2011年7月16日、この趣味で初めての紀伊半島(和歌山県)彷徨、初日。この日のネタで記事にしてるのは、時系列で薬水橋梁、麻生津橋、初生谷の人道橋、毛原宮の参宮橋、旧・西原橋、下湯川のプチ未成道、法事隧道、寒川の吊り橋。
今宵ご紹介するのはこれらよりも前、この日最初の物件。我がキャリア(謎)屈指の「呼ばれた系」物件である。
「呼ばれた系」とはわたくしが勝手に言ってるだけだが、「まるで目に見えぬ何者かに導かれるように、期せずしてめぐり会った素晴らしい物件」のこと。同業者ならば…つうかいろんな趣味の分野でそういうことあるんじゃないかと思うのだが。
で、この橋はどういう感じだったかというと、夜半に家を出て、最初のターゲットである薬水橋梁目指して国道24号をノンストップでひたすら南下、給油のために初めて停まったガソリンスタンドからふと遠くを見たら…
「あった」んですな。
この橋が。場所コチラ。これは北西からのサイドアングル。
いやもうビックリした。同業者ならわかっていただけるでしょ、こんなん出ます?たまたま停まったとこで。しかも出来すぎなことに夜明け直後のナイスタイミングで。
これ絶対呼ばれましたやん。感動した。
楯状の輪石が目を引くが、よく見ればコンクリートアーチであるよう。アーチの見え方で察しがつくと思うが、この橋、けっこう斜めってる。煉瓦ならばねじりまんぽになるレベル。
で、これは記事を書くにあたって写真を見返して気づいたが、輪石(意匠)の大きさが変化している。写真で言えば、対岸に向かって徐々に大きくなっているが、これはやはり斜めに架かっていることによる荷重配分に基づくもの…なんだろうか、知らんけど。
そして…やはりこれ。
中央にあしらわれた、寿さんの好きそうな獅子頭のレリーフ。
なんとも凄いな~これ。どういう意味を込めてるんだろうか。やはり…「下々の者たちよ~」だろうか(笑)。
それと、わたくし見つけてしまった。最初の写真でもよく見ればわかるが、
石の銘板。
土木部長、主任技師など工事関係の人名が五名分刻まれており、それらはなんとなく元写真では判読できる気がするんだが、左端にもう一列刻まれている内容がさっぱり判読できない。うむむ…悔しき。
誰か見てきて
初見では獅子頭レリーフに目を奪われたが、
欄干意匠とその直下にある大きなデンティル(鋸歯状装飾)もまた、異形ですな~。
そう、いささかドぎつい印象ではあるのだが、そこがいい。
そして正対。
この見え方だと、川に対しての斜交ぶりがよくわかるかと。
ここでようやく、お名前が判明。
「端駈橋」。
とはいえ現場ではなんて刻まれているのか、いまいち自信がなかったな~確か。
右の親柱には、
「葛城川」。
渡りまして、
南側からの正対。
判明したお誕生日は
「昭和三年三月架換」。架換ときたか~。気になるやつやん。
そして、いまいち自信なかった橋名の読み方は
むむむ?(笑)
「はな」は読めた。漢字も思い出しながらよくよく見て、これは…「はなかけはし」?と。(帰って調べたら正解だった)
当然コチラ側にも、
らいよんちゃん(関西限定)が。
これは名のある橋に違いない…と帰って調べてみれば、やはりだった。土木学会近代土木遺産Bランクの充腹アーチで、詳細情報欄には「キーストーンにライオン頭部のレリーフがついている(上下流で表情が異なっている)/楯状のアーチ迫石とデンティル/高欄にグリル」とある。
え!上下流で表情が違うって!?
二枚目写真と見比べていただくと、確かにその違いが…
よくわかんないね~(笑)。
いや、拡大してよく見ると、こちらの方が口の開け具合が小さいようだ。なかなか微妙な差やな~。
あと、わたくしの所蔵する知る人ぞ知る橋のバイブル「関西の橋づくし、橋めぐり(明治安田生命「関西を考える会」編纂)」でのこの橋の説明の中に「欄干のモチーフは奈良県の「奈」の文字を図案化したもののように見える(石田成年氏・柏原市立歴史資料館)」とあり、言われてみれば確かにそう見える気がするな。
自分の中で、この趣味初期の代表的な「呼ばれた系」物件・端駈橋。
夏の早朝の素敵な出会いでありました。
以上。