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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【序】より続く。

 

 

分岐を左へ…ていうか、さしかかったと同時に

いらっしゃいました~。隧道!

 

 

 

 

接近して、正対。

のっぺりとしたコンクリートポータルで、鉄扉でしっかりと封鎖されている。廃隧道か…

 

と、この時点ではそう思っていた。

 

 

 

 

扁額をチェック。

「至●通天」。

 

達筆で一見「体」っぽく見える二文字目、実は「誠」の変体仮名。至誠通天とは「誠を尽くせば、願いは天に通じる」という意味で、孟子の思想に由来する言葉だそう。

 

 

 

 

その下に小さな文字で重要情報が記されている。

「昭和三十六年早春」。「早春」って、なかなか斬新だなあ。こういうところで使われてるのは初めて見たかも。

 

 

 

 

そして、これ。

「大阪府知事 左藤義詮」。これが謎なんだよなあ…。

 

大阪府内にあって(失礼ながら)辺境の地と言って差し支えないこの場所に穿たれた隧道に、千早赤阪村長でなく府知事が揮毫するというのは興味深い。なにかゆかりがあったのか、あるいは、今では想像つかないが重要な隧道だったのか…。

 

余談だが左藤知事、前回の大阪万博(1970年)時の知事だったんですな(三期目)。へえ~。

 

 

 

 

鉄扉の隙間から洞内をのぞいてみた。

まずは照明なしで。真っ暗だ(当たり前やろ)

 

 

 

 

続いて、貧弱マグライトをオン。

靄が濃いな。これが心霊現象ってヤツだろうか(棒)。

 

 

 

 

ともあれ…

反対側、どう見てもがら空きなんだよな~。そして中ほどには素掘りっぽい部分も見えてるし。

 

これはもう、反対側へ回り込むしかない。当然。

 

 

 

 

坑口前から振り返り。

わたくし的には、こっからが本番だ。師匠がどうやったのだったか思い出せなかった(レポートはあえて読み返してこなかった)ので、自分ならどうやるかを考えなくてはならない。

 

 

 

 

の前に、

ここ、気になるんだよな~。なんの痕跡だろうか、これ。…まあなにも判明してないんだけど。

 

 

 

 

てことで、

激坂をさらに登っていった。

 

 

写真は撮ってないが、激坂の終点にあったのは、集落の墓地。お邪魔してしまって申し訳ないが、なんとか向こう側に降りたいんですよ~…って呟きながら地形を探るも、切り立っててとても降りられない。

 

帰って改めて師匠のレポを読み返したら、師匠は墓地から無理くり降下していったようだ。が、身体能力に富んだ師匠と違い、ドンくさいわたくしには無~理~。10分ほどあちこち探るも断念。

 

 

 

 

ならば、隧道直上からの山越えは?

 

ぱっと見、行けそうじゃない?行けそうよ。

 

 

 

 

 

通りすがりに、ポータル上からの見下ろし。

はてさて、こっから越えられるか?

 

 

 

 

結果から言うと、これも無理だった。なんとか登れるほうへと進むうちに

結局墓地に登りついてしまった。トライ失敗。

 

こんな感じであーだこーだと探りまわること25分。こっち方面からは無理だと結論。ならばいったん下ろう。隧道ができる前の旧道?がどこかにあるはずだから、そいつを探すしかない。

 

 

そう考えて坂を降りていったわたくしに…幸運が舞い降りた。

 

 

 

 

【2】に続く。

 

 

今宵から何回かに分けてご紹介するのは、その存在を知って以来ずっと訪ねたかった隧道。その探索を敢行したのは、2023年6月24日、「大阪府南部の橋つまみ食い~ちょこっとそれ以外もあるよツアー」の朝だった。これがメインターゲットだったので、朝のうちに探索できるように家を出たわけだ。

 

この日のネタで他に記事にしているのは、ここより後に訪ねた金剛橋籾山橋七つ池隧道

 

 

まあ、意表を突いてこんな写真から始めるわけですけど。

大阪府唯一の村・千早赤阪村といえば、我々の業界ではもうなにを措いても千早洞。以上!

