人生は、自分事を理解し分かってくれる人を探す旅 本当の強さ ニーバーの祈り | 心の休憩室 ~ 人間関係・親子関係・仕事の悩み・お金の悩み・スピリチュアル等

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どうもこんにちは、ブログの更新です少数ながらも読んで頂いてる

皆様に改めて感謝申し上げます、

 

今日はある一冊の本を読んで、今の自分に最も必要な本かもしれないと思い

 

ある書籍の紹介をさせて頂きたいと思い

 

アマゾンの電子書籍(キンドル版)も公開しているのでよろしければ

 

キンドルアプリ等をダウンロードしてダウンロード購入をなさってください。

 

 

それでは紹介させていただきます。

 

 

あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる、

 

この本の著者さんである小澤 竹俊さんはもう余命幾ばくもなくただ大人しく死を待つ以外にない多くの癌患者さんを看取ってきた言わばホスピス医としてそれこそ多くのどう治療を施しても助からない多くの癌患者が亡くなる様を看取ってきた実績があります。

 

毎日多くの癌患者を看取った末に見えてきたものがあったそうです。

 

毎日多くの癌患者の皆さんがいつ死ぬかもわからない極限の恐怖で自分の死が目前と迫っている患者さんに対して何も声をかける事も「全力を尽くします」と声をもかけることも出来ずそれどころか「健康に生きているお前に、俺の気持ちがわかるか!」「他人事だと思って、適当な事を言うな!」逆に心を閉ざしてしまいました。只何もできないなにもしてやれる事が無いと激しく自分の無力さに嘆いていたそうです。

 

人間や動物・植物でさえも死と言う絶対的な物から以下に健康で長寿だろうとあらゆる生命体である以上死そのものから逃れることが出来ないのです。植物だって土から養分を吸い取れなければやがて枯れて死ぬ運命です

 

人間だって例外ではありません医療の進歩で多少長生きできるのかもしれませんが遅かれ早かれこの世の一切のしがらみをすててあの世に行くことになるのです、どんなにお金を得ようどんな地位や権力を持とうがそのすべてを生きている人に託してあの世に行かなければならないのですあの世持っていけるのは生きてきた経験と思い出だけです、

 

そして死を目前にした患者さんに対してせめて心だけでも軽くする事はできないだろうかと思案の末に

 

患者さんの心に寄り添って丁寧に話を聴いてあげる事にしたのです。

 

そうして行くうちに

癌患者の人たちもすこしづつ心を開いて癌に怯える恐怖心や自分のこと人生や苦労してきた事等

ポツリポツリと少しづつ語り出す様になったのです。

 

そして患者さんも自分の事を少しづつ患者さんが語りだすうちに徐々に顔も穏やかになっていき

そのうち患者さんもある日、気づいたそうです。「今まで自分の力だけで生きてきたつもりだったが、

実は自分を産んでくれた両親や兄妹・家族を含め多くの人間の支えがあったらこそ生きてきた、いや、生かされてきたのかもしれない!」

それを思うとただ家族を含め自分の周りの人たちに心から感謝の思いを抱けるようになったそうです、

結局その方は亡くなったそうですが最後に感謝の言葉を残しているようです

 

すこし話は変わりますが

少しだけ父の話をさせてください。

 

今年の3月25日に原発不明癌と言う癌で他界した父もまだ生きて治療に励んでいる時1月中頃容体が急変して横浜市大医学医学部附属病院に緊急入院しその後に点滴の後遺症で瞼で目が塞がって見えず耳も少し難聴気味でおまけに呼吸も満足に行えず喉を切開にしてそこにチューブを切開して喉に通して如何にか呼吸が出来たという状態です。ですが喉にチューブを通してしまった為、

痰が喉に積もりやすく時折切開したチューブで痰の吸引をしなければならず、

物も食べられない飲めない挙句の果てに言葉も喋れないと言う状態になったので、

胃から直接管を通して栄養を送り込む胃ろうの手術を受けました、

さらに昔の面影と見るも無残に別人の様に顔が異常に膨れ上がって医者の目の前で言葉が出せないにも関わらず筆談で母に対して「俺を見捨てないでくれ」と嗚咽しながら懇願する様子はあんな強かった父が一瞬見せた弱さだったのしれません、

母もそんな父に対して泣きながら「わかったから見捨てないから最後まで見捨てないから」

言っているのを目の当たりにして結局人は、自分の事を分かってくれる人と出会う事が出来た時に本当に死と向き合える強さを得るのかもしれません。

生きる為にやむを得ず胃ろうせざるを得なかったとはいえ、

自分もいたたまず見ているだけでも辛い思いでいっぱいでした、

 

あらゆる治療を施しても治療の手立てがないと言うならせめて死ぬとき迄、好きなものを食べさせて上げたかったなと思います。

 

