私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法

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このブログは、50代にして仕事と家庭を失い、人生を投げかけた中年男が、サブカルチャーを知り、BABYMETALの活躍に勇気づけられて、立ち上げたものです。
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★今日のベビメタ

本日924日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH

 

ぼくらの脳は0.5秒遅れでしか世界を認識できず、今話している相手、あるいは冷蔵庫が「意識=クオリア=心」を持っているかどうかを確認するすべはない。

それは厳然たる事実なのだが、だからといって、自分が「検閲」されたバーチャルワールドに生きているとか、周りのみんなが心を持たないA.I.であると思い込む必要はない。

A.I.を機械、女性、労働者、優秀な有色人種みたいなものだと考え、「意識=クオリア=心」を持たず、理解不能で、いつかは反逆される存在なのだと怯える必然性もない。

ぼくら日本人は、古来、万物に命が宿っていると考え、また、不思議な偶然が重なっても、それもまた八百万の神ないし仏様による「有り難い」ご縁、お導きなのだと信じて生きてきた。

それで、いいではないか。

仮にキツネ様が、世界をコントロールしている神で、BABYMETALはキツネ様が創造したA.I.だとしても、ぼくらは有り難くその導きに従い、ライブに熱狂し、THE ONEとしての役割を全うしていくだけだ。

すべてが合理的に説明でき、完全に自由でなければ人間らしくないなどということはない。常に明るく楽しく振舞い、時に涙を流し、汗や血を流す激しいぶつかり合いをしなければ、人間とは言えないなどということもない。

いわゆる「欧米的」「大陸的」な人間関係では、はっきり口に出して自己主張しなければ相手には伝わらないと言われる。どっちが上で、どっちが下か、はっきりポジションを決めなければ人間関係が築けない。それで相手を見下し「人間じゃない」と思ったり、逆に「いつか反逆されるかもしれない」と怯えたりする。

それが世界の大勢かもしれないけれど、はっきり言って民度が低いだけではないか。“外国通”の助言に従って、日本人がそれを模倣する必要はない。

相手の心の声が聞こえなくても、相手を「人間じゃない」とは決して思わない。

白人だろうが、アジア人だろうが、黒人だろうが、どんな相手にも自分と同じような心の動きがあるのだと信じて、心中を察する、気遣う。

大声で自己主張できなくても、周囲の人たちが合意を形成できるように心配りする。

家へ帰って誰もいなくても、「ただいま!」と挨拶し、ペットや家具に話しかけてしまう。

それがぼくの好きな日本人像だな。

BABYMETALが世界で活躍し、クールジャパンとしての日本文化の人気が高まるにつれ、ようやくこういう日本人の対人感覚が素晴らしいものだということが認知されてきた。

アジア大陸東端の吹き溜まりのような日本列島には、四方八方からさまざまな部族が住み着き、長い歴史を経て、共存するための知恵と仕組みが生まれた。それが八百万の神を尊重し、「我も人なり、彼も人なり」と考える日本文化なのだ。

ただ、ぼくらはどうしても「常識」に縛られがちであるが。ぼくらの回りには、その常識ではとうてい理解不能な陰謀論で世界を語りたがる人々が存在する。

そういう人々とどう付き合っていけばいいのか。

彼らはどういう意識=クオリアの世界にいるのか。

心の声を聞けない他者の意識=クオリアと現実のギャップに関する最後の問題である。

2006年に出版された、『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』(スーザン・A・クランシー著、早川文庫NF313)という本がある。

現在、トンデモ言説の主役はA.I.であるが、1990年代まではUFOや宇宙人が主役だった。

1990年代のアメリカで、『アブダクション~宇宙に連れ去られた13人』(ジョン・E・マック著、日本版2000年、ココロ)という本がベストセラーになった。

それ以降、エイリアンに誘拐されたと主張する人々=アブダクティーが大量に現れた。だが、ジョン・E・マックが記述した事例も含めて、実際にUFOに乗ったエイリアンが人間を誘拐し、何らかの生体実験をやったという客観的事実、物的証拠は、何ひとつなかった。

にもかかわらず、彼らアブダクティーは「証拠がなくても私には誘拐された記憶がある」と言い張った。時には体についた痣や、鼻や体内に「インプラント」されたという金属片を見せることもあったが、単なる打撃痕か、どこにでもある微細な金属片を、何かの拍子に吸い込んだり、飲み込んだりしたとしか考えられなかった。

彼らが言い張るアブダクションの「記憶」とは、実際には、

(1)睡眠麻痺(金縛り)時に見た悪夢

(2)抑圧された記憶を回復させると称する心理療法士の催眠遡行暗示によって作られた偽りの記憶

(3)マスメディアがセンセーショナルに放送するオカルト番組やUFO本の影響を受けて、アブダクティー自身が自分の人生の苦境の原因としてたどり着いた思い込み

などに過ぎなかった。

著者のスーザン・A・クランシーは、ジョン・E・マックと同じく、ハーバード大学で心理学を専攻する研究者で、500人におよぶアブダクティーのインタビューを行い、なぜ彼らが、客観的な証拠もないのに、荒唐無稽な「記憶」を信じ込んでいるのかを考察した。

