さて、前回は「提示されなかった委任状」について。
前々回は「御璽偽造と李泰鎮いぢり」をお送りしました。
ついて来れてますか?(笑)

今日は、記事そのものへのツッコミを行って、今回の連載「俵孫一の訓示からの逃避」を終わらせたいと思います。(笑)
さて。
どのように進めて行けば良いか迷ったんですが、大まかに笑える部分は既に前2回でやりましたので、チマチマと順番に当該部分を引用しながら見ていく事にします。

まずは、「今から100年前の1907年4月、大韓帝国のイ・ジュンとイ・サンソル、イ・ウィジョンら3人の「密使」は、日帝による侵略の不当性を訴えるため、オランダ・ハーグで開かれていた第2回万国平和会議の会議場へと旅立った。
いや、自分で地図載せてる通り、4月に旅立ったのは李儁だけですが?
( ´H`)y-~~

日本による妨害は執拗(しつよう)なものだった。
へぇ、どんな?
( ´H`)y-~~

密使らは死を覚悟していた。
また想像で物を言う。
( ´H`)y-~~

「ドゥ・ヨン」ホテルの位置に建てられた「イ・ジュン烈士記念館」。訪ねる人もほとんどいないこの場所には、「信任状」の写真がきれいに飾られている。
誰か行ってやれよ、韓国人。
( ´H`)y-~~

白紙の信任状を渡したということだ。
何も書いていない白紙は、既に信任状と呼べないと思います。
( ´H`)y-~~

事をしくじった場合、善後策を講じることのできなかった高宗としては最善の防御策であり、目前に迫っていた万国平和会議を前に焦っていた密使らにとっても、ほかに選択肢がなかったのだろう。
現地で騒いだのに失敗したら、結局同じジャン。
( ´H`)y-~~

「当時、万国平和会議の副総裁だったドゥ・ボフォートが密使らと話を交した後、“本物の密使”との判断を下した」
本当だとしたら、オランダ人もテキトーだなぁ。(笑)
( ´H`)y-~~

イ・ジュンは3月24日夜、徳寿宮重明殿で皇帝に極秘裏に拝謁したが、やはり信任状を受け取ることはできなかった。
何の史料から分かるのか、ちょっと知りたい。
つうか、『笞100の刑』の宣告から20日後くらいに極秘拝謁って、元気だねぇ。
( ´H`)y-~~

しかし、密使らは出国が迫った4月末まで、誰かが代わりに持ってくるはずの「印章だけが押された白紙の信任状」すら受け取れず、高宗はロシアから送られた招待状も密使らに渡すことができなかった。
結局、物的証拠皆無なわけね。
( ´H`)y-~~

ただ明らかな事実は、信任状に問題があることを知りつつも、急きょ出発しなければならないほど、3人の密使のハーグ行きが非常に差し迫った状況の中で行われたものだったということだ。
「信任状に問題がある」とか言うレベルじゃねーだろ。(笑)
大体、差し迫ってたなんて言いつつ、地図見ても分かるとおり、1ヶ月もウラジオストックで遊んでんじゃねーか。
何が「明らかな事実」なんだか。
( ´H`)y-~~

イ・ジュンが釜山港を出発したのは、信任状の日付からわずか3日後の4月23日だった。
「誰かが代わりに持ってくるはずの「印章だけが押された白紙の信任状」すら受け取れず」はどこに行った?
( ´H`)y-~~

しかし、ハイデブリンク氏は、この3人が第2次日韓協約は強制されたものであると訴える書簡を各国代表に送ったことは、「国際社会に向けた最後の訴え」として大きな意義があると指摘した。
何、そのよく頑張った史観。
( ´H`)y-~~

この抗議書について、ハイデブリンク氏は「当時、弱小国が作成した多くの抗議書を見てきたが、この抗議書のように明瞭かつ卓越した表現で、列強による侵略の不当性を訴えた文書はほかにない」と高く評価した。
要するに、これ言いたかっただけだろ。(笑)
( ´H`)y-~~


以上、前回前々回の分を除いた形で突っ込んでみました。

まぁ、「ハーグ密使事件」も100周年を迎え、HDが吹っ飛んで休憩中のkimuraお兄さんのブログ「木村幽囚記」の中で取り上げられた、「< 李ジュン烈士 切腹の 真相は?>(連合ニュース6月22日)」のように、李儁の死因が切腹じゃない事は50年も前に結論が出ていて、大韓毎日申報の梁起鐸が申采浩やベセルと協議し、 李儁の憤死を切腹として新聞に使うようにしたという証言があったりしましたし、今回の御璽が偽造だった話や、委任状がそもそも提示されていないらしいとか、今までの通説間違じゃんという話がボコボコ出てきているわけです。

韓国の「愛国精神の象徴的教材」のためだからといって、日本を貶めるのは勘弁して欲しいですな。


つうか、何度も記事を読み返しているんですが、一昨年の6月22日のエントリーの1907年(明治40年)7月4日『来電第125号』の記述、「然れども誰も取合ふものなし。」。
外交権云々以前に、そりゃ門前払いされて当たり前だろ、と。(笑)


ってことで、「★ハーグ密使事件100周年」はお終い。



★ハーグ密使事件100周年(一)
★ハーグ密使事件100周年(二)
★ハーグ密使事件100周年(三)


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果たして、当初の目的である「更に分かりやすくまとめ」る事が出来ているのか、非常に不安な昨今、如何お過ごしでしょうか?(笑)
前回は、李泰鎮せんせいいぢりで終わってしまいました。
あれだけいぢり甲斐のある素材も珍し・・・くは無いんですよね、あの国。(笑)

さて、今日は「提示されなかった委任状」についてのお話を。
オランダ国立文書保管所の担当者・ハイデブリンク氏曰く、

「3人がハーグで皇帝の信任状を提示したという記録はまったく存在しない」
ですね。

これについては、「■二年目の回答 関連スレ」の方でちょっとツッコみました。
まずは、一昨年の6月22日のエントリーの、1907年(明治40年)7月4日『来電第125号』から一部抜粋。

尚、同人等は韓帝の全権委任状を有すと謂ひ居れり。
まぁ、既に「李相卨(咼の上にト)は韓帝に謁見を遂げたる後」なんて嘘吐いてるわけですが、取りあえず「皇帝の全権委任状を持っているニダ!<#`Д´>」と。

続いて、一昨年の6月26日のエントリーの、1907年(明治40年)7月7日付『来電第57号』から一部抜粋。

海牙に於て、陛下の派遣委員は委任状を所持することを公言し、且新聞に依り日本の韓国に対する行動を悪意的に非難したる以上は、彼等が陛下より派遣せられたることは、世界の熟知する所なりとの事を明白に申込みたり。
前掲、1907年(明治40年)7月4日『来電第125号』に基づいての発言かも知れませんが、取りあえず委任状の所持を公言、と。

ついでに、★ハーグ密使事件100周年(一)の記事中より。

最近、オランダ・ライデン大のクン・ツィステル教授は、高麗大が主催した学術大会で、「当時、万国平和会議の副総裁だったドゥ・ボフォートが密使らと話を交した後、“本物の密使”との判断を下した」という趣旨の発言をした。
しかし、この際も信任状を示したわけではなかった。
これについて、やはりHDが吹っ飛んで休憩中のkimuraお兄さんのブログ「木村幽囚記」の中で、「< ヘイグ 特使は 列強の 目に どうに 映っただろうか?>」として取り上げられています。
ってことで、元記事である(連合ニュース6月13日)の機械語翻訳から抜粋。

ドボポトは朝鮮使節団の到着消息を聞いて ホテルで行って 彼らを 会った.
特使を 会った ドボポトの 一番目質問は"あなたたちが 朝鮮皇帝が 親しく送った謝絶が当たりなさい?"であった.

