育英公院


今日はちょっと休憩。

表題の育英公院について。
知っている人はかなりの朝鮮近代史通。
朝鮮で、1886年(明治19年)に建てられた官立学校で、良く朝鮮の近代教育なり近代化の試みなりの証拠として出てくる学校ですね。
何の史料に基づいてるのかは知りませんが、李完用が1886年に入校したとか、「朝鮮亡滅」の著者でありハーグ密使事件にも関係していたH・B・ハルバートが先生だったという事も、良く言われています。

で、それに関する史料の紹介です。
関係ない事項についても記載がありますが、それなりに面白い話もありますので、最後の朝鮮閣僚等のリストを除いて一応全部テキスト化してみます。
それでは、『駐韓日本公使館記録3』から、1894年(明治27年)『在京城帝国公使館通常報告第1号』より。

通常報告2通常報告1
通常報告4通常報告3
通常報告6通常報告5
通常報告8通常報告7

27年通常報告

在京城帝国公使館通常報告第1号

昌原金礦採掘の件

去る明治24年中、朝鮮政府の許可を得て長崎県人馬木■三と当国人前昌原府使趙義淵との間に■約を結びたる後、馬木は金主古河市兵衛と共に該礦採堀に従事したるも、其結果面白からざるより、古河は馬木に向て解約を主張し、終に一と先中止と相成り居たるに、其後馬木は切に金主を求めんことを欲し、客冬当地に参り独逸商世昌洋行と相談を開き、此程良や熟議を遂げたる由申居り候。
尤も、本条約は1ケ月間程試掘を為したる後、果して善良と見認めたる上之を訂結する相談なりと云へり。
又、世昌洋行は金主の名義なれども、其実採鑛権は譲り渡したるものにして、馬木は始めの間一ケ月500円■■■■、漸次増加したるときは之に準じ其幾分を貰受くる予約なりと申居候。

育英公院廃止の件

該院は米国人を聘用し、去る明治19年中朝鮮政府の設立する所にして、英学を教授する唯一の学校に有之候処、其設立の当時に当つては専ら貴族の子弟を教育し、其就学生徒の数も殆んど300人ありたるも漸次減少し、即今に至りては僅々20余人に過きず。
而して、最早年所を経ること7年に及べ共、1人の卒業生を出さず。
斯くては学校設立の本旨にあらずとの議論此程政府部内に興り、一と先づ廃校の事に決し、雇教師米人バンカー氏も解雇となりたり。
聞く処に拠れば、当路者は此後時機を見計らひ、更に厳格の校則を設けて復設すべしと申居れり。


陸軍教師解雇の件

去る明治20年頃、親軍兵訓練の為め当国政府の聘に応じ来りたる米人ニンステッド氏は、親軍侍衛営兵士の訓練に従事すること7年。
此頃其任期満ちたるを以て、■■■■■此程漸く十数月間滞りたる俸給を受取りたる由なれば、来月中旬頃出発して一と先日本に転留する見込なりと■り。
因に■同教師米人ゼネルダー氏も期満次第帰国の望を抱き居る由なれば、同人解雇の上は一人の外国教師もなき筈なり。

南廷哲氏北償金の剰余を私用す

前督弁南廷哲氏は、客歳8月中払込むべき北償金6万円の中、1万円は交換の上紙幣にて之を渡し、5万円は韓銭を以て1円に付き韓銭3貫600文の割合にて其筋より受取り、其内2万円は統署にて交換取計■■■、当方に支払ふべき所、其実当時の相場は、3貫3、400文にて交換せられたるを以て、右3万円に対する余剰金韓銭数万両は、同氏の私用する所となりたりとの事王聞に達し、目下国王には厳命を同氏に下し其返納を促せらるやに聞けり。

雑聞

一.目下本邦駐箚代理公使兪箕煥氏より、先き頃閔泳煥氏の許に書面を送り、金嘉鎮と金玉均との間書柬の往復を為し居れりとの事を誣告したる由にて、金嘉鎮氏と別懇なる某は密かに此事を同氏に告けたるを以て、同氏は事の意外なるに驚き頗ぶる迷惑を感じ居候。
一.此頃閔族間に、日英清の三国協議して朝鮮の政事を改革すべしとの風説を為すものある由にて、為之政府内部の人々には陰に危懼を抱き安ぜざるの傾きありと云ふ。

朝鮮政府現任京秩官及地方官

 (以下省略)
冒頭述べたとおり、最後の現任の朝鮮閣僚等のリストについては役名と人名だけなので省略。
で、太字の所が今回のメインディッシュなわけですが、メインなだけに後回しにして、先に他の項目についてやっちゃいたいと思います。(笑)

ってことで、まずは「昌原金礦採掘の件」。
1891年(明治24年)に朝鮮政府の許可を得て、馬木さんて人が当時の昌原府使趙義淵と契約結んで、金主の古河市兵衛と共に金鉱採掘事業に乗り出した、と。

ちなみに、『駐韓日本公使館記録3』の中では「馬木健三」と「吉川市兵衛」になってるんですが、史料画像見てもらえれば分かる通り、「健」については「にんべん」ではなく「ぎょうにんべん」ですので、■に。
「吉川」については、「馬木に向て解約を主張」の前の川が明らかに「さんずい」の河で、「吉」の方は「古」に見えるから。(笑)
ぶっちゃけ当時の朝鮮に投資できるだけの事業家って、古河財閥の古河市兵衛じゃね?と思うわけですが。
ま、それは憶測ですけど、文字については「古河」だろう、と。
学者なら(ママ)で対処するんでしょうけどね。

兎も角、採掘始めたのは良いけど良い結果が出ない。
ってことで、古河は馬木に解約を迫って事業一旦中止。
馬木は金主を欲して、こないだの冬に京城に来て、ドイツ商の世昌洋行と談判して良い方向で結果が出たみたい、と。
余談ながら、この「世昌洋行」ってのは「Edward Meyer&Co.」という会社で、1886年2月22日付「漢城周報第4号」に朝鮮で最初の公告を出した事を初め、地味に史料に良く出てくる会社だったりします。

世昌洋行の広告
[ 朝鮮初めての広告 ]

ウチんとこでも、2006年の7月2日のエントリーで名前が出てきています。
尤も、そん時は密輸絡みの話ですが。(笑)

で、馬木と世昌洋行との談判は、1ヶ月ほど試掘して良い結果が出れば契約締結って事でまとまったという。
そして、世昌洋行とは金主の名義だけど、実質は採掘権を譲渡したもので、馬木は最初の1ヶ月500円で雇われて、その後採掘が順調に推移すればそれに応じた報酬を得る約束だと言ってる、と。
つか、1891年の段階で既に外国人に採掘権とか挙げちゃってるのね・・・。
しかも、この記述見る限りは、どういう契約してんだか、と。(笑)

では、続いてメインの「育英公院廃止の件」を飛ばして「陸軍教師解雇の件」。
1887年頃、親軍兵訓練のために朝鮮政府に聘用されたアメリカ人ニンステッドは、親軍侍衛営の兵士の訓練に従事して7年になるけど、最近任期満了になったので辞職し、十数ヶ月滞ってた給料と受け取り、来月中旬頃に朝鮮を出発してひとまず日本に行く予定。
同じくアメリカ人ゼネルダーも、任期満了後は帰国したいと思ってるようなんで、彼が解雇されれば外国人教師は居なくなる筈、と。

つうか、また給料未払いしてるんですか。(笑)

ちなみにニンステッドは、結局日清戦争後の1894年(明治27年)9月頃に再び朝鮮政府に雇われる事になり、最終的には「春生門事件」に関与したとして解雇されます。

続いて、「南廷哲氏北償金の剰余を私用す」。
北償金ってのが何か良く分かりませんが、日本に8月中に支払いしなければならない6万円のうち、1万円は交換済みの紙幣で、残りの5万円は韓銭で1円当たり3貫600文換算で南廷哲に渡されたんですね。
で、その韓銭で渡された5万円のうち、2万円は統署、つまり外務省みたいなとこで交換してもらったから良かったんですが、残りの3万円分について、当時の相場が3貫3~400文だったので、為替差益じゃないですけど差額が出たんですね。

元が3貫600文換算で、相場が3貫3~400文ですから、1円につき200文~300文の差額。
3万円分ですんで、6,000,000文~9,000,000文。
当時の朝鮮の貨幣単位は「1,000文=100銭=10両=1貫」ですから、6万両から9万両になり史料中の「韓銭数万両」は6~9万両になります。
ちなみに、もう一度日本円に直すと2,000円前後。
結構な額ですな・・・。

その結構な額を着服。(笑)
高宗にバレる。
カエセ!<#`Д´> と厳命してる由、と。
んー、何かいつも通りの光景で、何だか安心する。(笑)

次ぎに、一番下の「雑聞」。
まず、日本駐箚の兪箕煥代理公使から、この前閔泳煥のところに書翰が送られ、金嘉鎮と金玉均との間で手紙のやりとりしてるらしいと誣告があったようだ、と。
で、親しい人からその事を聞いた金嘉鎮は、根も葉もない話でビックリし、非常に迷惑を感じている、と。
下手すりゃ失脚で済まない陰謀だ。(笑)

