全身蜂の巣 -2ページ目

全身蜂の巣

煩悩を持て余せ!

 

 

さきほどNHKさんで放送のあったこの番組、

 

 「謎解き!ヒミツの至宝さん 国宝 阿弥陀二十五菩薩来迎図」

 

もう、放送開始直後から、私たちPerfumeファンが一斉に同じシーンで全く同じことを総ツッコミした番組だったろうと思う、いや、だった。

 

 

 

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   (国宝 ”早来迎”)

 

①飢餓や疫病、蒙古襲来など過酷で切迫した時代に、人々に”救い”の情景を伝えるため、それまでの常識にとらわれず、新しい表現を編み出したものが”早来迎”

 

 

最初のテーマ設定が明かされたときに、”もしや”、と、製作スタッフさん達に対するある疑念が浮かんだあたりから、我々Perfumeファンの足並みはキッチリと揃ったはずである。

 

 

 

 

過酷な時代の人々にとって、切実な仏の”救い”のディテールを伝えてくれる稀有な作品だったという”早来迎”

その”稀有”な理由がつぶさに語られた。

 

 

*革新的な構図

 

*お手本の無い中、異常と言える段違いのレベルの構想力や発想力で描かれた

 

 

それまでの一般的なやり方として、昔の人は”お手本”を代々伝え、そこにアレンジメントやコラージュを施して新しい絵を作ってきたという。

だが、この”早来迎”はそんな”お手本”もない中、前例のない俯瞰の構図など頭一つとび抜けていて異常だと専門家の先生が語る。

異常だから”国宝”になっているのだ、とまで言い切っている。

 

 

 

 

う〜んっ、ここでこの番組を見ていたPerfumeファンの心の声を言語化してゆくことは少々無粋に感じるが、あえて羅列してみようと思う。

 

 

 

 

世の中の大衆芸能産業が、欧米文化の上滑りな模倣に過ぎないアーティスト路線に傾き、感性に響かないと切実に感じていた中、

 

 ”救い”

 

のディテールを伝えてくれる稀有な表現集団が現れたと思わせてくれたPerfumeさん。

 

 

 

 

 

 

*革新的なサウンドトラック

 

*欧米文化の模倣ではない日本文化に則った表現を感じる振付演出

 

*異常と言える桁違いレベルのダンス能力や、柔軟で素直な人間性を持ったフロントメンバー

 

 

 

 

Perfumeさんの表現には”お手本”という陰を感じない。

その理由として、いろいろな考察が溢れているが、私個人は当事者の方々の発言に重きを置いてPerfumeさんを眺めている。

 

 

*中田ヤスタカさん発言=「誤爆」

 

 

 

 

*MIKIKOさん発言=「事故」

 

 

 

 

さらに、国宝”早来迎”に於いては、厳しい時代の最中、

 

 ”多くの人々にわかりやすく”

 

そんな発想からの俯瞰での斬新な構図であり、かつ、

 

 ”困難な時代が生んだ、究極の救いの絵”

 

・・・だという。

これはもう(みなまで言うな)

 

Perfumeファンに”ココ”は解説不要と信じている。

 

 

 

 

そんなことを心の中で思っていると、番組MCの伊集院さんが”誘導”してくれる。

 

 

MC伊=「多くの人々に、わかりやすく”救いのイメージ”を伝えようとした」

 

 

その発言を受けてのPerfumeメンバーの受け答えは、まさにPerfumeファンの通ってきた心情そのものではないのか。

 

 

の=「初めて観た人はビックリしたんだろうね」

 

か=「絵の中に自分を置き換えられる場所がある」

 

 

 

 

 

柔軟で懐の深い表現を誇るPerfumeさん。

 

 ”初めてPerfumeを観たときに、自分を置き換えられる場所がある、と感じ、心底驚いた”

 

今までに感じたことのない、

概念言語に変換できない衝撃に心から感動したのは私だけではないはずである。

 

 

 

 

MC伊=「誰もが一人残らず救われる」

 

 

本格的なビジュアルアートを思わせるけれども、どんな生き方をしてきた人も受け入れる間口の広さや敷居の低さを併せ持つPerfumeさん。

もう、番組MCの発言すべてがPerfumeさんのことに思えてくる。

 

 

 

 

 

 

番組冒頭で私は確信した。

この番組のこの回は、Perfumeさんの偉業を”国宝 早来迎”の魅力を紐解く中で炙り出しにかかっているのだ、と(ほんとかっ)

 

以下、番組の流れに沿ってサラッと行こう、サラッと。

 

 

 

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②仏様がいろんな楽器を持っている、みなさんにはどんな音楽が聴こえる?

