東学党の乱(百十二)

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連載再開では無いとか言っておきながら、もう一回パクリング。(笑)
今月初めに、このブログのコメント欄でも良くお世話になってるxiaoke氏がエンコリでスレッドたてられてまして。

▲もののついでに【獄長に捧ぐ、かも】

コメントで私が書いているとおり、昨年の1月24日のエントリーの1894年(明治27年)6月1日発電で、「See 機密第63号信 dated 5月22日.」と書かれており、「この5月22日付『機密第63号』は見つけられていない」としていた、1894年(明治27年)5月22日付『機密第63号』という事になります。
xiaoke氏、多謝。

さて、その当時のエントリーでは、「文脈から見れば、今回は中止になったから良いけど、もし清国が出兵したらどうすれば良いという文か、袁世凱と閔泳駿の密約の話でしょうなぁ。」とか言ってますが、果たしてどうなのでしょうか。
そんでは、早速中身を見ていきたいと思います。
『日本外交文書27巻第2冊』より、1894年(明治27年)5月22日付『機密第63号』。

機密第63号 (クリックで拡大)

全羅忠清両道の民乱に付鄙見上申の件 機密第63号本42
5月28日接受

全羅忠清両道内に乱民蜂起し、官吏を逐ひ、城邑を屠り、其勢猖獗を極むる事は追々の報告書に拠て御承知相成候義と存ず。
今日迄の報告に拠るに、乱民の占拠若くは横行したる市邑は、全羅道に在りては古阜、泰仁、扶安、金溝、井邑、高敞、茂長、羅州、咸平、務安、霊光等の各邑。
忠清道に在りては懐徳、鎮岑、青山、報恩、沃川、文義等の各邑に有之候へば、全忠両道の凡3分1に相跨り候に付、当国に取りては実に容易ならざる変乱に有之候。
加之近年其他の各道とも所在地方官の虐政に苦み、政府を怨み、動もすれば民擾を発せんとする折柄なれば、全忠両道乱党の勢力如何に因ては彼等起て之に応ずるも難計、左候時は京城は全く孤立の姿に陥り可申と被存候。
抑も当京城には新式(洋式)常備兵5,000と称すれども、其実数は是より減少すべく、而して此等の兵卒は平生歩趨運動の訓練に止り、護国の精神に至ては尋常市民に異ならず。
加之之を指揮する大小の隊長は大抵門地ある人々なれば、唯其員に備はるのみにて、平生の調練と雖も総て下士に任じ、彼等自身に兵隊を指揮する例に無之由に候。
斯る有様なれば、嚮きに派遣せられたる壮衛営の兵丁は各営中精練と称せらるるにも拘らず、彼地に至るや逃亡者日々不絶。
之が為めに士気沮喪し、進んで乱民の鋭鋒に当ること能はず、終に再び新兵を派遣する詮議に至りたるものと被推察候。
故に、官民勝敗の境は新送兵到着の後に定まる事なれば、今後3、4週日内には略相決し可申、万一不幸にして官軍敗続し民軍勝に乗じて北上する如きことあらば、当政府には如何に処置するか、予め之を今日に研究するは頗る必要と被考候。
鄙考には

第一策 政府は、民願を容れ民望に応ぜんとの目的を以て咄嗟に内政の改革を行ひ、国民が最も悪む所の弊害を除去し、以て乱党を懐柔し徐々に鎮定の方法を執ること。

第二策 兵を支那に借り以て乱党を勘定すること。
第一策は諸大臣中2、3の人是議を持するも公言を憚り、上奏中陰に之を言ふものの如く、第二策は閔泳駿主として之を唱ふるも異議多く未だ行れざるやに致漏聞候。
要するに、第一策は目下権勢共に盛なる閔氏に不利益なれば、国王の英断と雖も容易に行はるべしと思はれず。
之を行はんとするに、閔氏を振離して之を政府外に逐出さざる限りは其目的を達し難かるべく、而して斯る大事業は韓廷諸臣の微力にて成功し能ふべしと思はれざれば、今後乱民の勢力益々相募りたる暁には、是非なく第二策の姑息手段を執るに立至り可申と被推察候。
扨、支那兵が万一入韓(公然通知の手続を践み)するに至らば、朝鮮将来の形勢に向て或は変化を来すも難計に付、我に於ても差当り我官民保護の為め又日清両国の権衡を保つが為め、民乱鎮定清兵引揚迄公使館護衛の名義に依り旧約に照し出兵可相成や、又は清兵入韓候とも我政府は別に派兵の御沙汰に及ばれざるや、右は大早計に似たりと雖も予て御詮議相成候様致度候。
尚又前陳の如く当国の形勢に異変を来したる場合に当り、拙官の心得べき要項は兼て御訓示相成候様致度候。
右全忠両道の民乱に付鄙見及上陳候也。
全羅道と忠清道で乱民が蜂起して、官吏を追い払ったり城邑を落としたり、その勢いが猖獗を極めてるってのはこれまでの報告で分かってると思うけど、今日までの報告で乱民が占拠したり横行したりしてるとこは、全羅道では古阜、泰仁、扶安、金溝、井邑、高敞、茂長、羅州、咸平、務安、霊光等。
忠清道では懐徳、鎮岑、青山、報恩、沃川、文義等。
これは、全羅道・忠清道の3分の1に跨ってるわけで、この国にとっては大変な変乱だ、と。

まぁ、この辺は以前の連載の時に見た流れと同じ。
つうか、穀倉地帯のそんだけの範囲に広がってたら、朝鮮だけじゃなくどの国でも大変な事態ですが。(笑)

で、更に近年はその他の各道でも地方官の虐政に苦しみ、政府を怨み、ややもすれば民擾が起きようとしてる時期わけで、全羅道・忠清道の乱党の勢力次第では、彼等も呼応して蜂起するかもしれず、そうなれば京城は全く孤立する。
京城には新式兵が5,000人居るっていうけど、実数はそれより少ないし、兵も普段は歩趨運動しかしてないし、国を守る精神については普通の市民と同じ。
しかも、兵を指揮する大隊長・小隊長は大抵家柄の良い人なんで、単に名前だけで、普段の訓練も全部下士官に任せきりで、彼等自身が兵隊を指揮した事がない、と。
この辺は故事なんかでも割と良く聞く話で。

まぁ、そういう状態なんで、この前派遣された壮衛営の兵は精鋭と言われてたけど、全羅道・忠清道に到着するや毎日逃亡者が絶えず、そのために士気も無くなり、進んで乱民に当たる事もできず、遂に追加派兵の詮議に至ったものと推察する。
ってことで、官が勝つか民が勝つかは、新たに送られた兵の到着すれば分かるんで、今後3~4週間以内には大体決まるだろうけど、もし官軍が負けて民軍が北上するようになれば、朝鮮政府がどのような処置に出るか、予め今のうちに研究する事が必要だと思う、と。

で、朝鮮政府が採るだろう策について、第1に朝鮮政府は民の願いを聞いて望みに答えようという事で直ぐに内政改革を行い、国民が最も憎んでいる弊害を除去し、それで乱党を懐柔して徐々に鎮定する。
第2に清国から兵を借りて乱党を鎮圧する。
この2策だろう、と。

で、第1策は諸大臣中2~3人が考えてはいるようだけど公言を憚り、上奏中に暗にこれを言っているようで、第2策は閔泳駿が主に唱えてるけど、異議が多くて行われてないと漏れ聞こえてる、と。
この辺、一昨年の12月27日のエントリーの1894年(明治27年)5月22日付『発第61号』での5月18日の会議の話を元にしてると思われ。

で、第1策は現在権勢を振るっている閔氏にとって不利益なので、高宗の英断があっても簡単には行われるとは思えず。
もしやろうとすれば、閔氏を排除しなきゃ目的は達成できないだろうし、そんな大事業は朝鮮諸臣の微力では成功できないと思われるんで、今後乱民の勢力が益々拡大すれば、仕方なくその場凌ぎの第2策を執らざるを得なくなるだろう、と。
いや、朝鮮っていつもその場凌ぎなんですがね。(笑)

ってことで、清国兵が万一正式な手続き踏んで入韓すれば、朝鮮の将来の形成について変化をもたらすかもしれないため、日本側でも差し当たって官民保護のため、或いは日清両国の勢力均衡を保つため、乱民が鎮定されて清国兵が引きあげるまで、公使館護衛の名目で済物浦条約に基づいて出兵するべきか、または清国兵が入韓しても日本政府は特に派兵しないか。
これは、先走りすぎに見えるかも知れないけど、予め協議しておきたい。
また、前述のように朝鮮の形勢に異変が起きた場合の心得は、前もって訓示してもらいたい、と。

僕の予想、大体当たってたようで。(笑)


今日はここまで。
そろそろ、東学党の乱の続き始めようかなぁ・・・。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十六)  東学党の乱(百一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十七)  東学党の乱(百二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(五十三)  東学党の乱(七十八)  東学党の乱(百三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(五十四)  東学党の乱(七十九)  東学党の乱(百四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十五)  東学党の乱(八十)    東学党の乱(百五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十六)  東学党の乱(八十一)  東学党の乱(百六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十七)  東学党の乱(八十二)  東学党の乱(百七)
東学党の乱(八)    東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十八)  東学党の乱(八十三)  東学党の乱(百八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十九)  東学党の乱(八十四)  東学党の乱(百九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十五)  東学党の乱(六十)    東学党の乱(八十五)  東学党の乱(百十)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(六十一)  東学党の乱(八十六)  東学党の乱、ここまでのまとめ
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(六十二)  東学党の乱(八十七)  東学党の乱(百十一)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(六十三)  東学党の乱(八十八)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(六十四)  東学党の乱(八十九)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十五)  東学党の乱(九十)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十六)  東学党の乱(九十一)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十七)  東学党の乱(九十二)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十八)  東学党の乱(九十三)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(四十四)  東学党の乱(六十九)  東学党の乱(九十四)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(七十)    東学党の乱(九十五)
東学党の乱(二十一) 東学党の乱(四十六)  東学党の乱(七十一)  東学党の乱(九十六)
東学党の乱(二十二) 東学党の乱(四十七)  東学党の乱(七十二)  東学党の乱(九十七)
東学党の乱(二十三) 東学党の乱(四十八)  東学党の乱(七十三)  東学党の乱(九十八)
東学党の乱(二十四) 東学党の乱(四十九)  東学党の乱(七十四)  東学党の乱(九十九)
東学党の乱(二十五) 東学党の乱(五十)    東学党の乱(七十五)  東学党の乱(百)


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東学党の乱(百十一)

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連載再開、ではなく。
( ´H`)y-~~

たまに、きままに歴史資料集さんのとこと史料の突き合わせとかしてみてるんです。
気付かない部分とか、解釈とか、色々ありますんで。
それで、大事めの史料がボッツリ抜けてるのを発見しまして・・・。
今更気付くなよ、俺、と。(笑)

