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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

6月16日が誕生日だったわたくし、その直前にはささやかな賞与をいただきまして、奥様よりなんかほしいものはないのかとの温かいお言葉が。

だから、前からキャメラが欲しいって言うてるやろ~。

 

 

 

…みたいな会話の末に、

誕プレとして買っちゃった。

 

 

 

 

 

いや~、一昨年の9月にカメラの「お怪我」をやらかしまして、

わが予想通りそっから我慢してだましだまし使い続けてるわけですが…痛々しいお姿でしょ。

 

最大の問題は、レンズカバーが閉まらないためにレンズが汚れ放題&ホコリ入り込み放題なことで、もう内側に入り込んじゃって取れないんですわ。なので、やっぱ新しいカメラが欲しいわ~、ということで今回の購入となったんですが…。

 

実は同じカメラ(CanonのPowerShot SH720 HS)が希望だったんですけど、今や品切れ…っていうか、コンデジ自体がほぼ絶滅危惧種状態なんですね~。

この希望機種だと新品は入荷見込みナシ、中古でも「状態よくない」と明記されているにもかかわらず4諭吉(もうすぐ栄一か)超えとか、頭おかしいやろ!って金額で、出せるかそんなもん。

 

 

 

 

 

で、ほぼ選択の余地なし。

同じくCanonの、IXY650。もうこれしかなかったっす。

 

バッテリーの互換性がなくって新たに予備バッテリーも買わないといけないのが二重に腹立たしいけど、もうしゃーないですよねえ。

 

 

 

 

 

何度か書いたことあるけど、わたくし写真を撮ることは好きだけど技術的なことや高級カメラとかには一切興味がなくって、行動様式的に歩きながらパッと撮ってすぐ移動、みたいなことも多々。

なので、コンデジが一番適してるのですよね~。

 

奥様なんかは「スマホに上等なカメラがついてんだからそれで撮ればいいやん」ってのたまうんですが、まず撮る枚数が一般人とは違うのよ(笑)。そして地図を見るにも使うし、運転中にはナビ代わりに使うこともあるしブログのチェックにも使うし、何ならコメント返しにももちろん使うし、その上カメラとしてバシバシ撮りまくったら、とてもバッテリーもストレージももたないっすわ。何より暑さにめっちゃ弱いし。

 

 

しかし…カメラとして使うためにスマホを買う、みたいなこともアリってこと?でもでも、スマホに予備バッテリーみたいな概念ってあるのかね?モバイルバッテリーみたいなんじゃなくってさ。

 

 

 

 

まあ新しいカメラは来たけれど、現在のPower Shotも処分したりはせず、引き続き手元に置いておくつもり。だってカメラとしては壊れてないし、生きてる限りは活躍の機会もある…かも。

 

 

 

 

あーーあ、遠出したいなあああああ。

 

 

 

2023年3月30日、春爛漫の江東・墨田区境周辺散策。この日のネタで記事にしているのは、終盤の小名木川橋梁新辻橋

今宵ご紹介するのは、この二つの間に訪ねた物件。期せずしてこの日のラスト三件を記事にしたことになる。

 

 

桜を愛でながら歩いてきた、猿江恩賜公園。

その園地から出る前に…すでに見えた。

 

 

 

 

 

あれが目指す橋、

松本橋だ。

 

ここはストビューで見つけておおっ!となり、このエリアを訪ねるきっかけとなったもの。いや~見たかった。

 

 

 

 

 

間近へ接近して一枚。そう、これこれ。

高速道路(首都高速7号小松川線)に踏んづけられた橋。

 

それ自体は東京は言うに及ばず大阪にもあるし、大都市圏であれば少なからず存在するだろうが、古びたプラットトラス橋が、っていうここの特性が個人的に響きましてね。

 

 

 

 

 

すでに書いた通り、

 

お名前は松本橋。

 

 

 

 

 

トラス両脇に歩道部分が後付けされていて、

さらに脇に川へと下っていくスロープが。

 

 

 

 

 

どうなってんのかというと、

こんなんなっております。

川の名は堅(たて)川。

 

 

 

 

 

これは上の写真の先の景を橋上から見たもの。

向こうに見えるは横十軒川だが、堅川はその先にも続いている。

 

堅川は江戸時代に開削された人工河川で、ウィキ先生によると江戸城に対して縦(東西)に流れることからその名がついたらしい。実際、横十軒川だけでなく大横川とも交差していて、西側の隅田川と東側の旧中川の間を流れている。が…

 

 

 

 

 

このように松本橋から西に向かっては暗渠となっていて(新辻橋の記事でも書いたとおりだ)、

こういうなんとも言えない見え方で、絵に描いたような美しいプラットトラスを楽しめる。これはなかなか見ないテイストだ。

 

