紀伊国の高野山めぐり⑦ ~奥の院~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

高野山(こうやさん)
金剛峯寺(こんごうぶじ)
奥之院(おくのいん)には、

弘法大師御廟
(こうぼうだいしごびょう)
があります。

平安時代初期の僧・
空海(くうかい)が
入定(にゅうじょう)した
聖地とされているようです。



一の橋(いちのはし)からつづく
2キロほどの参道には、

20万基をこえる
墓や碑や供養塔が
ならんでいるといいます。



織田信長(おだのぶなが)
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
徳川家康(とくがわいえやす)

などの
武将・大名の墓だけでなく、

ヤクルトや
パナソニック
UCC上島珈琲といった

企業墓というのも
あるそうです。

 



苔むした墓碑と
杉の古木がならぶ光景は、

ぼくにとって
高野山のイメージ
そのものでした。



一説には、

死者の極楽浄土をねがった
空海の御廟があるため


空海のそばで眠れば
極楽浄土へゆける


という信仰があった
といいます。

 


ですから、
『天下の総菩提所』
ともいわれ

戦国時代・江戸時代の
大名の約半数が、

分骨したり

供養塔や碑をたてるなど

 

高野山に

縁(ゆかり)をもつようです。

 



さらには、
皇室のかたがたも
歯や爪や髪などを
おさめたようで、

御廟のそばには

霊元(れいげん)天皇歯塔
以下二十四塔

がありました。

 

第112代・

霊元(れいげん)天皇(歯塔)

第114代・
中御門(なかみかど)天皇(髪塔)

第115代・
桜町(さくらまち)天皇(髪塔) 

第116代・
桃園(ももぞの)天皇(髪塔)
桃園天皇女御尊称皇太后富子(髪塔)
桃園天皇皇子貞行親王(供養塔) 

第117代・
後桜町(ごさくらまち)天皇(髪爪塔)
後桃園天皇(髪塔)
後桃園天皇女御尊称皇太后維子(髪塔)

第119代・
光格(こうかく)天皇(髪爪塔)
光格天皇皇后欣子内親王(髪塔)
光格天皇皇子温仁親王(髪塔)
光格天皇皇子悦仁親王(髪塔)
光格天皇皇女聖清女王(髪塔)
光格天皇皇女永潤女王(髪塔)
光格天皇皇子嘉糖宮(髪塔)
光格天皇皇女理欽内親王(髪爪塔)

第120代・
仁孝(にんこう)天皇(髪歯塔)
仁孝天皇女御贈皇后繋子(髪塔)
仁孝天皇女御尊称皇太后祺子(髪塔)
仁孝天皇皇子安仁親王(髪塔)
仁孝天皇皇女女二宮(髪塔) 

第121代・
孝明(こうめい)天皇(髪爪塔)


後伏見天皇十九世皇孫朝彦親王(髪塔)

 

という

24の塔があるといいます。

 

 

霊元天皇は

皇室最後の法皇であり、

 

後桜町天皇は

皇室最後の女性天皇

だといいます。

 

また、

光格天皇は

現在の皇室の直系であり、

 

げんざいの上皇陛下が

上皇となられる以前は

 

皇室最後の上皇

だったようです。

 

孝明天皇は

平安京で暮らした

皇室最後の天皇にして

 

第122代・

明治(めいじ)天皇の

父でもあるようです。

 


奥之院には

玉川(たまがわ)かかる
御廟橋(ごびょうばし)を

こえてゆきます。
 

不思議なのは、
玉川をこえると雰囲気が

がらりと変わることです。

 


ここまでの参道は
「お墓」という
重たい印象があったのですが、

川のむこうは
「聖域」というような
美しい光に満ちていました。

柔らかな木漏れ日
鳥のさえずり
川のせせらぎ

そういったものに
包まれてゆくような感覚です。

 

これが、

総菩提所の由縁となった

極楽浄土なのでしょうかラブ



丹生都比売(にうつひめ)
空海のご神徳、

さらには
ひとびとの祈りが、

このような
聖地を生んだのでしょうか?

それとも、
もとからここが
聖地だったのでしょうか?



奥之院の裏に
弘法大師御廟があります。

空海がおこなった
入定(にゅうてい)とは、

 


衆生救済のために
永遠の瞑想にはいった


ということだそうです。

 

ですから、

空海はいまでも

瞑想をつづけている

というのです。

 

「生身供(しょうじんぐ)」

という法要では

 

1日2回の食事を

御廟に運ぶといいますが

 

すでに、

1200年の歴史が

あるといいます。


これはどこか
伊勢神宮(いせじんぐう)でも

つづけられている
 

日別朝夕大御饌祭
(ひごとあさゆうおおみけさい)

のようですね。
 

「生身供」では

「維那(いな)」という役職の

高僧ただひとりが、

空海さまに
食事をとどけるといいます。

また、入定したとされる
3月21日には
衣服が届けられるようですね。
 


さらに、奥之院には
地下法場(ちかほうじょう)という
行場があるようです。

地下の北面には
空海の肖像画があり、

壁のむこうには
御廟の岩窟で祈る
空海さまがいらっしゃる

といいます。

弘法大師御廟の堂は
岩窟の覆堂ともいわれるようです。
 


ありがたや

高野の山の

岩かげに

大師はいまだ

おわしますなる


という

歌もあるように
 

いまだに生きているような

若々しいお姿である

ともいうようです。



ところで、
ホツマツタヱには


そのをして
はたれまこちと
たみこよろ
うつむたかのの
たまかわそこれ 


とあり、

ハタレ(反乱軍)の
ヲシテ(誓文書?)を

高野(たかの)の
玉川(たまかわ)に

埋めたといいます。

そしてのちに、
イブキドヌシが宮をたてて
ハタレを弔ったようです。

 



もしかすると、

ハタレの魂を鎮めた地が
高野山金剛峯寺

なのかもしれませんね。


空海は、

丹生都比売(にうつひめ)や

イブキドヌシ(高野神)から

 

ハタレの魂を鎮める

祭祀をひきついだ

のかもしれません。

 

だからこそ、

衆生救済をねがって

極楽浄土をきずいた

のではないでしょうか?

 

だからこそ、

戦国の動乱をかけ抜けた

荒ぶる魂はこの地に

惹かれたのではないでしょうか?

 

遍照金剛は

大日如来(だいにちにょらい)

のことであり

大日如来は

天照大神(あまてらす)
のことだといいます。

仏教だけでなく

神道や神話にも通じていた

空海さまのことですから、

 

あまねく照らす慈悲で

すべての魂を受けとめ

 

くだけることのない知恵で

すべての魂を導いている

のかもしれません。

 

 

紀伊国の高野山めぐり⑧ へ つづく

 

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆高野山めぐり全記事リスト☆

紀伊国の高野山めぐり① ~蟻通神社~
紀伊国の高野山めぐり② ~丹生大明神告門~
紀伊国の高野山めぐり③ ~丹生都比賣神社~
紀伊国の高野山めぐり④ ~ニウ考~
紀伊国の高野山めぐり⑤ ~壇場伽藍~
紀伊国の高野山めぐり⑥ ~金剛峯寺~
紀伊国の高野山めぐり⑦ ~奥の院~
紀伊国の高野山めぐり⑧ ~空海~