2016年5月2日、石川県シバキまわしツアー2日目。この日のネタで記事にしているのはアリスの橋、宮島隧道、大岩橋梁、地代隧道。今宵ご紹介するのはアリスの橋の45分ほど前に訪ねたトンネル。
まずはこれ。
目指すトンネルの手前、道端にこんなのを見つけて停車。これは、いわゆるひとつの…アレでは?場所はこちら。
やっぱそうだな。
見るからに右下のは扁額。そう、訪ねたトンネルの名前は「真仏道(しんぶつどう)トンネル」といういわくありげなものなのだった。
左下のはなんだろう、よくわからなかったが、いずれにせよ旧隧道のものか?
一番デカい石碑、現地では例によってよく読まなかった。
そのことで時々後悔したりもするんだが、さて、この石碑には何と刻まれていたか。ちょっと長いが、目のリハビリを兼ねて書き出してみよう。
真仏道ニ思ウ
往時 小野ヨリ西明寺ニ至ル道ハ、尾根ヲ越エ谷ヲ渡ル細キ道ナリ。大正期ニ入リ林産物ノ需要増大シ、搬出路改良ノ必要ニ迫ラレ、幅員二・七米ノ林道開設ニ着手ス。尾根越エノ難所ハ延長百米ノトンネル掘削ヲ試ミルモ、人力ニノミ頼ル難工事ニテ、苦節九年ヲ要シ昭和三年十月漸クニシテ開通ス。
コノ道路開削ノ爲、村人ノ説得、県ヘノ度重ナル請願等ニ渾身ノ情熱ヲ傾ケタル人有リ。小野ノ西照寺二十七世住職小野世雄師ナリ。
師ハ篤ク仏法ニ帰依スル身トシテ、仏ノ加護ヲ謝シ「真仏道」ノ名ト「爲衆開法蔵・広施功徳宝」ノ経文ヲトンネルニ掲ケラル。当時県下有数ノトンネルノ完成ニ近郷在住ノ人々驚嘆シソノ偉業ノ経緯ヲ今ニ語リ伝ウ。
幾星霜ヲ経タル今日、国・県ノ尽力ニヨリ幅員八米ノ大改良成ル。喜ビ真ニ深甚ニシテ懐旧ノ念ニタエズ、茲ニ由来ノ大要ヲ記ス。
平成三年七月
福岡町
小野自治会
なるほど。通常なら小野や西明寺といった地名が当てられそうなところ、
この一風変わった名称は、林道/隧道開削に尽力した小野住職による命名だったいうことか~。で、平成初期に大改修を受けたが、オリジナルは延長100m、幅員2.7m(これは林道の幅員だが)だったと。
で、上のは扁額だったはずだが、もう一つのこれ。
小野住職が隧道に寄せた、「爲衆開法蔵 広施功徳寶」が刻まれた銘板。
お経的に読むと「いーしゅうかいほうぞう こうせーくーどくほう 」となるようで、調べてみたら「仏は人々のために教えの蔵を開き、功徳の宝を広く施す」という意味だそう。
これはどういう位置に掲げられてたんだろうか。改修前の姿が見てみたくてネット上を探してみたのだが、今のところ収穫ナシ。
ひとつ気になるのが、この銘板にガッツリと「昭和二年十月竣工」と刻まれているのに対し、石碑では「昭和三年十月」と一年の誤差がある。おそらく石碑の間違いだと思われるが…。
さて、そんな改修後の真佛道トンネル。
かつては「隧道」というワードの方が似合う素敵なビジュアルだったのだろうな~。
北陸でよく見る、一文字ずつのパネル扁額。
なんかメタリックでカッコいい。
銘板があったが、
もちろん改修時のものだ。こちらは「仏」だが正式名称は「佛」?
延長は125mとある。石碑によればオリジナルは100mだったそうだから、けっこうガッツリ掘り下げられたのだろうか。
てか、さっきの写真の土被りの薄さを鑑みるに、
もしかして一旦開削されて今の姿に仕上げられた、実質的なスノーシェッドみたいなもんなのかもしれない。
抜けて、東側(西明寺側)坑口。
やっぱりそんな気がする。実質スノーシェッド。これ、地形も相当変わってしまってるかも?
最後に、名付け親たる小野住職がおられた西照寺。トンネル北側の小野集落の県道に面して、もちろん今もある。
立派なお寺だ。
お寺のそばに石碑があり、よく見てみると「日本の福祉の父 小野太三郎翁生誕の地」とある。恥ずかしながら知らなかったのだが、1840(天保11)年生誕・1912(明治45)年没、社会福祉事業を個人としてわが国で最初に行ったのがこの人なのだという。ウィキ先生などでは金沢生まれとなっているが、まあそこは掘り返さない。
同じ小野姓、小野世雄住職の直接のご先祖なのかどうかはわからないが、こうした偉大な係累の人物に影響されて、地域のために尽力する人柄の土台が出来上がったのかもしれない…なんて思った。勝手な感想だけど。
以上。