 

 

 

 

そして橋上へ。

プラットトラスのセンター、美しい。

 

 

 

 

 

後付けの街燈とか…

 

 

 

 

 

「そろそろ塗装が必要じゃないですか?」

って話しかけてみたりとか(謎)。

 

 

 

 

 

なんか立ち去りがたい橋だった。

そう、この塗装のヤレ具合が醸す哀愁(笑)もその一因かもね。

 

 

 

 

 

こちらの親柱も南側と同じく、漢字とかなでの橋名だった。

銘板も発見できず、現場ではお誕生日がわからなかったのだが、Q地図によれば1929(昭和4)年。これもまた、現代まで生き残った1923(大正12)年の関東大震災からの復興橋なのだろうか。その現役っぷり、実にイイ。

 

 

 

 

 

最後に、ちょっと引きで。

この不条理さがたまらない、松本橋でありました。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2019年10月6日に敢行した、大津市南部の仁丹看板一網打尽作戦。大石曽束町田上森町そしてもう一枚を首尾よく発見し、やってきた最後のターゲット。

 

ありがたいことに、

ここもストビューで見つけられた。

 

 

 

 

 

はい、確認できました!

「田上稲津町」。「救急護身薬」は、これまで記事にした中では上馬場町もそうだったな。

 

 

 

 

 

この場所はけっこう意外だったな~。

もっぱら辻になってるような場所を探していたのでね。いや~、残ってるとこには残ってるのね。

 

 

これが、わたくしが確認した現存する滋賀の仁丹看板では最後に確認したもので、これをもってコンプリートとなった。今からの新発見も相当厳しそうだしな~。

 

小出しにしてきた滋賀の仁丹看板シリーズだが、段々残りのタマ数が少なくなってきた。いよいよ奈良の仁丹看板ハントに出向くしかないかな。まあおいおいに、だけど。

 

 

 

最後に恒例のリストを。

 

1、膳所網町(現地確認済み

2、新栄町(現地確認済み

3、上馬場町(現地確認済み

4、元会所町(現地確認済み

5、上京町(現地確認済み、記事未)

6、山中町(A)(現地確認済み

7、雄琴千野町(現地確認済み

8、東浦垣内町(現地確認済み

9、神出小関町(現地確認済み

10、船頭町(現地確認済み、記事未)

11、柳町(現地確認済み、記事未)

12、膳所大津町(現地確認済み

13、膳●●●(現地確認済み

14、大石曽束町(現地確認済み)→現在消息不明?

15、田上森町(現地確認済み

16、田上石居町(現地確認済み、記事未)

17、田上稲津町(現地確認済み、本記事)

18、山中町(B)(探索するも不明)→ほぼ消滅?

19、東上栄町(探索するも不明)→ほぼ消滅?

20、南滋賀町(消滅)

※現地確認済み分は、確認した順

 

 

2023年4月14日、TKY~初の山梨進出の中盤で訪ねた物件をご紹介。お昼を回り、ようやく山梨県に入っての一発目物件だった。

 

 

 

個人的にファーストコンタクトがけっこう印象的で、

この幅の広~い高さ制限バーの奥に…

 

 

 

 

 

ギュッとすぼまっての隧道登場!

隧道は面白くなさそうだが、手前にはこうして「たぶんアレですよね」な石碑も。イイ感じ。現在地こちら

 

 

 

 

 

石碑は二枚あって、

背の高い右側のものはやはり「隧道紀念碑」だった。

 

 

 

 

 

こういうのが好きな向きのため、

以下も含め石碑関係は画像データサイズ大きめで貼ったので、各自お読みいただきたい。

 

特筆すべきはこの隧道、明治三十四年三月から四十三年十月まで、時の秋山村長・原田善左衛門氏主導のもと、9年半かけて開鑿された明治隧道だったということ。山梨の隧道についての知識がからっきしなのでアレだが、県内屈指の古洞ってことになるのでは。

 

 

 

 

 

左側の石碑は、

後年に設置されたとおぼしき、隧道紀念碑碑文の釈文だった。

 

なので、こちらを読めば碑文内容がわかりやすく書かれているっていう親切設計。こういうの珍しいような。

 

 

 

 

 

裏面にはこの石碑の趣意書きが。

現地ではめっちゃこちらサイド暗かったので、見にくくなってる。

 

要するに、改めてこの隧道開鑿を主導実行した原田善左衛門翁の「ともすれば埋れようとする」偉業を思い起こすため、「もとの漢文を読み易い文章に改めて」、翁の精神が永く後代の人たちに伝わることを祈念して昭和60年10月に設置されたものだということだ。