ってことで、しっかりと「日清戦争前夜の日本と朝鮮(21)」からパクリングさせて貰おうと。

史料は、アジア歴史資料センターの『公文別録・内閣・明治十九年~大正元年・第一巻・明治十九年~大正元年/陸軍少将大島義昌朝鮮国派遣ニ付訓令ノ件(レファレンスコード:A03023061600)』より。
んでは早速。

陸軍少将大嶋義昌朝鮮国派遣に付訓令の件

右謹で裁可を仰ぐ。

明治27年6月7日
内閣総理大臣 伯爵 伊藤博文

第9旅団長陸軍少将大島義昌

今般、朝鮮国に於て乱民暴動、同政府の力之を鎮圧する能はざる趣確報あるに依り、彼国駐在の我公使館、領事館及帝国臣民保護の目的を以て、其旅団を率い、同国へ派遣せしめらるるに付、左の訓令を遵奉すべき事。

一 出兵の目的は、公使館、領事館及帝国臣民を保護するに在ることに着眼すべし。

二 公使館、領事館及帝国臣民保護の手続は、緊急の場合に於ける臨機処分の外、全権公使と協議すべし。
若意見合はざることあるも、兵機に係る場合の外、公使の議に従ふべし。

三 京城の外、各所の居留帝国臣民を保護するの必要ありて、一々公使と協議するを得ざる場合に於ては、該地駐在の帝国領事と協議すべし。
但し、若公使若くは領事と協議を経るの便宜なきときは、処分の後報告すべし。

四 公使館、領事館及帝国臣民を保護する為め、正当防禦を要する場合の外は、朝鮮国の内乱に干渉すべからざることに注意すべし。

五 帝国公使より要求あるときは、各国及朝鮮人民をも場合に依りて相当の保護を与ふべし。

六 若朝鮮政府危急に至り、彼より我が公使を経て救援を求むることある場合に至らば、更に公使より政府の旨を伝ふべきに依り、臨機鎮圧の処分に及ぶべし。

七 若朝鮮国王又は其の貴顕又は各国駐在の官吏にして、目前に危急の場合に迫るを見受るときは、当然保護の処分を怠るべからず。

八 若清国より出兵の事あらば、互に軍隊の相当なる敬礼を守り、衝突を避け、細故を以て隣誼を敗らざることに注意すべし。

明治27年6月8日
内閣総理大臣 伯爵 伊藤博文
えー、これも「日清戦争前夜の日本と朝鮮(21)」で指摘済みですが、同じく6月8日には、『公文別録・内閣・明治十九年~大正元年・第一巻・明治十九年~大正元年/常備艦隊司令長官海軍中将伊東祐亨朝鮮国ヘ派遣セシメラレタルニ付訓令ノ件(レファレンスコード:A03023061700)』により、全く同内容の訓令が出されております。

時期的には、東学党の乱(六十二)に前後っていう形になるのかな。

まずは、出兵の目的が公使館・領事館・日本人の保護にあることに注意しろ、と。

次ぎに公使館・領事館・日本人の保護については、緊急時の対応以外には大鳥全権公使と協議して、もし意見が合わない時でも、戦いの駆け引き以外は公使に従え。

三つ目として、京城以外に居留する日本人を保護する必要があり、一々公使と協議できない場合には、当該地駐在の日本領事と協議し、もし公使とも領事とも協議する暇が無い場合には、事後報告しろ、と。

四つ目は、公使館・領事館・日本人の保護のための正当防衛以外には、東学党の乱に干渉するな。

で、五つ目が、大鳥公使から要求があった場合には、諸外国や朝鮮の人民も、場合によって相当の保護を与えること。

六つ目は、もし朝鮮政府が危急の事態になって、大鳥公使を経て救援を求めてくるような状況になったら、さらに公使から政府の命令を伝えるだろうから、臨機に鎮圧しろ、と。

七つ目は、もし高宗や高位者や各国駐在の官吏の目前に危険が迫ったのを見受けたら、当然保護することを怠らないように。

で、最後の八つ目が、もし清国から出兵があれば、互いに軍隊の相当な敬礼を守って衝突を避け、細かい事で隣国との情誼をやぶるような事が無いように注意しろ、と。

まぁ、この段階ではまだ普通の内容。
( ´H`)y-~~


今日はここまで。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十六)  東学党の乱(百一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十七)  東学党の乱(百二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(五十三)  東学党の乱(七十八)  東学党の乱(百三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(五十四)  東学党の乱(七十九)  東学党の乱(百四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十五)  東学党の乱(八十)    東学党の乱(百五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十六)  東学党の乱(八十一)  東学党の乱(百六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十七)  東学党の乱(八十二)  東学党の乱(百七)
東学党の乱(八)    東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十八)  東学党の乱(八十三)  東学党の乱(百八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十九)  東学党の乱(八十四)  東学党の乱(百九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十五)  東学党の乱(六十)    東学党の乱(八十五)  東学党の乱(百十)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(六十一)  東学党の乱(八十六)  東学党の乱、ここまでのまとめ
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(六十二)  東学党の乱(八十七)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(六十三)  東学党の乱(八十八)
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東学党の乱(二十二) 東学党の乱(四十七)  東学党の乱(七十二)  東学党の乱(九十七)
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ちょいとまとめておかないと、自分でも分からなくなりそうなのでエントリー。(笑)
基本、長城での戦闘と全州陥落までは、1月15日のエントリーの年表が一番分かりやすいのかな?
ちょいと修正して、それに付け足ししてみます。

1894年(明治27年)2月15日
古阜民乱勃発。
古阜郡守の趙秉甲は単身逃亡。

1894年(明治27年)2月20日
趙秉甲は全羅監営に逃げ込むことに成功。
しかし、兵を貸してくれという願いは聞き入れられず。

1894年(明治27年)4月25日
一時沈静化していた東学軍の動きが、再び激しくなる。

1894年(明治27年)5月7日
正領官洪啓薫、新任全羅兵使李文泳、壮衛営兵762人、人夫64人が京城を出発。

1894年(明治27年)5月8日
正領官洪啓薫は3隊386人を率い、野戦砲4門、弾薬140箱と共に清国軍艦平遠で、李斗璜が1隊194人を率いて漢陽で、元世禄が1隊247人を率いて蒼龍で仁川を出港。
しかし、清国軍艦平遠は水路に馴れていないため、途中豊島沖で碇泊。

1894年(明治27年)5月9日
漢陽及び蒼龍は一足先に群山着。
それに遅れて群山沖に平遠が半速力で来るものの、水深不足により群山鎮沖合12哩で碇泊。

1894年(明治27年)5月10日
386人+洪啓薫&李文泳は、約100名が蒼龍、2~300名が漢陽に乗り換え、満潮を待ってようやく群山着。
直ぐに全州に向け出発し、朝鮮30里ほど進んで臨陂で一泊。
この時、清国人10名前後が全州に同行。

1894年(明治27年)5月11日
50里進んで大長村で昼飯を摂り、更に40里進んで、夕方全州到着。

1894年(明治27年)5月12日
古阜黄土峴において、官軍と東学軍激突。
官軍大敗。

1894年(明治27年)5月14日
東学軍は南下して、羅州方面へ向かう。
前任監営領将金某が、東学軍の鎮圧について招討使洪啓薫と口論となり、笞刑の後に斬殺されさらし首にされる。

1894年(明治27年)5月16日
招討軍200名が霊光・務安方面に出発。

1894年(明治27年)5月18日
朝鮮政府、御前会議。
高宗、播遷を主張するもやんわりと却下される。
閔泳駿の清国援兵の件も却下され、江華等から援軍を派遣する事を決定。
霊光九岫浦に居た漢陽号が東学軍に襲われ、転運委員金徳容・姜古阜が拉致される。
同時に捕まった日本人乗組員は間もなく解放。

1894年(明治27年)5月21日
援軍の江華営兵等約400人が仁川を出発。
一方、招討軍は新たに200名を霊光・務安方面に出発。

1894年(明治27年)5月22日
高宗が全羅道の監司を罷黜し、前古阜郡守の趙秉甲も捕縛し、その他の貪官汚吏や虐政をした者の罪を問い、慰撫の意を示したという綸旨を頒布して、それでも従わなかったら討滅しろと下教。
招討使洪啓薫自身が200人を連れて霊光・務安方面に出発。
清国士官もこれに同行。

1894年(明治27年)5月23日
霊光襲撃。
公廨文簿が焼かれ、武器・金・穀物・馬が略奪される。
前後して、井邑・興徳・咸平・霊光等各方面に移動し神出鬼没状態であるため、官軍はこれに振り回されっぱなし。

1894年(明治27年)5月29日
この頃、綸旨宣伝官の李周鎬が賊の陣地に行って綸旨を伝えて説得しようとしたところ、説得する前に滅多切りにされて、人馬共に死亡。

1894年(明治27年)5月30日
招討軍、長城付近にて「トロイの木馬」的作戦により、死者数300余りを出し大砲2門と多数の銃を奪われる大敗を喫す。

1894年(明治27年)5月31日
全州陥落。
拉致されていた金徳容・姜古阜が発見される。
高宗が貪官汚吏を処罰する旨の勅諭を発布。
閔泳駿、袁世凱を訪問し内々に援兵依頼。

1894年(明治27年)6月1日
高宗及び閔泳駿が清国への援兵要請を決定。
勿論、5月18日の御前会議で否決されたと思っている朝鮮政府は、誰もこの事実を知らず。
全州では、招討軍が東学軍と交戦し、東学兵を300余名討ち取るも官軍の死者は5~600名。

1894年(明治27年)6月2日
朝鮮政府、御前会議で清国出兵について議題に上る。
「袁世凱に朝鮮軍を指揮させるってどうよ?」という高宗の折衷案も実らず、結局高宗及び閔泳駿が袁世凱への内議を既に終えており、今更覆す事も出来ないと追認する形に。
一方日本政府は、済物浦条約及び高平臨時代理公使の知照に基づく出兵を閣議決定。
巡辺使李元會を初めとする平壌兵等1,100~1,400人が京城を出発。

1894年(明治27年)6月3日
朝鮮政府が清国に援兵を公式に依頼。
この3日夜から4日にかけて、清国軍艦4隻が出港。

1894年(明治27年)6月5日
日本政府、天津条約に基づいて出兵の通知を閣議決定。
大鳥公使、横須賀を出発。

1894年(明治27年)6月6日
東学軍、全州の門外に出てきて招討軍に敗北。
14歳の李福龍を初め、500人を討伐。

1894年(明治27年)6月7日
清国側・日本側、相互に出兵の知照。
この時点で、文中の「保護属邦」を問題視し、日本側は清国側に抗議。
朝鮮政府、清国に上陸差し止めを要求。