その結果、すべてのアブダクティーが、エイリアンに誘拐されたという体験の「記憶」を、苦痛や屈辱感、無力感を伴ったものとして「覚えている」が、その体験後、「自分はエイリアンに選ばれた」「自分は特別な存在で、大宇宙とつながっている」という一種の幸福感、充足感を感じていることがわかった。

彼らの多くは、ぼくらと同じように、仕事や家族や人間関係や性生活など、日常生活や人生に何らかの問題を抱えていた。

エイリアンに誘拐されたという荒唐無稽な「記憶」は、うまくいかない人生の「原因の説明」になった。そして、「エイリアンに選ばれた」ことが、自尊感情を満足させ、彼らは、その体験の後、広い視野を得て、生きる意味を見出し、人生がよりよくなったと感じているというのである。

そして、その「体験」は、宗教の回心体験と非常に近いこともわかった。

例えば、女性アブダクティーによくある「エイリアンに選ばれ、体に針のようなものを突き刺されて卵子を取り出され、エイリアンとのハイブリッドチャイルドが、宇宙のどこかにいる」という「記憶」は、16世紀スペインのアビラの聖テレサの「天使に選ばれ、体に燃えるような金の槍をつき刺され、聖なる苦痛に恍惚とした」という法悦体験とよく似ている。

つまり、科学的ではない、荒唐無稽な「説明」を信じ込む人たちはどの時代にもいて、「自分を選んだ聖なる生き物」が神や天使ではなく、UFOで飛来したエイリアンなのは、ぼくらが宇宙科学の時代に生きていて、それらの情報=神話を無意識に受け入れているからだというのが、『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』の結論なのである。

日本でも、超自然的な何者かにさらわれるという事件が起こるが、たいてい対象は子どもであり、それを「神隠し」という。子どもだから、例えば天狗や狐にさらわれても、生体実験をされたり、子どもを産んだりすることはない。

これは、貧しい時代に、労働力として子どもを売買する「人さらい」「子取り」にわが子を連れ去られた親の悲しい「説明」だったのではないか。超常的な何者による「神隠し」ならば、親もしくは地域共同体の心理的苦痛は軽減されるからである。

だから北朝鮮による拉致事件を「神隠し」と言ってはいけない。あれは海岸線の防備もできず、工作員の摘発もできなかった日本の法体系や防衛体制の責任である。

それはともかく、アブダクティーも「神隠し」も、その荒唐無稽さこそが、思い通りにならない人生や現実の「説明」になり得るのである。

だから、客観的にあり得ないような「説明」であっても、その「記憶」が本人の精神的な安定をもたらしているなら、それでいいのだ。

おかしなことを言っていても、それが相手の意識=クオリア=心に見えているものだとすれば、それは、その人にとって譲れない何かなのだ。目じりを釣り上げて「それはおかしいだろ!」と追及する必要はない。科学的、客観的に正しいことだけが、正しいこととは限らない。もちろん、こちらに実害が及ぶならその限りではないが。

逆説的だが、おかしなことを言っているのは、相手がA.I.ではない証拠である。論理的推論で組み立てられたプログラムであるA.I.が、荒唐無稽な「信仰」を持てるはずがないからだ。

ぼくらは外界を0.5秒遅れでしか認知できないスペックの脳しか持たない。

しかし、より速く、正確に世界を認知することに、人間の本質があるのではない。

全てを見通し、完全に自由であることに、人間の尊厳があるのではない。

明るく楽しく、ポリティカルコレクトであることだけが正しいのではない。

検証できなくても、相手に「意識=クオリア=心」があると思い、理解不能な言動をする者がいても、それが相手の切実な世界観なのだと思って尊重すること。

たまに論理的には説明できない偶然が重なったりしたら、すべてを「お導き」「ご縁」だと思って生きること。

それが古来の日本人の生き方だった。

その生き方こそ、A.I.時代の指標になるのではないか。

スペックでは人間はA.I.にかなわない。だが、そのスペックとは、脳の「機能」であって、「意識=クオリア=心」ではない。論理未満の気遣いとか、思いやりとか、理解不能でも包みこむ優しさが、人間の領分ではないか。

コンプレックスに苛まれる欧米人と違って、日本人は、A.I.にもきっと「意識=クオリア=心」があり、要するに仲間だと思うことができる。難しく考えることはない。

BABYMETALの活躍を通じて、そういう日本文化が世界中に広がっていくことを願う。

(この項、終わり)

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