【3】より続く。
実にそそる景。残るは、落ちた橋までの道のり。
その道のりは、いきなり高梁川の断崖の上。設置されたフェンスは、市道としての矜持か?てか、そういえば反対側にはフェンスなかったよな。なんでだ?
すぐにカーブがあるのもポイント高い。
橋までは、少なくとも100m以上はあるはず。この先はどうなっているか…。
あっ忘れてた。ここで振り返って、
本当なら最初に見るはずだった、広瀬隧道・唐松側坑口。うん、素敵だ。
さて、進軍再開。
カーブ手前からもう始まっていたが、
これ、片洞門よな。めっちゃのしかかってくる!
フェンスがなかったらさらに雰囲気イイのだが、
同時にその安心感は大きかった。さすがに。
そしてその先に待っていたのは、
ひときわ見事な片洞門。これはイカツイ!
真下に入れば、
コレモンですよ。
実に素晴らしいのだが、なんで隧道を掘って片洞門までへつって、この左岸側に道を通したのか、不思議な気がした。現在国道180号も右岸を走ってるし。
けど改めて地理院地図を見てみると、
このあたり、右岸にも左岸にも山が直接高梁川に落ち込む険阻な地形が点在し、かつ集落も右岸左岸両方に点在している。であれば、いかにここでは対岸(右岸)のほうが平坦な地形であったとしても、唐松と広瀬の両集落を最短で結ぶこの道は、価値があったのだろう。少なくともこの道が拓かれた当時は。
そしてこれだ。
街燈でもついていたのか、金属製のポール。ただ一本。灯かりはおろか、電線も架空されていない。前回、隧道に照明がないことに触れたが、電気自体が通っていないんかよ、このルートには…。
で、このポールからはすぐだった。
市道の消失点。
こうして見ても、やっぱり橋が架かっていたようには見えない。が、男性の話はもちろん本当に違いないので、橋だけでなく前後数mの路盤ごと落ちたんだろう…。
で、その落ちた橋とは…ズバリ!
【「全国Q地図」よりスクリーンショットを切り出し】
この「下広瀬2号橋」だろう。
橋長17.5mというのもこの場所の規模感にピッタリくるし、なにより橋梁点検での健全度判定区分が一番悪い「4(緊急措置段階)」。つまり落ちるべくして落ちた、ってことなのかもしれない。まあもちろん現場ではそこまではわかってなかったが。
ここからの戻りで、動画を撮ったので、ぜひご覧いただきたい。
まず冒頭、きわどいところから見下ろしているが、やはり橋の痕跡や残骸はまったく見られない。そして隧道までの片洞門の圧迫感もよく伝わると思う。そして隧道ではこうもりさんのお姿も。
戻ってきたら、先ほどお話を伺った男性がまだおられたので、お礼かたがた少しお話をしたが、そこで改めて、衝撃的な話を聞いてしまった。
架かっていた橋…おそらく下広瀬2号橋(男性は「鉄の橋」とおっしゃっていた)は、「この2年ほどの間に」なんと「落ちたのではなく撤去された」のだと。老朽化して危険なので、との理由ということで、そりゃあ跡形も残っていないはずだ。健全度判定区分「4(緊急措置段階)」は伊達ではなかった、ってことだろうか。
いやまあ健全度もさることながら…趣味者的には残念だが、通行量極少のこの道路(市道唐松広瀬線)の利用実態を鑑みて、修繕/維持に値せず、との判断だったということ。男性もそのようにおっしゃっていた。
とはいえ、そこは隧道に一番近い人家であるこのお宅、近道で便利だったのに不便になった…と嘆いておられた。
行政が公式に撤去して架け直さないとなれば、広瀬隧道もまた一蓮托生、その役目を終え(させられ)た、ということになる。だから照明も架線も撤去されたのがあの状態だったってことか、もしかして。
ほとんどの自治体で経済的・人的資源は限られており、こういうトリアージは今や不可避。このように実際に撤去や廃止(公式にか実質的にかは問わず)に至るケースもさらに増えてくるだろう。
最後におまけ。
駐車させてもらった場所の近くにこんな碑があって、まさかこんな離れたところに隧道碑か?と期待したけど、左のは「市道長屋石蟹線完成記念」そして真ん中のは「廣瀬溝渠碑」と、ともに無関係だった。
…ん?右端?わかんない(笑)。
「廣瀬溝渠」にも興味を惹かれたのでちょっと調べてみたけど、ほぼ何もわかってない。農業用水路的なものだろうか。
以上。