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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

軽くショックを受けた~。

 

 

関西圏の同業者なら(いや、のみならず)、けっこう気になっていたであろうこの看板。

その名も「ザ・トンネル」というお店。

 

なにしろこのお名前、我々には訴求力高杉であるからして。奈良県下市町の国道309号沿いにあり、けっこうあちこちで看板も見た。

 

何度か前は通ったことあるものの寄る機会はなく、いつかはここで食事したいと思ってたのだが…たまたまGoogleマップで知ったのだが、残念ながら昨年(2024年)9月末で閉業されたらしい。がーーん!

 

 

 

 

店名の由来は、そのものずばり。

この登石トンネルが至近にあるからに違いない。残念ながらお店とトンネルを一緒に撮った写真はないんだが。

 

 

 

 

これは2010年11月時点での「ザ・トンネル」さん。

ここまでの写真もすべて同じ日の撮影である。改めて、場所はここ

 

 

 

 

ちなみにストビューでは、こう。

登石トンネルとの位置関係はこういう感じだ。

 

この最新画像は2023年7月で、その前の2022年9月画像の時点ですでに「準備中」の看板が出ているが、Googleマップの口コミでは1年前(2024年)のものまであるので、たまたま営業時間外だったんだろう。

 

登石トンネル擁する店前の道路は新道(広橋バイパス)であり、いつ開通したのかは不明だが、登石トンネルの銘板には1997年3月とあるので、「ザ・トンネル」さんの開店がそれ以降なのは間違いない。わたくしが撮影した2010年からでも約14年、最長だと27年もの歴史を持つかもしれないお店だったわけだ。

過去のストビュー画像を見れば、どの年のでも車が何台も停まって、普通に繁盛していたことがうかがえる(口コミも多く、そして評価は高い)。国道に面しているとはいえ、人里離れた山の中。このポツンと一軒家レベルの立地で長きにわたり飲食店を維持するなんて、凄いことだと思ってたのだが…。

 

 

あー残念だ。一度行きたかったなあ。

 

 

 

 

 

 

けっこう異色な記事でしたな。テーマ分類は一応「看板・表示・標識」で。

 

 

 

今宵は京都市中心部の繁華街、その片隅にある謎多き神社をご紹介。

 

 

まずこの写真なんだけど…

これで神社味を感じられた人がいたらヤバイでしょ。

 

 

 

 

ここに至っても、

まだまだわからん。

 

 

 

 

関係者以外立入禁止のAバリがあるが、

その先に…。

 

 

 

 

これ以上は入れないんで、しかたなく隣接する駐輪場から。

はいこれ!場所こちら

 

 

 

 

鳥居に扁額もなけりゃ、

由緒書き的なものも一切なし。

 

 

 

 

なんなんだこの神社は。

灯台下暗しというかこの神社、Googleマップに登録されていた。それによると「正一位妙徳稲荷大明神」というそうな。信用できるのかわからんが。

 

そして「関係者以外立入禁止」の突き当りにある正体不明な建物は、「桜事務所(新京極商店街振興組合)とある」。現在こちらの組合さんの事務所はこの近所の別の場所にあるので、もしかすると移転前の旧事務所があったところなのかもしれない。

そしてお稲荷さんといえば商売繁盛の神様、この「正一位妙徳稲荷大明神」は、新京極商店街振興組合が勧請した、ゆかりの神社なのだと思われる。

 

 

…しらんけど。

 

 

 

いやごめん、一応ネット上でそれなりに調べてみたんだが何もわからないので。でもおおむね合ってるんじゃないかと思ってる。


ちなみに「知らんけど」って、関西人以外にはすこぶる評判悪いらしいけどそうなんですかね(笑)?「定かじゃないけど、たぶんそうだと思うよ」というニュアンスと思っていただければいいんですよ~。

 

 

 

2013年1月17~18日、奥三河彷徨。この日のネタで記事にしているのは、小町トンネル豊栄トンネル芳ヶ入トンネル槙原隧道新一の瀬橋水沢トンネル国道151号・市原トンネル旧廃道、旧々道戦橋川角トンネル旧廃道

 

今宵ご紹介するのは新城への移動中、小町トンネルと豊栄トンネルの間に訪ねたトンネル。合わせて夜撮りトンネル三部作(笑)。

 

 

 

拙ブログでは珍しいテイストのトンネル。

こういうのは夜のほうが面白い。たぶん。現在地こちら

 

