出雲国の八重垣めぐり㊵ ~まとめ~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

出雲をめぐってみて

いちばんの謎はやっぱり

出雲大社

(いづもおほかみやしろ)です。

出雲大社が
「いつ」「なんのために」
創建されたのかが、

出雲の「

かもしれません。
 



ホツマツタヱによれば
出雲の地は

オモタル(面足尊)
カシコネ(惶根尊)

にはじまるようです。

天七代(あめななよ)の
6代目にあたり、

罪をおかした民を
矛(ほこ)をもって

裁いたことから、

本家(トの尊)の
断絶をまねいたといいます。

7代目となる
イサナギイサナミ

分家だったようです。

 



オモタル・カシコネ夫婦は
各地を治めるなか

サホコチタル(細戈千足国)
にやってきたといいます。

ホツマツタヱでは
山陰から北陸にかけて
本州の日本海側を

「根国(ねのくに)」

といったようですが
なかでも、山陰地方は

「サホコチタル国」

といったようです。

 

サホコが

島根から山口あたり

 

チタルが

鳥取から京丹後あたり

だといいます。

 



意宇(おう)にある
阿太加夜(あだかや)神社では
オモタル・カシコネを祀り

境内には
面足山(おもたるやま)

があるといいます。

そこは、

国引き(くにびき)神話

終わりの地である


意宇の杜(おうのもり)
比定地でもありますから

国引き(くにびき)神話とは

オモタル・カシコネの政策のこと
かもしれませんね。



オモタル・カシコネにつづいて
サホコチタル国を治めたのが

イサナギの父・
アワナギ(沫蕩尊)
だといいます。

根国(北陸)から
サホコチタル国(山陰)まで
ひろく治めたようですね。

 



つぎに、
根国・サホコチタル国を
治めたのが

イサナギの弟・
クラキネだといいます。

出雲の暗い影は、
クラキネからはじまった

といわれるようです。

 



クラキネは、
美しい村娘の

サシミメ(奉仕侍女)を
妻にしたといいます。

そうして、サシミメの兄・
コクミ(胡久美)

サホコチタル国の
益人(ますひと・地方長官)
としたようです。

 



しかし、コクミは
職務怠慢だったため

豊受大神(とようけ)

宮津(みやづ・京丹後)から


サホコチタル国を治めた
といいます。

 



しかし、
豊受大神はそのまま

宮津で身罷ったので

朝廷の最高位である
天照大神みずから
宮津にやってきて

サホコチタル国を治めた
といいます。

 


このとき、

天照大神は妃・
マス姫モチコとのあいだに

長男・天穂日命(ほひ)

 

をもうけたようです。

 

さらに、
コマス姫ハヤコとは

長女・タケコ(田心姫)
次女・タキコ(湍津姫)
三女・タナコ(市杵島姫)

をもうけたといいます。

 



こうして、
サホコチタル国が
治まってくると

豊受大神の子・
カンサヒ(神狭日)を

サホコチタル国の
益人(地方長官)としたようです。
 

職務怠慢といわれた
コクミは許されたのか

 

益人をささえる

副に就いたといいます。



そのあいだ、根国では
クラキネとサシミメのあいだに
クラ姫が産まれたようです。

クラ姫は、クラキネの臣・
シラヒト(白人)と

結ばれたといいます。

そうして、
クラキネが身罷ると
 

シラヒトが
根国の益人になったようです。

しかし、シラヒトは
妻・クラ姫だけでなく
義母・サシミメとも
関係をもっていたといいます。

そうして、
サシミメの口添えをもって
根国の益人に成り上がった
というのです。

さらに、
根国の益人となった

シラヒトは

クラ姫と離縁すると
義母・サシミメともども
宮津に追いやったようです。

そんな母娘を、こんどは
コクミが手籠めにしたというのです。

コクミ・シラヒトは共謀して
サシミメ・クラ姫の美しさを

利用したそうなのです。



国家の統治をゆるがす
大事件が明るみにでると

シラヒト・コクミは裁かれて
死罪になったといいます。

そうして、
 

根国の益人には
豊受大神の子・
ヤソキネ(神皇産霊尊)が就任し

サホコチタル国の益人には
カンサヒの子・
アメオシヒ(天忍日命)
就任したといいます。

 

 

しかし、アメオシヒにも

逆心があったようです。

アメオシヒは
クラ姫を妻とすると

結婚祝いとして
シラヒト・コクミに特赦が

くだったといいます。
 

シラヒト・コクミは

流離(さすらい)刑となり

 

