穴と橋とあれやらこれやら -60ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【1】より続く。

 

 

 

行く手に見えてきたものは、

大きな左カーブを示す標識、そして構造物。

 

 

 

 

 

その構造物は、

古レール製の、まさにガード「レール」。これはいい!

 

 

 

 

 

 

これが大きなカーブの外側に

続いて二つ、設置されていた。いや、素晴らしい。

 

以下もし間違っていたらご指摘いただきたいが、わたくしの理解するところでは、今いるこのあたりに軌道が走っていたことはない。

ただ、大又佐渡林道のこの先、佐渡側から池ノ宿~文政スギ(これについては後日改めて)までかつて森林軌道が走っていたということで、このレールがそこから転用された可能性は高いと思われる。

 

 

 

 

 

カーブの頂点から。

萌えるな~このタイトなヘアピン。

 

このヘアピンをもって、これまで隧道から遠ざかるばかりだった大又佐渡林道、いよいよ隧道方向へと転じた。

 

 

 

 

 

ヘアピンのすぐ先は、

これまたナイスな掘割。こういう力業な路線の付け方、大好き。

 

 

 

 

 

なおかつ右側の斜面は

このような石積み。こういう左右別々な仕様、割と珍しい気がする。

 

ちなみに…斜面上の黄色いなんらかの杭には気づいていたんだが、なぜか行きも帰りもチェックせず。

 

 

 

 

 

1.5km地点。

 

 

 

 

 

こんな

打ち首獄門状態のミラーが佇むカーブを過ぎると、

 

 

 

 

 

なんか見えた。

あれはきっと…アレだな。

 

 

 

 

 

はい、あたり~。

ガッチガチのゲート。

 

 

 

 

 

いろんな情報が目に入ってきたが、

文字にするのは控えとこうか(笑)。

 

 

…みたいな感じで、まあ情報多い。

 

 

 

 

 

さて…この先は

すべて念写による撮影ということで(笑)。

 

言うまでもなく、推奨はしませんよ。自己責任にて。

 

 

 

 

 

さて、

どんどん進むぞ。

 

 

 

【3】に続く。

 

 

 

【序】より続く。

 

 

 

車は、この場所に停めることとした。現在地はこちら

ついにダートになったため、少し手前の広いところに停めた次第。これは転回してから停めたので、右奥から登ってきたことになる。

 

13年半前の記憶が定かでなく、あの頃はもっと下の方でダート化していたように思うが、気のせいかなあ。けっこうすぐに諦めたような気がするけど。今回は思ったよりもかなり登ってこれた感。ここまでこれれば御の字だ。

 

 

 

 

 

余談だが、今回のアタックに際し、試してみようと思っていたことがあった。それは、隧道へのショートカット。この地理院地図をご覧いただきたい。

隧道に背を向けるように、地形に忠実に山襞を巻いていく大又佐渡林道(緑色)。いかにも迂遠でうんざりさせられる感じだが、よく見ると、車を停めたこの沢伝いに点線道が描かれており、これが(見た目では)極めて直線的に隧道方向へと抜けられそうで、距離にすれば半分弱くらいじゃないか?これはぜひ試したい!

 

そういう目論見で、事前にYAMAPでこの周辺の地形図をスマホにダウンロードしてきた…つもりだったのだが、現地でおもむろに地図を開こうとして…あら?なぜかダウンロードしたはずの地図が見つからない。

 

消えた?そんなわけないか。ダウンロードできたと思ってたけどミスってた?なんやねん。

 

 

まあチャレンジしてみてもよかったのだろうが、万が一にも「二度と」遭難したくないわたくし(笑)、地図も持たずに単独での山入りなんてことはもうやらない。ここは即断であきらめた。潔くうねうね林道につきあってやろうじゃねえか!(←バカ

 

 

つうわけで、【序】で書いた「いい意味でも悪い意味でも予想外なことがあった」というのは、「いい」ほうは予想よりもだいぶ奥まで車で進めたこと、「悪い」ほうはショートカットルートを試せなかったこと、だった。ね、大したことなかったでしょ。

 

 

 

 

 

 

さあ、気持ちを入れ替えて、

身支度を整え、6時53分、進軍開始。

 

 

 

 

 

大きく160度ターンしながら、二本の橋で二本の沢をまたいだところで、

ダートが始まる。

 

 

 

 

 

ノートさんならば、まだ頑張ってたかもしれないが、

ゴルフの場合はもう全然無理したくない(笑)。

 

 

 

 

 

歩くこと6分、こんなのが現れた。

こういわれても我がソフトバンクのスマホは一切つながらなかったんだが。

 

