2019年7月28日、よととさん、宮川さんとの四国遠征2日目。この日のネタで記事にしているのは、一夜干ッ、厄除橋、八反田第一函渠、坂本夷名田の合掌石桁暗渠、オロノ バス停、学島橋と、幻の学北橋。
今宵ご紹介するのは、時系列ではオロノバス停の前、実質この日最後の合同探索となった、午後の物件。
…にアプローチする直前…。
ものすごい豪雨に!
おさまるまでしばし休憩タイム…。左端にこれから向かう物件の情報がさりげなく写ってる。「府能トンネル」。
その後小止みになって再始動。
物件までの道がけっこう複雑でちょっと間違えたりしたが、
無事にとうちゃこ。現在地はこちら。
この道は元国道438号。2007年の新府能トンネル開通にあたり旧道化したものだ。
現国道のトンネルが東西方向なのに対し、この旧隧道は南北方向。新旧トンネルって基本的に同方向に並行しているものが多いが、こういうそっぽ向いたような位置関係の新旧トンネル、けっこう好きだ。
あ、洞内に写ってるのは霊じゃなくて宮川さん(笑)。
この場所で振り返ると、
これが今登ってきた道。佐那河内村のカントリーサインでわかるように、隧道が行政界となっている。
で、改めて隧道に正対。
重厚な煉瓦ポータルながら、構成は比較的シンプル。
なぜか向かって右側のスパンドレル部煉瓦表面が剥落していた。これって変な応力が作用しているせい…ではないんだろうか?
シンプルなポータルで、なんといっても
この立派な扁額!
「府能嶺隧道」と刻まれているようだが、実はこれが正式名なのか?一応現在公式には「府能隧道」とされているんだが。
扁額左端には、
竣功年である「大正十一年」の文字。揮毫者名らしき銘もあるが、よくわからない。時の区長か村長か、そういう人物?
左下には、
おなじみの土木学会プレート。こちら平成29年度の選奨土木遺産で、ランクはB。
では、内部にお邪魔。この時点でも雨はしとしと降っていたので、なかば雨宿り的な感じだったっけ。
ポータル付近は波型ライナープレートだったが、すぐに
たまに見る、よくわからない保護シート?張りに。
そしてまた、
ライナープレートへ。
これは、真ん中らへんだったか。
町村界の表示があった。
その先では、
今度はモルタル吹付。飛び出してる金属棒はなんだ?
とりあえず、オリジナルの姿は見られそうにない感じ。逆に言えば、これだけガッチリ改修されているということは、新トンネルが開通するまで、この隧道がいかに重要なものだったかという裏付けでもあると思った。
神山町側の、鉄板の構図。
いつでもどこでもみんな大好き(笑)。
隧道正面は丁字路になっており、
神山町のカントリーサインが。
それを背に、
ちょっとローアングルで正対。
このいささか重厚すぎる高さ制限バーがちょっと気に入ってしまったので、あえてそれ越しにね。
神山町側扁額は、
…読めん。
先人によると「道通山郡」だそう。隧道完成への喜び、ニュアンスは伝わるな。
向かって左のこれ。
なんだったんだろうか?
こちらのスパンドレルは、
煉瓦表面の剥落は見られなかった。陽当たりの関係もあったりするのかな?
訪問時点で、新トンネル開通から12年。
旧隧道は、バリバリ現役で頑張っていた。
佐那河内村側は隧道付近まで民家があったから、
大正生まれのこの古洞、
これからも封鎖されることなく現役でいてくれるものと思う。
廃隧道の詫び寂びや諸行無常感は大好きだけど、やはり現役には現役の良さ、重みがあるなあ。そんなことを感じた。
最後に、ポータル脇にいらした主にご挨拶。
お邪魔しました~。遊ばせてくれてありがとう!
(かなりデカかった。苦手な人を考慮し、写真は極小で・笑)
以上。