サホコチタル国に

流れてきたところを

 

アメオシヒがふたたび
召し抱えたというのです。



これら

すべてを計らったのが
 

天照大神の妃・
マス姫モチコだった

といいます。

天照大神は

モチコ・ハヤコをさしおいて、


瀬織津姫(せおりつひめ)を

正后とすると

瀬織津姫の子・
天忍穂耳命(おしほみみ)

世継ぎとしたため、

モチコ・ハヤコ姉妹は
逆恨みしていたというのです。



天照大神の弟・
ソサノヲをけしかけて
クーデターを計画するのですが、

 

これに失敗すると

モチコ・ハヤコ姉妹もまた

流離姫(さすらひめ)となって

アメオシヒ・シラヒト・コクミ
と合流したようです。

 



モチコ・ハヤコは
クラキネの子といいますから
 

ヒカワ(簸川)には

朝廷に対する悪意が

集まっていたようです。


こうして、

アメオシヒ・シラヒト・コクミ
モチコ・ハヤコから

 

ハタレ(反乱軍)

ヤマタノオロチ

生まれたといいます。

 


これを討ち払ったのが
 

天照大神の弟・

ソサノヲ

 

月読尊の子・

イブキドヌシだそうです。


これによって

ソサノヲはサホコチタル国の
統治を任されたといいます。

そこで、ソサノヲは
サホコチタル国をあらため

出雲(いづも)

としたそうです。

 

ですから、ソサノヲは

出雲建国の父ですね。



つぎに、
出雲を継いだのが

ソサノヲと

イナタヒメ(稲田姫命)の子・

オホナムチ(大己貴命)

です。

これは、出雲大社の
大国主命(おおくにぬし)
のことです。
 



出雲を発展させたのは
オホナムチだといいます。

 

「宝(たから)」は

「田(た)から」というように

 

田を大切ににして

ひとびとを飢えさせなかった

ようですね。


オホナムチの

宮居を模したという社殿の

大社造(たいしゃつくり)

 

「田」のかたちをしているのは

そのためでしょうか爆  笑キラキラ


しかし、あまりの

繁栄に目をつけられ

朝廷から
カシマダチ(国譲り)

をせまられたといいます。

 


オホナムチは
青森に左遷され

オホナムチの子・
クシヒコ(事代主)

代々朝廷につかえる
右大臣となったようです。

 



オホナムチ一族が
出雲を去ったあと、

出雲の統治は
天穂日命(ほひ)
継いだといいます。

出雲で斬られた
マス姫モチコの子

だからでしょうか。


ホヒの子孫が
出雲国造(いずもこくそう)

となり、

いまでも
出雲大社に奉斎している
といいます。

 



では、
出雲大社のはじまりは
「いつ」かというと、これも
諸説あるようです。

出雲大社の由緒では、

 

国譲りのとき
オホナムチのために造られた
「天日隅宮(あめのひすみのみや)」

がはじまりとされるようです。


しかし、
ホツマツタヱによるとこの宮は

青森に建てられたといいます。


ほかには、
オホナムチが暮らした宮跡

タケミカヅチのための迎賓館

ともいうようですね。

 



また、ホヒが
出雲を任されたとき


ほひのみことお
もとまつり


とあり、これが

創建ともとれそうです。

 

しかし、

ホヒの住居は意宇の

神魂(かもす)神社であり

 

出雲国造が奉斎したのは

熊野大社(くまのたいしゃ)

といいますから

 

さて、どうでしょう?

 

 

第10代・
崇神(すじん)天皇の世には

出雲振根(いずもふりね)
事件がおこり


いづもまつれと
みことのり


されたといいます。

 

たしかに、出雲平野の

塩冶(えんや)神社あたりで

起きた事件だといいますが、


これが創建でしょうか?




