穴と橋とあれやらこれやら -59ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2023年7月30日、大分出張中の休みに敢行した「駅から探索」。この日のネタで記事にしているのは、今回のネタに続いて訪ねた猪野隧道

 

 

 

久大本線天神山駅から、西に向かってテクテクと。

 

さらに大分川沿いの細道に入って進むと、現れたのが

この先の橋の情報であろう看板が緑に呑まれかけていた。

 

 

 

 

 

そこから約100mほどで

到着~。欄干の低い、いかにも古い橋の登場。

 

 

 

 

 

左の親柱は、これ…

ぶっ倒れてるな。

 

文字が刻まれているようにも見えるが、なんとも判読不可。

 

 

 

 

 

右の親柱は…

これはアカーン。

 

探索着でなく仕事用の服装なんで、さすがにこれをかき分けるのは憚られた。探索着ならヤってたと思うが。

ちなみに、こちら側からはサイドアングルは見られるポジションがなかった。

 

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

向こう上空を横切るのは、大分県道52号別府庄内線の亀ノ甲橋。

 

 

 

 

 

こちら下流側。

川床の様相が面白い。

 

 

 

 

 

渡りきって振り返り。

来る途中で緑に呑まれかけていた看板が、こっちはちゃんと置かれている。

 

 

 

 

 

左の親柱には、お誕生日。

「昭和二十四年八月竣功」。てっきり戦前橋かと思ったが、戦後だった。

 

 

 

 

 

ふと川べりに目をやると、

あそこ面白いな。何の穴だろう。自然地形なのか?あまり流れでえぐられそうな場所ではないんだが。

 

 

 

 

 

下流側には、

こういうのも袖高欄っていうのか不明だが、コンクリ壁が。後付けかな?

 

 

 

 

 

その外側に…

「かめのこうばし」。やっとお名前が確認できた。まあ例の看板にも書いてあったんだけどね。

 

県道の橋とは新旧橋の関係にあると思われるが、「同名の場合はたいてい旧橋は棄てられる」の法則は、ここには当てはまらなかったようだ。

 

 

 

 

 

で、唯一サイドアングルを拝めるのがここから。

で、ちょっと目を剥いた。おお、これは見ごたえある~。

 

 

 

 

 

二本ある橋脚は、

いずれも大変立派な石積み。これ…ほんとに戦後橋か?なんか怪しいぞ。もしかして上部工だけ架け替えられた?

 

 

 

 

 

で、こちらの橋詰で出会ったのが

こちらの石仏。

 

不動明王っぽく見えるが、どうだろう。赤く着色されていた痕跡が残っていた。見にくいが、光背には「明和六己丑」とか「二月」の文字が読み取れた。明和六年っていつだろうと調べてみたら、1769年。250年以上前のものだった。

 

 

 

 

 

見守られる、亀ノ甲橋。

うーん、ちょっとアングルが窮屈~。

 

 

 

 

 

最後に、県道橋から見下ろした「旧」亀ノ甲橋。

なんともスッキリ端正なお姿と川床の様相がいい。なんかジオラマっぽさを感じるな~。

 

 

これを撮るためにわざわざここまで来たわけだが、実はこの時点でもう暑さにバテ始めてたっけ。まだ一発目なのに(笑)。

 

 

 

以上。

 

 

ずっと寝かしてる間に賞味期限が切れるって、わたくしの場合よくある話。ここもまさにそうで、本記事公開現在まさに絶賛解体中。

 

 

阪神尼崎駅のすぐ東側にある、

阪神電鉄旧尼崎発電所。これが老朽化により解体となった。

 

ここは鉄道用の火力発電所で、阪神電鉄の開業前年にあたる1904(明治37)年に建設されたもの。御影発電所とともに電車の運行と周辺の住宅にも配電されたということだが、1919(大正8)年には発電所としての役目を終え、その後長く資材倉庫などに使用されてきたとのこと。阪神電鉄が所有する、唯一の開業時をしのぶ建造物だった。

 

 

 

 

 

もちろん保存の道も探られたようだが、

まあいろいろと折り合わなかったんでしょうな。

 

 

 

 

 

もったいないことだが、

こればっかりはしょうがない。

 

 

冒頭に書いたとおり、もう解体は始まっており、今行ってももうその姿を拝むことはできない。煉瓦塀ならもしかして?くらいか。年明け1月には解体完了とのこと。

 

というわけで、さようなら、阪神電鉄旧尼崎発電所。

 

