人の親になるという事 幼いちいさな人の命の大切さと重さ | 心の休憩室 ~ 人間関係・親子関係・仕事の悩み・お金の悩み・スピリチュアル等

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ブログを更新します。

 

今日はちょっとどうしても言いたいことがあってブログでそれを、あえて言おうと思います。

 

(注)ここから先の文章は特に女性にとって少し表現的に不快に感じる文章がある事をご了承いただきたいと思います。もし読んでいて途中で不快に思われる女性又は男性もそうですが途中でページを閉じるか離脱しても

構いません。しかし、今回どうしても他人事とは、思えなかったのであえて書かせていた事をどうかご理解いただきたいと思います。

 

 

 

実は先日テレビのニュースでこんなニュースが目に入ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

事件の概要を一部引用し要約します。

 

先日神奈川県秦野市の畑でビニール袋に入った赤ちゃんの遺体が見つかった事件です、

警察は秦野市に住む10代の少女を死体遺棄の疑いで緊急逮捕したとの事です。 

 

警察によりますと少女は今年5月中旬、秦野市の畑に生後間もない

赤ちゃんの遺体を遺棄した疑いが持たれています。 

 

畑の所有者が異臭を感じて土を掘り起こしたところビニール袋が見つかり、

駆けつけた警察官が袋の中に赤ちゃんの遺体が入っているのを確認したということです。 

 

関係者からの情報提供で、10代少女の関与が浮上したということで、

少女は警察の調べに対し「赤ちゃんを埋めたことに間違いありません」と容疑を認めています。

 

捜査関係者によりますと、遺体は少女が出産した赤ちゃんとみられるということです。 

警察は、遺体の司法解剖を行い赤ちゃんが死亡した経緯についても詳しく調べることにしています。

 

 

私としても誰も救われない誰もが互いに不幸にしかならない結果だけしかなく非常に悲しい結果になってしまいました。

赤ん坊を捨ててしまった10代の少女も妊娠させた男性も、そして何より生きられる可能性があった赤ちゃんが最大の被害者ですよ。

 

もし、その子がもし生きられる可能性があったら、施設に預けるなり赤ちゃんポストに入れるなり、いくらでも生きられる、可能性がまだあったかもしれません。その子が幸せに生きられるかどうかは可能性の話であって正直に親御さんに打ち明けていれば親御さんのサポートをうけながら、子供を育てる事も出来たかもしれませんし、

 

子供のできない夫婦に里親に出すことも出来たはずです。私もこんな形で生きられたはずの小さな命が無残に失われてしまった事に涙を抑えることが出来ませんでした。

 

おそらくその10代の少女も性の知識に乏しく相手の男性からも半ば嫌とは言えず受け入れてしまったのかもしれません。そう言う意味ではその妊娠させた男性も同罪です。もしその子の事を本当に大事に思っているならきちんと避妊をする事もできたはずです、それをしなかったという事は、所詮その子の事もその程度に考えていたのだと思います。私も、男性ですが、同じ男性としてもどうしても許す事が出来ません、その様な屑のような男と一緒にしないで欲しいと思います。

 

それに、親に知られたらどうしようしられたら怒られる叱られるという恐怖もあったのでしょう。

又、自分自身が妊娠している事にすら、気づかなかったかもしれません、薄々妊娠に気が付いても少し大きめの服を着れば幾らでも誤魔化せてしまいますから、妊娠が発覚してもどうにも両親に打ち明ける事が怖くてかと言って中絶する費用も作る事も出来ず遂に産気づいて、産んでしまったのだと思います。産んでしまって、かと言って自分ではどうすればいいかもどう赤ん坊を扱ったらいいのかも分からず少女も気が動転して死なせてしまった可能性があくまでも推測でしかないのですが可能性としてはありだと思っています。

 

今回の事は我々大人にも大きな責任があります、

日本では、ど言う訳なのか、性の知識を禁忌(タブー)し、する扱いが非常に根強く

まだ少年とか少女の癖に性に興味を持つなんてふしだらな所が有るというのは、日本人すべてにその様な

バイアス(思い込みの事)が薄々根付いているのかもしれません、

 