もう一つが、最近閔氏の間で、日本・イギリス・清国の3ヶ国が協議して朝鮮の政治改革をする噂を流すヤツがいて、そのために政府部内では暗に危惧の念を抱いて不安がる傾向、と。
まぁ、朝鮮の政治改革=閔氏の失脚ですからねぇ。(笑)

ってことで、何かオードブルが非常に多くてお腹いっぱいなんですが、次がようやくメインディッシュの「育英公院廃止の件」です。
育英公院はアメリカ人を雇って、1886年に朝鮮政府が建てたもので、英学を教える唯一の学校だったけど、設立当時は専ら貴族の子弟を教育し、その就学生徒数も約300人くらいいたけど、徐々に減少して、最近では20人余りしかいない、と。
で、もう7年も経ってるのに、1人の卒業者も出してない。

近代教育でも近代化の試みでも良いんだけど、卒業者居なきゃ意味ねぇーだろ!(笑)

器や見せかけは整えても、中身は全然駄目ないつものパターン。
まぁ、貴族の子弟中心なんで、卒業前に官職について学校辞めたヤツもいるでしょうし、遊び惚けて学校行かなくなったヤツもいるんでしょうけど、1人も卒業者出ないって、ねぇ?(笑)
しかも、お得意の「日帝の陰謀」とか、「清国の邪魔」とか言えないわけでして。(笑)

そういう状況なんで、これじゃ学校設立の本旨じゃないという議論が政府部内に興って、取りあえず廃校にすることにして、教師として雇われてたアメリカ人バンカー氏も解雇。
聞くところでは、当事者はこの後時機を見計らって、更に厳格な校則を設けて再び設置しようと言ってる、と。
「更に厳格な校則」って、どういう意味で厳しくするつもりだったんでしょうねぇ・・・。(笑)


ってことで、非常に長くなりましたが、今日はこれでお終い。



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張嬪


三連休の合間なので軽めに。
少し前ENJOY Koreaでスレ立てしたのの焼き増し。
ってことで、7月19日のエントリーでも名前だけ取り上げた表題の人張嬪。

尤も、この張嬪って史料上では見たこと無いんで、そもそも本当に実在していたのかどうかすら、私には判断ついてないんですがね。
ってことで、人物の話ではなく出版物の話。
『張嬪、朝鮮宮中物語』(櫻癡居士(福地源一郎著) 庚寅新誌社 1894年(明治27年)12月23日発行)の話という事になります。

この本そのものはまだ未見ながら、年表のリンク先でもあったとおり、これまたNAVER日本人にとってはおなじみの井上角五郎の原稿を元に、福地源一郎が潤色を加えたもののようです。
閔妃が張嬪を拷問にかけ、手足の指を切り刻んでいくという表現もあるらしく、「この本は当時の明治政府から発禁本にされ、このため流布本が極めて少ないのだと聞いた覚えがある」とリンク先では記されてますね。

ってことで、特命全権公使井上馨から外務大臣陸奥宗光への1895年(明治28年)2月5日付『発第12号』。

張嬪と題する小説発売差止めの義に付上申

客臘京橋区鎗屋町庚寅新誌社の発行にして、櫻癡居士の手稿に成れる張嬪と題する小説、頃日一浼致候処、全く当国王家最近30年の歴史を本として之を矯飾し、往々筆を事実の外に走らせたる一部宮中の物語りにして、篇中王妃陛下の行跡に関し其輯録する所捏造に出でたる事柄も有之。
殊に、篇末張嬪最後云々の一段に至っては、杜撰尤も甚しき趣に致承知候。
就ては右様の著述を公刊せしめ候ては、当国人一般の感情を傷ふのみならず、国際上亦大に忌憚す可きものと認められ候間、右発売差止めの義至急其筋へ御協議相成候様致し度、此段及上申候也。
捏造だし杜撰だし韓国人の感情を損なうし、国際上でも憚られるから、発禁ヨロ、と。
ま、これに基づいて発禁処分になったんでしょうな。
発行期間、わずか1ヶ月余りの本でしたとさ。


おしまい。



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電信守備兵(八)


あー、約1週間ぶりの更新ですね。
実はオヤジが急死しまして、まぁ色々と。
で、ようやく落ち着いたので、今日辺りから徐々にリハビリがてら書いていこうかな、と。
えーっと、どこまでやったんだっけ?(笑)

んと、前回は日清戦争後の対韓政策の方向性を確認する、井上の電文までやったんでしたね。
というわけで、今日はまず3月24日のエントリーで紹介した、『機密第26号』の返事の督促から。
1895年(明治28年)4月20日発電より。

機密第26号鉄道電信條約に関する件に付、電信にて至急訓令あらん事を望む。
右は、此際早く取極め度処、機密26号信にて申進めたる如き余地を与へられざれば、談判上甚だ困難ならんと推量せり。
これに対する陸奥からの返信が、1895年(明治28年)4月22日発電になります。

機密第26号鉄道電信條約の件は、御申越の趣旨に基づき関係官庁と協議中なり。
ということで、協議に関する話がアジア歴史資料センターの『明治28年5月 「27 8年戦役日記」/外務省より 朝鮮国内電信に関する件(レファレンスコード:C06021937700)』に若干ではありますが見られますので、それを見てみましょう。
外務大臣陸奥宗光から陸軍大臣臨時代理西郷従道への、1895年(明治28年)5月4日付『親展第18号』より。

朝鮮国と電信条約締結の件に付、曩に井上公使へ及訓示置候次第有之候処、朝鮮内の電信を我政府にて管理するは頗る便利に、且つ確実に相違なしと雖ども、此際同国政府所有の旧線までを挙げて之を我政府に買取らんとすることは、同政府の必然之れに異論を生ずべきを以て買取ることを止め、相当の規約を設け、之を当分我政府に於て管理することに致度旨、同公使より申出候に付、逓信大臣と協議を遂げ候末、井上公使の意見に基づき朝鮮政府へ談判可■致事に相決し候処、朝鮮線の内仁川・京城間及魚隠洞耳湖浦の線■は旧線に関せず、全く我が軍隊の新設せしものに有之。
又、大同江以北各江の水底線及び、目下着手中なる京城・義州間の複線は、是亦我軍隊に於て新たに沈布し又は架渉したるものに有之候由。
就ては、是等の軍用線も日清事件終局の後朝鮮国の形勢平穏に帰し、暴民の掛念なきに至らば、均しく之を同政府の管理に帰せしめ、而して同政府をして其建設費用を辨償せしむるか、又は相当の報酬を得て之を同政府へ贈与するか、其辺は井上公使談判上の都合に相任ぜ候様致度。
尤も、仁川より京城を経て義州に達する線は、我占領地とも至重の関係を有するを以て、之を朝鮮政府の管理に帰せしむる場合に於ては、通信の安全を保つが為め、同政府をして相当の担保を与へしめ候様、井上公使をして談判可■致筈に有之候。
右に付ては、同公使へ電報を以て回訓を要候間、至急何分の御回答■成度、此段及御照会候也。


ほぼ井上の要望に沿った形で、協議がなされていると言って良いでしょう。
で、これに対する回答が1895年(明治28年)5月10日『密発第167号』。

朝鮮国内電信に関する件

御回答案
朝鮮国内各地に架設の電信条約締結上に関し、親展送第18号を以て■に照会之趣委細了承。
右は、来意之通相■可然見込に有之候■、此段及回答候也。
というわけで、陸軍省も異存なし、ということですね。
この辺、或いは4月23日の三国干渉に関連しているのかも知れませんけどね。


リハビリとしてはこんなもんかな?(笑)

今日はこれまで。


電信守備兵(一)
電信守備兵(二)
電信守備兵(三)
電信守備兵(四)
電信守備兵(五)
電信守備兵(六)
電信守備兵(七)
電信守備兵(八)
電信守備兵(九)
電信守備兵(十)
電信守備兵(十一)
電信守備兵(十二)
電信守備兵(十三)
電信守備兵(十四)
電信守備兵(十五)
電信守備兵(十六)
電信守備兵(十七)
電信守備兵(十八)
電信守備兵(十九)
電信守備兵(二十)


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電信守備兵(七)


風邪引きなのに、私事でかなり多忙。
久しぶりに一ヶ月2回目のお休みをしてしまいました。
まぁ、色々ありまして。(笑)