わたくしが注目したのは最下部の「大又佐渡林道(大又林道)起点から0.6km地点」。車で登ってきたのは「大又併用林道」だったが、いつの間にか大又佐渡林道に入っていたとは気づかなかった。600m手前ってことは、車を停めた場所よりもまだ下になるな。帰りには確認してみよう。

 

 

 

 

 

その少し先で、ウッとなった。

舗装が復活してる。

 

 

 

 

 

マジか。うーん、早まったか?と思いながら歩いてたら、

またコイツが現れた。「起点から0.9km地点」。

 

この後300mごとに現れてくれたこの看板、徒歩進軍のちょっとしたチェックポイント的にいいアクセントとなった。以後全部撮ったので、意味なく載せていく(笑)。

 

 

 

 

 

そして結果的に、

部分的に復活したりしたものの、全体的にはあそこまでで自重しておいて正解だった。そもそも停める場所がないわ。

 

 

 

 

 

徒歩進軍開始から19分、

「1.2km地点」を過ぎてすぐ。

 

 

 

 

 

ここまではどんどん隧道から遠ざかっていく方向に歩いてきたが

なんか見えてきた。

 

 

 

【2】に続く。

 

 

 

2024年6月8日に敢行した熊野~尾鷲宿題回収ツアー。その最初に訪ねたのが、メインターゲットである大又隧道だった。

 

 

 

大又隧道は三重県熊野市の山奥、大又佐渡(おおまたさわたり)林道にある隧道…とだけいえば「ふーん」で終わるのだが…。

 

まずはこれをご覧いただきたい。

赤丸のところが目指す大又隧道(マピオン地図だとここ)で、羊腸のごとくうねうねと隧道まで続くのが、大又佐渡林道。

 

 

大又佐渡林道は地図の上の方まで延々と延びており、かつては途中で接続する塔谷林道と備後川林道を介して奈良県上北山村へと抜け、酷道425号の備後橋たもとまで行くことができた…のも今は昔、途中崩落で抜けられなくなって久しい。

もしここが抜けられたら、非常に楽しい(そしてスリリングな)周回ルートが組めるのだが、まあ復活はないのだろう。

 

 

2022年5月8日、ノートさんラストラン@紀伊半島三日目においてわたくし備後橋からこの大又佐渡林道まで入り込んできた。今回の記事で登場するパートよりはるか先の林道最奥部近辺に点在する到達困難物件を回るためで、この記事内で前半の写真たちがその時に撮ったものだ。

 

本来ならその時のことを先に記事にすべきかとも考えたんだが、まあいいかなということで。

 

 

つまり大又隧道へは、奈良県側からは延々ダート林道を限界まで突っ込んでさらに10km以上も歩いてくるか、オフ二輪車ならばあるいは?ってところで、現実的なアプローチとしては今回のわたくしのように熊野市側から、ということになるのだが、それは果たしてどんなものか?

いい意味でも悪い意味でも予想外なことがあったその道程を、何回かに分けて記事にしていく。

とはいえ、大したことは起こらないとあらかじめお断りしておく。

 

 

 

 

 

早朝6時25分。

いや~、久々にきたよ~。

 

 

 

 

 

ここに来るのは、初めてではない。

 

前回は2010年12月27日、

鳥越隧道攻略後にやってきた。これと次の写真は当時のもの。

 

16時を回り、間もなく暗くなってくる時間帯だったが、普通に隧道まで車で到達できるだろうと思ってのアタックだった。

 

 

 

 

 

しかし…

あー、ダートになった。

 

隧道までまだかなりの距離を残す地点で、これはかなり不安。ここはさくっと撤退した。

 

 

 

 

 

以来13年半。積年のシバキ残しを今回ようやく回収しようというわけで、そこそこの距離を歩く覚悟もしてきたが、ちょっと試してみたいこともあった。

 

はてさて

どうなるか、見てみよう。

 

 

 

【1】に続く。

 

 

 

2023年8月22日に敢行した薬院新川の古橋群探索は、酷暑のため福海橋宮の谷橋御陵橋土居橋で打ち切り。平尾架道橋(仮)を見て終了。翌々日8月24日、残る橋をチェックするため、再び西鉄平尾駅へ降り立った。

 

市崎橋餅田橋を経て、ついに白塗りの呪縛から逃れた新川橋姿見橋までをご紹介してきた本シリーズ、いよいよ今回が最終回。

 

 

姿見橋から150mほど、いよいよ最後のターゲット橋が登場。

これまた一見して古い橋だ。いや~、なんとかここまで辿り着いた。もう暑くてたまらん。

 

 

 

 

 