第11代・
垂仁(すいにん)天皇の子・
誉津別命(ホンツワケ)

 

成人しても

話すことができなかった

といいますが、

 

古事記によれば

出雲に参詣したところ

話せるようになったそうです。


天皇歡喜
卽返菟上王
令造神宮


天皇はおおいに喜ぶと
菟上王(うなかみのおう)を出雲に返して
「神宮」をつくらせたといいます。



また、日本書紀には

 

第37代・
斉明(さいめい)天皇が


命出雲國造
修嚴神之宮


出雲国造に命じて
厳神の宮(いつくしのかみのみや)
修繕させたとあるようです。

飛鳥時代にはすでに

お社があったのでしょう。

 

ただし、これは

出雲大社とも熊野大社とも

とれるようです。


 

奈良時代ごろ

 

出雲国造は

意宇から出雲に

移り住んで

出雲大社の祭祀に

専念するようになった

といいますから、

 

このときには

出雲大社は存在していた

ようですね。

 

 

気になるのは、

 

出雲国造がうつってきたのが

万九千(まんくせん)神社のあたり

ということです。

 

ここは、もしかすると

ハタレ(反乱軍)が蜂起した地

かもしれません。

 

出雲国造は

ハタレの魂を鎮めるために

遷ったのではないでしょうか?

 

 

ホツマツタヱには


ときにくすひか 
くまのかみ
まねけはからす
やつきたる


とあり、

天照大神の子・
クマノクスヒ

ハタレを

改心させるために

熊野神(イサナミ)

祀ったといいます。

 

出雲国造がもともと

熊野大社につかえていたのも

 

出雲で蜂起した

ハタレの魂を鎮めるため

かもしれません。

 

これが、

ホヒの『もとまつり』
でしょうか?

 



だとすると、

出雲大社のはじまりは

ソサノヲかもしれません。


ホツマツタヱには


ときにそさのを
これおきり
みおやすかたと
まつるゆえ


とあり、

モチコ・ハヤコの

亡骸を

モチコ・ハヤコに
殺されたものたちの


形見(かたみ)として
祀ったというのです。

これを
「ヤスカタの祀り」
というそうです。

 

つまり、この

ヤスカタの祀りをしたのが

出雲大社ではないでしょうか?

 



蛇に憑かれたという
モチコ・ハヤコ姉妹
にちなんで

龍蛇(りゅうじゃ)信仰
がのこっているのではないでしょうか?

神迎祭(かみむかえ)
セグロウミヘビや、

荒神にまきついている
藁蛇(わらへび)

社殿の

太いしめ縄

モチコ・ハヤコのこと
かもしれません。



だとすると、

出雲大社本殿の東にある

 

天前社(あまさきのやしろ)

で祀られている

 

蚶貝比売命(きさがいひめ)
蛤貝比売命(うむがいひめ)

とは

 

モチコ・ハヤコのこと

かもしれませんね。

 



だからこそ、都市伝説的に
「出雲大社は怨霊を祀っている」
といわれるのかもしれません。

では、ほんとうに

アメオシヒ・モチコ・ハヤコが
巨悪だったかといえば

一概にそうともいえない
気がします。



大陸ともちかく
穏やかな入り江もある
島根半島は

諸外国との交易も

盛んだったことでしょう。

また、出雲には
砂鉄鉱石など

豊かな資源もあったようです。

くわえて、
製鉄技術の発達は

軍事力の増強だけでなく
農耕器具や鉱石の加工にも

使われたようです。

海や山や川の

食材も満ち足りていた

のでしょう。


そんなひとびとを支え
信仰の対象となったのが

霊峰・大山(だいせん)
だったようです。

 


北陸の白山(はくさん)から

大山と三瓶山(さんべさん)をとおって

九州の雲仙岳(うんぜんだけ)へつづく
火山帯を

 

大山火山帯

(だいせんかざんたい)

 

というそうです。

 

根国全域にわたる

火山帯ですから

 

根国とはもともと、

こうした地力にあふれた地

なのかもしれません。

土地が豊かなおかげで
産業や交易によって

国力もついたことでしょう。




火山である大山に
かつて祀られていたのが

火の神・カグツチ
だといいます。

 

以前からぼくは、

カグツチとイサナミの子

ソサノヲではないか

といっているのですが

 

カグツチはどうやら

出雲からきていたという話も

あるようです。


とすると、大山は
カグツチの実家かもしれません。

 

また、ホツマツタヱでは

「橘(かぐ)」は「トの尊の象徴」

ともいわれますから、

 

カグツチはもしかすると
オモタルの子(隠し子?)
だったのではないでしょうか?