 

の=

*和楽器の笙(しょう)の音のような”ファーッ”

*自由なセッション風

*ヒーリング音楽

*誘う感じ、やわらかい、眠りの延長のような感じ

 

 

 

 

か=

*歓迎の祭りのような、激しい感じ

*いくつもの楽器の音が聴こえる多重奏

*きらびやかで豪華な音楽

*明るい世界へようこそ、な感じ

 

 

 

 

 

あ=

*ピーヒャラ系

*完全に祭り

*高い音が耳にキーンと来る感じ

*たちまち迎えに来る感じ

 

 

 

 

MC伊=「普段は馴染みのない仏画でも、描かれた楽器が奏でる音楽を想像することで、身近に感じることができる」

 

 

 

 

 

 

ここは、私の脳内で、すべて”中田ワークス”のことであると自動翻訳された。

シリーズ性を放棄したような多彩で多様な音楽性を誇る”中田ワークス”群。

 

 

 

 

受け手のタイミングによって、様々な解釈が成立しやすい”中田ワークス”

行き先が”極楽浄土”という共通項は、もはやブラックユーモアか、と自己ツッコミをしてしまった。

 

 

 

 

 

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③なぜ”早来迎”は、猛スピードで迎えに来る仏を描いたのか?

 

あ=

「ちょっパヤ(早)」

か=

「自分も風に吹かれている感じ」

の=

「あぁ、やっと来てくれたんだ、いい人生だったね」

 

あ&か=

「やっと会えた感」

 

の=

「どんな状況でも仏が迎えに来る”逃しませんよ”っていうことを見せたかった」

 

か=

「その、生きてるときと亡くなる瞬間の、その意識がなくなる最期の瞬間に、こう、自分の意志を以って仏様と対面できるっていう速度。ギリでギュンって来てくれるみたいな」

 

 

MC伊=

「どんな季節でも仏たちは、たちまち迎えに来てくれる大きな安心感を人々に伝えたい」

 

 

Perfumeさんの躍進時期と重なるように、偶然ではあるけれども動画配信サイトであるYouTubeの台頭があった。

 

 

 

 

 

 

時代性が変化を促した”情報のスピード感”や動画ならではの情報量がもたらす”臨場感”、そんなことをたちまち連想したのである。

 

 

 

 

推しアーティストと向き合うスピード感や、いつでも自分の都合の良い時に情報を取りにゆけるという大きな安心感、そんなところが非常に似ているのではないか。

 

 

 

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④発見!驚きの技 なぜ多くの技巧が?

 

あ=

「我はこの絵を描かねば死ねず!」

「アーティスト魂が騒ぎまくった」

 

 

 

 

の=

「なんか、だから、バラバラにこの情報をして(描いて)もよかったってことですよね。これだけの情報量が入ってて。だから、どうしてもこの絵一枚に収めなければいけなくて”このお寺、この御堂、ここに描いて欲しいんだ”って、頼まれちゃった?」

 

MC伊=

「決まったスペースが先にあったから、もう入れざるを得なかったと!」

 

 

 

 

 

か=

「なんかその、世界観の奥行きと、身分、その阿弥陀如来さまと菩薩さまたちの差とか立体感を描きたかった?」

 

 

 

 

 

先生=

「仏たちの存在感を浮かび上がらせるための技巧」

 

裏彩色という絹のキャンパスの特性を生かした凝った彩色法により、繊細な描写がなされているという”早来迎”

 

 

 

先生=

「描くこと自体が信仰であり、仏様に接することになる」

 

MC伊=

「見る者を救う絵なのはもちろんなんですけど、描いてる作者自身も、救われる仏画を描きたかった」

「これは、なんか、その、Perfumeのみなさんも、表現をする立場だから、そういうような面はありますか?」

 

か=

「う〜んっ、なんか、楽曲と楽曲の間の暗転とか、移動の仕方とか、普段、目に触れるところではないというか、見えない部分にもすごくこだわってるので、そういう背景にこだわりがあるからこそ表がすごくキレイに見えるっていうのはあるのかなぁ~って感じます」

 

 

 

の=

「描くほうも救われるっていうのが、こう、私たちもステージに立ってパフォーマンスすることで救われることもたくさん経験してきたし、その、なんか、同じもの、通ずるところももちろんあったし、裏側の見えない努力だったり、その作品への愛だったりっていうのが、直接は表には見えないけど、なにか滲み出る執念みたいな、そういう印象でした」

 

 

 

 

ここにきて、まだ解説が必要なPerfumeファンなど一人もいないのではないだろうか。

前例のない繊細な技巧を惜しみない研鑽によって披露してくれるPerfumeさんたち。

 

 

 

 

 

そのライブステージに於いてはPerfumeの表現がオーディエンスと呼応し、大きく循環するような感動の渦を引き起こしてきたのだ。

 

 

 

 

間違いない、この番組、”国宝”の佇まいを借りて、”国宝級のPerfumeさんたち”は真の国宝であると広く一般大衆に知らしめるための番組だったのだ(ほんとかっ)

 

 

 