さて、本題。
今日はまず、前回の冒頭で提示した『機密第20号』に対する陸奥宗光から井上馨への返信、1895年(明治28年)4月1日付『機密送第16号』より。

義州電信線の義に付ては、3月1日付機密第12号を以て申進置候次第も有之候処、右に対し同9日附機密第20号を以て御回答之趣了承致候。
朝鮮電信線譲受之義に付ては、既に3月1日附機密第13号を以て委細申進置候通り、此際是非とも我政府に於て管理致候様致度考案に付、義州線之如きも同様我手に入置候様致度存候。
此度御申越之如く、従来事実上清国政府に於て管理し来いたるには相違なきも、既に明治18年訂結に相成たる日韓電信條約に於て、義州線は朝鮮国の所属たることを認め、且朝鮮政府より清国政府に対し、年賦を以て右建設費の幾分を既に辨償したる義に候得ば、該線の全体を清国政府之所有と看做し、戦利品として之を没収することは、穏当の処置には有之間敷候へ共、去りとて従前之通り据へ置候事は、是亦我国の為め大に不利益と存候。
就ては、朝鮮政府より昨年年末迄に既に清国政府に辨償したる3万余両は、此際帝国政府より之を朝鮮政府に辨償し、而して朝鮮政府に於て尚清国政府に対し負担する残額に付ては我政府に於て之を引受け、其報償として従来清国政府が該線に関し有したる総ての権利義務を、帝国政府に移転致候様取極度存候。
将又、清国政府は関係に付ては既に申進置候次第も有之候通り、平和條約締結之際相当之取極を設け候様致度存候。
要するに、義州線を我手に入置候義は、将来之為め極めて必要の事に有之候に付、朝鮮政府に対しては可然御談判之上、承諾致候様御取計相成度、此段申進候也。

追て
右は逓信大臣とも協議済之義に付、此段御含置有之度候。
『機密第12号』は3月21日のエントリー、『機密第13号』については3月23日のエントリーで取り上げたもの。

戦利品という考え方については、義州電信線は実態は兎も角として名義上は朝鮮のものであり、借金も返しつつあり、清国の持ち物ではない事から戦利品とするのは無理という井上の指摘を、妥当だと思ったようですね。
しかしながら、やはり従来のとおり据え置く事は日本の不利益である、と。

ということで、負債の立替を日本が行い、清国から権利譲渡を受ける方向へと方針が転換されたわけです。
次第に、井上と日本の意識が接近してきましたね。(笑)

で、今回までの史料から個人的な感想を述べれば、陸奥の拘っているのはきちんと保安管理された電信と共に、清国と朝鮮の条約そのものにもある気がします。
借金が絡んでいる以上、日清戦争前の「商民水陸貿易章程」の破棄要求のようにはいきませんし。
まぁ、余談。

続いては、前回の『機密第26号』への回答督促と、日清戦争後の対韓政策について、井上からの1895年(明治28年)4月8日付『機密33号』。

鉄道電信條約案要項に付、去月24日附機密第26号信を以て本官の意見具申し、何分の訓令相仰ぎ置き候。
右條約に付ては、追々及具申候通り、当政部内に国権及び国利を主張する者多く、議論兎角一致せざる由に候処、数日前外務・内務・工務3大臣を以て調査委員と相定め候趣に付、遠からず閣議を一定し、我と協議を開くの運びに立至り可申と存候間、前記機密第26号信に対し、可成丈早く回訓相成候様致度候。
将又、日清両国の間愈々平和に相復したる場合に於ては、独り鉄道電信條約に限らず、一体我が朝鮮に対する将来の政策は、此際其方針竝に干渉の厚薄等確定相成り候事必要と存候。
抑々日清両国の開戦は、本と朝鮮の独立問題より興り、我天皇陛下は既に之を内外に宣言せられ、且我政府より独手朝鮮政府を改良する云々諸政府へ対し放言したるに付、改良を忠告するのみならず改良の実に干渉したり。
故に、本官は最初より朝鮮政府に対しては、常に独立を鞏固ならしむるの実を挙げしめんと断言し干渉をなしたり。
然るに、今日となりては多少の変態を考究をせざるを得ざるは、先般の貴電にて「魯政府は、名実とも朝鮮の独立を毀損す可からずとの一條を以て日清平和條件の骨子と為す旨」御内報有之、且又近来各新聞の所報に拠りて判断するに、日清事件に対し、英国も魯国と内々其意を合せたるやに被疑候。
然るときは、向後朝鮮独立の能く保全せらるると否とは尤内人の注目する重要問題と相成り、諸強国は、之を以て他日我対韓政略を拘束する唯一の鎖鑰と為すに立至るべくと存候。
従来我対韓の方針は、清国の干渉を根底より芟除し、名義及び事実の上に於て朝鮮の独立権利を保全するに在りて、之が為め兵力を以て清国を斥け、朝鮮をして略ほ独立の姿を為さしめたれば、各国共に我大義を尊敬するは勿論に候得共、唯同国をして内政を整理して独立の基礎を鞏固ならしめ、并右鞏固に至る迄内外の患害を被る事なからしめんとするには、将来朝鮮国は富強に赴き、自ら其国を守るに至る迄は、我が国の義務として之を保護せざるべからず。
左れば、鉄道も我より之を架設し、電信も我にて之を管理し、且又守備兵も旧に仍て之を存置せざる可からず。
加之朝鮮目下の形勢は、実に腐敗の極度に達し居れば、内政理上勢ひ多数の顧問官を採用せしめ、強迫的に之に干渉せざる可からず。
然るに右鉄道の建設と云ひ、電信の管理と云ひ、且又内政整理の干渉と云ひ、孰れも多少朝鮮の独立権を損傷するに相違なきに因り、局外者をして我は表面朝鮮の独立を唱ふれども、其実之を属隷とする野心ありとの疑を懐かしめ、即ち我宣言と事業と相矛盾せりとの擬論を受くるを免れざるべし。
左候時は、之が為め他日諸日諸強国の容喙を招くに至るも難計に付、差当り左の3件に付我政府の方針を確定相成度候。
これまでの史料のとおり、鉄道・電信条約は朝鮮政府内でも反発が強く議論も一致していなかったけど、近々ようやく一定の方針を決めて協議に入れそうだから、前回の『機密第26号』に関しての対韓方針を決めれ、と。

で、元々朝鮮を独立国にするのが目的なわけなんですが、内政を整理し、外患内患を除くために富強しなければならず、鉄道もひいてやり、電信も管理してやり、守備兵も置き、朝鮮は極度に腐敗しているので顧問官を宰相させ、半ば強制的に干渉しなければならず、要は独立国として一人前になれるまで日本の保護が必要ってことですな。
その矛盾を局外者・列強諸国に誤解され、容喙を招くかもしれない、と。

独立国に価しない国を、独立国扱いするからだ。(笑)

一.守備兵排置の件
朝鮮を以て完全の独立国と認むるときは、日清両国平和に復し日朝の同盟已むの日を以て、我が在韓の兵を撤去するは(或は我官民保護の為め若干を留め)当然なりと雖ども、現今の版況は、我兵一旦撤去の暁には、東学党又は地方官従来民産を掠奪の怨恨を堪へず、名を東学に借り、再燃して国内の紛乱を致すは必然と思惟せられたり。
尚、一層注意を要するは、従来の現在兵凡1万人斗勿論悪弊多く、且用に立つ可き見込なきにより、帰休兵となすの見込。
其他在京無用の官吏幾百人、地方に於ては監司所在地を除き、府郡縣州凡327ケ所にて役員2万2,300余あり、改良の為め官制を定めしむるに付ては、凡1万6,000有余の廃官吏を生じ候。
就ては、多少の変動は免がる可からざる事と被信候。
如何にも急激なる改革着手と御驚愕に可有之候得共、財政の不充分と積弊を矯正せんとするよりして、止むを得ざる次第に有之候。
依て、我兵をば平和の後に至ても其儘駐屯せしむるか、若くは一旦撤去と決定し、而して朝鮮政府の依頼を待て之を駐留せしむる事と為す可き也。
おお!
ようやく守備兵が!と思ったら、所謂電信守備兵の話じゃなかった。(笑)

「日清両国平和に復し日朝の同盟已むの日」とは、去年の5月18日のエントリーで取り上げた、日朝盟約の第三条、「此盟約は、清國に對し平和條約の成るを待て廃罷すべし」の事でしょうね。

攻守同盟が切れれば、当然兵を置く必要性は無くなるけど、まだ東学党や地方官吏への恨みで蜂起する等の国内紛乱が起きるのは必然。
韓国の兵士は悪弊が多く役に立たないので、帰休兵とする見込み。
その他、中央・地方の無駄な人員を整理すれば、1万6,000有余が失職。
急激な改革に見えるけど、財政と旧来からの弊害を取り除くためには必要な事である、と。

ってことで、講和後も日本兵をそのまま駐屯させるか、一旦撤去し、その後朝鮮政府の依頼として駐留させるかすべきだって事ですね。

一.鉄道電信條約の事
本件に付、機密第26号信を以て鄙見委曲申進候に付、熟と御詮議相成度候。
右に付進々申進候通り、訂約に至る迄は非常の強迫手段を要する事と致推量候処、右強迫手段は到底秘密を保つ事能はず、我は之を秘密にせんとしても、彼方にては困迫の余り、少くとも英・米・魯の3使臣へは内々相談を試むるに相違なく、左候時は外見上甚だ宜しからず、且又当国人は邪推強く、猜疑心深き方なれば、我国は野心を包蔵すとの観念は今に至迄心裏に消滅せず。
故に、彼我両国の間に困難事件の生ずる毎に其疑心悤ち増長して、処辨上に妨害を与ふるは、既往に徴して明なる事に有之候。
依て、其辺をも併せて御再考相成度候。
鉄道・電信の二つの条約については、今のままでは強迫手段が必要となるけど、それをすれば朝鮮はイギリス・アメリカ・ロシア等に相談するに違いなく、外見上非常に宜しくない、と。
先ほどの「その矛盾を局外者・列強諸国に誤解され、容喙を招くかもしれない」と同義ですね。
で、朝鮮人は邪推が強く、猜疑心も深いので、日本は野心を抱いてるに違いないnida!という観念は、今でも消えていない、と。

