけで、ある意味織り込み済みの反応なんじゃないかと思うんですけどねぇ。


咸鏡南道
恵山鎮地方にては、左の風評をなすものあり。

一進会及耶蘇教徒は、実に韓国を騷擾する害物なり。
国民は、20年来之が為めに惨害を蒙りたること少からず、今又日韓合邦説を唱へ国民を攪乱せんとす。
本問題に付ては、他に反対の意見を有するもの多く、此等の徒は必ずや一進会と衝突し、暴徒は此機に乗じて蜂起し、一昨年の如き騷擾を惹起するに至るべく、故に今より露領若くは清国地に移転し惨劇を免るるに如かず云々と。
右及通報候也。



一進会とキリスト教徒は、韓国に騒擾をもたらすだけの害物だ、と。
この辺、私の認識と極めて似てます。(笑)

「20年来」というのは、要するに東学党の乱からの事を指しているんでしょうなぁ。
で、この機に乗じて暴徒がまた蜂起し、1907~8年の様な騒擾を起こすだろうから、ロシア領か清国領に逃げて惨劇を免れた方がマシだ、と。


○ 別紙 1号寫
[国民会趣旨書]

今日本国民会発起の趣旨は、吾一般韓国臣民たる者の国民資格を確守するを以て目的とす。
凡そ国民となり其資格を守らざるに於ては、徒に本国家の乱臣賊子たるのみならず、世界の公賊となり世界の公論を以て声討すべきなり。
嗚呼痛哉彼至凶極悪なる李容九・宋秉畯輩三千里の江山を挙て洪水に泛へ、同を駆りて烈火に投ぜり。
是れ実に罪悪天地に盈つ。
啻に吾国家の罪人たるのみならず、誠に世界の公賊たり。
世界に公理無くば即ち已む。
若し公理あらば、国は国より声討し、世界は世界より之を声討すべし。
之を討せざるに於ては、其悪愈々甚しかるべし故を以て、此輩の凶悪に対し上は皇室政府之を討ち、中外遠近の共に討つ所以なり。
惟ふに我一般国民は、各其憤を発して大声討を加ふべし。

李容九の声討すべき罪目、左の如し。
一.国家の常典を無視し、宗廟及尊厳の地に危害を謀りたる事。
之は刑法百九十條の反逆律絞罪に処すべし。
二.外国情勢の拠る所無なきものを将ひて本国を恐動せしめたる事。
之は同法二百條の国権壊損律に照し、絞罪に処すべし。
三.書を以て民を誣ひ、人を欺き、財を騙せし事。
之は同法強盗律に処すべし。
四.無罪の良民及愚昧者を誘引して、死地に陥れしめたり。
之は故殺人律に依り絞罪。
五.我に二千万国民の代表と自称詐冒したる事。
之は同法三百八十一條に依り偽造律に処すべく、未施行者は一等を減ずべし。

(一) 吾会中に容九と同者の有無を問ふ事。
(二) 該人の前後行為を説明する事。
(三) 暗昧なる一進会員を、正道に帰せしむる事。
人の守るべき本分の真相を説演す。



無意味に世界云々言うところは、今も昔も韓国人って変わらんなぁ、と。(笑)

しかし、合邦声明の「法的なやばさ」については李完用内閣から曾禰統監も聞いており、11月6日のエントリーの時点で桂首相に対して「右は国体の変更に関し古来の慣例に照らし、謀反律に問はるべき筋のもの」と伝えているのは事実である。
尤も、「韓国古来の慣例は兎に角、目下帝国が韓国を保護し現に統監を置き統監するの際なれば、自然政体にも変化を及ぼし居れば、何等旧慣を顧慮するの要なしと考ふる」として却下しちゃうわけで。

謀反律或いは反逆律ってのは、独立協会で立憲君主制に移行を企図した事のある李完用自身ひっかかっちゃうわけでもありますし、上書の中では皇室の廃止を述べてる訳でもないんでちょっとつらい。
で、国権壊損律って高宗の為に有るように見えるわけですが。(笑)
強盗律は強引、故殺人律に至っては無茶苦茶。
何でも並べれば良いっつうもんでもないだろ、と。
まぁ、それこそ「万世不変の専制政治」なんで、ぶっちゃけどうでも良いってばどうでも良いんですが。(笑)


○ 別紙2号寫
[寧辺郡人民代表趙亮均の一進会声討及び韓日合邦反対声明書]

平安北道寧辺郡民人等血を含みて、内閣総理大臣閣下に哀告す。
嗚呼痛哉今日所謂一進会長李容九輩の我国権を壊損し、我民族を虐殺し、我疆土を丘墟するの至凶極悪なる前萬古豈曾て此れ有らんや。
後萬々世豈復た此れ有らんや。
厥の罪状を究むるに、春秋の義を以て之を按ずれば、即ち是れ乱臣賊子人々之を即討するの罪人なり。
現行刑法を以て之を証せば、其謀逆未遂犯として絞に処するの律に該当す。
各会の長書忠告啻に数度のみならず、個人の司法請裁亦已に久し。
然も尚ほ如何の勘処無く、中外人民の激憤発する所訝惑甚だ滋し。
敢て人々得誅の義を将て、茲に斉声泣告す。
伏て願くは、閣下は亟かに処分を下し、一進会は即ち解散を命じ、巨魁李容九、宋秉畯は亦常刑に処し、此人民をして声討の大義を伸ぶるを得るを得せしめられんことを千萬祈懇す。

隆熙4年1月4日
平安北道寧辺郡人民代表者 趙亮均
内閣総理大臣署理 朴齊純 閣下



おお。
四書三経(「礼記」と「春秋」が除かれている)の半島において、「春秋の義」を以て罪人だ、と。
中々知識人ですな、趙亮均。(笑)
尤も、何から引っ張った「春秋の義」なのか分からないんであれなんですが、『春秋公羊伝』の「春秋の義」に基づいているんであれば、「原心定罪」、つまり「考えた」だけで罪になるわけで。
ま、この辺専門でもあまり詳しくも無いんで、この辺でお茶を濁しておきます。(笑)

で、これより別紙1の国民会趣旨書の方が纏まってて読みやすいわけですが、上書ってやっぱり過剰装飾しなきゃならないもんなんでしょうなぁ・・・。

さて、次からはアジ歴の史料が暫く続きます。
在日韓国人留学生に関する、1910年(明治43年)1月9日付け『号外』。 【画像1】 【画像2】


韓国留学生の行動

再昨7日午前10時頃、韓国留学生中評議員の重なるもの17、8名は、大韓興学会本部に会合し、合邦問題に関し一進会の行動及び李総理の引退説等に付種々協議をなしたるも、其内容は秘密に附して洩さず、現時学生としては運動は不可なり。
従て、運動の意見は之を公にし能はざるも、兎に角在京城支部と歩調を共にせんと計画し、其通知は文書にては意を尽し難き場合多し。
且つ又、秘密の洩るる虞あるを以て、幸ひ不日帰国の筈なる浅草区栄久町永見寺内の僧侶韓国人金某に内託して、極めて秘密に大韓興学会本部の意嚮を通知せんと、同日評議員金淇驩外2名が前記永見寺内金を往訪し、都合4名にて浅草公園付近の牛肉店に入り、評議員の意向を在京城支部にへ内報方を金に依頼したるに、同人は快諾したる由なり。

右は、近来学生としては警察の注意厳しく、従て拘禁せらるるの虞ありとて、這回は僧侶に依頼したるものの如し。

以上。



李完用の引退説まで流れてんのか・・・。
つうか、京城支部っていつの間に作ったのよ?(笑)
12月23日のエントリーとか12月26日のエントリーで出回ってた、大韓興学会による一進会合邦論反対の檄文って、もしかして京城支部で勝手にやってたとか・・・。

しかし、牛肉屋って焼き肉・・・じゃなく牛鍋屋だよな。
「キムチとか、持ち込んでたんだろうか?」と、全く関係無い疑問まで浮かんでみたり。(笑)

で、坊主に依頼して本部と京城支部の連携をとる、と。
つうか、お前等勉強しろ。(笑)


