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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

わけわからんタイトルで恐縮ですが~。

 

本日公開予定でたまたま下書きしてたBAND-MAID記事があったんだが、昨夜いきなり"Shambles"のライヴMVが公開されて、それがもうチビるほどカッコよかったので、思わず割り込みした結果、こうなりましたとさ。

 

 

 

サムネ画のみんちょを見た時点でこれはヤバイとは感じたけどさあ、いやこれは凄いわ。なんだこれ。カッコよすぎる。すでにイントロ時点でデストラーデ式ガッツポーズが出たわ。

ちなみにスタジオヴァージョンはこちら

 

 

 

 

これを一度観た瞬間、わたくしおもむろにスマホに手を伸ばし、

 

はい。即刻オチました~。こんなもん観たら、もう発作的にライヴ抽選に申し込まざるを得んでしょうが!オールスタンディングしんどいけど、そんなん言うておれんわ。昨年のホールツアーは都合つかなかったし。

 

 

 

 

で、たまたまか意図的なのか、よく似たイメージのサムネ画、1月13日にデジタルシングルとしてリリースされた、”Zen”。いや、これがまたもう一聴めからドハマりで、聴きまくっている。もうねえ、たまらんのよ(語彙

 

 

わたくし"Forbidden tale"を「2024現在の彼女らの音楽的到達点」と書いたわけだが、超えてくるねぇ鮮やかに。いや優劣ではなくって、毎度毎度「こう来るんか~い」ってハッとさせられるし、よくもまあこれだけの引き出しが頭んなかにあるもんだ、KANAMI先生。

 

思えば今回の二曲、いずれもKANAMI先生が「みんちょモード」に入って弾きまくるナンバーだ。よってサムネ画も似るのは当たり前か?

 

 

とりあえず、仕事の見込みがハッキリしないしなあ…とライヴ抽選参加に二の足を踏んでいたわたくし、彼女らに思いっきりケツを蹴とばされてズバーンと抽選エントリー。まずは当たるかどうか。こうなったら絶対当てて行ったるぜ!

 

 

しかし…ゴリラホールって、遠いなあ。

 

 

 

 

山神さんの記事が出ました!併せてぜひどうぞ~。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

渡りきって、梶ヶ坂側から。

こちら側にも同じ看板が設置されていた。

 

設置者が亀山市となっているとおり、橋の管理者は亀山市だと思うのだが、お名前が判明していない。もちろんお誕生日も。

 

 

 

 

あまり変わりばえしないが、上流側から。

雰囲気がいいので思わず撮りまくってしまった。

 

写真多すぎがゆえに選ぶのがめんどくさくて記事にしそびれていたが、きっかけをいただいた山神さんに感謝。まあほとんど同じような写真ばっかだったしな。

 

 

 

 

渡り返しの橋上から望む、上流側。

上流に見えているあの橋、

 

 

 

 

国道25号(非名阪)の猪之元橋だが、

これもまだ記事にしてないんだが、煉瓦橋脚が素晴らしいのよね。

 

余談ながら、おろろn教授にいただいた情報によれば、この流れ橋と猪之元橋との間にR25の新道ができるようで、それが完成すればあの橋は廃橋となってしまうようだ。今回アタマにリンクを貼った山神さんの記事内の写真には、すでにその工事が始まっている様子が見て取れる。

 

ちなみに、あの橋を写真左方向に100mちょいほど進めば、つい先日ご紹介した梶ヶ坂の用水路隧道があるという位置関係。あそこらへんの現国道も廃道になるって。

 

 

 

 

そしてこちら、下流側。

この日は特に水が少なかったように思う。

 

 

 

 

あとはやはり、

下からじっくり見学したいと、川床に降りた。あのような事故が起こることなど知る由もなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真を撮った直後だと思う、

事故が起こったのは。

 

別に危険な行為をしたわけではない。足もとの水たまりを跨ごうとした、ただそれだけだったんだが、なぜかあっという間にすっころんであちこち打ち付け、手足に複数の擦過傷を負った。

えらいもんで、こういう時って誰が見てるわけでもないのに必死で即刻起き上がるよね~…って、わたくしだけ?この記事最後のアクシデントの時もそうだったなあ、ってね。恥ずかしい、って意識が強いんだろうか。まあ即刻起き上がれる程度でありがたいよって話だろうが。

