東学党の乱の連載に飽きて、ネタ話としてちょいと始めた話が続き物になってしまった昨今、如何お過ごしでしょうか。(笑)
お休みして、連載終わってから今回の話やるって手もあったんだけどね。
何かこう、ニヤッとした話を見つけた勢いで紹介しとかないと、後から冷静になって書くの止めちゃいそうなので、勢いのままに。

つうか、ENJOY Koreaを初めKOREAウォッチャー達がアメリカ下院議会での慰安婦の話なんかで盛り上がってる中、こんな我が道を行くで腐れ話書いてて良いのか、ちょっと自分でも自信が無かったりします。(笑)

さて、20年前から朝鮮に居り、医療宣教師って言った方がよいのか、韓国語に精通する医者である一方宣教師でもあり、韓国人に対する金貸しも行っており、ハルバートとは知己であるというアービン。
前回は、田村直臣の「韓国人を教唆して排日的行為を行わせたり、韓国人の暗愚につけ込んで土地を奪ったりという話があるが、マジか?」という質問に対して、「誤解ですよ、誤解。ハハハハハ」という史料まで見ました。

ってことで今日は、1909年(明治42年・隆熙3年)10月5日付『高秘発第261号』より。

耶蘇教事故

一.慶尚南道
常に排日的言論を弄する耶蘇長老教宣教師にして医師たる、釜山草梁坂の上居米国人アービンは、素質狡獪にして、曾て昨年中も土地売買に関し密陽郡主事に暴行を加へ、郡衙の器物を破壊せしことありしが、常に金銭を貸与して高利を貪り、人を■つに感情を以てし、或は信徒を殴打し、或は入院婦女患者を姦する等の行為あり、漸次信用を失ひつつある折柄、頃者其使用中の有夫の看護婦と通ぜる密事、本夫及信徒の知る処となり、信徒中の有力者はアービンの罪状を具して、長老教平壌宣教師に処分を申告せり。
同教監督ブラウン及在京宣教師4名は、去月20日アービン宅に臨みて実否を調査し、将来金銭貸与を為さざること、看護婦を直に解傭することに定め、事件を落着せしめたり。
然るに信徒は、アービンを処分せざるを不法とし、極力排斥運動を開始せりと云ふ。
常に排日的言動を行っている、釜山に住む長老派の医療宣教師アービンは狡猾な奴で、昨年中にも土地売買に関して密陽郡の主事に暴行を働き、郡衙の器物を損壊した事がある、と。
まぁ、状況が良く分かりませんが、それにしても暴行に器物損壊って、ねぇ?(笑)

で、いつも金貸しで高利を貪り、感情で動き、或いは信徒を殴りつけ、或いは入院している女性患者にワイセツ行為を働く等があり段々信用を失っている時機に、病院で働く既婚の看護婦と密通した事がその夫と信徒にバレ、信徒の中の有力者がアービンの罪状を添えて、平壌の長老教宣教師に処分申告をした、と。

長老教の監督ブラウンと、在京城の宣教師4名が9月20日にアービンの家で実否調査し、その結果金貸業を止める事と、看護婦を直ぐに解雇する事に定めて、事件を落着させた。
しかし信徒は、アービンの処分を行わない事を不法として、排斥運動を始めたという、と。

前回の話が本当はマジなのか、実際に誤解なのかは分かりません。
しかし、処分の中身から見れば、金の貸し方に何らかの問題があったり、自分の病院で働く看護婦に手ぇ出したってのは本当なのではないか、と。
尤も、金の貸し方については、借りる方が韓国人ですからねぇ。
韓国人側の誤解という線も捨てきれない。(笑)

ってことで朴泳孝やらハルバートやら田村直臣やら、有名所の名前に引かれて少し調べた結果、割とくだらない話で終わっちゃったアービンでした。

で、終わるのもアレなんで、後半部が欠落しているんですが、ちょいと1909年(明治42年・隆熙3年)10月5日付『高秘発第261号』の続きを取り上げて見たいと思います。

一.慶尚北道
去月26日、慈仁邑開市日は、韓人の盂蘭盆の前日に相当せしより頗る雑踏を極めしより、巡査は其取締に出場中、慶山耶蘇普新学校教師崔載禹は生徒32名を引率し来りて、唱歌を唱へつつ立錐の余地なき市場に回転して商品を踏破し、妨害を為すの状あるを以て注意を加へたるに、耶蘇信徒は韓国政府の支配を受けずと主張し、尚暴行を継続せんとせしより、駐在所に引致せり。
然るに其非を謝し、悔悟の状現はれたるを以て、説諭放還せり。

一.江原道
米国人耶蘇宣教師にして医師たる、オールテイ・シーノース(27年)は、妻メレーメース(25年)を同伴し、春川郡府内面耶蘇教会堂に居住し、布教の傍ら医業を開始せりと。

一.咸鏡南道
耶蘇監理教は、元山里に中学校及女学校設立の計画を樹て、前者の位置を祭洞に定め、工費金4万円、3ヶ年継続事業とし、既に地盤築造を終了し、後者は位置を其東北 (以下欠文)
江原道と咸鏡南道については、そのままなので省略。

で、慶尚北道。
慈仁邑で市が開かれた9月26日は、韓国人の盂蘭盆の前日に当たり非常に混雑していたため、巡査がその取締りに出場していたところ、慶山の普新学校教師崔載禹は生徒32人を引率して来て、歌を歌いながら超満員状態の市場を回って商品を踏み荒らし、商行為を妨害したため注意したところ、「キリスト教徒は韓国政府の支配は受けない!」と主張してさらに暴行を継続したため、駐在所に連行。
しかし、その非を謝罪して悔悟しているようなので、説教して解き放ってやった、と。

一昨年の7月24日のエントリーでは「教師たる身分上、官庁に召喚せらるる義務なし」。
同じく一昨年の8月6日のエントリーでは「韓民にして我教徒たるものは我教会の保護に依り、濫りに官憲制肘を受けず、生命財産の安固を保障し、且つ已往の罪悪と雖ども其罪を逃るを得ん」。
同じく一昨年の10月20日のエントリーでは「教徒は納税の義務なし。又本年度結税は金12円なるも、実際金8円を納付せば可なり。若納税の義務を免れんと欲せば、速に耶蘇教に入教するに如かず。」。
昨年の1月10日のエントリーでは「外国の圧迫を免るるには耶蘇教に入るの外、道なし」&「耶蘇教徒は、官憲の干渉を受くることなし」。

プロテスタント系宣教師の様々な名言の中に、また一つ。

耶蘇信徒は韓国政府の支配を受けず

結局、アービンの話よりこっちがメインかもと、今思った。(笑)


今日はこれまで。



アービン(一)


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んとねー、ちょっと東学党の乱も飽きたので、今日はお休み。
で、表題の人物。
ちょっと史料を流し読みして引っかかった人物なので、先日ENJOY Koreaで「■アービンに関する私的メモ」というスレを上げました。
結局、掘り下げないで、くだらないネタ史料の紹介として終わらせ、東学党の乱に戻る予定。
まぁ、将来的に発展するかどうかは分かりませんが。

ってことで史料を再掲します。
釜山の松井理事官から伊藤への、1907年(明治40年)6月9日発『来電』より。

今日書面遅れた故電報す。
アービングは20年来当地に在りて、韓語に精通し医を業とし、病院を設け韓人患者を収容し傍ら宣教師の職に在り、韓国人に対し金貸業をも営み、過日も当庁に来り、自分はハアバードとは予て知合の間柄なるも、同人は統監の政治を妨ぐる者なる故、其の意見に反対なるを以て、予て同人の所有に係る京城市原第一銀行総支配人附近の土地3、4,000坪は、之を売却するの意思ある故、自分はハアバードとの契約上之を処理し得るに依り、此の際寧ろ之を統監府側に買受られ、ハアバードをして再び渡韓するの念慮を絶たしむる様盡力を請ふと申居たる処、今回測らずも朴が同人方に止宿せしより察するときは、何等かの原因伏在するならんと認めらる。
委細書面。
日本に亡命していた朴泳孝の密入国に関連した話です。