 

だからこそ、

矛をもって罪人をさばいた

オモタルのように

 

ソサノヲは剣をもって

八雲を断ったのかもしれません。



となるとソサノヲは、
トの尊からつづく

直系の血を持っていた
ことになります。

これを、
モチコ・ハヤコが

知っていたとしたら

分家の血をもつ
天照大神ではなく

本家の血をもつ
ソサノヲについた

ということも

あるかもしれません。

 



70万9千人という
ハタレのひとびとは、

もしかすると
トの尊の直系の血を
守りたいひとびとであり

天照大神と
ハタレの争いは

分家と本家の争い
だったのかもしれません。



しかし、

その計画はほかでもない

 

ソサノヲ自身によって

退けられたというのも

 

おもしろいところ

なのかもしれません。

 

とはいえ、

女性をいつくしむソサノヲは

モチコ・ハヤコでさえ

丁重に弔ったのではないでしょうか?

そして、

子・オホナムチもまた

朝廷に刃向かうことなく
ソサノヲの祀りを継いだ

のではないでしょうか?

 

 

オホナムチが

朝廷に願ったのは

モチコ・ハヤコの祭祀を
続けることだったかもしれません。


朝廷としては、
反乱軍を祀ることは
避けたかったのでしょう。

天照大神は

サホコチタルを乱した

クラキネのことを


くらきねはまつらず


といって、

祭祀を許さなかった

といいます。

 

クラキネの娘である

モチコ・ハヤコ姉妹も

悔しかったことでしょう。


だからこそ、
出雲の地を継いだ

天穂日命(ほひ)もまた

母・モチコを弔いたかった
のではないでしょうか?

しかし、
朝廷の意向もあって
 

ハタレの魂をしずめる
熊野大社に奉斎したのでしょう。


そうして、合間をぬって
モチコ・ハヤコ姉妹を祀る
出雲大社にも仕えていた

のではないでしょうか?

というのが
出雲の真相だったとしたら

ホツマツタヱ的には
とても面白いですねキラキラ


出雲国の八重垣めぐり ~終~
 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆八重垣めぐり全記事リスト☆
出雲国の八重垣めぐり① ~出雲~
出雲国の八重垣めぐり② ~出雲大社 参道~
出雲国の八重垣めぐり③ ~出雲大社 本殿~
出雲国の八重垣めぐり④ ~千家家と北島家~
出雲国の八重垣めぐり⑤ ~八雲の瀧~
出雲国の八重垣めぐり⑥ ~三歳社~
出雲国の八重垣めぐり⑦ ~稲佐の浜~
出雲国の八重垣めぐり⑧ ~塩掻島~
出雲国の八重垣めぐり⑨ ~国譲り~
出雲国の八重垣めぐり⑩ ~神在祭~
出雲国の八重垣めぐり⑪ ~命主社~
出雲国の八重垣めぐり⑫ ~宍道湖~
出雲国の八重垣めぐり⑬ ~佐太神社~
出雲国の八重垣めぐり⑭ ~美保神社~
出雲国の八重垣めぐり⑮ ~地蔵崎~
出雲国の八重垣めぐり⑯ ~意宇の社~
出雲国の八重垣めぐり⑰ ~六所神社~
出雲国の八重垣めぐり⑱ ~眞名井神社~
出雲国の八重垣めぐり⑲ ~神魂神社~
出雲国の八重垣めぐり⑳ ~八重垣神社~
出雲国の八重垣めぐり㉑ ~ヤヱカキ~
出雲国の八重垣めぐり㉒ ~玉作湯神社~
出雲国の八重垣めぐり㉓ ~熊野大社~
出雲国の八重垣めぐり㉔ ~出雲国造 その1~
出雲国の八重垣めぐり㉕ ~出雲国造 その2~
出雲国の八重垣めぐり㉖ ~稲田神社~
出雲国の八重垣めぐり㉗ ~やまたのおろち~
出雲国の八重垣めぐり㉘ ~イナタヒメ~
出雲国の八重垣めぐり㉙ ~須佐神社~
出雲国の八重垣めぐり㉚ ~ソサノヲ その1~
出雲国の八重垣めぐり㉛ ~ソサノヲ その2~
出雲国の八重垣めぐり㉜ ~ソサノヲ その3~
出雲国の八重垣めぐり㉝ ~ソサノヲ その4~
出雲国の八重垣めぐり㉞ ~長浜神社~
出雲国の八重垣めぐり㉟ ~都我利神社~
出雲国の八重垣めぐり㊱ ~万九千神社~
出雲国の八重垣めぐり㊲ ~御井神社~
出雲国の八重垣めぐり㊳ ~大国主命~
出雲国の八重垣めぐり㊴ ~大祓詞~
出雲国の八重垣めぐり㊵ ~まとめ~