 

で、実際のところいったい何が起こったのか、実は未だによくわかってないのだが。思うに「つまづいた」んだと思う。利き足である右足からぴょんと飛び越える動作に入り、続いて左足も…というところで、左足つま先が何かに…かなりタイトな何かに引っかかってしまったと思う。けどもう体は水たまりを飛び越え始めてしまってるんで、結果左足だけ残し前方に無様に叩きつけられた、と。

 

 

 

 

最初のうちは、

こうした擦過傷ばかりが気になっていた。実際かなり痛かったし。

 

けどまあ久しぶりの徘徊だったし、こんなんでしっぽ巻いて帰る気にはなれず、なんならいいネタができたくらいの気持ちで何か所かターゲット巡りを続けたんだが、そこから痛みは増す一方。しかも擦過傷の痛みを追い越す勢いで、当初気付いていなかった左足親指が。え?そこなん?ってなったっけ。

 

結局、この痛みはちょっとヤバいやつだと確信するに至り、残念ながら徘徊を打ち切って撤収した。結果はダイジェストに書いたとおり、左親指の骨折。アホやん…。

 

 

地面と、おそらくワイヤー的な極めて硬いものの狭い隙間に左足つま先が引っかかり、その状態で体が前に倒れたので、挟まった親指がありえない角度に(文字どおり)折れた、ってところだと思うのだが、あんなチョロい場面で激痛の転倒を喫して気が動転してしまい、バッと起き上がって一目散に車に逃げ帰った(笑)ので、現場検証をしてないのよね…。

 

 

「老い」かねぇ…(涙

 

 

同業の皆様もそうでない皆様も、日々ご注意くださいね~。

 

 

 

 

…なんかこんな感じになりましたけど、いいんですかね山神さん?

 

 

 

今回の記事は、山神さんとのコラボ記事となります。併せてご覧ください。

わたくしのほうが少し先行するようです。あと、あちらの内容を知らずに書いてるので、果たしてどういう相乗効果があるのかないのか…(笑)。まあ楽しければヨシ。

 

 

2022年2月20日、柘植~加太周辺徘徊。この日のネタを記事にするのは初めてなのだが、ダイジェストのみ書いてる。

 

 

それをご覧いただくとわかるが、この日(も)わたくしは大きなミスをやらかした。その現場こそが、今宵から二回に分けてご紹介する

この橋だった。

 

まぁやらかしのことは次回に書くとして、この橋にもなぜか長らく気づいてなかった。なので、この日が初訪問となった。

 

 

 

 

車を停めて、おもむろに接近。

現在地こちら

 

この道幅、そしてあの標識…重量制限0.3tときたら、もう完全に車道じゃない。

 

 

 

 

そしてこれ。

この橋は洪水時に流れる構造になっています。

洪水時には絶対に通行しないで下さい。

 

そう、この橋はレアな流れ橋なのだった。

 

 

流れ橋とはまさに上の説明どおり、増水したら橋桁が流れることで橋へのダメージを軽減するとともに、流れを妨げた橋がダム化して二次災害を引き起こすことも防ぐもの。橋げたが「流れる」とは本気で流れて行ってしまうわけでなく、ワイヤーなどで岸に繋がれているので、あとでそれを引き戻して架け直せばすぐに橋が復旧できるという、実に理にかなった造りなんである。

 

 

 

 

こちらが全景。

手前左岸側には二径間、向こうの右岸側には四径間の桁、間の中州部分は堅牢そうな築堤状になっている。デカい流れ橋だな~!

 

個人的に、流れ橋の経験値はかなり不足していると自覚している。この時までに記録していた流れ橋は、比較すればささやかなものばかりで、記事にしているのは川井第10地割の流れ橋生杉の流れ橋小入谷の流れ橋&平良の流れ橋など。この半年後に横部橋に出会うまでは、ここがダントツにデカい流れ橋だった。

 

 

 

 

規模もさることながら、

雰囲気が実にいい。橋そのものはもちろんのこと、川の様子も、対岸の家並みも。

 

それもそのはずというか、この道はかつての大和街道そのものであり、車道ではないこともあいまって、素敵な雰囲気を作り出している。手前に写っている石柱が気になったが、特に何も刻まれてなかったかと思う。

 

 

 

 

正対。

まあスッキリした橋。極めてシンプルな構造が気持ちいいくらいだ。

 

 

 

 

この木製桁から、

ワイヤーが繋がれていて、

 

 

 

 

岸に係留されている。

紛うことなき流れ橋。

 

 

 

 

そして築堤の先の桁は、

築堤そのものにであったり、

 

 

 

 

中央径間の桁は

 

 

橋脚に繋がれてるのかな?

