出雲国の八重垣めぐり㉟ ~都我利神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

神度剣(かむどのつるぎ)

を祀るという

都我利(つがり)神社です。

 



大己貴命(大国主命)の子・
 

味耜高彦根命

(あちすきたかひこね)が、

 

旧友の眠る

喪屋(もや)を斬った剣

だといいます。

 


古事記では
大量(おおはかり)

日本書紀では
大葉刈(おおはかり)

ともいうようです。


 

アチスキタカヒコネは

 

奈良の
高鴨(たかがも)神社では

「迦毛之大御神(かものおおかみ)」
ともいわれ、

鴨(賀茂)氏とも
関わりがあるようです。

 

また、

乗馬に通じたことから

「フタアレの尊(かみ)」

ともいわれ

 

栃木の

二荒山(ふたあらやま)神社でも

祀られているといいます。

 

「フタアレ」

「二荒(ふたあら・ふたら)」

「二荒(にこう)」

「日光(にっこう)」

と転じて地名になり

 

日光東照宮も

二荒山神社の社領に

建てられたようですね。

 


ホツマツタヱには


かみはかり
つかはすひとは
あまくにの
あめわかひこと


とあり、

国譲り(くにゆずり)
さきがけて遣わされた

3番目の使者が
アメワカヒコ(天稚彦命)
だったといいます。




このかみもまた
まめならす
たかてるひめお
めとりつつ


1番目の使者
天穂日命(ほひ)

2番目の使者
大背飯三熊之大人

(おおせいいみくまの)
につづいて

3番目の使者
ワカヒコもまた朝廷に

忠(まめ)をつくさず、

出雲の
タカテルヒメ(高照姫命)
めとったといいます。

 



タカテルヒメの兄が
アチスキタカヒコネです。

 

ワカヒコとタカヒコネは

仲が良かったようですね。

しかし、ワカヒコは
朝廷の恨みをかって
討たれてしまうのでした。




たらちねの
はやちにかはね
ひきとりて
もやおつくりて
かりもかり


ワカヒコのご両親は
ただちに屍を

ひきとって

喪屋をつくって
仮殯(かりもがり・葬儀)
おこなったといいます。



アチスキタカヒコネも
弔問にうかがったのですが


このかみすかた
わかひこに
うるりわけゑす


タカヒコネの姿は
ワカヒコに
瓜二つだったといいます。

ワカヒコの親族も

『きみはいける』
「ワカヒコは生きていた」

というほど

似ていたようです。

 

これに、

タカヒコネは激怒した

といいます。





ともなれはこそ
おちにとふ

われおなきみに
あやまつは

あらけからしや
はらたちと



友なればこそ
遠方まで弔問にきたのに

わたしを亡きワカヒコと
間違えるとは

なんと穢らわしいことだ
腹が立つ


といって、


もやきりふせる
あおはかり
さけてかんとお
さらんとす


喪屋を斬りふせる

アオハカリ(汚穢はらい)

をすると

汚穢をさけて神戸(葬儀場)を
去ろうとしたようです。

 



ホツマツタヱでいう
「アオハカリ」は

 

剣の名だけでなく
「アオ(汚穢)」をはらう

行為もさすようですね。

「ハカリ」は
仮殯(かりもかり)を放(はな)つ
仮殯(かりもかり)を破(は)する
でもあるのでしょうか?

そして、
「かんとをさらん」の

「神戸(かんと)」から

 

「神度剣(かむどのつるぎ)」

となったのでしょう。


出雲平野の入り江を
「神門水海(かんどのみずうみ)」
といったのも関係あるのでしょうか?

 



怒って帰ろうとする
アチスキタカヒコネのまえに

ワカヒコの妹・
オクラヒメ(大倉姫命)があらわれて

和歌をうたったといいます。

 

その歌が、あまりに

見事だったことが縁となり

タカヒコネとオクラヒメ
結ばれたようですね。

 


 

ここには、ふたりの

出会いのきっかけともなった

アオハカリが祀られるようです。


ただし、祭神は
味耜高彦根命(あちすきたかひこね)
だといいます。

白雉三年(652)に
勧請したといいますから

どこかから
遷ってきたのでしょうか?



熊野(くまの)神社
伊佐波(いざわ?)神社
稲荷(いなり)神社
天満宮(てんまんぐう)

も合祀されていて

伊弉諾命(いざなぎ)
伊弉冉命(いざなみ)
速玉男命(はやたまお)
事解男命(ことさかお)
倉稲魂命(うかのみたま)
軻遇突命(かぐつち)
道實霊神(みちさねたま)

を祀るといいます。

道實霊神とは
菅原道真(すがわらみちざね)
のことでしょうか?

