出雲国の八重垣めぐり㉕ ~出雲国造 その2~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

ホツマツタヱには、


ときたけひてる
たまかわ
かんたからふみ
たてまつる


とあり、

饒速日命(にぎはやひ)の弟・
武日照命(たけひてる)が

タマカワの神宝文
(たまわかのかんたからふみ)を

第7代・
孝霊(こうれい)天皇に
献上したといいます。



タマカワの神宝文とは
神代の法を伝えたもので、

霊(魂)鎮めの御法(みのり)や
長寿の秘訣(稔・みのり)について
書かれたもののようですが、

よくわかりません。



かんたから
いつもにおさむ


この神宝は
出雲に納められた
といいます。

出雲とは
出雲大社(いずもたいしゃ)
のようです。

どうやら、出雲には
神宝庫としての役割が
あったようですね。

 



第10代・
崇神(すじん)天皇は、


たけひてる
むかしささけし
かんたから
いつもにあるお
みまくほし


武日照命(たけひてる)が
むかし捧げた神宝が

出雲にあるというが
これを読みたいとおもい、

武日照命の曾孫・
武諸隅命(たけもろずみ)を
出雲におくったといいます。



このとき、
出雲国を治めていたのは

天穂日命(ほひ)
子孫にあたる

11代・
振根(ふりね・ふるね)
だったようです。

 



しかし、
フリネは筑紫(九州)に
出張中だったといいます。

そこで、
弟・飯入根(ゐいりね)が
神宝文を宮からだすと、

ヰイリネの弟・
甘美韓日狭(うましからひさ)と

ヰイリネの子・
宇迦都久怒(うかつくぬ)をそえて

捧げたようです。



筑紫からもどった
兄・フリネは、これに
激怒したといいます。


いくかもまたて
なとおそる
いつもはかみの
みちのもと
やもよろふみお
かくしおく
のちのさかえお
おもわんや
たやすくたすと



たった数日の
わたしの帰りも待てず
なぜ使者を恐れたのか!

出雲国の長は
天穂日命からづつく

天照大神の直系なのだから
使者など恐れることはない。

世の理をいまに伝える
おおくの神宝書を
隠しおいていたのは、

のちの世の栄えのため
でもあるものを

そこに思いいたらず
たやすく出してしまうとは!

 



やはり、出雲は

神宝庫だったのでしょう。

ときの天皇の
要求でさえ拒んで、

歴代天皇がおさめた神宝を
『かくしおく』ことが

ゆくゆくは、のちの
世・日本・ひとびとの
ためになるということでしょうか。

 

この一件から
兄・フリネは

弟・ヰイリネを
恨んだといいます。

 



ある日、
兄・フリネは


やみやのたまも
はなかよみ
ゆきみんとてそ



ヤミヤ(塩冶神社あたり)の
玉藻(たまも・あさざ?)の
花見にゆこう


といって、
弟・ヰイリネを
誘ったといいます。



神西湖(じんざいこ)がまだ
神門水門(かんどのみなと)
という湾であり、

斐伊川(ひいかわ)が
そそいでいた時代のようです。

ヤミヤ淵では美しい藻が
観られといいます。

出雲(いづも)の語源にも
厳藻(いつも)があり

藻は祭祀にもつかわれた
ようです。

 



『はなかよみ』とは
「花暦(はなかよみ)」で
花盛りのことだといいます。

また、『かよみ』は
日夜見」「神代身」でもあり
神社の奉斎者(神主)のこと
でもあるようです。

ですから、
厳藻(いつも)をとる神事

おこなっていたのかもしれません。



このころ、出雲国の長は
意宇(おう)住んでいたらしく

ヤミヤ淵へ向かうのは
宍道湖(しんじこ)をこえる
旅だったことでしょう。

ふたりは刀をはいて

出かけたといいます。


ヤミヤ淵につくと
兄・フリネは
服を脱いで川にはいり
水浴びをはじめたようです。

すると、
弟・ヰイリネもつづいて
服を脱いで川にはいった
といいます。

もしかすると、これも
神事のための禊(みそぎ)

だったのかもしれません。

そうして、
兄・フリネはさきに
川からあがると

弟の刀をうばって
斬りかかったといいます。

 