 

 

 

 

改めて桁を観察。

頑丈そのもので、最低限の転落防止策を兼ねているであろう地覆も完備。

 

 

 

 

渡りきる手前から。

この貧弱な車止めポールが、またいいんだなあ。

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

2011年7月16日、この趣味で初めての紀伊半島(和歌山県)彷徨、初日。この日のネタで記事にしているのは、端駈橋薬水橋梁麻生津橋初生谷の人道橋毛原宮の参宮橋旧・西原橋下湯川のプチ未成道法事隧道寒川の吊り橋

 

今宵ご紹介するのは、時系列では下湯川のプチ未成道と法事隧道の間に訪ねた、多くの物件のうちのひとつ。

 

 

いきなり、ドン。

無骨な、昭和半ばテイストのコンクリート隧道。現在地はこちら。二川ダムのすぐそばである。

 

地図でわかるとおり、明らかに国道480号の旧道。位置的に、ダム建設に伴う付け替え道路だったはずだが、旧道化?

 

結論からいえば、この隧道に銘板はなかった(…はず)。Q地図によれば、1962(昭和37)年完成、延長は64mとのこと。二川ダムは1959(昭和34)年着工、1966(昭和41)年完成ということなので、やはりその時期だった。ちなみに現在の路線名は、有田川町道網掛隧道線とストレートなもの。

 

 

 

 

扁額には、

…読めませんな。「山紫水明」ではなさそう。

 

 

 

 

洞内は、

照明もあるものの、点灯していなかった。

 

 

 

 

で、一応二車線ではあるが、いかにも狭い。

そして急なカーブ。旧道落ちしたのはこれが原因だろうと思われた。

 

 

記事を書くにあたって改めて調べてみたら、興味深い記録を見つけた。平成3年2月 和歌山県議会定例会会議録 第6号がそれで、西本長浩議員の質疑及び一般質問の中の一節にこのようなものがあった。

 

(前略)

県道有田高野線の網掛隧道はダム建設関係でつくった隧道でありますが、極端な急カーブで死傷者が数多く出ておる状態でございます。また、二川地区の中央部、左岸、右岸を結ぶ県道橋の二川橋も、老朽化の上、幅員が極めて狭く、軽四と軽四が行き違えません。あの大きな体の川原町長さんがその橋を歩くと、余計狭く見えるのであります。全くお粗末な橋梁で、これまた右岸側の県道側での事故発生が極めて多いのであります。二川住民に渇水で大きな迷惑をかけていながら、一体このような状態をいつまで放置しておくのか。この二川橋と網掛隧道を超特急で改良すべきと強く思いますが、知事並びに土木部長の御決意をお伺いいたしたい。

(後略/赤字はわたくしによる)
 

アッツイなあ…。ということで、建設当時はまだ県道だったこともわかったりしたが、やはり危険な隧道として問題になっていたようだ。

 

 

 

 

ちなみに中間の二川橋は1km少々下流の有田川に架かる橋で今記事に直接は関係ないのだが、もらい事故的にディスられる当時の町長(笑)が面白くてそのまま引用した。

 

結局現在も狭い橋のままなようだが、

半分だけ架け替えられているようだ。近年の災害で被災したものかと思われる。

 

 

 

 

さて、「超特急で」改良されたとまでいえるかどうかはアレだが、隧道をパスする新道に架けられたその名も「網掛橋」には、

「平成12年6月竣工」の銘板。西本議員の熱い質問からほぼ10年後のことだ。

 

参考までに、西本議員の質問に対する県土木部長の答弁は、

網掛トンネル前後の曲線部の線形改良については、直線化することにより距離が短くなるため、道路の縦断勾配が基準値を超えること、清水老人憩の家の施設の一部が道路用地として必要となること等、解決すべき課題がありますので、交通の実態も踏まえ、今後、対応策について検討してまいりたいと考えております。