私は常日頃、心の内で感じていることがある。

この番組で、当事者である”かしゆかさん”が”国宝 早来迎”と向き合ったことによって感じたことが、そのまま私の心情のように思えた。

 

 

か=

「なにか心の拠り所にするものがあるだけで、気持ちが変わるっていうのは、昔から今もずっと変わらないんだなっていうのを感じました」

 

 

 

 

 

 

 ”誰もが一人残らず救われる”

 

Perfumeさんは宗教に近いのではないのか、とか、そのステージを拝みに行く行為は信仰と言えるのではないのか、とか、無責任に書き殴ってきた私には、この番組の内容が心の深くにまで響いた。

 

 

 

 

そこまでではないにしろ、ボンヤリとPerfumeさんの活躍と重ねながらこの番組を見ることになったPerfumeファンの方は少なくないと思う。

 

 「謎解き!ヒミツの至宝さん」

 

国宝級の3人がMCと呼応しながら番組が進行する。

そこを、番組企画段階から制作陣が見越していた、という仮説が、回を重ねるごとに確信へと近づく。

 

 

 

 

いやっ、私にとってPerfumeさんはすでに”国宝”なのだから、古の国宝が現代の先生方の力を借りて現代の国宝というべきPerfumeさんと語り合う番組ではないのか、そんな気がして仕方ない。

これは、単に”惚れた欲目”ということだろうか。

 

あなたは何を想っただろう。

 

 

 

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・・・「国宝」・・・とお思いのアナタ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・「間違いない」・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *追記

気合い入れて書いたつもりの記事ですが、見返すと凡庸な記事ですね、もっと上手くPerfumeさんを表現できる方にこういった内容は委ねたいと思っています。

 

 

 

 

 

なにが、”Perfumeの法則”だ、と、今思われたことでしょう。

でも、私はついにPerfumeさんに関する大発見をしたのです(ほんとかっ)

 

それでは私の研究成果を見ていきましょう。

 

 

 

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   (Perfumeの法則 )

 

①掟ポルシェとPerfumeの3時間 DAX Live 2006 8/23

 

この有名な動画、実は”のっちさん”が番組内企画の電話対応時、気合い入れのためにサングラスをおもむろに手に取る場面があります。

そして、あっという間に、すんなりと自分のものでもないサングラスを掛けたのです。

この動画の初視聴時、結構大きめの印象というかインパクトを感じたのは私だけではないはず。

 

*参照 動画「Pe-掟ポルシェの3時間 06」   の9:47あたりから
 
 
 
 
この後、約1年後に、木村カエラさんに”チョコレイト・ディスコ”を見出され、躍進するキッカケをつかむことになるのは周知の事実。
 
 
 
 
Perfumeメンバーにとって、”サングラス”を掛けるという行為は、なにか、ええっと~、あっ、そうだ、仮面ライダーの変身の儀式のような大切なものなんです(ほんとかっ)
 
 
 
 

 

 

”手メガネを作って運気を呼び込む のっちさん”

 

 

 

 

 

 

”これは仮面”

 

 

 

 

 

 

 

② 2011年 P.T.A.内、コーディネイト企画

 

たしか、2011年のP.T.A.企画だったと思うのですが、原宿のショップでコーディネイトを3人で競うゲームを行ったPerfumeメンバー。

そのコーデの最中に伊達メガネを見付けてかけてみる”かしゆかさん”の画像が、コレ、アレっ、

違ったか?、霧に囲繞された曖昧な記憶の中、しったかぶりで記事書いてます(こらこらっ)

 

その様子のダイジェスト映像が、2012年に配布されたP.T.A.DVD Vol.4にあったような、アレっ、違ったか?霧に囲繞された(わかったっ、わかったっ)

 

 

 

 

この姿も珍しいといえば珍しいのですが、これは、”メガネ”

たしか「シャンデリアハウス」でもメガネ姿を見た気がします。

 

 

 

 

やはりここでは、”サングラス編”ということで、探してきました。

たしかこれはプライベートで2012年にハワイ旅行に行った時のスナップ。

2012年8月24日の MUSIC STATIONで見せてくれた写真です。

 

 

 

 

2ショットのお相手は、仲良しの秋元 梢さん。

”かしゆかさん”のサングラス姿、ほかになにかあったっけ。

メガネ姿であれば、NHK MJ内でPerfumeメンバーみんながメガネをかけた回がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”記憶の中では、この場面で”かしゆかさん”サングラス掛けてた気がしていました”

 

 

 
 

 

 

 

③GIRL POP 2004 Vol.70

 

ビタミンドロップのリリースに伴うプロモーションとしての雑誌媒体の取材にて、めずらしく、”あ~ちゃんさん”がサングラスを掛けるというか、頭に載せています。

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
みなさんよくご存じの”キミイケめがね”のプロデュースや”めがね男子推し”など、なにかと”めがね”にこだわりを感じる”あ~ちゃんさん”
 