 

 

 

以上。

 

 

2011年12月25日、聖クリスマスに敢行した、第二次掛川探索。この日のネタで記事にしているのは、村松西隧道一色隧道細谷富部隧道(仮)黒立隧道阿蔵隧道。今宵ご紹介するのは、阿蔵隧道の前に訪ねた物件。

 

 

いきなり、ドン。

引きの写真も撮ってたんだが、ご覧の難しい日差し。ひどい写真しか撮れなかったんで…。現在地こちら

 

 

 

 

 

扁額に記されたお名前は、

えーと、見にくくなっちゃってるが、「鳥羽山洞門」である。

 

 

 

 

風格ある煉瓦ポータル。

アーチ環の巻厚は四層。帯石と笠石も備えているが、ピラスター(壁柱)はなし。

 

先の地図リンクを見ていただくとわかるように、ここ鳥羽山は天竜川とともに、二俣の街から西の鹿島方面へ向かう道(二俣西街道)における難所となっており、そこに1899(明治32)年に開通したのがこの鳥羽山洞門。二年後には天竜川に架かる吊り橋、その名も「天竜橋」も完成し、人荷の往来に大きな進歩をもたらしたという。

 

 

 

 

 

では、北側(二俣市街側)へ抜ける。

洞内は全面的に手が入っており、特に見るべきものはなかったと思う。現役ゆえに当然のこと。

 

 

 

 

 

で、こちら。

北側(二俣市街側)ポータル。幅員からもわかるように、市街地方向への一方通行となっている。

 

 

 

 

 

左右の擁壁も含め、

古道の雰囲気をよく残していて好ましい。

 

 

 

 

一方通行ゆえにこちら側にはポータルへの設置物もほとんどなく、

意匠の観察にも適してるかな。いいねぇ~。

 

 

 

 

 

ところで…お気づきだっただろうか?

隧道すぐ前のベンチ。

 

当時、我々みたいなモンには最高やな~このベンチ、とか思ったものだが、最新のストビューで見るととっくに撤去されてる。まあ歩道の邪魔だし仕方ないか。てか、誰が置いた?

 

 

 

 

 

最後に。

 

鳥羽山洞門は、1942(昭和17)年の新トンネル開通をもって旧道となった。それが

 

国道152号の鳥羽山隧道である。

 

個人的には早くも?って印象だが、それだけこの道の輸送力というのは重要だったんだろうなと想像。しかしながら、両側に住宅があるおかげで、現在に至るまで現役を維持できているのは素晴らしいことだ。

 

 

 

 

 

ちなみにここ鳥羽山に存在するトンネルはこれだけでなく、

 

鳥羽山隧道東側に並行する「鳥羽山自転車歩行者専用トンネル」と、

 

 

 

 

 

天竜浜名湖鉄道の鳥羽山トンネル。

計四本の隧道/トンネルが抜けている。さすが明治に隧道が掘られただけのことはある、重要な場所なのがよくわかるトピックだ。

 

 

 

以上。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

改めて、深谷大橋に山口県側から正対。

日差しを浴びて、無害に横たわっている。相変わらず通行する車両は皆無。

 

 

 

 

 

改めてのお名前、

深谷大橋。

 

 

 

 

 

左の親柱は、

深谷川。まさにその名の通りの、「深い谷」だ。

 

 

 

 

 

そして、これだ。

橋梁名の看板(管理者とか明示してあるのも珍しい気がするが、「この手の橋」ならではか)の下にある、「ひとりぼっちで悩まないで」の「島根いのちの電話」。

 

やっぱそういうことよな…あの高いフェンスは。普通の橋めぐりではそう見かけることもないが、「そういう場所」になっちゃうと設置されるよね、この手の看板が…。実際、ネットでちょっと調べてみたら、やっぱりそうだった。

 

 

 

 

 

親柱脇からちょっとのぞいてみれば、

コレモンである。

 

そういうことを差し引いても、まあ確かに高い。(写真撮ってないが)島根県側にあった説明看板によると、深谷川の谷底までは80mほどもあるのだそうだ。確かに元の欄干、低いな…。

 

そして上路スパンドレルアーチであることをわずかでも視認できるのは、ここしかない。ここに来るまでの道中で木立越しにサイドアングルを望めるポイントがあったが、写真を撮るほどの眺望がなかった。

 

 

 

 

 

そんなわけで、

後付けの高いフェンスでガッチリと守られている。

 

