第六回、第七回と史料を見てきた。
ここまで上げてきた史料は、主として発見された条約関係書類に関する取り扱いに関してである。
そして、これまでの電文を纏めた形として、基本史料【2頁目画像】【3頁目画像】が提出されるのである。


過般韓人趙南昇なる者、太皇帝より米人 「コルブラン、ボストウヰク」 に与へられたりと称する電気会社株券売渡委任状偽造の嫌疑を以て、韓国警視庁に於て取調を為したる結果、其の自白に依り、太皇帝より発せられたる外国元首に対する親書原本並に趙南昇に下されたる密書等、別紙甲号目録の通り発見したるに付、調査上之を押収致置候。
又去明治三十九年中、韓国と各国との条約本書引渡方、統監府より照会に及置候処、当時焼失せりとの理由に依り、其の引渡を為さざりしに、今回右趙南昇の自白に拠れば、太皇帝(当時の皇帝)の命に依り、同人より京城仏蘭西教会監督 「ミユーテル」 に、其の保管を委託したる趣に付、一先韓国政府に於て之を回収し、曩に其の引渡を為す能はざりし理由及今回発見の事実を具し、別紙乙号目録の通り、更に統監府に引継手続を了せしめ候。
尚ほ、詳細の事実判明したる上、本件の処分を決定可致筈に有之候。
右及通牒候也。



さて、本日の記事を含めて『条約書類発見と玉璽偽造事件』として8回、『印綬濫用』として4回をお送りしてきた。
しかしながら、文書・印綬とそれに絡む利権、大韓帝国の混沌とした状態を確かめただけであった。
困った。(笑)

一応推測される事を掲載しておこう。

まずは、5月24日のエントリーで偽造とされたように、趙南昇が犯人であるという説である。
しかしながらこの場合、1906年の焼失したとされた条約文の話との整合性を図らねばなるまい。

次に、高宗が犯人であるとする説となろう。
これは、最も常識的な推察になるだろう。
条約文にも株券の譲渡にも関与できる立場だからである。

次が、韓国政府、特に宮内府の主犯説である。
これは、印綬の管理及び文書管理として見た場合、可能性が高くなる。

あるいは、これらの組み合わせ及び全部の場合。

そして最後に、想像も出来ない斜め上な場合。(笑)

文書や印綬の管理が、マジでいい加減過ぎ。
新たな史料が見つかるまで、推察はおろか絞り込みさえできないなぁ・・・。
連載第一回で触れた、『米国人「コールブラン」「ボストウイック」ノ韓国ニ於ケル獲得利権関係雑件』が公開されるか、ずっと気になってた、基本史料の【4画像目】冒頭で見られる、「4月27日清国人より領置の分索引目録」が、どのような経路で入手されたのか調べて見る以外あるまい。
恐らく、そのものズバリを書いた史料の発見は期待できないだろう。

そういった理由により、残念だが今回の連載は、斯くの如き消化不良のまま仮終了とさせてもらう事をお許し願いたい。
新たな発見をしたときに、再び続きを書きます。
では。


条約書類発見と玉璽偽造事件(一)
条約書類発見と玉璽偽造事件(二)
条約書類発見と玉璽偽造事件(三)
条約書類発見と玉璽偽造事件(四)
条約書類発見と玉璽偽造事件(五)
条約書類発見と玉璽偽造事件(六)
条約書類発見と玉璽偽造事件(七)

印綬濫用(一)
印綬濫用(二)
印綬濫用(三)
印綬濫用(四)


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前回は、『来電142号』→『往電198号』→『来電第143号』→『往電第199号』と史料を見てきた。
その続きとなる、1910年(明治43年)5月18日付『来電第147号』より。


貴電199号に関し、其の匣中の物件にして、普通条約書のみなれば、去る39年7月中統監府に引渡したる条約書と共に、当時右の引渡を為す能はざりし理由を明かにし、今日之を受領せられたることに御取計ひ相成差支なきも、若し普通条約以外の物件あるときは、他の方法を執るの必要あるべきに依り、先ず以て、右匣の内容を点検せられたる上、其の物件の種類と共に、之に対する処分案を電報ありたし。
尤も右点検は、大臣会議席上の如き公けの場所を避け、極秘密に執行せられたし。
(偽造事件取調と関連し、警視庁をして点検報告せしむる形式を執らるるも一方法ならん)
右命に依る。



5月19日付『往電第204号』。


貴電第147号に関し、匣中の物件は、内部大臣、松井警務局長、若林警視総監立合の上点検せるに、何れも普通条約書類のみなりし。
但し之は、統監府としては未だ与り知らざる訳合なり。
故に、過日電報せる通り、大臣会議席上に於て公然之を点検し、事理を正して受領する考なりしなり。
然しとも貴電第143号の次第もありて、已に中上したるにより、此上は寧ロ若林をして玉璽偽造事件の全局を統監に報告せしめたる上、処分案を定むる方得等と考ふ。
此義は、前以て貴官より統監に言上し置かるべし。



普通条約以外の物件とは何なのか。
何を想定して極秘扱いとしたのか。
密約等が為されていたとき、日本としてどう対処するかという問題から来ると思われるが、この時点では詳細不明である。

とりあえず、前回は華麗にスルーした(笑)『往電198号』の「詳細は、不日上京の若林より承知ありたし。」が、若林警視総監を指しているらしい事、この点検に、当時内部大臣であった朴斉純が立ち会っている事が分かった。

