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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

第二合併橋から東に見えたもの、それは…

 

 

 

 

 

 

なんぞアレ!?

これまで見たことない構造物がそこにはあった。これはもちろんズームしてるので肉眼ではさらに正体不明。あれはヤバイぞと。

 

 

 

 

つうわけで、第二合併橋を後にして、

やってきました~。場所はこちら

 

ハイハイ、やっぱりこれは堰ですな。現役なのかは疑問だが。いやしかし、このビジュアルよ。ヤバない?

 

 

 

 

で、わたくしまたも発見してしまった(こればっかり)堰の歩廊部分側面に、文字が刻まれていることを。

 

一番奥のスパンには

「伊佐沼堰」。第二合併橋と違い、今度は右書きだ。

 

 

 

 

中央のスパンには

「昭和六●」。●が判読不能だが流れ上「年(を意味する漢字)」でないとおかしい。

 

 

 

 

そして手前のスパン。

「四月竣功」。

 

伊佐沼堰 昭和六年 四月竣功。まあ何と行き届いた計らい(笑)。この規模の物件においてはおしなべて現場で得にくい情報が、こうもクッキリハッキリと示されて嬉しい限り。それも単に文字を刻むではなく、扁額っぽい感じで設えてあるのがニクイ。

 

 

 

 

第二合併橋より28年先行してつくられた伊佐沼堰、

もちろんこの姿がオリジナルかどうかは断言できないが、

 

 

 

 

情報が刻まれた歩廊部分のコンクリートと経年感が変わらないことから、

おそらく当初からこのデザインなんだと思う。

 

 

 

 

橋梁ではないけれど、

これもまた昭和の混凝土物件の魅力あふれる物件。

 

 

 

 

加工しやすく整形しやすいコンクリートの美点を活かしたこの軽やかなデザイン、

見てるだけで楽しくなる。

 

アーチの上面にはいくつか穴が開けられていて、もしかしたらスルースゲートの巻き上げ設備みたいなものがあったのかもしれない。ていうか今さらだけど、水切りが尖ってるから、こっちが上流側になるのね。

 

 

 

 

堰上から遠望する、第二合併橋。

こういうロケーション、どこか滋賀っぽくて落ち着くのよね~。そういえば埼玉と滋賀って、後に某映画でフィーチャーされたカップリングですやん。

 

 

 

 

ようやくはっきり書ける、上流右岸側より。

やっぱり、現役じゃないよなあすでに。

 

 

 

 

いや~しかし、

なんぼ見ても飽きないね!

 

 

 

 

個人的にもっとも萌えたのが、

この「ぴょこん」。めっちゃカワイイ~(病再来

 

 

 

 

最後に遠望で、

伊佐沼堰と第二合併橋のツーショット。

 

はるばる歩いてきただけの価値がある、素晴らしいものを見せてもらった。

 

 

 

以上。

 

 

 

2023年1月30日に敢行した「歩ケ歩ケ川越」。この日のネタで記事にしているのは富士見橋のみ。今宵ご紹介するのは、中盤に訪ねた物件。

 

 

本川越駅をスタート/ゴールとして大きく時計回りで歩いたこの日、思えば最も遠くまで足を延ばしたのがこのあたりだったかな。

はい、見えてきた。

 

 

 

 

こちらが、お目当ての橋。場所はこちら

風合いが素晴らしいコンクリート橋。わかってもらえるかなあ、この感じ。

 

 

 

 

そしてわたくし、すでに気づいてしまった。

側面にお名前が刻まれている!