1894年(明治27年)6月8日
牙山に清国兵約1,000人が到着。
朝鮮政府、日本に派兵撤回の要求。
この後、再三にわたり同様の撤兵要求が行われる。

1894年(明治27年)6月9日
大鳥公使、先発の海兵隊420人等と共に仁川港に到着。
第二陣の清国兵500人が牙山に到着するも、上陸はせず。

1894年(明治27年)6月10日
大鳥公使、先発の海兵隊420人等と共に京城入り。
第三陣の清国兵600人が牙山に到着するも、これまた上陸せず。
この日から翌日11日にかけて全州で戦闘。
官軍が全州を奪還するも、その際殲滅した東学党は、実は囮にさせられた、ただの全州市民であったとの情報あり。

1894年(明治27年)6月11日
6月9日からこの日まで、順次日本の後続隊が出港する。
大鳥公使、旅団派遣の中止を要請するも間に合わず。

1894年(明治27年)6月13日
日本の第二陣の陸兵800人が京城に到着し、先発の海兵隊と交代する。

1894年(明治27年)6月15日
日本政府、朝鮮の内政改革を柱とする閣議決定。

1894年(明治27年)6月16日
外務大臣陸奥宗光、在日清国公使の汪鳳藻と会談し、閣議決定の内容を伝える。
忠清道監司から、「興徳取報内彼徒百余名直向茂長云百余名又向古阜興徳臨云」との電報あり。

1894年(明治27年)6月17日
大鳥公使は、内乱が鎮定されたのであればそれを目的に朝鮮に来ている清国軍が撤兵すべきであり、それを鎮定の証拠として今度は日本軍が撤兵する手順を決意。


大まかに、こんな感じかな?

さて、今回の連載で分かった点。

一.全州和約について
全州和約は締結されていない可能性が非常に高い。
もし結ばれていれば、高宗等の許可を得ない、現場(洪啓薫等)が勝手に行ったものと推測される。
勿論、日本政府には通知されていない。
仮に締結されていたとしても、洋夷排攘的な条文が全州和約にあるとすれば、駐留する名分は失われない。

二.東学党の乱の発端
苛政と転運事業への不満による。
1月18日のエントリーの「汽船使用器械購入のことなどは、大に不服を訴へ居ると云ふ。」は実に味わい深い。

三.清国と日本の出兵
清国への援兵依頼がそもそも必要無かった。(笑)
日本には済物浦条約及び高平臨時代理公使の知照という大義名分があり、巷間良く言われるような、名目も無くなったのに駐留等の言葉は当たらない。


こんなとこかな?
つうか、長すぎるから漏れもあるかもしれないけど。(笑)
まぁ、みんな呉知泳の『東学史』に踊らされすぎだよねぇ。( ´H`)y-~~


ってことで、本当に東学党の乱(春の部・第一次蜂起)お終い。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十六)  東学党の乱(百一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十七)  東学党の乱(百二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(五十三)  東学党の乱(七十八)  東学党の乱(百三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(五十四)  東学党の乱(七十九)  東学党の乱(百四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十五)  東学党の乱(八十)    東学党の乱(百五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十六)  東学党の乱(八十一)  東学党の乱(百六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十七)  東学党の乱(八十二)  東学党の乱(百七)
東学党の乱(八)    東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十八)  東学党の乱(八十三)  東学党の乱(百八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十九)  東学党の乱(八十四)  東学党の乱(百九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十五)  東学党の乱(六十)    東学党の乱(八十五)  東学党の乱(百十)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(六十一)  東学党の乱(八十六)
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(六十二)  東学党の乱(八十七)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(六十三)  東学党の乱(八十八)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(六十四)  東学党の乱(八十九)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十五)  東学党の乱(九十)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十六)  東学党の乱(九十一)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十七)  東学党の乱(九十二)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十八)  東学党の乱(九十三)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(四十四)  東学党の乱(六十九)  東学党の乱(九十四)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(七十)    東学党の乱(九十五)
東学党の乱(二十一) 東学党の乱(四十六)  東学党の乱(七十一)  東学党の乱(九十六)
東学党の乱(二十二) 東学党の乱(四十七)  東学党の乱(七十二)  東学党の乱(九十七)
東学党の乱(二十三) 東学党の乱(四十八)  東学党の乱(七十三)  東学党の乱(九十八)
東学党の乱(二十四) 東学党の乱(四十九)  東学党の乱(七十四)  東学党の乱(九十九)
東学党の乱(二十五) 東学党の乱(五十)    東学党の乱(七十五)  東学党の乱(百)


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東学党の乱(百十)

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今日で、東学党の乱もお終い。
3ヶ月半も良くやったねぇ。
で、何が分かったかと言えば・・・・・・・・・・・・。(笑)

さて。
今日最初の史料は、4月7日のエントリーで、趙秉稷から仁川に上陸した兵についての照会がありましたが、それについての返事となります。
1894年(明治27年)6月17日付『第50号』より。

逕覆者昨准来椷以我馬歩軍到仁下岸上下皆甚譁騷未知有何意見云々承詢各節本公使均已閲悉査我政府初聞貴国南道民乱猖獗益甚全州隨亦失守於是貴国政府恐難剋期剿滅請援於清国而清兵将大挙而来也我政府乃謂変乱之勢既至如此之甚則護使館護商民何可遅緩一日且乱勢即大則非寡兵之所能護衛此所以我兵之陸続派来原非別有意見而然也至来亟内称南道匪徒刻已平静云々一節与本使所聞有不相符者拠聞乱徒雖已棄退全州而金溝古阜等地尚有勢焔将熾者云況乎現聞清国援軍尚在牙山等地紮駐頗有厳如対敵之勢亦足以徴乱徒未帰平静矣果如是則我国亦置兵自行護衛使館商民勢所不可已也尚望貴督辨照諒并将此意以釋貴国上下之疑惑本公使是所厚望焉耑此佈復順頌台祉
昨日、「日本の騎兵と歩兵が仁川に到着して上陸したので、上下皆非常に騒がしくなったが、大鳥公使が何か意見を持っているのか分からない。」とした書翰は受け取った。
日本政府は、当初朝鮮南部の民乱の勢いが益々激しくなり、全州も陥落したということで、朝鮮政府では早期に剿滅できないと清国に援兵を要請し、清国兵が大挙として来た。
日本でも、変乱がそのように酷いのであれば、公使館と居留民を保護するために1日も遅れるわけにもいかず、内乱が激しさを増せば少数の兵では保護出来ないと考えて派兵したのであり、元々何かの意見があって派兵したわけではない。
直球。(笑)

で、送ってきた書翰には、「南道の匪徒はすでに平静になった」と称しているが、それは大鳥が聞いた乱徒は全州を遺棄して退却したが、金溝や古阜等で彼等の勢いがまだ激しいという話と符合しない。
まして今聞いたところでは、清国の援軍はまだ牙山等に駐屯し、その厳しさは敵と対峙しているかのようだという。
これは、乱徒を平定することが出来ていない証拠である。
もしそうであれば、日本も兵を置いて公使館と居留民を自ら保護しなければならない。
ということで、この意味を理解して、朝鮮上下の者の疑惑をすべて解いてくれることを非常に望んでいる、と。

前回の「陸兵を撤回せしむ可き最後の処置に付伺」で述べていたように、正論で対処。
平定したんなら、援軍を頼まれた清国は撤兵するはずだが、それをしないという事は平定できて無いんだろ?
あん? ( ´H`)y-~~ プハー
と。(笑)

さて。
上記史料中、金溝や古阜等で云々という話があります。
3月19日のエントリーでも、英文で「東学党は、6月10日、6月11日に全州で敗れ、金堤方面に逃走した。」なんて報告もあり、その他まだ取り上げていない、全州奪還後の東学軍に関する情報があるんですが、これは付日も誰が誰に出したものかもちょっと不明なので割愛しております。
「国王は、昨日始めて日本兵の入京は朝鮮に対し別に意味ある訳にあらざることを諒したりと云ふ」とか、かなりツッコミたくなる記述もあって、勿体ないんだけどなぁ・・・。(笑)

というわけで、素性のハッキリしている史料を見てみることにします。
今回の連載の最後の史料になります、1894年(明治27年)6月17日付『発第160号』より。

1)11日忠清道監司電報(我6月14日)
巡辺使返向公州今始初聞即当電報仰達而雖回陣時若由陸行則列邑莫可支保各処若将離散已有懲習景色噋々預為軫念伏望

2)13日忠清道監司電報(我6月16日)
依昨教電探於完伯美即見回電則巡辺使初不直請回軍大軍久留経費夥多水陸間承処分挙行計矣現今余党猖獗曷敢回軍云且興徳取報内彼徒百余名直向茂長云百余名又向古阜興徳臨云此輩一向閃忽伏悶
6月14日と6月16日の忠清道監司の電報ですが、ぶっちゃけこの二つは良く分かりません。(笑)
巡辺使ってのは、もう忘れちゃってるかも知れないけど、李元會の事です。

最初の「列邑莫可支保」とか二つめの「水陸間承処分挙行計」の辺が、特に意味不明。
大ざっぱに言えば、巡辺使が公州に戻るって初耳なんだけど、陸路使ったらホニャララ。

ということで全羅監司に聞いてみると、巡辺使が最初から回軍を主張してたんじゃなく、大軍が長期間駐屯していれば経費が非常に多くかかり、ホニャララ。
現在残党が猛威をふるってるのに敢えて回軍を言うのか。
且つ興徳の報告では、賊徒の100余人が茂長に向かったとか、古阜・興徳に向かったとか言ってるじゃない。

何で東学党の残党がまだ暴れてるのに、公州に戻るのよ?って感じだと思うんだけど、自信無し。(笑)

ってことで次。

3)同17日探報者の報告
賊党進出全州之時先以城内女子被男服先駐拒前陣又以良民爲中陳出西門招討使認以賊軍放回旋砲戮滅之徒輩従東門全軍逃出其所被殺実皆全州平民也彼所謂首魁全緑豆被殺云者雖登於電報然亦以伝聞之説也非認真確知也所以有全緑豆亦避生之説也現又橫行于扶安等地昨聞招討使派領官使之討平余党然東討則西走左右閃忽未易盡滅也
3つ目。
6月17日の探報者の報告。
賊党が全州を出る時に、まず城内の女子に男装させて官軍の前陣を阻むようにし、良民等を中陣として西門から出した。
招討使は彼等を賊軍と認め回旋砲を撃って殲滅させたが、賊徒は東門から全軍が逃げだした。
ということで、その殺された人々は、実はみんな全州の平民でした・・・。