高宗の特使は 皇帝の勅令を持ってあると言ったし ドボポトは彼らが偽り密使がないという判断を下った.
しかし 使節団の活動に 大海は極めて懐疑的だった.
やはり、「皇帝の勅令を持ってある」と言ってるだけなんですね。
口だけ大将。(笑)

そして、前出の「< ヘイグ 特使は 列強の 目に どうに 映っただろうか?>」(連合ニュース6月13日)によれば、

李ジュンの 噴射( 憤死) わ 李ウィゾンの 積極的な 言論活動は ついに 主要 言論の 関心を 導いて 出すのに 成功した.
ということで、主要言論が関心を持ったも係わらず、委任状が提示された記録が無い。
そんな中、記事によれば1907年8月に突然ニューヨークの雑誌『インディペンデント』に掲載されるわけですよ。
何じゃそりゃ?と。(笑)

内容は前回の通り非常に疑わしい。
おまけに、現地で提示されない委任状って何ですか?と。(笑)

というわけで、再び一昨年の6月26日のエントリーの1907年(明治40年)7月7日付『来電第57号』から一部抜粋。

皇帝は急に、右は朕が与り知る所に非ずとの弁明せらるるも、本官は今日の事、最早虚言を弄して解決すべきに非ず。
この、「右は朕が与り知る所に非ず」って、存外マジだったんじゃね?と。(笑)

ってところで、今日は早めに。



★ハーグ密使事件100周年(一)
★ハーグ密使事件100周年(二)


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前回は、俵孫一の訓示の長さに飽きていたところへ「★ハーグ密使事件100周年」という面白い記事が引っかかり、その記事とENJOY Koreaに立てたスレの紹介という、実に手抜きのエントリーをお送りしました。(笑)

で、今日は前回の予告通り、「更に分かりやすくまとめて、他にもツッコんでみる」事を目標にお送りしたいと思います。
ちなみに、今回の記事は「ハーグ密使事件」のカテゴリーと、李泰鎮教授が折角また馬鹿を晒してくれているので、「バファリン作戦」のカテゴリーへのダブルエントリーとなっています。
同記事が二つ並んでいるのはそのためで、重複というわけでもありませんので宜しく。

それでは本題に入りましょう。
まずは、委任状に関する整理。

一昨年の6月17日のエントリーで、

ここで私が疑問に思っているのは、ハーグ密使の所持していた委任状の日付である。
大韓光武11年4月20日。
1907年4月20日である。
この時点で、李儁は兎も角として、北間島にいた李相卨(咼の上にト)、ロシア領内におり未だ名前の出てこない李瑋鐘が、委任状に名前を記載されている事になる。
条約書類発見と玉璽偽造事件を見てきた私などは、当然思ったりするわけである。

これ、本物の委任状ですか?(笑)

と書いた。
元々、同エントリーの1907年(明治40年)5月24日付『機密第6号』中、

今般同人等協議の末、元学部協弁李相卨(咼の上にト)なる者の北間島に在りて学校を私設し、子弟を教育しつつありしを当地に呼寄せ、更に謀議を凝らしたる結果、韓国の将来に関し、直接露国政府に向ひ嘆願する為め、委員簡派の議を決定し、前記李儁・李相卨(咼の上にト)及当地の富家車錫甫の子某の三名は、愈々去るに11日を以て当地出発、露都に向ひたる由に有之候。
の記述の時点で「誰が委任されたか」について疑われたわけですね。
ここで、前回の地図を見てもらうと更にイメージが浮かびやすいと思います。

ハーグ密使行程

ウラジオストックで合流した李相卨(咼の上にト)については前述の史料から疑わしく、サンクトペテルブルグで合流した李瑋鐘に至ってはあり得ないだろ。
どうやって連絡とってたんだよ。(笑)
という状況証拠による類推だったわけです。

さて、今度は前回の記事。
イ・ヤンジェ氏(イ・ジュン烈士殉国100周年記念事業推進委員会総務理事)曰く、

信任状に押された皇帝の印章である御璽が、本物ではないことは明らかだ。
皇帝のほかの親書と比べて見ると、印刻の字体が大きく異なり、印章を押したのではなく、筆で描かれたもので、にじんだ跡が見える
印刻専門家のチョン・ビョンレ氏(古岩篆刻芸術院院長)曰く、

“帝”の字は、上の部分の画の長さや間隔がそろっておらず、“璽”の字も真ん中の文字の切れ目がないことから見て、ほかの文書にある御璽とは完全に異なっている。
非常につたない実力で作成した模作に過ぎない
と断定しちゃうわけです。
これを受けて朝鮮日報も、

密使らは出国が迫った4月末まで、誰かが代わりに持ってくるはずの「印章だけが押された白紙の信任状」すら受け取れず、高宗はロシアから送られた招待状も密使らに渡すことができなかった。
とするわけですね。
そんな中、我等がイテジン(李泰鎮、李泰鎭)せんせい。

わたしが見ても信任状の御璽や手決に違和感が感じられる。
しかし、皇帝の命もないのに特使として活動することはできない。
そのため、信任状には高宗の意中が込められており、任務を口頭で伝え、後で書き入れるようにした委任状と見るべき
■二年目の回答」のpolalis氏の発言より。

「しかし、皇帝の命もないのに特使として活動することはできない。」…ここまでわかっていれば、もう少しなのにねぇ。
御璽が偽物でも、皇帝の命はあったとする李泰鎮せんせい。
勿論、そんな事を示す史料があるはずも無く、既に、絵合わせ状態の李泰鎮せんせい。
それでも、外交通商部で「日本侵略史」を講演したりする、ソウル大学国史学科のとても偉い李泰鎮せんせい。

同じく「■二年目の回答」から、jpn1_rok0氏の発言。

そう言えば、李泰鎮って、併合役に皇帝の璽がないことを不法の根拠としてなかったっけ?w
併合は皇帝の璽が無いから無効で、密使の委任状は璽が偽物でも皇帝の命はあったとする李泰鎮せんせい。
絵合わせ大好きな李泰鎮せんせい。
それでも、外交通商部で「日本侵略史」を講演したりする、ソウル大学国史学科のとても偉い李泰鎮せんせい。

続いて、同スレよりhitkot氏の発言。

♪またマスコミの都合でトリミング加工< `∀´>。w
これは、バファリン作戦の際の李泰鎮教授の回答14、「御'はもとは私のノート記録にはあったが、新聞のインターネト画像では切られそうです。」を当てこすった発言でしょう。(笑)

兎も角、hitkot氏の指摘通り委任状の冒頭の3行が削られています。
実はこの3行目が重要だったりするわけです。

まずは「擡頭」。
敬意を高めた表現で、対象となる偉い人の名前なんかが書かれる時に、普通の部分よりチョコンと飛び出る書き方。
勿論、自分が偉い人はやりません。

次いで、冒頭の「大皇帝勅日」。
「大皇帝が言いました」ですので、これまた高宗の書いたものでは無いわけです。

ってことで、本文も「誰か」が書いたもの、なわけですね。

で、勢い余って「手決(自筆署名)」にまで違和感を感じちゃう、流石ボクらの李泰鎮せんせい。
李泰鎮教授の言葉も勘案すると、次の通りになります。

ハーグ密使委任状3

先生!
高宗が関与した部分が一箇所も無くなります!(笑)


「信任状には高宗の意中が込められており、任務を口頭で伝え、後で書き入れるようにした委任状と見るべき」
先生!
これは委任状でも白紙委任状ですらなく、既にただの白い紙です!(笑)


それでも、外交通商部で「日本侵略史」を講演したりする、ソウル大学国史学科のとても偉い李泰鎮せんせい。
( ´H`)y-~~


僕らの李泰鎮教授の素敵さを満喫したところで、今日はここまで。



★ハーグ密使事件100周年(一)


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俵孫一の訓示が長すぎて、倒れて保健室に運ばれそうなので、ちょっと休憩。(笑)
ってことで、標題。