今日はここまで。


合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
合邦問題(三)     合邦問題(十八)     合邦問題(三十三)   合邦問題(四十八)
合邦問題(四)     合邦問題(十九)     合邦問題(三十四)   合邦問題(四十九)
合邦問題(五)     合邦問題(二十)     合邦問題(三十五)   合邦問題(五十)  
合邦問題(六)     合邦問題(二十一)   合邦問題(三十六)   合邦問題(五十一)
合邦問題(七)     合邦問題(二十二)   合邦問題(三十七)   合邦問題(五十二)
合邦問題(八)     合邦問題(二十三)   合邦問題(三十八)   合邦問題(五十三)
合邦問題(九)     合邦問題(二十四)   合邦問題(三十九)   合邦問題(五十四)
合邦問題(十)     合邦問題(二十五)   合邦問題(四十)     合邦問題(五十五)
合邦問題(十一)   合邦問題(二十六)   合邦問題(四十一)
合邦問題(十二)   合邦問題(二十七)   合邦問題(四十二)
合邦問題(十三)   合邦問題(二十八)   合邦問題(四十三)
合邦問題(十四)   合邦問題(二十九)   合邦問題(四十四)
合邦問題(十五)   合邦問題(三十)     合邦問題(四十五)


合邦問題(五十五)

テーマ:

今日は、アジ歴の史料から始めます。
収受が1910年(明治43年)1月7日なのでここで紹介しますが、付日は1909年(明治42年)12月27日。
大垣丈夫の動向について、大阪府知事から内務大臣平田東助宛ての『第137号』より。 【画像】


韓国大韓協会員の来阪

韓国大韓協会顧問大垣丈夫は、東上の途次、昨26日午后11時27分梅田駅着の汽車にて広島より来阪し、当市北区曽根崎中二丁目旅人宿楠本周平方に投宿せしが、今回帰朝の目的は、本期議会に於て対韓問題の提議せらるることあるを予想し、議会開会前一応政友会并に進歩党の幹部員に面会して韓国の現状を縷述し、又政府当局者に対して対韓政策に関する同協会の希望を訴へ、議会開会中は東京に滞在し、諸般の視察を為すに在りと云ふ。
本人は、本日午後7時23分梅田駅発の汽車にて出発し、着京の上は芝区愛宕町二丁目14番地月見館に投宿すべき筈なり。
右及報告候也。



やはり大垣丈夫って何者なのか、よく分からない。(笑)
で、もう一丁これの続報があるので、そっちも紹介しておこう。
1909年(明治42年)12月28日付『第138号』。 【画像】


韓国大韓協会員の出発

既報韓国大韓協会顧問大垣丈夫は、昨日午後7時23分発の汽車にて東上せり。(京都府へ電話通報す)
同人の妾、鹿山ミツなる者、目下当市北区牛丸町に居住せるを以て、来阪後同所に出入りせし外、別に異状の行動を認めず。
右及報告候也。



大垣丈夫も、いつ妾なんて作ってんだよ。(笑)
で、京都府へ電話通報って、行く先々でマークですな。

続いては1月8日付けの史料。
1910年(明治43年)1月8日付『高秘収第6号の1』より。


本月1日高秘発号外、合邦問題に関する各道各警察署別報告、全羅北道各警察署に属するもの別紙の如し。
右及通報候也。

○ 別紙
[全羅北道地方の動静]

全州警察署管内
一.12月3日全州新報の号外により、一進会が日韓合邦の請願書を提出したりとの事を知得したる民衆は、曾て伊藤公の遭難以来、之が反動は必ずや統監政策の上に現出するに至るならんと杞憂の念を懐き居りたる折柄なれば、一層の感動を受けたるものの如く、殊に一進会に対しては深く憎悪の念を惹起したるの観あり。
要するに本問題に対しては不快の念を抱き、合邦の不成功を希望し居るの状況なり。

一.全州一進会支部長は、12月8日各支会長及侍天教長を召集したるも、会する者4名にして、之に対し一進会が合邦に宣言したる趣旨を概述し、猶ほ一般民心の動搖に注意することを以てせり。
以上の外、特記すべき事項なく、不穏の言動を為すものなし。



伊藤博文を韓国人が暗殺した時点で、悪影響が出るかもしれないと考えるのは、まぁ当たり前。
しかしながら、2ヶ月余りが過ぎたこの時点では、全く日本からのアクションは無い。
そんな中で、一進会が合邦声明を出したという事で、一進会を深く憎悪。
当然と言えば当然ですな。

で、一進会の支部長が招集かけたけど、集まったのは4名・・・。
駄目じゃん。。。


古阜警察署管内
一.両班儒生等の間に於ては頗る杞憂を抱き、一進会の此挙に対し絶対に反対の意を漏し居るも、其内稍々事理を解する者にありては、該声明書の記事一々適切の文言にして、過去に於ける日本の誠意を自覚せざるの致す所なり。
日本政府として、若し合邦の意ありとせば止むなきものとし、只歎息を為すに過ぎざるものあり。

一.大韓協会員中合邦反対説を唱ふるもの多きも、同会本部は対合邦問題を決定して更に通知する迄は、此際軽挙に出でざるべきことを以て各支会を戒めたるにより、同会員は目下極めて沈黙を守り居れり。
以上の外、何等異状を認めず。



杞憂を抱く者は当然居るとして、合邦声明の言ってるのはその通りで、日本の誠意を自覚しないわけにはいかず、日本が合邦する意思があるのならばやむを得ないとする者も居る、と。

で、この管内の大韓協会員は合邦反対説が多いが、本部の意向により沈黙。
一進会は君主独裁で、大韓協会は共和主義とか言ってた人がいたけど、支部で招集して4人しか集まらない一進会より、大韓協会の方が本部の言うこと聞いてるじゃない。(笑)


錦山警察署管内
一.今日迄何等注目に価すべき行動なし。

南原警察署管内
一.合邦問題に関しては、新聞購讀者并に2、3有力者の知れる外、一般人民に於ては未だ周知せず、其知得せる者と雖ども、一進会が如何に活動するとも日本は之を歓迎せざるべく、目的を貫徹するは不可能の事なりと冷評し、一般民心冷静なり。



一般人はやはり知らない、と。
で、知ってる者も日本は一進会の活動を歓迎しないだろうとして冷静、と。
何で歓迎しないと思えるのだろう?


群山警察署管内
一.一般に周知せられず、郡守以下の官吏其他新聞購読者等偶々之を知るも、深き注意を払はず、一種の好奇心を以て其成行を観望し居るものの如し。

一.大韓協会支部其他多少の政治思想を有する両班儒生は、兎角の評論を為すもの多く、上流社会中現内閣に親戚其他職務上の夤縁を有する2、3者を除きたる外は、何れも本問題を以て国家存亡に関する重大問題となし杞憂し居るも、時局を云為するに於ては災厄の身に及ばんことを憂慮し、口を噤ずるものの如し。
但し、一進会の挙措を無謀なりとして罵倒し、売国奴なりと激語するものあり。
然れども、未だ輿論を動かすの勢力なし。

一. 群山にて最も勢力ある前参判趙秉承、権鐘振、儒生金光済等は曰く、合邦は国家の大問題なるを以て、一進会独力にて成功すべきにあらず。
然るに、国民中十中の九は不同意なるを以て、到底成立せざるべし云々。

一.中流者の感想は一定せずと雖ども、国家の存亡に就ては関知する所にあらずとするものの如く、衣食住を得るの途を与ふれば足れり。
然るに、合邦の結果我瞹昧なる同邦国民は、到底鋭敏なる日本人と競争場裡に立つ能はずして、百般の利益は日本人の為めに壟断せらるるに至らん。
現に既往の経験を以てするも、之を証するを得べし。
吾人は、生活上不良なる影響を受けざるに於ては、其合邦と属国たるとは問ふ所にあらざるなりと。

一.暴徒の未だ全滅せざるに際し、日韓合邦は反て暴徒を増加するの動機たるを免がれずと杞憂するものあり。
以上の状況にして、住民中10分の9は未だ本問題を詳知せず、両班儒生中には、一進会の宣言に憤慨せるものありと雖ども、多くは何等の影響なきものの如く、頗る平穏の状態なり。



郡守以下の官吏其他新聞購読者は知ってても深く注意を払わず、好奇心で成り行きを見守っている、と。
これは、先ほどから見られるように、成立しない前提に立って、この騒ぎを楽しんでるって事かな?

