場所はコチラ。
西から(地図では「別所街道」と書かれている国道151号線の旧道から)やってきた。そのファーストコンタクトが
コレ。
おおう。
カッコイイ上路アーチじゃない!コレはスルーできんな。
というわけで、さっそくチェック。
北側のたもとより。
この橋は国道473号線に属するのだが、R473は左手前方向からの道。なのにセンターラインは右手前から来ている。先述のようにこの方向はR151の旧道。なんか不憫な扱いやな~。
で…まあね、上路アーチ橋って、上から見たら大して面白くないと相場が決まっておる(笑)。
ただ、この橋…ビジュアル以外もカッコよかったのであります。
まず、親柱。
まずコレにシビレた(死語)。
この親柱、Z型に巻かれたコンクリートがやたらスパルタンな印象。まあこの位置だと「逆Z」ですけどね。
そして、銘板が2枚あるのにお気づきだろうか?まず名称を見てみると…
読めるかな?
「戦橋」。カッコイイ~。
コイツはまたなんとも、男の子ゴコロを刺激する(謎)名称ではございませんか!
古くからある橋で、かつてはしばしば争いの舞台となった歴史があるらしい…が、それが由来なのかは不明。なにしろ歴史を感じさせる名称だ。
そして側面にある小ぶりな銘板。コレがまた名称とマッチしているのだ。
「講和記念」。
「講和」とは…
最後的な戦争終結と平和回復のための交戦国間の合意。通常は休戦に続いて行われ,具体的には講和(平和)会議の結果として成立する講和(平和)条約で実現する。(「百科事典マイペディアより)
この「講和記念」、実はたまに橋の銘板で目にすることがある(隧道では見たことないな…)のだが、この奥三河方面ではなぜか非常によく見かけた。よって、別に「戦橋」だから「講和記念」なわけではなく、このマッチングはたまたまなのだが、それでもけっこう奇跡的なマッチングかも?
「講和記念」については後ほど改めて。
反対側の親柱には河川名が。
「振草川」。
ちなみに、橋のたもとに立っている河川名の看板は「大千瀬川」となっていたが、銘板ではこのとおり。どうやら本来はもう少し下流、静岡県に入ってから大千瀬川と呼称が変わるようで。
で、こちらにももう1枚銘板が。
「施工 朝日土木興業株式會社」。
こういう銘板は橋野郎的には非常に嬉しい!この朝日土木興業さん、現在もやってらっしゃるようで、本社は豊橋のようだが、「北設営業所」をこのすぐ近くの本郷に構えてらっしゃるようだ。こういう「名前の残る仕事」って、イイよねえ…。
で!、肝心なのは
着工 昭和二十九年九月三十日
竣功 昭和三十年三月三十一日
このくらいの橋って、半年で架けるってのは早いのか遅いのかわからんけど、個人的には「早っ」と思った。あとこの年代で「講和記念」ってのがどう結びつくのか?
帰って調べてみたら、昭和27(1952)年に発効した、太平洋戦争終結にともなう「サンフランシスコ講和条約」しか有り得ないだろうと。日清日露ではあまりに年代が違いすぎるしねえ。けど、それでも工事着手の時点で2年半前のことになるわけだけど、そんな前のことをわざわざ銘板にして付けるものだろうか。それだけ当時の我が国においては大きな歴史的一歩だったということ?
渡って、対岸の親柱もチェックした。
「せんはし」。
「いくさばし」ではなく「せんはし」。個人的にはこの読み方が好み。カッコイイよ!
で、気になったのは
「昭和三十年三月改築」。
まず昭和二十年に見えて混乱してしまったけど、よくよく見たらやはり「三十」だった。
で、「改築」。「架換」と並んでモンモンとさせられるテクニカル・ターム(笑)。以前の姿が気になって寝られなくなりますよねえ…え?わたくしだけ?
最後に、やっぱコレ。
いや~、いろいろカッコイイ橋でございました。
以上、完結。