この当時、この国道247号バイパスは全通していなくて、この撮影位置である貴船交差点で途切れていたっけ。なので、交通量もこんな感じで。あ、時刻は22時50分ごろね。

 

 

 

 

まあ、なんともいえないテイスト。

昼間なら、撮らなかったかも。

 

 

 

 

お名前は、

荒子トンネル。

 

 

 

 

銘板。

2008年5月完成。訪問の4年半ほど前と、見かけどおり新しいものだった。

 

 

 

 

車で抜けて、東側より。

中央分離帯より。あーボケた…。

 

 

 

 

明るい昼間の写真をストビューから。

案外変わってないな。

 

 

 

 

向かって右のスロープから、

ちょっと珍しいアングルで。

 

 

 

 

まあ実際のところ、

こういうのも嫌いじゃないのよね…。

 

 

10分ほど遊んで、ここを離れた。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

(やっぱりフォント戻しました、自分の目を優先しました・笑)

 

【序】より続く。

 

 

連載のスタートは、この写真から。

全面通行止とのたまいつつ、道はフルオープン。罠に満ちた紀伊半島らしい展開に、思わずニヤけた。ほんとは好ましくないことなのに。

 

 

 

 

何やら書いてあるので、車を停めてよく読んだ。

「弘法杉林道分岐から田辺方面地すべりのため通り抜けできません。」そして「復旧の見込み 未定」。これだよ、これが紀伊半島なんだよ(笑)。

 

 

ところで、弘法杉林道分岐ってどこだっけ(当時はこの程度の予備知識さえなかった)。いずれ、これでピストンは確定ってことか…。

 

本当は、まさにここに「できませんよ」と書かれているとおり、田辺方面(ってこれ全部田辺市内のことなんだけどね。どんだけ広いんだって話)に抜けるつもりだった。が、それができないとなれば、行けるとこまで行くのみ。その限界点までに最終ターゲットである6つめの隧道が収まっておればいいのだが。

 

 

 

 

ところで、これからトレースしていく道は、ほぼまるまるかつての大塔森林鉄道本線の路盤の転用であるらしかった。(再度書くけど当時の認識はこれくらい)。で、これは後に知るのだが、この「全面通行止」看板が立てられていたこの場所こそが、大塔森林鉄道本線の起点である「広瀬土場」であったようだ。

 

改めてストビューで。

熊野川漁業監視員詰所が置かれているここ、広くなっていていかにも土場の雰囲気を残している。知った時には「ああやっぱりね」となった。というわけで、連載のキックオフにはここが相応しいかなと。

 

ちなみにここを発った時刻は、8時26分。以降連載の中で随時時刻を記載していく。

 

 

 

 

 

さて、最初のネタは、この広瀬土場跡から500mほど進んだこちら

事前にはノーマークだったんだが、早くもストップ。この見事な枝ぶりの巨樹はどうかね?

 

 

 

 

もちろん停まったのは巨樹のためだけじゃなく、

本業(笑)である橋、そして向こうに見える魅惑の石垣と石段の上の祠のため。

 

 

 

 

なによりも、さらにもいっちょ。

滝もあるときたもんだ!

 

 

 

 

改めてこの一帯の全貌がこの景なんだが、

いや、これは停まらざるを得んでしょ!最高のプロローグですやん!林鉄が現役だったころのここの景、見たいわ~。

 

 

 

 

まずは、橋。

シンプルで不愛想な、実用一辺倒な橋。親柱はすべて揃っていたものの、何も語らず。Q地図様によれば、お名前は大塔線1号橋、完成年は不明、とのこと。

 

 

ここでちょっと文字数を使うが、お名前の示すとおり、道路は市道大塔線に入っているのか?これがいまいちよくわからない。

各種地図ではこの先まだしばらくは県道色で、和歌山県道241号静川請川線が続いているように描かれているのだが、Q地図様によればすでに路線名は「市道大塔線」となっている。広瀬土場跡手前の「無名橋」はまだ路線名が「静川請川線」となっているので、もしかして実は広瀬土場跡が今も路線界になってる?

 

 

 

が、実はこのような資料も見つけてしまい…。

(ネットで出てきた、おそらく田辺市土木課作成の資料を拝借)


2015年の資料らしく、通行止め云々は無視していただきたいが、これを見ると広瀬土場跡よりもさらに前、静川集落の手前あたりで市道に変わってるっぽいのだが、ストビューでそのあたり見てみても、特に気になるものは見つけられなかった。

 

まあ管理者の作った資料なんだから間違いないだろうが、どういうことなんだろう。二重戸籍的な?てきな?