両班、儒生なんかは論評するものが多く、合邦問題を国家存亡に係る重大問題として杞憂はしているが、自分の身に厄災が及ぶ事を憂慮して黙っている、と。
ただ、一進会は無謀な売国奴だと豪語する者は居るが、世論を動かす力はない、と。

趙秉承、権鐘振、儒生金光済は一進会独力で成功するはずが無く、一方で国民の9/10は同意しないから成立しないだろう、と。
つうか、いつから大韓帝国が民主国家になったんだよ!(笑)
大韓国国制第二条の「万世不変の専制政治」は何処へ行ったのやら。

中流階級は生活上良くない影響が出なければどっちでも良い、と。
ただ、蒙昧な韓国人は鋭敏な日本人と同じ競争場に立つ事すら出来ず、利益は日本人に持っていかれるだろう事を心配している。

後は、暴徒がまだ全滅されてないのに、日韓合邦は暴徒増加に繋がるのではないかと杞憂する者が居る、と。
ふーん。
「義兵」じゃないんだ。
しかも、増えると困るんだ。(笑)


○ 別紙 高秘発第7号
合邦問題に関する地方状況

京畿道
一進会の提唱に係る合邦問題に関し、同会の顧問役とも見るべき菊池忠三郎が、仁川居住の親友に語りたる一節に、

本問題は、遠く新協約成立の当時に在りて内田良平が宋秉畯に諮りたるに、同人の炯眼早くも合併の已むべからざるを看破し居りしものの如く、而て之を李容九に伝へ、同会をして提議せむべく勧誘ありたしとの事にて、内田は李に対し、合邦の早晩実現せらるべき機あるを諄々として説く所ありしに、李は事重大にして十分熟慮の上確答すべきことを以てし、爾来本問題を攻究し、為めに煩悶憂愁病をなしたること一再ならざりし。
其後、韓国の時事日に非にして合併の機近邇し来れるを看取したる李は、若し日本政府より合併せらるるときは、建国の歴史を尊崇せる数十万の反対者は立ち所に蜂起し、如何なる暴挙を企つるや保し難く、寧ろ身を鋒鏑に殞すべきを予期し、且合併せらるるときは皇室の存在に関し痛心し、自ら進んで合邦を提唱し、皇室の安全を謀り、民心の攪乱を未発に防遏するの手段として今回の挙に出たるものと云ふ。
而して李は、本問題提出に付ては既に死を決し、若し問題の不結果に終らんが、毒を仰いで死する牢乎たる決心ありと伝へらる云々。



んー、菊池忠三郎、面白い事言ってますねぇ。
内田良平と宋秉畯は意気投合。
これを李容九に謀った処、「李は事重大にして十分熟慮の上確答すべきことを以てし、爾来本問題を攻究し、為めに煩悶憂愁病をなしたること一再ならざりし。」だそうで。
良く、葛生能久の『日韓合邦秘史』を元に、李容九が樽井藤吉の『大東合邦論』の影響を受けていたとされるけど、どこまで本当なんでしょうねぇ・・・。(笑)


平安南道
12月25日、耶蘇誕生日に於て鎮南浦耶蘇三崇学校附属教会堂に於て、職員生徒及一般の信徒集合し、祝賀式に挙げたる後、校長及学監の演説あり。
学監裴亨湜演説の要旨は、韓国は瀕死の病人の如し。
漸々死に向ひつつあり。
名義は日本の保護の下にありと云ふも、実質は属国の待遇なり。
韓人たるの精神も亦、時勢と共に忘却しつつあるの感あり。
一進会は合邦を提唱し、有力なる両班等も之に賛同し来れるの風あり。
我々は、国勢の如何に成り行くも之を評論する能はずと雖ども、韓国たることは決して忘るべからず。
我々耶蘇教徒は、宜しく団結の精神を保ち、神に信頼して祈りを怠らず、我国将来の光明を得、国の独立を期せざるべからず云々。



現代韓国人は、民族と国籍を分けるという思考が出来ないんですが、こういう処にその根源があるのかも知れませんなぁ。
でも、「韓人たるの精神も亦、時勢と共に忘却しつつあるの感あり。」って、皇民化政策とかってまだ行われて無いんですけどねぇ。(笑)
改めて演説しなければ、韓国人としてのアイデンティティーすら保てないのかも知れませんね。


平安北道
寧辺公私立学校に於て、合邦反対一進会排斥演説をなしたるより、同地方に於て一進会を嫌ふの情益々其熱度を嵩め、多少不穏の模様ありしにより警戒中の処、12月28日、地方国民会と号し、儒生崔夢華外150名発起者となり、1月4日、寧辺各里の代表者を寧辺邑内に集め協議する為め、「一進会長李容九が日韓合邦を声明したるは、君主を凌辱し、国権を無視したる極悪たるものとす。大韓民族は他の奴隷たるを甘受するものにあらず。由て明年1月4日、各宗の代表者は寧辺邑内に合同し、一進会の罪悪を討じ、韓国良民たるを明にせんことを議すべきに付来会せよ云々」との招集状を発したり。
依て、発起人を所轄警察署に召喚し取調たるに、発起者崔夢華は(附近に名望ある儒生なり)、憤慨の言辞を以て国家を滅亡すべき行動ある一進会を排斥すべく、多衆の賛同を得ば代表者を上京せしめ、逆賊一進会に極刑を加へらるる様、当局大臣に訴願するの決心なりと陳弁せり。
因て、其不穏当なる言動を戒め、多衆合同をなさざる様反覆訓諭するも、彼は只管悲憤の体度を以て、是非とも其罪を問はざるべからずと主張し、頑として応ぜず、遂に午後4時より翌午前2時に至る10時間に亘り、或は諭し、或は叱し、訓諭したる結果、漸く穏和の体度に復し大会をなすことを中止すべく確答したるも、民意のある所は其筋に訴願すべく主張したりと。

右及通報候也。



寧辺あたりは、12月22日のエントリー12月25日のエントリー12月26日のエントリー等、色々と騒ぎが多いのだが、それに追加。
1月4日に地方国民会を開こうとしたため、発起者崔夢華が所轄警察署に召喚され、10時間にも亘る説得の末ようやく中止を確約したが、民意のある所は其筋に訴願すべく主張、と。
で、この一件、中止を確約したにも係わらず、後日新しい紛擾を産んだりするのである。


長くなったけど、今日はこれまで。


合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
合邦問題(三)     合邦問題(十八)     合邦問題(三十三)   合邦問題(四十八)
合邦問題(四)     合邦問題(十九)     合邦問題(三十四)   合邦問題(四十九)
合邦問題(五)     合邦問題(二十)     合邦問題(三十五)   合邦問題(五十)  
合邦問題(六)     合邦問題(二十一)   合邦問題(三十六)   合邦問題(五十一)
合邦問題(七)     合邦問題(二十二)   合邦問題(三十七)   合邦問題(五十二)
合邦問題(八)     合邦問題(二十三)   合邦問題(三十八)   合邦問題(五十三)
合邦問題(九)     合邦問題(二十四)   合邦問題(三十九)   合邦問題(五十四)
合邦問題(十)     合邦問題(二十五)   合邦問題(四十)  
合邦問題(十一)   合邦問題(二十六)   合邦問題(四十一)
合邦問題(十二)   合邦問題(二十七)   合邦問題(四十二)
合邦問題(十三)   合邦問題(二十八)   合邦問題(四十三)
合邦問題(十四)   合邦問題(二十九)   合邦問題(四十四)
合邦問題(十五)   合邦問題(三十)     合邦問題(四十五)


合邦問題(五十四)

テーマ:

今日もさっさと28日付けの史料を見ていきましょう。
まずは、曾禰統監から桂首相への1909(明治42年)12月28日付『往電第46号』より。


昨日迄の各地方の状況を綜合するに、合邦論に就ては之を馬耳東風に委するものと、憂國の衷心よりするものと、忠臣義士を衒ふ旁予て一進会を嫌忌するものとの3者あり。
賛成者は一進会に近きものと、時勢の趨勢上已むを得ずと為すものとの2者あり。
然れども、多くは到底成立せざるものと予断し居るものの如し。
委細郵便。