 
 
 
 
 
 
っと、ここまで執拗にPerfumeさんと”メガネ”、そして”サングラス”について記憶を辿ってみました。
他に何か思い当たる方がいらっしゃれば教えてください。
たしか、鯖江市謹製の本格的なメガネフレームの販売もあったような、気のせいのような(しっかりせんかい)
 
 
 
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近況としての”TASAKI”さんのイベントでのサングラス姿。
 
 
 
自分のPerfumeファンとしての直感として、サングラス姿のPerfumeさんがファンの前に現れると、そのしばらく後にはPerfumeさんにとって大きな出来事が起こってきたような感覚があるのです。
 
ちょっと整理してみましょう。
 
 
 
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   (Perfumeの法則 ”サングラス編”まとめ)
 
 
① 2006年のっちさんのサングラス姿
 
 
→2007年木村カエラさんに見出される
 
 
 
 
 
② 2008年春 MV シークレット・シークレットでのサングラス姿
 
 
→2008年末 NHK 紅白歌合戦 初出場
 
 
 
 
 
③ 2009年 DISCO!MIXでのサングラス姿
 
 
→2010年東京ドーム初単独公演
 
 
 
 
④ 2012年 かしゆかさん、ハワイでのサングラス姿
 
 
→2013年カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル出演
 
 
 
 
⑤ 2018年 FUTURE POPでのサングラス姿
 
 
→2019年 世界最大かつ最高峰の音楽イベントCoachella Fes 出演、ベストアクト16に選ばれる
 
 
 
 
⑥ 2024年春 TASAKIさんのイベントで3人揃ってサングラス姿を披露
 
 
→火星でライブ(無いっ、無いっ)
 
 
 
  *追記
→2024年5月28日 「椎名林檎とのっちー初KO勝ち」
 
→夢のコラボ作品がリリースされたでしょう。
私→の予言通りだったでしょう(んっ、自慢したいのか?)
→この事実を以って胡散臭い”サングラスの法則”がにわかに信憑性を帯びたでしょ(やれやれ)
 
 
 
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でも、よく考えてみてください。
Perfumeの3人が、揃ってサングラスを掛けたとき、しばらく後になにか凄いことが待っているという、この法則(法則?)
 
 
 
 
まぁ、Perfumeさんの物語は、ある時期から凄いことの連続であり、法則も何も、怒涛の躍進を続けているわけです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ということで、この研究は失敗に終わりました(えええっ)
 
そういえば、この方たちも、このサングラス姿あたりから爆発的に飛躍した気もするのです。
 
 
でも、”法則”というよりも、PerfumeさんもBMさんも、彼女たちの努力の賜物という見解のほうが至極妥当です(記事にする前に気付けよっ)
 
個人的には、サングラスよりも、
MARC JACOBS のメガネ欲しい(2018ファンクラブトゥアーの話、よく憶えてんなっ)
 
 
 
コレにコレを引っかけてっ、と、(なにやってんだよ)
 
 
ああっ、そうそうっ、ブログ書いてる途中でしたね(ヤル気完全喪失じゃないかっ)
 
 
 
当記事は、完全に空回りしました(どうすんだよっ)
 
そういうことです(どういうことだよっ)
 
 
 
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”急転直下の記事展開に苦笑いするPerfumeさん(ほんとかっ)”
 
 
 
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・・・「ちゃんと締めろよな」・・・とお思いのアナタ・・・
 
 
 
 
 

 

 

 

 

・・・「写真撮ってもらってる場合じゃないよっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

すこし哲学的かつ意味深な記事タイトルを付けてみました。

今のところ、この記事はノープラン(どうすんだよっ)

 

かなり遡って、2010年ころの私のPerfumeファンとしての想いなどを回顧してみようと思います。

 

 

 

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   (2010年のPerfumeファンである私)

 

①なにが”アイドル戦国時代”だ、性差と若さに重きを置いたアイドル文化に一切興味なし

 

②日本文化の本質を捉えながらも時代性にも乗った存在がアイドル文化から出てくるとは

 

③前年の⊿Tourの余韻を残しつつも、文字通り各界に衝撃を与えたPerfumeのこれからの動向は

 

④新奇性が陰る中、第9弾シングル「不自然なガール*ナチュラルに恋して」リリース

 

 

 

 

Perfume人気の新奇性に引っ張られるように、世の中の”アイドル”に対する見方、視線の向け方が微妙に変化してきたのはこの頃ではないのか。

 

 

 

 

日本の大衆芸能産業がアーティスト志向に若干傾いていたところに風穴を開けた格好となったPerfumeさん。

 

 

 

 

ここからの動向、一挙手一投足に関心が高まる中、2010年4月にリリースされたニューシングルのタイトルは、

 

 「不自然なガール*ナチュラルに恋して」

 