3月12日のエントリーでの「500人余りを斬り」ではなくて、3月19日のエントリーでの「東学党は、6月10日、6月11日に全州で敗れ、金堤方面に逃走した。」の時だろうね。

つうか、それ以上に3月14日のエントリーで「招討使以為らく、此等の匪徒を遺し置かば、明春再び事を起すべし。寧ろ之を屠戮剿滅するに如かず」ってさぁ、もう市民を皆殺しにしちゃった言い訳に使うためじゃないよな?(笑)

んで、首魁である全緑豆が殺されたと電報でもあったけど、伝聞の説であって事実確認はしてないよ、と。
3月14日のエントリーで「全祿斗って、誰?」とか言ってた訳ですが、やはり「全緑豆」即ち「全琫準」で正解なようで。

その全緑豆も逃亡して生きてるという説もあり、現在扶安等の地で横行しているともいう。
昨日聞いたところでは、招討使は残党討伐に領官を派遣したが、東で討伐すれば西に逃げ、左右で光ったかと思えば消え、簡単には殲滅できないという、と。

この探報者の報告や先ほどの忠清道監司の電報によれば、全州奪還しただけで全然鎮圧できてませんが。(笑)
まぁ、勢力自体はかなり衰えてるんでしょうけど。

4)清兵に関する報告17日接す
清国兵留駐牙山策応其煩屡請還陳而以待天津指教以数多日遅留也朝鮮暦今月十一日支那救兵将官聶氏電報于我政府(朝鮮政府)曰期到全州地探察賊情而若平定則已猶未能討平則率師往伐後順師奉王命而帰還之意電達矣支那救兵等自牙山郡陸行駐留成歓駅所矣成歓駅則在忠清道稷山縣而三南大路也距京一百八十里或二百里内外間也
続いては、清国軍に関する17日接受の報告。
清国兵が牙山に駐留しているのは、マンドクセーから再三帰還要請して天津の支持を待ってるからだ。
で、6月14日に聶提督が朝鮮政府に、まだ平定できてないんだったら軍を率いて討伐して帰ると知らせてきた、って感じかな?

今回、最後なのに自信の無い訳が続くなぁ。(笑)

5)在全羅道全州留学生高嶋吾八電報(本月17日午後11時55分接到)
参礼(忠清道地にして公州全州の間にあり)に往く道、日本商民菊野訴へあり高山に立寄る。
参礼の電局全州に移した為め、今日5時到着。
直ぐ招討使を訪問。
東学離散。
全州鎮静。
巡辺使まだ参礼にあり、江華兵300武器引換への為め軍倉に往き、明後日又来るはず。
清兵来る模様なし。
巨魁は鹽つけにて京城に送ると云ふ。

右及御報申候也。
最後は留学生の高嶋吾八からの電報。
んー、これも前後関係が無いと分かりづらい・・・。

取りあえず、招討使を訪問したところ、東学党は離散し全州は沈静化した。
巡辺使はまだ参礼に居て、江華兵300人が武器引き換えのために軍倉に行って、明後日また来るはず。
清兵が来る様子は無い。
巨魁は塩漬けにして京城に送るという、と。

14歳の「巨魁」も塩漬けかなぁ・・・。


ってことで、今後の史料中にも関係記述は出てくるかと思われますが、取りあえずここまで。
というか、あまりに連載が長すぎたんで、次回で少しまとめてみようかと思います。
終わりじゃねーじゃん。(笑)



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十六)  東学党の乱(百一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十七)  東学党の乱(百二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(五十三)  東学党の乱(七十八)  東学党の乱(百三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(五十四)  東学党の乱(七十九)  東学党の乱(百四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十五)  東学党の乱(八十)    東学党の乱(百五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十六)  東学党の乱(八十一)  東学党の乱(百六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十七)  東学党の乱(八十二)  東学党の乱(百七)
東学党の乱(八)    東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十八)  東学党の乱(八十三)  東学党の乱(百八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十九)  東学党の乱(八十四)  東学党の乱(百九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十五)  東学党の乱(六十)    東学党の乱(八十五)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(六十一)  東学党の乱(八十六)
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(六十二)  東学党の乱(八十七)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(六十三)  東学党の乱(八十八)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(六十四)  東学党の乱(八十九)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十五)  東学党の乱(九十)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十六)  東学党の乱(九十一)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十七)  東学党の乱(九十二)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十八)  東学党の乱(九十三)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(四十四) 東学党の乱(六十九)  東学党の乱(九十四)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(七十)    東学党の乱(九十五)
東学党の乱(二十一) 東学党の乱(四十六)  東学党の乱(七十一)  東学党の乱(九十六)
東学党の乱(二十二) 東学党の乱(四十七)  東学党の乱(七十二)  東学党の乱(九十七)
東学党の乱(二十三) 東学党の乱(四十八)  東学党の乱(七十三)  東学党の乱(九十八)
東学党の乱(二十四) 東学党の乱(四十九)  東学党の乱(七十四)  東学党の乱(九十九)
東学党の乱(二十五) 東学党の乱(五十)   東学党の乱(七十五)  東学党の乱(百)


東学党の乱(百九)

テーマ:

長々とというか、ダラダラとというか、長期に渡ってきた東学党の乱の連載も、今回と次回で史料は終わりにしようかと。
つうか、終わるって言っても日清戦争に繋がっていったり、所謂第二次蜂起の東学党の乱もあるんだよね。(笑)
まぁ、あまり深く考えずに先に進みます。

今日最初の史料は、大鳥から陸奥への1894年(明治27年)6月17日付『機密第96号』から。
長いよ。(笑)

陸兵を撤回せしむ可き最後の処置に付伺

本日八重山艦に附托し発送取計候電稟の趣意は、既に同文面に於て御承知相成候通り、当地の形勢は本官東京発の際想像したるとは大に事情を異にし、全羅道に於ける乱民も、最初全州を陥れたる侭10余日間同城に拠守したる処、其後前後の京軍之を攻撃して去11日遂に之を恢復し、而して乱民は金堤・古阜等地に退走し、其勢復た前日の如く猖獗ならざる由及伝聞、且又清兵は前後凡そ2,000人程は既に牙山に到着したりと雖も、適々全州の恢復と乱民の勢力頓減したるが為め、朝鮮政府の請求も有之旁々其兵を南方に進めず、後命を待て進退せんとする姿に有之候。
之が為め事情我兵を貸して乱民を鎮定す可き形勢に無之、且又京城近傍は目下全く静穏の姿なれば、事実多数の護衛兵を要せざる義に付、旁以て先般後発兵の出帆差止め方を電稟及び候次第に有之候。

然るに此間中より清使袁世凱氏は、我両国兵の衝突を避け東洋の大局を保全せんとの口実にて、退兵の相談有之。
現に再昨日も来館し、目下牙山に在る支那兵を撤回せしむべきに付、我国の兵隊をも同時に撤回せしめ候事を希望する旨協議有之候。
依て彼の意中を推察するに、一は在牙山兵は長日の滞陣に困難を感じ、他の一は在天津李鴻章氏より頻りに日清両兵の衝突を恐れ、撤回の訓令を下したるに因るものの如しと(天津来報に詳かなり)雖も、猶ほ探偵に拠れば、彼が朝鮮政府に対する威信及び義務として我兵の撤回を周旋することは、重なる原因にあらざるかと被推察候。
探偵者の屡々報ずる所に拠れば、袁氏は韓廷に向ひ、我計略を以て日兵を撤回せしむ可しと常に大言を吐き居るやに及伝聞候。
依て本官は、「我両兵の衝突を避けんが為め之を撤回し、以て東洋の大局を保全する事は至極御同意に有之候得共、本使は撤兵の事に付未だ本国政府より何たる訓令を奉有せざれば、電信の接続を待て先づ政府の指令を請ひ、然後ち何分の御協議に及ぶ可し」と返答致置候。
隨て愚考するに、今回の事件は本と袁世凱が朝鮮政府に勧めて援兵を出したるは其起因にて、我政府は事実之に促されて出兵したることなれば、若し撤兵の際に日時約束致雙方相均き引揚方を為すときは、局外者より之を観るも甚だ不公平にして、之が為めに袁氏に日兵を撤回せしめたりとの名誉を与ふるは勿論、其結果は我大兵を入韓せしめながら却て清韓両国の軽侮を受け、他の外国人の嗤笑を招くに至るも難計と只管憂慮する所に有之候。
殊に我兵は最初到着の一大隊のみなれば、我政府の所置は単に公使館保護の一点に止ることならんとは、内外人共に之を認む可しと雖も、既に4,000人に垂んとする大兵を派遣したる上は、輒ち清使の相談に応じ同時に之を引揚ぐる如きは甚だ政策の得たるものに有之間敷と■確信候。
故に此際我国の威厳を保ち、将来の利益を考ふるときは、徹頭徹尾4分6分の権衡を執り、清国をして先づ其援兵を撤回せしめ以て民乱鎮定の実証を挙げしめ、然後我兵を撤回する事は当然の順序と存候。
就ては、本官始終此主意を確執し、朝鮮政府に向ては飽迄清兵を撤退せしめん事を督促し、清使に向ても同様民乱既に鎮定に帰したる後は、一日も猶予せず其援兵を撤回して来援の本義を全ふせんことを請求し、可及丈平和手段に依り其目的を達する様百方盡力可致と存候得共、萬一不幸にも清使我意を募り当方の請求に応ぜず、依然其兵を牙山若くは其他の地方に駐紮せしむるか、或は之を京城に繰入れて我兵と対峙せんと企つる如きこと有之候はば、我国は如何なる方針を執るべきや。
此際急に帝国政府は、斯る場合に処する廟議を確定せられんことを希望する所に有之候。
鄙案には、日清両国の兵永く朝鮮に対峙する場合には早晩必ず衝突を免れざる可く、加之我に於ては、4,000に近き大兵を永く滞陣せしむることは不得策なる可きに付、仮令兵力を借りても我より彼兵を退去せしめ、以て我が威厳と利益とを保全するは、今更解す可からざる政策と■確信候。
右に付、我が執が以て各国に宣言する名義は、我国は従来朝鮮の独立を認定し、且つ其独立権を保護せんことを企画するものなるに、清国は故なく其兵を朝鮮国内に駐在せしむることは、彼が常に主張する如く、事実上朝鮮を属邦とし其主権を施行するものなれば、取も直さず我認定を抹殺し、其企画を妨碍するものなり。
加之朝鮮国内に外兵の駐在するは、我国に取りては甚だ危険を感ずるに付、我企画を遂行し、我利益を保護せんが為め、外兵を朝鮮より逐出す可しと云はば、我方に於て強て其道理なきに苦む事なかる可しと思考致候間、何卒此一点に付廟議御決定相成り候様致度と存候。
右は、大略既に電信にて陳述致候得共、猶ほ其意義の充分ならざる所あるを致掛念候に付、茲に致詳陳候。
至急何分の御訓示相成候様致度候。