 

もしかしたら「あのお方」が教えてくださるかも…(笑)。

 

 

 

 

 

橋に戻りまして。

橋がまたぐ谷の名前は不明だが、すぐ下で大塔川本流に流入している。

 

 

 

 

渡ってほぼ正対。

大塔林鉄が廃止されたのは1959(昭和34)年ということなので、車道転用後に架け直されたものだろう。確か橋の下も確認したはずなので、写真がないってことはみるべきものがなかったのだと思う。

 

 

 

 

さて、橋もそこそこに…

やっぱあちらが気になる。素晴らしいよね、この空間。背筋が伸びるわ。

 

 

 

 

石段下の手水鉢、

醸してるね~。

 

 

 

 

石段を登ると、

鳥居があり、その上に簡素ながらもしっかりした祠が。

 

 

 

 

掲げられた扁額には、

髙倉神社とあった。しめ飾りはお正月のもの?

 

でも荒れた雰囲気はなく、定期的に手入れされている様子。こういう場合の通例どおり、わずかなお賽銭を納めて手を合わせ、無事に帰宅できることを願った。

 

 

 

 

そして至近に見えている滝へ。

名称不明だが、シンプルで美しい直瀑。当然神社よりも先に滝があったんだろうし、ここに神社を勧請したくなる気持ち、わかる。

 

 

 

 

上の写真撮影位置からの、橋見下ろし。

思えばあの巨樹、すんごいとこに踏ん張ってるなあ。あれがあるおかげで、雰囲気四割増しだ。

 

 

 

 

最後に、高~い石垣の上からのノートさん見下ろし。

この日、ノートさんは実によく頑張った。てか、この3日間の探索でとてもよく頑張った。

 

すでにお別れすることが確定していたうえでのこの探索だったので、ちょっと感傷的になってこんな写真も撮ったっけ。

 

 

 

では、進軍再開しよう。時刻は8時46分。

 

 

 

たぶん来月…の【2】に続く。

 

 

 

 

 

重い腰を上げて、この連載を始めるか~。

 

 

ただ、普通に連載するとかなりのボリュームとなりそうなので、過去何度かやったように、月イチペースくらいでの毎月連載の形でやってみようと思う。ただし初回だけは、この【序】に続いて【1】をやるつもりだ。

 

 

そもそも記事タイトルが非常に悩ましい。内容的には2022年5月3日、ノートさんラストラン@紀伊半島の初日に、和歌山県田辺市本宮町を流れる大塔川沿いを遡上し、その途上にある6本の隧道たちを攻略した、というのがキモなんだが、その路線名が実に三度も変わっちゃうので、キャッチーな感じにできないんだな。

一般的には安川大塔川林道という名が通りがいいのだが、先述のとおり実際の路線名称はそう単純ではない。悩んだ結果、なんか凡庸な「大塔川遡上の旅」となってしまったので、それに「神経摩滅」というキーワードを追加してみた。これどういう意味なのかは、徐々に…。

 

ちなみにこの日のネタでは某連載をすでにアップしているが、それについても連載中においおい、ね。

 

 

 

 

ともあれそのスタートは、

和歌山県道241号静川請川線から始まる。

 

 

ひとつ最初にお伝えしておこう。ちなみに訳あってこの探索は同じ道をピストンでおこなったのだが、上の写真を撮影したのは朝の7時34分。場所はここ。そしてこの場所に戻ってきた時刻は、17時20分!

 

もちろんその間に某連載で紹介済みの探索を含む多くのストップはあったのだが、それにしても10時間って尋常じゃないでしょ。その「尋常じゃなさ」の理由が、「神経摩滅」の理由でもあったわけなんだが。

 

 

 

次回、連載スタートの場所は、このヘキサよりもまだ4kmほども奥となる。その間にもいくつかの立ち寄り地/物件もあったのだが、それらは別の機会に譲り、「相応しい場所」から始めたいと思う。

 

 

 

【1】に続く。

 

 

 

 

 

 

 

以下全然関係ないのだが、試験的に文字サイズを小さく…というかだいぶ以前のサイズに戻してみた。自分がすでに老眼で小さい文字が見にくいのでサイズを上げて書いてたんだが、多くの方がスマホでご覧いただいているというデータがある中、かえって見にくいのかなあ…とかねてから思っていたので。

 

よかったらご意見ご感想お待ちしてます。でも最終的には自分で決めますので悪しからず(笑)。