薬院新川の古橋群【7】~新川橋 (福岡市中央区平尾~薬院) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2023年8月22日に敢行した薬院新川の古橋群探索は、酷暑のため福海橋宮の谷橋御陵橋土居橋で打ち切り。平尾架道橋(仮)を見て終了。翌々日8月24日、残る橋をチェックするため、再び西鉄平尾駅へ降り立った。

 

 

市崎橋餅田橋を経て、やがて薬院新川は初めて右へカーブ。

 

そして現れたのが、また古そうな橋だったが、

ここまでで初めて「白塗りじゃない」古橋だった。現在地こちら

 

 

 

 

 

そして色だけでなく、

意匠も大きく異なっていた。遂にデフォルト崩壊!

 

それは嬉しいのだが…これまでと打って変わった通行量の多さは気に入らない。こういうロケーションのなにが嫌って、この人目の多さに尽きるよね~。ちなみに道路は、福岡県道31号福岡筑紫野線。

 

 

 

 

 

親柱も、これまでのものに比べて

ちょっと複雑な意匠。

 

そして「昭和十年七月」ということで、ここまでの6本の古橋すべて昭和九年二月というお誕生日表記だったのに対し、1年5ヶ月遅い。薬院新川開削当時、ここに橋はまだなかったのかも。

 

 

 

 

 

あんだけ白塗りが続いた後だと、

なんかめっちゃ新鮮(笑)。

 

何しろもうあのフォーマットはお腹いっぱいになりかかっていたし、こちらの方がさらに装飾的でいい感じだし。道路の「格」も反映してるのかも?

 

 

 

 

 

家屋にくっついて見にくくなっている親柱だったが、

なんとか「新川橋」と読めた。

 

 

 

 

 

いやぁ。

イイっすな!

 

 

 

 

 

交差点を渡りながら、反対側高欄の全貌を。

同じ意匠だが、それより人目の多さが気になってしようがない(笑)。

 

 

 

 

 

けっこう破壊されちゃってるこちらの親柱は、

またお誕生日。

 

 

 

 

 

そしてもう一方は、

「新川橋」。

 

親柱表記は両側とも「橋名+お誕生日」という構成で、これもここまでとは違う。ここまでは仮名での橋名があったもんね。

 

 

 

 

 

市街地にありがちな、延長よりも幅員がデカい類の橋では、正対写真の撮影は困難。

攻めてサイドから。ということで、これが下流側サイドアングル。両側ともしっかり高欄が残っていい感じだった。

 

 

この写真、実はすでに暑さにヤラレてここの日陰で休憩しながら撮ったもの。この時点で気温34度オーバー、この日のゴール予定地である天神駅までまだ3/2ほどの距離を残しているが…やりきれんのか、わたくし?

 

 

 

また次回~。