ここまでの電文は全て、『来電』の発信者が小松緑、宛先は石塚英蔵。
『往電』が、発信者石塚英蔵、宛先小松緑であった。
次が、少し日付が飛んで、1910年(明治43年)5月22日付『往電第208号』。
発信者は石塚英蔵、宛先がこの時まだ韓国統監であった曽禰荒助である。


当地一、二の通信員は、玉璽偽造事件に関し新なる事実を其地に打電せるも、右は事の真相を誤れるものなれば、各方面誤解なき様致したく存ず。
委細は、明後二十三日出発上京の若林より申し上ぐる筈。

宮内府又は警察に関する機密事項の往々外間に洩るるは、皆、其部内より出づるものの如し。
目下厳重に取調中。



んー、間違いとされた電文も見てみたい。(笑)
この電文後、5月30日に統監は寺内正毅に代わる。
6月4日付『往電第222号』では、石塚から寺内宛の電文となっている。


貴電第9号に対し、韓国政府より曾て条約書原本は、宮中失火の際焼失し、捜索し能はざる旨回答し置きたるに、今回詐偽取財被告事件にて、警視庁に於て取調中の被告人趙南昇、太皇帝の命と称し、仏蘭西教会堂主「ミユウテル」に保管を托しあることを発見したる旨、公文並に本日朴署理総理大臣本府に来り、口頭にて申出で、双方立合の上原本引渡を了せり。


何故総理大臣の李完用ではなく、代理の国務大臣朴斉純なのだろう・・・。
李在明に肩胛骨内側上部、腎臓部、腰部を刺された後遺症なのだろうか?

この『往電第222号』と同日に、『機密統発第177号』が出されている。
これは、石塚から小松への電文である。


本日、朴内閣総理大臣署理立会の上、韓国政府より引継を受けたる、韓国と列国との条約正文其の他、別紙目録の通に有之候条。
右統監閣下へ上申せられ度此段申進候也。



この後、別紙として基本史料の【9頁目画像】【10頁目画像】【11頁目画像】【12頁目画像】と同じ物が載せられている。


何か、史料紹介のみになってしまった・・・。
一応このシリーズは、次回を以て仮終了の予定。
それでは、今日はここまで。


条約書類発見と玉璽偽造事件(一)
条約書類発見と玉璽偽造事件(二)
条約書類発見と玉璽偽造事件(三)
条約書類発見と玉璽偽造事件(四)
条約書類発見と玉璽偽造事件(五)
条約書類発見と玉璽偽造事件(六)

印綬濫用(一)
印綬濫用(二)
印綬濫用(三)
印綬濫用(四)


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5月19日以来の「条約書類発見と玉璽偽造事件」。

これまで四回にわたって印綬の濫用状態に触れたのは、「条約書類発見と玉璽偽造事件」の捜査資料等が無い(あるいは見つけられない)事から、その状態の調査を通じて、少しでもこの事件の真相に迫ろうという試みだった。
ところが、史料を調べてるうちに、大韓帝国の状態は、真相どころかとんでもない状態であることが分かっただけ・・・。

という事で、真相については放棄し(笑)、本筋に戻って事件の発覚についての史料を見てみよう。
日韓併合を3ヶ月後に控えた、1910年(明治43年)5月14日付『来電第142号』。
報告者は、この時外務部長であった小松緑、宛先は臨時統監府総務長官事務取扱の石塚英蔵である。



右皇帝の委任状偽造に関し、逮捕せられたる趙南昇の取調より端なく、韓国と外国及外人との条約原書(多分太皇帝が、焼け失せたりと伊藤公に言明せるもの) 仏国人某の家に預けあることを発見したる趣、或方面より内密に伝聞せり。
右事実、並に之に関する閣下の処分御意見承知致したし。



この電文の返信が、『往電198号』となる。


貴電第142号の件は、警視庁に於て趙南昇取調の結果、条約文原書一切は、箱入として、加特力(dreamtale注:カトリック)教会堂 「ミユウテル」 僧正に其保管を依頼しあることを発見し(太皇帝の命)、趙をして其返換を求めしめ、之を本府に受領せり。
但し右受領の形式は、去る三十九年七月中、当方より条約文原書引渡を韓内閣に請求したる照会に対し、回答書を請取ることに取計はしめんとし、目下其手続中。

詳細は、不日上京の若林より承知ありたし。



この 「ミユウテル」 僧正が、4月27日のエントリーの「ミューテル(Mutel)主教」である。
「加特力教会」はフランス教会とも呼ばれ、現在の明洞聖堂にあたる。

1900年前後の明洞聖堂の姿

そして再び小松から石塚へ電信が送られる。
5月16日付『来電第143号』である。


貴電第198号条約原書発見の件は、事重大にして、今日に於て引渡を受けたる形式を取るは正当ならず。
別に善後の処分を要すべきものなるが故、統監より何分の訓令あるまで、引渡を受くるが如き手続を為すことは、総て御差控ありたし。



この辺り、電文のやりとりは、毎日行われているようである。
次が17日付『往電第199号』。


条約書に関する貴電の件、承せり。
実は本日、大臣会議の席上に於て始めて其匣を開き、内容点検の上、筋道を正しうして受領する考なりし。
右の匣は、内部若くは警視庁に置くは危険なるにつき、不取敢本府の倉庫中に預けたるも、鍵は現に警視庁保管中なれば、統監の御意見通り実行するに何等支障なし。

前電中受領せりとありしは、保管の誤。



本当に間違いか、石塚?(笑)
この大臣会議とは、例の協議会なのかどうか、伊藤以降のものが見つからないので何とも言えない。
うーん。本当に史料不足だなぁ・・・。(´・ω・`)