 

 

 

 

こちら上流側。

ちなみにフェンスが設置されたのは、2008年のことらしい。

 

 

 

 

 

そして下流側にあったのが…

この扉だ。これがなんか怖い。

 

もちろん扉を開いたとして、その先には1センチたりとも余地はない。心霊系サイトなんかには「遺体を引き上げるためのもの」とか書いてあるものもあったが、イヤイヤイヤ、さすがにそれは。単に保守点検の際のエントリーポイントだと思う。

 

にしてもだ、怖いもんは怖いのよ。

 

 

 

 

 

カメラだけを差し出して、チラッと…。

無理無理無理無理。

 

 

 

 

 

いや、確かにさぞかし、

壮大な橋だろうなこれは。

 

こちらのサイト様記事最初の写真をご覧いただきたい。イヤこりゃ凄いわ。エリアでは有名な紅葉の名所ってことで、ちょうどここ最近とか人出が多かったのではないだろうか。この時は穏やかそのものだったが。

 

 

 

 

 

都合一往復半して、

最後に改めて島根県側より正対。

 

欄干の赤に対してフェンスの色が抑えられているだけに、高所にあるがゆえのスッキリ感は損なわれていない。

 

 

 

 

 

おお、お誕生日キタ。

昭和37年3月。

 

 

 

 

 

そしてかな表記。

ふかたにおおはし。ここでようやく「ふかや」でなく「ふかたに」だと知る(笑)。

 

 

 

 

 

予期せず通った県道で出会った、県境の橋。

意外とうちでは紹介してない類の橋だが、楽しめた。

 

 

 

以上。

 

 

2021年9月25日、初の長州遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、寂地峡の木馬道隧道群と五竜の滝高鉢山第3トンネル&大滝橋坂折隧道夜打原取水堰堤のコンクリート円弧橋夜打原の吊り橋蕪坂隧道尾無隧道八幡橋平安橋

今宵ご紹介するのは、時系列では高鉢山第3トンネル&大滝橋の後、島根県吉賀町に向けて移動中にたまたま通りかかった物件。

 

 

というのも、

山口/島根県道16号六日市錦線、実は通る予定じゃなかったのだ。

 

もともとは南西側の山口/島根県道120号須川吉賀線で島根入りするべく国道424号を南下してたんだが、分岐まで行って通行止め(理由は忘れた)を知り、ムカつきながら来た道を戻ってこの県道へ入った。

 

まあ誰も興味ないと思うけど、自分の備忘として。

 

 

 

 

 

で、県境をまたぐところで「出会った」。

停車場所がなかったのでいったん渡り、島根県入り。おあつらえ向きなスペースがあった。ラッキー!現在地こちら

 

 

 

 

 

はい、出会ったのはこの橋。

島根県側は最後にちゃんと紹介するとして、まずは山口県側に戻る。

 

橋上のこの感じ、これは…。

 

 

 

 

 

なにかを察しながら、

再度山口県へ。

 

 

 

 

 

通りすがって最初にビビビときたのは、

実は橋手前のこの廃屋だった。

 

 

 

 

 

なんもなければ単体で建造物シリーズとして記事にしてもよかったんだが、

これ実はぜひとも橋と絡めて紹介すべき、ってトピックを通りすがりに見つけちゃってたのだった。

 

 

 

 

 

それが、壁に描かれた(そう、貼られた、ではなく)これ。

残念ながら半分以上が消されてしまっているが、

「山口県立自然公園 深谷大橋 観光お土産(以下見えず)」。

 

そう、深谷大橋というらしいこの橋、なんとお土産物屋がたもとに建つほどの「観光スポット」だったようなのだ。先ほどの写真でも伝わったと思うが、相当高いところに架かっていそうで、その長さも相まって、架橋当時には「わざわざ見に来るほどの橋」だったのだろうか。

 

 

 

 

 

その元お土産屋。

かなりヤバイ状態になっているが、原形はとどめている。

 

 

 

 

 

弊社業務範囲外につき中には入らなかったが、

懐かしいアイスクリーム用ケースと奥には飲み物など冷やしていたであろう引き戸の冷蔵庫、そしてカウンター的な造作物も見える。右手は…靴を脱いで寛げる休憩所的な?

 

 

 

 

 

そんな時代があったのが信じがたいような、

今や車一台もまだ通りかからない深谷大橋に、ようやく正対。

 

 

 

【後篇】に続く。