敬具
冒頭の、6月17日に八重山に預けて発送するように取り計らった電報が、既にどれだか分からねぇ。(笑)
この書簡自体は、日本に6月25日に接受されたようですが、八重山に預けた電信はこれから出てくるかなぁ・・・。

で、その文面にも記したとおり、朝鮮の形勢は大鳥が東京を発った時に想像していたのとは全く事情が違い、全羅道の乱民も、全州を陥落させて10日ほど立てこもっていたが、その後官軍が攻撃して6月11日に全州を取り返した。
乱民は金堤や古阜等に敗走し、その勢いは以前のような勢いは無くなったと伝え聞いている。

また、清国兵2,000人ほどは既に牙山に到着してはいるが、たまたま全州奪還と乱民の勢力が急減したため、朝鮮政府の請求もあって兵力を南方には移動させず、後の命令を待って進退する模様。
このため、事情は兵を貸して乱民を鎮定するような形勢には無く、かつ京城近辺は現在全く静穏であり、実際に多数の護衛兵は不要な状況のため、先般、後発兵の出帆を差し止める電報を送った次第だ、と。

確かに、内乱を鎮圧できずに他国に援兵依頼って、普通はただごとじゃない話。
ところが、実際は閔泳駿がビビって袁世凱の口車に乗っただけで、行ってみたら全く平穏という、あり得ねぇ展開。(笑)
ってことで面食らうわけですが、事態がそうである以上、多数の護衛兵は不要と電報したわけです。

しかし、その間中にも袁世凱は、日清両国兵の衝突を避けて東洋の大局を保全しようという口実で、撤兵の相談があり、現に一昨日も来館して、現在牙山にいる清国兵を撤兵させるので、日本兵も同時に撤兵することを希望するという協議を求めてきた、と。

従って、袁世凱の意中を察するに、一つは牙山にいる清国兵は長期間の滞陣に困難を感じ、もう一つは天津からの来報に詳細があるように、天津の李鴻章が頻りに日清両国兵の衝突を恐れ、撤兵の訓令を出した事によるようだとはいえ、更に探偵してみれば、袁世凱が朝鮮政府に対する威信の誇示と義務によって日本の撤兵を斡旋するというのが主な原因ではないかと推察する。
で、探偵者の報告を見れば、袁世凱は朝鮮政府に向かって、儂の計画で日本を撤回させるべしと常に大言を吐いていると聞いている、と。

威信のために出兵するように仕向け、日本が出張ってくるとそれを撤退させる事で威信を示そうとする。
イヤらしいヤツですなぁ。

大鳥はそれに対して、日清の衝突を避けるために両国の兵を撤兵させ、それによって東洋の大局を保全するという事には非常に同意するところだが、大鳥は撤兵の事について本国政府から未だ何の訓令も受けていないため、電信が繋がるのを待って政府の指示を受け、その後何等かの協議を行おうと返答しておいた。
こんな大事な時に壊して不通にしてるから、朝鮮に電信任せられないって話になるんだよ。(笑)

ってことで考えるに、今回の事件は元々袁世凱が朝鮮政府に勧めて援兵させたのが原因であり、日本政府は清国の出兵にせき立てられて出兵したわけで、もし撤兵の時に日時を約束してお互いに同様の引き揚げ方をすれば、局外者からみても非常に不公平であり、このために袁世凱に日本軍を撤兵させたという名誉を与えるのは勿論、その結果は、日本の大軍を渡韓させておきながらかえって清・韓両国に見下され、他の外国人にも嘲笑されるかも知れないと、憂慮している、と。

この場合の「不公平」ってのはどういう意味かな?
まぁ、清国が援兵しなければ日本も出兵しなかったわけで。
しかも、のこのこ大軍率いていったら何とも無くて、おまけに出兵の大元になった袁世凱から同時に引き揚げましょうってのは、ハッキリ言って「ふざけんな!」という状況ではありますが。(笑)
おまけに朝鮮人は、「おお、やっぱり倭奴より袁世凱の方が偉いですね!」となるに決まってるわけで。
ま、そうゆことかな?(笑)

特に日本兵は最初に到着した一大隊だけであれば、日本政府の出兵は単なる公使館護衛のためだけだと内外人も認めるだろうけど、既に4,000人にもなろうとする大軍を派遣した以上は、袁世凱の相談に応じて同時に撤兵するような事は、非常に政策上マズイと確信する、と。

従って、この際日本の威厳を保って将来の利益を考えれば、あくまで四分六で釣り合いをとり、清国にまず撤兵させ、それを以て民乱が鎮定した実証とし、その後日本兵を撤兵させる事は当然の順序だと思う。
ついては、大鳥は終始この主意を強く主張して譲らず、朝鮮政府に対しては飽くまで清国の撤兵を要求し、袁世凱に向かっても同様に、民乱が既に鎮定した後は一日も援兵を撤兵させ、来援の本義を全うする事を請求し、可及的平和な手段によってその目的を達するように力を尽くしたいと思うが、万が一不幸にも袁世凱がその意を押し通そうとして日本の請求に応じず、依然として清兵を牙山やその他の地方に駐屯させるか、或いは清兵を京城に入れて日本兵と対峙しようと企てるような事があれば、日本はどのような方針を取るべきか。
至急日本政府は、このような場合の対処について廟議するように希望する、と。

いや、確かに大鳥の言ってる、清国にまず撤兵させ、それを以て民乱が鎮定した実証とし、その後日本兵を撤兵させるって手順は当然なんだけどさ、4月5日のエントリーでもうとっくに撤兵に関する閣議決定が行われて、4月15日のエントリーで電信も送られてんだけどね。
勿論不通によって、この時まで届いて無いんでしょう。
つくづく使え無ぇ電信だなぁ。(笑)

で、日清両国が長期間朝鮮で対峙すれば、早晩必ず衝突するだろう、と。
これに加えて、日本に於ては4,000人近い大軍を長く滞陣させる事は不得策だろうから、例え兵力を使っても日本が清国を退去させ、それによって日本の威厳と利益を保全することは、今更言うまでもない政策と確信している。

これについて日本が各国に宣言するための大義は、日本は元々朝鮮の独立を認定し、且つその独立権を保護しようとしているのに、清国が理由もなくその兵を朝鮮国内に駐在させるのは、清国が常に主張しているように、事実上朝鮮を属国としてその主権を施行しようとするものであり、これは日本の独立国認定を抹殺して、独立権を保護しようという企図を妨害するものだ。
これに加えて、朝鮮国内に外国兵が駐在する事は、日本にとっては非常に危険に感じるため、日本の企図を遂行し利益を保護するため外国兵を朝鮮から追い出すのは当然であると言えば、日本においては理由が無いと苦しむ事もないだろうと思うので、何卒この一点について閣議決定して欲しい、と。

悪くない案ではあると思いますがね。
一週間も届かないんですよね。(笑)


今日はここまで。
次回、最終回。



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東学党の乱(百八)

テーマ:

今日もアジ歴の史料からデッ・スッ・ヨウッ!
そしたらぁ~、あっそぉ~う!
前置きも省略~。
いや、何となくやってみただけ。
あ~いとぅいまてぇ~ん。

・・・今日も『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/明治27年6月9日~明治27年6月21日(レファレンスコード:B03030205000)』から、17ページ目。
陸奥から北京の小村臨時代理公使と天津の荒川領事への、1894年(明治27年)6月16日付『電送第206号、電送207号』より。

The following is strictly confidential.
I had long interview with Chinese Minister 六月十六日 with a view to arrive at some understanding with China for the preservation of peace and order in Corea in Future, even if present disturbances be suppressed.
I proposed to Chinese Government a scheme important points as follows: Japan will act conjointly with China. 1st to suppress revolt and restore order.
2nd to appoint joint commission from both countries to reform administration and finance.
3rd to organize efficient army for self protection.

Mutsu
で、訳そうと思ったら、前回の1894年(明治27年)6月16日付『電送第205号』と殆ど同じだった・・・。
テキスト起こす前に気付け、俺。_| ̄|○

ってことで、次。
同じく陸奥から在英国青木公使への、1894年(明治27年)6月16日付『電送第208号』より。
訳文もついてますので、それも一緒に。
画像的な順番としては、18ページ→17ページ→19ページ→20ページという順番になりますのでヨロシク。

Japan will withdraw troops as soon as state of things in Corea permit it, but thus for we have not yet received definite report that insurgents have been dispersed and on the contrary disorders seem still to continue.
Assume British Government that every precaution is being taken to avoid complications.
Besides, even if the present disturbance be brought to peaceful termination, it is deemed highly important that peace and order should be secured in Corea in future; so step is being taken to come into understanding with China with that object in view.
The following is for your own information.
I proposed to Chinese Government through Chinese Minister 六月十六日 of which main points as follows: Japan will act conjointly with China.
1st to suppress revolt and restore order.
2ndly to appoint joint commission from both countries to reform administration and finance.
3rdly to organize efficient army for self protection.

Mutsu


電信訳文

日本は、朝鮮国変乱の状況駐兵を要せざるに至れば、直に其兵を撤回すべし。
然れども、今日迄は未だ賊軍敗散の確報に接せず、却て今猶擾乱止まざるの模様あり。
日本政府は葛藤を避くる為めには、有ん限りの注意を加へ居る旨英国政府へ表明されたし。
縦令ひ目下の騒乱は平和の結局を見るに到りても、将来に於て朝鮮国の平和秩序を保全ならしむることは大に緊要なるに付、此の目的を達する為め、今や清国と協議を尽さんとするの場合なり。

左の事は、閣下の心得迄に申進す。
本大臣は、左の要点を6月16日在日本清国公使を以て清国政府へ申込みたり。

日本は清国と協同して、
第一、両国の兵を以て、朝鮮国目下の騒乱を鎮定し、秩序を恢復すべきこと。
日清両国は、各々委員を任命し、左の2項の改革を為さしむる事。

第一、朝鮮国行政及財政整理の事
第二、朝鮮国自衛の為め、充分なる陸軍を組織せしむる事
前回の青木公使からの1894年(明治27年)6月16日着『電受第248号』を受けての返信に当たるのかな?