とりあえず、ショボーンとしながら、今日はこれまで。


条約書類発見と玉璽偽造事件(一)
条約書類発見と玉璽偽造事件(二)
条約書類発見と玉璽偽造事件(三)
条約書類発見と玉璽偽造事件(四)
条約書類発見と玉璽偽造事件(五)

印綬濫用(一)
印綬濫用(二)
印綬濫用(三)
印綬濫用(四)


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昨日の『北関大捷碑』の記事が、WEB版にも掲載されたので、取り上げておく。


■靖国神社・秀吉軍撃退の碑 韓国、反日利用か 「返還」要請波紋

この記事のポイントは、『国立公文書館アジア歴史資料センターにも「建立者の子孫に諮って承諾を得て運んだ」との史料が残っている。』である。
アジア歴史資料センターとは、国立公文書館、外交資料館、防衛庁防衛研究所にある史料を、WEBにおいて閲覧出来る場所に過ぎない。
私が4月1日のエントリーで取り上げた史料も、現物は防衛庁防衛研究所にある。
つまり、アジア歴史資料センターの史料として紹介している、私のブログを見た可能性が非常に高い。


それでは、昨日触れた、「別のハンコ」について。

普通に考えれば、「玉璽・国璽」というものは皇帝の使用する印であって、電気会社株券の売渡が行われた1908年~1909年には既に譲位し、太皇帝となっていた高宗が、「玉璽・国璽」を使用できる筈が無い。
また、売渡の委任状などに「玉璽・国璽」を使用する筈もない。
故に「玉璽偽造」というのは、比喩的表現であろうと推察できるのだが、そうとは言い切れないのが大韓帝国の辛いところ・・・。
基本史料の【4頁目画像】【5頁目画像】【6頁目画像】が全部偽造だったら、歴史変わっちゃうなぁ。(笑)

とりあえず、この事件が明るみになって以降、宮内府大臣等が処罰された形跡が見られない事と、上記の常識的な類推によりこの「玉璽」は比喩的表現であると考えて、昨日までの三日に渡り「啓字の御印」の濫用実態を書いた。

そして、「啓字の御印」以外に、もう一つ「玉璽」と表現されそうな「別のハンコ」がある。
「花押」である。


実は私もこの一件を調べる前までは、大韓帝国において「花押」が使われているとは知らなかった。
いや、中国が花押の起源であるので、李朝において使用されていても何の不思議も無いのだが、そこまで頭が回らなかったのである。

この「花押」に気付いた史料が、1911年(明治44年)11月21日付『李王職機発第12号』である。
これは何に関する史料かと言うと、基本史料の【7頁目画像】の6番目「膠州湾ニ買収ノ家屋事件」と恐らく同じ家屋が、趙南昇に下賜されたとされる事件についての報告書である。

膠州湾周辺地図

また「趙南昇」・・・。
今取り上げている「条約書類発見と玉璽偽造事件」の僅か一年後で、「趙南昇」がそれによってどのような罰を受けたか不明であり、且つ「条約書類発見と玉璽偽造事件」との関連性を指摘する部分も一連の「下賜事件」史料に無いため、同一人物とは断じ得ない。
そのため、ここでは限りなく黒に近い灰色の別人という事にして、話を進めていく。

さて、基本史料にも「事件」とあるとおり、この膠州湾の家屋とは元々胡散臭い物件であった。
この経緯は別の機会に譲る。

その胡散臭い物件について、「青島近地買得德國人家屋特為賜給爾知悉 丙午二月 日 朕自畫押」という書面により、自らに下賜された物であると申し出たのが、趙南昇であった。
この書面の真偽についての報告が、上記『李王職機発第12号』という事になる。

この報告書における李太王(併合後の高宗の称号)の発言を纏めると、以下の通りである。

下賜する約束はしたが、書面は交付していない。
花押は、多くの場合に自畫せずに判を用い、もし自畫する場合は、筆尖に針一本を挿している。
この書面にはそれがない。
また、この家屋はとっくに売却するか、処分したと思っていたので、この度の申し出は意外である。

この報告者である李太王所属事務官の津軽英磨は、当該家屋を趙南昇が下賜されたのは事実であろう。
そして殿下(高宗)は、従来約束を為す場合、なるべく口約束に止め、証書を与えるのを避け、やむを得ず証書を与える場合は、なるべく之を不完全な物とするのを習慣としていたようである、と述べている。


つか、伊達政宗の鶺鴒の目の逸話かよ・・・。

しかも証書を不完全な物にするのを習慣って・・・。

だから色々とややこしくなるんだよ!


この経緯からすると、電気会社株券売渡委任状の「玉璽」とは、「花押」の事である可能性も高いように思えた。
しかし・・・。

1911年(明治44年)11月22日付『機密第1783号』より。


本件家屋は、別紙明治44年11月22日『機第20号』小宮李王職次官の回答に拠れば、李太王より趙南昇父趙鼎九に譲与せられたるものと認めらるに由り、警務総監府に於て押収したる本件関係趙南昇所持別封書類は、本人に還付 (但し李太王啓字判文書と称する書類は、本人面前に於て破棄) 相成可然哉。


結局、更に混乱したりして・・・。
嗚呼、捜査関係の史料が見たい。
そう思っていたら、以下の記事が。

3・1運動直後の日本検察の捜査記録が公開

捜査記録等の半島に残されたままの史料、俺にも寄越せ。(笑)