 

「第二合併橋」。それが当橋の名称だ。由来が気になるところだが、たぶん文字どおり近隣の村が合併で川越市に併合されたこと、じゃないかと。この細い川(旧赤間川)が境界だったのかも。ちなみ近隣には、シンプルに「合併橋」も存在している。

 

 

 

 

北側より。

 この「みゅいーん」と広がった高欄がまたよろしいではないの。

 

 

 

 

うーん、

極めてセクシーだと言わざるを得ない(病

 

 

 

 

親柱には、

改めて「第二合併橋」。

 

 

 

 

いやほんとに、

なんとも、いいよねぇ〜〜。酔いしれちゃう。

 

この写真は、だいぶ前にインスタに上げたやつ。そこでも書いたが、「昭和の混凝土橋梁の魅力」が詰まってるように思った。

 

 

 

 

いや、いいよぉ〜(しつこい)。

 

 

 

 

お誕生日は

「昭和丗二年五月竣功」。

 

ウィキ先生によると、昭和30年に近隣の農村と合併して今の市域ができたとあるので少しタイミングは食い違うけど、他に由来になりそうなことも考えつかない。

 

 

 

 

橋上から望む、東側(下流側…かどうか判断付かん)

ここでわたくし、遠くに見えたあるものに心乱された。なんだあれ?

 

この写真ではほぼ分からないが、見逃してはいけないものだと思った。なのでこの後そちらへ向かったが、それはまた次回に。

 

 

 

 

南側より正対。

県道側から見るのと高欄の広がり具合(みゅいーん具合)がだいぶ違うように見えるのは錯覚だろうか?

 

 

 

 

まあこう見ると、

そんなに違わないが。

 

 

 

 

サイドビューで…あっ、

こっちにもあった。

 

 

 

 

日影で見にくいけど、

「昭和丗二年五月竣功」。こういうイレギュラーな場所の情報って、見つけたら嬉しいよね〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

西側(上流側…かも)からのサイドビュー。

コンクリート(=混凝土)ならではのこの造形。実に素晴らしい。

 

何度も過去に書いてるが、この手の橋はすでに耐用年数を過ぎたものも多く、今後どんどんその数を減らしていくだろう。少しでも多く記録しておきたい。

 

ちなみにこの第二合併橋の健全度判定区分は「2」(予防保全段階)。まあ平成30年の調査と少し前だが、まだしばらくは活躍してくれそうだ。

 

 

 

こうして当橋を堪能した後、先ほど橋上から見えた「けしからんもの」を見に行った。せっかくなんで、続いて【次回】にそれをご紹介しよう。

 

 

 

【3】より続く。

 

 

実にそそる景。残るは、落ちた橋までの道のり。

その道のりは、いきなり高梁川の断崖の上。設置されたフェンスは、市道としての矜持か?てか、そういえば反対側にはフェンスなかったよな。なんでだ?

 

 

 

 

すぐにカーブがあるのもポイント高い。

橋までは、少なくとも100m以上はあるはず。この先はどうなっているか…。

 

 

 

 

あっ忘れてた。ここで振り返って、

本当なら最初に見るはずだった、広瀬隧道・唐松側坑口。うん、素敵だ。

 

 

 

 

さて、進軍再開。

 

カーブ手前からもう始まっていたが、

これ、片洞門よな。めっちゃのしかかってくる!

 

 

 

フェンスがなかったらさらに雰囲気イイのだが、

同時にその安心感は大きかった。さすがに。

 

 

 

 

そしてその先に待っていたのは、

ひときわ見事な片洞門。これはイカツイ!

 

 

 

 

真下に入れば、

コレモンですよ。

 

実に素晴らしいのだが、なんで隧道を掘って片洞門までへつって、この左岸側に道を通したのか、不思議な気がした。現在国道180号も右岸を走ってるし。

 

 

 

 

けど改めて地理院地図を見てみると、

このあたり、右岸にも左岸にも山が直接高梁川に落ち込む険阻な地形が点在し、かつ集落も右岸左岸両方に点在している。であれば、いかにここでは対岸(右岸)のほうが平坦な地形であったとしても、唐松と広瀬の両集落を最短で結ぶこの道は、価値があったのだろう。少なくともこの道が拓かれた当時は。

 

 

 

 

そしてこれだ。

街燈でもついていたのか、金属製のポール。ただ一本。灯かりはおろか、電線も架空されていない。前回、隧道に照明がないことに触れたが、電気自体が通っていないんかよ、このルートには…。

 

 

 

 

で、このポールからはすぐだった。

市道の消失点。

 

こうして見ても、やっぱり橋が架かっていたようには見えない。が、男性の話はもちろん本当に違いないので、橋だけでなく前後数mの路盤ごと落ちたんだろう…。

 

 

 

 

で、その落ちた橋とは…ズバリ!