つか、現代と変わらないわけですが。(笑)

一.内政改革の事
右は、改革の目的を達せんとするには、今日迄の如く深く之に干渉し、一方には、大院君・王妃等の動もすれば妨害を為さんとする者を押へ置き、他の一方には施政の方針を立て、規画を授け、且つ我顧問官を薦用せしめ、恰も手を取らぬ斗りの世話をなさざる可からず。
然るに、局外者より之を観るときは、右等の干渉を以て朝鮮の独立権利を毀損すと為すも難計と存候。
依て、其嫌疑を避けんが為めに、向後は改革の成否には深く頓着せず、干渉の手を縮めて、朝鮮政府の自行に任ずべきや、若くは我政府は、朝鮮の内政改良を以て既に内外に宣言したる事なれば、改良を成功せしめんが為興る所の干渉は、多少深入するも差支なしとするか。

已上3件に付、至急我政府の議御確定相成り候様致度、此段及内申候也。
内政改革に関しては、今までは深く干渉し、一方でそれを邪魔する大院君や閔妃を掣肘し、また一方で施政方針や企画を与え、顧問官を採用させて手取足取りやってきたが、これは朝鮮の独立権利を毀損すると見なされるかもしれない、と。
で、その疑いを避けるため、今後は改革の成否にはあまり頓着せず、干渉も少なくして朝鮮政府に自分でやらせるか、改革を優先するために多少深入りする事も仕方ないとするか決めてくれって事ですね。

まぁ、日清戦争の終結を睨んだ動きが、あちこちに見られてるっぽいですなぁ。


ということで、今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)
電信守備兵(三)
電信守備兵(四)
電信守備兵(五)
電信守備兵(六)


電信守備兵(六)


何か、守備兵の事とか結構どうでも良くなちゃってて、すいませんねぇ。(笑)
ということで、連載第6回目です。

今日はまず、3月21日のエントリーの1895年(明治28年)3月1日付『機密送第12号』に対する井上の返信。
1895年(明治28年)3月9日付『機密第20号』より。

本月1日付機密第12号貴信中、義州電信線は、従来朝鮮政府と清国政府との條約に依り清国政府に於て管理し来りたるものには候得共、其実全く清国政府所有の電信線なるを以て、電信線其物は我政府に於て之を戦利品として没収可然義と存候と有之候処、該電信線に関する事実は御申越の通り相違無之と雖も、顧て明治18年12月21日日韓両国間に締結せられたる海底電線設置條約続約に、「今般朝鮮政府電線を架設し、仁川より漢城を経て義州に至り海外電信を通聯辨理するの一事」と有之候得者、該線は名義上朝鮮政府に属する事は論を俟たざる訳に有之候。
且又実際に就て之を観ても、該線架設の為め清国政府より借入れたる清銀10万両は、客年末の計算に於て既に3万余両を辨償し、残額6万3,500両と成り居れば、今日該線の全体を清国政府所属と見做し戦利品として之を没収する事は、事実に於ても其当を得ざる義と存候間、右再応御詮議相成り候様致度、此段及上申也。
「明治18年12月21日日韓両国間に締結せられたる海底電線設置條約続約」は、連載第一回で取り上げました。
で、当該部分は、仁川・京城・義州線から海外電信に接続するのは、海底電線條約の妨害であるとした前文にあたります。

その中でも認めている通り、義州電信線は、実態は兎も角として名義上は朝鮮のものであり、借金も返しつつあるし清国の持ち物ではないよ、と。
だから、戦利品とするのは妥当ではないという意見ですね。
つか、清国には当たり前に借金返すのね。(笑)

続いても、特命全権大使井上馨から外務大臣陸奥宗光への、1895年(明治28年)3月24日付『機密第26号』より。
ちょっと長いので、途中で茶々入れながら。

先般提出の鉄道電信約案に付、当政府の内部には異論多く、俄に同意を表す可き様子無之義は是迄及具報候処、右は今回朝鮮公債の談判に徴しても其困難なる事を推測候。
加之本月1日発第198号貴電には、閣下と魯政府との間に於て、日清終局事件に付種々秘密にて在東京魯公使へ御答辞中、名義并事実の上に於ても日本政府は朝鮮独立を認むるは初志を変ずる事なし。
故に、魯政府をして日本政府が朝鮮政府へ損傷を与ふる如き疑念を喚起さしむる事無之様注意せよと有之。
又総理大臣并閣下の内信中、魯西亜に対する朝鮮独立に付ては深く注意せよとの御催促を蒙りたり。
当時即ち清国は、3條件を以て平和終局に付ては、方今の事情は最初と些少の変態あれば、朝鮮に対する政略を多少顧みざるを得ざる義と被存候。
然るに公債一件は、日本兌換券を以て貸付する事又は法貨として租税に収入せしむる事、或は電信買取條約・鉄道建築條約等も、其結果は名実共に多少朝鮮の独立を損傷するの疑ひなき能はざる義に有之候。
啻に其のみならず、朝鮮人の道理に暗きと、疑心深きと、隨分橫着なるとの三分子を以て成立したる性質に有之候へば、余程の威迫を用ひざれば鉄道・電信條約を御希望の通り結局するは、困難至極に有之候。
依て各條に付、左に鄙見申述候間、予め御考慮を煩はし度候。
朝鮮公債とは、1895年(明治28年)3月30日に話がまとまる300万円の借款の話。
この借款の話は、これまでも何度か出てきてるんですけど、そのうち別途取り上げたいと思っています。
で、その交渉経緯から見ても、締結は困難だろう、と。

「本月1日発第198号貴電」が見つからないんですが、日清終局事件ってのは、勿論1895年(明治28年)4月17日下関条約の締結へ向けた動きの事でしょう。
そして、日本の基本線は朝鮮独立なわけで。
ロシアへの警戒と併せて、何度か注意が促されていたようですね。

それなのに、公債での日本兌換紙幣の使用といい、電信・鉄道条約といい、多少であっても朝鮮の独立を損傷してるべ、と
更に、「朝鮮人の道理に暗きと、疑心深きと、隨分橫着なるとの三分子を以て成立したる性質」と併せて考えても、成立はムリポ、と。
つうか、ここで直球キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━!!!!!!!!!! (笑)

一.鉄道約定箇條中、我政府の管理最短期を50箇年と擬定せられたるは余り長きに過ぎる嫌ひ有之候に付、先般電稟の上、右は30個年迄短縮するも差支なき旨回訓を待候。
一歩朝鮮政府に於ては、建築費の実額さへ償還せば、年限に拘はらず何時にても引渡す様に致し度との希望を懐き居るやに致承知候。
依て考ふるに、今日の場合朝鮮政府は、数年間に該建築費を償還し得可しと思はれず、或は外国債を興して之を償還する事あらんとの掛念なきにあらざるも、朝鮮政府の不信用なる尋常にては、外国債主の之に応ずるもの可有之と思はれず、左れば其年限は猶ほ一層短縮するか、若くは別に年限を定めず、同政府の都合次第何時にても之を償還し得る様に約定候ども、事実に於て差支無之義と存候。
将又此鉄道は本と軍事鉄道なれば、其建築費用は軍事費中より支出可相成事と致推測候に付、一は朝鮮政府の疑念を霽し、一は其便利を図からんが為に、向後同政府にて、国庫の剰余金又は王室の貯蓄金出来次第其多寡を論ぜず払入を許し、其払入の金額に対しては、恰も同政府の株の如く認め、其金額に応じ暫次建造に隨ひ其運転を始めたる日より起算して其経費を引去り、平均の利益分配を与ふると言ふ如き方法に取極め候はば、外見に宜敷又当政府も其便益に感じ可申候。
尤右は、我管理年限中の義に有之候。

一.朝鮮国内の電信を我政府にて管理するは頗る便利に且つ確実に相違なしと雖ども、此際同政府所有の旧線までを挙げて之を我政府へ買取らんとする事は、当政府の必然之に異議を生ず可くと存候。
依て、原案に折合ふ可き見込なき場合には、略ほ左記の方法に隨ひ取極め候はば、朝鮮政府の感情を損せず、且つ我方のも都合宜しかる可きと存候 。

一.京城より釜山に至る朝鮮旧線の処分の事
右は、京城より西線路水原・清州・公州及び全州等の市府を経過して大邱に至り、同処に於て我軍用電線と同一の線路を取り以て釜山に達するものなれば、我軍用電信と其線路を異にせり。
故に之を存立する必要あり。
依て之を買取ることを止め、朝鮮政府をして隨意に修繕を加へて之を使用せしめ、雙方協議の上京城・大邱・釜山間に於ける信料を同一に定め、互に競争の弊を避け候はば差支なき義と存候。