こういう史料が残っているから、『史料利権』目当てに韓国に阿るエセ学者が出てくるわけで。

ま、この記事の3・1独立宣言関係は、別の機会に取り上げよう・・・。


さて、次回からは、今度こそ(笑)『条約書類発見と玉璽偽造事件』に戻る。
この連載がどこに行くのか、非常に不安になりつつ、今日はここまで。


印綬濫用(一)
印綬濫用(二)
印綬濫用(三)



本題に入る前に。
今日の産経新聞に、『北関大捷碑』に関する記事が掲載された。
ようやく記事になりましたか・・・。

このブログにおいて、4月1日の『北関大捷碑』及び5月7日の『北関大捷碑と加藤清正征韓記念碑』、そして5月9日の『半島系文化財』と、三度に渡って取り上げてきたこの問題。
当ブログで紹介していた史料が、そのまま用いられており、主張もほぼ私の主張どおりである。
識者って、私の事・・・ではないよな。(笑)



さて、実は産経がサンケイであった時代に、「東京韓国研究所の崔書勉院長」のコメントまで引いて、『北関大捷碑』についての記事が書かれている。
こうして産経自身がオチを付けるのは、良いことだろうと思う。
兎も角、『北関大捷碑』について、こうした視点で記事になった事は、素直に嬉しい。

一方、この史料が引用された事について、アジア歴史センターは、4月2日のエントリーにおける私の指摘通り、目録を直しておいて良かったですね。(笑)

この問題についてはいずれにしても、下駄を預けられているのが、外務省なのか靖国神社なのか確認の必要があるのだろう。
特に外務省の認識なのだろうなぁ・・・。


さて、本編。
え?
印綬濫用についてはこれで終了と書いた?
次回からは、再び『条約書類発見と玉璽偽造事件』に戻る事としようと書いた?
フハハハ。ケンチャナヨ~♪
蛇足ながら、もう一つ書いておきたい史料を見つけたので、許して下さい。_| ̄|○

今回の史料は、1907年4月5日の毎度お馴染み『韓国施政改善ニ関スル協議会』第十三回会議録。


伊藤統監
国際条約の履行に関して、日本と韓国は大に其の趣を異にせり。
土地所有権の如き、特許権の如き、裁判権の如き、苟も条約上承認せざるものは、決して外国人に対して譲歩許容したることなく、条約を厳正に実施し来れり。
然るに、韓国に在りては、外人が居留地以外に土地を所有することを黙認し、外国人関係の訴訟事件にして韓人の被告なる場合に於ては、韓国法廷に於て裁判するの権利あるに拘はらず、裁判所の設備及適用すべき法律の不完全なる為めに、裁判の上より見れば全く無権利となり、些細なる損害賠償も外交談判の種となるに至れり。
特許の如きは、政府も之を許し、皇室も亦之を許すが如き不始末にて、其の紊乱、実に名状すべからざるものあり加之宮内府に於ける
啓字判の濫用の如き、外人に対する特許売買貸借の証書に、之を押捺交付するに至り、先方は、歴然たる証拠書類あるに拘はらず、宮内府には写もなく、原議もなきが如き状態なり。
斯の如き事項は、日本に於ては治外法権の存在せる時代に於ても、最も厳格に注意したる所なれども、韓国は全く之と異なり、宮内府の紊乱、裁判権の抛棄、土地所有の黙認、特許の濫発は、韓国政府の四大弊害なり。
此の四点を愼まざれば、到底韓国を救ふに由なし。
過日も李学均が、啓字判を押したる証書を以て、上海の仏国実業家より借り入れたる二万円の返済方に関し、仏国総領事より統監府に交渉あり。
李学均は、現に借りたりと明言するに拘はらず、宮内府は聞知せずと主張すれども、単に知らずと称して本件は落着するものと思ふは、甚しき謬見なり。
宮内府に於て飽くまで知らずと主張すれば、已むを得ず李学均を、証書偽造罪に問はざるべからず。
之を要するに、皇室が外人関係事項を、政府を経由せずして直接に取扱かふ故に、斯の如き物議を惹起するなり。
若し政府を経由すれば、政府と統監府と共に注意して、法律に適合する様努むべきを以て、斯かる不都合は生ぜざるべし。
殊に特許の如き之を許す場合に於ては、鉱山法の鉱区・税鉱・産税・危険ノ予防方法等の如き条件を履行せしめ、之に隨はざるものは、政庁に於て特許を取消し得る様、為し置かざるべからず。
然るに、従来の特許は勝手次第に為したるものなるが故に、之を取消すことを得ず。



特許の如きは、政府も之を許し?
皇室も亦之を許すが如き?
宮内府に於ける啓字判の濫用の如き、外人に対する特許売買貸借の証書に、之を押捺交付するに至り?
宮内府には写もなく、原議もなきが如き状態?
皇室が外人関係事項を、政府を経由せずして直接に取扱う?

つうか、秩序乱れすぎだろ・・・。_| ̄|○

「啓字判を押したる証書を以て、上海の仏国実業家より借り入れたる二万円の返済方に関し、仏国総領事より統監府に交渉」のように、結局尻ぬぐいは日本。

こんな状況なので、益々誰が真犯人か分からなくなってきたり。(笑)


「啓字の御印」に関する件は、今度こそ此処まで。
代わりに、次回は別のハンコについて。(笑)
それでは、今日はここまで。


印綬濫用(一)
印綬濫用(二)



昨日のエントリーについて、polalis氏から疑問が呈された。
要約すると、「啓字の御印」が何であるかによって、この会話の意味が変わる、と。
少し説明が必要だろう。

