穴と橋とあれやらこれやら -20ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2022年8月26日、中国地方縦断迷走・初日。この日のネタで記事にしているのは稲荷橋旦土の橋三代記横部橋簗瀬橋

今宵から何回かに分けてご紹介するのはこれらより後、そろそろ夕方になろうかという時間帯に訪ねた、この日のメインターゲットのひとつ。

 

 

遠征前の下調べ段階、地理院地図で見つけたのだが、

これ、めっちゃそそりますやん。

 

改めて調べてみたらQ地図様にも載っており、市道の隧道であることが分かった。点線道にあるということで、当然ストビューにもカバーされていなかったが、むしろ好都合。楽しみが増すってもんだ。

 

 

 

てなわけで当日、まずはこれ。

現在地はこちら、高梁川に架かる川合橋の上。これから目指すのは、上流側左岸のあそこらへん(…と思って撮ったが、実際は左に見切れたもっと先あたりになる)

 

 

 

 

 

 

橋詰より、今から向かう道を。

私道感が強いけど、先述のとおりれっきとした公道である(Q地図様によれば市道唐松広瀬線)

 

…とはいえ、進入を見送った気持ち、お分かりいただける?地図表記を見ても、明らかにこの先車は通行不可。見えてる範囲で駐車余地くらいはあるかもと思えたが、実態としてほぼ私道としてしか機能していなさそうなので、自重した。

 

そんなわけでこのターゲット、駐車場所に苦労した。詳しくは書かないが、けっこう遠くに停めざるを得ず、結果最初の写真のように遠望から入ることに。

 

 

 

 

で、実際のところ、やっぱり自重して正解だった。

結論、この道、車は停められません。行かれる方はご注意を。ここを進んでいけば、一本道で隧道へと行ける…はず。

 

 

 

 

家屋があるところをすぎたら、

たちまちこんな幅員に。

 

 

 

 

右手には、

このような、やたら平板な石仏が、案外古くなさそうではあるが、あまり手入れされてる感じでもない。

 

 

 

 

で、その先にある、

「落石注意 頭上注意」。いや~香ばしくなってきたぞ。

 

 

 

 

同じ場所で山側を見ると、

山に登っていく石段が見えた。

 

わたくしは行かなかったが、調べてみたら上には小さなお社があったようだ。

 

 

 

 

さて~。ここまで最低限車道スペックの幅員を確保してきたが、

ここで完全にそれも終わる。このスロープ?の上、何のスペース?

 

そして先に、予想してなくもなかったものが見えてきたよ。果たして?

 

 

 

 

立っていたのは、

「全面通行止」。なるほど。

 

地図読みでも厳しそうな立地でほぼ通行もなさそうな道、隧道がすでに通行止めになっている、という可能性は想定していた。まあ「どのように」全面通行止なのか、それが我々には大事なので、確認してみないとね。ここからは自己責任の世界。

 

 

 

 

当然というか、

一気に道路状況は悪化。さっき見た「落石注意 頭上注意」看板が、にわかに現実味を帯びてきた。

 

 

 

 

いやいや、これもう、ほぼ廃道ですやん。

左側はすでに高梁川の断崖で、逃げ場のない立地。これはハードな香りが漂ってきた。

 

…と思ってたら、おいおいおい…なんか先が明るいぞ。これはアカンやつでは…?

 

 

 

 

うわーー!

マジかーーーー!!

 

 

 

 

これは、一見してあきらめるやつ。

道全体がゴッソリ逝ってしまって跡形もない!当然、高巻きも下巻きも有り得ない。

 

確かに間違いない、「全面通行止」は伊達じゃなかった。隧道以外の要因でこうなってるとは思ってなかったので、これはやられた。

 

 

となれば、やることはひとつ。遠いところに駐車してきたが、戻って反対側からアプローチするしかない。いったん撤収!