ちなみに、2005年の7月4日のエントリーという、自分で書いたのに自分で忘れるくらい古い記事で、伊藤が「帰国の真意は政治上の動機に在らずして、寧ろ憐憫ずべきの情状あるを信じ」、1907年6月21日付『機統秘発 第12号』で、高宗に朴泳孝の「帰国の顛末を稟奏し且つ特赦の典を施されしことを求め」たのは、日付から見ても分かるとおりこの史料の直後であり、翌7月には朴泳孝は宮内大臣になったりするわけです。
今回の史料では、当然高宗の特赦が下りていない段階の入国ですので、その朴泳孝をかくまっていたのがアービンという形ですね。

ちょっと脱線しましたが、そのアービンは20年前から朝鮮に居り、韓国語に精通して医療を生業とし、病院を設立して韓国人の患者を収容し、一方で宣教師であり、韓国人に対する金貸業も行っているという人物。
google先生によれば、東莱郡に癩病院を建てたのも彼らしい。(史料未確認)

で、先日も釜山理事庁に来て、自分はハルバートとは以前から知り合いだが、ハルバートは統監政治を妨害する者であり、その意見には反対である、と。
んで、以前から彼が所有している土地3~4,000坪を売却する意思があり、自分はハルバードとの契約上これを処理する事が出来るので、この際寧ろこの土地を統監府で買い受けてもらい、ハルバートに再渡韓をする考えを絶たせる様に尽力を願う、と。

この史料中のハアバードは、ハーグ密使事件への関与や『朝鮮亡滅』の著者として有名な、あのホーマー・B・ハルバート(Homer Bezaleel Hulbert)の事で、勿論この頃はハーグ密使に関係して、あちこちの国を回ってる頃。
その話と、朴泳孝の動きとが気になって、スレをたてたわけです。

で、そのアービンについて調べていると、結構面白い史料があったので、書いておこう、と。
ってことで、ネタに走ります。(笑)
まずは下準備。
釜山の理事官亀山理平太から、統監府外務部長の参与官鍋島桂次郞への、1909年(明治42年)6月11日付『釜発第971号』より。

アービンの行動に関する件

去る9日渡韓せし、東京数寄屋町メソヂスト教会牧師田村直臣は、当港坂の下居住宣教師アービン方に一泊中、アービンと左の如き談話を為したり。

一.田村曰く、貴師の言行に関し我母国民が非難する所を聞くに、貴師は韓民を教唆して排日的行動を為さしめ我対韓政策を阻害中傷し、或は韓民保護名実の下に、韓民所有の土地家屋を自己の名義に書替へ、彼等の暗愚を奇貨としてその土地を横奪し、或は我海軍々用地買収に対しても、韓民を煽動して其の計画実行を妨害する等の行為ありと。
果たして然る歟。

一.アービン答えて曰く、自分の行動に対しては貴国官憲より常に注意を払はれ居るものなるも、自分に於ては毫も前記の如き批難を受くべき行動なし。
尤も、韓人等が貴国人より領有せられんとする土地等を取戻し、保護せる等の事実は往々有之も、韓人より土地を横領せるが如きは断じて之れなきを誓ふ。
自分は、以上の如き行為なきにも拘らず、貴国官憲及貴下等に至るまで悉く自分を誤解し居らるるは、甚だ迷惑を感じ居る次第なり。
然して、貴国官憲及貴下等に誤解を受け居ると同様に、依然韓国民にも誤解され居れり。
現に過般女学校新築落成式の際、日米韓の3国国旗を交叉掲揚せしに、韓民の多数は自分を批難して曰く、韓国民の為め韓国に於て米宣教師が其の式を挙行するに、日本国旗を交叉するの必要を認めず。
宜しく之を撤廃すべし。
従て、日本官憲等を招待するの要なしと逼りたるも、自分は日本が韓国に対し宗主権あるを承知する処より、彼等の彼等の反対を直に打破したる事あり。
自分の考ふる処に依れば、統監政治は頗る緩慢の傾きあり。
之を云はしむれば、韓国政府は宜しく現在の韓官を一掃し、代るに日本人を以て之に充て、以て根本的改革を為すにあり。
従来の如き韓官一輩を政府枢要の地位に置くが如きは、対韓政策上甚だ不得策なるを信ず。
故に現在の韓国腐敗大官を悉く免黜して、日本官憲を以て迅雷風烈的に韓国政治の改革、其他諸般の経営を断行施設せしむることは、雙手を挙げて同情を表する所なり。

一.田村は以上の答弁を聴て更に曰く、貴師の意を了す。
貴師の言に依れば、日本官憲及国民などに誤解せられ居りたるは事実なるが如し。
併し、今日に至て余は其の相違の点を氷解せり。

一.然して終りに臨み、アービンは左の如く云へり。
日本が韓国に対し、確的に物質上の宗主権を認むるも、霊界には何等宗主権を認めず。
従て、韓民に対する宗教伝道の上には、日本の干渉を許さずと云為せり。

右報告す。
東京数寄屋町メソヂスト教会牧師田村直臣とは、その筋で「日本の花嫁事件」で有名らしい牧師さん。
彼が渡韓してアービンの家に一泊している時の談話、と。

田村は、アービンの言行に関して日本国民が批難している事を聞けば、アービンは韓国人を教唆して排日的行為を行わせ、日本の対韓政策を阻害し中傷し、あるいは韓国人保護の名目で、韓国人の所有の土地家屋を自分の名義に書き換え、韓国人が暗愚なのを奇貨としてその土地を奪い、あるいは日本の海軍軍用地の買収に対しても、韓国人を煽動して計画実行を妨害する等の行為があるという事ですが、本当ですか?と。

これに対してアービンは、僕の行動は日本のポリスから常にウォッチされているけど、少しもそういう批難を受けるべき行動はしていないんだ、と。
まぁ、自分で「自分はハアバードとは予て知合の間柄」なんて言っちゃってるんで、当然普段からマークされてるんでしょう。

で、韓国人達が日本人に領有されようとしている土地を取り戻して保護したなんて事はちょくちょくあったけど、断じて韓国人から土地を横領したような事は無いさ。
そういう行為が無いにも拘わらず、日本のポリスや君なんかに至るまで僕を誤解している事には、とても迷惑を感じているんだ。

そして、日本のポリスや君に誤解を受けているのと同様に、いまだに韓国人にも誤解されてるんだぜ?
少し前になるけど、女学校の新築落成式の時に日米韓の3国の国旗を掲揚したんだけど、韓国人の多数は僕を非難して、韓国人のために韓国でアメリカ宣教師が落成式をするのに、日本国旗を掲揚する必要を認めない。
これを撤廃しよう。
だから、日本官憲等を招待する必要も無いと迫ってきたのさ。
僕は、日本が韓国に対して宗主権を持っているのを分かっているからね、彼等の反対を直接打破したんだよ。

僕の考えによれば、統監政治というのはとてもスローペースな傾向があるね。
韓国政府は、今の韓国人の役人をリストラして日本人に替え、それによって根本的な改革をした方が良いと思うんだ。
これまでのような、韓国人官吏を政府の重要な地位に置くようなことは、対韓政策上とっても愚かな事だと思うね。
だから、現在の韓国の腐敗した政治家を総て辞めさせ、日本の官憲で素早く韓国政治やその他色々な経営についての改革を断行するのは、僕は両手を挙げて賛成するよ。ハハハ

これを聞いた田村は、貴方の意図を了解しました。
貴方の言葉によれば、日本の官憲や国民が誤解しているのは事実のようです。
今日、お話を聞いてその相違点を理解しました、と。

最後にアービンは、日本が韓国に対して物質上の宗主権を持っている事は認めていますが、霊界にはどんな宗主権も認めません。
だから、韓国人に対する伝道には、日本の干渉を許しません、と。
霊界と聞くと、無条件に故・丹波哲郎が思い浮かぶのは、どうにかならんもんか。(笑)

さて。
こうして田村の誤解を解いたアービンですが・・・。


今日はここまで。



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9月4日のエントリーで終わった筈の表題の連載ですが、唐突にちょっと補足しておこうかと。
まぁ、何つーか以前アジ歴を流し見してた時に、たまたま目にとまっただけの史料を、忘れないウチに書いておこうと思っただけの話なんですがね。(笑)

