出雲国の八重垣めぐり㉙ ~須佐神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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さくっとまとめてます。

ソサノヲ(素戔嗚尊・すさのお)
終焉の地といわれる

須佐(すさ)神社です。



出雲国風土記によると


神須佐能袁命(すさのお)は
この地で、


この国は
小さき国なれども
国処在り

故、我が御名は
木石にはつけじ


といって


即己命之御魂
鎮置給之


じぶんの御魂を
鎮め置いたといいます。

 



そうして、ここに


大須佐田(おほすさだ)
小須佐田(をすさだ)

 

を定めたといいます。

 

須佐能袁の名は

土地につけたようですね。

 


ですから、

いまではこの地を


出雲市 佐田町 須佐
(いずもし さだちょう すさ)
 

というようです。

 



また、ここには
正倉(みやけ)があった
といいます。

 

屯倉(みやけ)とは

皇室の直轄領であり

 

収穫物を得る地だった

といいますから、

 

須佐田とは

須佐にある田のことで

 

屯倉のこと

だったのかもしれません。

 

屯倉には、

近衛兵のような意味も

あるようですから

ソサノヲにとって
重要な地だったのでしょう。



ソサノヲを祀る神社は
全国にありますが、

ソサノヲの
「御魂」を祀る神社は
ここだけだといいます。

ですから、


『ソサノヲの御本宮』
『御魂鎮めの御社』

などといわれるようです。



かつては、すぐ北の
宮尾山(みやおやま?)に
鎮座していたらしく

いまでも
磐境がのこっている
といいます。



祭神は
須佐之男命 (ソサノヲ・すさのお)
です。

妻である
稲田比売命(いなたひめ)
祀られているようです。

そして、イナタヒメの

父・足摩槌命 (あしなづち)
母・手摩槌命 (てなづち)
も祀られるといいます。

 



気になるのは、

 

イナタヒメの母・

テニツキ(てなづち)が、

須佐神社の社家である
須佐(すさ)氏の祖神

といわれていることです。



須佐氏は、もともと
稲田(いなだ)氏
ともいうらしく、

17代当主・
稻田宮主(いなだみやぬし)
盆成が

国造(くにのみやつこ)
たまわったといいます。

以来、須佐神社では

須佐国造 出雲太郎
須佐国造 出雲次郎

を交互に名のったそうです。



59代からは
出雲国造にはばかって
「出」の字をとり

須佐国造・雲太郎
須佐国造・雲次郎

とあらためたようですね。

現在は、
78代目が宮司として
奉斎しているといいます。



須佐神社の北西には
須佐国造館があり、

宮司家の館に

なっているようですね。

 



『稲田宮主』という号は

古事記にもあるようです。

イナタヒメと結ばれて
須賀(すが)の宮を築いた
ソサノヲは、

義父の
アシナヅチに


わたしの宮の
首(おびと・長)になれ


といって


稲田宮主
(いなたのみやぬし)・

須賀之八耳神
(すがのやつみみ)


と名づけたといいます。

須賀の宮の首長なのに
稲田宮主なのだそうです。

 



ホツマツタヱには


すがはにきつく
みやのなも
くしいなたなり


とあり、

スガハに築いた
宮の名は
クシイナタ宮

というそうです。



もしかすると、

イナタヒメと暮らす
新宮が須賀宮こと

須賀(すが)神社で

イナタヒメの両親が暮らす
屯倉がクシイナタ宮こと

須佐神(すさ)社だった

 

のかもしれませんね。



ホツマツタヱには


さたのあれをさ
あしなつち
そをのてにつき
やめうめと


とあり、

アシナツチ
サタの村長だった
といいます。

父・アシナツチと
母・テニツキが暮らした

「サタ」も
「佐田」だとすれば、

ここは
ソサノヲとイナダヒメが
出会った地にもなりそうです。



さらに、

想像力をはばたかせるなら

ソヲ(曾於・鹿児島あたり)
出身の海人族である
アシナツチは、

国引き神話にのこる
佐太(さた)に暮らしていた
のですが、

この地を治めていた
テニツキと結ばれて

入婿として越してきた
のかもしれません。

 



テニツキゆかりの地
だからこそ、

テニツキ(手摩槌命)が
須佐氏(稲田氏)の

祖神として祀られている

のではないでしょうか爆  笑キラキラ



ところで、
クシイナタ宮を築いた
「スガハ」とは

「ヒカワ」の対義語
でもあるようです。

 



「ヒカワ」は

斐伊川(ひいかわ)
だけでなく

簸川郡(ひかわぐん)
というように

出雲市全域を
さすようですね。



「ヒカワ・ヒカハ」は
「簸曲・卑側」でもあり

罪人たち追放の地
であり

作物の育ちにくい
湿地や沼地のこと
でもあったようです。



縄文時代のころ
宍道湖(しんじこ)
宍道湾(しんじわん)であり、

西から

海につながっていた
といいいます。

そこへ、しだいに
川から土砂が運ばれ

出雲平野が

できたようです。


神門水海(かんどのみずうみ)
が埋め立てられて

 

神西湖(じんざいこ)
になったのは
江戸時代だといいますから

 

ながらく

湿地帯だったことでしょう。

(※「宍道湖・中海のおいたち」

 

ですから、ヒカワは
あぶれものが集まる地
でもあったようです。



ホツマツタヱには


しらひとこくみ 
このいわひ
なかはさおゑて

さすらひの
ひかわにやるお

ますひとの
わかとみとなす


とあり、
 

根国のもと官僚で

死罪となっていた
シラヒト・コクミは、

サホコチタル国
長官・アメオシヒ(天忍日命)