日本は、朝鮮での内乱の状況が兵の駐留を不要とする状態になれば、直ぐにでも撤兵する。
しかし、今日までのところまだ賊軍が敗散したという確報を得ておらず、かえって尚騒乱が止まない様子。
日本政府は、葛藤を避けるためにあらん限りの注意を払っているとイギリス政府に表明して欲しい。
例え現在の騒乱が平和裏に終わったとしても、将来にわたって朝鮮の平和と秩序を保全させる事は喫緊の課題であるため、この目的を達するために、これから清国政府と協議を尽くそうとしている状況だ、と。
当然、外交的スタンスとして汪鳳藻との談話が基本線になってるわけで。

で、以下のことは青木公使に参考までに言っておくね、と。
陸奥は、6月16日に在日本清国公使汪鳳藻から清国政府に、次の要点を申し込んだ。
日本は清国と協同して、第一に、朝鮮の反乱を鎮圧して秩序を回復すること。
第二に、日清両国で合同委員を任命して、行財政を改革及び朝鮮の自衛のために十分な陸軍を組織すること、と。
まぁ、この辺はこれまでの他の電文と同様。

続いて、22~23ページの、在清国小村臨時代理公使から陸奥への1894年(明治27年)6月17日発『電受第252号』より。

Mutsu
Tokio

British Minister considers the dispatch of Japanese soldiers is not prudent and necessary.
The fears, Russian aggression and therefore very anxious to avert collision between Japan and China, The advised 李鴻章 to take every precaution to avoid collision.
He hopes Japanese Government will do the same.
German Minister shares view of British Minister.
Russian Minister and French Minister approve action as necessary for the protection of her subjects and commercial interest.

Komura


電信訳文

在清英公使は、日本兵の遣韓は不得策且つ不必要と思考せり。
同公使は、露国の挙動を恐るるが為めに、日清間に葛藤を生せざる様頻りに心配し居れり。
同公使は、葛藤を避くる様充分の注意を加へんことを李鴻章へ忠告せり。
日本政府も同じく注意あらんことを希望せり。
在清独公使は在清英公使の意見と同感なり。
在清露仏両公使は、日本の在韓臣民及び商業保護の為め必要なりとし、我が挙動を賛成せり。

(此電信は、在清各国公使の意嚮を探りて報ずべしとの電訓に対する回電なり)
カッコ内の在心各国公使の意嚮を探り云々の電訓とは、3月5日のエントリーの1894年(明治27年)6月11日発『電送第182号』の事。
「本件に関し、内々在北京各国使臣の意見を探索し、電報すべし。」ですね。

で、イギリス公使は、日本兵の韓国派遣は不得策であり、且つ不必要と考えている。
同公使は、ロシアの挙動を恐れるが故に、日清間に葛藤が生じないように頻りに心配している。
同公使は、葛藤を避けるよう充分に注意するように李鴻章へ忠告し、日本政府も同様に注意を払う事を希望している、と。
ドイツ公使もこれに同感。

一方、ロシア公使とフランス公使は、日本の居留民と商業保護のために必要だろうと、日本の挙動を賛成している、と。

んー、東アジアに対する思惑というよりは、単なる世界情勢の反映だな。(笑)


今日はここまで。



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東学党の乱(百七)

テーマ:

「陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要」で、一回休憩した東学党の乱の連載。
今日からまた頑張ります。

ってことで今日からは、またアジ歴の英文地獄が始まります・・・。
『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/明治27年6月9日~明治27年6月21日(レファレンスコード:B03030205000)』、12ページ目。
陸奥外務大臣から大鳥公使への、1894年(明治27年)6月16日付『電送第205号』より。

Otori
Seoul

Following is strictly confidential.
I had long interview with Chinese minister 六月十六日 with a view to arrive at some understanding with China for the preservation of peace and order in Corea in future, even if present disturbance be suppressed.
I proposed to Chinese Government a Scheme important points as follows: Japan will act conjunctly with China. 1st to suffers revolt and restore order.
2nd to appoint joint commission from both countries to reform administration and finance.
3rd to organize efficient army for self protection.
In spite of the above proposal you may at any time aid Corea to suppress the revolts if occasion presents itself.

Mutsu
次の事項は極秘。
陸奥は、将来朝鮮の平和と秩序を保護して現在の騒乱を鎮圧するため、清国との間で何らかの合意に達する事を意図して、6月16日に清国公使の汪鳳藻と長時間にわたる会談を持った。
陸奥は以下のような重要な計画を清国政府に提案した。

第一に、朝鮮の反乱を鎮圧して秩序を回復すること。
第二に、日清両国は、合同委員を任命し、行財政を改革すること。
第三に、朝鮮の自衛のために十分な陸軍を組織すること。

上の提案に係わらず、貴下はいつでも反乱鎮圧のために朝鮮を援助する事ができる、かな?
基本的には、「陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要」で提議された話について、大鳥へ通知している電報ということになるでしょう。

続いては13~14ページ目。
在英国青木公使から陸奥への1894年(明治27年)6月14日発、同16日着の『電受第248号』から、英文とその訳文を続けて。

Mutsu
Tokio

Minister for Foreign Affairs sent for me to show me telegram from British minister to China to the effect that Chinese troops would be withdrawn from Corea as insurgents had dispersed.
British minister to China requested minister for Foreign Affairs to use his influence with Japan in order that Japanese troops be also with drawn minister for Foreign Affairs, in support of this, said that British Government feared prolonged stay of Japanese troops might reduce complications; besides he repeated what I have already telegraphed it will depend upon your answer whether I may make to you some suggestions.

在英公使


電信訳文

英外務大臣は本使を招き、在清国英公使より受取りたる電信を示せり。
其の大要は
朝鮮の■民已に敗散したるに付、清国は其の兵を撤回せんとす。
依て、日本も同じく其の兵を撤回する様閣下(英外務大臣を指す)に於て御斡旋を願ふ。
外務大臣は、右電信の意を受け本使に告げて曰く、英政府は日本軍隊にして長く朝鮮に滞在せば、葛藤を生ずべきを畏るると。
貴大臣より御返電の模様に依り、本使の或は意見をも申進することあるべし。
イギリスの外務大臣が青木公使を招いて、在清国のイギリス公使からの電報を見せた、と。
その大要は、朝鮮の乱民は既に敗れ散ったため、清国は撤兵しようと思う。
従って、日本も同じく撤兵するよう、イギリス外務大臣の斡旋をお願いしたい。

イギリス外務大臣はその電報の意図を受け、青木に向かって、イギリス政府は日本軍が長く朝鮮に滞在すれば、対立が生じる事を恐れると述べた。
陸奥からの返電の内容により、もしかしたら青木からも意見を申し述べる事があるかも知れない、と。
イギリスが介入するかしないかは、重要な問題ですな。( ´H`)y-~~

次は15~16ページ目。
天津の荒川領事から陸奥への、1894年(明治27年)6月16日発『電受第250号』より。
これまた邦訳がついているので、そちらも続けて。

Mutsu
Tokio

六月十六日 by 李鴻章 I am desired to inform you it is true according to the report of 葉提督.
全州 has been replaced by Corean Government and that 李鴻章 is willing to immediately withdraw Chinese army if Japanese Government do so at the same time.
葉 has been ordered not to move to any place from 牙山.

Arakawa


電信訳文

6月16日、李鴻章は左之事を貴大臣へ発電方本官へ依頼せり。
葉提督の報知に拠れば、朝鮮政府に於て全州を恢復せしは事実なり。
日本政府に於て同時に其の兵を撤回するに於ては、清兵は直に撤回すべし。
葉提督へは、牙山の外に出でざる様命令し置けり。
6月16日、李鴻章は次の事を陸奥へ電報するよう依頼してきた。
葉提督の報告によれば、朝鮮政府が全州を回復したのは事実だ。
日本政府が同時に日本軍を撤収させるなら、清国も直ちに撤兵する。
そして葉提督には、牙山の外へ出ないように命令しておいた、と。

つうか、英国からの話といい今回の話といい、清国政府も動いてきましたね。
勿論、「陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要」の中身は、まだ伝わって無いんでしょうけど。


ってことで、今日はここまで。



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東学党の乱(二)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十七)  東学党の乱(百二)
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東学党の乱(百六)

テーマ:

前回までは、汪鳳藻の正論に押されっぱなしに見えていた陸奥。
今日はどうなんでしょうか。

ってことで、早速アジア歴史資料センター『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/明治27年6月9日~明治27年6月21日(レファレンスコード:B03030205000)』の1ページ目から11ページ目の、「陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要」の続きから。
外務大臣
此一條の行否は、時機に依り我政府が自ら断行すべきものなれども、突然此の如き行動を為すよりは、初めより貴国と協議勠力して、貴我の軍隊を以て内乱平定の功を奏することを得ば、頗る妥穏なる方法なりと信じ御打合せに及びたる次第なれば、殊更に貴政府の許可を乞ふ為めにあらず。
乍併斯く申居る内にも、朝鮮国に於て若し我国民の利害に関する事発し、我軍隊は既に東学党と交戦せざるを得ざる場合に立至り居るやも料り難し。
殊に我行商、朝鮮内地に入り居るものも少からず。
若し乱民が彼等に害を加ふる等の事あれば、必ず之を救ふべきは当然と存候。

茲に今一條御協議申度事は、朝鮮の如く度々不時の内乱相起り、其度毎に貴我両国共に種々の煩累を受くる事は、実に迷惑なるは論を俟たず。
亦た、今回の如く貴我両国に於て出兵せざるを得ざる場合あれば、貴我両国とも其煩に堪へざる次第なる故に、仮りに今回の騷乱鎮定し両国の軍隊撤去したりとせんが、後日に至り再び騒乱相起らんも保し難し。
朝鮮国今日の現状より察すれば、兎に角鎮定のと雖ども、我政府に於ては安心し難き事情多々有之。
就ては、朝鮮政府の事に就ては篤と貴我両国政府に於て協議を遂げ、特に今回の内乱を平定する事に勉むるのみならず、将来永く彼国の為め善後の策を講じ置く事最も必要と思考す。
依て茲に御相談申度き義は、朝鮮国の内乱治平の後は、両国政府より譬ば各3名づつの常設委員を撰し同国に派遣し、親しく政府の内政を調査せしめ、第一同国の財政を整理するの辨法を按じ、第二同国官吏の陶汰を行はしめ、第三彼国に相当せる丈けの兵備を設けしめ、今回の如き内乱あるも他国の兵力を藉らずして、彼れ自ら鎮撫し得る丈の軍兵を養成せしむる等なり。
尤も、雙方の委員に於て調査を完りたる結果として、或は生産興業を盛にするの道もあるべく、或は財政整理を為すべき見込みも相立つべし。
貴国政府にも深く将来の安危を慮かられ、此提案に御同意あらんことを望む。
陸奥がこれまでしてきた話は、時期によって日本政府が自ら断行すべき事ではあるけど、突然にそのような行動をするよりは、最初から清国と協議し力を合わせて日清両軍で内乱平定を成功させることができれば、非常に妥当かつ穏当な方法だと思って会談することにしたのであって、殊更に清国政府の許可を願うためではない。