統監府に於ける現況報告である。
なんつーか、「荒らしはスルー汁!」的な雰囲気を感じるのは私だけでしょうか?(笑)

で、もう一丁曾禰統監から桂首相への1909(明治42年)12月28日付『往電第47号』。


各地方も平穏なるの見込立ち、李完用も医師に確かむれば回復の見込あり。
就ては本官帰朝するも、差当り不都合無しかと考ふ。
種々将来のことに付御相談の必要もあり、且つ韓国の現況具申仕り度く、来る3日頃出発上京仕りたし。
御聴済ある様御配慮を請ふ。



三が日も終わらない内に東京へかぁ・・・。
病気もあるようだし、大変よねぇ。

続いては、一端行方不明状態となり統監府を慌てさせた宋秉畯等に関する報告。
1909(明治42年)12月28日付『憲機第2619号』から。


(12月24日憲機第2589号参照)(12月25日小倉憲兵隊長報)

一.事実
1.12月23日宋秉畯の行動に就ては異状なし。
其韓国方面との間発着の信書等、左の如し。
(一) 京城金時鉉より宋宛書面着
(二) 京城李範益なる者より宋宛書面着
(三) 京城金時鉉宛宋より電報を発す
2.福岡に向ひたる内田忠光(良平の兄)は、23日夜下関に来り濱吉旅館に宿泊し居れり。
又内田良平は24日朝鮮国より着。
川柳旅館に宿泊し居り。
新聞記者等は、良平を旅館に訪問せり。
右兄弟は互に文通し居れり。
3.宋は24日午後、春帆楼に於て内田良平と会見。
食事を共にし、約3時間の後各旅館に立帰りたり。

以上。



んー。
12月24日憲機第2589号も見つからないし、この時期の宋秉畯が何考えて行動してるか分かんないからなぁ。
ま、とりあえずそういう事がありました、としか言いようが無いな。(笑)

続いては、大韓毎日申報の記事に関する件。
1909(明治42年)12月28日付『憲機第2615号』から。


去る25日発行の大韓毎日申報論説に、京城日本人新聞記者団と題し、頗る皮肉の記事を掲載するに至れる。
内容に就き内査し得たる処に依れば、24日午後2時頃同社長英人萬咸、総務梁起鐸以下の社員等其社内に於て、邦人新聞記者団の日韓合邦論に対する之れが反対策に就て約1時間に亘る密議を凝らせし由にて、其発議者は梁起鐸なりと。
而して其要とする点は、過般来一進会が日韓合邦論を唱へしに対し、1、2の反対団起りし為め、大に其進行を阻害せしを以て深く憂慮するに及ばざりしも、今回日本新聞記者団なるものを組織し、日韓合併を唱導し、日本の輿論の喚起に力むるに於ては、1、2反対団の能く之れを防圧するを得ざる可し。
故に此際我社は普く二千万同胞に日韓の関係を説き、愛国忠憤之念を起さしめ、以て我三千里疆土及び二千万生霊の安全を期せざる可からず云々と云ふにありて、之れが為め、該記事を掲載するに至れるものなりと。

以上。



「萬咸」ってのは、マーハムの当て字かな?
当然というか何というか、プロパガンダの撃ち合い状態ですな。

で、次で28日付けの史料は最後。
龍山地方の状況について、1909(明治42年)12月28日付『憲機第2623号』から。


(12月25日憲機第2595号参照)(12月26日龍山分遣所長内報)

韓国耶蘇教徒40万を代表せる日韓合邦問題の宣言書の草稿を立案せる、龍山時報社長大澤龍次郎及美輪作次郎の所在不明なりしが、聞く処に依れば宣言書を脱稿せし後、鍾路青年会館に到り、翌24日夕刻各帰宅せり。
而して当分の間、該宣言書の発表を見合すことに決せりと云ふ。
其の内容は、或筋よりの警告に由るものなるが如し。

以上。



12月25日憲機第2595号も見つかんねーよ・・・。
これだけじゃあ、賛成の宣言書なのか反対の宣言書なのか分かんねーじゃねーか。
まぁ、どっちにしろ発表しないようだけど。
或筋って誰だろうなぁ?

さて、次は29日付けの史料になるのだが、一件しかない。
おまけに、この後の史料は1910年に入ってからになるので、合邦問題に関する1909年最後の史料という事になる。
それほど対した史料じゃないんだけどね。(笑)
安州地方の状況に関する、1909(明治42年)12月29日付『憲機第2630号』。


(12月24日安州管区長報告)

一.孟山郡守の千象河は、従来排日者にして此度の合邦問題を憤慨し、我憲兵及巡査に向て一進会員を誹謗し、且つ韓国に愛国心あるもの数百人ありなば、我は共に祖国をして今日の悲境に陥らしむることなし等を語れりと。
尚、同人の言語挙動に就ては注意内偵中。

二.郡守にして斯る状態なる地方韓民に於ては、尚深く事実を知らざるもの多く、従て何等著しき動静感情なし。
尚内偵中。



私の勘が、こいつは典型的な口だけ野郎だと言っています。(笑)
つうか、何でお前等同胞がした事で、日本の憲兵や巡査に不満をぶつけるのかと、小一時間説教してやりたくなりますな。(笑)

で、史料の中では一足先に無事に年越しを済ませまして、1910年の史料に入っていきます。
まずは、アジア歴史資料センターの史料から。
毎日のように行動報告がされる為、敢えてスルーしていた李人稙について、ちょっと興味深い記述があるのでメモ代わりに。
1910(明治43年)1月3日付『乙秘第5号』。 【画像(左側)


李人稙の行動

1日午前9時、大垣丈夫より端書到来。
11時30分、返書を発すると同時に、統監府書記官小松緑、国分象次郎に端書を発送す。

(中略)

以上。



大垣丈夫及び小松緑、国分は次郎じゃなく太郎で国分象太郎との文書のやりとり。
と思ったけど、単なる年賀状の可能性もあるな・・・。(笑)
まぁ、例え年賀状だとしても、それをやり取りする間柄だというのは面白いわけで。

続いても同じくアジ歴から、1910(明治43年)1月6日付『乙秘第14号』。 【画像1】 【画像2】


韓国合併問題に関する件

憲政本党某代議士は、韓国問題に関し左の如く語れり。

日韓合邦問題に関しては未だ党として協議には登らざるも、大石、犬養其他2、3党員間には、此際韓国を我国に合併し、同国の皇族を我国の貴族に列して之を内地に羅致し、茲暫く軍政的機関を敷き、以て政友会に交渉し、其同意を得て秘密会議を開き院議を以て政府に之が断行を忠告し、又場合に依り政府が強ひて反対せざれば、秘密上奏を為すも可ならんと内々話し合ひ居れり。
我党に於ては、一人として此説に反対する者なかるべしと信ずるが故に、自然事実となりて現はるるに至るならん。
而して、昨今新聞紙上に、我党は韓国問題調査の為、大内暢三を渡韓せしめたるやに記載しあるも、右は事実にあらず。
大内は、同地に事業を経営し居り、屡々同地に往来し居るもの■。
今回も、其用件にて渡韓するに付、同人の望みに依り派遣の名義を付し遣りたるに過ぎず、決して同人の調査の結果を待て之を云為せんとするものにあらず。
又、政府の内情に通ずる者の語る所に依れば、桂首相、寺内陸相、曽根統監の間には、来る3月を期し、合邦を断行せんとの意思既に定り居りて、之が為、来る2月に於ける同地駐屯兵交代の際には、一旅団位の軍隊を増遣する計画なりとのことなれば、右の言議は、蓋し政府に於ても喜ぶ所ならんと思はる云々。



いや、確かに増派は行われるんですが、6月に入ってから憲兵の増派が寺内から要請されるわけですしねぇ。
しかもこれとて「韓国警察事務委託ニ関スル覚書」と全く無関係ってことは無いでしょうし。
「政府の内情に通ずる者」って誰よ?と。
ああ、その前に、「憲政本党某代議士」って誰よ?(笑)

で、大内暢三。
10月28日のエントリー10月31日のエントリーでは統監府攻撃の目的で渡韓していたわけですが、まぁこの時も調査目的だと考えるのが妥当でしょうなぁ。