冊封体制下において、「上奏」は「皇帝」への呈上であり、「上啓」は「王」へ呈上することを意味する。
日清戦争後に冊封体制から脱し、独立国となった事から考えると、甲午乙未 (明治27、8年)頃から「啓字の御印」が使用されていないと言っている事と符号する。
「上啓」に関係する印であるとするなら、高宗が朝鮮王であった時のものであり、その場合この印を押すのは宮内(府)である。
これを宮内府が再利用して、勝手に「上奏済」という書類を作り、処理していた可能性がある、と。
この場合、偽文書を作っていたのは宮内府あるいは大韓帝国政府という事になる。

一方で、清代に皇帝がよく書いた「知道了」と同様、「見た」という意味の印であるとするなら、偽文書を作っていたのは高宗という事になる。

うーん。
勉強することは、まだまだありますねぇ・・・。
どちらにしても、決裁過程はボロボロなのではあるが・・・。
どちらを意味する印であるかについては、「啓字の御印」の押された現物を収集する必要があるだろう。
さすがにその作業は、一般人の出来る範囲を超えているので、どちらの場合もあり得るという前提で、話を進めていこう。

それでは昨日の続き。


伊藤統監
何とか速に、防遏方法を講ぜざるべからず。


参政大臣朴斉純
陛下が、今後之を使用せられずとの勅令を渙発せらるれば可なり。


伊藤統監
然り。
爾せざるべからず。
事若茲に出でられざるに於ては、今後、絶えず日本政府よりも韓国に対して、種々なる難問題を提出するの已むを得ざるに至るべし。
而して一と度此等難問題起らば、貴国政府に於て御印之を引受けざるべからず。
故に是非共、速に此の弊を改むるの策を講ずるを要す。
而して、右封印の勅令渙発せらるると同時に、政府よりも之を公布、統監府も亦之を公布すべし。
斯の如き手続を取り置けば、将来、縦ひ啓字御印を押捺したる特許証を提供するものありとも、何等顧慮する所なきなり。


法部大臣李夏栄
今日と雖、既に偽物あり。



法部大臣が、堂々とそのような事を言ってのけるとは・・・。
もう偽物が出回ってるのが分かっているのならば、何か手をうてよ。
しかも、勅令を出せばよい事を分かっていながら、それを上奏することもない。
真面目に、polalis氏の言うとおり韓国政府自ら偽造していた可能性もあるなぁ。
単純に、無能なだけかも知れないが。


伊藤統監
啓字御印は、頗る簡単なるものなれば、容易に之を偽造し得べし。
然れども、偽物を以て韓国の政治を紊乱せしむるに至ては、之を容赦すべきにあらず。
諸君の常に論ずる所を聞くに、如何なる悪事も如何なる弊害も、陛下の為さるる事とし云へば、最早如何とも致方なきものと考へ居らるるものの如し。
韓国は、古より果して左様なる国柄なりしにや。



「如何なる悪事も如何なる弊害も、陛下の為さるる事」。
本当にそうである。
単なる言い訳である。
どちらであるのか分からないが、如何なる悪事も如何なる弊害も、それを自ら正そうともしない事だけは確実なのだろう。(笑)
そしてこれは、古よりというか、現在も・・・。


参政大臣朴斉純
稀に諌奏することなきに非ずと雖、十中八九は皇帝の意の如く、之を遵守奉行せり。
是れ無上君権の然らしむる所にして、如何ともするに由なきなり。


度支部大臣閔泳綺
今日は、勅任官以上は悉く陛下自ら之を任命せらるも、昔時は、総て三大臣の推薦に依られたるものなり。


伊藤統監
君主と雖決して完全なるものに非ざれば、輔弼の臣たるものは、場合に依りては充分に諌奏し、之にして過なからしむることに力めざるべからず。
諸君は、漢籍の素養あれば蓋し仲山甫之を補ふの故事を知らるるならん。


各大臣
然り。



仲山甫の故事というのは、『史記』周本紀か漢詩の中のどれかなのだろうが、少々そちらは疎いので、誰かフォロー宜しく。(笑)

それにしても伊藤も酷な事を要求するなぁ。
党争は結局大韓帝国の消滅まで続くのに・・・。


伊藤統監
自分は、陛下の御前に於て自分の確信する所を奏上する決心なり。
諸君、若自分の説にして国家の為有害なりと認めらるれば、諸君は陛下に対し之に同意せられざる様、奏請せらるるも可なり。
又、其の不可なる所以を極論せらるるも可なり。
然れども、国家に取りて有益なりと信ぜらるる事をも、徒に陛下の意を迎へんが為、伊藤の説は不可なりと奏請せられては困却の至なり。


法部大臣李夏栄
否。
吾々も、閣下と心を一にし、国家の為に盡力致すべし。


伊藤統監
例へば、啓宇御印の如きも、法律上使用せられざることになり居るにも拘はらず、実際に於ては、之を使用し居らるる実証あり。
此の如き事は、縦ひ陛下なりとて、決して之を寛恕すべきに非ず。



治外法権の撤廃を目途とするなら、その前提段階としては当然の事であろう。
しかしながら、現在に至るまで法治国家を作る事の出来ていない人達に、何て無茶な事を・・・。(笑)


各大臣
然り。


伊藤統監
一方には礦業法の如き綿密なる法律を発布しつつあるに反し、一方には宮内府に於て、単に啓字御印を以て、特許を与ふるが如きは、決して之を等閑に付すは能はざるなり。