話としては、以前NAVERで「■たまには真面目に韓国人に質問(日本人可)」というスレを建てたり、naver007氏による「■1899年♪逮捕された李承晩の罪状」というスレが建てられた件に関して、主に李承晩の逮捕の遠因となったと思われる、中枢院とか朴泳孝の話について。

時期的には、「帝国の迷走(三十七)」で李承晩が1898年(明治31年)11月28日に中枢院の議官となり、その後加藤増雄が韓国に戻って来た、丁度その頃。

ってことで、、昨年の1月20日のエントリーでやった「その男、李承晩」の続編として取り扱うか、「帝国の迷走」の続きとして取り扱うか、かなり迷ったんですが、取り扱う史料の一つ目に李承晩の記載が全く無いため、こういう形となりました。
話としては、長期に活躍する人物中心の方が後で楽かな、とは思うんですけどね。
致し方なし。

前置きが長くなりましたが、アジア歴史資料センターの『公文雑纂・明治三十二年・第六巻・枢密院・枢密院、宮内省・宮内省、外務省一・外務省一/朴泳孝召還ノ建議ニ関スル件ニ付在韓国京城加藤公使ヨリ報告ノ件(レファレンスコード:A04010049100)』から、1898年(明治31年)12月27日付『発第88号』を見ていきます。
一応、まだ使用できませんが、以前同様に画像リンクも付しておきますね。

朴泳孝召還之建議に関する件

客月29日、万民公同会員及負褓商等より50名を中枢院議官に任命したる以来、同院は殆んど民意の渕叢とも称すべき姿を呈居たるに、去る16日、同院に於て目下時勢の岌■なる宜しく人材を投票して、其推薦を議政府に致すべしとの議成立し、11名を投票したるの結果、朴泳孝・徐載弼も其内に加はり居たり。
議長李鐘健は、朴は法律上の身の上なれば、陛下の聖慮に非ざるよりは、吾々より許す能はざるべしと主張したるも、此反対説は多数を制する能はずして、竟に之れを議政府に推薦することとなり、朴・徐2氏には特に参考意見書を添付回送に及べり。
8月24日のエントリーを見れば、中枢院議官の任命は11月28日になるんですが、高宗実録や官報等を見るに、今回の史料通り11月29日の方が正しいようです。
で、万民共同会と褓負商などから50人が中枢院議官となって以降、民意の中心地となった感がある、と。

そんな12月16日に、中枢院で現在の情勢に対応できる人材を投票して、それを政府に推薦しようという議案が成立するんですね。
「11名を投票したるの結果」というのが、投票の結果11人が選ばれその中に朴泳孝と徐載弼が居た、と。
ちなみに光武2年12月22日の『皇城新聞』なんかによると、選ばれたのは閔泳駿・閔泳煥・李重夏・朴定陽・韓圭卨(咼の上にト)・尹致昊・金宗漢・朴泳孝・徐載弼・崔益鉉・尹容求の11人ってことになってます。

で、この時の中枢院議長の李鐘健は、「いや朴泳孝って犯罪者でしょ?高宗がよしって言わなきゃ、僕らが許すって駄目でしょ。」と反対するんですが、結局この反対説は押し切られて、朴泳孝等を議政府に推薦することになるんですね。
そして、朴泳孝と徐載弼については、特に参考意見を添付して推薦するわけです。

タイミング的には、加藤増雄が帰韓し、高宗に謁見した翌日になりますので、もしかしたら9月1日のエントリーで加藤が「民会も亦之を機会として官民軋轢問題の解決を見んとするものの如く」と観察したように、日本の援護を期待していたのかも知れませんねぇ・・・。

即ち、朴氏の分は左の如し。

朴泳孝は開国504年閏5月14日の詔勅中に、「陰に不軌を図り、事已に発覚す。法部に令して厳核罪を正さしむ」とありしも、光武2年6月26日詔勅中、「甲乙の変乱を経てより以来形迹に拘り、良材美器ありと雖も埋没して試みず、以て畢生抱冤して抑欝伸るなきを致す。是れ豈王道蕩平の意ならんや。曖昧或は逐れ或は弾に遭ふ者と並に釋宥を行ひ滌垢蕩新す。疑を懐き、畏縮せしむるなく、各弾竭の誠を盡せ。今日より一賞一罸或は濫施するなく、悉く公議を附す」との特赦ありたるにより、右両度の詔勅を准拠縄照し、合せて光武2年10月30日、官民公同会より上奏して実施の允勅を蒙りたる6條中、第4項「今より始となし、凡そ重大の罪犯を公辨し、被告が到底説明して究竟自服したる後施行すること」なる條件あるにより、之に拠り拿還公辨したる後、罪あれば則ち国法に処し、罪なくんば則ち或は陞用を得ん。
乃ち、罪あれば国法に処すべく、罪なければ重用するも不可なきに付、兎も角朴氏を召還すべしと一決したるものの如し。
ってことで、朴泳孝に関する参考意見に入ります。

冒頭の詔勅は、陰暦記載なのでアレですが、1895年(明治28年)7月6日の朴泳孝が閔妃暗殺を図ったとして逃亡することになる、所謂朴泳孝事件の際の詔勅に当たります。
高宗実録32年閏5月14日の「陰圖不軌 事已發覺 方令法部厳覈正罪」ですね。

で、そういう詔勅が出てるけど、光武2年(1898年)6月26日の詔勅中で、簡単に言えば甲申事変とか乙未事変以来、過去の話に拘って良い人材を登用しなかったから恨まれちゃったりしたけど、曖昧に排斥されたり糾弾されたりした人は、皆容赦してあげるから、疑いを懐くとか萎縮したりしないように、真心をつくしなさい。
今日からは賞罰の濫用しないで、全部公平な議論するからって、特赦あったでしょ?とか言ってるんですが、間の「乱逆之罪関宗社者 在法罔赦 非朕一人所可低昻」は抜けてるし、ウリには朴泳孝がこの特赦に該当するようには見えないnida・・・。( ´H`)y-~~

というか、この1月ほど後に7月24日のエントリーのような、「臣民一般の希望も、此時を失はず広く人才を登庸し、進んで非政の改革を行ひ、大に国力の発達を図らんとするにあれども、兎角陛下は之が為め痛く其権力を剃がれんことを恐れ、却て少壮の有力者を遠ざけ非政■依然益々甚しき」として譲位上疏未遂事件が起きたように、いつもの【言ってみただけ詔勅】でしょうしねぇ。

それは兎も角、この詔勅と光武2年(1898年)10月30日の6条目の第4条に、今後重大な事犯罪は別途公に弁論を行って、被告に説明して納得した後行うことという条件があるため、これによって捕まえて議論した後、罪があれば国法で罰するし、無ければもしかしたら任用されるかも知れないから良いじゃん、って話ですな。
それを特赦って言うなら、さっきの詔勅の話も分からないでもないな。

ちなみに、この「6条件」は勿論8月10日のエントリーで万民共同会が高宗等に強要して、結局どれも施行されずに【言ってみただけ詔勅】となって、万民共同会の運動が再発するやつね。(笑)


途中ですが、今日はこれまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一) 帝国の迷走(四十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二) 帝国の迷走(四十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三) 帝国の迷走(四十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四) 帝国の迷走(四十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五) 帝国の迷走(四十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六) 帝国の迷走(四十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七) 帝国の迷走(四十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八) 帝国の迷走(四十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七) 帝国の迷走(三十七)
帝国の迷走(十八) 帝国の迷走(三十八)
帝国の迷走(十九) 帝国の迷走(三十九)
帝国の迷走(二十) 帝国の迷走(四十)


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今日も昨日に引き続き手抜き。(笑)
で、今回は書堂管理に関する件。
これ、昨年の10月2日のエントリー及び10月4日のエントリーで取り上げたわけですが、その話。

その際には、『西北学会月報』隆熙2年(1908年)9月1日版"官報摘要"を元に記載したわけですが、官報そのものがありましたので、そちらを見てみましょうって事ですね。
つうか、官報シリーズになりかけてるな。(笑)

表題の件が記載されているのは、1908年(明治41年・隆熙2年)9月1日付の官報。

書堂1 (クリックで拡大)

画像にあるとおり、私立学校令と同じ官報内に記載されている事になります。
ではその部分、6枚目と7枚目を見てみましょう。

書堂3書堂2 (クリックで拡大)