憲政本党(特に)って反政友会だと思ってたんですが、取りあえずこの問題に関しては、政友会と交渉し同意の上で院議で政府に合併の断行を忠告、と。

さて、本当に山県有朋や桂太郎や寺内正毅って、合併の積極推進派だったんですかねぇ・・・。


今日はこれまで。


合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
合邦問題(三)     合邦問題(十八)     合邦問題(三十三)   合邦問題(四十八)
合邦問題(四)     合邦問題(十九)     合邦問題(三十四)   合邦問題(四十九)
合邦問題(五)     合邦問題(二十)     合邦問題(三十五)   合邦問題(五十)  
合邦問題(六)     合邦問題(二十一)   合邦問題(三十六)   合邦問題(五十一)
合邦問題(七)     合邦問題(二十二)   合邦問題(三十七)   合邦問題(五十二)
合邦問題(八)     合邦問題(二十三)   合邦問題(三十八)   合邦問題(五十三)
合邦問題(九)     合邦問題(二十四)   合邦問題(三十九)
合邦問題(十)     合邦問題(二十五)   合邦問題(四十)  
合邦問題(十一)   合邦問題(二十六)   合邦問題(四十一)
合邦問題(十二)   合邦問題(二十七)   合邦問題(四十二)
合邦問題(十三)   合邦問題(二十八)   合邦問題(四十三)
合邦問題(十四)   合邦問題(二十九)   合邦問題(四十四)
合邦問題(十五)   合邦問題(三十)     合邦問題(四十五)


合邦問題(五十三)

テーマ:

 吹雪もかなり落ち着いた午前9時半頃の写真

地吹雪体験ツアーとかに来るヤツの気が知れねー。
まじ、ホワイトアウトで遅刻しそうになったdreamtaleです。
ども。

なんとなく、もう終わっちゃった感も漂ってきている合邦問題。
正直、どこで打ち切れば良いか迷ってるわけですが。(笑)

今日からは27日付けの史料になだれ込みます。
まずは平安北道の状況を、1909(明治42年)12月27日付『憲機第2603号』から。


(12月20日 平安北道寧辺分遣所長報告)

日韓合邦問題に関する情況、左の如し。

一.12月16日当地維新学校に於て、同校日語教師崔利渉(一進会員)を放逐し、爾来校長韓東禹及西北学会員明以恒其他反対連、京城地方の風聞穏なるに隨ひ沈静の状態なるも、内心自己本意の趣旨を貫徹せんと同志の輩と謀り、近日中決議書を観察使に提出せんとしつつあり。
而して崔教師放逐に関しては、一進会員の如き売国奴は教員たる能はずと、同校生の賛同を得て最も卑劣なる手段を以て放逐し、尚ほ一進会の生徒は、面前に於て会員証を焼棄するに非ざれば入校せしめざる旨厳達したり。

一.普通学校長李基鉉が、生徒に対し一進会員たるもには此際脱会すべしと伝へたる件に付、一進会長郭秉璞は之れを反問したるに、自己の口外せし言に非らずとし、其後平常の如く登校教援しつつあるも、同校長は従来窃かに排日思想を有し、此頃教監不在に乗じ如此行動を敢てしたるもになり。
注意内偵中。

以上。



12月22日のエントリー及び前回で報告されていた件である。
付日の為に前後しているが、前回の史料に「本月20日報告せし」とあるとおり、今回の『12月20日 平安北道寧辺分遣所長報告』を受けて、前回の『高秘発第475号』にあるとおり関係者が呼び出され、厳重注意を受け、皆 (´・ω・`) とするわけである。
ちょっとややこしいね。

続いて、黄海道延安地方の状況に関して、1909(明治42年)12月27日付『憲機第2608号』より。


(黄海道延安分遣所長報告)

本月19日以来、米山面・通隆面・龍川面及邑内面長等、郡守荘明成・崔殷協等日々往復して密議を凝らしつつあり。
右は、一進会合邦論反対の檄文を大韓興学会より延安普通学校宛及郡守宛其他2、3の有志に宛発送し来りたるを以て、之れが衝に当る者2名を撰択し、上京せしむる計画なりと。
其他の状態は冷静なり。

以上。



えーっと、大韓興学会から檄文が郡守等に送られてきた事から密議し、これの折衝に当たる者2名を上京させる計画と。
12月23日のエントリーでも水原の郷校に布告文と一進会討伐の檄文が来てましたな。
これ、大きな動きになるのかなぁ・・・?

次は江原道鐵原の状況について。
1909(明治42年)12月27日付『憲機第2611号』より。


合邦問題に対し、耶蘇教徒200余名出京、反対演説をなさんと運動中なりとの事に関し、内査せしも其形跡なし。
然れども、本月19日、20日の両日中、反対の決議書を京城耶蘇教会長全徳基に宛て発送したる事実あり。
而して其関係者及決議書作製の方法等、左の如し。

主唱者は鐵原培英学校長兼大韓毎日申報支社長趙鍾大にして、公立普通学校教員金明済・同朴栄嘉・同学務委員崔昇・金昌胤・金喆会之を斡旋せり。
其方法は、多数集合して決議したるものにあらず。
金明済等が、金喆会・金昌胤を使嗾し、各戸に至らしめ、新日本国民に為るを不可と思はば本紙に記名捺印せよと云ひ、同時に合邦問題の内容を説き、以て無智の人民を惑はし捺印せしめたるものの如シし。
而して記名者10名集まる毎に、直に京城全徳基に送れり(全徳基は之を国民演説会長に齎せりと)。
本日迄の記名者は、約200名に達せりと。
主唱者趙鍾大は、1ケ月前上京し近頃帰邑せり。
其上京の用向は、本件発生以前上京したるものなれば本件に関係なきものの如く、全く業務上の事と察せらる。
金明済は昨年渡日せんと頻りに運動せしに、旅費不調の為め目的を達せざりしが、本年旧正月頃再び留学の為め渡日すると流言し居りたり。
其目的は、表面留学と言ふも実は趙鍾大等と通謀し、我が政府の動静視察の為めにはあらざるかと思はる。
内査中。
趙鍾大は、金明済を京城耶蘇学校に入学せしめ、卒業後直に今の公立普通学校教員に推選せしものなり。
亦、金は学務委員崔昇と結托して校費を費消せし事ありしとの由にて、親近なる間柄なるが如し。
尚内続行中。



これも12月22日のエントリー及び前回で報告されていた件であり、先の平安北道寧辺の状況同様に付日の関係で前後しているが、この報告が出された後所轄警察署で説諭され、以後決して政治問題に関係せずと宣言して調印を中止する事となる。
でも、国民演説会長のところに持っていったって、会長の閔泳韶、17日には辞めちゃったんですがねぇ・・・。(笑)

おまけで、金明済は崔昇と結托して学校の金を横領したそうだ、と。
ま、この辺はいつも通りで、特に驚く話でも無いわけですが。(笑)

次はアジ歴の史料から。
李完用の容態に関して、1909(明治42年)12月27日発電文から。 【画像】


李首相容体、左の如し。

23日手術後体温37度5、6部、脈100内外、呼吸25、6なりしが、昨午後より体温再昂38度5分に昇り、脈、呼吸には変化なし。
又、一昨日午後より時々血痰を吐く。
検鏡上肺炎菌及化膿菌を認めず、局部化膿の兆なし。
食気少しづつ進み元気も稍に生じ来りたるも、熱の昇りたる原因明かならず、検鏡中なり。



残念ながらペニシリンはまだ無いしねぇ。
この時代、大変だったろうなぁ・・・。

さて、次からは28日付けの史料に入るわけだが、このままアジ歴の史料から見ていきましょう。
大垣丈夫の行動について、1909(明治42年)12月28日付『乙秘第2891号』より。 【画像】


大垣丈夫の行動

過刻既報を経し大韓協会顧問大垣丈夫は、着京するや各方面に電話を以て吹聴したる趣にて、唯今までに同人を訪問したる重なる者は、長浦某、岡田桃風、望月小太郎等にして、同人は合邦問題に関し語て■■く、大韓協会は排日思想を鼓吹するものにあらず。
随て、合邦論に絶対に反対せず、今は其時期尚早しとの見込より一進会に賛成せざるのみ。
今回の上京は、大韓協会の真相を紹介し、尚ほ議会の形勢を視察するにありと称し、別紙韓国国情一班と大韓協会宣告書を来訪者に頒ちつつあり。

