【4】より続く。
徒歩進軍開始から1時間と6分。
13年半ごしにたどり着いた大又隧道。
もとよりそのお姿はネットで見て知ってはいて、さして面白い隧道ではないのも先刻承知。いささかもガッカリ感はない(笑)。
もちろん、
ひととおりチェックする。
扁額。
「大又隧道」。
銘板がちゃんとあるのがうれしい。
昭和46年12月の完成と。特筆すべきは巻厚まで書かれていることで、これってそこそこ珍しい。
のぞきこんだ、洞内。
塩対応な殺風景さだが、実は左に見切れた側壁に
こんな掲示?があるのだ。
内容は各自お読みいただきたいが、重要そうなことが書かれながらも、わたくしがバカなのか、何度読んでもいまいち何が伝えたいのかよくわからない文面じゃないすかこれ。「あっ、そうなんですね~」としか。設置者もわからんし。
このような「中途半端解説」看板は、池の宿側の物件にも同じように掲示されていた。記事にする機会にはそれらも見ていただけると思う。
唯一有益な情報として読み取ったのは、池の宿側、森林軌道がかつて「文政スギ」まで延びてきていたということ。
ここで改めて「文政スギ」について。これは文政6(1827)年に植栽された杉の巨木が残されている林分で、「大又文政スギ希少個体群保護林」として平成5年に保護林に指定されたもの。
もちろん撮りました~、の
鉄板の構図。いいね!
ではでは、さっそくお邪魔しよう。
こっから見た限りでは何も起こらなそう…に見えた。
が、進むにつれ、徐々に…
おやおやおや?って感じで、
たちまち水浸しに。
写真だとこれでも精一杯頑張った方なんだが、天井部から雨のように水が落ちていて、水深こそ大したことなかったものの、池の宿側へ流れ出していた。
こことか、引きの写真がないんだが
雑な補修の痕跡なのか、変なもんがはみ出してたり。
池の宿側出口の手前側壁とか、
ちょっといかがなものか状態。
そんな(どんな?)池の宿側の
鉄板の構図。
抜けまして正対。
こちらも実用一辺倒な塩対応ポータル。でも苔増量中。
扁額は
大又側とまったく同じもののようだ。
隧道の先、まだまだ続く大又佐渡林道。
隧道から流れ出た水を追いかけてみようか。
そう、目的地はこの大又隧道だったものの、実はこの先にまだ足を延ばした。
その目的については次回に書くとして、帰りの大又隧道で動画を撮ったので載せておく。
動画の始まりは、隧道から流れ出た水が谷へと落ちていくところから。これはつまり、池の宿谷の数多い水源地のひとつに大又隧道も含まれると言っていいってことか。ぜひ言いたい(笑)。
【6】に続く。