一.京城より元山に至る朝鮮電線処分の事
右は、前線同様之を買取るを止め、朝鮮政府所有の儘條件を定め我より之を管理す可し。
其條件左の如し。
我管理中は、管理規則并信料は我政府隨意に之を定むる事。
修繕は、我政府之を担当する事。
朝鮮政府の官報は、無料にて取扱ふ事。
将来朝鮮にて電信を充分に取扱ひ、破損の場合には迅速に且つ完全に修繕し能ふ技術者を得るに至り、并に地方人民静謐に帰し、妨害を被る掛念なきに至らば之を朝鮮政府へ還附し、其管理に任ず可し。

一.仁川より京城を経て義州に達する旧線処分の事
右電線は世人之を清国線と称すれども、明治18年12月21日日韓海底電線続約に於ては之を朝鮮電線と認め、且つ事実に於ても朝鮮政府は、之が為めに清国より借入したる債額10万両の内3万6,500両を返却し居るに因り、残額6万余両を返却せば全線朝鮮政府の管理に帰する約束なり。
而して目下京城・義州間に於ける我軍用電信は、総て此旧線を使用せり。
依て、本線をも京城・元山線と同様條件を以て我政府にて之を管理し、後来清国政府より負債残額を請求したるときは我政府之を立替置き、追て朝鮮にて電信を充分に取扱ひ、破損の場合には迅速に且つ完全修繕し能ふ技術者を得るに至り、并に地方は安寧に帰し暴民の掛念なきに至らば、之を朝鮮政府に還附して管理せしめ、同時に我立替の還附を受く可し。

一.朝鮮政府の電信技術者をば可成速に練習せしむる方法を設く可し

右は、鉄道・電信両条約両條約に関する鄙見の大要に有之候。
尤も、朝鮮政府に向つては、当初御廻送の草案に従ひ既に提出致置候に付、可成丈同案に基き協約の運に至らせ度希望を有し居り候得共、前陳の通り朝鮮政府の内部は種々異論ある由追々致承知候に付、本官は掛引上充分の余地を有せざる已上は、開談の後迚も充分の結果を得難かる可しと致思考候間、特に鄙見を條陳し、閣下の御熟考を仰ぎ候。
猶ほ、委細事情は末松氏へ致縷述置候間、熟と御聞取の上、至急何分の義御回示相成候様致度、此段及内申候也。
取りあえず朝鮮政府には元々の案を提出しているものの、このままでは各条約の成立は困難であるから、井上の駆け引き上譲歩できる余地が欲しいということで、各項に関して井上が意見具申しているわけですね。

で、具体的な内容はというと、鉄道条約については3月21日のエントリーで50年を30年にしても良いよという回答を貰ったけど、もっと年限を短くするか或いは期限を定めなくても、どうせ償還できねーから無問題じゃね?と。(笑)

電信に関しては、まずは京城・釜山線の旧線は、軍用電線とは線路が違い各市府を回って釜山に達するため存立の必要があり、買い取るのは止めて朝鮮政府に修繕・使用させ、電信料金を日本の電信と同額にしとけば良いんじゃね?
京城・元山線は、買い取りは止めて条件を定めて日本の管理にし、修繕等は日本で行う事を基本として、朝鮮できちんと管理できるようになり、且つ地方の騒擾の懸念が無くなれば、朝鮮政府に帰すってことでどうよ?
仁川・京城・義州線は、清国への負債は立て替え、後は京城・元山線と同様に条件を定めて日本の管理・修繕を行い、朝鮮側で管理できるようになり、地方の騒擾の懸念が無くなれば同様に返し、立て替えた分の還付を受ける事でどんなもんですか?と。

まとめると、軍用電線という別の手段がある京城・釜山間の旧電信線は、料金同額で朝鮮政府の好きにさせ、通じない状態になると困る他の電信線は、日本が管理・修繕できるような条件を定め、後々朝鮮にその能力が備わったときに返還するって事ですね。
で、朝鮮政府の電信技術者の育成方法も講ずる、と。

個人的には妥当な線だと思うわけですが、まぁこの辺の感想は人それぞれにある所でしょうね。


まだ本調子じゃないので、今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)
電信守備兵(三)
電信守備兵(四)
電信守備兵(五)


電信守備兵(五)


うー。
風邪ひいた~。
ってなわけで昨日はさぼってしまった・・・。

そんな若干鬱な中、当ブログにおいては珍しい低レベルなコメントがあり、爆笑。(爆)
コメントがついたのは、「金九は誰を殺したか(二)」。

■どうかしてるのはおまえらだ

日本人て本当にあほだらけ。
あ~かわいそう~(涙)
自分らの罪も知らないでふざけたことばっか・・・まぁあほって死なな治らんしどーしょーもないねっ!みんないっぺん死んでわびろ!

金 (2006-03-23 11:32:49)
ゲラゲラゲラゲラ

史料つかってる者にこういった罵倒、かなり無駄だよ、金さん。(笑)

頭が悪いのですね


さて、前回外務大臣陸奥宗光からイケイケの指示が来たわけですが、現地の井上馨は対応に苦慮してるのか、「思い遣り」を発揮しているのか、同日付で次のような電文を送ります。
1895年(明治28年)3月1日付『機密第16号』。

去月25日電稟及置候通り、本年機密貴信第4号を以て御送附相成りたる、鉄道建築電信線布設及び開港に関する條約案を、同24日杉村書記官を派し当外務大臣に提出したる処、同大臣には鉄道條約案に就ては格別異議無之様子に候得共、電信約案に就ては彼の意向は容易に同意を表せざる様に見受けられ、且つ同大臣より鉄道の敷設の如き、目下急に迫り居れども迚ても我国力の其負担に堪ゆ可きものにあらざれば、勢ひ貴国の力に依て之を建設せざるを得ず。
唯電信に至りては、不充分ながら従来我国に於ても生徒を養ひ取扱はしめ来れば、今後とても取扱の出来ぬ事有之間敷と存ぜられ、且つ従前我義州電線を清国に於て管理したる時の如き、貴国人を始め諸外国人等は、朝鮮の独立権を毀損せられたりとて之を非難したるにあらずや。
然るに、今日再び此の如く貴国と條約するに至りては、恰も支那を咎めて之に倣ふに致たる者にて、我内閣の同意を得る事当然と甚だ案ぜらるる旨申出たる由に有之候。
依て本官熟考するに、目今我国の朝鮮に於けるや、我は恰も監督者の立役者たる地位に立居れば、我勢威に依り如何なる要求をも朝鮮政府を承諾せしむる事難からんと雖も、鉄道を我手に取り、猶之に加へて電信迄も悉皆我手に取入れんとする事は、朝鮮人の感情を害するは外見上も甚だ宜しからずと被信候に付、我政府に於て此際熟と諸外国との関係をも勘考せられ、何分の御銓議相成り候様致度と存候。
鄙考では、我軍用電線は朝鮮政府にて財政の整理成り、維持の見込相立次第総て之を譲渡す事となし、譲渡後に於ても猶我電信技手若干名を雇入させ、通信取扱方につき不都合なき方法を立てしめ、而して別に秘密條約として将来戦争其他の事変等により、同電信の本邦に取りて必要なる場合に於ては、臨時我官員を派して之を管理するの約束をなさば充分なる可しと相信じ候。
就ては、右電信條約案及同秘密約案相添ひて申進候間、何分の御詮議相成様致度、此段及上申候也。
2月25日の電稟については、探し出すことが出来ていません。

で、鉄道建築電信線布設及び開港に関する條約案に関して、この時の朝鮮国外務大臣金允植に提出して協議。
鉄道条約案については、建設維持費等の負担に朝鮮国が耐えられないため異論無し。
しかし、電信約案に関しては、不充分ではあるが朝鮮国で技師等を育成し取り扱わせて来たのであり、今後全然取扱できないという事も無いだろう、と。

いや、電線直せっつう要求に全く応えないから、仕方なく日本で軍用電線引いた過去があるわけですが。(笑)
おまけに、1年平均80日も不通な状態があるわけで。
不充分と言うより、使えねー。(笑)

まぁ、上記のような理由から、電信の管理を日本で行うような3月20日のエントリーの電信条約案になったわけです。
しかし、朝鮮側の言い分である「従前我義州電線を清国に於て管理したる時の如き、貴国人を始め諸外国人等は、朝鮮の独立権を毀損せられたりとて之を非難したるにあらずや。」には、当然一理ある。
つうか、この辺、さすが宗主国様。(笑)
独立国に価しない国を独立国扱いしようとして、悉く失敗する日本とは、大きく違いますね。

というわけで井上は、軍用電線を将来的に朝鮮に売却する事を主眼とした条約案を作成するわけです。
では、井上の作成した「右電信條約案及同秘密約案」を見てみましょう。

電信條約案綱領
一.釜山より京城を経て義州に達し、并に仁川より京城に達する日本軍用電線は、朝鮮政府にて財政を整理し之を維特する見込相立たる時は、日本政府より相当の代価を以て之を譲渡すべし。

二.第一條の軍用電線譲渡以前に在ては、京城・元山間の朝鮮電線は之を日本政府に借受け、前條の軍用電線と連絡して之を取扱ふ可し。
本線借入中は、同線に於ける小修繕は日本政府にて之を負担し、大修繕は朝鮮政府の負担に帰すべし。