ハーグ密使事件から100周年ということで、何やら朝鮮日報が特集しているらしい。
先月も、HDが吹っ飛んで休憩中のkimuraお兄さんのブログ「木村幽囚記」で、【【コラム】100年前の6月(上)】(朝鮮日報6月7日)と、【【コラム】100年前の6月(下)】(朝鮮日報6月7日)の2つの記事が紹介されていました。

で、今日は合計4つの記事を紹介したいな、と。
全部纏めて掲載します。


まともな「信任状」もない旅立ち(上)
まともな「信任状」もない旅立ち(中)
まともな「信任状」もない旅立ち(下)
ハイデブリンク氏「信任状に関する文書、所蔵していない」


今から100年前の1907年4月、大韓帝国のイ・ジュンとイ・サンソル、イ・ウィジョンら3人の「密使」は、日帝による侵略の不当性を訴えるため、オランダ・ハーグで開かれていた第2回万国平和会議の会議場へと旅立った。

しかし、当時世界を牛耳っていた列強は、彼らに関心を持とうとせず、日本による妨害は執拗(しつよう)なものだった。
国運の危機は頂点に達し、密使らは死を覚悟していた。
彼らがハーグに到着したのは6月25日のことで、イ・ジュンは7月14日に現地で亡くなった。
本紙は、密使らの動きを逆追跡(ハーグ←サンクトペテルブルク←ウラジオストク←釜山←ソウル)し、この100年間埋もれたままになっていた新事実を発掘する。

時々刻々と締めつけを強める日帝の圧迫、そして国際社会から疎外され、冷遇を受け、絶望と鬱憤(うっぷん)に倒れていった彼らの絶叫が今も耳に響いてくるかのようだ。


◆密使らが到着した100年前の駅はそのままだが…

2007年6月15日、オランダ・アムステルダムのスキポール空港から汽車に乗り、30分余りでハーグ中央駅に到着する。
ここから1キロ程度離れた場所に、今でも100年前の姿をそのままとどめたハーグHS駅がある。

1907年6月25日、3人の東洋人が暗い表情を浮かべながら、ハーグHS駅に降り立った。この3人の東洋人とは、前平理院(最高裁)検事のイ・ジュン(48)、前議政府参賛のイ・サンソル(37)、前駐ロシア公使館参書官のイ・ウィジョン(20)。
釜山港を出発してから2カ月後、数万里におよぶ旅路がここで終わりを告げた。

万国平和会議は既に10日前に開幕していた。
彼らの足取りは重かったが、取り急ぎ、みすぼらしい「ドゥ・ヨン」ホテルに宿所を定めた。
そして、その翌日に彼らは「皇帝の玉璽が押された信任状」を手にし、会議への出席を要求したとされている。

しかし、今回の取材で会ったオランダ国立文書保管所の担当者・ハイデブリンク氏は、本紙とのインタビューで意外な事実を指摘した。

「3人がハーグで皇帝の信任状を提示したという記録はまったく存在しない」

「ドゥ・ヨン」ホテルの位置に建てられた「イ・ジュン烈士記念館」。訪ねる人もほとんどいないこの場所には、「信任状」の写真がきれいに飾られている。
この写真は、イ・ジュンがこのホテルの部屋で亡くなってから1カ月後の1907年8月、米ニューヨークで発行された雑誌『インディペンデント』に掲載されたものだ。
4月20日付となっているこの信任状には、3人の特使を派遣し、韓国の外交権回復に当たらせるという内容が記されている。
左側には「大皇帝」という文字の下に手決(自筆署名)があり、その下に「皇帝御璽」の印が押されている。
以来、この写真は多くの書籍に転載された。


◆信任状の御璽を偽造

しかし、この信任状に押された皇帝の印章は、偽造の可能性があるとの主張がソウルで提起された。
書誌学者のイ・ヤンジェ氏(イ・ジュン烈士殉国100周年記念事業推進委員会総務理事)は「信任状に押された皇帝の印章である御璽が、本物ではないことは明らかだ。皇帝のほかの親書と比べて見ると、印刻の字体が大きく異なり、印章を押したのではなく、筆で描かれたもので、にじんだ跡が見える」と指摘した。

また、印刻専門家のチョン・ビョンレ氏(古岩篆刻芸術院院長)も写真を見た後、「“帝”の字は、上の部分の画の長さや間隔がそろっておらず、“璽”の字も真ん中の文字の切れ目がないことから見て、ほかの文書にある御璽とは完全に異なっている。非常につたない実力で作成した模作に過ぎない」と断定した。

だが、御璽が偽造とは一体どういうことなのだろうか。
ソウル大国史学科の李泰鎮(イ・テジン)教授は「わたしが見ても信任状の御璽や手決に違和感が感じられる。しかし、皇帝の命もないのに特使として活動することはできない。そのため、信任状には高宗の意中が込められており、任務を口頭で伝え、後で書き入れるようにした委任状と見るべき」と推測した。

つまりこれは、日本軍が宮中を取り囲んだまま、水も漏らさぬほど厳重に皇帝を監視していたため、白紙の信任状を渡したということだ。
事をしくじった場合、善後策を講じることのできなかった高宗としては最善の防御策であり、目前に迫っていた万国平和会議を前に焦っていた密使らにとっても、ほかに選択肢がなかったのだろう。
ハーグ密使委任状2


◆高宗の「特使」派遣努力は挫折

最近、オランダ・ライデン大のクン・ツィステル教授は、高麗大が主催した学術大会で、「当時、万国平和会議の副総裁だったドゥ・ボフォートが密使らと話を交した後、“本物の密使”との判断を下した」という趣旨の発言をした。
しかし、この際も信任状を示したわけではなかった。

イ・ジュンは3月24日夜、徳寿宮重明殿で皇帝に極秘裏に拝謁したが、やはり信任状を受け取ることはできなかった。
信任状はその後、尚宮(宮廷女官)や外国人のハルバート博士のように、日本軍によるチェックを余り受けずに済む人物によって持ち出されたものと推定されてきた。

ここで再びハーグ現地のイ・ジュン烈士記念館に話を戻すと、記念館にはイ・ギハン館長が探し出したロシア側の招待国リストの写本が展示されている。
このリストによると韓国は、47カ国におよぶ招待国の中で12番目に記されている。
1905年の第2次日韓協約(韓国の外交権を日本側に譲り渡した条約)直前、ロシア皇帝ニコライ2世が06年に予定されていた万国平和会議の招待状を高宗に送った。
このとき高宗は特使派遣に非常に積極的な姿勢を見せ、列強の国家元首らに親書を送り、第2次日韓協約が無効であることを訴えた。
しかし、既に外交権を喪失していたため、皇帝の努力は挫折に終わった。

その後、万国平和会議が1年延期され、今度は民間から特使派遣を唱える声が上がった。
1907年3月、ソウル尚洞教会を中心に、全徳基(チョン・ドクキ)、イ・ジュン、李会栄(イ・フェヨン)などの人物らがこの問題について協議し、この3人を特使として派遣するという原則が打ち出された。
そこでイ・ジュンが高宗に拝謁し、「特命」を受けたというのがこれまでの通説だった。
ハーグ密使行程



◆密使らはどれほど暗鬱で切迫していたのか

しかし、密使らは出国が迫った4月末まで、誰かが代わりに持ってくるはずの「印章だけが押された白紙の信任状」すら受け取れず、高宗はロシアから送られた招待状も密使らに渡すことができなかった。
その後も力なき皇帝は、密使を自分が送ったということを是認も否認もできなかった。

ただ明らかな事実は、信任状に問題があることを知りつつも、急きょ出発しなければならないほど、3人の密使のハーグ行きが非常に差し迫った状況の中で行われたものだったということだ。
イ・ジュンが釜山港を出発したのは、信任状の日付からわずか3日後の4月23日だった。
2カ月後、ハーグHS駅に到着したとき、彼らの心中はどれほど暗鬱かつ切迫していたことだろうか。