でもやはり思春期の内に男女関係なく性知識をきちんと正確に教えるという事はやはり大人の義務であり

この様な間違いをこれ以上生み出さない為にも必要な義務と大人としての責任だと思っています。

 

ただ一番の問題は何時頃の年齢になったら性の知識を教えるのか、

そのタイミングが分からないから悩んでいるのが殆どでは無いでしょうか。

 

特に男性の場合は相手の女性に特別な好意を持たなくても、女性であれば出来てしまい所があります。何故なら男性が性交渉をするときは基本的には女性の膣口に射精するのが目的だからなんです。正し女性の場合は別です、女子が子供を宿せるのはどんなに何人かの男性と肉体関係があろうと、たった一人の男性の子供しかそれが双子だろうが三つ子だろうが一人の男の子供しか宿せない様になっているのです。その為に女性の方は、慎重に男性を選ばざるを得ない様になっているんです。

それに女性が妊娠できるのも大体15~16歳ごろに生理がきて50歳ぐらいで閉経すると言います。

だから、女性が子供を宿せるのは人間の寿命を考えると非常に短いと思います。

それに妊婦さんが産気づいて、産むときは女性は壮絶な痛みに耐えながら命がけで赤ん坊を産まなければなりません!,下手をしたらすべての気力も体力も使い果たして産んだ後に死ぬ事もあるんです。それぐらい子供を産むという事自体女性にとっては命がけの行為なんです。」

 

男性の場合は15~16歳ごろに精通が起こるので

性の知識を教えるタイミングはそのあたりがベストなのかもしれませんが。

最近では優しい性教育の為に子供にも大人にも学ぶべき書籍があります

 

 

 

 

 

思春期の男女は特にこう言う事に敏感な部分があり、男女と共にその様な事を告白する事が恥ずかしく感じる年頃でもあります、ですから今子供を育てている人特に思春期のお子さんがいたらは何か様子が変だなと思ったら女の子だったら生理が始まったのかもしれない、男の子だったら精通が起こったのかもしれないと、察してあげて気づかないふりをしてあげて欲しいと思います、難しい事は分かりますがそれでも、

察して上げようとする、見て見ぬふりをする優しさは父親・母親共にもってほしい思います。

 

特に男性の場合は思春期・未成年はは特に性欲が有り余っているのでいつの間にか寝ているときに夢精して慌てて風呂場等に行き汚れた下着をこっそり洗うところも父親・母親が見かけたとしても見て見ぬ振りをするのも優しさだと思います。

 

 

 

すこし話はそれますが、

 

よく人間一人の命は地球より重いと聞いたことがありますよね?。

なぜこのような話が生まれたのかと自分なりに推察してみたのですが

それは、おそらく人間だけが知性と感情を兼ね備え言葉を使うことが出来るからだと私は考えております。

もちろん動物にだって例にすれば犬や猫にも感情は、ありますし

実は、最近の科学的な研究では、植物にも感情らしき物があるという事が科学的に証明されてもいます。

 

そして人間だけが言葉を使う事を許された生物なんです。

例え自分たちが使う日本語だけではなく他に英語もあれば中国語や韓国語もあるし

フランス語もあればロシア語だってあります、

ですが言語が異なっていっても言葉を使う生物は人間にしか出来ない事なんです。

 

もし現実に犬や猫が突然言葉使って喋りだしたり話し出したら逆に怖いと思いますよね。

 

これがアニメやディズニーのようなファンタジー映画だったら犬や猫が喋ってもおかしくないのかもしれませんが

それも虚構の世界だからこそ何でもありになってなってしまうわけです。

 

すこし話が脱線してしまいましたが

 

最初の事件に話を戻しますが結論になるかわかりませんが、思春期の子特に男性の未成年等に性教育云々言う前に

小学校5~6年位の高学年の子供たちに対して道徳の時間を使ってでも、

(今は道徳と言う科目があるかわかりませんが!)

