紀伊国の熊野めぐり① ~玉置神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

奈良県の南端、
玉置山に鎮座する


玉置(たまき)神社です。

 

吉野からつづく
大峰(おおみね)山系の

南端でもあり、

 

大峯奥駈道

(おおみねおくがけみち)という

修行道にもあたるここは

 

標高1,076メートルの

霊山であり

 

駐車場からすでに

絶景でした。

 



熊野川(くまのがわ)ぞいに
下ればすぐ

県をまたいで
熊野本宮(くまのほんぐう)
大社があります。

 



熊野本宮大社
熊野速玉(はやたま)大社
熊野那智(なち)大社を

 

あわせて
熊野三山(くまのさんざん)
というのは、

神仏習合の時代に
仏教が盛んであったことや
修験道の行場とされていたことに
よるといいますが、

 



玉置神社はかつて
そんな熊野三山の

奥の院だったそうです。

 



いまでは
『呼ばれないといけない神社』
ともいわれていて、

パワースポットとしての
人気もあるようです。



玉置山は初代・
神武(じんむ)天皇が
東征を行ったさいに

この地で兵を休めて
十種神宝(とくさのかんだから)
祀ったともいわれているらしく、

宝玉を置いたことから、
玉置になったともいうようです。

 



社伝によれば、
第10代・
崇神(すじん)天皇の世に、

王城火防鎮護と
悪魔退散のため、


花巖(はなのいわお)神社から
早玉(はやたま)神を

勧請したといい、

早玉神を置いたことから
玉置ともいうようです。



また、
修験道の開祖である
役行者(えんのぎょうじゃ)

真言宗の開祖である
空海(くうかい)も

この地で修行をして
宝珠を納めたといい、

それが
玉置になったともいいます。

 



さらには、
忌部(いんべ)氏の祖である
手置帆負神(たおきほひ)を
祀っていたものが

手置から玉置にかわった

という説もあるようです。



ほかにも、
山頂付近には
海底火山の噴火による
溶岩が冷えて固まった

枕状(まくらじょう)溶岩が
露頭しているのですが、

 



これらの溶岩が、
玉が重なったように見えることから
玉置ともいうようです。

 



この溶岩を
自然信仰の対象として
祀ったのがはじまりとも
とれるようですが、

 



おもしろいのは、
玉置山は別名を
沖見岳(おきみだけ)といい、

晴れた日には
海が見えるといいます。

 



熊野川にそって
山がきれているため

谷あいの奥にそびえる
玉置山を

熊野灘の漁師たちも
目印にしていたといいます。

 



ですから、
海から遠い社ながら


漁師たちからも
崇敬を受けていたといいます。

 



広大な神域には
杉の巨木がたちならび

 



なかでも
神木とされる杉たちは
幹まわりだけで
8~10メートル、

高さは
30~50メートルに
およぶといいます。

 



参道は、
本殿をとりかこむように
環状になっていますが

これを
環(たまき)ととることも
できそうです。

 

本殿までは

すこし歩きます。

山容をながめるのも

とても心地がよいです。

 



すでに神域なのでしょうが、

本殿がちかづくほどに

空気が研ぎ澄まされてゆくようです。

 


 

酔うほどに
澄んだ圧があるというのでしょうか

寒い日でもあったので
よけいに神性さを

感じたように思います。

 



ご祭神は、

原初神である
国常立尊(くにとこたち)

伊弉諾尊(いさなき)
伊弉册尊(いさなみ)
の両親神さま、

皇室の祖の
天照大神(あまてらす)、

初代・神武天皇である
神日本磐余彦尊
(いわれひこ)です。

 



そうそうたる方々が
祀られています。

 

 

けれども、
崇神天皇の世に

祀られたのは
 

速玉神とされる

イサナミといわれていますから、

ここは
イサナミの宮と
いえるのかもしれません。



ホツマツタヱによると

紀伊国はもともと
ソサ州(くに)といわれていて、

イサナミはソサ州で

男の子を産んだことから、

ソサの男、
ソサノヲという称え名が
ついたといいます。

 



これが記紀でいう
素戔嗚尊(すさのお)です。

生理中の交わりで
産まれた子だといい

血による汚穢(おえ)が
隈(くま)という
悪しき事態としてあらわれ

ソサノヲは乱暴者に
生まれついてしまった
といいます。




いさなみは
よのくまなすも
わがをゑと
たみのをゑくま
みにうけて
まもらんための
くまのみや


ソサノヲの暴虐が
民を苦しめたために

母・イサナミは
その罪や世の汚穢隈を
一身に背負って
民をまもるために

隈の宮(くまのみや)で
償いをしたといいます。



隈の宮は、


熊野本宮大社や
熊野速玉大社とも
いわれているようですが、

玉置神社は
行場になるほどの
地でもあり、

償いをするには
合っているようにも
おもわれます。



また、
前記事の天孫・
クシタマホノアカリ

十種神宝をもって
河内にはいるとき
熊野の沖から


みくまのの
みやゐおがみて


とあり、

沖合から見えた

隈の宮を拝んだ
ともとれそうです。

 



だとするとここは、


イサナミが
世のすべての穢れを
償った場所であり

まさに
悪魔(あくま)退散の地、

 

天(あ)の隈(くま)を
退けた地でもある

のかもしれません。

 


そんな
霊地であるとしたら、


いまでもこれだけ
おおくの人が訪れる理由が
わかる気がします。



次回は、
熊野について

 

もうすこしくわしく

書いてゆこうかと思います。
 

 

紀伊国の熊野めぐり② へ つづく

 

 

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☆熊野めぐり全記事リスト☆

紀伊国の熊野めぐり① ~玉置神社~
紀伊国の熊野めぐり② ~クマノ・神代~
紀伊国の熊野めぐり③ ~クマノ・人代~
紀伊国の熊野めぐり④ ~熊野本宮大社~
紀伊国の熊野めぐり⑤ ~大斎原~
紀伊国の熊野めぐり⑥ ~熊野那智大社~
紀伊国の熊野めぐり⑦ ~青岸渡寺~
紀伊国の熊野めぐり⑧ ~那智の滝~
紀伊国の熊野めぐり⑨ ~熊野速玉大社~
紀伊国の熊野めぐり⑩ ~花の窟神社~
紀伊国の熊野めぐり⑪ ~熊野三山~
紀伊国の熊野めぐり⑫ ~カグツチ~