冒頭、字が少し欠けていますが、この直前に記載されている訓令が学部訓令第2号ですので、今回の書堂管理に関する件は学部訓令第3号になると思われます。
で、学部訓令第3号として、書堂管理に関する件が1908年(明治41年・隆熙2年)8月28日付で出されたという事になります。
さて、今回もこれで終わるのはアレなので、前回同様テキストに起こしてみます。

学部訓令第3号  道府郡

教育의要■使人으로為人의道■知케■며社会의幸福을増進케■인故로此■施設■에不可不時勢의変遷을隨■야実地에適用케■지라書堂의教育은我国旧制에属■야其沿革이雖久■나但依然히尙古의風에泥■고開明의事物에疏■야単히漢文学의肄習을事■고毫末도処世上必須의智識技能을與■기에努力치야니■야使学童으로唯其精力을徒勞■고歲月을徒鎖■에終■니此■人을利케■고世을益케■■所以의道가아니라或者書堂廃止의議■唱■도蓋亦無怪나然■나書堂은新教育의普及을隨■야不廃自廃■에帰■지라唯現今我国教育上施設이尙未完全■時에多数의書堂을一時廃止■면許多의児童으로忽然히其修学의途■失■■結果가生■리니是亦軽断키不能■지라書堂으로其授業을廃止케아니■진■又其現狀으로委置■은不忍■니使書堂으로其事情의可得■기■지■其施設을新式的改良을加■야導近実用케■이機宜에適合■으로信■야本大臣茲에書堂에対■管理上要項数件을挙■야示■노니地方官은此趣旨■善体■야指導監督의方策을勿愆■기■期■이可홈

一.書堂所在地에普通学校의設置가有■境遇에■其地方子弟로普通学校에入学■年齡에達■者■為先普通学校에入学케■을常例로■야書堂에셔其普通学校에入学■을 妨礙■거■又■普通学校에転学■을抗拒■■等聖가無 ■을要홈 但其地에普通学校의設置가無■거■又■有■야도設備上에取容■余地가無■境遇에■此例에依■을不要홈

二.書堂에셔課■■学科■漢文으로為主■나国語의処世上必要■은決코漢文에不譲■지라故로書堂中其事情의拘礙된이無■者에게対■야■国語■加設■을勧奨■이可홈

三.漢文教授의実況을観■즉音読에만努力■고其意義■解得케■■事가無■者가居多■니如斯■면智識啓発과徳性涵養에資■이無■야修習多年이라도所得이甚少■지니自今以後■智徳開進上에留意■야教授方法을改良케■을要홈

四.一般書堂은学童의体育에留意치아니■고専히古来習慣 을株守■야黎明으로브터日暮에至■기■지端坐■야学習에勞力케■■바従来와如히漢文音読에만専工■면或不可치아니■다謂■겟시나苟其教授의目的을智徳開進上에置■야心意의作用을複雑케■時■長時間에学習은学童의心身을害■■慮가不無■즉教授時間은学童의身体와脳力에鑑照■야適當히減縮케■을要홈

五.学童의規律及風儀에対■야도一般書堂은此를軽視■과 如■바自今以後■菅理薰陶上에留意■야年少時代에善良■習慣을養■에用力케홈이可홈六書堂에教室과其他設備의完全■者가殆無■바就中狭隘■室內에多数■学童을雑居케■야採光換氣와其他衛生上의注意■缺■■等事■発育期에在■児童의身体■害■이不尠■즉教室의規模가狭小■書堂에셔■学童으로■야곰交替出入케■며窓戶■開放■야採光通風을満足히■고內外■酒掃■야清潔整頓을期케■을要홈

隆熙二年八月二十八日 学部大臣 李載崑
さすがにハングルは読めんので、見えてる漢字から大体の内容を超訳。


教育の施設は、時勢の変化と共に、実地においても変わっていく。
書堂は韓国の古い教育体制下にあるものであり、未だに漢文学を教えているが、処世上必要な知識技能を教えるようにしなければならない。
ある者は書堂を廃止すべきだと言うが、新教育がまだ普及していない現状、廃止してしまえば生徒達が学ぶ機会を失ってしまう。
そこで、書堂を廃止せずに改良を加え、時宜にあった教育環境を整えるため、管理上の要項を決めますよ、と。

1条として、普通学校が近くにある場合、入学の年齢に達したらまず普通学校に入学させるようにして、入学や転学を邪魔しちゃ駄目よ、と。

で、問題となる2条では、漢文だけじゃなく国語科も設置勧奨。
勿論、10月4日のエントリーで取り上げたとおり、大韓帝国の官報に「国語」と記されているわけですから、この場合の国語科が指すのは韓語(朝鮮語)又はハングルの教育課程であって、「日本語教育を加えるように圧力をかけた」とする稲葉教授の主張と、そこから導き出されている結論は、明確な間違いですね。
おまけに、「勧奨」ですし。(笑)

3条は、漢文を音読させるだけじゃなく、その意義を理解できるようにして、智識啓発や徳性涵養が行われるように、教え方を改良しなさい、かな?

4条は、勉強だけじゃなく体育もさせ、長時間の授業は負担になるから適当な時間に短縮しなさい。

5条では、規律及風儀等を一般の書堂では軽視しがちだけど、少年時代に善良な習慣を養うように、と。
設備面においても、書堂は狭く多数の児童が居る事から、採光や換気を良くし、その他衛生状態等に気をつけなさい。


こんな感じかな?

ってことで、こんな当たり前の話を、フィルターかけて「日帝は悪辣だ!」に変換する人が居るわけで。(笑)
困ったもんですなぁ・・・。

┐(´ー`)┌




前置きが長いのも何だとは思うんですが、最近のこのブログのように、何も前置きが無いのもどうなんだろうと思っているdreamtaleです。
ども。

ってことで、今日も「警察事務概要(保安課の部)」から、併合前のキリスト教の状況について。
アジア歴史資料センターの『韓国警察報告資料巻の3(レファレンスコード:A05020350600)』、460画像目から。

(ホ)信徒の感想

30余万と称する信徒中、誠に洗礼を受けたるものは寥々たるものなりとは、宣教師自ら口にするところにして、彼等の入教する者の中、前項記載の如き口実を信じ入教する者少なからず、真に宗教を解して入教する者は比較的少しと云ふも不可なかるべし。
則ち下等者は、耶蘇教信者たるときは、仮令日本の領土に帰するも其圧迫を受くることなく、生命財産は安固なりと信じ、青年者若くは中流以上の者は耶蘇学校に入り文明の教育を受くるの便あると、一は又耶蘇教に依り国権の恢復を図らんと夢想するにありて、教会堂は排日的私憤を慰する好適の場所とせられつつあり。
彼の長老教会派の如き、京城に於て上流信徒を網羅し、地方にありては非常の勢を以て発展しつつありて、入教者益増加する所以は、日本の発展に抑圧し得るは米国の外にあらずとの感想を与へたる結果なりとす。
いや、だから、前回のような勧誘があったにせよ、「日本の領土に帰するも其圧迫を受くることなく、生命財産は安固なり」と何故思えるのかが、激しく疑問なわけですが。
おまけに「耶蘇教に依り国権の恢復を図らん」って・・・。(笑)
自分達の都合の良い情報だけを信じる、或いは思い込むのって、今に始まった話じゃないんだなぁと痛感。

(ヘ)信徒の職業大別

京城に於ては、長老教会派は、前記の如く京城に於て上流信徒を有するも、其他は中流以下の者に多し。
地方に在りては、多数は農民なり。
儒生、両班輩は、之を異教として今猶排斥する傾向あり。
之を概括して言へば、信徒中農民最も多数を占め、学校生徒及商人等之に次ぐが如し。
儒生、両班は相変わらずだ、と。
まぁ、儒生から儒教取ったら儒生じゃなくなりますけどね。(笑)

(ト)宣教師布教上成功の原因

宣教師が布教状に於ける成功の原因は種々あるべしと雖も、之を畧記すれば、

(一)医業を以て臨みつつあること。
夫の17年の乱に「ドクトル・アーレン」が、故王妃の従兄閔泳翊の負傷を全治せしめたる縁故より、米国医師は宮中に出入するの機会を得、同時に韓人上下に信用を博したるが如し。