父にとっては自分の事を理解して常に父に寄り添って生きてきた母を全幅の信頼をしきっていたんだと思います

そして母も父に対して家庭でも仕事でも常に寄り添い合って生きてきたんだと思います

結局は自分を理解し分かり合える人がたった一人でも良いから見つける人生と言う旅を続けているのかもしれません。

そしてもし奇跡的にお互いを分かり合える人が居たら人はどこ迄も強くなれるし勇気を持てるかもしれません。

 

自分の弱さそれも自分の死に真摯に向き合えるようになるとその中から本当に強い自分になるのかもしれない私は思います。私の父も癌に侵されながらも最後まで生きる事を諦めることなく胃ろう迄して生き延びようとしました、そして死の直前まで癌と闘って最後は苦しむ事もなく穏やかに安らかに逝ってくれました。

 

又話は、変わりますが

 

世の中は特に勝ち組・負け組と言う言葉がありますが一体どこの誰に対して何に勝ちたいのか!何に負けたくないのか?本当の強さとは何か!考える時があります、その時、ふっと昔読んでいた漫画を思い出しました。

 

昔、週刊少年ジャンプで連載していた北斗の拳と言う漫画を皆さんご存じでしょうか。

 

昭和の頃にアニメ化もされています

 

只当時はアニメ化されたのは昭和の頃で、このような残酷に相手が粉々になるような残虐極まりないシーンをアニメ化するのは倫理的に不可能だろうと言う意見もあったようですが、今だったら間違いなくR12指定されていたかも知れません。

 

出来るだけ当時の子供たちを考慮した上でアニメ化するうえで色々工夫がされています

 

例えば、血の色を赤ではなく白にしたり

 

相手が吹っ飛ぶさまも赤と黒のシルエットで隠したり出来るだけ当時の子供たちに刺激を与えない様に配慮

されております、

 

読んだ事の無い人に対して大まかにストーリー紹介します。

 

主なストーリー要約すると

核戦争が起こって文明が完全に崩壊してしまった世紀末の世界のお話で人類は生き残ってはいましたが

世界は暴力がすべてを支配する弱肉強食の荒廃した世界に代わってしまって暴力で善良な人々に対し問答無用の暴力で食糧や水を奪っていくそんな殺伐とした世界に

 

そこに

 

何処からとも無く現れた、

主人公であるケンシロウが現れ一子相伝の

暗殺拳法の北斗神拳を使ってどうしようもない救いようのない悪党を次々に退治し行くストーリです。

ちなみに北斗神拳どう言う拳法と言うと相手の経絡秘孔(ツボを)ついて肉体そのものの破壊より内部の破壊を極意とした拳法で主人公のケンシロウが’「あたたたたたた~」と叫びながら相手の経絡秘孔を突きまくり悪党を破裂させていくケンシロウの姿は、分かりやすい強さに憧れていたこともあります、しかしケンシロウの兄弟子で義兄でさらにライバルでもあったラオウの登場によって憧れていた強さとはまた違う強さもある事を知って強さの価値観がぐるりと変わってしまった事を今でも思い出します。

 

ストーリーが進むにつれ

 

ケンシロウとラオウ最終決着の場面でお互いに北斗神拳の究極奥義夢想転生を繰り出しつつも最後に均衡破り勝ったのはケンシロウだった、しかしのちにストーリーが進むにつれあえて自分の暴走を止める為にラオウすなわち自分を倒しtくれる人間を探していたのかもしれないとのちのストーリで明らかになりますが動機が何であろうと負けは負けと素直に負けを認め、

 

ケンシロウに対し「見せてくれこのラオウを倒した男の顔を」とケンシロウの顔を触りその後に「見事だ弟よ」ケンシロウに対して最大の賛辞を送っています。

 

その後、

 

死んだと思われていたケンシロウの恋人ユリアとも再会を果たし核の放射能の影響で余命幾ばくもなかったユリアの命を数年持つよう病状の進行を遅らせる秘孔付き

「ユリアお前の命はあと数年はもとう、残る余生ケンシロウと静かに幸せに暮らせ」本当はラオウも心の中でユリアに惚れていたにも関わらず自分を打ち負かしたケンシロウに譲るなど

並みの男の器量では出来ない事だと思います

 

その後

「さらばだ、ケンシロウ俺もまたトキ(ケンシロウのもう一人の義兄でありラオウの実弟)許に天に帰ろう」と

告げた後

「このラオウ天に帰るに人の手など借りぬと」言い放ち自ら死に至る秘孔を突き

「我が生涯に一遍の悔いなし」叫びながら天高く拳を突き上げて天に昇天してしまいました。

この言葉の通り本当に自分の人生に満足して逝ったのだとおもいます。

 