「イ・ジュンら3人の密使は、皇帝から特使として委任されたと主張したが、ハーグでそれを証明する証拠を提示したという記録は残っていない」

ハーグにあるオランダ国立文書保管所のイリス・ハイデブリンク氏(57)=写真=は、10年余り前から韓国関連の外交文書を整理してきた担当者だ。

信任状に関する記録について、ハイデブリンク氏は「密使らが何も示さなかったため、われわれも信任状に関する文書を所蔵していない」と述べた。

またハイデブリンク氏は、当時密使らに関心を示した各国の記者の中には、彼らが本当に韓国皇帝の命を受けた代表なのか疑う人もいたと話した。
しかし、ハイデブリンク氏は、この3人が第2次日韓協約は強制されたものであると訴える書簡を各国代表に送ったことは、「国際社会に向けた最後の訴え」として大きな意義があると指摘した。

3人の密使は、各国代表に送った書簡で、「日本の奸巧がわが国と友邦国家との間で維持されてきた友好的外交関係を断絶させ、恒久的な極東の平和を脅かすことを、われらが独立国家としてどうして受け入れることができようか」と堂々たる叫びを上げた。

この抗議書について、ハイデブリンク氏は「当時、弱小国が作成した多くの抗議書を見てきたが、この抗議書のように明瞭かつ卓越した表現で、列強による侵略の不当性を訴えた文書はほかにない」と高く評価した。

まぁ、色々とツッコミ所も多いわけですが、最大のツッコミ所である「委任状のハンコが偽物」の部分、「まともな「信任状」もない旅立ち(中)」を使って2つのスレッドをENJOY Koreaに立てて、ツッコんでみました。

■二年目の回答
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1880884


■二年目の回答 関連スレ
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1880896


これに関して、更に分かりやすくまとめて、他にもツッコんでみようかな、というのが今回の話。


で、取りあえず記事のせいで長くなったので、今日はここまで。(笑)




今日からアジア歴史資料センター再開ってことで、ちょっと行ってみました。
・・・・・・。

一部資料群及びデータに関しては確認作業終了次第公開します。
「10月9日まで」って、システム更新だけかよ!!!
うがーーーーー!!!



・・・さて、一次史料に見るバファリン作戦。
今日で目出度く最終回であります。
では早速。


3月20日
16時30分。
前日の三悪人会議(http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473099&log=20050319)に基づいて、NAVER極東学術裁判が開かれる事となり、裁判長にdreamtaleが、判事にhitkotが依頼される。
指示事項は、二つ。
「判事は、検事と弁護人の議論を見守ります。1時間後協議して判決を決めます。判決が割れたら裁判長が最終決定。」
「裁判長は、裁判を進行するとともに、話題逸らしや不正規発言を停止させます。」

dreamtale曰く
「さっぱりわけが分かりませんでしたが、取りあえず東京裁判が理不尽である事とそれを韓国人に見せつける事、そして無関係なのに何故か韓国人が毛嫌いするA級戦犯に、李泰鎮を擬するのだろうな、と勝手に判断しまして。
で、何の指示も受けませんでしたが、兎に角、始めから有罪ありきで理不尽さ満載に裁判仕切れば良いんだろうと思いました。
でも、進行の仕方すら知らされてなかったんですよね。(笑)」

同じく当日判事を引き受けたhitkot曰く
「うーん、ま、困ったな、寝られんな、と。w
dreamtale氏が裁判長を引き受けてくれたので、かなーり気が楽だった。
tooo弁護人も居たし。役者はもう揃っていたな、と。」


3月21日
0時。
投下開始時刻となるも、jpn1_rok0、zeongは何やら作業中の様子。
結局、0時から遅れる事4分、第四次爆撃が開始された。
本爆撃にNAVER総督府は最大戦力を投入。
参加者はdreamtale、hitkot、myeloblast、yonaki1111、penguin07、bangdoll、tsubuan、suteking、vip774、polalis、jpn1_rok0、義勇兵oppekepe7、urakankoku。
というか、後方支援要員までが密かに準備していたスレッドで勝手に出撃。
最後の祭りに参加したかったらしい。

今回も、NAVERカルチャー板(現在の伝統文化・工芸板)の画面を制圧したものの、韓国人側IDの抵抗も無かったため(なぜか韓国人は圧倒的な勢力の前には沈黙する傾向がある。)、総督府員の意識も既に0時30分開廷予定のNAVER極東学術裁判に向いていたようである。
尚、この爆撃の最中、李泰鎮教授の弁護を引き受けて下さったtooo氏が、スレッドを覗いて弁護すべき被告の酷さにショックを受け、呆れる姿が目撃されている。

0時41分。
法廷となるスレッドが立てられる。
しかしながらサーバーが激重。
途中、鯖落ちしながらも、何とか裁判を終了。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=43532
再びdreamtale曰く
「tooo氏が、李泰鎮回答(裁判資料)の中身を見て、裁判自体の有効性に戦術変更しちゃいましたからね。(笑)
何故か弁護人と裁判長の争いに。
引き受けるんじゃなかったと思いましたよ。
ま、普遍的正義だけ言ってりゃいいのって、結構気持ち良いんだなとは思いましたがね。(笑)
しかも判決文、用意してあるのかと思ったら、自分で書かなきゃいけなくて。
ええ。
慌ててアドリブで書きましたとも。(笑)」

hitkot
「( ´H`)y-~~ ま、判事なんて飾りですよ。
NAVER学術裁判が極東軍事裁判のパロディだという以上、我々にとって興味があったのは、無罪を主張するパール判事(・・つーかパールのようなもの・・w)がどのようなパロを実行し得るかにあるわけで。
そう言う意味で、libra_sword氏の「このような質問状を突きつけられたならば、韓国の歴史学者といえども、史料を以て立ち上がらざるを得ないであろう」という痛烈な皮肉はパーペキだったなと。w」

パール(のようなもの)判事の称号を受けたlibra_sword曰く
「キモは李泰鎮から北岡伸一、水野直樹、小此木政夫、北島万次、司馬遼太郎、阿川弘之、矢追純一、川口浩、全部イコール扱いな処。」

この時、未だ総督府員でも総督影武者でも無かったtakeo氏が、裁判のwatchスレッドで秀逸な発言をしている。
「takeo : 日 - しかし巧い。「普遍的正義」の視点からの「模擬裁判」って韓国側には非常に反論の難しいテーマですね。どの方向から批判を行っても柱の一つが崩れてしまう。この裁判で李泰鎭がどうなろうともNAVER韓国人は彼を掩護できまい。」

正に、三悪人の狙っていた事であろう。

また、dreamtale及びhitkotは、裁判の最中であるにも係わらず、別の作戦準備のため、韓国某所から大量の史料をぶっこ抜きしていたのは機密事項である。
ちなみに、それによって裁判の手順が悪かったわけではない。(笑)


3月22日
21時50分
これまでに報道されてきた内容から疑われる、協力者の話となる。

「大学や研究所ごとの縦系列の紐帯たる『学閥』と区分する為、私はこれを『シンジケート』と呼ぶ。」
「まあ、韓国側も『日本の学者の発言』という権威を得たり、史料を融通してもらったりという利益を挙げる訳で。」
「利権の相互利用を目的とした、留学生等を仲立ちとしたる在外研究者との不適切な協力関係、及びその組織だよね。」
「端的に言えば権威の相互承認に付随する、各種利権の共有関係と言ってよい。そしてこれらの『シンジケート』こそ、斯界における構造的反日の中核。」
「んじゃ、誰か『シンジケート』の中の人に会う事があったら、お前等勉強不足だって言っといて。(笑)」


3月24日
この日、3周半ほど周回遅れで翻訳をねだる情報乞食が目撃されている。
「yumipop : 韓 - 日本人たちよ本当に翻訳してくれないの? お願いします. m(_ _)m」

三悪人会議により、再質問状ではなく、より悪質な文章を作成することに決定。
polalisによる要約によると、「能力無いんだから、史学者やめて譫妄煽動家になったらどうです。どうせ実質かわらんでしょ。」