参政大臣朴斉純
元来啓字御印は、全く宮内府内部のものにて、特許の如き外部に出すものに対して、押捺すべき御印に非ず。



いや、だから問題なんですが・・・。_| ̄|○


伊藤統監
然らば之を復旧したきものなり。
此の件に関しては、自分よりも、直接陛下に対し、陛下が非法の行為に出てらるる為、外国人及日本人の間に種々なる紛議を釀し、延て韓国に損害を及ぼすが如きことあり。
是れ、君主たるものの大に愼まざるべからざる旨を諌奏する積なり。
諸君も自分と志を一にし、此の弊害を矯正することに盡力せられたし。


参政大臣朴斉純
閣下をして、斯の如き上奏を為さしむるに至りたるは、是れ皆自分等の罪なれば、自分等も亦、共に諌奏致すべし。


伊藤統監
啓字御印の問題は此に止め、次の問題に移るべし。(以下略)



「閣下をして、斯の如き上奏を為さしむるに至りたるは、是れ皆自分等の罪なれば、自分等も亦、共に諌奏致すべし。」という言い訳、正直聞き飽きた。(笑)

さて、これで印綬に関する混乱の状況はお分かり頂けた事と思う。
例え「啓字御印」が廃止されたとしても、運用の基準や管理方法等が確立されない限り、根本的解決にはならない事は、容易に想像できる。
宮内府が原因であろうと皇帝が原因であろうと、そういった流れの中から、趙南昇の偽造事件が生まれてきたのだろう。


さて、印綬濫用についてはこれで終了である。
次回からは、再び『条約書類発見と玉璽偽造事件』に戻る事としよう。
では。


印綬濫用(一)



それでは、前回話した「コレの流れ」について。
最早このブログではお馴染みとなってしまった史料、『韓国施政改善ニ関スル協議会』のうち1906年7月23日の第九回会議録より。


伊藤統監
宮内府に於て、啓字の御印を濫用せらるるの弊害、実に甚しきものあり。
此の問題に関しては、既に宮内大臣にも注意し置きたる所なるが、今や弊害其の極に逹し、啓字の御印を捺したるものを売買するものあるに至り、尚此の儘に棄て置かんには、終には全く其の真偽を判別すること能はざるに至らん。
我が日本に於ては、各省より内閣に提出し、閣議を経て上奏裁可を請ふものは、斯の如き形式を取りつつあり。
(統監自ら其の形式を書して、各大臣に示す)
此の方法に依り上奏裁可を経れば、後日に至り何等の誤謬を惹起するの虞なし。
韓国に於ても、亦此の形式に拠られては如何。



「啓字の御印を捺したるものを売買」って・・・。_| ̄|○

「此の方法に依り上奏裁可を経れば、後日に至り何等の誤謬を惹起するの虞なし。」と言っているのは、4月24日のエントリーで示した統監の承認云々をも含めて、高宗に対する当てつけであろう。(笑)
勿論、実際問題として大韓帝国の命令系統が崩壊しているのは明らかであり、本気で言っている可能性も無いわけでは無いが・・・。


参政大臣朴斉純
啓字の御印は、現在御使用在らせられず、此れ甲午・乙未 (明治二十七、八年) 以前のものなり。



史料は見つけられていないが、この言からすると恐らく前回提示した、公文式に関係して印綬の整理が行われたと考えるのが妥当だろう。


伊藤統監
(皇帝より、義和宮に与へられたる特許証を示しつつ)
本書は、本月十二日付なり。
而して、斯く明に啓字御印を押捺したるを見る。
又、過日来照会中なる「コールブラン」一件書類にも、明に啓字御印が押捺しあり。
御印使用の実証、斯くの如く明なり。
如何なる制度ありとも、実際に行はれずば無益ならずや。



言い訳、通用せず・・・。(笑)
ちなみに「義和宮」とは、高宗の息子、純宗の兄弟である李・(土+岡)の事である。
通常、義親王・義和君と呼ばれる。
今年の初めに、子孫の事で【ニュース】になったので、覚えておられる方も居るかも知れない。

また、ここで言う「コールブラン」 一件書類とは、前回までの連載で出てきた、電気会社株券売渡委任状ではなく、鉱山に関する特許関係の書類。
そう、実はこのような例は、この時期全く珍しくないのである。


参政大臣朴斉純
近時、政府より提出する書類には、啓字の御印を用ひさせられず。


伊藤統監
或は然らん。
然れども、外国人に対し、此の御印を使用せらる以上、之に関し、外国人より照会ありたる場合に、宮内省の為したることなれば、政府は之を与かり知らずと称するを得るや。


各大臣
否。



当然である。
宮中で勝手にやったので、政府は知りません、とはいくまい。


伊藤統監
然らば須らく弊害の根本を防するの策を講ぜざるべからず知らず。
諸君の高見、果して如何。


参政大臣朴斉純
政府は、只今統監より示されたる日本政府の書式に倣ひ、現に上奏裁可を請ひ居れるも、陛下に於て全く啓字御印を封せられざる以上は、其の弊害を防すること難かるべし。



つうか、封じろよ。(笑)


伊藤統監
須らく封印を奏請すべし。
否らざれば、韓国の政治は、紊乱底止する所を知らざるに至るべし。


参政大臣朴斉純
元来啓字は、宮内府部内の書類に限り押捺せらるる印なりし。
近来陛下は、之を種々の書類に押捺せらるるに至れり。


伊藤統監
陛下の使用せらるるに委して、之が中止を奏上せざれば、韓国は遂に亡滅するに至らん。
諸君は、韓国を滅却するも可なりとせらるや。


各大臣
無言



ここまでの経緯を見て、これが高宗の精一杯の抵抗であると考えるも良し。
売り払った利権が、全く国庫に入らず、高宗あるいは取り巻きの懐に入っている事から、高宗を批難するも良し。
その辺は、所謂「歴史観」であろう。
しかしながら、この高宗の行為によって、様々な問題が起こったのは事実である。
そして、このような問題は、結局統監府において処理せざるを得なくなっていくのである。