の結婚祝いによって

流離(さすらい)刑とされ
ヒカワに追放された

といいます。

そこを
長官・アメオシヒが
大臣として召しかかえた
というのです。



また、


さすらなす
ふたさすらひめ
いきとほり
ひかはにいかり
なるおろち


とあり、

子育てを放棄して
宇佐(うさ)の宮をでた
ふたりの流離姫こと
 

モチコ・ハヤコ姉妹もまた
「ヒカワ」にながれ、

天照大神の正妻・
瀬織津姫(せおりつひめ)への
怒り(嫉妬)から

オロチ軍にくだった
といいます。



こうして、
「ヒカワ」には

ハタレ(反乱軍)の
根(根源・首領)とされる
アメオシヒと

腐敗官僚の
シラヒト・コクミ

オロチに憑かれた
モチコ・ハヤコ姉妹が

つどったようです。



また、
「ヒカワ」は
「氷川」でもあり

熱にうかされて
暴れつづけたソサノヲ
冷ました川でもあります。



こうして
ヤマタノオロチ
ハタレ根を討った

ソサノヲが
「スガハ」を感じたのは

魂が清められて
スズカ」となったことであり

「卑側(ひかわ)」から
「清側(すがわ)」となった
ことでもあるようです。

 



これを、
「スガハ」という川で
身を清めたとすると

須賀神社をながれる
須賀川(すががわ)のこと

かもしれませんし、

須佐神社をながれる
須佐川(すさがわ)のこと

かもしれません。

おそらく、

どちらでもあるのでしょう。

 

境内外には

「須佐神社の7不思議」

があるといいます。

 

そのうちのひとつ

「塩井(しおのい)」は
塩泉が湧くようです。

ソサノヲが
土地を清めた水

ともいいますから

 

これも

「スガハ」につうじる

のかもしれませんね。

 

 

ほかには、

神馬の案内もありました。

 

 

常立(とこたち)とは

意味深ですね。

 

ここには、

神馬の墓もあるようです。

 

 

ほかにも、

いくつかあるようですが

回りきれませんでした。

 

 

須佐神社の
本殿のうらには

神苑があるのですが、

なかでも大杉は
日本屈指のパワースポット
といわれるようです。



木の皮をはがれるほどだった
といいますから、
大変な人気があるようですね。

 



江戸時代には

加賀藩から
船の帆柱にしたいとして

800両(およそ8000万円)
で買い取り要望があった
といいます。

 

もちろん、それは

須佐国造が断ったようです。

 



北東(鬼門)には
稲荷社がありました。

 



神苑の奥にあるのは
三穂(みほ)社です。

 



地蔵崎(じぞうざき)
美保(みほ)神社でしょうか。

ご祭神も

三穂津比売命(みほつひめ)

事代主(ことしろぬし)

だといいます。

こちらは、
「下(しも)の御前さん」

ともいわれるようです。



須佐神社の

鳥居をはさんで
天照社があります。

 



天照大神

祀るこちらの社を

 

「上(かみ)の御前さん」

ともいうようです。

 

 

天照社の参道には

荒神もありました。

 



天照社の参道にも
荒神さまがありました。

蛇(龍)
とぐろを巻いています。

 



天照社の社殿と

須佐神社の社殿は

向かいあっているようです。

 

兄・天照大神と

弟・ソサノヲ(素戔嗚尊)が

向きあっているのでしょうか?

 

とはいえ、

大社造(たいしゃつくり)ですから

正対ではないのでしょう爆  笑

 

 

おそらく、これも

日の登る伊勢と

日の沈む出雲の

関係をあらわしている

のでしょう。

 


須佐神社の参道には

東末社と西末社があり
天照大神の御子である

5男3女が
祀られているといいます。



記紀では
姉・天照大神と
弟・ソサノヲが
誓約(うけい)をして
生まれたとされるからでしょう。

 

しかし、
ホツマツタヱの

誓約では

 

姉・ワカヒメ
弟・ソサノヲによって

おこなわれ、

ソサノヲが子を産んだのは

イナタヒメと結ばれてからです。
 



一説には


左に五男
右に三女の社あり


というようですが、

もしかするとここも
 

兄・天照大神の

5男3女と
 

弟・ソサノヲの

5男3女が
 

向かいあっている
のかもしれませんね。



祀られているのは、

天忍穂耳命(おしほみみ)
天穂日命(ほひ)
天津彦根命(あまつひこね)
活津彦根命(いくつひこね)
熊野樟日命(くまのくすひ)
市杵嶋姫命(いちきしまひめ)
田心姫命(たごこりひめ)
湍津姫命(たぎつひめ)

だといいます。

ちなみに、
ソサノヲの子は

オオヤヒコ(大屋毘古神)
オオヤヒメ(大屋都姫)
ツマツヒメ(都麻津姫)
コトヤソ(事八十神)
オホナムチ(大己貴命)
オオオシクラムスビ(大歳神)
カツラギヒトコトヌシ(葛城一言主神)
スセリヒメ(須勢理毘売命)

だそうです。



また、須佐神社には
切明神事 (きりあけしんじ)
という祭りがあり

花を飾って
花に神を迎える

といいます。

ソサノヲは斎名(本名)を

ハナキネ』といい

花からとっていますから、

花にゆかり
神事があるとのも
面白いですね。
 

 

出雲国の八重垣めぐり㉚ へ つづく

 

 

 

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