以上。



望月小太郎ねぇ・・・。
実は合邦問題ってのは、日本側の動きは政府以外の部分でもかなり複雑で、誰がどういう思惑や枠組みで動いてるのか、把握するのはかなり難しい。
内田良平等の黒龍会系、大垣丈夫、菊池謙譲、マスコミ、朝鮮問題同志会、大隈重信、安達謙蔵、そして望月小太郎。
私の手には余るので、誰か研究してくれないかなぁ。(笑)

で、この史料には文中にもあるとおり、別紙として韓国国情一班と大韓協会宣告書が付いてるわけですが、大韓協会宣告書については11月22日のエントリー中の『警秘第361号の1』別紙「時局に対する声明書」と同じ物であるため、ここでは韓国国情一班のみ見ていきましょう。 【画像1】 【画像2】


韓国国情一班

曽禰統監は一視同仁を宣言し、従来継子扱ひを受け居りたる排日派に、頗る慰安を与へて大に信頼の念を起さしめ、産業政策を執りて生活難を叫ぶ韓民に前途の希望を懐かしめ、国情益々良好に赴き不平者日に減少するの折柄、伊藤侯爵の遭難ありて母国の人々に韓国国情を誤解せしめたりと雖ども、彼挙は境外乱民の行為にして、国内官民とは何等の関係無し。
一進会、大韓協会の連合は、国民挙つて統監旗の下に自奮自励するの約に基き、其分裂したるは合邦の提議にあり。
一進会は合邦実行を主張し、大韓協会は姑らく現状を以て進行し、他日適当の時機と方式を選ぶべしと云ふに在り。
今の合邦反対運動は、現内閣員が自己の党与を使嗾し、金銭又は官職を以て陋劣なる運動を開始したるに依る。
大韓協会は、此間超然として一進会の軽挙と現政府の盲動を非難して、人心鎮撫に勉む。
左記宣言書を以て之を証すべし。
一進会は、東学党の系統天道教の一派なる侍天教と同体異名にして、当国人には頗る蔑視せらるる丈けそれ丈け極端に親日行動を為し、大韓協会は両班、儒生、外国留学者、耶蘇教、天道教の連合体にして、比較的有識者、財産家を網羅する丈け慎重の態度を以て国事を担任するを自期す。

大垣丈夫識



統監政治の安定と共に、国情が良好になっていったというのは恐らく間違いではない。
但し、国情を誤解というのはどうだろう?
現代ですら、暴動を「デモ文化」などと称する国ですしねぇ。(笑)

で、合邦問題は要するに貧乏人の集まりである一進会と、韓国政府の争いであって、有識者や財産家の多い大韓協会はそれを批難して人心鎮撫してるんだよ、と。
ん?
合邦運動って、プロレタリアートの蜂起なのか?(笑)
まぁ、目指すものが「事大」だしなぁ・・・。


って馬鹿なこと考えながら、今日はこれまで。(笑)


合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
合邦問題(三)     合邦問題(十八)     合邦問題(三十三)   合邦問題(四十八)
合邦問題(四)     合邦問題(十九)     合邦問題(三十四)   合邦問題(四十九)
合邦問題(五)     合邦問題(二十)     合邦問題(三十五)   合邦問題(五十)  
合邦問題(六)     合邦問題(二十一)   合邦問題(三十六)   合邦問題(五十一)
合邦問題(七)     合邦問題(二十二)   合邦問題(三十七)   合邦問題(五十二)
合邦問題(八)     合邦問題(二十三)   合邦問題(三十八)
合邦問題(九)     合邦問題(二十四)   合邦問題(三十九)
合邦問題(十)     合邦問題(二十五)   合邦問題(四十)  
合邦問題(十一)   合邦問題(二十六)   合邦問題(四十一)
合邦問題(十二)   合邦問題(二十七)   合邦問題(四十二)
合邦問題(十三)   合邦問題(二十八)   合邦問題(四十三)
合邦問題(十四)   合邦問題(二十九)   合邦問題(四十四)
合邦問題(十五)   合邦問題(三十)     合邦問題(四十五)


合邦問題(五十二)

テーマ:

この辺から、極端に史料数が少なくなってくるんですよねぇ。
つうことでサクサク先に進みましょう。

今回は、25日付け最後の史料、各道の状況報告から。
1909(明治42年)12月25日付『高秘発第475号』。


京畿道
一.水原郡一進会支会長安台栄は一進会を脱したりと偽り、元老金宗漢を其自宅に訪問。
合邦問題に関する意見を叩きたるに、金は一進会の軽挙を歎じ、元来日本が日清戦争の当時より韓国を併呑せんとの意思明なりしに、事新しく一進会が合邦を提唱して民衆の怨嗟を買ふが如きは、真に国家を思ふ赤誠にあらず云々。
又、大韓協会は多士済々にして、国家を左右するの有力の人物多く、之に反し一進会には人物なしと意気頗る昻然たるものあり。

一.仁川に於て最も勢力を有する徐相彬・鄭永化及金鳳儀等は、異口同音に一進会の合邦問題に対しては真面目に耳を傾くるの価値なく、同会は他に求むる処ありて斯くの如く突飛なる行動を演じたるに相違なし。
然るに、一進会の提唱が仮令事実として行はるるも、自分等は時勢の推移として甘受するの外なし。
唯各自商業上の関係及財産上の権利を蹂躪せらるるが如きことなくんば足れり。
故に軽々党争の渦中に投ずるの愚を為さずと語れり。

一.金浦郡地方委員奇東式は、日韓の合邦は最も可なり。
韓国は将来独立自存の見込なく、国家の面目を新にし各般の改善を図るには、此際寧ろ合邦するに如かずと云へり。

一.陰竹郡守は今回一進会の合邦問題を声明せるは、自己の利益を図らんとの野心に出たるものなるべし。
堂々たる日本政府は、一進会如き無識無謀の輩に誤らるる事なかるべしと冷視せり。

一.京城天道教中央総部より、別紙訳文の如き印刷物9枚を水原郡北部面天道教大区長鄭道永へ送付せり。
所轄警察署にて発見せし際は既に配布し、一枚を存せるのみなりし。



金宗漢は、12月1日のエントリーで奥さんが病気のため、幻の国民大演説会に参加出来なかった人物。
現代韓国人や良心的日本人同様、「日清戦争の当時より韓国を併呑せんとの意思明なり」と。
だから今更一進会が合邦を提唱して民衆の怨嗟を買うのは、真に国家を思う赤誠ではないって、前段と後段が論理的に繋がってませんが・・・。(笑)

で、12月20日のエントリー初め何度か出てきた徐相彬・鄭永化・金鳳儀等は意見に変更無く、基本一進会に反対だけど、もしそれが実現しても時勢の推移として甘受するしかない、と。

金浦郡地方委員奇東式は日韓合邦大賛成で、韓国が将来独立自存の見込みがない、と。

陰竹郡の郡守は、一進会は自分らの利益を図る野心から出たのであって、日本政府は一進会のような無識無謀の輩に騙される事はないだろうと褒め殺し気味。(笑)

京城天道教の出した印刷物は、侍天教と一進会を分離してその上で一進会批難をしており、結構面白いのだが、ちょっと長いので今回は省略。
希望があって且つ気が向いたらそのうちに・・・。


忠清南道
一.大韓協会洪州支部は合邦問題に関し、18日同所邑内市日に於て一進会声討演説会を為す為め集会せんとせしも、所轄警察署は之を禁止せり。

一.洪州に於ける一般官吏の意向は、其少数者に在りては一進会の声明に憤慨せるの色ありと雖も、多数は近き将来に於ては勿論、現今の状況にては到底独立国として列国に対すること不可能なり。
殊に現時日韓関係に於ては、保護国たる日本より進んで合併せんとせば国情上止を得ざるも、我より進んで合併を求むべきにあらずと、形勢を望観せるの態度なり。
又、大韓協会員に在りては一進会の無謀を悖り、統監府より建言書を却下せられたるは当然なり。
大韓協会は本部の指示に基き、不正当なる一進会を声討撲滅せしむるの必要あり云々との意向を洩せり。
両班儒生等は、其意向同協会と同一なり。