意外と長くなってしまったので、今日はこれまで・・・。



これまで寄り道ばかりだったので、少し要約してみよう。

「コールブラン」の経営する、韓米電気会社があった。
東京の資本家に、その電気会社の売り込みがあった。
その売り込みの中で、「韓皇室ノ所有株金五拾万円ニ関シテハ当方ニ於テ別ニ支払ヲ要セス引受得ル方法有之候趣ニテ」とされ、どうもこれが基礎資料の「韓人趙南昇ナル者太皇帝ヨリ米人「コールブラン、ボストウィク」ニ与ヘラレタリト称スル電気会社株券売渡委任状偽造ノ嫌疑」に関係していると目される。
1909年(明治42年)6月24日、京城電気会社と日韓瓦斯会社の買受契約は、価格120万円で調印された。

ありゃ?
4回も書いておいて、事件に関連する部分を要約すると、これだけなのか・・・。


・・・えっと、玉璽の話。(笑)

http://idea.woweb.net/japan/munha/guksae.htm

そもそも李氏朝鮮における王の印は、明・清から冊封された証としての「朝鮮国王之印」であった。
その後、1894年の甲午改革の中で、勅令第一号として出された公文式を基本として、印綬が変えられたらしい。

公文式 【1画像目】 【2画像目】 【3画像目】

ちなみに、中身は日本の公文式とほぼ同じである。
その後、1897年の大韓帝国の成立に伴って、「大韓國璽」や「皇帝御璽」が作られ、使用されたようだ。

「大韓國璽」  「皇帝御璽」


さて、趙南昇が偽造したとされる電気会社株券売渡委任状の「玉璽」が、なんの印綬であるかについては、史料に記載が無い。(又は記載された史料を見つけられていない。)
但し、おそらくコレの流れではないかと思われる史料がある。
ちょっと今日は筆がのらないので(笑)、明日取り上げることとしたい。
但し、関連性については「思われる」であることから、「条約書類発見と玉璽偽造事件」とは別の、単独の項目でエントリーする予定。


では、今日はここまで。


条約書類発見と玉璽偽造事件(一)
条約書類発見と玉璽偽造事件(二)
条約書類発見と玉璽偽造事件(三)
条約書類発見と玉璽偽造事件(四)



1909年(明治42年)6月25日付『来電第49号』によれば、京城電気会社と日韓瓦斯会社の買受契約は、24日に調印された。
価格は120万円。

この中に、韓国の持ち分である50万円分が含まれているか否かは、不明である。
しかしながら、前回の売り込みの言葉を信じれば、「韓皇室ノ所有株金五拾万円ニ関シテハ当方ニ於テ別ニ支払ヲ要セス引受得ル方法有之候趣ニテ」である。
韓国分の50万込みであると考えるのが、妥当であろう。


さて、今回の『条約書類発見と玉璽偽造事件』シリーズは、どうせ寄り道だらけなので今回も寄り道。(笑)

この買受契約は、当分秘密の筈であったが、秘密とは漏れるもの。
これを原因とした、ストライキが起こる。

1909年(昭和42年)7月19日付の憲機第1443号から。
非常に長いし、表題と関係無い部分なので、超意訳。


電気会社が、日韓瓦斯会社に売却されると、同社韓人運転手及車掌等に不安と動搖が流れる。
そこへ、 「コールブラン」 が数日内に帰米するとの話が流れる。
解散についての慰労金(注:退職金か?)も交附せず、会社に供託している身元保証金の還付についても一言もないため、憤怒と狼狽が、各人申し合わせたように一時に起こる。
斯くて昨18日午前10時頃から、全線に亘って 「ストライキ」 を決行。
その後、何故か反日演説。(笑)

夕刻前から100余名が、 「コールブラン」 の私宅に押しかけた。
再び反日演説混じりに質問。

社長は、両三日内に帰国の途に就くと聞いたが、供托している保証金の還付はどのようにするのか。
又、我らは貴会社に依り、今日生活上の安全を得てきたから一意専心勤務に奮励しつつあったのに、今回、日本に売却すれば、今日会社のために尽くして日本の悪感情を受けており、再び日本の会社に雇われる筈がない。
従って、我等を解雇については、相当の慰労金を支給するのは、我等によって数年暴利を得た、会社の責任である。

これに対して「コールブラン」は、慰労金は支給する理由がないが、保証金は無論還付する。
しかし、会社は日本の会社と売買契約を結んだだけで、受け渡しは9月である。
9月を過ぎなければ何も払えないなどと言って、社員を激昂させる。(笑)
必死に言いくるめて、午後7時半、一応解散。

聞くところによれば、彼等の中ではキリスト教信者が多く、従って排日思想を抱いている。
日本への売却は容認できず、引き継ぐ際には、電車その他機械を破壊しようなどの協議をしつつある。

なお「ストライキ」は、 日本との売買契約を取消すか、自分たちが解雇された後のために、相当の保証を与えるか、日本においても、自分たちが満足するだけの処置をとらなければ、続けるとの事である。


憤怒と狼狽が、各人申し合わせたように一時に起こるは、当然の火病。
結局は「金」な訳だが、そこに日本を絡める意図が分からない。
つか、「コールブラン」の会社に勤めてても、お前等に特権がある訳じゃねーだろ。(笑)
今まで普通に生活できたのは、会社の後ろ盾のおかげでは無いと言うことすら分からぬ無知さ。
勿論、「金」をとる為だけの方便に過ぎないかもしれないが。