正対して一枚。現在地はこちら

高欄の意匠など姿見橋とよく似ている。違うのは、こちらは斜めってないとこだけ。

 

 

 

 

 

下流側からも一枚。

思えば、白塗りと無縁だったのって結局新川橋だけだったなあ。

 

 

 

 

 

下流側の親柱は、

やはり姿見橋と同じ耕地整理組合のもの。

 

そして先ほど読めなかった部分が判明した。「福岡市西南部」だ。福岡市にもエリア別で複数の耕地整理組合があったということなんだろうか。

 

 

 

 

 

で、上流側の親柱。

仮名での橋名。

 

 

 

 

 

橋上から望む、下流方向。

ちなみに高架は西鉄天神大牟田線。写真奥方向におよそ300mちょいで西鉄福岡(天神)駅という立地。

 

 

 

 

 

こちら上流方向。

遠くに姿見橋が見えておりますな。

 

 

 

 

 

渡って、高架下から。

実は、一刻も早くこの日陰に入りたかった(笑)。

 

この日ここまで歩いた時間は1時間弱、距離も全然大したことはなかったが、なにしろグリルされるような暑さ、そしてここまでにまとまった日影(日本語合ってるか?)がほとんどなかったので、いやもう、まさに砂漠にオアシス状態で。

 

 

 

 

 

とりあえず親柱だけ…って、

見えませんやん。

 

 

 

 

 

アップで…。

「大正十四年十二月建●」。最後の一文字だけ判読できなかった。

 

この後、もう吸い込まれるように目の前のローソンへ。ウィダーinゼリーでチャージ、アーンド水分補給でセルフ蘇生(笑)。

 

 

 

 

 

その後この日陰で休憩しながら一枚。

暑さのあまりイカレてたのか、最後の親柱を撮り忘れてたっていうね。たぶん肝心の橋名「新開橋」だったはずだが。

 

 

 

 

 

最後に引きで一枚。

大都会のど真ん中に古めかしい大正橋梁。こういうの大好き。

 

 

 

これでターゲットはコンプリート。思いがけず二日がかりとなってしまったが、初日に強行してたらぶっ倒れていた可能性大だったと思う。昨夏は体調悪かったから…。

 

この後は、高架下のビックカメラの涼しい店内にエスケープして天神まで歩き、昼飯を食べて仕事に行った。しんどかった(笑)。

 

 

 

以上、完結。

 

 

 

2010年8月8日、第一次宮城県探索。この日のネタで記事にしているのは、北浜隧道井戸尻架道橋根廻隧道サン・ファントンネル宮城県道2号石巻鮎川線・新小積トンネル旧廃道小積隧道女川橋雄勝隧道新竹の迫橋

 

今宵ご紹介するのは、女川橋の前に通りかかった隧道…だが、数年前に撤去されたというニュースを見たのを思い出し、記事にしとこうかと。

 

 

まずはこれ。

ここは女川町高白浜地内、宮城県道41号女川牡鹿線のコンクリトンネル前。地図こちら

 

 

 

 

 

お名前は、

高白隧道。お、隧道を名乗るか。

 

 

 

 

 

銘板。

1970年3月の完成と、めっちゃ古いわけではなかったが…。

 

最初の写真でわかるように極端に狭いトンネルではなかったのだが、大型車のすれ違いは困難。やはりこの訪問の7ヵ月後に発生した東日本大震災での被災を受け、災害に強い道路ネットワークの整備を行うべく、この隧道前後を含む狭隘区間の解消ということで、役目を終えたようだ。

 

 

 

 

 

坑口から振り返り。

道路もそこまで狭くもなかったけど、まあ屈曲ぎみではあったしな…。

 

 

 

 

 

抜けてこちら、女川市街地側。

坑口両側の縦型交通看板がいいアクセントだった。

 

2021(令和3)年3月22日、新道への切り替えが行われ、高白トンネルは通行できなくなった。新道にトンネルは掘られず、山まるごと「パッカーン」して軽やかにパス。

 

 

 

 

 

トンネルは、その後しばらくはまだ姿を残していたようだ。これは2022年5月のストビュー。

素寒貧、というワードがふと浮かんだ。意味は違うけど、なんとなく。

 

そして本記事執筆時点で最新の2023年7月撮影分では、すでに解体されてなくなっている。わざわざお金をかけて撤去しなくてもよさそうな立地に見えるが、なにか土地使用の目的があって撤去されたのだろうから、2024年夏現在ではもっときれいに整備されているものと思われる。

 

高白浜側の旧道、今どんなんなってるのかちょっと気になる。

 

 

 

つうわけで大した写真もないが、ひっそりと消えた地味なトンネルへの手向けとして。約52年間、お疲れ様でした。