忠清南道は、12月23日のエントリーで一進会が道大会を開こうとして少人数しか集まらなかった所なわけですが、そこでさらに溺れる犬を叩いてもねぇ。(笑)

一方で官吏はやはり韓国は到底独立国として列国に対するのは不可能だと考えており、保護国である日本から進んで合併しようとすれば国情の上から仕方ないだろうが、自分らから進んで合併を求めるべきではない、と。
大韓協会は、一進会の建言書が却下されたのは当然だと。
最も、却下したのは韓国政府の分であって、統監府の分では無いんですが。
で、本部の指示に基づきってことですが、本部からそんな指示は来ないんですよね。(笑)


慶尚南道
一.一進会長より晋州一進会支部に対し、合邦宣言に対しては徹頭徹尾貫徹を決心せりと同時に四面の攻撃は期する所なれば、此際各地方会員は世上の流説に迷はず、攻撃に脅かさるることなく、慎重の態度を採るべしと諭告する所あり。
依て昨24日、晋州外十三支会長を秘密に晋州に集合し、該諭告を伝達することとせり。



12月23日のエントリーでも忠清南道で類似の話が出ており、合併趣意宣言書は各一進会支部に配布されたのであろう。
で、各支会長を集めて伝達予定、と。


江原道
一.本月21日報告せし鐵原学校教師が合邦反対決議書に調印を求めつつありし件は、所轄警察署に於て説諭の結果、以後決して政治問題に関係せずと宣言し、調印を中止せり。



12月19日のエントリーの『高秘発第452号』の続報ですな。
結果、以後は政治問題に関わらないと宣言して、調印中止。


咸鏡南道
一.咸興耶蘇中学校教師金昌済は、韓国は無智無能の輩に依り益々国威を失墜し今や危急至るの秋に在り、合邦問題の如き最早論ずるの要なしと云ひ、又咸興日新会長にして有力なる耶蘇教徒曺希林は、合邦問題は元来問題として研究するの要なし。
韓国民たる者、誰が之を歓迎する者あるべき。
若し一人たりとも同意せるものあれば、真に無智の輩なりと罵倒せり。
又、大韓協会員中、今の時に当り合邦問題を遂行せんとせば、結局多数の人民を犧牲に供せざるべからず、本問題は最も慎重に考慮すべきものなりと云へり。



「無智無能の輩」が示すのは誰だろうねぇ・・・。
恐らく、金昌済の意図している人物と、私の脳裏に浮かんでいる名前は別な者だと思うが。(笑)
で、咸鏡南道の大韓協会は、この意見を見るに多少慎重派なのかな?
いずれにしても、一進会も大韓協会も、地方によって見解や対応がまちまちですな。


平安北道
一.本月20日報告せし寧辺公立普通学校及私立維新学校に於て、校長職員等が合邦説に反対して一進会を排斥すべき旨、生徒に対して演説し、不穏の状況ありし件は、同校の行動昨今民間に伝はり、之が為め従来平穏にして同問題には何等不穏の状態なかりし同邑内は、忽ち同問題を評論するもの多きを加へ、一進会排斥に対しては、一進会員と商取引をなすべからずなど不穏の言動をなすものあるに至れり。
此に於て所轄警察署は、各学校長及一進会長等を召喚し厳重説諭したるに、何れも反省し、大に謹慎を表し、再び他方より動機を与ふることなきに於ては、紛擾を起すの慮なかるべし。
曩報定州とせしは電信符合の相違にして、寧辺の誤植なり。

一.北鎮の於ては、一進会員約40名集会し宣言の適否を論議し、反対者数脱会し、一進会員に危害を加へんとの風聞あるに至れり。
目下注意警戒中。

右及報告候也。



前段部に関しては、12月22日のエントリー中『憲機第2564号』の続報の形になるだろう。
一時は話が大きくなり、一進会員村八分状態まで行きそうになったが、何故か一進会長まで所轄の警察署に呼びだし。
厳重説諭したところ、皆反省。(笑)
ま、笑い事じゃなく、紛擾を回避できたのは重畳である。

で、北鎮では一進会脱会者が一進会員に危害を加えようとしている噂がある、と。
半島では、どっか組織やなんかから抜けると、却って元居た所を激しく攻撃しようとするんですよねぇ。
結構面白い傾向ではあります。

で、次は26日付けの史料なのだが、史料一件しかない。
内部警務局長松井茂から曾禰統監への地方民心の総合報告を、1909(明治42年)12月26日付『高秘第479号』より。


合邦問題に関する各道現下の状況を綜合するに

一般人民は、今尚合邦の何物たるを詳知し居らざる者多く、偶々新聞紙等に依りて之を知れる者は、其論説等の口吻を借りて相喧伝し、合邦は韓国の滅亡なりと憤慨し居れり。
而も之を一進会の罪なりとし、同会員を憎怨するの度を増したるものの如し。

各地大韓協会員は、一進会の声明を以て無謀なりとし、一進会の暴挙は一面日本に媚び、一面同会の頽勢を挽回せむとし、却て他人を賊し又己をも欺くものにして、韓国五百有余年の社稷を亡滅せんとする乱臣賊子なりと唱へ、其軽挙を憤慨せること今尚既往と同一状態なり。
殊に平素一進会に反対せるもの及耶蘇教徒の如き、何等かの時機に投じて排日の気勢を強からしめんとするものは、此機を利用し一進会を攻撃し、併て排日の思想を扶植せんとするの観あり。

地方有志者中には方今韓国の実状に鑑み、徒に無名の独立を保ち、百年清河を俟たんよりは、寧ろ合併して日人同等の利権を獲得し、日韓一家団楽的の国家を形成するを得策なりと云ふ者あり。
又官吏側にありては、当初以来の状態及新聞紙等により、到底成効せざるものなりとの意志を懐き居る者多し。

一進会員は、多くは慎重の態度を持し、只管本件の成行を観望し居るものの如し。

之を要するに、一進会に対する一般の感情は一層憎悪を以てし、加ふるに此機に於て幾分の排日思想を表現したるが如し。
然りと雖ども、各地共何等不穏の状況なく、一般に冷淡視せるの状況なり。

右及報告候也。



まぁ、総合報告であるので目新しいものは特に無いね。
しかし、これだけ大問題になってるのに、やはり一般民はまだ知らない方が多いんだねぇ・・・。


今日はこれまで。


合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
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合邦問題(五十一)

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クリスマスイブですなぁ。
kimuraお兄さんの恒例の「クリスマスにNAVERに居るヤツは、人生の敗残者」スレで遊びながら、もう少ししたら子供の枕元にプレゼント置いてきます。(笑)
逆に、我々へのプレゼントは、第二期の日韓歴史共同研究委員会の韓国側委員長に、バファリン作戦で有名な李泰鎮くんが内定したことですな。(笑)

ってことで、24日付けの史料。
忠清南道の状況について、1909(明治42年)12月24日付『憲機第2587号』から。


忠南道藍浦郡郷校直員 尹邦鉉

右、一進会の提唱する合邦問題に反対し、数日前十三道儒生に通文を発したる由なるが、其文意は国民一般は同時に一進会員を声討せよとの、煽動的意味のものなりしと云ふ。

以上。



郷校というのは説明すると結構長くなるのだが、簡単に言うと儒教を学ぶ官立学校かな?
書院との違いは私学系か官立かといった感じ。

11月25日のエントリーでは金東弼が似たような事をしていましたなぁ。
ちなみにこの尹邦鉉。
1910年の5月に、別件で官員懲戒令によって免官されてしまうようです。

さて、続いてはアジ歴の史料から。
曾禰統監から桂首相への李完用の治療経過に関する電文より。
日付の箇所が不鮮明なのだが、恐らく24日と当たりを付けてここで紹介。(笑) 【画像】


