今宵から何回かに分けてご紹介するネタは、先日記事にした追憶の青原橋と同じく、以下のハルニチさんの記事にきっかけをいただいたものである。この記事に二番目に登場しているのが今回のネタ。
ここには旦土大橋と旦土小橋という二本の橋があり、それぞれに三世代にわたって現存(遺構含む)していた、橋好きとして非常にアツいスポットだったんだが、そのメインたる旦土大橋(土木学会選近代土木遺産Bランク)がつい先ごろ撤去されたということで、ここに改めてその勇姿を公開しておこうと。
で、それだけではもったいないので、三世代計六本の橋たちをすべてご紹介しておこうという、そういう記事である。
訪ねたのは2022年8月26日、中国地方縦断迷走・初日。この日のネタで記事にしているのは稲荷橋、横部橋、簗瀬橋、力谷隧道。時系列では稲荷橋と横部橋の間になる。
10時28分、
現場到着。現在地はこちら。マピオン地図でもすでにお亡くなりになっている。仕事早いね…。
ここは岡山県道30号落合建部線(手前から左奥へ)と岡山県道370号江与味上河内線(左奥から右へ)の分岐点だが、お気づきだろうか、正面の古めかしい橋に並列して、真新しい近代橋が架かっている。
新しい橋の方は現道との擦り付け部分を残して完工しているようであり、一見して新旧橋の関係であるとわかった。
こうなっているとは全然知らずに来たんだが、これは…アカンやつかもしれん。ギリ間に合ったパターンかも。この時点でそう思った。
まずは正対したこの橋が、旦土大橋。
火袋を備えた非常に立派な親柱。一見して、地域の最重要橋である(あった)ことが理解できた。
予め書いておくが、
親柱やトラスに銘板の類が見当たらなかった(見つけられなかった)。
なのでここでお伝えしておくと、
完成は1937(昭和12)年、下路曲弦ワーレントラス橋。1934(昭和9)年9月の室戸台風で流失した先代橋に代えて架けられたものだという。いや~、恰好宜しい橋だったんだけどな。
適度にヤレたワーレントラスが非常にイイ。
もう一度書くが、土木学会選近代土木遺産Bランク…だったんだが…ねえ。
上流側に架かった新橋は、
いかにも最新技術の橋でございます的なオーラ(なんやそれ)を撒き散らし、新旧の対比がいやが上にも強調されていた。
で、その新橋の下を通して目に入った。
ささやかな、一見して古そうな橋。
実はあれもまた、事前にターゲットとして認識していた橋だった。あれが旦土小橋で、おそらく【4】でご紹介できるはずだ。どんどん前倒しで紹介していく実験的手法(笑)。
そして眺めた下流側に、重要な痕跡を発見。
河中に列をなして倒壊しているのは…橋脚、だな。
視線を移すと、
橋台も確認できた。
間違いなく、
あれが室戸台風で流失したという先代の旦土大橋の遺構だろう(現場ではまだ室戸台風云々は知らなかったが)。
先述のとおり、(この時点では)上流側と下流側、合わせて三世代の旦土大橋が共存(先代は遺構のみだが)していたわけだ。
間もなく旦土側へ。
書き忘れていたが、先ほど車を停めたのは美咲町西川上で、この橋で市町界を越え、対岸が真庭市旦土となる。
余談だが、今回紹介していく一連の物件はほぼすべて旦土にあるため、県別記事リストでは「真庭市」にて上げることにする。
なぜか気になってしまった、
トラス端部と親柱の間の金属棒の処理。トラスに軸受けが取り付けられてるんだな。
旦土側から正対。
親柱の仕様は同じようだ。
下流側からサイド気味に。
このまま進めば先代橋の橋台まで行けるはずだったが、なぜか行かなかった。理由は忘れたが、行っときゃよかったとプチ後悔してる。
わたくしの訪問から14ヶ月後の2023年10月に新旦土大橋が供用開始され、旦土大橋はその役割を終えたようだ。そして2024年2月28日と3月1日の2回に分けて撤去が行われた。
つまり、まさに今月。この世から姿を消してまだ1ヶ月経ってないわけだ。
なんとか同じ月のうちに記事にできて良かった。2023年9月までの86年間の貢献に、敬意を表したい。
撤去にあたっては、河中に仮設台を設置してトラスを支え、真ん中で切断する工法が採られたようだ。
撤去作業時の写真が岡山県土木部のFacebookに載せられているので、気になる方は探してみていただきたい。
先述したように、当時の現場でもこれは撤去濃厚だと感じていたので、
心の中で労いながら、往復した。お疲れ様でしたと。
さて次は…とてもスルーできない新橋をチェックだ。
【2】に続く。