 

…って感じだったところへ、突如知られざる隧道が紹介されたので驚いた~。そう、もちろん今回のお題の隧道を業界的に最初に広く知らしめたのは、やはりこの人、我が穴の師匠であるよとと隊長。以来永らく訪ねたかったこの隧道、13年ぶりの大阪府南部徘徊のこの機会に、やっと訪ねることができた。

 

 

てわけで、師匠がとっくの昔にレポートを書かれているが、リンクは最後に…。

 

 

 

師匠のレポートを見て、車で突っ込んだらアカンことだけは覚えてたので、離れた場所に駐車して、こうして徒歩探索に切り替えた。

 

で、師匠に倣って今回、地図は出さない。わたくし自身が探索し「地図掲載は好ましくない」と感じたためと、どうしても行きたい人は自分で探してみるのも大きな楽しみだと思うのでね。

 

とはいえ、ちょっと調べればもう詳しい場所まで出ちゃってるのよなあ…。残念だなあ…。

 

 

 

 

まあ実際わたくし、アタリを付けただけの状態で到着し、

後は足で稼いで見つけ出したんだから。楽しちゃイカンよ(笑)。

 

そう、ここだここだ。見覚えある入口。ここを登っていくんだ。

 

 

 

 

…の前に、これは帰りに撮ったんだが、

この写真の場所を探してみるといいぞ。

 
てか、わたくしも見当違いのところを探してたので、実際はあの消火ホースのところに右側から出てきたんだが。
 
 
 
 
登り始めて程なく、雰囲気は変わる。

もう、すぐそこにいそうだ。

 

 

 

 

ぐんぐん登る激坂。

その途中に現れた、左への分岐。これも見覚えある!

 

キましたな、いよいよ対面の時。

 

 

 

【1】に続く。

 

 

 

2022年8月28日、中国地方縦断迷走の最終日。この日のネタで記事にしているのは、朝方の川上橋中原橋奥井谷隧道朝山隧道スキー橋力谷隧道。今宵ご紹介するのは、中原橋から1時間後に訪ねた物件。

 

 

ファーストコンタクトがこちらなんだが、

何気にこの橋、午前のメインターゲットだった。

 

 

 

 

どうですか、

アーチを4つ連ねた、この個性的な欄干!現在地はこちら

 

補修痕も目立つが、元の意匠に忠実に直してくれているようで、ありがたや!写真を撮り忘れたが、橋面と前後の道の継ぎ目には石が敷いてある。古い橋で時々見るパターンだが、これ好きなんだ~。

 

 

 

 

ルーティーン通り、橋上からの眺めを。こちら上流側。

 

 

そして下流側。

ちなみに川の名前は飯石川。あの先100mほどで三刀屋川に注ぐ。

 

 

 

 

で、この欄干だが、

このアーチ同士の間部分、思わず腰かけたくなってしまった。

 

 

 

 

渡って東側より。

いや~、のどかな周囲の景観とマッチしてますな~。

 

 

 

 

親柱の文字は達筆すぎて読めないが、

これで「八雲橋」と刻まれているようだ。そして見よ!このリズミカルで楽しい高欄を。近くにこんな橋、ほしい~。

 

ところで、他の三本の親柱はどこへ行ってしまったの?

 

 

 

 

雲南市の橋梁長寿命化関連資料も確認したが、残念ながらお誕生日は不明。

ただ、埼玉県に多数残る、デザイン性豊かなコンクリート橋梁群(例えばこれとかこれとか)に通じるモノを感じるので、ここもおそらくは昭和初期以前…戦前の橋ではないのかなという印象だ。いや~、ステキだ。最高だ。

 

 

 

 

最後に、引きズームで。

なんか…カワイイ。めっちゃカワイイ。

 

こういう前時代の意匠(特に低い欄干)は、いつ改修されてしまうかわからない。叶うなら、この姿で生き長らえてくれることを願いたい。

 

 

 

以上。

 

 

2015年4月29日、最初の能登遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、津々良隧道農免隧道女子口バス停大平隧道此ノ木隧道河崎のディープインパクト無名橋豊川隧道穴水隧道旧・七海第二隧道旧・七海第三隧道在りし日の大谷トンネル

 

今宵ご紹介するのは、時系列では此ノ木隧道と河崎のディープインパクト無名橋の間に訪ねた隧道。

 

余談だが、notodonさん情報によると、河崎のディープインパクト無名橋、撤去されて現存しないようだ。続く豊川トンネルも然り。諸行無常なり。 

 

 

 

はい、タメなくドン。

愛想のないコンクリポータルだが、それよりこの手の高さ制限ゲートのある隧道、好きだなあ~。現在地こちら

 

 

 

 

ゲート手前には、こんな看板があった。

最初の写真でもわかると思うが、

 

 

 

 

明らかに隧道がボトルネックとなっている。

このとおり。

 

 

 

 

扁額は、

石川県名物?一文字ずつのパネル式。達筆すぎて読めないが、「東隧道」…らしい。読みは「アズマ」。

 

 

 

 

ポータルには、何か取り付けられていた跡。

ポータル上からの水を流す排水溝は詰まりぎみ…こうして切り取ると廃っぽいけど、もちろんそんなわけない。

 

 

 

 

洞内の様子。

意外と長そう。でもトンネルリスト(平成16年度道路施設現況調査)によると145mだとか。

 

 

 

 

振り返っての、鉄板の構図。

ああ~、ゲート付き、イイですやんか~。

 

 

 

 

で、隧道を通り抜けまして…

西側より。こちらもゲート完備!

