2023年3月30日、春爛漫の江東・墨田区境周辺散策。この日のネタで記事にしているのは、終盤の小名木川橋梁、新辻橋。
今宵ご紹介するのは、この二つの間に訪ねた物件。期せずしてこの日のラスト三件を記事にしたことになる。
桜を愛でながら歩いてきた、猿江恩賜公園。
その園地から出る前に…すでに見えた。
あれが目指す橋、
松本橋だ。
ここはストビューで見つけておおっ!となり、このエリアを訪ねるきっかけとなったもの。いや~見たかった。
間近へ接近して一枚。そう、これこれ。
高速道路(首都高速7号小松川線)に踏んづけられた橋。
それ自体は東京は言うに及ばず大阪にもあるし、大都市圏であれば少なからず存在するだろうが、古びたプラットトラス橋が、っていうここの特性が個人的に響きましてね。
すでに書いた通り、
お名前は松本橋。
トラス両脇に歩道部分が後付けされていて、
さらに脇に川へと下っていくスロープが。
どうなってんのかというと、
こんなんなっております。
川の名は堅(たて)川。
これは上の写真の先の景を橋上から見たもの。
向こうに見えるは横十軒川だが、堅川はその先にも続いている。
堅川は江戸時代に開削された人工河川で、ウィキ先生によると江戸城に対して縦(東西)に流れることからその名がついたらしい。実際、横十軒川だけでなく大横川とも交差していて、西側の隅田川と東側の旧中川の間を流れている。が…
このように松本橋から西に向かっては暗渠となっていて(新辻橋の記事でも書いたとおりだ)、
こういうなんとも言えない見え方で、絵に描いたような美しいプラットトラスを楽しめる。これはなかなか見ないテイストだ。
そして橋上へ。
プラットトラスのセンター、美しい。
後付けの街燈とか…
「そろそろ塗装が必要じゃないですか?」
って話しかけてみたりとか(謎)。
なんか立ち去りがたい橋だった。
そう、この塗装のヤレ具合が醸す哀愁(笑)もその一因かもね。
こちらの親柱も南側と同じく、漢字とかなでの橋名だった。
銘板も発見できず、現場ではお誕生日がわからなかったのだが、Q地図様によれば1929(昭和4)年。これもまた、現代まで生き残った1923(大正12)年の関東大震災からの復興橋なのだろうか。その現役っぷり、実にイイ。
最後に、ちょっと引きで。
この不条理さがたまらない、松本橋でありました。
以上。