3月25日
1時50分。
polalisが突然叫んだ。
「ああ~、李泰鎭から送られてきた機密第51号、我々のもってる物と違う!」

「ほげ?」
「え?」

「我々のもってる複写物には、『主管 政務局』の下に『中田』と押印されてるんですが、イテのには、それが無い。」

「( ゚ H ゚ )y-~~?何で?『外交資料館から発見!』したんでしょ?」
「何で?」
「( ゚ H ゚ )y-~~『李泰鎭が外交資料館から発見!』したんだったら同じ筈だよね????」
「まぢで無いけど。」

「ん~、これは外史に確認せにゃならんな。少なくとも焼き付けようのマイクロの撮影時期を確認する必要はあろうかと。
他にも、フィルムの傷とはちょっと見えないノイズが入ってるんですよね。「号」「メ」「及」「ノ」「聞」を横につないだ辺ね。」

「もいっこ気が付いたことあるんですが・・・イイですか?
李泰鎮・・・多分、コピー一式束ねてA3かA4で重ねて綴じてますね。少なくとも、スキャンした時は、次のコピーがこの上にあった。
たぶん原本からコピーしたら、次の文字は写らないと思うんですよね。
51号の残り半分が裏写りしてるんですよ。
総督府の51号の画像は、2枚にわたっていて、前半が紙の左側。後半は次の紙の右側。
ということは、簿冊は外向きに袋綴じしてあるんですよね? これで次のページが裏写りしたら、文字は反転しますよ。」

この、李泰鎮教授から提示された51号の画像は、早速二値化及び部分取り出しが行われ、画像化された。

「外史(外交史料館)は、原形を保った形でしか焼き付けてくれません。
その場合、51号の前半は左側に、後半は右側に焼き付けされます。
そのまま重ねたら、先ほどのように裏写りはしない筈です。
つまり、外史で複写した史料(見開きになっている)を、真ん中でぶった切って、それを重ねて保存し、ファイルしてあるという、奇っ怪な状態になっている、ということですねえ。」

「5枚というのは存外そこから来てたり?」
「カットするよりは、畳んで製本するでしょ、普通。」
「いえ、たたみません。それやっちゃうと、マイクロから焼き付けてもらった意義が半減するんで。」
「史料館に製本を依頼すると、A4に焼き付けた物の右端を、専用の機械で閉じてくれます。」
「( ´H`)y-~~つまり、『史料館から入手』したものとは考えにくい、と。」
「…というか、ぶっちゃけありえねえ。普通にコピーすれば2頁同時にとれるし、原形も保たれるので、切る筈ねえよ、と。」
「というか、業者の使う焼き付け紙、裏写りするほど薄く無いし。というか、マジでファックスの可能性が高いなあ。」
「んー、真相は分からなくても面白いなぁ。(笑)」
「でも、裏写りは割と致命的かもね。彼の史料の保有形態が類推できちゃいますから。」
「( ´H`)y-~~『実は慌てて某所からファックスしてもらっていた』とか。」
「いや、zeong氏と想像していたのはそれでして。『日本の協力者が複写以来出して、それを急送するとしたら、三月中旬になっちゃうだろうね』と(w」
「( ´H`)y-~~てゆうか、普通誰でもそう想像するし(うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ)」
「引き伸ばしてきたのは恐らくそれだろうと。ま、この辺りも公刊戦史に盛り込みたいですな(w」


3月27日
総督府内でバファリン作戦の締め、つまり李泰鎮教授への「お別れの言葉」の文案が練られる。


3月28日
NAVERに於ける韓国人IDによるこの一言で、総督府内大盛り上がり。
「monkeybloo : 韓 - 明日からはごきぶりたちの主張に対する楽しい分析を一つ一つして見るつもり...そうなのに当時 長安堂には高宗が住んでいたが, 王妃を王がある場所で引っ張り出すなんて...人間性とはほこり位も捜すことができないすごいごみ浪人たちだ! KKK」

「キター(w」
「けけけ。よっぽど李泰鎭を殺したいらしいねえ(w」
「本人は招魂してるつもりなんでしょうがね。( ´H`)y-~~」
「ん~、送火を焚いてるようにしか見えないなあ(w」
「自国領土に戦略爆撃とは壮大な誤爆ですねえ(ゲラ」
「いやあ、敵に回った韓国人は、非常に役に立ちますなあ。」
「無敵の強さですよねえ。」
「情報が欲しいんだろうなあ…更に、これでダメージを与えていると錯覚したいんだな(w」
「翻訳なら情報乞食でできても、史料批判はね♪」
「まあ、史料はこっちにありますから、情報封鎖しながら、どこまでやるか次第ですなあ。」
「まあ、積極的に攻撃してくる事はないと思いますがね、新聞記者に責任転嫁しようとしている点で yumipop と同じだしね。」
「李泰鎭を助けるには朝鮮日報を切るしかないわけですが、無理ですし。( ´H`)y-~~」
「いやあ、『資料を提供したのは私』ですし、翻訳して渡したにきまってるわけで。しかも、記者が何を参考にしたかまで分かっているわけで(w そりゃ李泰鎭、逃げれないだろ、と。挙げ句、答弁の中で捏造してますからねえ(w」


 こうして、絨毯爆撃の焼け跡を徘徊する情報乞食に対する嘲笑の中、韓国国史学の権威李泰鎮をコケにし、その権威をNAVER上で永久に使用不能にするという「バファリン作戦」は所期の目的を達成し、作戦を終了した。今ではEnjoyKorea?上で李泰鎮の主張を根拠として日韓併合の不成立を語る韓国人はおらず、バファリン作戦を直接知らない者も李泰鎮という名前に権威を見いだすことはない。


 総督府が李泰鎮の個人メールボックスが受信拒否になっていることと、李泰鎮に機密第51号を提供したと目されていた日本在住の韓国人研究者の姿が消えたことを知ったのは、kimuranobuoが李泰鎮への最終文書の送付を試みた、桜が咲く頃の事であった。


おしまい



一次史料に見るバファリン作戦(一)
一次史料に見るバファリン作戦(二)
一次史料に見るバファリン作戦(三)
一次史料に見るバファリン作戦(四)
一次史料に見るバファリン作戦(五)
一次史料に見るバファリン作戦(六)
一次史料に見るバファリン作戦(七)
一次史料に見るバファリン作戦(八)
一次史料に見るバファリン作戦(九)



3月18日の続きより

21時59分
メールのアップ終了

「いや、要は言い訳なんですけど、ボクは精読する気力も無い。」
「あーーー(1)スルーですねぇ。w」
「あの正体不明のメモは、李泰鎮メモだった。・・・_| ̄|○」
「ついでに、なんですか、彼は。報道優先で、学術を捨てたわけですか。ついでに、ウリナラ基準で新発見ですか…orz 」
「( ´ー`) 記者が・・・記者が・・・。w」
「記者が~記者が~(笑)」
「大きい地図が新発見。(笑)」
「えー要するに、記者には逆らえなかったニダ。全ては記者の報道に問題があったニダ。ウリは責任無いニダ。」
「「『日韓外交史料』記載の地図が小さくてよく見えなかったので、複写依頼しました。これが韓国では初公開なのです!」…… だれでもできる(w」
「( ´H`)y-~~どうみても言い訳だろ?」
「日本が隠してきたと言っていたのは、何だったんだ、と。(笑)」
「『捏造じゃなくて錯誤ニダ!』……… これは使えるね(ニヤリ」
「インタビュー部分もあることを忘れてるし。(笑)」
「ええ、それもきっと朝鮮日報の『誤報』なんでしょ(w」
「( ´H`)y-~~複数のマスコミの前だろ。」
「『貴下が指摘した‘由’字がどんな意味なのか教えてください。私は本文書の中でその文字を見つけることができなかったです。』…エヘラエヘラ。」
「だめだーーーーーつっこみどころが多すぎるーーーーー。貴下が指摘した‘由’字がどんな意味なのか教えてください。私は本文書の中でその文字を見つけることができなかったです。・・・_| ̄|○」
「( ´ー`) ついでに、文章の日付が3/14なのも・・・。笑う所ですかねぇ。w」
「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ」
「ほうほう、天皇への上奏は知っていると。まあ、当時の上奏って、わりと一般的に行われて居るんですがねえ。」
「『見取り図には進入経路が記されています』……ほうほう、どこに? と(w」
「対馬の日に引き続き、我々を笑わせるつもりらしい。」
「エンターテイナーだなぁ。( ´H`)y-~~」
「『14。‘御'はもとは私のノート記録にはあったが、新聞のインターネト画像では切られそうです。22日を23日に書いたのは私の誤りです。』……いや、激しく違うんだが………」
「どこに入ってる隙間があるのだ?と。(笑)」
「14…そういう問題じゃ無ぇだろっ!」
「何か、これに反応すると、こっちのレベルが激しく落ちる気がする・・・。それが狙いか?(笑)」
「これは、見事な責任転嫁ですねえ。曝そう(w」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・ここまで負けてくれなくても良いのに。w」