弟・ヰイリネもあわてて
兄がもってきた刀をぬいた
のですが、

兄・フリネが
持ってきていたのは
木刀(きたち)だったそうです。

弟・ヰイリネは
兄・フリネに斬られて、

ヤミヤの淵に

やみやみ沈んだ

といいます。



これをきいた
出雲のひとびとは、


やくもたつ
いづもたけるが
はけるたち
つづらさわまき
あわれさびなし


と詠ったようです。


ソサノヲが
八重雲(汚穢隈)を断って
築いた出雲で

出雲を治めたホヒ
子孫がはいた太刀は

装飾ばかりが立派で
錆びもついていない

 



錆びもつかない刀とは

木刀のことで、

 

木刀に装飾して

弟・ヰイリネをだまし討ちした

といっているようです。

 

また、
刃のない刀では
穢(けがれ・八雲)を

断つこともできないので、

その身が
穢(罪)に汚れている、

八重垣(国守)の役を

はたしていないと

いっているのでしょうか。



「さび」とは
「錆び」だけではなく

「わびさび」の

「寂(さび)」でもあって


「時間の経過による色あせ」も
あらわしているようです。

「寂為(さびなし)」とは
ホヒからつづいた

出雲の統治に

「かげりがみえている」
ということでしょうか。

さらにいうと、

 

『いづもたける』の

「たける(猛)」とは
反逆した国守の呼びかた
でもあるといいます。




からひさは
おいうかつくぬ
つれのほり
きみにつくれは


フリネ・ヰイリネの弟・
甘美韓日狭(うましからひさ)は

ヰイリネの子・
宇迦都久怒(うかつくぬ)

をつれて

 

都にのぼってこれを
告げたところ、

崇神天皇は
吉備津彦(きびひこ)と
武渟川別(たけぬなかわ)を
出雲に派兵して

兄・フリネを討った

といいます。



しかし、事件は
まだおさまりません。


いづもおみ
おそれてかみの
まつりせず


出雲の臣はおそれて
カミの祭祀をしなかった

といいます。

これは、
出雲大社熊野大社

祭祀をしなかった

ということだけではなく、
 

出雲の国守(かみ)である
フリネを弔わなかった

ということでもあるようです。

 

もし

フリネを弔ったならば、

 

出雲に逆心があると
朝廷にとられかねない

「おそれ」があるからでしょう。

また、
出雲の当主は、始祖・
天穂日命(ほひ)の御霊を
降ろしているともいいます。

フリネを弔わないとは
ホヒを祀らないということであり、

フリネやホヒを祀らないまま

祭祀をつづけることは

 

フリネやホヒのたたりを

「おそれ」てできなかった

のでしょう。

ですから、

国守を継ぐこともできず

政(まつり)をとることもできず

 

出雲が治まらなかった

ということのようですね。


 

こうして
数年がたったところ、


斐伊川の族長・
ヒカトベ(氷香戸辺)の子が

神がかって


こんな歌を

詠ったといいます。



たまもしづ
いづもまつらば 
まぐさまじ
かよみおしふり
ねみかがみ
みそこたからの
みからぬし
たにみくくりみ
たましづか
うましみかみは
みからぬしやも



玉藻の淵にしずんだ
魂(フリネ・ヰイリネ)を
祀らないままでは、

玉藻の種(くさ)も
芽ぶかないように
出雲のひとびとの心も沈み
 

いつまでも

治めることができません。


日夜見(かよみ・祭祀)をした
フリネは、

弟を花見(かよみ)に
誘いだす「フリ」をして、

嫉みからおしかかり
刀を「振り」ました。

しかし、それによって
フリネもまた斬られて[ふり・ね]

身(み)を屈(かが)める

ことになりました。


けれども、
神鏡(みたから)を守るという
出雲の役目を果たそうとした

フリネのおこない(身・み)は
出雲の鑑(かがみ)でもあります。

水(み)な底(そこ)に沈んだ
身(み)は損(そこ)なわれて
しまいましたが、

三十九(みそこ)の宝(たから)を
緒でくくり、

フリネが討たれた
谷川の水(たにみ)に
しずめることで、

ばらばらにされた身や
はなればなれになった兄弟の魂を

つなぐことができるでしょう。

また、それは
始祖・天穂日命(ほひ)がうつした
ミスマル(昴・プレアデス星団)のように
ひとびとを統べることにもなります。

フリネは
神(み)の宝(たから)を

庫(くら)で守ることにつくした

 