人の親になるという事はどう言う事なのか。人の命について、まずそこから子供たちに教えた上であえて子供たちに考えさせて子供たちだけで議論をさせていくべき課題なのではないのかと?と言うのが私の結論です。

 

そしてもし自分たちが親になって子供持ったらどう育てていこうか真剣に子どもたちに想像させてイメージさせてほしいのです。

 

子供たちが真剣に人の命に付いて深く議論し色々意見を言い合いならが少しずつつ人の命に理解を示したのであれぱ、ましてや生まれたばかりのあかちゃんや2~3歳ぐらいの子も虐待等で命を落とす事なく、人の命そのものを考えなかった人の命を知ろうとしないからこの様な救いようのない事件が起こってしまったと思っています。

 

かさねて言えば人が生み出した科学やテクノロジーがどれだけ進歩したとしても細胞一つ葉っぱ一枚まったくの無から、生命一つ作る事も想像する事も、いまだに出来ていないんです。それが人間の科学の限界なのです。

ましてや人間の赤ん坊を袋に詰めてまるでごみを捨てるように遺棄する等どうひいき目に見ても許される事ではありません。

袋の中にまだ赤ん坊が生きていた可能性はあったんですよ。

この10代の少女は小さな幼い命の大切さをもっと理解して海よりも深く猛省してほしいと切に願います

 

それから遅れましたが赤ちゃんのご冥福をお祈りします。

せめて今度は、来世に生まれ変わるときは本当に子どもを愛してくれる心優しい両親の下に生まれる事をねがいます。

 

男と女がSEXする事はいやらしく思う人もいるかもしれんせんがSEXと言うのは男と女の共同作業で協力して一つの命を想像する神秘的な行為だと私は、思います。

 

 

2~3裁位の小さな子供は様々な可能性の塊であり可能性に満ち溢れた人類にとっての未来の希望なんです。

 

貧しい発展途上国のような貧困に喘いでいるような貧しい国はまだ10歳にも満たない子供の両手足を親が一家が暮らしていく為にはこれしか他に方法が無いんだとすまない許してくれと泣きながら鉈で切ると聞いた事があります、その様なテレビのドキュメンタリーで何時だったか見た覚えがあります。

 

現地のレポーターらしき女性の方が親になぜ子供にそんな惨い事をするのか?と聞くとその親が言うには私たち一家は代々乞食や物乞いで他人から物乞いやお恵みを貰って暮らしている、だからこうして手足を切ってしまえば両手足の無い子供は他人から見れば余りにも哀れに見えるので人から施しや恵みを受け取りやすい、のだそうです。この話を私も知って余りにも馬鹿で視野が狭い親だなと思いました。

 

正に貧困は視野が狭くなる原因だと思いました、両手足を子供のうちに切られたその子供はもう一生死ぬまで人々から物乞いして

乞食として生きていかなければ生きて行けなくなった事に変わりはありませんから子供がかわいそうになります。子供にそんな愚かな事をする前にちゃんと五体満足健康に育てて学校にきちんと通わせ、教育を受けさせてせめて字の読み書きや計算等を覚えさせれば、それなりに仕事についてお金を稼いで家にお金を入れる事だって出来た筈なんです、それを両手足を切ってしまったら自分で歩く事も出来なければペン持って字を書くことも自分で本を開いて勉強する事も自分で食事をする事も排泄時にも自分で下の処理も出来なくなってしまうんです、なぜそこまで考えが及ばないのか。食うに困る程貧困に追い詰められば、そこまで視野が狭くなると目先の事しか考えられない良い例だと私は思います。

 

私も既に、50を目前にした年齢になりました。

その間、一度も結婚もせず子供一人作る事も出来ませんでした。

 

だからこそ

 

その希望を幼い内からその希望をむしり取るような事はもうやめて欲しいと思います。

 

子どもを虐待死したりさせるような人は親になる為の大人としての成熟差や覚悟が足りなかったかもしれません。

子どもをそれも幼い子供を虐待死するという事は、人類から未来の希望を自分たち大人が自らその可能性の目を潰して失われて言っている事と同じことであります。

 

テレビに出てる経済ジャーナリストの池上彰さんもテレビで言っておりました。

 

「子供たちの未来に投資しろと」

 

大人たちはそれに気づくべきです。今も幼い命が理不尽な形で虐待され命を奪われている事を、

 

今回は言いたいこと言えてよかったとおもいます

 

これを読んでくれたあなたに感謝します。

 

本間義昌でした