(二)教育に力を注げること。
彼等が煩労を厭はず子弟を教育し、傍ら教義を注入する、頗る熱心なるものあり。

(三)青年解を設け、青年子弟を集め、其勢力を扶植せること。

(四)聖書其他の教義書を平易に韓訳して、弘く各地に頒布し、僻陬地と雖も到るところ書店に聖書の陳列を見ざるなき状況なること。

(五)各教派一致して円満なる関係を保ち、教派の如何に拘はらず相提携し、布教に努めつつあること。

(六)何れも良く韓語に通じ、意思疏通を図りつつあること。

等なりとす。
「ドクトル・アーレン」ってのは、ホーレス・ニュートン・アレン(Horace Newton Allen 韓名:安連)を指し、京城米国公使館付医師として1884年(明治17年)に来韓したとされている人物。
1894年(明治27年)には教会を辞め米国公使館書記官となり、その後総領事・代理公使などを歴任する事となります。

17年の乱とは、金玉均の起こした甲申政変の事であり、彼が来韓して間もなくこの事件に遭遇した形になります。
この時閔泳翊の命を救った事によって西洋医学が認められ、1885年には広恵院が建てられアレンが招聘されたんですね。
まぁ、いくらこの時西洋医学を導入しても、その後皇太子妃に戸板を煎じて飲ませる国ですけど。(笑)

で、それ以外には、今までの記述とダブる部分も多く、突っ込みようが無い。(笑)
この次ぎが、連載冒頭の表ということになります。

さて、前回の連載と今回の連載に使用した「警察事務概要(保安課の部)」。
まだまだ続いており、(4)の両班・儒生の項目では両班の数なども見ることが出来、なかなか面白い。

他にも、新聞に関する事や暴徒の数、犯罪に関する事など様々な面白い統計があるんですが、いかんせんページ数が多い。
キリが無いため、ここで切り上げさせて貰う事をお許し願いたい。
ネタに困ったら、再び取り上げるかもしれないけどね。(笑)


併合前のキリスト教団体状況(了)



併合前のキリスト教団体状況(一)
併合前のキリスト教団体状況(二)
併合前のキリスト教団体状況(三)



今日も、「警察事務概要(保安課の部)」からキリスト教団体の状況を見ていきましょう。
では早速、アジア歴史資料センターの『韓国警察報告資料巻の3(レファレンスコード:A05020350600)』の457画像目から。

基督教青年会
此団体は、米国人「ジレツト」の主宰に属し、韓国青年間に多大の勢力を有す。
本会は、宗教と共に教育に重きを置き、儒教を打破して上流者間に基督教義を注入し、同時に、基督教を以て韓国青年の思想を支配せんことを期し、会勢の拡張発展に努めつつあり。
故に、苟も有識の青年にして青年会たらざるを耻とするの状況なり。
基督教青年会の入会者は、調査票には載っていない。

9月27日のエントリーの1908年(明治41年)12月28日の政況報告では会長がターナー氏だったわけですが、この頃には「韓国に野球を伝えた男」とされる「ジレット」が中心になってたようです。

あんまり突っ込み所もないので、先に進みます。

教派中、前記の外英国宗聖教会、露国正教会、英国福音教会等あるも、信徒多数ならず。
ってことで、団体に関する説明はここで終わり。
続いて、キリスト教の全体的な話になってきます。

(ハ)布教の状況

韓国に於ける耶蘇教新派が、昨年100万の信徒を得んと決議したる以来、中央地方各宣教師・韓人牧師以下、信徒の活動は実に盛んにして、地方民の之に対する感想は、又頗る注目に価するものあり。
今、地方一般状況を綜合すれば左の如し。

耶蘇教新派は、韓国に於て100万の信徒を得んと決議し、昨年末来各地に於ては非常の熱心を以て活動を開始せり。
其布教の方法は、教会堂に於て布教演説を試むる外、深く僻陬の地に入り、小冊子を配付し、路上演説を試み、又、韓人牧師をして区域を定めて布教に従事せしめ、或は信徒をして入教勧誘に当らしめ、尚査教会(聖書講習会)を開催して信徒を集め、蓄音機其他の設備に依り会衆慰楽の方法を講じ、聖書の講習、説教を為す等、熱心従事し居れり。
本年の査教会の如き数日に渉り、其集合せん信徒数千名に達せし個所もありと云ふ。
従て入教者甚多く、正確なる統計を得ざるも、昨年に比し其増加数18万名を下らざるべしと云ふ。
ん。
入信した者が多く、正確な統計は得られて居ないらしい。
これまで取り上げてきた人数も、それ以上の数になる可能性があるって事かな?
それとも、増加数に関する正確な統計がとれていないって事かな?

どちらにしろ、従来はかなり怪しい勧誘方法も行われていたわけですが、至極真っ当な勧誘方法が主になっているようで。
1909年(明治42年)7月12日の『韓国司法及監獄事務委託ニ関スル覚書』の影響ってのは、大きかったんだろうなぁ・・・。
と思ったら。

(二)宣教師・韓人牧師等の態度
宣教師にして思慮浅薄、人格劣等なる者及韓人牧師にして時事に不平なる者の中には、布教伝道の際に於ける口実として、外国の圧迫を免るるには耶蘇教に入るの外、道なし。
韓国を文明に導くは、耶蘇の力にあり。
耶蘇教徒は、官憲の干渉を受くることなし等時事問題を提げ、韓人の弱点に乗じて信徒たらんことを勧誘するものなきに非ず。
尤も、此等不穏の言は、多く韓人牧師輩の口にするところにして、宣教師の多くは此等の言動は与り知らざるものの如し。
警察に於ては、前記の如き事実に対し深く注意を払ひ、人心を挑発し、治安に害ある者に対しては、刑事訴追に付して相当取締を実行するの方針なるが、其証跡を挙ぐるに困難を感じ居れり。
而して、又一面に於ては、宣教師に於て警察の方針を誤解するが如きことなき様、相互の接近、意思疏通等に努めつつあり。
又、宣教師の内心如何は之を措き、表面日本官憲と往復するを好まざるやに見受けらる。
何となれば、日本官憲と往復するときは■を日本に通ずるとなし、韓人の信用失墜し、布教上の障害となればなり。
又、彼等の経営せる学校は学部令に依ることとしたる為め、其発展に支障を感じ居ると云ふ。
前言撤回。(笑)
まだそんな事やってるかね・・・。

まぁ、官憲の干渉を受けない等と言って勧誘している事は、宣教師はあまり知らず、多くは韓人牧師が行っているってことらしいですが。

で、その中で治安に害がありそうな場合には厳しく取締まる方針だが、証拠を挙げるのに困難を感じている、と。
一方で、宣教師が宗教弾圧だと感じないように連絡を密にしているということで、警察も苦労してんなぁ・・・。
一進会と耶蘇教が、治安を乱すとして嫌われてた理由も分かる気がします。

で、学部令というのは、私立学校令教科書用図書検定規程の事だと思われますが、そんなに発展に支障を来すような内容でしょうかねぇ?