しかしながらこのようにしている間にも、朝鮮でもし日本国民の利害に関する事が起き、日本軍がもう東学党と交戦せざるを得ない状況になっているかも知れない。
特に日本の行商人は、朝鮮の内地に入り込んでいる者も少なくない。
もし乱民が彼等に被害を与えるような事があれば、これを救うのは当然だろう、と。
何か、かなり条件付きなんですが。(笑)

次からが日本側の本題でしょうね。

ここでもう一つ協議したい事は、朝鮮のようにたびたび思いがけない内乱が起き、その度毎に日清両国共に様々な面倒事に会うのが、非常に迷惑なのは言うまでもない。
また、今回のように日清両国が出兵せざるを得ない場合があれば、日清両国とも煩わしさに堪えず、仮に今回の東学党の乱が鎮定して日清両軍が撤兵しても、後日また騒乱が起きないとも限らない。
要は、朝鮮の国情が安定すれば良いだけの話ですからねぇ。
日清間の緊張状態が起きることも、激減するわけですし。

ということで、朝鮮政府の事について念入りに日清両国で協議し、特に今回の内乱の平定に努力するだけでなく、将来に渉る朝鮮のための善後策を講じておくことが最も必要だと考える。
従って、ここでご相談しておきたい事は、朝鮮の内乱が平定された後は、日清両国政府から例えば3名づつの常設委員を選んで朝鮮に派遣し、実地で朝鮮の内政を調査させ、第一に朝鮮の財政を整理し、第二に朝鮮官吏の淘汰を行わせ、第三に朝鮮に丁度合った軍備をさせ、今回のような内乱が起きても、他国の兵を借りずに自分で鎮圧できるだけの兵を養成させる等についてだ、と。
結局、日韓併合までずっとこれらの問題は続くわけで。(笑)

尤も、双方の委員が調査した結果、あるいは殖産興業したり財政整理をすべき見込みも立つだろう。
清国政府でも深く将来の安全と危険を考慮し、この提案に同意してくれる事を望む、と。

清国公使
同国の善後策に付ては、曽て伊藤伯より承り居れり。
同伯は、先づ李中堂の意見を聞くべきか、又は同伯より提案すべきか、何れとも後日の事に致すべしとの御話なりしが、即ち貴大臣の常設委員の議は、伊藤伯の約されたる提案ならん。
何れ我政府に於ても朝鮮内乱平定の上善後の策を講ずるには、貴国と協議せざるを得ざる義と思考す。
併し此は全く同国内乱鎮定し、両国共に撤兵したる後緩々講ずべき義と思考す。
何れ貴政府の御意見は、李中堂に委細通報可致候。
朝鮮の善後策については、前に伊藤博文から聞いた。
伊藤は、まず李鴻章の意見を聞くべきか、それとも伊藤の方から提案すべきか、いずれにしても後日の話ということだったが、今回の常設委員の話はその提案ということでしょう。

いずれ清国政府でも、朝鮮の内乱が平定した後善後策を講じるためには、日本と協議せざるを得ないと考えている。
しかしこれは完全に朝鮮の内乱が鎮定し、両国共に撤兵した後にゆっくり考える事だろう。
どちらにしても日本政府の意見は、李鴻章に詳細を通報しましょう、と。

外務大臣
此提案は可成速かに貴政府に御通知ある様致し度。
実は、朝鮮今回の内乱一時平定したるにもせよ、何時如何なる形勢を変出するやも料り難きに付ては、我政府に於て朝鮮政府が自ら平和を回復したりとの一片の証言のみを以て、何分心を安んじて撤兵致し難し。
依て先づ貴国政府と協議の上委員を派遣するか、或は別に貴政府より何か提出せらるべき案に賛同するか、何れにしても到底後日の患なしと十分安心を得る場合に至らざれば、容易に護衛の軍隊を撤回するに至り難きやも計られず、同国の現状右の如くなれば、仮令今日両国の兵を撤するも、明日亦た兵を出さざるを得ざる様なる出来事生ずるやも料り難し。
是れ、今日の緊急事務として此提案、御協議に及ぶ次第なり。
この提案は、なるべく速やかに清国政府に通知して欲しい。
実は、朝鮮での今回の内乱が一時平定したとしても、いつどのような事態の変化があるかも知れない状態では、日本政府では朝鮮政府が自分で平和を回復したと述べても、安心して撤兵する事はできない。

従って、まず清国政府と協議して委員を派遣するか、あるいは別に清国政府から何か提出された案に賛同するか、いずれにしても完全に後日の憂いが無くなったと十分安心できる状態にならなければ、簡単に護衛の軍隊を撤兵させる事はできないかもしれず、朝鮮の現状がそうであれば、例え今日両国が撤兵しても、明日また出兵せざるを得ないような出来事が起きるかも知れない。
これが、緊急事務として今日提案、協議に及んだ理由だ、と。
清国と違って裕福じゃないですし、無意味な出兵をすれば、議会からこれ幸いと攻撃されますからねぇ。(笑)

清国公使
御協議の提案は、頗る重大の件にして詳く説明を要するものなれば、明後日の便船を以て書信にて李中堂に稟報すべし。
但此一條たる、両国政府に於て各其意見を吐露して商妥の上にて決定すべき事柄ならんと思ふ。
然るに、此一條の協議纏らざる間は、貴国政府に於ては撤兵するを肯ぜざる様に解せられたり。
委員説の協議には、少くも2、3ケ月を要すべくと思考するに、其以前若し朝鮮の内乱鎮定したらば、両国互に一先づ軍隊を引揚げ、其後徐に此件を協議せらるるも敢て遅しとせず。
殊に、両国協同して朝鮮政府に向て善後の策を申入れなば、敢て兵威を籍らざるも、同政府に於て肯服せざる理はあるべからず。
然るに、貴政府に於ては此善後策に就き、我政府より何等の通知ある迄は撤兵されざるの御積りなるや。
今回の提案は非常に重大な件であり、詳細な説明が必要なものなので、明後日の郵便船で書信にて李鴻章に報告する、と。
ただ、この一件は日清両国でそれぞれの意見を吐露し、商議妥結するべき事項だと思う。
しかし、今回の一件の協議がまとまらないウチは、日本政府としては撤兵を承諾しないように理解される。
委員の話の協議には、少なくとも2~3ヶ月必要だと思うが、もしその前に朝鮮の内乱が鎮定したら、日清両国はお互いにまず軍隊を引きあげ、その後ゆっくりとこの件を協議しても遅くはないのではなかろうか。
勿論、私は撤兵に関する陸奥の話の意図は、バーターだと思っていますが、何か?(笑)

で、特に日清共同して朝鮮政府に向かって善後策を申し入れれば、あえて兵力で威圧しなくても朝鮮政府は受け入れるのではないだろうか。
それなのに、日本政府ではこの善後策について清国政府から何か通知があるまでは、撤兵しないつもりなのか?と。
まだ先の史料を読んでないので良く分からないけど、多分そのつもりだと思う。(笑)

外務大臣
今日御協議に及ぶ提案、即ち朝鮮の善後策は、固より撤兵の事と混合して論ずべきものにあらず。
然れども、我が政府は十分安心して撤兵し得べき時機に至らざれば、未だ俄に撤兵せざる積なれども、此善後策が貴国政府の賛同を得るに至れば、是れ亦我が政府に安心を与ふの一助、否な大なる一助ならん。
兎に角、此件は頗る緊急を要することゆへ、可成は書信よりも電報を以て貴政府へ御通知ありたし。
併し、是れは全く閣下の御意見に一任する外なし。
今回の朝鮮の善後策に関する提案は、撤兵の事と混ぜて論じるべきでは勿論無い。
しかし、日本政府は十分安心して撤兵できる時機が来なければ、すぐには撤兵しないつもりだが、この善後策について清国政府の賛同を得られれば、これまた日本政府に安心を与える一助、いや大きな助けとなるだろう、と。
兎に角、この件は非常に緊急を要するため、なるべく書信ではなく電報で清国政府に通知して欲しい。
ただ、これは全く汪鳳藻の意見に一任するほかは無いけどね、と。

清国公使
過刻よりの御話中に、自ら撤兵の事を提起せざるを得ざる場合ありし故に、談遂に該件に渉りたる次第なり。
委員説は、曽て伊藤伯の言はれたる善後策の事なるべければ、早速李中堂に報告すべく、又両国軍隊勠力して平乱の一條は至急を要することなれば、電報を以て申し遣はすべし。
これまでの話の中で、撤兵の事を提起せざるを得ない状況もあるだろうから、話がその件に至っただけです。
委員の話については、前に伊藤伯爵が言っていた善後策の事でしょうから早速李鴻章に報告し、また日清両国の軍隊が力を合わせて内乱を平定する事については至急を要するため、電報で報告する、と。

色々と押されっぱなしだった陸奥ですが、結局、基本線である内乱鎮圧と朝鮮に関して善後策を講じる事については、この時点では清国も異存が無いわけで。
どうにか収拾できたって感じですなぁ・・・。(笑)


今日はここまで。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十六)  東学党の乱(百一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十七)  東学党の乱(百二)
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東学党の乱(百五)

テーマ:

前回は、「陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要」から、陸奥が内乱が平定されなきゃ日本の撤兵は無いんだから、日清共同で東学党の乱の鎮圧するってどうよ?と提案したところまででした。

ってことで、今日もアジア歴史資料センター『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/明治27年6月9日~明治27年6月21日(レファレンスコード:B03030205000)』の1ページ目から11ページ目の、「陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要」の続きを。

清国公使
閣下の御意見至極御尤もに候。
本使未だ本国政府より詳なる報告を得ざれども、東学党は朝鮮の官兵に敗られ全州を退去したるやに聞けり。
頭初の勢に比すれば、殆ど鎮定したる様子に相見へたり。
然るに、貴我両国の軍隊力を勠せて此内乱を鎮圧すべしとの御協議あるは、貴国政府に於て我国の兵力のみにては、克く彼を討伐するに足らずとの御懸念なるや。
我国の軍隊牙山に陣して未だ行動せざるは、全く内乱の根拠を探定し、然る後攻撃せんとの策なりと聞及び居れり。
決して兵勢の不足なる故にあらずと信ず。
陸奥の内乱が平定されなきゃ日本の撤兵は無いんだから、日清共同で東学党の乱の鎮圧するってどうよ?という提案は尤もだ、と。
自分はまだ清国政府から詳細な報告は得ていないが、東学党は朝鮮の官軍に敗れ、全州から退いたと聞いている。
最初の勢いに比べれば、ほとんど鎮圧したように思えるが、それなのに日清両国の軍隊の力を合わせて内乱を鎮圧しようと提議があるのは、日本政府は清国の兵力だけでは東学党の乱を討伐するのに不足だと懸念しているのか?と。
さすがに鋭いツッコミ。(笑)