これはもう、渾身の自虐ダジャレ?、と、当時の自分は思ってしまった。

 

 

 

いままでの日本の大衆芸能界には無かったパッケージとしての新奇性、既存の枠組みから偶然逸れたことによって本質的な存在感を醸しているカリスマ性など、謂わば、

 

 ”不自然なガール”

 

・・・と、当時の私の目にPerfumeさんは映った。

そこに来て、ダブルA面のシングルタイトルのもう一面は、

 

 ”ナチュラルに恋して”

 

戸惑いを感じた。

こいつら、私の心情を見透かして心を弄んでいるのか(ちがうちがう)

 

 

 

 

たしかに、本格的なサウンドトラックや、明らかに欧米のスタイルにはない振付演出など、これまでの日本の大衆文化に感じていた上滑りな欧米文化の模倣や輸入といったスタイルの対極を目指して彗星のようにさっそうと登場したPerfumeさんたち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしフタを開けるとそこには長い下積みがあり、さらには埃にまみれた日本文化を再構築してやろうなどというハーコー(ハードコア)なイケイケ感はなく、いたずらな前衛性を振り回そう、などという思惑も一切透けて見えてこない。

 

 

そんな深読みをしようとしている自分が恥ずかしくなるくらいに、Perfumeという表現集団の最前に立つメンバー3人はとても自然体だった。

 

当たり前のことを、当たり前に熟してきただけなのだから、もっと、

 

 ”ナチュラルに恋して”

 

・・・と、言われている気がしたのだ。

 

多分に自意識過剰であることはよくわかっている。

しかし、しかしである。

日本の一大衆芸能のユニットが、ビジュアルアートのようなステージをさっそうと披露し、各界のプロの方たちからも絶賛され、もっと奢り高ぶっても誰も文句を言わない状況まで頑張ってきたのにもかかわらず、

 

 ”ナチュラルに恋して”

 

・・・だとっ!

 

ここで芸術の偉人の言葉が脳裏をかすめる。

 

 

 「本当の芸術は、芸術だと自己主張しないもの」

 

 

大納得である。

この言葉こそ、今のPerfumeさんのことをそのまま言い表しているではないか。

 

そうこうしているうちに、Perfumeさんは秋口に向け、東京ドーム単独公演をやると言い出した。

私は苦悩する。

 

 

 

 

 

 

私の中の悪魔=(私は若くて可愛い女の子3人組に”ナチュラルに恋して”のこのこと東京ドームまで足を運ぼうとしているのか)

 

私の中の天使=(いやいやっ、アイドルというには不釣り合いなくらいに崇高な芸術性を発揮している、言わば神道に基づいているような古来よりの清楚な様式を思わせる”不自然なガール”をしっかりこの眼で拝みたいのだ)

 

 

 

 

多くのPerfumeファンが”東京ドーム”にざわつく中、私の心の最奥部で悪魔と天使が闘い続けたというのが、2010年の私のPerfumeファンとしての回顧なのである(んっ?んっ?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、この年の(2010年5月)の音楽雑誌「音楽と人 192号」にはPerfumeさんのシングルプロモーション特集記事が掲載された。

記事冒頭には、意味深に、

 

 ”信じる心を”

 

と、キャッチコピーが躍る。

 

Perfume=「Perfumeが大きくなって、いろんな人の愛情や思いをいただけるようになったけど、逆に3人は距離というか、Perfumeらしさをわかんなくなってたところがあって、それをちゃんと取り戻すことができたんです」

 

 *音楽と人 192より引用

 

 

記事中、深く印象に残ったのは、”のっちさん”の語るこのお言葉である。

 

 

N=「すごいテレビ的な売り方をしたらとか、もっとクラブよりにいったほうがいいよとか、そういうのあるけど、やっぱりPerfumeはそのどっちかじゃなくて、真ん中なんだな、って」

 

 *音楽と人 192号より引用

 

 

 

 

Perfumeの”のっちさん”がこの駄記事に強力な補助線を引いてくれている(んんっ?)

回顧録としての私の2010年、やっぱり理性が”不自然なガール”を熱望しつつ、感情としては、”ナチュラルに恋して”いたいと思っていたのだ。

つまり、

 

 ”真ん中”なんだな(コラこらっ、のっちさんのお言葉っ)

 

 

 

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”私に冷たい視線を向ける のっちさん(ちがうだろっ)”

 

 

 

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どうだ、素晴らしいファンブログであろう(んんっ?)

これからも、正しいファンブログを書き続けたいと思う(んっ?人として合ってるのか?)