 

 

 

 

【2】に続く。

 

 

 

 

本日3月1日、拙ブログ本格稼働以来まる12年を迎えました。ごらんいただいております皆さま、いつもありがとうございます。

 

ちなみに過去の「本格稼働してから●年」記事はこちら。立体人形画像は今年は使わなかったが、来年は使うかも。…って、誰も興味ねぇ~。

 

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まる8年

まる10年

まる11年

 

 

とりあえず昨夏ごろからおおむね隔日での更新ペースが定着していて、これでも若干アップアップすることがあるんだけど、まあ当分はこのペースで行けるかなと思っております。現在目の治療に伴う長い禁欲生活に入っているため、新ネタはほぼないですが、以前どっかでも書いたように寝かせ(すぎ)ているネタは山のようにあるため、ネタ切れの心配はないのでご安心を(誰に言ってる?)。

 

 

 

 

で、今回はなにを書こうかと考えたんですが、これも禁欲生活からの流れで、「活動再開できたら行きたいところ」のことなど書いてみますかね。

 

とりあえず関西圏でいえば、紀伊半島で特に2ヶ所、めちゃくちゃ行きたいところがありますね。和歌山のやつはとある方のYouTubeで、奈良のやつは地図で見つけて、何が何でも行きたいぞ!と心が燃え盛っております。他にもいくつかターゲットがあるので、久々に紀伊半島をまわるのもいいなあ…と。

 

また、2021、22、23年と3年連続でやってきた中国地方遠征が途切れてしまったんで、これもやりたいですな。未だに広島県の大部分が未踏でもあるし、島関係も興味あるとこ目白押しやし、2泊3日くらいじゃ全然足らんのですけどね。

 

また、魅惑の大陸(笑)である四国も大部分手つかずなので、ざっくりとでも全体回ってみたいってのもだいぶ前から考えてはいて、これも実行に移したいっすね~。

 

一方で、我がホームである滋賀から見た東方面、こちらも気になりまくりなんですよね~。近いとこでは岐阜県が何度行ってもまだまだ底なしだし、そのお隣の長野県、こちらに至っては我が心の故郷・王滝村を含む県南西部をちょこっとかじっただけで手つかず。この県はRCローゼ橋王国だし、気になる物件もどっさりんこなので、ぜひガッツリ行ってみたいわ~。

そして、ちょっとだけかじった新潟県、これももっともっと深掘りしたい、したすぎる。

 

いやいや、静岡県もシバキ残しやカバーできてないエリア(吊り橋王国である大井川流域含む)とか多数なのでこれまた要再訪だし、そうなったら2023年頭の東京暮らしの際に初めて足跡を残した山梨県にもまた攻め入りたいところ…とまあ、キリがないんですな。

 

 

もちろん、もっと遠方…九州や東北、北海道なんて行けたら望外の喜びなんですけど、仕事や体調のことを考えたら、今のところちょっと現実味がないかな~って。

 

ある程度長く見てくださってる方はご存じかと思うんですが、わたくしの遠方の探索ってのは、ほぼ出張に引っかけたものばかり(仕事をさぼって出かけてたわけでないことは強調しておきます・笑)で、自分の車での遠征で行った範囲って、実はめっちゃ大したことなかったりします。いわゆるドーピングですな(笑)。

改めて考えてみたら、西だと山口県宇部市、東だと新潟県糸魚川市、長野県阿智村、愛知県蒲郡市までしか到達してないわ。寒っ。

 

これらの貧弱な遠征記録を、少しでも範囲拡大できたらな~ってのはあるかな~。

 

 

 

まあ妄想してるうちが一番楽しいのかもね~。

 

 

 

というわけで、ここまで読んでいただいた奇特な方はお疲れ様でした。12年目の拙ブログもよろしくお願いいたします。

 

 

 

2016年5月2日、石川県シバキまわしツアー2日目。この日のネタで記事にしているのは真佛道トンネルアリスの橋宮島隧道大岩橋梁地代隧道。今宵ご紹介するのは、再訪した地代隧道に続いて訪ねた物件。

 

 

もはや記憶が曖昧だが、ここへはなかなか複雑な道のりだった。右折してまたすぐ右折とか、山の中にしてはけっこうややこしいルートだった。

 

 

 

 

 

 

 

…みたいな道のりを経て、

とうちゃく~。現在地こちら(ざっくり)

 

 

 

 

お名前は、

水元隧道。

 

 

 

 

洞内はすべて、

波型ライナープレート巻き。ではさっそくお邪魔いたしましょ~。

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

カーブしながら隧道へ突っ込む線形。あれで一応車が来ても通れるスペースはちゃんとあるのでご安心を。(誰に言ってんだ

 

まあ結局、ここの行き返りも含めて一切車は通らなかったけど。

 

 

 

 

さて、洞内は全然変化もないので、

特に引っかかることもなく出口が近づいてきた。

 

 

 

 

ここで振り返り。

これ、なんか好き。

 

 

 

 

鉄板の構図。

こっちの隧道前は広いな。こっちに車停めたらよかった。

 

 

 

 