で、清国の軍隊が牙山に駐留して動かないのは、内乱の根拠を完全に探り出し、その後で攻撃しようという策だと聞いており、決して兵勢が不足しているためではないと信じている、と。

外務大臣
決して貴国の兵勢の不足なるを疑ふにあらず。
貴国の軍隊にて此草賊を討伐するは固より十分なるべけれども、彼の国の現状より察すれば、其内乱の平定一日遅れは一日の害あるは前述の如くなれば、寧ろ一刻に之を平定すること最上の良策なるべしと思はる。
殊に其内乱の区域甚だ広きやに承り居れば、一方より貴国の軍隊を進行せしめ、他の一方よりは我が軍隊を以て攻撃する時は、成功甚だ容易なるべし。
陸奥は、決して清国の兵勢が不足している事を疑っているのではない、と。
それで兵力増強とかされたら、大変ですしねぇ。(笑)

清国の軍隊で賊徒を討伐するには勿論十分だろうけど、朝鮮の現状から察すれば、内乱の平定が一日遅れれば一日分の害がある事は前述のとおりであるため、一刻も早く民乱を平定するのが最上の良策と思われる。
いや、当たり前ですが。

で、特に内乱の起きている範囲は非常に広範囲と聞いているので、一方から清国軍を進軍させ、他の一方からは日本軍が攻撃すれば、成功は非常に容易だろう、と。

清国公使
成程両国軍隊を以て内乱を討伐するは、一国の軍隊を以てするよりも其功速迅なるべけれども、已に此迄接したる通知に依れば、其鎮定も近きにあらんかとの際に至り両国の軍隊を同発するは、実に無用の観あり。
又、我が政府は初より朝鮮の依頼を受け出兵したるに、更に貴国の軍隊を加へて草賊を平定せんとするは、如何にも雞を割くに牛刀を用ゆるに均し。
殊に我が政府は、曽て貴国に知照したる如く、朝鮮の依頼により已むを得ず兵を出し、其内乱を平定せんとするものなれども、貴国は始めより公使館及び臣民を保護するの目的を以て出兵せられたるものなれば、其出兵の主意、自ら相異なれりと思考す。
その陸奥の言い分に対して汪鳳藻は、なるほど日清両軍で内乱討伐すれば、1国の軍隊で行うよりもその効果は迅速に現れるだろうけど、既に今日までに接した通知によれば内乱の鎮定も近々だという時に、日清両軍を使うのは無用の長物だろう、と。
また、清国政府は最初から朝鮮の依頼を受けて出兵したが、更に日本軍を加えて賊徒を平定しようというのは、鶏を割くに牛刀を用いるのと同じだ、と。
おっしゃるとおりで。

特に、清国政府は前に日本に通知したように、朝鮮からの依頼でやむを得ず出兵して内乱の平定をしようとしているが、日本政府は最初から公使館と居留民保護の目的で出兵したものであり、その出兵の主意は自然とお互いに違うものと考える。

実に正論で、ここまで陸奥が押されっぱなしな印象ですな。(笑)

外務大臣
天津條約に原づき、出兵の事は相互に知照すべきこと勿論なれども、此知照たるや貴我両国孰れも朝鮮国に出兵する事を通知するに止まり、互に其出兵の目的如何は固より問ふの必要なし。
然るに、今回の如き内乱曠日彌久なる時は、意外の変態を生じ来るやも計られざる掛念あれば、我兵も亦た速に変乱を鎮圧することを勉めざるべからずと信ず。
天津条約に基づいて、出兵については相互に通知するのは勿論だけど、その通知は日清両国とも朝鮮に出兵する事と通知するだけで、お互いに出兵の目的が何かは元から問う必要が無い。 しかし、今回のように内乱に対してむなしく日々を過ごし、物事を長引かせていれば、意外な変事が起きるかもしれない懸念もあり、日本兵もまた速やかに内乱を鎮圧する事に努力すべきだと信じている、と。

陸奥、ちょいと屁理屈気味。(笑)

清国公使
何れ御申聞けの趣は李中堂に電報致すべけれども、貴大臣唯今迄の御話は、特に此一條、即ち貴政府の御決議を我政府に御通知相成度との義なるや、又は我政府に御協議相成る義なるや。
単に御通知に止まる事なれば、我国駐在貴国公使を経て我政府に御知照相成ては如何。
どちらにしろ、今聞いた話については李鴻章に電報するが、陸奥大臣の今までの話は、日本の決議を清国政府に通知して欲しいという話か?
それとも、清国政府と協議したいという話か?
単に通知という事だけなら、在清国の日本公使から清国政府に通知したらどうよ?と。

まぁ、汪鳳藻に話をする事が決定された4月5日のエントリーの閣議案でも、伊藤博文と汪鳳藻との面談で、日清両国で提携して朝鮮を保護する必要があると少し意見交換したからっていう、単純な理由でしたからねぇ・・・。


というところで、陸奥が押されっぱなしな雰囲気のまま、今日はここまで。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十六)  東学党の乱(百一)
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東学党の乱(百四)

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今日は前置き無しで早速。

4月5日のエントリーの閣議決定で、陸奥外務大臣が在日清国公使の汪鳳藻と談判し、朝鮮の内政改革に関して商議を開く云々の話が出ていましたが、その談判の模様をアジア歴史資料センター『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/明治27年6月9日~明治27年6月21日(レファレンスコード:B03030205000)』の1ページ目から11ページ目。
「陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要」より。
長いので、分割しながら。

あ、ちなみに画像の表示は試行錯誤の結果、諦めましたのでよろしく。(笑)

明治27年6月16日午前10時半より午后1時半まで。

陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要

外務大臣
前日閣下は、李中堂の訓令を以て伊藤伯に面談せられたる一條は、本大臣同伯より委細聞及びたり。
彼の朝鮮善後の処分に付、其後未だ李中堂よりは何も申し越されざるや。

清国公使
未だ何たる通知を得ず。

外務大臣
然らば、閣下に於て何か御考案あらば承りたし。

清国公使
別に今閣下に公然申述べき程の意見は無之、縦令之ありとするも全く一己の意見に過ぎざる故、閣下の高聞に達すべき価値もなかるべし。
然るに、過日伊藤伯は同件に付何か御意見を抱有せらるるやに承りたり。
右貴政府の御意見は、今日未だ承はる場合に至らざるや。
前日(閣議案の内容によれば6月13日)、在日清国公使の汪鳳藻が、李鴻章の訓令によって伊藤博文総理に面談した話は、伊藤から詳細に聞いています。
朝鮮の善後処分について、その後まだ李鴻章からは何も言ってきてませんか?と聞く陸奥に対し、汪鳳藻はこれに対して、まだ何も通知を得ていません、と。

続いて、汪鳳藻に何か考えがあれば伺いたいとする陸奥には、別に今陸奥に対して公然と申し述べる程の意見は無く、もしあったとしても全く一個人の意見に過ぎないため、陸奥に聞かせるような価値も無いでしょう。
しかし、過日伊藤伯爵は、この件について何か意見をお持ちであるやに伺っています。
その日本政府の意見は、今日はまだ承る事ができる状態では無いのでしょうか、と。

切っ掛け作ってくれてるし。(笑)

んじゃ、続き。

外務大臣
左ればなり。
本日は朝鮮国の事に関し、李中堂より何事か申越したるや承はり度、亦我政府の意見をも御話し試み度、閣下の来臨を乞ひたる次第なり。

御承知の通り、朝鮮は元来貴国と我国と協同して扶植せざれば、殆ど其国安を維持し能はざる程の国柄なるに、方今は特に東学党の内乱に会し、若し永く平定の功を奏するに至れざるときは、彼邦の国歩愈々艱難を極むべく、本大臣は大鳥公使着任後、電報の外別に書信を接せざるが故、目下内乱の有様果して如何なるべきか委敷きことは知らざれども、兎に角内乱は尚未だ平定に至らざるならんと信ず。
尤も、朝鮮公使は前日も本大臣に対し、内乱已に平定したる様に申されたれども、前述の如く大鳥公使よりは未だ何等の確報に接せざる所を見れば、果して平定したるや否甚だ疑はし。

之を要するに、現今の如く日本軍隊は京城に滞営し、貴国の軍隊は牙山に駐留して未だ内地に進入したる様子なければ、乱民は縦令ひ1敗1勝あるも尚ほ諸所に屯在し、何時暴発するや計り難き有様なれば、若し荏苒此儘に時を移すときは、意外の変乱何方より起り来るやも料られず。
幸ひ、貴国と我国との軍隊勠力して速に内乱を鎮圧し、1日も早く彼国の禍乱を平定せば、指懸りたる日清両国の煩累を解くべしと思はる。
此議、貴国政府に於て御同意なるべきや、閣下より貴政府へ進達あらん事を希望す。
だからこそ、今日は朝鮮の事に関して李鴻章から何か言ってきて無いか伺いたく、また、日本政府の意見も話てみたいという事で、汪鳳藻に来て貰った次第だ、と。

その次。
「御承知の通り、朝鮮は元来貴国と我国と協同して扶植せざれば、殆ど其国安を維持し能はざる程の国柄」(笑)
まぁ、実際東学党の乱に際して、清国に援兵求めたりするわけで。

ってことで、御承知のとおり、朝鮮は元々清国と日本が共同して援助してやらなければ、ほとんど国の安泰を維持することが出来ない程の国柄なのに、最近では特に東学党の内乱が起き、もし永い間平定できない時には、朝鮮の前途はいよいよ艱難を極めるだろう、と。
陸奥は、大鳥公使の着任後電報の他別に書信を受け取ってるわけでもないので、現状の内乱の様子が果たしてどうなのか細かい事は分からないが、まだ内乱は平定されていないだろうと思っている。
ええ。
全州の回復報告しか受け取ってないですからねぇ。

尤も、4月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月14日発『電送第197号』中で見られたとおり、朝鮮公使は内乱は既に平定した様に言ってるものの、大鳥公使からの確報が無いところを見れば平定したのかどうかは、非常に疑わしい。

要するに、今のように日本軍が京城に滞在し、清国軍が牙山に留まったまま内地に進軍した様子も無いわけで、乱民は例え勝ったり負けたりがあっても尚各地に潜在し、いつ暴発するか分からないような状態であるため、もしこのまま長引けば意外な変乱がどこから来るか分からない。
幸い、清国と日本の軍隊が力を合わせて速やかに内乱を鎮圧し、1日も早く朝鮮の禍乱を平定すれば、そういった日清両国の煩累も解く事が出来ると思う。

この件について、清国政府が同意するかどうか、汪鳳藻から清国政府へ進達してくれる事を希望する、と。

んー、陸奥も随分な直球を投げ込んできますなぁ。




ってところで、今日はここまで。



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