 

私はこの年、

 

 

 ”不自然なガールを強く意識しながらも、ナチュラルに恋していこうと思った”

 

 

ふっ、決まった(ダサいことこの上ないっ)

 

 

 

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”2010年といえば、PS 2010 5月の写真はよかった(回顧)”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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・・・「どういう記事だよ」・・・とお思いのアナタ・・・

 

 

Blu-ray&DVD "Perfume Countdown Live 2023→2024 'COD3 OF P3RFUM3' ZOZ5"

 

 

 

・・・「これからも、もっと応援するってことだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

某動画投稿サイトにて、脳科学者の中野信子さんが関西大学 文学部の教授である石津智大さんと対談されている動画をたまたま拝見した。

 

 「なぜ人は”美”を必要とするのか

 

文〇春秋さんのchであるため、オマージュ先、引用元として記しておく。

 

 

 

ただ、長い対談内容の無料開示部分だけであることと、対談が開始後の何分かは、脳科学的な脳の活動領域などに関するわりと専門的な話が続く。

 

 

 

冒頭数分で頭が痛くなりそうな専門の話に興味を持てなくなる私のような一般人の方がほとんどではないかと想像する。

 

だが無料動画の後半、専門的な知識を要求するような話が偶然逸れはじめ、文化人類学的な話だけれども、わかりやすく興味深い話に展開する。

 

 

 

 

なんといっても、日本の大衆芸能最強ユニット(個人調べ)のPerfumeさんのファンブログとしては、なんとも聞き捨てならない、

 

 ”美の認知”

 

という話題の神髄に触れてくれたような気がしたのだ。

もっとわかりやすく言い換えると、

 

 

 私=「どうしてステージ上の”のっちさん”は、あんなにも美しいのか?」

 

 

 ファンA=「どうして”あ~ちゃんさん”は、どんどん美しくなってゆくの?」

 

 

 ファンB=「どうして”かしゆかさん”は、人形のように美しいの?」

 

 

 

こういった、ファン特有の”こじらせ問題”の解が、この対談のスピンオフ部分に見え隠れした気がしたのだ。

 

 

 

 

長い前置きはさておき、さっそく本題に取り掛かろう。

あらかじめお断りしておくが、本編動画でのお二方は日本を誇る優秀な頭脳をお持ちの先生方であるが、その話を聞いている私はすでにPerfumeさん達によって ”全身蜂の巣状態” である。

つまり、この話は私の意訳、私個人の主観を通して自動翻訳された内容である。

 

どうか、そこんとこ 夜 露 死 苦 (バカ丸出しじゃないかっ)

 

 

 

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   (美の定義)

 

①文化、文脈、時代など、入ってくる情報量によって変化する性質を持つ”美”の領域

 

 

②生物の欲求に根差した、文化や時代に影響を受けないプリミティブ(原始的)な”美”の領域

 

 

 

先生方によると”美”の性質は、このように大きく分けて2つあるという。

この話を入り口に、中野信子先生が”美の認知”についてもう少し解像度を粗く、俯瞰で話を展開してくれた。

 

 

   (美と崇高に対する”快”の違い)

 

①崇高

 

自分より圧倒的に巨大な存在を見たときに「圧倒さ」「恐ろしさ」を受ける感覚

混合感情に根差した美的感情であり、心地よさよりもネガティブな感情になりやすい傾向がある

 

 例=アルプス山脈を肉眼で見たときに感じる”美”

 例=単独公演時、Perfumeさんのパフォーマンスを肉眼で見たときに感じる”美”(アレッ)

 

 

 

 

 

②美なるもの

 

崇高さを伴った美しいものよりも、もっとアクセスが容易く、スケールが小さいものや、かわいらしいもの

 

 例=アクセサリーなど装飾品の類

 例=あなたが長年、PCのファイルに貯め込んだPerfumeメンバーの画像

 

 

 

 

いかがであろうか、単純に美しいと感じるものを見たときに得られる快い気分と、崇高に感じる美しいものを見たときに感じる快さ、という二つの”美しいものを見た快さ”があるという。

 

 

 

 

より具体的な例を挙げておいたので、きっとPerfume脳のあなたにも理解可能な話に近付いたはずである。

なお、”例”の二つ目は中野先生や石津教授のお話を聞いていた私が勝手に連想したものを挙げたに過ぎず、先生方は一言も話されてはいない、誤解のないように(わかってるっ)

 

この段階からの中野信子先生の閃きに基づいた話の展開に、とても関心し、かつ、感銘を受けることになる。

 

 

   (美しいものを見たときに感じる二つの快さは、神道のコントラストに似ている)

 

①荒魂=あらみたま=荒ぶる神→”崇高な美的感情”と連続しているのではないか

 

②和魂=にぎみたま=やさしい神→単純な美に接するときの感情と連続しているのではないか

 

 

私の”意訳”が大きく混じっているので、とたんに分かりにくい話になったと思う。

中野先生の連想として、崇高さに内包される美しさと、スケールの小さな美しいモノから感じる美しさのコントラストが、神道にて大きく二つに分類され祀られる神様のコントラストに似ているとおっしゃるのだ。

 