三.第一、第二條に記載したる各線を日本政府に於て取扱ふ間は、朝鮮政府の官報は無料にて取扱ふべし。

四.日本政府は、朝鮮技術者を養成する見込を以て各電信局に可成丈朝鮮技術者を使用すべし。

五.第一條の軍用電線を朝鮮政府へ譲渡したる後は、同政府に於て相当の電気技術者を養成し、電信建築通信の業務を適当に施行し得るに到る迄は、釜山より京城を経て義州に達し、及び仁川より京城へ、京城より元山に達する電線を適当に取扱ひ、若し破損あれば迅速之を修理せんが為め、日本電信技術者若干名を雇用す可し。

六.京城より公州及び全州を経て釜山に達する旧線は、之を修理し、均しく通信を取扱ふ可し。

七.仁川より京城を経て釜山へ達する電線を通過する日本政府の官報は、旧新両線とも明治18年12月21日訂結の海底電線設置條約続約第4條に従ひ、半価とす可し。


電信秘密條約案
釜山より京城を経て義州に達し、并に仁川より京城へ、京城より元山に達する電線は、将来朝鮮国に於て国内若くは外国との戦乱興り、日本国に関係したる時は何時にても日本政府より各電信局に官員を派し、軍用電信を取扱ふ事を朝鮮政府に於て予じめ許諾す。
まぁ極端な話、電信がきちんと運営されて、他国に売り渡されなければ良いわけで、それを踏まえた上での譲歩案という事になるかな?
というか、日清戦争前の電信関係って、相当酷かったんだろうねぇ。。。

で、2月25日の電稟に対して、陸奥も再び同じ日に電文を送ります。
1895年(明治28年)3月1日付『機密送第13号』より。

鉄道電信條約の件に関し、本月25日発電信を以て御申越の趣了承。
御来示の趣に依れば、朝鮮政府に於ては鉄道建設の義に付ては別に異存も無之候得共、電信譲渡の義に付ては同意せざる模様相見へ候由に候処、本大臣の見る所に依れば、将来の政略上電信丈けは、是非とも此際我手に取入置候事必要と信じ候。
御来電中、戦時の為めには秘密條約云々の義御申越には候得共、他日戦争の起るに当り、朝鮮国にして若し我同盟とならば別に條約を要せず。
若し又我敵となるに於ては、該條約は無効と相成り可申に付、何れにしても今日より秘密條約を締結し置くの必要は有之間敷と信じ候。
就ては、兎に角今日の好機会に乗じ、朝鮮の全電信線を我管理の下に置くことは、将来の為め極めて必要と存候に付、朝鮮政府に対しては可然御談判相成候様致度存候。
先般及御送附置候條約案にて御承知の通り、(電信條約案第9條) 将来朝鮮政府に於て相当の代価を支払ひ候上は、電信線は総て同政府に返付可致規定に相成居候に付、若し強て異議を申出候はば、右年限を短縮致候事は本大臣に於ても別に異存無之候に付、此段御含置有之度候。
且又、前任大鳥公使と金允植との間に締結相成たる暫定條約中にも、我軍用電信は将来保存し置候様規定相成居候事に有之候得ば、他の電信線をも我政府に於て管理致候とて、外見上に於ては差したる違も有之間敷候間、此際断然我手に入置度存候。
本件に付ては、総理大臣とも協議の上、末松法制局長官より閣下へ委細可申通筈に付、尚同官より御聞取相成度此段申進候也。
電信線買い戻し年限を短縮する程度なら兎も角、電信線の掌握にはこだわる陸奥。
まぁ、井上の言う「電信秘密條約案」に関しては、陸奥の言うとおりでしょう。
日本の同盟国となるなら秘密条約は不要であり、敵国となれば反故すから、と。

さて、このように強硬姿勢の陸奥と現地で悩む井上。
これからどうなるのでしょうか。


今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)
電信守備兵(三)
電信守備兵(四)


電信守備兵(四)


一向に守備兵の話が出てこない、今回の連載。
今日は、特命全権公使井上馨から外務大臣陸奥宗光への、1895年(明治28年)2月8日発電から見てみましょう。

本年機密第4号を以て郵送附相成たる電信條約案第3條は、漢城より公州・全州を経て釜山に達する電線及び、漢城・元山間の電線のみを譲り受け、仁川より漢城を経て義州に達する電線(朝鮮所有の名義)をば譲り受けざる御趣意なるや。
将又漢城・釜山間の旧線は、建設粗造なる上昨年変乱の後大に破損し、幾んど用を為さず。
若し此等の電線を譲り受くるときは、何程の代価を払ふ可きや。
右両條に付、御意見承知致したし。
且又機密第5号を以て御送附相成たる、條約案第3條中50年とあるは、余り永きに過ぎ外見悪しければ、30年と改めては如何。
是亦御意見承知致したし。
『機密第4号』は、前回提示した史料。
それに基づく、譲渡範囲の確認と、ボロボロの京城釜山間の旧線の譲渡価格に関するお伺いですね。

ちなみに『機密第5号』は、鉄道と電信に関する日韓条約の草案なんですが、今回は具体的内容は省略。
参考までに、第3条は「右の鉄道の所有権は、大朝鮮国政府に属するものとす。但し、大朝鮮政府に於て建築諸費を悉皆大日本国政府に償還するに至るまでは、鉄道の運搬事業は総て大日本国政府に於て之を管理すべし。然れども、第一條に記する全線路開通の後、50個年を経るにあらざれば、大朝鮮国政府は建設諸費の償還を為さざるべし。」で、この50年を30年に改めてはどうかというお伺い付きということになります。

で、これに対する回答が、1895年(明治28年)2月23日発電。

鉄道電信條約に付き、本月8日電信を以て御申越の件に関しては、左の通り逓信大臣と協議調ひたり。

一.義州線を清国政府に代り、将来我政府にて之れを管理せんとす。
故に朝鮮政府に対しては、電信條約案第1條、第2條に包含するものとして談判ありたし。
尤も、此の点に付なき様御取計ひ相成度し。
二.京城釜山間の電線譲り受の代価は、追て調査の上可申出に付き、目下の処は條約案にある如く、其権利のみを譲り受け置き然るべし。
三.鉄道の年限は、30年にて異存なし。
委細は、書翰にて申進むべし。
まぁ、義州線も当然視野に入れて交渉し、旧線の代価に関しては、取りあえず権利だけ確保しとけ、と。
鉄道は30年で異存なし。
上記のように陸奥宗光と逓信大臣黒田清隆の間で協議が整った、と。



続いて、陸奥から井上への1895年(明治28年)3月1日付『機密送第12号』より。

朝鮮国に於ける鉄道電信條約の件に関し、本月8日附電信を以て御申越の義に付ては、逓信大臣と協議の上、本月23日附電信を以て一応及御回答候得共、尚為念左に開陳致候。

一.義州電信線譲受の義に関しては、曩に及御送付置候電信條約案中に特に明文を以て規定無之候へ共、右は固より将来帝国政府に於て管理すべき所存に有之候。
該電信線は、従来朝鮮政府と清国政府との條約に依り、清国政府に於て管理し来りたるものには候得共、其実全く清国政府所有の電信線なるを以て、電信線其ものは我政府に於て之を戦利品として没収し可然義と存候。
只、将来之を管理するの一点に付ては、朝鮮政府と協議を要し候義に有之候。
然れども、此点に付ては曩に及御送附置候條約案第1條に於て、朝鮮国内既設及未設の電信線は、総て我政府に於て之を管理すべき計画に相成居り。
其第2條に於て、義州線も他の電信同様に取扱ふべき旨規定致し有之候に付、右にて義州線も尚我政府に於て之を管理する意思は、充分明瞭の事と存候。
尤も、清国との関係に付ては、何れ平和條約締結の際相当の取極を設くべき義には候得共、朝鮮政府に対しては、前陳の趣旨に従ひ誤解無之様可然御談判相成度候。

二.釜山・京城間電信線の義は、御来示の如く旧来の建設方粗造なる上、昨年来の変乱に付大に破損致居候場所も不尠候に付ては、差し当り右買受の代価を定め候事甚だ困難に付、目下の所は単に該電信線を管理するの権利を譲り受け置き、而して同線の代価は、追て実地取調の上確定致度存候。

三.鉄道の義に関しては、本月8日附電信を以て、鉄道條約案第3條の年限を30年に減縮致し可然旨御申越し相成り、又同19日電信を以て同第4條に規定しある、朝鮮政府へ贈与すべき利益の割合に関し純益金より資本金に対し、年100分の5に当る利息を控除し、其残額を折半して其1を朝鮮政府へ贈与する方公平ならんとの御考案御申越に相成り、委細承知致候。
右に付ては、本大臣に於ても別に異存無之候に付、右の趣旨を以て朝鮮政府へ御開談相成候様致度候。