わずか15分の間に、その時総督府会議室にいた6名が、返事を読んで怒濤の如く書き込んだ文の数々である。
反応は、大笑いする者と呆れる者に二分された。

即座に第四次爆撃計画が練られ、3月21日0時を以て実行する事が決定された。
基本戦略は、制限事項無し、軽めの爆弾を大量に調製し、「ウリが一番笑えたのはこの回答だったニダ」を晒す事となった。
こうなると、ある意味総督府内での、誰が最も笑えるスレを作るかの競争である。
こういう展開に激しく燃えるのが総督府。
はっきり言って李泰鎮なんかわりとどうでも良いのである。
反対に、詳細な回答の解説は総督府員の各ブログ等で行われることとなった。

また、あまりにも「記者が」という言い訳が多いことから、収集されたマスコミ記事資料の中から、李泰鎮教授本人が出演したKBS、YTNの映像について、それまでアプリケーションのダウンロードを恐れて未確認であったのだが、その内容がようやく確認された。
この時、返事の中でもやはり分からないとされていた(1)の場所について、映像中、李泰鎮教授自身のボールペンが何度も(1)の上を通り過ぎる事に大興奮しているhitkotの姿が確認されている。

尚、送られてきたdocファイルは作成日16日、最終保存日18日であったが、文面上の付日は14日付けとなっており、「ホワイトデーに合わせた日付では?」との憶説が総督府内に流れ、李泰鎮教授に対して「笑いの分かる笑える男」という評価が定着した。
また、この事自体が、文書の付日を以て日韓併合不成立論の根拠の一部としている、李泰鎮教授自身の主張を破綻せしめている事については、恐らく当人は気づいていないであろう。
ワロスwwwwww

これらと同時に、バファリン作戦は所期の目的を達しつつあるという判断に基づき、準備が進められていた朝鮮史の権威カーター・J・エッカート ハーバード大学教授に対して、本作戦内容を送付する計画は、今後の作戦の切り札として温存すべく、無期延期された。

23時54分
回答の一部を元にして、早くもdreamtale日記において解説の第一弾が行われる。
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050318.html

この後、3月21日から27日に渡って詳細解説が行われる。
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050321.html
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050322.html
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050323.html
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050324.html
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050325.html
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050326.html
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050327.html


3月19日
皆睡眠不足から来るナチュラルハイ状態の中、1時45分、突如として猫画像祭りが始まる。

20時。
三悪人が赤坂のクラブで子猫ちゃんとよろしくやっている間に、NAVERに対する最終爆撃の準備は着々と進んでいた。
翌日、自分たちだけ唐で遊んだ上に、高級店の北京ダックを食っていた三悪人にdreamtaleが「皆が必死なときに酒ばかり飲んでいるのはいかがなものか」と苦言を呈する姿が確認されている。


最後の日が迫っていた。


今日はこれまで。



一次史料に見るバファリン作戦(一)
一次史料に見るバファリン作戦(二)
一次史料に見るバファリン作戦(三)
一次史料に見るバファリン作戦(四)
一次史料に見るバファリン作戦(五)
一次史料に見るバファリン作戦(六)
一次史料に見るバファリン作戦(七)
一次史料に見るバファリン作戦(八)



3月9日
相変わらず李泰鎮教授の返事は無い。

暇を持て余したメンバーの雑談の中で、「総督府」という組織について語られる。

「洒落が無くなると、余裕が無くなりますからね。」
「『笑韓』の部分を残しておかないと。」
「『画像』が端的に総督府の性格を表していますね。(笑)」
「伊達や酔狂でなければ、半島の相手などする気になりませぬ。」
「政治ゴロになりたい訳ではないですからねえ。」
「面白いなら、なっても良いですが、ところがそれが面白そうに感じない。」
「政治ゴロねぇ。黒幕をやっておいしい汁が吸えるなら、少しは考えるかもですが。きっとすぐに飽きるだろうなぁ。」
「寧ろ、知らない事を聞いて、調べて、別な知識を得て、途中で余計な知識と画像も得る。まぁ、興味や好奇心の分野ですね。」
「ええ、問題はそこなんですな。全ての基点は学問的探求にありな訳で。」
「松下村塾を目指してる訳ではなく、適塾を目指したい訳で。」
「おお、分かりやすい比喩だ。(笑)」
「ズーフハルマを必死で筆写してる者がいると思えば、豚の脳味噌解剖してる奴がおり、徐にアンモニアなんぞも抽出する。」
「ついでに、幕府と戦ってみたりする(笑)」
「これまでの謬説を信じて踏みつぶされる人は、そこに立ってるのが悪いニダ。(笑)」

「総督府」とはそんな所である。


3月14日
元々、中間報告の期日もとうに過ぎており、しかも「思い遣り」の無い総督府員は、李泰鎮教授の言う「the mid-March」を勝手にホワイトデーと解釈し、15日0時を以てNAVERにおいて再爆撃を敢行する事に決定。
直前になって、全員が総督府内において公開された jpn1_rok0 のIDを使用することが決定される。


3月15日
「時間ですね。」
「投下開始。」
「出動せよ!」

幾度この光景を見ただろう。
再び蹂躙が始まるのかと思ったその瞬間、管理人の削除の嵐と、激しく重いサーバーに行く手を阻まれたものの、1時28分39秒。
( ´H`)y-~~ これが韓国国史科の象徴(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=43026)を以て制圧完了。
大量のjpn1_rok0のIDが並んだ。
かつてNAVERを席捲した匿名ID「1」再び。

「何をしているのか。」と聞けば、「うん?童心に帰ってるだけ。(笑)」或いは「単なる示威行為に過ぎませんよ。」という理不尽な回答に接したであろう。

本物の jpn1_rok0 が言った。
「今日ほど楽しいNAVERは久しぶりだった。」


3月16日
この日の総督府の会話より。

「今後の基本は、コレですよね?→「当面、バファリン関係のスレは凍結」「李泰鎭をバカにするのは当然オープン」」
「ええ、李泰鎮を藤村化する訳で(w」


3月18日
俳句スレを元にして、俳句の話題で盛り上がる。
NAVER上における戦術爆撃以外の時は、こうして全く関係の無い話題で盛り上がる事も多い。

6時20分
米国から速報。
Yale大学の協力者に、ソウル大学から李泰鎮教授へメールを転送した旨の連絡が入る。

21時36分
「( ´H`)y-~~李泰鎭から返事が来たみたいですね」
勿論、kimura である。

「ほうほう。」
「おおおおおう」
「━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ 」
「プロフェッサーキムラキター」
「きました?」
「えーっと、Yale大からのメールが転送された途端に、返事が来たってことかな?」
「ワクワクテカテカ」

「日本語だ」

「ヌゴー」
「キタ━━━━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━━━!!!!!!!!!!」
「( ´ー`) んーーー斜め上きぼん♪」