 

発起者としてこの当時の秋山村長であった原田清守氏の名が刻まれており、その姓から善左衛門翁の後胤に当たる人物なのかもしれない。

ちなみに秋山村は、2005年2月に上野原町と合併して上野原市となり、発展的消滅したということだ。

 

 

 

 

 

さて、で隧道だ。

明治隧道とは思えないビジュアルに、がっつり改修されてしまってるな~。

 

相変わらずレンズが汚いのはご容赦いただいたとしても、まあ現状についてはお世辞にも面白い隧道とは言えない。

 

 

 

 

 

目立たない扁額。

「天神隧道」。

 

 

 

 

 

現代でこそ、そこまで険しいところにも見えないが、

隧道が開鑿される前は「阪路険峻にして行歩甚だ艱なり」な難所だったと。

 

日本中いたるところでこうした新道開鑿/道路改修が行われてきたのだ、というよく知ってるつもりの事実を、改めて感じだ。

 

 

 

 

 

では、抜けて南側へ。

洞内は素掘りのモルタル吹き付け。オリジナルの姿が気になるな~。

 

 

 

 

 

抜けて正対。

こちらも塩対応なご面相…。

 

 

 

 

 

扁額は、

一般的な左書き。さっきは右書きだったけどな。字体も古かったし。

 

 

 

 

 

こっちでも印象に残ったのは、

二連の片持ち高さ制限バー。こういうの珍しい。

 

なんとも行儀の悪いとこに停車しててお恥ずかしいが、実はこの天神隧道、すでに新トンネルが開通していて旧道化している。そのため交通量は少なく、この日も誰も通りかからなかった。

 

 

後年設置された石碑の趣意もむなしく、またしても忘却されようとしているように思われる先人の偉業。こうしたことも我々のような趣味人が微力ながらも記録して行けたらな~と感じた。

 

 

 

以上。

 

 

 

2023年9月10日に敢行した、FNS(福岡・長崎・佐賀)三県徘徊にて訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、この後に訪ねた不老洞

 

 

まずはこんな看板から。

見にくいが、右上を指して「竜の氏橋」、左を指して「小岩橋」と書かれている。

 

 

 

 

 

現在地は竜の氏橋のたもとで、今しがた記録し終わったばかりだ。そして今から小岩橋へと向かう。

ちなみに道は車道ではなく、あぜ道レベル。事前調査によればそう遠くはないようだが、なんか藪が心配だ。

 

 

 

 

 

幸い道はある程度管理されているようで、

ほどなくなにか新たな看板が立っているのが見えてきた。

 

 

 

 

 

それはちょっと珍しい感じの、

「まだまだ現役(小岩橋)」と題された写真だった。

 

下部には「第3回佐々川流域の石橋群フォトコンテスト優秀作品」「吉井エコツーリズムふるさとの会」とある。そのとおり、この近辺にはいくつかの石橋があり(この日まとめて訪問した)、地域としてもそれらを大切にしている雰囲気が感じられた。こういうの嬉しいな。

 

 

 

 

 

そしてその看板からはもう、

小岩橋の野趣あふれる姿が見えていた。場所はこのへん

 

 

 

 

 

人工物なのだが人工物に見えないというか。

豪快(かつ繊細)な石積み橋台と、極厚一枚石桁!

 

 

 

 

 

もう一枚、今度は解説の看板があった。

詳しくは各自お読みいただきたいが、佐世保市指定有形文化財である「佐々川世知原の石橋群」の中で唯一の石桁橋だということだ。

 

このような解説看板が他の各石橋にもあったが、こういうのも実にありがたい。

 

 

 

 

 

では、東側から正対。

 

 

 

 

 

次いで右岸上流側から。

「橋」として極めて根源的というか、古来橋ってこういうものよね、という何ともいえない力強さがある。

 

 

 

 

 

建造は江戸期まで遡るかも、とされていたが、まったくもって盤石そのもの。

解説に「盤石橋」なんて言葉もあったが、「名は体を表す」の極みなり。

 

 

 

 

 

最後に、左岸上流側から。

改めて、石橋の耐久性の高さを感じた。何もなければ、まだまだいけそうだ。素晴らしい~。

 

 

 

 

大満足で撤収。

次なる石橋へ向かった。

 

 

 

以上。






会社様に新業態ビジネスをワンオペで押し付けられたせいで、ここんとこ、この10年で最も忙しく先の見えない日々を過ごしております。Yeah!


更新や皆様のところへの訪問がまばらになりがちですが、どうぞ暖かい目で…。エライ誕生日になりましたわ〜。


いつも書きますけど、過去記事でも読んでお待ちくだされ。