果たしてラオウは負け犬だったのでしょうか、そうではありません、これが並みの男なら負けたことが悔しくて再選やリベンジを図って修行でも訓練でも躍起になっています。

本当に自分を撃ち負かしてなおそれでも相手を恨むことなく賛辞を送りリスペクトとの出来る人間こそほんとの強く広い器を持った男の中の男だったと思います。

 

漫画でもアニメでもこのシーンは北斗の拳史上に残る屈指の名シーンとして現在の令和の時代でも語り継がれています。

 

今まではケンシロウのファンでしたがこのケンシロウとラオウの最終決着のシーンはラオウこそ男の中の男だと思い一気にラオウのファンになりました。

 

そして

 

分かりやすい強さにしか価値を見出せない人は、

自分の弱さに向き合えずに見かけばかり強そうな振りをしているだけなのでは無いでしょうか。

 

最後に自分の父の事や北斗の拳のラオウを題材にしましたが自分に余命を宣告されてしまってからがその後に残された時間をそして人生を幸せに生きられるかどうかそれにはとことん自分の死に向き合うしかないとおもっております。

 

仏教の世界にも

 

生老病死と言う言葉がありますが

 

生きる苦しみ

老いる苦しみ

病の苦しみ

死の苦しみ

合わせて生老病死と言うそうですが

 

しかし、残念ながら、世の中にはどうしても変えられない現実、どうしても埋められ ないギャップ、

どうしても自分の努力や独力だけでは解決出来ない、苦しみもあるんです。

 

その最も解決できない苦しみの最たるものは、老いや死なのではないのでしょうか? 

どれほど科学が進んでも、人は老いや死から完全に逃げ切ることは出来ないし不可能なんですよ。 

こうした、解決出来ない苦しみを「解決したい」と思えば思うほど、

人は解決出来ない事に苦しみぬくのかもしれません。

 

私もこの本を読んでいて気づいた事がありますが癌を宣告され既にステージ4の段階でどう治療しても助からずに命の期限を切られてしまった本当に絶望している人

この様な人たちこそ実はカウンセリんぐを最も必要としているのではないかと思います

末期の癌患者さんの心にを深く傾聴しその人の心に寄り添い

理解してくれようとする傾聴力こそが死をまじかに迫ろうとしている、

人の心を最後に救ってくれるのではないかと私は思います。

 

私も、このあなた強さは、あなたの弱さから生まれる、を読んで初めて知りましたが

ニーバーの祈りと言うものがあるそうです。

 

ニーバーの祈り

 

ニーバーの祈りは、アメリカの神学者、ラインホルド・ニーバー

( 1892 ~ 1971年)が考えたものだといわれており、 

その祈りとはこの様な祈りです。日本では「平静の祈り」、「静穏の祈り」とも呼称されています。

ちなみに下記の祈りは一部分です

 

「神よ、変える事の出来ない物を静穏に受け入れる力を私に与えてください。

 変えるべき物を変える勇気をください、

そして、変えられない物と変えるべき物を区別する賢さを私に与えて下さい。」

 

というものです。

 

私はニーバーの祈りは、人生における選択の大切さを訴えている物とかんじました。

「解決できる苦しみと解決できない苦しみを見分けて選択する賢い目を持てとこの書籍は自分にそう説いているような気がしてきました。 そして、解決出来ない苦しみに悪戯に悩むのはもうやめて、勇気を持って、解決出来る苦しみに全力を注いだほうが余程、建設的だと私は思いました。

 

そしてこの書籍はこうも解いています

もし人生で人間の努力や独力だけではどうにもならない解決のしようもない事があれば、

 

それは静かに受け入れてしまえとも言っています、また受け入れてしまう事で違った考えや価値観も持てるようです、そして時・時間が解決してくれるのを待つしかないのかも知れません!


どちらにしろこの書籍はあなた強さは、あなたの弱さから生まれる、は自分が読んで見ても本当にいい本で今の自分にどうしても必要な本だと思いまた、それを皆さんとシェア出来ればと思っております、多くの人に読んでただきたいです。

 

 

 

最後にもう一度ニーバー祈りを今度は全文を紹介させてください

 

「神よ、変える事の出来ない物を静穏に受け入れる力を私に与えてください。

 変えるべき物を変える勇気をください、

そして、変えられない物と変えるべき物を区別する賢さを私に与えて下さい。

 

一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として私に受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界をそのままに私に受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを私は信じています。
そして、この私の人生が小さくとも幸福なものとなり、

天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると私は知っています。

アーメン

 

そして著者は最後に、この世における死と言うのは、肉体と言う有限から解放され無限の世界に帰る事とその様に述べております。

 

 

これを読んでくれたあなたに感謝します

 

本間義昌でした