ってところで、今日はこれまで。



併合前のキリスト教団体状況(一)
併合前のキリスト教団体状況(二)



自分で書いてて何ですが、今回の連載、面白いのだろうか?(笑)
まぁ、いっか。
繋ぎの予定だし。

と言い訳しておいて、昨日の続き。
今日もアジア歴史資料センターの『韓国警察報告資料巻の3(レファレンスコード:A05020350600)』から。
456画像目より。

天主教
僧正「ミユーテル」之を主宰し、京郷新聞と題する機関新聞を発刊す。
天主教は、鋭意布教に努めつつあること他教派に譲らずと雖も、徒に信徒の多きを目的とせず、真正なる基督教信徒を得んとするものの如く、従て勢力振はざるが如きも、其地盤頗る堅し。
而して、其勢力は下層社会に在りて、上流者にして之に出入するもの比較的少し。
伊藤公を哈爾濱に殪したる安重根は、此教徒なりき。
天主教、つまりカトリックは調査表によれば信徒37,945名。

8月7日のエントリーを見ても、「旧教は其布教方法概ね穏当にして、排日の言動少なし」とあるとおり、この史料で言う「真正なる基督教信徒を得ん」とした布教活動だったんでしょう。

そういった意味では、安重根という男は極めて異質ですね。
李承晩や柳寛順等、キリスト教系の反日闘士の殆どは、プロテスタント系ですから。

救世軍
救世軍大佐「ホツガード」、韓国救世軍司令として京城に在り。
初め救世軍の地方に布教せらるるや、韓人布教師の妄言と救世軍の名称は、地方韓人の誤解を招き、則ち之を以て韓国軍隊の復活なりとし、軍人たるときは相当の俸給手当を給せらるるものと信じ、地方労働者は鍬を抛ち軍に投じ、日夜兵式操練に余念なく、其勢頗る盛なりし。
然るに、其真相判明すると共に脱教するもの相継ぎ、大に勢力を失墜せり。
救世軍の信徒は、調査表によれば信徒3,549名。

救世軍の布教といえば、11月28日のエントリーでも若干ではあるが触れりますが、更に丁度該当しそうな記述のある史料があるので、それを見てみましょう。
『統監府文書6』から、1909年(明治42年)4月15日付『憲機第785号』。

(4月13日附 平壌分隊長報)
4月13日午前10時より、元鎮衛隊前広場に於て救世軍演説会を開けり。
状況左の如し。

一.演説者は、救世軍大佐英国人「ホツカード」、同参謀韓国人趙重吉、同事務員韓国人李南周の3名。

二.会衆は約500余名。
種別は多くは耶蘇教信者及田舍より来りたる百姓風の志願者にして、志願者は殆んど半数なりし。

三.「ホカード」は演壇に立ち、今日の諸君に御目に掛るは、実に私の喜ぶ処である。
然るに、救世軍の制度始まりてより未だ40年位なるが、万国到る処賛成を受け、非常に盛大になれり。
此韓国には昨年10月に渡来し、本部を京城に定め、布教に従事せり。
然るに、忠清道方面の同胞は非常に賛成し、加入者甚だ多し。
此平壌は、韓国にては第一枢要の場所なるが故に、諸君は先導者となり、熱心に真実なる耶蘇教を信じ、而して一の団体となり、耶蘇が十字架に於て我れ我れの為死したる恩を報じ、一方は霊魂を救ひ、一方は各自の生命財産を保持する様努められん事を望む。
世界人類を始め、草木禽獣に至る迄、皆天帝によりて作られたる故に、此本元を忘るべからず。
此耶蘇教の心理を研究し、天の戒を守れば天国に昇るの賞を受け、同胞相救ひ相保つ事を得。
之れ乃ち救世軍を組織する目的なり。
救世軍、兵服を着し、武器を携帯し、不慮の時に他の国と戦争するものには決して之れあらず。
武器も何れも持たず、只口と精神を以て悪魔を排し、天国に上る道理を研究するものなり。
されば諸君は救世軍に加はらず、既往の罪悪を改め、善良なる救世軍人とならざるべからず。
而して、救世軍に加入せりとて高官大爵を求めるものにあらず。
善く行ひ、前の罪を赦して貰へば、夫れ乃ち善良事にはあらずや。
印度の人民は、非常に困難を嘗めつつありしが、此救世軍起りしより、非常に喜び、大鼓を叩き、勇躍歓迎せり。
之は何故なるやと云ふに、従来団結心に乏しかりし為め困苦の境遇に陥りたる処、救世軍により団結と信仰とを見出せし故なり云々。
次に、事務員李南周(京城人)演説して曰く、自分は昨年京城に救世軍始めて布教されたる当時、最初に加入したるものなり。
自分も前には天の恩沢を知らず罪を作りし事多かりしが、昨年より大に悟る処あり。
耶蘇の、我々の為めに成されたる高恩の万分一を報ずる決心にて、救世軍本部に於て事務を為しつつあり。
然るに、世界に救世軍起りしより40余年なるが、此韓国にて55ケの国に布教し、到る処政府も人民も非常に歓迎せり。
我韓国同胞も之に加入し、益々盛大ならん事を望むとて、終りに賛美歌を唱ひ、耶蘇教信者等は皆之に和せり。

四.右了りて正午散会し、尚ほ午後3時西門内武烈祠に志願者のみを集め、趙重吉は救世軍人には給料なき事を語り、平壌にも救世軍の兵営なかるべからず。
希くは、相当の寄附ありたしと談じたり。
本日迄の志願者は総計170名にして、他地方は大邱500名、忠清道300名、全羅道400名、其他南韓各郡にも若干の志願ありたりと云へり。
状況以上の如くなるが、之を要するに、救世軍に付ては平壌及各郡至る処韓人間に宣伝せられ、其名称の救世軍と称するを以て、米国人来りて軍隊を組織するかの如く思ひ、軍帽服及銃剣等を支給せられ、月給又高額なりとの事を甲伝へ乙和し、徒食の青年競ふて加入せんと志し、頃日来志願書を出したるもの60余名と聞へ、本日に至りては500余名中、半数は志願者なりと目されしも、「ホツカ一ド」の演説は志願者の意思と全然相反し、従来の耶蘇主義を拡張布教するに過ぎず、然も最も明瞭に軍人を募集するにあらずと明言せしを以て、彼等は其予期に及せるに落胆し、最初の意思を飜したるもの多く、田舍よりの志願者は半数以上志願を止め帰りたりと。
一般人民亦、救世軍とは耶蘇布教の事なりしかと云ひ、先きの熱心は冷淡と変じたるの傾向あり。
盖し新奇と誇大を好む韓人思想は事毎に現はるるも、救世軍に対する彼等の思想態度は、遺憾なく韓人気質を表はしたるを見る。

以上。
「新奇と誇大を好む韓人思想」
的確過ぎ!(笑)


ってな事で、毎度の如くバカな噂が広まり、救世軍をアメリカ人が組織した軍隊だと思い、軍服や武器の支給や高額の月給が貰えると思って集まってきたのに、何だ、布教か、と。(笑)
ここまで来ると、ある意味様式美ですな。>噂


今日はこれまで。



併合前のキリスト教団体状況(一)



さて、本日からは新しい連載となるわけですが、実は史料的には前回まで取り扱っていた「警察事務概要(保安課の部)」の続きなんです。(汗;
今、次のテーマを探してるんですが、中々ピンとくるものが無くて。
取りあえず、併合直前の状況を見るには手っ取り早いこの史料で、お茶を濁しておこう、と。(笑)
で、キリスト教の各団体についても、前回まで連載の「併合前の各団体状況」での調査表と同様の調査表があるわけです。
アジア歴史資料センターの『韓国警察報告資料巻の3(レファレンスコード:A05020350600)』の463画像目より。


(クリックで拡大)

これまた前回の連載同様、京城&十三道に分かれて詳細に示された表ですね。
で、前回は”(1)各種団体”から始まったわけで、その続きである今回は、(2)から始まります。
453画像目から。

(2)耶蘇教取締

(イ)韓国に於ける耶蘇教沿革概要

約250年前、羅馬教韓国に伝来せしと云ふも、当時基督教は政府の禁制とするところなりしを以て、公然伝導に従事することを得ず、然も夜陰各戸を訪問し、或は政府の権威の及ばざる江華島其他僻陬の地に避け、布教に努めたりしと伝ふ。
而して、大院君時代に至り教徒非常に増加し、其勢力侮るべからざるを以て、国内に令して基督教を禁じ、信徒に対しては甚しき迫害を加へ、当時殺戮せられたるもの8,000の多きに上りしと云ふ。
然るに明治15年米韓条約締結し、共に布教の自由保証せられたるを以て、之が反動として迅速なる伝播を見るに至れり。
則ち、明治16年米国美以教会派は、日本に在留せし「ドクトル・マクレー」を派し、其報告に依り米本国本部より2名の宣教師を派遣せり。
現に京城に有名なる済衆医院長「ドクトル・スクラントン」にして、1名は明治35年、木浦沖に於て難破、死没したる「アツペンセラー」なり。
長老派も亦、明治22年新たに「デヴイス」を派し、引続き2、3の宣教師を派し、釜山に根拠し布教に努めたり。
又、米国南美以教会派は明治28年「リード」を派し、北長老会派も亦「アンダーウード」、「ドクトル・ヘロン」を派し、両派相提携して京城に在りて伝道し、明治23年には両派合せて100余名の洗礼を得るに至りしと云ふ。
爾来、各派共多数の宣教師を送り、韓人牧師等と共に伝道に従事せしめたりしが、非常なる勢力を以て発展に至れり。
而して、信徒中には韓国官憲の圧迫を免れん為め入会するものも少からず。
又、近来に至りては、排日思想を抱けるもの之に加入するもの亦多きを見る。
韓国におけるキリスト教伝播の経緯説明ですね。
この辺り、8月5日のエントリーで取り上げた、1909年(明治42年)9月2日付『憲機第1707号』よりも広がる過程については若干詳細になってます。

