どうもこんんちは。
ブログの更新です
今回は毒親と言うカテゴリー
その中でも、過保護や過干渉について少し思うところがありますので
記事にさせて頂きます。
いきなりの結論で申し訳ないのですが
まず過保護説明しますと
過保護というのはわかりやすくシンプルに説明すると
例えば過保護な親は子供に対して色々と世話を焼いたり
甘やかしてしまうところがあるのですがそれが非常に行きすぎている
ところが問題です。
ひとりで出来るところも○○ちゃん」とかいい年の子供にむかってこのような物言いをする親もいますが
そのように子供に対してペットのように可愛がり
面倒みている状態ですがそれはあくまでも親のエゴからくる
献身であり本当の意味での子供の為を持っての行動では無いのです。
要は子供のペット化私物化する事でありでありもっと言えば親に依存させている事なんですね。
そこには子供の人格も考えや意思等どうでも良い親のエゴが
見え隠れしておりようにかんじとれます。
加えて過干渉というのは、意識的にしろ無意識であろうと
親が子供に対して
「おまえの為に行っているんだ」「貴方のためを思って」
「よかれと思って」
又は食事の時でも箸の上げ下ろしから肘をつくなと
重箱の隅でも突っつくような細かい指摘ばかりして
子供をあえて萎縮させることによって
子供を思い通りにコントロールする事をいいます。
親の方でその事でもいろんな弁明をしたりする親もいますが
共通して纏めてしまうと過干渉の親は子供の事を
人生も意思を認めていないし尊重もしていない
と言う事でもあります。
そこから導き出される本質的な問題は
そこから過保護も過干渉も子供の人生も意思も認めていないし
無意識化で相手のお互いの人生も自由も認め合ってもいないし
尊重も出来てないと言う事なんですね
もっと一言で言うと「子供の事は、信用できない」と言う事になります。
もし子供の
信用できないという事は親自身が子供に対する不安と恐れがあるんです。
だからこどもにたいしてそれが過保護であれ過干渉であれ
その根本には自分の不安を取り除きたいともう一つは
子供から安心を与えてもらいたいと言うのがあります、
お互いの人生も自由も認め合っていないと言うことは
悪い意味で、互いの事に囚われすぎて執着しすぎてしまい
諦めると言う事が出来ていないからなんです。
それが所謂「共依存」という形です。
例えば
親は子供に対し
俺の息子ならこうするべきとか
私の娘ならこうするべき
と言うような
様々な○○するべき
と言う、べき思考に陥っていませんか。
そしその事ですこしでも思い当たることがあれば
○○するべきという思考から自由になることだと思います。
それが、良い意味で、互いのことを諦めると言う事なんです。
もし例えば引きこもりに為っていても
先ずはじっくりと否定も肯定もせず
ニュートラルに話を聞く事だと思います
そうやって相手に寄り添う会話が出来てくればやがて
そこから少しづつ信頼関係が生まれくる物と思っています。
ひきこもりに関して参考になる書籍があります
読んでみて下さい
私も参考になりました。
子供の不登校・引きこもり解決の教科書
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「大人の引きこもり」を救え! (扶桑社BOOKS)
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大人のひきこもり 中高年ニートからの脱出
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そうして相手の自由を認め合い尊重ができる用になれば
良い意味で親子関係が少しづつ築いていけると思います。
前の記事でこれを題材にして書かせて頂きましたが。
川崎児童殺傷事件、死亡した容疑者は川崎市の51歳男
この例でみても容疑者の男は長年にわたって引きこもりになってたようです。
おそらく容疑者の男は家庭内での差別を受けていてやがて、
セルフネグレクトに陥りそれが引きこもりと化してしまったのではとおもいます。
※ ただ引きこもりだからと行って人を刺し殺して良いと言う理屈はあり経ませんが。
むかし
愛情の反対は無関心だときいたことがあります
ただ一ついえる事は。容疑者の男は親や周りの人特に叔父や叔母からも半ば無関心のように扱われてしまい
引き取ったは良いがまるで、仕方なく引き取って、食事等もおそらく仕方なく飼ってやっている
動物に餌でも与えてやっているような無関心さを持っていたのかもしれません。その為本人は、誰にも愛情をもらえず
非常に愛情不足の人間になってしまった事だけは確かだと思います。
もし事件を起こす前に、ひきこもりの支援カウンセラー等にでも自分の鬱屈した闇を自己開示して話す勇気がもてたらと
おもうと非常に残念で為りません。
人はうみの親であれ育てた人であれ、根本ところでは、磯偽りの無い愛情が欲しいのです。
その為まともな人間に育てる為には子供と言う一人の人格をきちんと
認めきちんとした適切な愛情を与えられる人です
すなわち
誉めるときはきちんと誉めてあげる
叱るときはきちんと叱ってあげる(但し怒りにまかせて怒るのは駄目)
時には。大丈夫、貴方だったら出来るよと言うような勇気を与える言葉を与えてあげる
そして自分がもしなにか自分が子供に対して、間違ったことをしていたら子供にもきちんと謝る勇気をもつ
そして法律に触れる事は、辞めようね、と子供に注意する事。
人は言葉一つで相手に希望を与えたり勇気を奮い起こさせたり、明るい言葉をいって人をほっとさせるように
相手を喜ばせたり、時には笑わせたりする事もあれば
言葉一つで
相手を怒らせたり、悲しませたり、絶望に追い落としたり場合によっては、
言葉一つで相手を自殺に追いやってしまう事もあります
もしこのような健全な形できちんとした愛情を与える事が出来たならば
この男は辛い人生を歩んでいたとしてもこのような事件を起こす事なく、思いとどまっていたかもしれません。
だた、どうとらえてもこの容疑者の男は極度の人間不信と愛情不足が絡んで
このような痛ましい事件を起こしてしまったと考えられます。
と言う訳で今回過保護と過干渉それと川崎児童殺傷事件に
ついて思うことを記事にしてみました
この記事はどうでしたか?
それでは今日のところはこのへんで
最後までお読み頂ありがとうございました
それでは。