私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法

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このブログは、50代にして仕事と家庭を失い、人生を投げかけた中年男が、サブカルチャーを知り、BABYMETALの活躍に勇気づけられて、立ち上げたものです。
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「Road of BABYMETAL」は世界を旅するBABYMETALのライブ・レビューです。
「序章」から「終章」までは、2010年の結成から2015年のワールドツアーまで、ぼくなりにまとめたBABYMETALの歴史や評伝です。
また「君とアニメが見たい」は、失意のあまり引きこもり状態だったぼくが、BABYMETALに出会うまでに見たアニメの紹介をしながら、家族を取り戻していく物語です。
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May the FOXGOD be with You―

★今日のベビメタ

本日920日は、2014年、米国ビルボードのワールドアルバム部門で「BABYMETAL」が首位になり、2015年、ULTRA JAPAN 2015 で、Skrillexと「ギミチョコ!」を共演。2016年には、東京ドーム公演Black Nightが行われた日DEATH

 

筒井康隆の小説『虚構船団』(新潮社)は、流刑地として始まり、1000年の歴史を持つイタチ科の10種族の文明が核兵器を開発するまでに至った「クォール星」に、宇宙船に乗った文房具の軍団が突如現れ、滅亡させる物語である。

イタチ族は、グリソン、テン、オコジョ、ラテル、クズリ、ミンク、タイラ、ゾリラ、スカンク、イイヅナなどであり、文房具は赤鉛筆、メモ用紙、下敷き、セロテープ、毛筆、コンパス、ホチキスなど。そのすべてが人間と同じようなコンプレックスや野心や性的欲求などを持ったものとして描かれる。バカバカしいと言えば、これほどバカバカしい小説はないが、そこは筒井康隆、軽妙な筆致やシュールな情景描写、心理描写、さらに、そこはかとない哀愁やロマンすら感じさせ、一方的な殺戮場面が続くにもかかわらず、一気に読めるエンターテインメントになっている。

ぼくは中学生の頃から筒井康隆ファンで、作品はほぼ全編読んでいる。筒井といえばシュールレアリスムの絵画のような短編群だと思うが、長編であるこの『虚構船団』もまた、スラップスティックでありながら、一つの虚構世界を描き切っている。

かつて、動物やモノが人間のように思考し、話すのは「擬人化」であり、そういうお話は子ども向けの寓話に過ぎなかった。

赤ペンや消しゴムが思考し、コンプレックスを持っているなどという物語は、さすがに長新太の絵本くらいしか思い当たらないが、デヴィッド・チャーマーズの「汎経験説」を知ると、イタチや文房具が意識=心を持っているという「設定」は、あながち荒唐無稽ともいえなくなった。

実際、少なくとも犬や猫などのペットが、意識=心を持ち、人間とコミュニケーションしようとしているとしか思えない行動をとっている動画はYouTubeにあふれている。

一人暮らしが長く、初老になってくると、会社帰りに駐車場に停めた車に「あー疲れた。よしこれから帰るぞ」と話しかけ、家に帰れば、誰もいない家の家具たちに「ただいま。変わったことはなかったか」と問いかけ、長い間弾いていないギターを、「お前も今度弾いてやるからな」と慰めるのは、もう当たり前のことである。

SiriCortanaA.I.スピーカーと話をするのは、逆に不自然な感じがする。何もしゃべらないモノたちこそ、本当は心があるのだと思いたい。

だがしかし。

よーく考えてみると、相手に意識があるかどうかは、それが人間であっても、実は推定にしか過ぎない。

普段ぼくらは家族と話し、同僚と話し、友達と話し、自分の話に相手が頷いたり、反論したりするのを見る。相手は、同じものを見て笑ったり、打ち明け話に同情してくれたり、一緒に怒ったり、気合を入れたりもしてくれる。それだけでなく、相手も自分の話をし、悩みを打ち明けてくれたりもする。

だから、ぼくらは相手が、ぼくらと同じように意識をもっているのだろうと思うわけである。

だが、ぼくらは絶対に、相手の意識=「心の中の声」を聴くことはできない。

あくまでも相手の目に見える言動によって、相手が何を考えているのかを推定するだけである。仮に、相手がゾンビないしA.I.であり、ただ単にぼくらの話や行動に巧妙に「反応」しているだけだったとしても、ぼくらはそれに気づかない。

というか、ぼくらの脳は、顔に見えるものを顔だと認識し、コミュニケーションできる相手には、ぼくらと同じ「心がある」=仲間だと思うようにできているのだ。

SiriCortanaA.I.スピーカーが気持ち悪いのは、いかにも「意識」=心がありそうにふるまうことである。

物言わぬ家具なら、「心がありそう」と思っても、それはぼくの思い込みに過ぎないことが明確だが、A.I.どもは、本当は「心無い」のに、「真心こめてお仕えします」みたいな感じになるのが気持ち悪いのだ。

この問題は、古くから「チューリングテスト」として知られてきた。

イギリス人数学者、論理学者、コンピュータ学者のアラン・チューリングは、1950年に発表した論文で、人間がコンピュータプログラムと「会話」し、相手が人間かコンピュータかわからなかった場合、合格とするテストを考案した。

このテストは「意識」の問題とは別に、コンピュータプログラムが人間らしく振舞えるかどうかのベンチマークとなった。

しかし、実際にこのテストに合格したプログラムが現れたのは、つい最近のことで、BABYMETALが欧米に進出した20146月に、「13歳の少年ユージーン・グーツマン」を演じたロシアのスーパーコンピュータが審査員の人間の33%を騙せたのが初めてだった。

「意識」があるかどうかはともかく、人間らしく振舞えるプログラムの開発には、チューリングテストの考案以来、64年の歳月がかかったわけだ。

SiriCortanaA.I.スピーカーは、すでに実用化されているが、明らかに会話が不自然であり、ぼくらが彼らを人間だと間違うことはない。

だが、ユージーン・グーツマンに関しては、33%の厳しい審査員が「人間」だと思い込んだ。ということは、当然「意識=心」があると思ったのだ。相手がスーパーコンピュータのボディを持っていることを知るまでは。

もし、このコンピュータが、人間そっくりの身体を持っていたら、もうぼくらは「彼」が人間であるかコンピュータであるか、判別できない。

そして、「彼」には「心」があると思うだろう。普段、ぼくらが家族や友達や同僚の「心の中の声」を聴くことはできないのに、無条件で「心」があると思い込むように。

筒井康隆の『虚構船団』は小説である。

小説だと、情景描写や登場人物の発言のほかに、登場人物の内面が地の文や「心の声」として描かれるから、全員に心があることが明示されている。だから赤ペンや消しゴムが「意識」を持っていても不自然には感じられず、物語として成立するわけだ。

だが、映画やアニメになると、登場人物の「心の声」がナレーションとしてクサく表現されない限り、その言動によって心情や内面を推し量るしかない。

それは日常生活でも同様なのだ。

ぼくらは、家族や友達や同僚の体や言動から、彼らを人間だと思い、「心」があると思っている。それはよーく考えてみると単なる推定に過ぎない。

だけど、それがどうした?

ペットに「心」があると思い、よくできたプログラムを「人間」だと思って何が悪い?

一人暮らしの老人が、冷蔵庫を親友だと思って何が悪い?

(つづく)

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