昨日、大韓医院に入院治療後の経過、左の如し。

肩の痍は肺に入り、傷口より息を吹出し居る故適当に手当を為し、腰部2ヶ所の痍は随分大なれども腹腔内に入り居らず、此後肺炎を起さず経過せば見込あり。



李完用の生存の可能性は、ここで明らかになったのかな?
でもちょっとグロいね・・・。

続けてアジ歴の史料から、1909(明治42年)12月21日付24日受の『機密統発第2097号』より。 【画像1】 【画像2】 【画像3】


今回の日韓合邦事件に関し、在留外国人に於ても深甚なる注意を払ひ居るものの如く、英国総領事は欧字新■の記事論説等に就き質問を試み、事件の真相を本国政府に報告するに努め、又米国総領事が小松外務部長心得と会食の節、雑談中に言明したる所に拠れば、各地に於ける外国宣教師は韓人より事件の成行に就き続々質問を受くるも、帝国政府の真意を窺知するに由なくして返答に窮し居りたる際、本官の意見なりとて本邦新聞に記載せるものを韓訳して之を韓人に示し、決して杞憂を懐きて動揺するべからざる旨を諭したるに、孰れも初めて安堵の思を為したりと語れるに徴するも其の一班を推知せられ候。
蓋し我が保護権を韓国に行ひたる以前に在りては、韓民大抵地方官の横虐に苦しみ、常に外国宣教師の掩護に頼りて苦難を免れむとし、宣教師等も亦之を奇貨として其の勢力の発展に努めたるの状あり。
然るに数■以来行政改善の事業、漸次進捗するに至り、宣教師等が政治に関与するの有害なるを認めたるに依り、一方に於ては伝道■■其の他慈善事業の経営に対し、充分なる便宜及び補助を与ふるに吝ならざると同時に、他方に於ては其の■掌以外なる政治問題に関与するを防遏するの希望を以て、伊藤前統監時代より屡次外国領事官及主なる宣教師等と談合したるに、孰れも■して我が希望に応じ、領事官は各教会に訓示し、宣教師よりは其の部下及韓人信徒に諭告したる結果、今日に至りては基督教徒にして政治上の運動に荷担するもの少しと雖、多数の愚民中には教会に入るときは納税の義務を免るべきことと信じ、収税吏に暴行を加へたるの■あり。
又、外国の援護に依りて排日主義を貫かむとの■想を抱くもの稀なりとせず、現に近頃再び渡来したる「ハルバート」の如きは、其の嘗て自ら前韓皇の親書を米国大統領に伝達したるを以て、韓米條約第一條中韓国若し他国の虐遇を受くるときは、米国之を援護すべしとの規定を実行すべき仲介に当りたるに外ならざる旨を公言したる■なれば、韓人中外国に依頼せむとする■想を抱くものあるは、必ずしも恠しむべきに■ず、殊に露国及米国に在住するものの如きは、詭激の言論を弄じて遙に愚蒙の韓人を煽動するに全力を尽しつつあり。
今回の合邦問題の如きは、此等の排日派に対し民心を刺激すべき■■■を与ふべきは自然の勢なるべきも、幸にして是れ唯一進会の発表に出でたるに過ぎざる事実判明するに至りたるを以て、外国宣教師及韓人信徒に対し甚しき或動を与へざるが如く■見へ候。
■今に於ける在留外国人の状況御報告■■■■■也。



宣教師は、慈善事業の経営に対し充分なる便宜及び補助を与えてくれる事から、それ以外の政治的問題には関与しないとすることに応じた、と。
伊藤や曾禰の行った統監政治。
在韓日本人からは、韓国人や外国人を優遇し日本人を顧みないとされ、外国人には一定の理解を得られている。
合邦問題に関するこれまでの数多くの史料中でも、保護政治を批判している者は殆ど居ない。
現代韓国人や良心的日本人は、伊藤や曾禰を狡猾だと言うのだろうなぁ・・・。(笑)
良いことしたら狡猾。
悪いことしたら悪辣。
どうしろと?(笑)

で。
税から免れられると信じキリスト教に入信する者がいるのは、これまでも史料に何度か見えたが、収税吏に暴行かよ・・・。_| ̄|○

そしてハルバートは相変わらず元気に策動中。
お前が、フランス領事にハーグに使者を出すのは愚策だと言われたときに、よーく考えて高宗に進言してれば、高宗の退位や第三次日韓協約も無かったのにな。
ま、高宗から活動費をたんまり貰ってたわけで、それを返したくなかったのなら無理だけど。(笑)

兎も角、合邦問題が単に一進会の発表だけに過ぎないと分かって、外国人宣教師も韓国人信者も安心してスルー状態、と。
だからこの一件でキリスト教の動きが殆ど見られないんでしょうな。
李容九の買収も、総ての外国人宣教師には行き渡らないだろうし。(笑)

さて、次からは25日付の史料になります。
まずは大垣丈夫に関して、1909(明治42年)12月25日付『憲機第2591号』より。


大韓協会顧問大垣丈夫が、表裏の意見負抱として語りし要旨は左の如し。

一.彼が日韓合併問題に付き、表面日本の不利益とし、左の説を唱導し居れり。

第一.目下韓国上下人心の一般に沸騰し、排日熱の盛なる時に於て合併問題を実行せば益々人心沸騰し、容易に鎮撫せず、此間数年間日本人の各地方に出入し能はざるに至る。
之れより生ずる不利益。

第二.目下保護政策に於て、年々歳々日本より1,200余万の財を投じつつあるに、此上合併すれば3,000万円の増加を来すに至る。
之れ、日本が20億の国債に6,000万円の利子を計へつつあるに、3,000万円を加ふるれば一層我財政の困難に陥る不利益。

第三.日本は刻下、各国と関税問題及條約改訂の期に逼り居るに、今日韓国を合併すれば、各国は必らず反対し、野心ある外国は之に対し関税條約等に不利益なる條約を締結せんとするに至る。
之れより生ずる不利益。

第四.清国は、今尚何れの国に拠らんと迷ひつつあるも、先づ東洋の先進国に拠らんとの傾向を示し居るに際し、曩きに5條約・7條約後亦司法権委任等、徐々歩を進め居るを以て、之が為め疑心を抱き居れり。
然るに此際合併せば、必らず日本は東洋を併呑する野心を維持するものなりと即断し、為めに清国に於ける商業上にも不利益多大なりと。

以上の4箇目は彼の表面上唱導し居るも、内心は此際合併し根本の解決を望み居れば、東京に着の上は日本の意向に拠り日本政府より実行せんことを促す考へなりと。
尚ほ韓国に於ける政治団体は往々禍根を遺すこと多々あれば、実業団体を除く外全部解散を希望し、東京帰着の上は此意見をも桂侯等に談ずる考へなりと云へり。
以上。



さてこの話、どこまで本当なのかなぁ。
特に、「内心は此際合併し根本の解決を望み」と「韓国に於ける政治団体は往々禍根を遺すこと多々あれば、実業団体を除く外全部解散を希望し」の部分。
ま、判断保留しておきましょうかね。

続いて前回取り上げた新聞記者団に関する件。
1909(明治42年)12月25日付『憲機第2597号』。


今回新聞記者及通信員等に依り発表したる時局問題の宣言書及決議文を見たる韓人等は、非常に恐怖心を起し、曩に一進会をして合邦論を提議せしめ、今又日本に於ける新聞紙及韓国に於ける新聞通信員等、等しく合邦論を主張するに至れり。
右は総て日本政府当局者が、之等を使嗾して為さしめ居るものなりとの説を流布し、一般に恐怖心を起し居るが如し。
以上。



何故かこの宣言書と決議文、史料に見あたらないんですよねぇ。
まぁ、山辺健太郎の『日韓併合小史』の232から234頁に載ってるらしいね。
今度見てみたいなぁ。

で、この宣言書。
WEB上で取り沙汰される時は一進会の不支持云々で用いられるわけですが、当ブログの読者の皆さんはもう御承知ですよね。
単に新聞記者団と内田良平が主導権を巡って対立し、且つ新聞記者に買収の噂が立ってたから出された宣言書なわけです。
また、宣言書の骨子も12月18日のエントリーで取り上げた『警秘第4458号の1』によれば、「一進会の合邦案には反対。しかし韓国内閣及び大韓協会の行動も不支持。日韓合邦は時機を見て実行を希望。」ですし。

何つーか、反対の理由も分析もしないで史料使うって、阿呆じゃなかろうか、と。
「合邦」自体に消極的賛成や、時期尚早で反対ではないとする意見を多数史料で見てきた私には、何で「一進会不支持」ってのがそんなに大事なのか、さっぱり分かりません。(笑)


じゃ、プレゼント置いてきますんで、今日はこれまで。


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