ほかに、

伊佐波神社では

伊射波止美命(いざわとみ)
泣沢女神(なきさわめ)


を祀るともいいます。

 

 

なかでも、
本殿のうしろにある


荒神(こうじん)

とても素敵でした。

 

 

藁蛇(わらへび)

顔まではっきりとわかります。

 

出雲の
龍蛇(りゅうじゃ)信仰

とてもとても気になります。

 

また、

境内は高台になっていて

出雲平野をはさんだむかいに

 

仏教山(ぶっきょうざん)

みえることから、

 

出雲のカンナビ信仰

関わりがあるのでしょう。

 

 

石祠には

塞ノ神・牛頭像・双体像

が祀ってあるようです。

境内には

武頭天神社があり
ソサノヲ(素戔嗚尊)
祀られているといいますから、

牛頭像もまた
祗園信仰(牛頭天王)

でしょうか。

 

塞ノ神や双体像は

長浜(ながはま)神社でも

三ツ鳥居に祀られていました。

 

 

だとすると、この

磐座も要石(かなめいし)

なのかもしれませんね。

 

また、
出雲国造(いずもこくそう)家
4代目に


「津狭命(つがり)」
というかたがいるらしく

 

「都我利(つがり)」神社との

関わりもあるのではないか?

ともいわれるようですね。

 

 

1・5キロ西にある

伊怒(いぬ)神社を

西の宮といい、

 

都我利神社を

東の宮ともいうそうです。

 

また、
都我利神社の境内には

 

義民中島治平衛碑
がありました。

 


江戸時代に
増税に苦しむ農民を救った
村役人だといいます。

 


 

タカヒコネを祀る神社は
阿須伎(あすき)神社があり

タカヒメを祀る神社は
大穴持御子神社(三歳社)
ありました。

三歳社は

タカヒメの実家とも

いわれたようですから

タカヒコネやタカヒメは
このあたりに暮らしていた
のかもしれませんね。




出雲国の八重垣めぐり㊱ へ つづく

 

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆八重垣めぐり全記事リスト☆
出雲国の八重垣めぐり① ~出雲~
出雲国の八重垣めぐり② ~出雲大社 参道~
出雲国の八重垣めぐり③ ~出雲大社 本殿~
出雲国の八重垣めぐり④ ~千家家と北島家~
出雲国の八重垣めぐり⑤ ~八雲の瀧~
出雲国の八重垣めぐり⑥ ~三歳社~
出雲国の八重垣めぐり⑦ ~稲佐の浜~
出雲国の八重垣めぐり⑧ ~塩掻島~
出雲国の八重垣めぐり⑨ ~国譲り~
出雲国の八重垣めぐり⑩ ~神在祭~
出雲国の八重垣めぐり⑪ ~命主社~
出雲国の八重垣めぐり⑫ ~宍道湖~
出雲国の八重垣めぐり⑬ ~佐太神社~
出雲国の八重垣めぐり⑭ ~美保神社~
出雲国の八重垣めぐり⑮ ~地蔵崎~
出雲国の八重垣めぐり⑯ ~意宇の社~
出雲国の八重垣めぐり⑰ ~六所神社~
出雲国の八重垣めぐり⑱ ~眞名井神社~
出雲国の八重垣めぐり⑲ ~神魂神社~
出雲国の八重垣めぐり⑳ ~八重垣神社~
出雲国の八重垣めぐり㉑ ~ヤヱカキ~
出雲国の八重垣めぐり㉒ ~玉作湯神社~
出雲国の八重垣めぐり㉓ ~熊野大社~
出雲国の八重垣めぐり㉔ ~出雲国造 その1~
出雲国の八重垣めぐり㉕ ~出雲国造 その2~
出雲国の八重垣めぐり㉖ ~稲田神社~
出雲国の八重垣めぐり㉗ ~やまたのおろち~
出雲国の八重垣めぐり㉘ ~イナタヒメ~
出雲国の八重垣めぐり㉙ ~須佐神社~
出雲国の八重垣めぐり㉚ ~ソサノヲ その1~
出雲国の八重垣めぐり㉛ ~ソサノヲ その2~
出雲国の八重垣めぐり㉜ ~ソサノヲ その3~
出雲国の八重垣めぐり㉝ ~ソサノヲ その4~
出雲国の八重垣めぐり㉞ ~長浜神社~
出雲国の八重垣めぐり㉟ ~都我利神社~
出雲国の八重垣めぐり㊱ ~万九千神社~
出雲国の八重垣めぐり㊲ ~御井神社~
出雲国の八重垣めぐり㊳ ~大国主命~
出雲国の八重垣めぐり㊴ ~大祓詞~
出雲国の八重垣めぐり㊵ ~まとめ~