「すまん。高校生並みの返事だったので一人で読むのは苦痛なので、もう少ししたらアップする。」

「(;´д` ) 高校生並み・・・へーー。」
「大した内容は返せるはずが無いので、むっちゃ安心してられるんですが(w」
「間違えました。ごめんなさい。これも間違いでした。ごめんなさい。(笑)」
「…高校生並だろうと何だろうと、正式な返答として処理しますよ。逃がさねえ(w」
「ブログ書くの中断しようっと。(笑)」
「( ´ー`) 延々と遅れたお詫びとNAVERでの爆撃への非難しか書いてなかったら笑えるな。w」
「無礼です!って?(笑)」
「(´-`).。oO さて・・・これで竹島の話題が醒めた頃に、追い打ちを掛ける材料ができたなと。w」
「まあ、論争じゃないので、何を書いてこようと、全然我々は困らないわけですが(w」
「うpされるまで内容を推理する祭りスタート」
「しかし、外国からメールが届くと、簡単に返事寄越すのね。(笑)」
「間違いは全て、資料提供してきた日本人協力者のせいです。」
「(´-`).。oO竹島のことが書いてあったりするという予想は斜め上過ぎるだろうか。w」
「事大してきたら、それはそれで面白いんだけどねえ。」
「いや・・・さすがに・・・事大は・・・さすがに・・・無いと・・・思うのですが・・・。」
「さて、祭りが始まるのかな?( ´H`)y-~~」


今日はこれまで。



一次史料に見るバファリン作戦(一)
一次史料に見るバファリン作戦(二)
一次史料に見るバファリン作戦(三)
一次史料に見るバファリン作戦(四)
一次史料に見るバファリン作戦(五)
一次史料に見るバファリン作戦(六)
一次史料に見るバファリン作戦(七)



2月22日
報道されたメモと同じ部分の一次史料公開が許可される。

同時に、韓国人側IDにおいても正に総督府が求めていた行動、李泰鎮教授に我々の動向を知らせたとする者が現れ、皆そのスレッドで仲間割れを演出して遊ぶ。
結構大根である。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=42035

また、既に検討済み、且つ李泰鎮教授自身が新発見によって否定した形になっているウェベル報告書を上げる者も現れ、その事を理解できない韓国人IDに対し、総督府内で大爆笑が起きるが、面白いので放置する事に決定する。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=42090
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=42091

一方でこの日、pleasure108によるFLASHが完成。
祭りに華を添えた。
http://soutokufu.s145.xrea.com/index.php?NAVER%C1%ED%C6%C4%C9%DC%B8%F8%BF%AE108%B9%E6

FLASHの文中で、「韓国各紙は、通説を覆す」とある「各紙」は、質問状には故意に朝鮮日報報道しか使用しなかった事に対して、「実は全部見てるよ」というアピールであるのは言うまでもない。
尚、当たり前だが出場キャラクターに関してAvexの許可は得ていない。


2月24日
李泰鎮教授への返信メールを英文により作成。
内容的には、原則として公開質問状に対して2月末日までの回答を要求。
これが実施不能な場合はその理由開示と中間報告を義務付け、これらを怠った場合には回答不能と見なす旨の通告である。
これは、22時に投下された。

また、NAVERにおいて韓国人側ID monkeyblood が公開質問状の翻訳をようやく済ませた。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=42142

質問状が理解できていない処及び彼が李泰鎮教授に送ったメール文が、また笑いを誘ったわけだが、これを以て情報封鎖の意味は薄れ公開質問状の詳細解説が検討され始める。


2月27日
遂に、アメリカyale大からの質問状「総合体4型E-AL」の作成が開始される。
同時に、督促状の送付。

また、この時『バファリン作戦ニ係ル史料全開示ノ方針』が決定された。


2月28日
回答期限の日。
各人、3月1日0時より始まる、晒し上げ祭りの準備に余念がない。

tsubuanによるヤマトスレ(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1079732)、zeongののび太スレ(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=42308)等によって、カウントダウンが進んでいく。
のび太スレにおける「mydearmari : 日 - もはや本筋は二の次なのかと思ってしまうw (02/28 20:08) 」という発言。
割とそのとおりである。(笑)


3月1日
0時00分52秒。
「決行時間となりました。」
「出動せよ!」

号令と共に、サーバーの重さに苦戦しながら総督員達がスレッドを立てていく。

1時49分44秒。
NAVER伝統文化・工芸板(旧カルチャー板)の全画面が、バファリン作戦関連のスレッドで埋め尽くされた。
所謂完全制圧である。


3月5日
18時30分より赤坂で開催された三悪人+1による会議(俗称:カニは人を哲学者にする会議)において、2月27日付『バファリン作戦ニ係ル史料全開示ノ方針』に基づく史料全開示が承認される。

これを受けて、dreamtale日記において公開質問状の解説が4日間に渡って行われた。
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050305.html
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050306.html
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050307.html
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050308.html

また、バファリン作戦従軍記録(http://homepage3.nifty.com/heckel/bafarin/bafarin01.htm)においても順次情報公開がなされていった。


3月7日
アメリカYale大からの質問状「総合体4型E-AL」の最終調整段階。
Yale大協力者に送付される前の段階で、別のアメリカ人協力者がやたらとノリノリで「もっと攻撃的にしていい?」との事。
自主性に任せるが侭にしたところ、かなり有名な学者なら答えないわけないだろうなと脅しの入った文章になった。
この文体には、総督府はほとんど関知していない。

尚、これを受け取ったYale大協力者曰く「Is that possible?(これまじー?ありえねーw)」との事。
言語の壁を越えて、李泰鎮教授に対する理解を共感した瞬間である。
これぞ国際交流。


3月8日
この期に及んで、更に悪巧みをしている総督府。
「すごいなー総督府。こわいなー総督府。(棒読み」
「というか、まだ本気出してないですしねえ、総督府(笑)。」

この時、総督府史上に残る歴史的名言をdanshiariが残している。
「そんな馬鹿な。少なくとも、私は本気で遊んでおりますよ?」

今更ながらに、何の目的もなく、ただ「馬鹿」に向かって「馬鹿」と言う遊び、或いは「嘘つき」に対して「嘘つき」という遊び、間違えている人に対して「それ間違ってるから。(プゲラ」と言う遊びのために、伊達と酔狂で集まった組織であることを実感した。
尤も、伊達と酔狂によって神話を破壊される側には、色々と思うところもあるのだろう。
知ったこっちゃないけどw


今日はこれまで。



一次史料に見るバファリン作戦(一)
一次史料に見るバファリン作戦(二)
一次史料に見るバファリン作戦(三)
一次史料に見るバファリン作戦(四)
一次史料に見るバファリン作戦(五)
一次史料に見るバファリン作戦(六)



そんな土曜日の昼下がり。
kimuranobuo、dreamtale、hitkotの三人で、何故かグラビアアイドル談義が為されていた。

「( ´H`)y-~~いや、女は乳と尻。今のところ、むっちり期の乙葉が良いな。次点磯山。」
「もはや陳腐ですが・・・こんな感じで?」(画像掲示)
「( ´H`)y-~~川村ゆきえかぁ…尻見ただけでわかった。」
「尻見ただけでわかった>・・・やっぱり年季が違う。w 私は誰だかさっぱりわかんね。w」

そんな阿呆な会話が続く中、16時丁度。
突然kimuranobuoが奇声を発した。

「げ。げげげ。」
「げげげげげげげげげげげげげげげげげげげ」
「げげげげげげげげげげげげげげげげげ」
「…事件です」
「…返事来た」

「返事━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ 」
「キタ━━━━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━━━!!!!!!!!!!」


「( ´H`)y-~~正確に言えば返信。ほとんど内容は無いよう。」
「( ´H`)y-~~多くの質問に答えるのに時間かかるから3月ぐらいに返事送るって。」
「えーっと、英語のメールが功を奏したのかな?」
「(´・ω・`) 3月までにしてほしいなぁ。 ま、とりあえず、返信だが、返信じゃないとも受け取れる。素晴らしい返事だ。w 楽しみだ。w 」
「ちなみに英語で返信。」
「日本語は無視されたに一票。(笑)」
「(´・ω・`) 英文mailを開いて詳しく読まずに、「時間かかるから待ってね」と迂闊に返信しちゃったに一票。w」
「今後の戦略を練り直さなければなりませんね。」
「( ´ー`) とりあえず3月中に改めてご回答頂けるという言質は取れたということで。w」

この2通の英文の返信は、すぐさまメーリングリストによって総督府各員に配付された。

「Dear Prof. Kimura,

I received your mail safely. It will take times for me to answer over a dozen of your questions. I will try to send my answers by the mid-March. I want to have some informations on you. I guess you are a historian but need more exact informations. It will be helpful for me to make answers.