続いて、各派の現況説明に入っていきます。

(ロ)各派の現況及団体

長老教会派
長老教会派の京城に於ける伝道本部は、「アンダーウード」、「クラーク」、「ゲール」の3名牛耳を執り、附属病院済衆院を設け「アウイソン」「ハルスト」「シールズ」嬢等其局に当り、教育には「ミラー夫妻」、「ワンボルト」嬢、「フヒールト」嬢等之に従事す。
京城以外に於ては全国を西部、南部、北部の三区に分ち、西部は「アンダーウード」、南部は「ピエター」、北部は「ウェルボン」之を統轄す。
同派は韓国に於て尤も勢力を有し、又其医療及教育事業は頗る見るべきものあり。
而して、曩に布教費として米国に於て50万円の寄附金を募集し、既に過半其目的を達し将来の活動予想するに難からず。
又、此派にては、京城に大韓耶蘇教会報及基督教新報等を発行せり。
而して、上流の士にして耶蘇教徒たるものは多く此派に属する状況にして、勢力益増加せんとす。
長老派は、調査表によれば信徒124,031名。

8月6日のエントリーでの予想、取りあえず正解。(笑)
で、上流階層のキリスト教信者の多くは長老派に属する、と。
しかし、寄附金50万なぁ・・・。
凄いなぁ。

尚、表の左端の備考によれば、「長老派中には、米国・英国・豪州・加奈太の長老派を包含す」とされている事を附記しておきます。

美以教会派
美以教会派は「ハリス」博士監督の下に活動しつつあり。
京城に於ては、「スクラントン」の病院経営、同氏母堂の女子教育、「アッペンセラー」の男児教育等、成績見るべきものあり。
又、同教南派は「リード」の渡韓布教開始以来其勢力を拡張し、北派と提携して広く勢力を張りつつありて、是又一層発展の気運に向ひつつあり。
美以教会とはメソジスト派を指し、調査表中では恐らく米国監理派が該当すると思われます。
信徒数33,759名。

ハリス博士は、12月13日のエントリーでも若干紹介していますが、内村鑑三に洗礼を施した人物であり、朝鮮半島には1909年2月頃に渡っています。
親日家であり、アジア歴史資料センターの『ビショップ、ハリスヨリ韓国併合ニ関スル祝詞接受ノ件ニ関シ在米内田大使ヨリ報告ノ件(レファレンスコード:A04010216200)』によれば、表題の如く、韓国併合の際にも在米特別全権大使の内田康哉に祝詞を寄せているようで。

ビショップ・ハリスヨリ韓国併合ニ関スル祝詞接受ノ件ニ関シ在米内田大使ヨリ報告ノ件

メソヂスト・エンド・エピスコーパル教会監督エム・シー・ハリス氏は、客月1日付を以て別紙甲号写の通本使へ宛一書を寄せ、韓国併合に関する祝詞を述べ、之れ実に最良にして唯一の解決方法たるべきは、自分の予て確信し居りたる処にして、今回日本の執りたる措置に就ては、自分は諸教会に臨む毎に其理由並に要旨を説明し居る次第にて、将来朝鮮人は、聖明なる陛下の公正にして寛容なる御治世の下に、必ず迅速なる進歩を遂げ、幸福なる人民となるべきことを疑はざる趣申越候。
当時本使は墨国へ出張中なりしを以て、当地へ帰任後該書面閲悉致候に付、不取敢別紙乙号写の通、其温かなる同情の言を謝する旨、礼状差出置候。
右ハリス監督来書の要旨は、本月8日往電第91号を以て及報告置候へ共、仍ほ為念別紙書面写添付。
此段致報告候。

敬具
ってな感じ。

8日の往電第91号は、ちょっと探せないでいます。
WEB上には、伊藤統監の治世について評価するハリス博士の発言も良く見らますが、引用元である名越二荒之助氏の『日韓共鳴二千年史』が、何の史料を根拠にしているか不明であるため、ここでは割愛。

という事で、彼の日本に対する評価が分かると思います。
よって、そのハリス博士に監督されているこの頃の美以教会派は、必然的に親日的であったと考えられますね。


ってことで、今日はこれまで。




今日もさっさと「警察事務概要(保安課の部)」から併合直前期の各団体の状況について書いていきましょう。
アジア歴史資料センターの『韓国警察報告資料巻の3(レファレンスコード:A05020350600)』の449画像目より。

大極宗教

昨年4月2日、儒道を振興し、耶蘇教に対抗するの目的を持って、儒生呂永祚発起の下に組織す。
孔子教が衰ふると共に、地方儒生間に歓迎せられつつあり。
調査表における大極宗教の教徒数は、合計で232名。
表中にあるとおり、京城・京畿道・忠清南道に信徒が居り、京城を中心に徐々に広がってきている様子が伺えます。

っていうか、今更ながらに韓国人の作る組織って興廃が激しいよなぁ・・・。

此他、大同教、敬天教等あり。
何れも儒道を振興すと云ふにあるも、目下殆んど有名無実の姿となり。

政党にあらず、宗教団体にあらず、一の商業団体にして、然かも近来動もすれば政党に利用せらるるもの、其重なるを大韓商務組合とす。
ってことで、宗教団体も終了。
次は商業団体なんだけど、何故か大韓商務組合だけ名指し。(笑)

大韓商務組合

本組合は、褓負商を統一し、之を糾合して団体的行動をとらんとせるものなるが、褓負商の沿革を考ふるに、韓国には古来褓負商なるものあり。
褓は反物其他の物品の包物を負ひ行商し、負は擔に依り行商するを云ふ。
此等は、市場に於ける商業独占の特権を有すると同時に、■伝其他種々の義務を負ふ。
褓負商の組織は、十三道の褓負商を統一するに統領あり。
各道に道班首あり。
班首の下に道接長、公事、明事、公員、執事等の役名あり。
各郡には郡班首、郡接長、郡公事、明事、公員、執事あり。
一年一回褓負商人に証憑を配布し、一人より金30銭を徴し、各役員の費用に充つ。
褓負商となると同時に相互間親族関係を有し、艱難相救ふ為め、貯金規約等ありし。
約16年以前に統領廃せられて規律紊乱し、一昨年12月、李学宰なる者大韓商務組合なるものを組織し、地方褓負商を統一せんことを計りしも、単に金銭徴収の外、何等益なきのみならず却て弊害ありし。
最近、李学宰は組合長を前統領たりし李圭植に譲りたるも、費用困難の為め、今亦崔永年に譲りたり。
現今に於ては、一進会と接近するの傾向あり。
調査表における大韓商務組合の組合員数は、合計で180,114名。
調査表に列挙された団体の中でも、尤も多い人数を抱えている形になります。
まぁ、基本的には商業団体なので、人数的な事に大した意味は無いように思われますが、大韓商務組合といえば、李学宰ら首脳部が一進会の合邦声明に賛同した機関であり、それが元で12月17日のエントリーに見られるように解散騒動にまで発展したわけで、政治的関与が全く無いとは言えませんね。

取りあえず、解散騒動を乗り越えて継続していたようで。
李学宰はこの時、既に李圭植に組合長の座を譲っていたとされていますが、これが弾劾のような形であったのか、別の理由による単なる交代であったのかは不明。

そして、費用不足に陥ったためさらに組合長は代わり、現組合長は崔永年であり、最近は一進会と接近する傾向にあると。
まさか、合邦問題に於ける李学宰の行動を指して、一進会と接近する傾向があるという報告では無いでしょう。
寧ろ組合長となった崔永年が、8月2日のエントリーや、12月4日のエントリーの史料中に名前の見られる、一進会総務員の崔永年である可能性が高いんじゃないかと。
もしそうであるなら、一進会と接近する傾向があるのは当たり前の話ですが、どうなんだろ?

