紀伊国の熊野めぐり④ ~熊野本宮大社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

全国に
4,800社ちかくある
熊野神社の総本宮、

熊野本宮大社
(くまのほんぐうたいしゃ)です。



熊野速玉大社
(くまのはやたまたいしゃ)
熊野那智大社
(くまのなちたいしゃ)
からなる

熊野三山
(くまのさんざん)の
中心地であり、



かつては
『蟻の熊野詣』と
いわれるほど

行列の途絶えることのない
聖地だったようです。



ただし、この地は
明治22年の大水害による
遷座だといい、

当初の鎮座地は、
500メートル南にある

大斎原(おおゆのはら)
だったといいます。

 



大斎原は
熊野川(くまのがわ)の
中州にあたり

境内にゆくには
川にはいって
裾を濡らしていった

ともいうようです。

 



大斎原には、
下四社・中四社・上四社の
12の社殿があったそうですが、

奇跡的に難をのがれた
上四社を遷して、

 

現在の本宮に
お祀りしているといいます。



主祭神は、
家都美御子大神
(けつみみこ)だといいます。

記紀にものこらない
謎の神さまですが、

樹々を支配する神であり
木(紀)の国の
由来になったともいわれ、

また、
造船術を伝えたことから
船玉(ふなたま)大明神とも
いわれたようです。

 



奈良の

大峰山(おおみねさん)を
水源として、

天ノ川(てんのかわ)
十津川(とつかわ)
と名をかえながら

紀伊山地を
さくように流れる
熊野川は、

水の大動脈であり、


筏(いかだ)によって
山地の優良な木材を
運んでいたそうです。

こうした歴史も
神徳に反映されているのかも
しれませんね。



しかしながら、
明治期の急激な伐採が
大水害に繋がったとも

いわれるようですから、

人と自然のバランスの
難しいところですね。



ところで、
熊野三山は

熊野本宮大社では
家都美御子神を、

熊野速玉大社では
熊野速玉男神

(くまのはやたまお)を

熊野那智大社では
熊野牟須美神

(くまのむすび)を

それぞれ
お祀りしているといいます。



どのかたも、
記紀にはあまり残っていない

謎の方ばかりですが、

熊野ではこの方々を

家都美御子神は
素戔嗚尊(すさのを)

速玉男神は
伊弉諾神(いざなぎ)

牟須美神は
伊弉冉神(いざなみ)

として
お祀りしているようです。



ホツマツタヱによれば、

クマノ』は
イサナギとイサナミが
ソサノヲを産んだ地であり、

その事績を
称えているのかもしれません。

 



また、
クマノクスヒ
天照大神の御子で、

亡き祖母の
イサナミを祀った方
だといいます。




速玉男は
イサナギとイサナミの
仲人であり

熊野の大臣だった
かもしれないようです。




そして
家都御子は、

初代・神武(じんむ)天皇の
種違いの兄であり

母である玉依姫の
連れ子のことかもしれない

というのも
紀伊国の熊野めぐり③ ~クマノ・人代~
書きました。

 



とすると、
熊野の地は
ソサノヲの出生にはじまり、

以後は、
熊野を治めた方々を

祖神として祀ってきた

ともいえそうです。

 



熊野本宮大社の
社伝によれば、

およそ2000年前の
第10代・
崇神(すじん)天皇の世に
創建されたといいます。



天火明命(ほのあかり)
孫であり、

高倉下(たかくらじ)
子である

熊野連(くまののむらじ)の
子孫らが代々この地で
お祀りしてきたそうです。

 



ホツマツタヱによれば、


ホノアカリ
饒速日の父(義父)であり

タカクラシタ
ホノアカリや饒速日の
養子だったようですが、




やはりクマノは、
この地に暮らした人々が

往古の
イサナギ・イサナミへの
感謝の念を永遠に忘れずに
生きつづけている
という感覚さえあります。



奈良時代以降、
仏教を取り入れると
神仏習合も色濃くなり、


熊野権現や熊野三山と
いわれるようになったようですが、



そうしたなかでも、
イサナギ・イサナミ・
ソサノヲの名が

こうして
残っているというのは
とても興味深いことです。

 



逆にいえば、
なぜこの地に
この3神が残るのか

説明をする事績が
記紀にはないというのも
面白いところです。



またここには、
有名なお札として

『牛王神符(ごおうしんぷ)』という
88匹のカラスで描かれた
札があるといいます。

ソサノヲの垂迹である
牛頭天王(ごずてんのう)から
きているのでしょうか。



また、
『ジョジョの奇妙な物語』で知られる
荒木飛呂彦先生によるデザインの


「和の守」という

お守りもあるといいます。

 



巡礼の道として、
親善関係にあるという

熊野古道と
スペインの
サンティアゴ・デ・コンポステーラが
描かれているといいます。

次回訪れたときには
ぜひいただきたいですね。

 

 

紀伊国の熊野めぐり⑤ へ つづく

 

 

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☆熊野めぐり全記事リスト☆

紀伊国の熊野めぐり① ~玉置神社~
紀伊国の熊野めぐり② ~クマノ・神代~
紀伊国の熊野めぐり③ ~クマノ・人代~
紀伊国の熊野めぐり④ ~熊野本宮大社~
紀伊国の熊野めぐり⑤ ~大斎原~
紀伊国の熊野めぐり⑥ ~熊野那智大社~
紀伊国の熊野めぐり⑦ ~青岸渡寺~
紀伊国の熊野めぐり⑧ ~那智の滝~
紀伊国の熊野めぐり⑨ ~熊野速玉大社~
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