【「全国Q地図」よりスクリーンショットを切り出し】

この「下広瀬2号橋」だろう。

 

橋長17.5mというのもこの場所の規模感にピッタリくるし、なにより橋梁点検での健全度判定区分が一番悪い「4(緊急措置段階)」。つまり落ちるべくして落ちた、ってことなのかもしれない。まあもちろん現場ではそこまではわかってなかったが。

 

 

 

 

ここからの戻りで、動画を撮ったので、ぜひご覧いただきたい。

まず冒頭、きわどいところから見下ろしているが、やはり橋の痕跡や残骸はまったく見られない。そして隧道までの片洞門の圧迫感もよく伝わると思う。そして隧道ではこうもりさんのお姿も。

 

 

 

 

 

戻ってきたら、先ほどお話を伺った男性がまだおられたので、お礼かたがた少しお話をしたが、そこで改めて、衝撃的な話を聞いてしまった。

 

架かっていた橋…おそらく下広瀬2号橋(男性は「鉄の橋」とおっしゃっていた)は、「この2年ほどの間に」なんと「落ちたのではなく撤去された」のだと。老朽化して危険なので、との理由ということで、そりゃあ跡形も残っていないはずだ。健全度判定区分「4(緊急措置段階)」は伊達ではなかった、ってことだろうか。


いやまあ健全度もさることながら…趣味者的には残念だが、通行量極少のこの道路(市道唐松広瀬線)の利用実態を鑑みて、修繕/維持に値せず、との判断だったということ。男性もそのようにおっしゃっていた。

とはいえ、そこは隧道に一番近い人家であるこのお宅、近道で便利だったのに不便になった…と嘆いておられた。

 

行政が公式に撤去して架け直さないとなれば、広瀬隧道もまた一蓮托生、その役目を終え(させられ)た、ということになる。だから照明も架線も撤去されたのがあの状態だったってことか、もしかして。


ほとんどの自治体で経済的・人的資源は限られており、こういうトリアージは今や不可避。このように実際に撤去や廃止(公式にか実質的にかは問わず)に至るケースもさらに増えてくるだろう。

 

 

 

 

最後におまけ。

駐車させてもらった場所の近くにこんな碑があって、まさかこんな離れたところに隧道碑か?と期待したけど、左のは「市道長屋石蟹線完成記念」そして真ん中のは「廣瀬溝渠碑」と、ともに無関係だった。


…ん?右端?わかんない(笑)。



「廣瀬溝渠」にも興味を惹かれたのでちょっと調べてみたけど、ほぼ何もわかってない。農業用水路的なものだろうか。

 


 

 


 

以上。

 

 

 

【2】より続く。

 

 

いろいろ遠回りさせられたが、

ようやくお目にかかれた、これが広瀬隧道。ガチ素掘りだ。現在地はこのへん。マピオンだともはや道がない(笑)。

 

下調べ段階で基本情報はQ地図と「平成16年度道路施設現況調査」に教わっていた。曰く、1925(大正14)年完成、延長34m、幅員2.0m、有効高1.8m。

 

 

 

 

これで幅員2.0mは

盛りすぎじゃないか~?