う〜ん、ここらで頭痛くなってきた(オマエが書いてるんだろうがっ)

話が難しい(おいおいっ)

そこんとこ、そこんとこ 夜 露 死 苦 (このバカっ)

 

ここからが本題である(えっ、さっきもここからが本題って言ってたぞっ)

 

この中野先生の秀逸な閃きに触発されるように、石津教授の聡明な連想が働き、話が微妙に、かつイイ具合に逸れてゆく。

ちょうどスピンオフ映画を見ているような感覚に私の期待は高まる(この記述、必要かっ)

 

 

 

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   (中野先生の話は、文化人類学的な解釈と合致=by石津教授)

 

①荒神様を祀る神社がある村人

 

村人の構成員の結束が固く、人と仲良くなろうとする寛容さや共感性が高い傾向にある

 

 

*注 画像は本文と関係ありません

 

 

 

 

 

②和魂神を祀る神社のある村人

 

村人の構成員の結束が弱く、どちらかというと個人の利益を優先する傾向にある

 

*注 画像は本文と関係ありません

 

 

 

 

 

ここで、Perfume教授(教授っ?)である私はポイントきた、いや、違った、ピンときた。

 

 

以下、私見である。

 

 

 

 

   (Perfume物語は、文化人類学的な解釈と合致)

 

①Perfumeを崇高と感じているファンの集団

 

ファンの構成員同士の結束が高く、ファン同士仲が良い、そしてPerfumeの萌えポイントへの共感性が異常に高く、寛容な心で推し違いのファンを眺めている。

 

 

 

②ルッキズムに支配されたアイドルファンの集団

 

ファンの構成員同士に一定の距離感があり、同属嫌悪に近い感情で個人の”推し”を追いかける傾向にある

 

 

 

ちょっと言い過ぎた(かなりだろっ)

言いたかったことと若干逸れてきたので言い訳(言い訳っ?)させてもらう。

 

 

 

つまりだ、Perfumeさんの美しさには多分に”崇高”なものを目の当たりにしたときに起きる感情である混合感情に根差した美的感情を伴うことが多いのではないか。

 

 

もっと平たく言うと、Perfumeさんのパフォーマンスを体感するとき、Perfumeさんから崇高な美しさを感じていないだろうか?、ということだ。

 

 

ここで、石津教授はさらなる研究結果を引き合いに出してくれる。

 

 

   (カリフォルニア大学の実験)

 

①崇高さを感じるような大木が視界に入るように集められた人たち=集団A

 

②その大木が視界に入らない向きで立たされた人たち=集団B

 

 

この、集団Aと集団Bの間を通るように、大きな荷物を苦しそうに抱えた人を歩かせ、物を落としてみる実験をしたそうだ。

 

結果、崇高な大木を見ながらこの落とし物を見た集団Aの人たちは、積極的かつ自発的に手助けを買って出て、その落とし物を拾ってあげたそうだ。

 

対して、崇高な大木が視界に入っていない集団Bの人たちは、あまり手助け行動を起こそうとしなかったというのだ。

 

 

 

 

 

 

追加実験として、崇高な大木を見ている集団Aと、なにも視界にない集団Bに、それぞれ文章の穴埋めテストもしている。

 

 

 *テスト

「私は〇〇〇〇である」・・・この文章の〇〇〇〇部分に言葉を埋め込んで文章を成立させよ

 

 

 (テスト結果)

 

*集団A

=〇〇〇〇部分に「大学名」や「アジア系民族」など、所属集団や所属団体などが書かれる傾向にあった

 

*集団B

=〇〇〇〇部分に、「頭が良い」「足が速い」など、個人的長所を書き込む傾向が見られた

 

 

崇高なものを拝んでいる時、人は帰属意識や向社会性が高まることがこのカリフォルニア大学の実験によって検証されたというのだ。

 

 

 

 

勘の良い方はお解りのように、我々はPerfumeさんのライブを拝みに行くPerfume戦士である(言い切ってるが大丈夫か)

その戦いのためには万難を排してライブに臨む。

 

 

 

 

けれども、人を出し抜いてまでチケットを確保するような行動は慎み、ライブ後もPerfumeさんにふさわしいファンであろうとゴミを拾って会場を後にしたりする。

ライブ後にはファン同士、居酒屋に集合してPerfumeを愛でる会話で徹夜すら辞さない。

 

 

 

 

でも、特に自分が優良ファンとも思っていないし、ただただPerfumeさんの世界観やパフォーマンスやメンバーの人柄が大好きなだけである。

 

 

 

 

それでも、それでもこれだけは譲れない、これだけは言わせてくれと思っていたりする。

 

 

 「Perfumeさんはその生き方も含めて”美しい”、なんなら崇高ですらある」

 

 

こう思っているのは私だけではないはずだ。

この長ったらしい話をキリっと締めるためにも、もう一度大きな声で言っておこう。

 

