広瀬隧道訪問記【4】(岡山県新見市正田) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【3】より続く。

 

 

実にそそる景。残るは、落ちた橋までの道のり。

その道のりは、いきなり高梁川の断崖の上。設置されたフェンスは、市道としての矜持か?てか、そういえば反対側にはフェンスなかったよな。なんでだ?

 

 

 

 

すぐにカーブがあるのもポイント高い。

橋までは、少なくとも100m以上はあるはず。この先はどうなっているか…。

 

 

 

 

あっ忘れてた。ここで振り返って、

本当なら最初に見るはずだった、広瀬隧道・唐松側坑口。うん、素敵だ。

 

 

 

 

さて、進軍再開。

 

カーブ手前からもう始まっていたが、

これ、片洞門よな。めっちゃのしかかってくる!

 

 

 

フェンスがなかったらさらに雰囲気イイのだが、

同時にその安心感は大きかった。さすがに。

 

 

 

 

そしてその先に待っていたのは、

ひときわ見事な片洞門。これはイカツイ!

 

 

 

 

真下に入れば、

コレモンですよ。

 

実に素晴らしいのだが、なんで隧道を掘って片洞門までへつって、この左岸側に道を通したのか、不思議な気がした。現在国道180号も右岸を走ってるし。

 

 

 

 

けど改めて地理院地図を見てみると、

このあたり、右岸にも左岸にも山が直接高梁川に落ち込む険阻な地形が点在し、かつ集落も右岸左岸両方に点在している。であれば、いかにここでは対岸(右岸)のほうが平坦な地形であったとしても、唐松と広瀬の両集落を最短で結ぶこの道は、価値があったのだろう。少なくともこの道が拓かれた当時は。

 

 

 

 

そしてこれだ。

街燈でもついていたのか、金属製のポール。ただ一本。灯かりはおろか、電線も架空されていない。前回、隧道に照明がないことに触れたが、電気自体が通っていないんかよ、このルートには…。

 

 

 

 

で、このポールからはすぐだった。

市道の消失点。

 

こうして見ても、やっぱり橋が架かっていたようには見えない。が、男性の話はもちろん本当に違いないので、橋だけでなく前後数mの路盤ごと落ちたんだろう…。

 

 

 

 

で、その落ちた橋とは…ズバリ!

【「全国Q地図」よりスクリーンショットを切り出し】

この「下広瀬2号橋」だろう。

 

橋長17.5mというのもこの場所の規模感にピッタリくるし、なにより橋梁点検での健全度判定区分が一番悪い「4(緊急措置段階)」。つまり落ちるべくして落ちた、ってことなのかもしれない。まあもちろん現場ではそこまではわかってなかったが。

 

 

 

 

ここからの戻りで、動画を撮ったので、ぜひご覧いただきたい。

まず冒頭、きわどいところから見下ろしているが、やはり橋の痕跡や残骸はまったく見られない。そして隧道までの片洞門の圧迫感もよく伝わると思う。そして隧道ではこうもりさんのお姿も。

 

 

 

 

 

戻ってきたら、先ほどお話を伺った男性がまだおられたので、お礼かたがた少しお話をしたが、そこで改めて、衝撃的な話を聞いてしまった。

 

架かっていた橋…おそらく下広瀬2号橋(男性は「鉄の橋」とおっしゃっていた)は、「この2年ほどの間に」なんと「落ちたのではなく撤去された」のだと。老朽化して危険なので、との理由ということで、そりゃあ跡形も残っていないはずだ。健全度判定区分「4(緊急措置段階)」は伊達ではなかった、ってことだろうか。


いやまあ健全度もさることながら…趣味者的には残念だが、通行量極少のこの道路(市道唐松広瀬線)の利用実態を鑑みて、修繕/維持に値せず、との判断だったということ。男性もそのようにおっしゃっていた。

とはいえ、そこは隧道に一番近い人家であるこのお宅、近道で便利だったのに不便になった…と嘆いておられた。

 

行政が公式に撤去して架け直さないとなれば、広瀬隧道もまた一蓮托生、その役目を終え(させられ)た、ということになる。だから照明も架線も撤去されたのがあの状態だったってことか、もしかして。


ほとんどの自治体で経済的・人的資源は限られており、こういうトリアージは今や不可避。このように実際に撤去や廃止(公式にか実質的にかは問わず)に至るケースもさらに増えてくるだろう。

 

 

 

 

最後におまけ。

駐車させてもらった場所の近くにこんな碑があって、まさかこんな離れたところに隧道碑か?と期待したけど、左のは「市道長屋石蟹線完成記念」そして真ん中のは「廣瀬溝渠碑」と、ともに無関係だった。


…ん?右端?わかんない(笑)。



「廣瀬溝渠」にも興味を惹かれたのでちょっと調べてみたけど、ほぼ何もわかってない。農業用水路的なものだろうか。

 


 

 


 

以上。