 

 

 

 

チョークによる点検書き込み。

新見市のトンネル長寿命化修繕計画資料によると、点検による本隧道の点検結果は「Ⅱb」、健全度評価は「Ⅱ」。「Ⅱb」とは「Ⅰ寄りのⅡ」であり、決して悪くない。

 

…というより、新見市の管理する6本のトンネル中ではベストの健全度となる。なのに、橋が落ちたせいで巻き添えの通行止め…不憫だ。

 

これについては、このあと衝撃的な情報を得ることになる。それは次回最終回に。

 

 

 

 

 

加えて、見たところこの隧道、

照明が点灯していないどころか、設備そのものがないようだ。市道としちゃあ、これけっこうアグレッシヴよなあ。

 

 

 

 

最低限、

洞床は舗装?してあるようだが。

 

 

 

 

期待を上回るステキ隧道、

これは振り返りの鉄板の構図。

 

 

 

 

では失礼して…

通り抜けさせていただこう。

 

 

 

 

あ、これは?

めっちゃ貧弱だが、もしかしてかつての照明設備の痕跡?

 

 

 

 

あ!いた!

男性の情報どおり、こうもりさんがお二方。その先にももうちょっといらっしゃる?お邪魔しております~。

 

 

 

 

で、こちらには、

特大のゲジゲジさんもいらっしゃいますな。

 

このお方ら、岩の細かい割れ目とかに密集する習性がありますよね。その写真も撮ったんだけど、安心してください、載せませんよ(笑)。

 

 

 

 

で、ここまであまり伝わってなかったかもしれないけど、振り返ってみれば一目瞭然。

この隧道、34mしかないのにぐにゃぐにゃである。

 

単なる掘り間違えの可能性もあるが、おそらくは外的要因…高梁川の断崖すれすれに掘っているからではないかと。

 

 

 

 

この鉄板の構図で、それが伝わるかと。

隧道内と同じく、この先の道もぐにゃぐにゃ、とね。

 

実にそそる景。あとは「落ちた橋」までの道のりを残すのみだ。

 

 

 

 

【4】に続く。

 

 

 

【1】より続く。

 

 

というわけで、反対側の広瀬地区へ。

隧道名となった地区だが、こちらも駐車場所は乏しく、こんな遠くからのアプローチとなった。いや、えらい時間かかることになったな~。楽しいからいいけど。

 

ちなみに写真中央、向こうの山が高梁川に落ち込むあたりが目的地になる。

 

 

 

 

集落の中の道を

 

 

手元でスマホ地図を見ながら進んでいく。

 

 

やがて家並みが途切れると、

あとは一本道…のはずだ。今度こそ。

 

先に見える最後のお宅の庭先で男性が水撒きをされていたので、挨拶がてら隧道のことを聞いてみた。

 

わたくし「この先にトンネルがあると思うんですけど、通れますかね?」

男性「道は荒れとるけど隧道は通れるよ。でもその先橋が落ちとるで、通り抜けはできんよ。」

 

心の中でええーっ!と思った。あそこ、桟橋が架かってたのか。単なる崩落じゃなかったんだ。

 

 

男性は隧道に蝙蝠が住んでいるとも教えてくれ、「気をつけてな」と見送ってくださった。

 

 

 

 

とりあえず隧道は通れるとわかった。意気揚々と隧道へと向かう…のだが、

んんん?あれは?

 

 

 

 

車道の果てには、

無人の軽バンが。

 

もし車で来ていたとしたら、まさにここに停めるしかないんだが、まさかの先客?周辺の畑とか見ても持主らしき人はいないし…。

 

と思ったら、隧道方向から男性…というかご老人が現れた。軽バンの持ち主だと思われたが、何をしに行かれてたのかは不明。同業のニオイはしなかったしなんとなく話しかけられたくない雰囲気を醸し出されてたので、会釈だけしてすれ違った。

 

あ、先に書いとくが、その後特に不審なものやヤバいものをみつける、なんてことはなかったのでご安心を。まあ向こうにすりゃわたくしとて不審者だろうしお互い様だろう(笑)。

 

 

 

 

こちらはのっけから、

反対側と同じ「全面通行止」看板。

 

今や、その看板に偽りなしであることはわかっておりますけどね、ちょっと失礼いたしますね。

 

 

 

 

で、そこからはもうすぐに。

第二の「全面通行止」が見えた。

 

 

 

 

と同時に、

隧道、確認!

 

 

 

【3】に続く。