 

 『Perfumeは美しいっ!!』

 

 

 

 

 

Perfume脳丸出しのバカな結論ではあるが、最後に、石津教授のお言葉でこの拙い記事に強力な補助線を引いていただこうと思う。

 

 

石津教授=「美的な概念なんだけれども、けっして、美術館の中とか、山の上とか、読書体験とかだけに閉じられたものではなく、社会において、他者に対する態度にも影響を与えるようなものが、美学の概念の中にはある」

 

 

 

大切なことなので復唱させていただく。

 

 

 

 『他者に対する態度にも影響を与えるようなものが、美学の概念の中にはある』

 

 

 

私の脳内自動翻訳機は、このように翻訳してくれる。

 

 

 

 『他者に対する態度にも影響を与えるようなものが、Perfumeの美しさの中にはある

 

 

 

 

 

 

 

 

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・・・「前フリに対して結論が軽い」・・・とお思いのアナタ・・・

 

 

 

 ”Perfumeさんは美しい

 

 

 

・・・「わかったっ、わかったっ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またTVで映画、それも金曜ロードショウ、見ただろっ、というツッコミは・・・。

 

 

 

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   (すずめの戸締まり+あやの の戸締まり)

 

 

①未来を閉ざす扉の中に迷い込むが、未来の姿(仮)を目にして現世にもどる ”すずめ”

 

 

 

①”ASHに単独通い始めるが、未来を予感させる人(A)に逢い、共に歩み出す ”あやの”

 

 

 

 

②亡き母が作った椅子の脚、一本欠けて三本となるが大切に使う

 

 

 

②”母の応援でソロアーティストを目指すが、三人組ユニットとなり3人で支え合う

 

 

 

③不思議な力を持つ青年 ”草太” と邂逅、未来と過去を行き来する扉の鍵を握る

 

 

 

③”不思議な曲を作る青年”中田”と邂逅、どこか懐かしい楽曲に乗って未来のアイドル像を構築

 

 

 

④偶然出会った多くの人に助けられながら、禍の戸締まりをしつつ未来への心の扉も開いてゆく

 

 

 

④”偶然出会った多くの人に助けられ、アイドルの枠を超え、世界への扉を開いてゆく

 

 

 

 

 

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物語の序盤、

 

 「あいつは自分の扱いが雑なんだよ」

 

と、友人に言われていた ”閉じ師” 草太。

 

”踊り子” 彩乃(えっ、踊り子?)も似たニュアンスのことを仲間に言われてきた。

 

 

 

 

 

一本脚の欠けた椅子に姿を変えられるも自己犠牲の元、世界を救おうともがく”閉じ師” 草太。

一人の少女と行動を共にすることによって徐々に自分と自分の未来を大切に思い始める 。

 

 

 

一方(一方?)一人メンバーの欠けたアイドルユニットに誘われアーティストを目指す ”彩乃”。

 

メジャーシーンの厚い壁に阻まれ足踏みが続く中、一人の女性に見出され、メインストリームに躍り出ることに。

仲間との絆が深まるにつれ戸締まりが厳重だった自分自身の心も開放、人見知りを克服してゆく。

 

 

 

 

 

少女”鈴芽”とともに大きな禍の扉を閉じ、明るい未来を掴み取る ”草太”。

そして(そして?)仲間二人とともに未来の鍵を手にし、Its Time to Shineを迎える ”彩乃”。

 

 

 

 

 

 

 

 

かけまくしもかしこき日不見(ひみず)の神よ。

遠つ(とおつ)御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ。

久しく拝領つかまつったこの山河(やまかわ)、

かしこみかしこみ、謹んでお返し申す。

 

 *引用 すずめの戸締まりより

 

 

 

 

 

 

 

信じること

信じ合うこと

信じた道を進むこと。

 

 *Perfume LIVE@東京ドーム「12345678910」より

 

 

 

 

 

 

 

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長々とくだらないコジツケ話に付き合っていただきました。

ただ、この二つのストーリーに共通するサブタイトル的な印象として、

 

 

 「現世(うつしよ)のわたしには、手の届かない話」

 

 

つまり、そのストーリーを堪能した後に囚われる重度の喪失感。

 

 

 「新海 誠さん、はやく次の作品を!」

 

 「Perfumeさん、はやく次のトピックを!」

 

 

締めの一言が閃きました(ほんとかっ)

 

 

 「よろしく おたのみ申す」

 

 

えっ、そんなことだろうと思ってたって?

そのツッコミ、

 

 

 「謹んで お返し申す」(もういいってっ!)

 

 

 

 

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”願いのPINOでも食べながら、良質なストーリーを楽しみましょう”

 

 

 

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・・・「微妙に重ならなかったな」・・・とお思いのアナタ・・・

 

 

 ”美は見る者の目に宿る”

 

 

・・・「謹んでお返し申す」