 

 

 

 

片方の支柱、

岩を削ってぶっ刺さってるのもステキだ。

 

 

 

 

こちらには銘板があって、

撮るだけ撮って、内容はよく見てなかった。

 

今回記事にするにあたり改めて眺め…いや、延長2,524mって、どんだけ長大トンネルやねん!ってなった。が、よく見たら「道路改良工事(1工区)」となっているから、隧道を含んでの道路改良の区間長なんだろうと思われる。

 

 

で、実はこの隧道、完成は大正3年と、石川県最古の道路隧道と言われているらしい。ただ…以前記事にした恋路の名称不明隧道(まあ正式名称は恋路隧道っぽいが…ちなみにこれを訪ねたのはこの翌日)は、どうやら明治10年ごろの完成らしい(後に出た大御所レポの机上調査による)し、以前記事にしている麒山道のせっぷんとんねるも明治20年完成だった。

 

車道隧道としては、みたいなことなのか、あるいは限られた情報しかなかった時代の通説が残っているだけなのか。

 

 

 

 

こちらの鉄板の構図。

 

これまた、悪くないね~。

 

 

 

 

最後に引きで。

ボトルネックっぷりがよく伝わる写真で〆。

 

 

 

以上。

 

 

 

2011年7月16日、この趣味で初めての紀伊半島(和歌山県)彷徨、初日。この日のネタで記事にしているのは、端駈橋薬水橋梁麻生津橋初生谷の人道橋毛原宮の参宮橋旧・西原橋下湯川のプチ未成道網掛隧道法事隧道寒川の吊り橋

 

今宵ご紹介するのは、網掛隧道から30分後に通りすがって急停止した橋。

 

 

このファーストコンタクトで、

急停止した理由は伝わると思う。雰囲気よすぎ。これをスルーはあり得ん。現在地こちら

 

 

 

 

さっそくたもとへ。

もちろん一見してわかるように吊り橋だが、この第一径間たる桁橋部分がイイんだなこれ。

 

 

 

 

ちゃんと親柱があって、

明瞭に「中戸橋」と刻まれていた。この親柱がオリジナルなら、昭和30年代くらいかな?

 

 

 

 

どうすかこれ。

この手の桁橋部分、しかも味ある古びた桁橋部分を備えた吊り橋、三割増しで大好物。

 

この頃はまだまだ吊り橋経験値も少なかったんで、もしかしてこれがこのタイプに初めて出会った時かも。

 

 

 

 

そして始まる吊り橋パート。

床版はグレーチングで、真ん中には縞鋼板が敷かれたタイプ。

 

最初の写真でお察しのとおりこれは自動車は通れない橋だが、バイクはOKなようだ。ちなみにアプローチ部分にも規制関連の表示はなかった気がする。橋見て自分で判断しろよ、ってことか。

 

 

 

 

それにしても、実に堂々たるサイズの吊り橋。

主塔も、実にしっかりしてる。

 

 

 

 

途中にある主塔の近くって、

なんかホッとしません?わたくしだけ?

 

 

 

 

さすがにこんだけ昔のことだと、揺れ具合なんかも全然記憶はないけど、

写真を見る限り、実にしっかりとメンテナンスされた、安心して渡れる吊り橋って印象。

 

 

 

 

それもそのはず、

写真は撮ってない(このへんが当時のわたくしらしい)が、渡った先はすぐに集落(中戸集落?)があった。

 

 

 

 

渡って振り返り。

改めてストビューで見ると、アンカーレイジのこの場所から向きを変えればもう民家、という位置だ。もちろんさすがのストビューカーも、この橋を渡ってはいない(笑)。

 

 

 

 

こちらには両側の親柱が揃っていて、左側はお誕生日。

ボケてて恐縮だが「昭和三十三年三月」。おお、やっぱり昭和30年代だった。

 

 

 

 

そして右側。

「なかどばし」。

 

 

 

 

満足して戻る。

 

そういえばこの頃は、橋上からの上流下流なんかも全然撮ってなかった。

でも、足もとは撮ってた。この角度だと柵がないように見えて怖いな。

 

親柱でも河川名だけがなかったが、幸いそれはわかっている。町名にもなっている有田川だ。

 

 

 

 

いや~、満喫した。

やっぱ吊り橋サイコー!とか思ってたはず(笑)。

 

 

 

 

最後に、これ。

好き~。

 

現在に至るまでの経験値で振り返っても、こんだけ雰囲気のいい吊り橋、意外とないように思う。最新のストビューからの見え方でも、それほど状況は変わっていない様子。末永く在り続けてほしい。

 

 

 

以上。