2023年1月30日に敢行した、「歩ケ歩ケ川越」からのネタをご紹介。今回の物件は、当日最初に訪ねたやつ。
西武・本川越駅から歩くこと約10分、
JR川越線の踏切にやってきた。ここから望めるはず…。
おおっ!
アレだな。
線路沿いの道で接近しての近影~。
ぱっと見はまあ、トンネルだが、こう見えて線路を跨ぐ道路橋である。これが今宵のお題。
さっそくその道路へ…と?この構造物は?
気になるが一旦スルーして…
はい、こちらが道路橋としてのお顔である。逆光で見にくいけど。現在地はこちら。
現地には何も情報がないが、Q地図様によれば橋名は富士見橋。完成年は「不明」ということだ。
で、先ほど引っかかった構造物は左側の路肩にあるのだが、同じもののもっと長いやつが右側にもあった。
これなんだけども、
これ…のっぺりガードレールのコンクリート版?
高欄ではなく袖高欄の位置にあるので、橋そのものには直接関係ない存在だと思われるが、ちょっと興味を惹かれた。
橋上から望む、
上流側…もとい、川越・大宮方。
そしてこちらは、
高麗川方。横着して渡らずに撮影(笑)。
渡って、南側より。
うーん、どうもこの時の陽当たり具合がよろしくなく、どっちから撮っても全体が見にくいな。
でこちらにもあった、コンクリート版のっぺりガードレール的なもの。ただ高麗川方は普通のガードレールに替わっている。
川越・大宮方より、なんとかサイド気味に。
ゴツイな。
最後に、
高麗川方からのサイド気味アングル。
それにしても、なぜこの跨線橋、このようなトンネル状のゴツイものにする必要があったんだろうか。よほど重いものを通す必要があったから、とかか?例えば…戦車とか。
まあこれは妄想だけれど、必要があったからこそのこの姿であるはずなので。
上の写真(3枚目の写真も)をよく見ていただきたいが、トンネルとして見たときのポータル部分と道路部分で、コンクリートの風合いが異なっている。
道路部分は直接風雨にさらされない場所なので経年感がつかみにくいものの、川越線の開業は1940(昭和15)年。本橋の完成年は不明ということだが、おそらくはこの時に一体で整備されたものではないかと思われる。つまり、ポータル部分(=高欄部分)は後年の改修で、道路部分がオリジナルなのではないかと。
まあいつものように、単なる想像ですが何か?(笑)
おまけ。
事後に撮った、高麗川方からの遠望ショット。
以上。