2022年8月26日、中国地方縦断迷走の初日、13時35分。ぜひ見たかった橋(のひとつ)に到着した。
タメなく、ドン。
これに「おお…」となってくれるのは、一部の橋愛好家だけかと思うが…(笑)。場所はこちら。
バリバリ現役の、国道の橋。タイミングを計って撮ってるので写ってないが、交通量は多い。
そんな当橋の目を引くポイントといえば、
この高欄!円柱型親柱と優美なアーチ型欄干の織りなす旋律が素晴らしい(意味不明
何か(お誕生日?)刻まれているように見えるが、判然とせず。
サイド気味だと、より伝わるかと。
ちなみに、手前の親柱が見当たらないが、
それは
こちらに。なぜか文字チェックするのを忘れてたことに今気づいた(笑)。
そしてこれは渡って南側より。
こちら側の親柱には、いずれも情報が刻まれていた。
まずは左側より、
お誕生日。非常に見にくいが、「昭和十年五月竣工」と読めた。おお、戦前橋!
そして右側。
路盤の嵩上げでちょっと隠れているが「簗瀬橋」と読める。
いや~、
いいですな!
こんなステキ橋(当社基準による)だが、周辺状況を見るに、どうもその未来は明るくなさそう。
というのも、このように
架かっていた川そのものが付け替えられて、すっかり川道が埋められてしまっている。これ…撤去のにおいがプンプンしてないか?
ちなみに、最新のストビュー(2021年4月撮影分)では、まだこの橋の下にちゃんと川が流れている状態である。
Google Map航空写真モードで見ると一目瞭然。
日野上川が建設会社の北側で備中川に流入しているが、それが現在の川道。建設会社の南側が旧川道となり、その流入部分に架かるのが今回ご紹介している簗瀬橋となる。
新しい川道に架かった橋も、同名の簗瀬橋。ますます撤去フラグが濃厚に…。
余談だが4枚目写真の親柱、ストビューでの変遷を見ると、2014年1月までは所定の位置に危なっかしく現存していたが、2018年9月撮影分では姿を消してしまっており、最新の2021年4月撮影分でも無くなったまま。
失われたのかと思いきや、現地ではあのように転がされていた。川道を埋めた際に落っこちていたのを引き上げてもらったのだろうか?けど撤去前提なので所定の位置に戻すまではしない、とか…?
なにはともあれ。
当然下からも見てみる。
ここまで触れなかったけど、この欄干の仕上げがいいよね~。あえてザラザラなラフ感を活かしたこういうの、なんて呼ぶのかわからないが。ナントカ仕上げ?
Q地図様によると、橋梁点検の判定区分は「2」(予防保全段階)ということで
素人目に橋そのものには大きな傷みは見当たらなかったが、
橋台の基礎部分あたり、
けっこうヤバイ感じにはなっていた。
まあそれでも、
昭和10年から架け替わっていないのだとしたら
非常に良好なコンディションじゃないのかな。
そんな印象。
最後に、本来なら日野上川河口部分だった位置からの、見上げサイドアングル。
完全に存在意義を失ってしまったからには、撤去もやむなし。けれどもこういう戦前橋ならではの自由なコンクリートづかいの意匠は今や貴重品で、どんどん姿を消しつつある。それがもったいないのだが、これもまた世の流れか。
この遠征、岡山県内でここを含めて3か所、「ああ、このタイミングで訪ねられてよかった」と感じた橋があった。残り2か所もできれば早いうちに記事にしておきたいとは思っているが、うち1か所はちょっとボリューミーなので気力がある時でないと…(笑)。
以上。