抜けまして~の

はい~、こちらも無骨なコンクリポータル。

 

 

 

 

こっちには銘板があり、そこには

「昭和55年10月完成」とあった。

 

しかしながら記事を書くにあたりQ地図で確認してみたら、「1945(昭和20)年完成」となっている。マジか。終戦の年とか、ちょっと嘘くさいけれども。

 

今昔マップで見てみたけど、確かに1968~69年の地図ですでに描かれていることだけはわかったが、くわしい建造年次の絞りこみはできなかった。

なんにせよもっと古い隧道なんだとすれば、昭和55年ってのは巻き立てが行われたタイミングなんだろう。しかし富山県境に近いこんな山深い場所、やはり林業用だったのかなあ。


 

 

 

 

道はまだ続いていくが、

わたくしはここまで。戻るとする。

 

 

 

 

最後、これもなぜか

ちょっとお気に入りな一枚。

 

 

どちら側から訪ねても、ルートが入り組んでそうな水元隧道。道迷いにご注意あれ。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

仁丹ハントで京都市内某所を歩いていて、びっくりする光景に出くわした。

…え?うそやろ?

 

 

 

ド街中で、

まさかの草ヒロ!!??

 

 

 

この状態って、

けっこうな年月経ってそうよなあ。ここだけジブリの世界みたいになってるし。

 

 

 

これは2023年6月の撮影。さすがに周囲にもボカシ入れたけど、今でもあるのかなあ。ストビューで確かめようとしたけど、もはや場所がよくわからんのよね。

 

 

 

2013年9月22日に敢行した、名古屋周辺の樋門や橋めぐり。この日のネタで記事にしているのは、(旧)黒川樋門(黒川立切杁)のみ…しかも9年前(笑)。ダイジェストはこちら。そうか、この日が宮川さんと初対面だったのか。

今宵ご紹介するのは、午後に行った中央本線の煉瓦橋梁/暗渠のローラー作戦にて訪ねた物件。

 

 

この日はわたくしが皆様を乗せてまわってた…

みたいですな。ダイジェストを見返して思い出した。現在地こちら

 

封鎖された煉瓦橋梁で、バカによる落書きが残念極まりない。

 

 

 

 

さっそくよとと隊長のルーティーン作業である剪定作業。

見守るおろろん教授。それを撮る凡人(=わたくし)。

 

ちなみに誰も気づいてないと思うが、最初の写真は剪定後に撮ったもの。明らかに見え方が違うでしょ。

 

 

 

 

もうすっかり慣れたもの、

さくさくと剪定が進み、隠れていたスパンドレル(と残念ながら落書きも)があらわになってきた。

 

いつもながらわたくし、手伝うでもなくただ撮らせてもらうだけ。まあ手伝ってほしいとも思ってらっしゃらないと思うので(足手まとい・笑)。

 

 

 

 

矢田川の堤防斜面より。

手が届くところはすっかり散髪された。お見事!

 

そしてここ、落書きさえなければかなり美麗な橋梁なのだった。まったくもってもったいない。

 

 

 

 

矢板で塞がれているものの、左下には隙間があったので、

そこから一枚…って、写っとらんがな。

 

 

 

 

フラッシュオンで…。

その狭い橋梁を、水路と人道のスプリットで供用していたようだ。相当に背が低いぞこの歩道部。スプリングラインは焼過煉瓦が使われてるな。

 

わたくし凡人なので、これでやめておいたが、よとと隊長と宮川さんはそこから潜り込んで内部潜入されてたっけ。こないだも同じようなエピソードをご紹介したが、「正しい変態」はかくあるべしだ。わたくしみたいなハンパ者はつまらん(笑)。

 

よとと隊長の内部写真は、こちらをご覧あれ。

 

ちなみに、リンクでは(仮)新守山橋梁となっているが、その後「昭和8年中央本線各駅配線略図並線路縦断面図」で名称判明したということでサイト内表記を「下流橋梁」に修正されている。詳細ページ内のみ修正漏れてますな。

 

 

 

 

で、これがたぶん反対側を外から撮ったやつだと思うのだが、

わけわからん。もしかして違うのかな?

 

 

 

 

ちなみに反対側、ストビューだとこんな感じ。

内部も含め状態は良かったが、純粋にロケーションとしてこりゃあ廃止されても仕方ないよね、って感じだ。なくても全然困らない。

 

 

この後にさらにヤバい物件に出会うのだが、それはまたいつか。

 

 

 

以上。