『神庫主(みからぬし)』

でもあったのです。

フリネを祀ることで
フリネの魂もしずまり、

 

フリネの魂がしずまることで
ホヒの魂もしずまり、

 

ホヒの魂がしずまることで

オホナムチ・ソサノヲ・イサナミの

魂もしずまり、

出雲のまつり(政・祭)も
うまくいくでしょう。

次にうまれる
族長(やからぬし)が

すばらしい(うまし)
長(守・かみ)となるには、

神庫主(みからぬし)である
フリネを祀ることであり、

祖先をほこりに思うからこそ

次代に継がれてゆく

のではないでしょうか?




『うましみかみ』は、

フリネ・ヰイリネの弟・
甘美韓日狭(うましからひさ)の

「甘美(うまし)」にかかるのでしょう。

 

「うまし・から・ひさ」は

「うまく庫(から)にひす者」

だとすると、

 

フリネ・ヰイリネを弔ったもの

神庫主(みからぬし)として

神庫(出雲大社)を守ったもの

なのかもしれません。

 

この、

ウマシカラヒサの子が

 

野見宿禰(のみのすくね)であり、

 
子孫には
がいらっしゃいます。
 

 

また、ヰイリネの子・
宇迦都久怒(うかつくぬ)が

国主を継いだようです。

『うまし』は
稔りが豊かということであり

『うか』は
豊穣神のことでもあります。

「うか・つく・ぬ」は
「穀物(うか)作(つく)主(ぬ)」
でもあるのでしょう。

 



歌をきいた
崇神天皇は、


いつもまつれと
みことのり


出雲を祀れと
勅命をくだしたといいます。

フリネを弔うことを
許したようですね。

 



さらにいえば、これは

宇迦都久怒(うかつくぬ)を
出雲国造(いづものくにのみやつこ)

任命したということ


ではないでしょうか?

出雲の祭祀をおこなうよう
朝廷から勅命がくだったとは、

勅命がくだったものが
祭祀をおこなったということ

でもあります。

つまり、この事件は
出雲国造誕生のはなし
なのではないでしょうか?


これによって、
出雲での祭祀が
ふたたびおこなわれ

出雲もうまく治まった

ということなのでしょう。



ところで、
『みからぬし』には

ほかにも
 

おもしろい考察が
あるようです。

出雲にある
加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)
からは、

39個の銅鐸(どうたく)が
みつかったといいます。

『みそこたから』や
『みからぬし』が
「銅鐸」のことだとすると、

加茂岩倉遺跡は
フリネが討たれた地
かもしれないというのです。



たしかに、

「フリネ」を
「振音・布留」としたり

『みから』を
「神器(みから)・鋳型(いから)」とする
こともできなくはないでしょう。

鋳型にとられた
「形(かた)・殻(から)」は
「身体(からだ)」のこととすれば

「身(み)」にたいして、なかが
「空(から)」であるのは
「魂」の不在をあらわしている

のかもしれません。



「銅鐸」とは
「人形」であり、

天の魂を宿すもの

だったとすると、

出雲では銅鐸に
フリネの魂をおろして
祭祀をしていた

のではないでしょうか?

 

もしくは、銅鐸は

出雲振根(ふりね)のこと

だったのかもしれません。



『いづもまつれ』とは

出雲「で」祀れ

だけでなく

 

出雲「を」祀れ

でもあったならば、


出雲の銅鐸祭祀を

全国でおこなうようになった

ということにも

なりはしないでしょうか?爆  笑

 

だとしたら

すごくおもしろいですね。

 


もしかすると、
39(みそこ)という数は

その当時に
観測することのできた

プレアデス星団の
星の数なのでしょうか?

六連星(むつらぼし)
ともいうように

肉眼でも6つはみえる
といいます。

 

また、

「身からでた錆」という

ことわざが、

 

「『ミカラ』でた『サビ』」

からきているとすると、

 

出雲フリネが由来・語源

なのかもしれませんね。


出雲国の八重垣めぐり㉖ へ つづく

 

 

 

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