尚又、先般御地より帰朝したる仙石技師の起草に係る仁川鷺梁津間の鉄道條約案の規定を見るに、曩に及御送付置候鉄道條約案第3條の規定と稍々其趣を異にし、仙石案の方実際に適し候様被存候に付、右第3條は別紙修止案の通り御改めの上、御開設相成候様致度。
尤も、原案第3條の規定に依れば、朝鮮政府に於て建設諸費を悉皆支払候上は、帝国政府に於て本鉄道を朝鮮政府へ引渡候様相成居候得共、万一将来非常の利益有之候場合に於ては、右の通りにては我政府の為め甚だ不利益と存候に付、別紙修正案の通り純益金の幾倍を払込ましむる様規定致し候方可然と存候。
且又此規定は、申上候迄もなく、鉄道買戻の契約中には普通相見へ候條款に有之候間、敢て不当の事には有之間敷と存候。
将又、原案には鉄道の所有権に付云々の規定有之候へ共、鉄道線路諸般の建物器械車輌等の費用は、総て帝国政府の資金を以て支辨致候義に候へば、鉄道の所有権は朝鮮政府に属すると云ふも、到底有名無実の事に候間、寧ろ此点に付ては明白の規定無之方可然と存候間、別紙修正案の通り改め候次第に有之候。
右申進候也。

追て、仁川・鷺梁津間鉄道布設の件に付ては、篤と閣僚とも協議の上、右に関する條約案不日可及御送付候也。


日韓鉄道條約第三條修正案
本鉄道全線路開通の日より、少くとも30年間は、大日本国政府に於て本鉄道の運搬事業を管理するの権利を保有す。
前項の期日後に至り、大朝鮮政府に於て最後5ケ年間本鉄道平均純益金の20倍に当る金額を大日本国政府に支払ふときは、大日本政府は何時たりとも、本鉄道及之に附属する一切の建物器械車輌等を大朝鮮国政府に引渡すべし。
但し、右純益金資本金に対し100分の5に達せざるときは、大朝鮮国政府は本鉄道建設に関する一切の費用を支払ふべし。
三以下は鉄道に関する事なので、今回の連載からすれば余談。

まず、義州電信線に関しては、従来は朝鮮国と清国の条約に基づいて清国が管理していたとは言うが、実際は清国の所有物であるため、之を戦利品として没収。
まぁ、条約上は第1条で既設及未設の電信線を日本で管理する事になっており、第2条で義州線も他の電信同様に取り扱う事にしているので、問題ないだろ、と。

次に京城・釜山間の旧電信線は、1895年(明治28年)2月23日発電の通り、権利を先に獲得して、代価は実地調査の上で決めたい、と。

1895年(明治28年)2月23日発電の詳細の通知ということになります。
つうか、陸奥も日清戦争の勝利が見えてるためか、かなりイケイケ状態ですね・・・。


というところで、今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)
電信守備兵(三)


電信守備兵(三)


タイトルを日韓電線條約にした方が良かったかも、と思っている昨今・・・。(笑)
取りあえず今日は、外務大臣陸奥宗光から特命全権公使井上馨への、1895年(明治28年)1月17日付『機密送第4号』から。

鉄道建築電信線布設及開港に関する條約締結の件

対韓政略に関し、客年12月4日附貴翰を以て御来示の次第有之候処、朝鮮国内に鉄道建築電信線布設及新開市場設置の件に付ては、明治27年8月20日大鳥公使と朝鮮政府との間に締結せる暫定條約に基き、更に完全なる條約を締結すべき為め、別紙條約案の通り閣議決定既に上奏を経候に付、閣下は時機御見計可成速に談判御開き、右條約締結の運に相成候様希望致候。
尤も、本案中単に字句の修正の如きは、談判の御都合により閣下の御意見を以て隨意取捨相成可然候得共、本案は既に閣議一定の上上奏をも経候者に有之候間、重要なる條款に付て修正を被要候節は、御取極の前予め本大臣へ御打合相成度存候。
猶、右條約談判并に調印全権御委任状は、不日御送附可申候。
右及訓令候也。

追て軍艦碇泊所の件に関しては、諸強国の猜忌と論争の為め徒らに事端を滋くするの緖を開くの懸念も有之候に付、之を後日に譲り候事に閣議決定相成候間、右様御了承相成度候。
「客年12月4日附貴翰」ってのは、主に朝鮮国に対する借款に関する書翰で、その中で対韓政略にも触れているんですけど、今回は省略。
これまで、微妙に触れた事のある、300万借款の話を改めてやるときに取り上げる事にしたいと思います。

で、「明治27年8月20日大鳥公使と朝鮮政府との間に締結せる暫定條約」は、前回取り上げた暫定合同条款の事。
勿論、前回わざわざ取り上げたのは、これだけのためだったりするんですけどね。(笑)

その暫定合同条款中、第2、3、4条にあたる鉄道建築・電信線布設・新開市場設置について、完全な条約を締結する事に関しての文書ということになります。
では、閣議決定及び上奏を経た別紙条約案を見てみましょう。

日本朝鮮両国政府は、益隣交を親密ならしめ、相互間の通信をして一層利便安全ならしむる為め、朝鮮国内に於ける電信線建設管理の事を約定する事左の如し。

第一條
日本政府は、従来朝鮮国に於て相当の電気技術者を養成し、電線建築電気通信の業務を適当に施行し得るに到るまでの間、隣邦の友誼に由り、朝鮮政府に代り朝鮮国内既設の電線及び将来建設すべき一切の電線を修築管理し、及通信の業務を施行すべし。

第二條
日本政府は第一條の旨趣に依り、釜山・漢城間、漢城・仁川間、及漢城・平壌・義州間の電線を以て、公衆通信の取扱を開始すべし。

第三條
在来朝鮮政府の建設に係る、漢城より公州・全州を経て釜山に達する電線、及漢城・元山間の電線は、朝鮮政府に於て相当の代価を以て此際之を日本政府へ譲渡すべし。
日本政府は適当の修理を加へ、公衆通信の取扱を開始すべし。

第四條
朝鮮政府の官報は、朝鮮国内の電線に限り無料を以て其発着を取扱ふべし。
但、郵送料又は別使配達料其他の手数料に属するものは此限に在らず。
朝鮮政府官報の種類及制限は、別に協定すべし。

第五條
電報及諸手数料の額は、日本政府の定むる所に依る。

第六條
電信建築修理及其局舎に要する材料機器等、日本より輸入すべきものは総て、朝鮮の海関税を免除すべし。
其朝鮮に在て、賃借又は買辨すべき物件及傭使すべき雑役人夫等は、朝鮮政府地方官に戒諭し、充分の利便を日本官吏に与ふべし。
其局舎及び用地は、一切の租税を免除すべし。

第七條
各電信局在勤の日本官吏工夫傭役人等は、朝鮮政府充分之を保護すべし。
若し、朝鮮政府朝鮮人を撰抜し、日本電信局に在て建築通信の技術を伝習せしむることを冀はば、相当の人員を限り之に従事せしむべし。

第八條
朝鮮政府は、本條約に掲ぐる電線を保護し損壊の虞なからしむる為め、刑律を議定し、沿道地方官に戒諭して之を励行せしむべし。
若し違犯の事あるときは、速かに犯人を懲責し、其損害を賠償せしむべし。

第九條
本條約施行後25個年を経、朝鮮人電線建築電気通信等の業務に熟練し、朝鮮政府自ら此事業を経営せんことを冀はば、日本政府は該線の相当代価を朝鮮政府より受取り、同時に該線路に属する一切の物件を朝鮮政府へ譲渡すべし。

第十條
明治16年3月3日締結日韓海底電信線設置條款中、第一條左の如く改正す。

第一條朝鮮政府は日本政府又は日本政府が指定したる会社に於て、日本領土より朝鮮釜山及仁川の海岸に到る迄、海底線一條若くは数條を設置することを承諾し、其陸揚場より日本人居留地までは日本政府より陸線を架設し、電信局を建て、通信の事を取扱ひ、該地線用の器物は総て朝鮮政府より輸入税及其置場の地税を免除し、他項は此例を引くことを得ず。
電線室の地税は、竣工後25年間は之を免除し、其以後に至り若し該電線利潤なき時は、更に免税を議定すべきを約定す。

第十一條
明治16年3月3日朝鮮開国492年正月24日締結日韓海底電線設置條款第一條及第二條に記載したる、満25年の特許期限は、更に本條約締結の日より新たに起算すべきことを特に約定す。

第十二條
明治18年12月21日朝鮮国乙酉11月16日締結海底電線設置條款続約は、本條約施行の日より廃止す。

第十三條
本條約は、両締盟国に於て之を批准す。
其批准は、本條約調印日より○ケ月以内に可成速に○○○於て交換すべし。


日韓電線條約秘密副約案
朝鮮政府は、日韓海底電線設置條款第二條の旨趣を拡充し、自今満25年間は日韓間に於ける海底電線の外、其海底線たると陸上線たるとを論ぜず、日本政府の同意を得たる後に非ざれば、朝鮮国と他国とを聯接すべき電線を設置することなく、又他国政府又は会社へ、之を設置すべき免許を与ふることなきことを特に約定す。
この条約案、実は3月18日のエントリーで取り上げた、『公文別録・逓信省・明治二十六年~明治三十九年・第一巻・明治二十六年~明治三十九年/日韓海底電線設置条款続約改正案(レファレンスコード:A03023090300)』の最終案と同じ。
この改正案が上奏されたのは、1画像目にあるとおり1895年(明治28年)1月2日ということになります。
ちなみに、この条約案の画像は、21画像目から25画像目まで。