Thanks,

YI Tae-jin」

「Dear Representative Kimura,

I found your official title when I opened the pdf file. I will be grateful if you let me know your use of my expected answers. Is it right that you are reqeesting my answers for naver site? It will be helpful for me to make answers if I get the exact information to it. I will send you my answers as soon as possible.

Thanks,

Yi Tae-jin」


要約すると、以下の4点である。
1.3月中旬に回答する予定である。
2.回答の際の参考にしたいので、貴下の身分を知りたい。
3.回答はNAVER(日韓翻訳掲示板)上で公開されるのか?
4.NAVER(日韓翻訳掲示板)に公開するか否の返答があれば、回答を作製する助けとなる。

メーリングリストによって、続々と総督府にメンバーが集結した。

「私の想像を遙かに超えて…バカなのか?」
「なんというか、『基礎的な質問しか無いし、内容的に重複も多いんだから、即答してよ』と、云ってみたいニダ。」
「タイプミス多いなあ。」
「このまま逃がさないようにするのは、どの方向性がいいのかなぁ。」
「最悪、公開討論も辞さぬ構えを固めよう。」
「面白くなってきますた!」

まさか返信があるとは思っていなかった為、多少の混乱は一部に見られたものの、即座に戦略が変更され返信案が練られた。


2月20日
NAVER上で、次々に李教授から返信があった事が報告されると同時に、期限である3月1日に向けて様々なカウントダウンスレッドが立ち並んだ。

ちなみに、この頃から総督府内では何故か熊田曜子ブームが巻き起こっている事が確認されている。


今日はこれまで。



一次史料に見るバファリン作戦(一)
一次史料に見るバファリン作戦(二)
一次史料に見るバファリン作戦(三)
一次史料に見るバファリン作戦(四)
一次史料に見るバファリン作戦(五)



はい、早くも第5回となりました。
jpn氏なんかは過労死寸前とか言ってますが、全くそんなことはございませんのでご安心を。(笑)
では続き。


その時、米国から一本の連絡が届いた。
「英文版の翻訳が間に合いません。」
hermethだった。
皆が凍り付いた。
「爆撃を中止するしかない・・・。」
「日本語版だけで・・・。」
戦術爆撃担当のjpn1_rok0が言った。
「時間がない。無理だ・・・。」
polalisが遮った。
「爆撃を延期するしかなかろう。」
総督だった。

半泣きだったhermethが言った。
「私やるもん。」
itteyoshiが声を上げた。
「英訳は私がフォローします。作戦計画の修正をしてください。」

総督が決心した。
「明日0時丁度、日本語版『総合体4型』を投下する。英語版は後日の投下として、作戦計画を練り直せ。」
zeong、polalis、jpn1_rok0の三悪人を中心に、直ちに作戦計画の練り直しが始まった。
日本語版「総合体4型」の投下は2月14日、英語版「総合体4型E」の投下は2月19日と決定し直され、公開質問状、想定問答等の各種文書に訂正及び校正が加えられた。
尚、この延期した期間中に、趣旨を理解したアメリカ人達の協力を得ることが出来、後日アメリカYale大からの質問状「総合体4型E-AL」の投下について、多大な力となるという副産物があった。

22時。
総督府においては全ての訂正・校正作業を終え、出陣式が執り行われた。

総督による訓辞。
「本作戦は、NAVER上の勝利を韓国本土に拡大し、その妄想の生産拠点たるソウル大学教授の虚構を破砕するものである。
これは、我が国に対する彼らの神話の生産を無力化する上で極めて重要な作戦であり、その嚆矢たる本作戦を決行できることは無上の喜びとするところである。
本作戦の開始に漕ぎ着けたことは、各員の努力と能力、知力によるものであり、今まさにその結晶たる一弾を彼らの頭上に投ずるに至ったことに衷心からの感謝を申し上げる。
しかしながら、作戦目的の達成は、3月1日以降まで予断を許さぬものである。
より一層の協調、努力を期待する。
平成17年2月13日。」

続いて、yasoshimaの発声による乾杯。
出陣式に立ち会った者、総勢17名。
この時、polalisは百済酒で乾杯したと伝えられている。

最後に再び万歳の発声。
ところが、発声の指名を受けたzeongはタイミングを外し、kimuraに指名されなおした瞬間に、zeongが「万歳!」。
間の抜けた出陣式となったのであった。

総督が言った。
「若い者は良い。皆、勝利を信じている。」

出陣式の後も総督府に休む暇は無かった。
総督令第1号が発令され、2月14日0時を以て戦略爆撃隊に対する李泰鎮爆撃命令及びNAVER上における戦闘準備命令が下ったのであった。


2005年2月14日
0時。
kimuraから公開質問状「総合体4型」が李泰鎮教授に向けて投下された。
同時刻。
NAVER上においては、まさに2月14日0時00分00秒丁度、polalisが正確無比に放った「質問状送付ノ件」(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1058840)を皮切りに、次々と公開質問状の投下を知らせるスレッドが立ち並んだ。
「戦術爆撃隊」と仮称された集団が当初NAVERテキスト掲示板のヒストリー板に集中してスレッドを立てた後、画像掲示板の伝統文化・工芸板(旧カルチャー板)に移動。一画面が総督府IDによるスレッドが立ち並んだその様は、2ちゃんねるハングル板で「絨毯爆撃」と呼ばれた。
この際、管理者のスレッド削除に対してmyeloblastは先陣を切って挑発的な画像を多用したスレッドを連続して投稿、自らを囮とすることによって他のIDのスレッド投下を支援した。
この自己犠牲精神溢れる行動は、実は自らが萌えているグラビアアイドルの画像を使いたかっただけだったとも言われる。
いわゆる「熊女スレ」である。

この後、NAVER上においては継続的に李泰鎮関連のスレッドが掲示される事となる。
その際、vip774氏を始めとする、vipper諸氏の協力を得る事に成功している。

総督府各員のブログによっても、公開質問状の投下は告知された。
質問状の概要について説明されたNAVER総督府日報
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473099&log=20050213
質問状の送付されるまでの経緯概要を説明したdreamtale日記
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20051025.html
事前の打ち合わせもなく、自然に役割分担が為されているのはキャラクターの違いであろうか。

同日夕刻。
メールの他に、実際の公開質問状書簡が郵便にて送付される。

同時に米国においては、アメリカ人協力者による「総合体4型E」の校正が進んでいた。
日韓の歴史を知らないアメリカ人にとっても、ページ枚数を数える事が出来ない教授という現実には、激しく笑わずを得なかったようである。


2005年2月19日
この日、14時。
校了した英文による質問状「総合体4型E」が、遂にkimuranobuoから投下された。


一部プロジェク・・・ピーッ・・・や、トラト・・・ピーッ・・・等のパクリが見られる気がしますが、多分気のせいなので、今日はこれまで。(笑)



一次史料に見るバファリン作戦(一)
一次史料に見るバファリン作戦(二)
一次史料に見るバファリン作戦(三)
一次史料に見るバファリン作戦(四)