紀伊国の熊野めぐり⑨ ~熊野速玉大社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

熊野三山(くまのさんざん)
のひとつ、

熊野速玉大社
(くまのはやたまたいしゃ)です。



熊野川(くまのがわ)の
河口から3キロほどの

河辺にありました。

 



背後の
千穂ヶ峰(ちほがみね)には
2つの頂上があり

熊野速玉大社に近い

北を
権現山(ごんげんやま)

南を
神倉山(かんのくらやま)
というようですが、

熊野速玉大社は

もともとこの

神倉山に鎮座していた

といいます。



縁起によると
熊野権現は、
 

インドや唐をへて
日本にやってくると、

九州の
英彦山(えひこさん)、

四国の
石鎚山(いしづちさん)、

淡路島の
諭鶴羽山(ゆずるはさん)
をわたって

熊野の神倉山に
降臨したといいます。



神倉山には
「ゴトビキ岩」という
磐座があり、

初代・
神武(じんむ)天皇が
東征のさい

登拝されたという
『天磐盾(あめのいわたて)』は
ゴトビキ岩である
ともいわれているようです。

 



ゴトビキとは、
地元の方言で
ヒキガエルこのことだといい

この磐が
大きなカエルに
みえるのだそうです。




第12代・
景行(けいこう)天皇の世に

現在の社地に
新しい宮をつくって
遷座されたことから、

熊野速玉大社は
「新宮(しんぐう)」
ともいわれるといいます。

 



奈良時代の女帝である
第46代・
孝謙(こうけん)天皇の世には

『日本第一大霊験所』
を賜わり、

熊野三山では
もっとも「はやく」
『熊野権現』の名を
賜ったようです。



祭神は
熊野速玉大神
(くまのはやたま)といい

一説には、
那智権現である
熊野夫須美(くまのふすみ)の

夫であるとか
御子であるとも
いわれているようです。

 



また、
船の舳先で
黒潮を切り裂く
水しぶきを

聖なる玉として
「速玉」とよんだ
という説もあるようです。

 



日本書紀には
速玉男神(はやたまお)
という神がいで、

この世とあの世の境で
イサナギとイサナミが
別れを告げるとき、

イサナギの吐いた
唾から生まれた神と
いわれているようです。

 



またおなじく
熊野の神々として祀られる
事解男神(ことときお)も

この唾から
生まれているので、

速玉男神は
速玉大神ではないかと
いわれているようですが、

 

記述がすくないために

よくわからないといいます。

 



ホツマツタヱには、


とようけの
ひめのいさこと
うきはしお
はやたまのをか
わたしても
とけぬおもむき
ときむすふ
ことさかのをそ


とあり、


豊受大神の娘である
イサナミ(イサコ)と

イサナギのあいだに
浮橋をかけるよう
仲人をした
速玉男だったが、

ふたりの心は
解けなかった。

これを解きほぐして
仲を結んだのが
事解男である。


とも
読めるようです。



この
事解男神を祀るのが、

速玉大社から
1.5キロほど東にある
阿須賀(あすか)神社です。

 



神倉山に降臨した
熊野権現はのちに

阿須賀神社に
遷ったともいい、

熊野三山とならぶ
信仰をあつめていた
ともいいます。

 



また、
阿須賀神社には

秦(しん)の始皇帝から

遣わされた仙人の
徐福(じょふく)が到来し

さまざまな技術を伝えた
ともいわれているようです。

 



徐福到来は、


第7代・
孝霊(こうれい)天皇の世だと
伝えられているようですが、

この時代の熊野に
気になる伝説がありました。



千代包(ちよかね)という
猟師が山で
イノシシを追っていたところ、

金のカラスに
導かれたといいます。

すると
櫟(いちい)の巨木のうえに
発光体を見つけたそうです。

千代包が
矢をつがえて問うと
光は3枚の鏡となって


天照大神の
5代目の子孫にして
 

摩訶陀国(まかだこく)
〔古代インドの王国〕の
主であったものだ。


熊野権現としてあらわれるのも
わたしである


とこたえたそうです。



千代包はかしこまって
木のもとに
3つの庵をつくって
祀ったといいます。

これが
熊野本宮大社

(くまのほんぐうたいしゃ)

