網掛隧道 (和歌山県有田郡有田川町二川) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2011年7月16日、この趣味で初めての紀伊半島(和歌山県)彷徨、初日。この日のネタで記事にしているのは、端駈橋薬水橋梁麻生津橋初生谷の人道橋毛原宮の参宮橋旧・西原橋下湯川のプチ未成道法事隧道寒川の吊り橋

 

今宵ご紹介するのは、時系列では下湯川のプチ未成道と法事隧道の間に訪ねた、多くの物件のうちのひとつ。

 

 

いきなり、ドン。

無骨な、昭和半ばテイストのコンクリート隧道。現在地はこちら。二川ダムのすぐそばである。

 

地図でわかるとおり、明らかに国道480号の旧道。位置的に、ダム建設に伴う付け替え道路だったはずだが、旧道化?

 

結論からいえば、この隧道に銘板はなかった(…はず)。Q地図によれば、1962(昭和37)年完成、延長は64mとのこと。二川ダムは1959(昭和34)年着工、1966(昭和41)年完成ということなので、やはりその時期だった。ちなみに現在の路線名は、有田川町道網掛隧道線とストレートなもの。

 

 

 

 

扁額には、

…読めませんな。「山紫水明」ではなさそう。

 

 

 

 

洞内は、

照明もあるものの、点灯していなかった。

 

 

 

 

で、一応二車線ではあるが、いかにも狭い。

そして急なカーブ。旧道落ちしたのはこれが原因だろうと思われた。

 

 

記事を書くにあたって改めて調べてみたら、興味深い記録を見つけた。平成3年2月 和歌山県議会定例会会議録 第6号がそれで、西本長浩議員の質疑及び一般質問の中の一節にこのようなものがあった。

 

(前略)

県道有田高野線の網掛隧道はダム建設関係でつくった隧道でありますが、極端な急カーブで死傷者が数多く出ておる状態でございます。また、二川地区の中央部、左岸、右岸を結ぶ県道橋の二川橋も、老朽化の上、幅員が極めて狭く、軽四と軽四が行き違えません。あの大きな体の川原町長さんがその橋を歩くと、余計狭く見えるのであります。全くお粗末な橋梁で、これまた右岸側の県道側での事故発生が極めて多いのであります。二川住民に渇水で大きな迷惑をかけていながら、一体このような状態をいつまで放置しておくのか。この二川橋と網掛隧道を超特急で改良すべきと強く思いますが、知事並びに土木部長の御決意をお伺いいたしたい。

(後略/赤字はわたくしによる)
 

アッツイなあ…。ということで、建設当時はまだ県道だったこともわかったりしたが、やはり危険な隧道として問題になっていたようだ。

 

 

 

 

ちなみに中間の二川橋は1km少々下流の有田川に架かる橋で今記事に直接は関係ないのだが、もらい事故的にディスられる当時の町長(笑)が面白くてそのまま引用した。

 

結局現在も狭い橋のままなようだが、

半分だけ架け替えられているようだ。近年の災害で被災したものかと思われる。

 

 

 

 

さて、「超特急で」改良されたとまでいえるかどうかはアレだが、隧道をパスする新道に架けられたその名も「網掛橋」には、

「平成12年6月竣工」の銘板。西本議員の熱い質問からほぼ10年後のことだ。

 

参考までに、西本議員の質問に対する県土木部長の答弁は、

網掛トンネル前後の曲線部の線形改良については、直線化することにより距離が短くなるため、道路の縦断勾配が基準値を超えること、清水老人憩の家の施設の一部が道路用地として必要となること等、解決すべき課題がありますので、交通の実態も踏まえ、今後、対応策について検討してまいりたいと考えております。

 

というものだった。もろもろクリアしての10年後ということだが、基準値を超える縦断勾配はどう解決したんだろう。盛り土なんかで緩和したのかな。

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

あんなとこに車を停めても問題ないくらいに、こっちを通るような奇特な車両は一切ない。向こうに見えている建物は、二川ダムの管理事務所。

 

 

ストビューを見る限り2023年3月時点でもこの旧道が閉じられずにいるのは、この管理事務所の存在、そして先の土木部長答弁にもあった「清水老人憩の家」と二川ダム駐車場入口が旧道側にあるためだろう。隧道については閉じられても不思議ないように思うが、なぜかそうはなっていない。

 

とはいえ、他の方のレポなどを見ると、2016年前後には簡易に封鎖されていた時期もあるようだ。死んでんのか生きてんのか、いわゆる(なにがいわゆるやねん)リビングデッド隧道ですな。

 

 

 

 

抜けまして、振り返り。

向こうもだったが、こっちはさらにデコ広いな~。

 

 

 

 

扁額は、

網掛隧道。

 

揮毫者は、1947年から1967年の5期20年にわたり知事を務めた小野真次氏。反対側のも同様だったが、こっちはだいぶ読み易い書体ですな。

 

 

 

 

悪線形が仇となった網掛隧道。

このままひっそりとリビングデッドであり続けるのだろうか。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、いまいちちゃんとまとめられなかったな。