勿論この条約、先にも言ったとおり締結されないわけですが、何でしつこく取り上げるかというと、電信線に関する対応の変化を説明すると、その守備兵の対応の変化も説明しやすいかなと思っただけ。
もしかしたら、全然関係ないまま終わるかもしれないけど、まぁ、その時は遡ってタイトルを変えるので。(笑)


今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)


暫定合同条款


んー、まずい。
前回まで書いてた朝鮮の電信の話って、思った以上に奥が深い。
やばいとこに手を付けちゃったかな?(笑)

で、どう話をすすめようかかなり悩んだのだが、腰を据えてやることに。
そいういうわけで、去年の3月11日のエントリーでも若干触れている、『暫定合同条款』から見てみようと思います。
残念ながら、アジ歴からは当該文書を見つけることができなかったので、韓国統監府が1906年(明治39年)11月29日に発行した、『韓国ニ関スル条約及法令』から内容を見ていきましょう。

【画像1】 【画像2】

暫定合同條款

明治27年8月20日京城に於て調印

大日本・大朝鮮両国政府は、日本暦明治27年7月23日・朝鮮暦開国503年6月21日、漢城に於て両国兵の偶爾衝突を興したる事件を治め、竝に将来朝鮮国の自由独立を鞏固にし、且彼此の貿易を奨励し、以て益両国の親密を図らむが為め、茲に合同條款を暫定すること如左

一.此度日本国政府は、朝鮮国政府に於て内政を改革せむことを希望し、朝鮮政府も亦其の急務たるを知覚し、其の勧告に従ひ励行すべき各節は、順序を追て施行すべきことを保証す。

一.内政改革の節目中、京釜両地及京仁両地間に建設すべき鉄道一事は、朝鮮政府に於て其の財政未だ裕ならざるを慮り、日本政府若は日本の或会社に訂約し、時機を見計ひ起工せむことを願ふと雖も、目下委曲情節ありて其の運に及び難し。
依て良法を案出し、可成丈速に訂約起工の運に至るを要す。

一.京釜両地及京仁両地間に於て日本政府より既に架設したる軍用電信は、時宜を酌量して條款を訂立し、以て其の存留を図るべし。

一.将来両国の交際を親密にし、且貿易を奨励せむが為め、朝鮮政府は全羅道の沿岸に於て一通商港を開くべし。

一.本年7月23日王宮近傍に於て起りたる両国兵員偶爾衝突事件は、彼此共に之を追究せざるべし。

一.日本政府は、素と朝鮮を助て其の独立自主の業を成就せしめむことを希望するに因り、将来朝鮮国の独立自主を鞏固にする事宜に関しては、両国政府より委員を派し会同議定すべし。

一.以上開く所の暫定條款は、畫押盖印を経たる後、時宜を酌量し大闕護衛の日本兵員を以て一律撤退せしむべし。

右暫定合同條款内永遠に循守す可き者は、後日更に條約として遵行すべし。
此が為め、両国大臣記名盖印以て憑信を昭にす。

大日本国明治27年8月20日
特命全権公使 大鳥 圭介

大朝鮮国開国503年7月20日
外務大臣 金 允植
第2条の「京釜両地及京仁両地間に建設すべき鉄道一事」の関係が、京仁鉄道の連載の際に触れた部分。

で、第3条の「京釜両地及京仁両地間に於て日本政府より既に架設したる軍用電信」の件が、前回及び今後取り上げる事になる、電信関係の話という事になります。


ということで、今日はWEBでもあまり見ない、暫定合同条款の条文のテキスト起こしだけでお終い。
いや、眠くって。(笑)



電信守備兵(二)


女王の教室みてたら、更新忘れてた・・・。_| ̄|○

前回は、全くの自分の趣味に終わった今回の連載。(笑)
実は、今日も趣味・・・。
まぁ、徐々に関連していくので、何とか一つ。

今日はまず、前回も見たアジア歴史資料センターの『公文別録・逓信省・明治二十六年~明治三十九年・第一巻・明治二十六年~明治三十九年/日韓海底電線設置条款続約改正案(レファレンスコード:A03023090300)』から、改正案の方の話を、1894年(明治27年)10月31日『秘発第54号』から見ていきます。

朝鮮国電信線の件

朝鮮国釜山漢城仁川間電信線架設の儀は、明治18年12月22日高平代理公使我政府の命を受け締結したる、海底電線設置條款続約の旨趣に依り、朝鮮政府に於て建設し維持し来りたるものに候処、該国開明学術の未だ発達せざる建築工事に於けるも通信技術に於けるも共に鹵莽粗濫を極め、其不通断線等故障の多き実に意想の外に出でたり。
今、誠に漢城釜山間の一線路に就き、既往3年間不通度数及其時間の平均を掲ぐれば、1ヶ年の不通度数は21回余にして、其不通時間は1ヶ年81日余なりとす。
是に由て之を観れば、今年の4分1弱は通信断絶の不便を蒙ることを免れず、殊に近年両国の交通は日に頻繁を加へ、 国際上重大なる事件陸続発生するの時に当り、該国電線の故障は年を逐ふて増加するの傾向あり。
現に、昨年に於ける防穀事件と云ひ本年に於ける東学党事件と云ひ、我官民が電報送受の関係に於て至大最要の必需あるの時に在て、線路は概子不通に属し、我官民の不便不利素より勝て算すべからざるものあり。
殊に、清国征討の端既に開けて、而して電線は尚ほ通ぜず、我政府は非常の労費を惜まず臨機軍用電線を該国内に急設して、以て焦眉の急に応ぜり。
是れ、素より一時不得止の処置に出でしと雖も、亦以て朝鮮在来線の恃で以て国家急要の用に供するに足らざるを証するに余あり。
今や、我兵連戦連勝、朝鮮国内一清兵を留めず、該国内電政の善後策を講ずる洵に適当の時機なりと確信せり。
窃かに惟ふに、朝鮮国の現況たる、如何に勧誘幇助を加ふと雖も、実際此等の業務に無能なる朝鮮政府に在ては、断じて其完全の経営を望むべからず。
就ては、我軍用線を以て、釜山漢城仁川間の公衆通信の用に供ずるは勿論、一国内電信の業務は之を一管理の下に措かざれば、動もすれば敏捷円滑を欠くの虞あるを以て、更に一歩を進め、従来の朝鮮線及び支那線をも此際併せて之を我政府の管理に帰せしめ、追て朝鮮政府自ら完全の経営を行ひ得るに到る迄の間、朝鮮国電政を我政府の掌中に存在せしむること、両国間に於ける政治上及商業上、特に清国が従来朝鮮に及ぼしたる電信事業の関係上に於て、最も必要なりと確信するに依り、別紙条約案3通を具し、爰に之を提出す。
前回締結された日韓海底電線設置条款続約に従って、釜山・京城・仁川の電線は朝鮮国が建設・維持してきたけど、建築技術も通信技術も駄目駄目なため、不通や断線が想定外に多い、と。
つか、1年間で21回、81日間の不通・断線って・・・。(笑)

「昨年に於ける防穀事件」とは、1889年(明治22年)に朝鮮が凶作を名目に防穀令を出し、日本への穀物輸出を制限した所謂防穀令事件の賠償問題解決に関する話でしょうね。

勿論、朝鮮国内の食糧不足時に防穀令を出すこと自体は、『朝鮮国ニ於テ日本人民貿易ノ規則(日朝通商章程)』37款において、「若し朝鮮国水旱或は兵擾等の事故あり、境内欠食を致すを恐れ、朝鮮政府暫く米糧の輸出を禁ぜんと欲せば、須く其期に先たづ1ヶ月前に於て地方官より日本領事官に照知すべし云々」と認めてるわけですが、1ヶ月前までに通知する義務が遵守されなかったため、前貸しで農作物を購入していた日本商人が多大な損失を被るという結果を招き、日朝間の国際問題にまで発展したっていう、例のアレ。

1ヶ月前の通知さえ行っていれば問題にすらならなかった話なのに、未だに条約違反の事実にも触れずに、「口実として」等という阿呆がWEB上に居るのには、辟易。

「東学党事件」は、当然東学党の乱で、「清国征討」は日清戦争。
しかし、電線はまだ通じない、と。
そこで、役に立たないのでしょうがなく一時の処置として軍用電線を架設。

この軍用電線の架設経緯については、清との関係もあって結構複雑。
今後、日清戦争や東学党の乱を取り上げる時にでも、別途取り上げようと思います。

で、いくら勧誘幇助しても、この業務に無能な朝鮮国では完全な経営は無理だから、この架設した軍用電線を釜山・京城・仁川間の公衆通信にも用い、従来の朝鮮線・支那線についてもこの際日本で管理。
「清国が従来朝鮮に及ぼしたる電信事業の関係上」とあるとおり、清国も朝鮮の電信事業に色々と噛んでるわけで、朝鮮政府が自分で完全な経営が出来るまでは、朝鮮の電政を日本で行うってのが改正の理由ってことになるんでしょう。

さて、この改正案。
なんだかんだ言いながら、実際には締結されていません。(笑)
取りあえず軍用電線の作られた経緯の説明に、丁度良いものを提示しただけということで。


つうことで、今日は実生活で時間も無かったのでここまで。



電信守備兵(一)