 

というものだった。もろもろクリアしての10年後ということだが、基準値を超える縦断勾配はどう解決したんだろう。盛り土なんかで緩和したのかな。

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

あんなとこに車を停めても問題ないくらいに、こっちを通るような奇特な車両は一切ない。向こうに見えている建物は、二川ダムの管理事務所。

 

 

ストビューを見る限り2023年3月時点でもこの旧道が閉じられずにいるのは、この管理事務所の存在、そして先の土木部長答弁にもあった「清水老人憩の家」と二川ダム駐車場入口が旧道側にあるためだろう。隧道については閉じられても不思議ないように思うが、なぜかそうはなっていない。

 

とはいえ、他の方のレポなどを見ると、2016年前後には簡易に封鎖されていた時期もあるようだ。死んでんのか生きてんのか、いわゆる(なにがいわゆるやねん)リビングデッド隧道ですな。

 

 

 

 

抜けまして、振り返り。

向こうもだったが、こっちはさらにデコ広いな~。

 

 

 

 

扁額は、

網掛隧道。

 

揮毫者は、1947年から1967年の5期20年にわたり知事を務めた小野真次氏。反対側のも同様だったが、こっちはだいぶ読み易い書体ですな。

 

 

 

 

悪線形が仇となった網掛隧道。

このままひっそりとリビングデッドであり続けるのだろうか。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、いまいちちゃんとまとめられなかったな。

 

 

2022年8月28日、中国地方縦断迷走の最終日。この日のネタで記事にしているのは、朝方の川上橋中原橋奥井谷隧道、最終盤の力谷隧道。今宵ご紹介するのは、17時を回りそろそろラストスパートというころに立ち寄ったネタ物件。

 

 

いきなり、ドン。

まあビジュアル的な面白みは皆無な橋。場所はこちら。写真は南側(西側)より。

 

 

 

 

じゃあ何が面白いのかといえば、もう記事タイトルからほぼ出オチなんだが、

「スキー橋」。いやこれ!

 

個人的に、土器セン橋と並んで鳥取県西部のネタ橋双璧と位置付けている名前ありき物件。これは下調べ段階のQ地図様で見つけて、銘板があるのを確認したため是非にと立ち寄った次第。当該記事でも書いたが、珍名な橋に限って銘板や親柱もない嘆かわしいケースが多いので、ここは極めて重要なんですな、個人的に。

 

 

 

 

お誕生日は、

「昭和三十八年一月」。

 

 

 

 

橋上から望む、下流側。

川の名は、石見川。

 

 

 

 

そしてこちら、上流側。

向こうに見える山は岡山県との県境をなす。

 

 

 

 

渡って、北側(東側)より。

なぜこの橋にスキー橋と命名したのか。周囲には現在スキー場はないようだし…と思っていたが、記事を書くにあたり調べてみたら、やはりかつてはあったようだ。

 

上の写真で橋を渡って進むと、ほどなく小さな山越えとともに岡山県新見市新郷高瀬の野原地区へと入る。合併前には阿哲郡新郷町であったこの地はかつてスキー場で知られた場所であり、越県ながら最寄りとなる伯備線の上石見駅は、シーズンには多くのスキー客で大賑わいだったというのだから、現在の状況からは想像もつかない。

 

 

 

 

その大勢のスキー客が歩いて?向かう際に通ったのが、この橋だったわけだ。

なるほど、ちゃんと歴史的背景に裏打ちされたお名前だったわけだね。

 

それとは違うスキー場だと思うのだが、新郷高瀬地区には近年まで神郷第一スキー場なるゲレンデが存在していたものの、2016年ごろに閉業してしまったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に一応、サイドアングルも。

まあ、あくまでビジュアルはつまんないんだけどね。

 

人に歴史ありと同じく、橋にも歴史あり、ってことで。

 

 

 

以上。

 

 

 

想いっきり余談なんだが、「人に歴史あり」って慣用句なのかと思ってたら、昔のテレビ番組の名前だった…って、皆さんご存じでした?わたくし知らなんだわ。