のはじまりだといい、

千代包はその後
熊野三山の
管理職になったといいます。



また、千代包が
カメを突いて
熊野権現に祀ったのが

熊野速玉大社の地とも
されているようです。

 



金の烏は
八咫烏(やたがらす)のこと
だといわれていますが、

八咫烏はもともと
熊野の伝承であったらしく

そのころはただ
不吉な烏
とされていたようです。



3本足とされたのは
平安中期ともいわれていて

朝鮮や大陸に伝わる
「三足烏(さんそくう)」の
伝承と結びついたのでは
といわれているようです。

 


三足烏は
太陽に住むといわれ、
 

日烏や金烏とも
いわれていたといいます。

ちなみに、
月にはカメや

ヒキガエルが住む

といわれていたようです。



元来あった
イサナミ由来の
カラスへの信仰に

徐福由来の
大陸の信仰が
結びついたのかも
しれませんね。


しかしながら、
速玉男と事解男がなぜ
熊野に関連するのかは
よくわからないといいます。

一説には、
熊野の地を治める
大臣だったのではないか
ともいわれているようで、

熊野三山では

祖神を祀っているのではないか
とも思われます。



とはいえ、
こうして結ばれた

イサナギ・イサナミには
 

縁結びの神徳も

あるといわれていて

境内では
梛(なぎ)の木が

御神木とされていました。

 


葉脈が縦にはしる
梛の葉は
切ろうとしても
なかなか切れないことから、

縁結びの木として
親しまれているといいます。

 



むかしは女性が
好きな男性との
縁が切れないように

鏡の裏にこの葉を
入れていたようです。

 


平清盛(たいらのきよもり)の
嫡男である
平重盛(たいらのしげもり)の
手植えだといい

樹齢1000年を超える
日本最大の梛だそうです。

 



また、
梛は『凪』にも通じることから
海上安全の霊験もあるようです。

宿り木として
「ぼうらん」という
蘭が育っているのも
見ものだといいます。

 



平安末期の歌人・
藤原定家

(ふじわらのていか)も


千早ぶる
くまのの宮の
なぎの葉を
かわらぬ千代の
ためしにぞ折る


と詠んでいて、

もしかするとこれは
熊野の神と千代包を
イサナギ・イサナミの
梛で結んでいるのでは?

と読むこともできそうです爆  笑



熊野本宮大社
極楽浄土

熊野那智大社

(くまのなちたいしゃ)が
補陀落(ふだらく)浄土
とされたように、

熊野速玉大社は
薬師如来(やくしにょらい)の
垂迹として

浄瑠璃(じょうるり)浄土と
されたといいます。

 



もしかするとこれは、
徐福がたどりついたとされる

蓬莱山(ほうらいさん)
のことをいうのかもしれませんね。

 

阿須賀神社のある

飛鳥(あすか)山は、

 

蓬莱山とも

いわれるようです。


 

今回は、

神倉山の
ゴトビキ岩にある
神倉神社にも

蓬莱山のある
阿須賀神社にも
行くことができませんでした。



神倉(かみくら)神社には、
祭神として

高倉下命(たかくらした)
祀られているといいます。



この方は
神武東征のさい

瘴気にあてられた

神武一行を救った

といわれいます。

熊野本宮の

宮司家の祖神とも
されているところから、

この地にゆかりも深く、
千代包との関係も

気になることです。


紀伊国の熊野めぐり⑩ へ つづく

 

 

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紀伊国の熊野めぐり② ~クマノ・神代~
紀伊国の熊野めぐり③ ~クマノ・人代~
紀伊国の熊野めぐり④ ~熊野本宮大社~
紀伊国の熊野めぐり⑤ ~大斎原~
紀伊国の熊野めぐり⑥ ~熊野那智大社~
紀伊国の熊野めぐり⑦ ~青岸渡寺~
紀伊国の熊野めぐり⑧ ~那智の滝~
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紀伊国の熊野めぐり⑩ ~花の窟神社~
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