このストライキは、約10日に渡って続いた。
その結末が、1909年(昭和42年)7月19日付の憲機第1468号に記されている。


日韓瓦斯会社に引継の曉は、一般に解傭せらるものとの誤解は、瓦斯会社重役の解職せざる旨の明言に依り、其誤解なりしことを悟り、一般に感情融和したるものの如く、未だ運転手車掌全員の就業を見るに至らざるも、午後七時迄は市中を運転し殆んと、常態に復したり。


解雇しないと言っただけで収まるのか・・・。
本当に排日感情ってのは、根拠皆無なんだな。(笑)


さて、電気会社についてはここまでにして、次回からは玉璽の話。


条約書類発見と玉璽偽造事件(一)
条約書類発見と玉璽偽造事件(二)
条約書類発見と玉璽偽造事件(三)



ガ━━━━━(゚Д゚;)━━━━━ン!

ベッセルとベセル」でやった過ちを、再びやってしまった・・・。
「コールブラン」、史料に出てくる別の名を「コルブラン」。
フルネームは「Henry Collbran」である。
ちなみに「ボストウィック」が「Harry Rice Bostwick」。
ま、今回の件に関して、使える史料が増えるわけではないから、特に問題は無いのだが、少しショック・・・。
小泉の釣りっぷりを見て、ゲラゲラ笑ってる場合じゃないな。。。

早速「コルブラン」で検索をかけたところ、松崎(永井)裕子氏の『大韓帝国光武年間期の米国企業家コルブラン&ボストウィックの電気関係利権について』という論文が引っかかった。

共立女子大学国際文化学部の北島万次教授が書いた、明治38年を1907年としているような馬鹿な論文で無い限り、役には立つだろうに。

ちなみに明治38年は、1905年。
ワザとやってるなら、学者辞めれ。
本気でやってるなら馬鹿過ぎだから、学者辞めれ。
阿呆はいらんぞ、北島万次。


それでは、気を取り直して再開。
前回、電気公社及び水道会社の事業権利を、東京の資本家に売り込みに来たと書いた。
これについては、1908年9月1日付で、当時外務省通産局長であった萩原守一から、副統監であった曾禰荒助への私信に記載がある。

それによれば、電気公社及び水道会社の事業権利一切を売り渡す内密の交渉を、「コールブラン」が東京の資本家に申し出てきたらしい。
そこで、その資本家が萩原守一に相談に来た、というのが発端のようである。
萩原は資本家に対して、最終的な代価を聞くくらいまでは、交渉してみても良いのではないかと答えておいた所、水道事業に関しては、英国資本主が承諾するかどうか見通しが立っていないので、電気事業に関してのみ協議したいと言ってきた。
そして、売却の基礎条件として、電気会社の総資本会250万円中、韓国皇室の所有株50万円に関しては、当方において別に支払を要せず引受できる方法があるようであり、残額中、社債50万円は、1910年より5ヶ年賦償却の契約があるため、之を差引いた125万円が 「コールブラン」 の所有権であり、この所有権に対する買収の相談であるとの事であった。

結局は、買収金額の提示は行われていない。
しかも、当初の話にあった水道事業が対象外になったため、資産家には交渉を中絶させたが、どうしよう?
という電文である。

萩原守一

確かに、非常に胡散臭い。
というか、そもそも250万-50万-50万=125万だと、25万どこかへ行ってしまっているのだが・・・。

この私信に対して曾禰副統監は、『往電第632号』にて、もし資本家が十分交渉の上、適当な価格で買収できるのであれば、全然賛成である。
又、万一電気と水道の両方の権利を、同時に買収できないようであれば、強いて同時に買収せず、片方の権利だけの買収であっても、猶得策であろう。
但し、電気だけであれば、将来における利益の減少を見込む事が必要である。
と、当たり前な回答をしている。


この時の「韓国皇室の所有株50万円に関しては、当方において別に支払を要せず引受できる方法」というのが、「趙南昇が太皇帝からアメリカ人のコールブラン、ボストウィクに与えられたと称する、電気会社の株券売渡委任状の偽造の疑い」に関係してくると思われるのである。
おお、ようやく繋がった・・・。(笑)


繋がった所で、ちょっと寄り道。
萩原守一は、1905年10月17日、林権助公使の代理公使として、朴斉純外相による第二回日英同盟の第三条への抗議を受けた事で、一部人士に有名。
このことは竹島問題において、1905年2月22日の島根県告示による竹島編入にも、時期的に抗議可能であったという論拠として利用される。
以上、寄り道終了。


さて、上で「関係してくると思われる」と書いた。
断定形で書いていないのは、勿論買収経緯に関する史料が無いからである・・・。_| ̄|○
私が探せないのか、資本家との売買であるため公文書に記録が無いのかは不明である。
もしかしたら、『米国人「コールブラン」「ボストウイック」ノ韓国ニ於ケル獲得利権関係雑件』に記載されているのかも知れない。
公開を待ちたいと思う。

買収の経緯は上記のとおり不明であるが、実際に売買は行われ、日韓瓦斯(ガス)会社がこれを引き継ぐ事になり、日韓瓦斯会社は日韓瓦斯電気会社へと改称する事となる。


と、ここまで書いて初めて気が付いた。
もしかして、資本家って「渋沢栄一」か?


疑問を抱いたまま、今日はここまで。


条約書類発見と玉璽偽造事件(一)
条約書類発見と玉璽偽造事件(二)