又、教育事業を目的とする団体にして、政治的傾向を有せる西北学会あり。

西北学会

本会は光武10年10月、咸鏡南道の学生機関として京城に漢北学会を設け、光武10年9月、平安南北道及黄海道の学生の教育機関として西友学会を設けありしが、隆熙2年1月3日西北出身の鄭雲復、李甲、李鍾浩、安昌鎬、金達河等の斡旋により、合同して西北学会を組織す。
本会は、古来政権に渇したる西北人士の集合団なるを以て、名は学会なるも、往々言論政談に渉ることありて、現政府に反対なると同時に排日団なりとす。
本会の有力者鄭雲復は、一進会と共に日韓合邦賛成を声明したる為め同会に勢力を失ひ、李甲、安昌鎬、李鍾浩は、前に或嫌疑の為憲兵隊に逮捕せられ放還以来、相共に国外に逃亡し、独、崔錫夏、金達河等ありて漸く人心を統一せんとしつつあり。
地方に37個の支会を有す。
調査表における西北学会員は、合計で4,279名。

鄭雲復は、三派合同のキーパーソンでしたね。
というか、合邦問題に関して一進会に賛成という噂はあったけど、12月18日のエントリー等を見ても時期尚早論なんですよねぇ。

で、李甲、安昌鎬、李鍾浩については何故か「或嫌疑」などと濁して書いてるわけですが、伊藤博文暗殺事件の関連者と疑われて取調べされたんですね。
その後国外逃亡、と。

というわけで、西北学会は残された崔錫夏、金達河が頑張ってるって状況。

此他、京畿道、忠清道学生の畿湖興学会、慶尚南北道人の嶠南教育会、全羅南道人の湖南学会、江原道人の関東学会等あるも、別段政治上の行動に出づるが如きことなし。

今警察上注意を要する諸団体に関する調査表を挙ぐれば別表の如し。
というわけで、この連載の第一回の調査表に続くわけです。

ちなみに、畿湖興学会、嶠南教育会、湖南学会については9月27日のエントリーで一通り解説済み。
関東学会については詳細不明。

ということで、今回の文書は一区切り。

勿論、この調査表には載ってない、かなりな勢力を有する団体があります。
そう。
キリスト教系の団体です。

次回からの連載は、韓末のキリスト教について。


それでは。



併合前の各団体状況(一)
併合前の各団体状況(二)
併合前の各団体状況(三)



雪が降りすぎな事にかこつけて床屋に行くのを億劫にしていたら、なんだか最近髪型が姉葉氏のカt・・・頭髪に似てきたdreamtaleです。
ども。

では今日も、「警察事務概要(保安課の部)」から併合直前期の各団体の概要について。
アジア歴史資料センターの『韓国警察報告資料巻の3(レファレンスコード:A05020350600)』の446画像目から。

進歩党

隆熙4年5月、民族の生活方通を開導するを趣旨とし成立す。
総裁閔泳■、副総裁李基東、幹事文鐸あり。
幹事文鐸なる者、初め政友会員なりしも権勢争ひを生じ、別に一派を成さんとして遂に本党を組織す。
会員約100名にして勢力を有せず、又地方に勢力なし。
調査表における進歩党の人数は、合計で100名。

文鐸については、合邦問題の中で国民大演説会の主要人物の一人として、度々出てきてました。
その流れで高羲駿、鄭應卨(咼の上にト)等と共に政友会に入ったんでしょう。
で、権力争いがおきて政友会から離脱、と。

んー、この期に及んで権力争い多いなぁ・・・。

で、政治的な団体についてはこれで概要説明終了。
次からは宗教的団体について。

天道教

51年前、慶尚北道慶州人崔済愚なる者開教す。
同人は其5年の後、五政に反対すとの理由の下に、時の慶尚北道監使徐憲淳に依り大邱に於て死刑に処せられ、親族崔時亨其志を継ぎ布教せしが、是又24年後死刑に処せられ、現教主たる忠清北道清州人孫秉煕なるもの、其後を襲ひ継続今日に至る。
天道教の教義は不明なるも、徳を天下に布き、広く蒼生を済ひ性霊を修練し肉身を保護すと称す。
初め耶蘇天主教来り国内に布教せらるるに当り、之に反抗する宗教なかるべからずとし、茲に天道教なる教義を布くに至りたるものなりと伝ふ。
故に天主教を西教と云ひ、天道教を東学と称す。
彼の日清戦役当時、地方に乱を起したる東学党なるものは、則ち此天道教徒なりしなり。
天道教は地方に勢力を有し、到る処支会を設け、同人も又政治上の野心を去り同教と終始せんとすと称し居れり。
同教は多く排日派を包蔵するを以て、同教徒の言動は頗る注意を要す。
彼の李総理を暗殺せんとしたる李在明の連類者中には、天道教徒多し。
同教の言動は注意を要すると同時に、同教の弊とするところは、地方民より種々の名目の下に金銭を徴するに在り。
此等は将来矯正する必要あるべし。
調査表における天道教徒は、合計で155,383名。

天道教については、7月29日のエントリーで若干触れたんですが、天道教を東学と称すのかどうかは、些か疑問だなぁ。

また、「同教は多く排日派を包蔵する」とあるわけですが、東学の中の極端な親日派は同系統の侍天教、つまり一進会に流れたわけで、残った者に排日派が多く包蔵されているのは、ある意味当然ではあります。

で、李在明の連累者について言及されていますが、確かに天道教総務梁漢黙を始め天道教徒が複数人逮捕されているのは事実。
ただ、その目的は天道教を圧迫する侍天教に圧迫を加える為であったとされています。
実際、李容九の暗殺も計画されていたわけですが、何で一進会の合邦声明に反対していた李完用も標的にしたのか、やっぱりわけ分かんねぇ。(笑)

で、天道教は地方民から様々な名目で金銭を徴収する事があり、これは将来矯正する必要があるだろう、と。

続いて、侍天教に関して。

侍天教

一進会長李容九は、素と孫秉煕の下に天道教徒なりし。
然るに、彼自ら一進会を組織したる以来主義其他に於て意見一致せず、則ち李容九は自己の勢力を鞏固ならしむると、一は孫秉煕の勢力を殺かん為め、侍天教なるものを開始し、始め天道教徒を誘致せしものにて教義の如きも同様なり。
本教は、即ち一進会の別働団とも見るべし。
近来一進会は、地方に信用を失墜し、一進会の名に依り勧誘するも応ずるものなきを以て、侍天教拡張の名儀の下に勢力を扶殖せんとしつつあるが如し。
調査表における侍天教は、合計で100,681名である。

まぁ、ほとんど突っ込むような処も無いんですが、一進会が地方の信用を失墜したってのはちょっと面白い記述。
当然合邦問題に絡んででしょうね。
都会ではこの時も評価されてるのか、地方にだけ信用があったのかは分かりませんけど。(笑)

孔子教

孔子教を守り儒道を尊ぶ為め、光武11年3月、申箕善なる者大東学会なるものを組織したり。
韓皇室及前の伊藤統監等より金員の寄贈あり。
後ち、之を孔子教と改称せり。
一時、地方儒生等に非常の勢力を有したりしも、伊藤公等の寄贈金を受けたる以来、日本政府に買収せられたるものとし、殆んど勢力を失ひ、目下微々として振はず。
之を操縦するものは、李人稙なり。
学相李容植の如きも、之れが後援者なりと称せらる。
調査表の孔子教徒は、合計で100名。

申箕善は、1890年代の学部大臣時代には断髪、洋服着用、国文と太陽暦の使用、清への朝貢廃止に反対し、法部大臣時代には拏戮法と大逆斬刑の復活を目論むという、ある意味典型的な儒生です。
で、調査当時の操縦者とされる李人稙は、合邦運動中に渡日した際にも、その目的を日本に於ける孔子教会の設立としていました。
しかし、その前に足下固めろ、と。(笑)


今日はこれまで。
次で一旦終了。



併合前の各団体状況(一)
併合前の各団体状況(二)