紀伊国の熊野めぐり⑧ ~那智の滝~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

熊野那智大社
(くまのなちたいしゃ)の別宮・
飛瀧(ひろう)神社は
 

那智大滝(なちのおおたき)を
ご神体としています。


社伝によれば
初代・神武(じんむ)天皇は
東征のさい

この滝をみつけて
大己貴命(おほなむち)を

祀ったのがはじまりだといいます。

 

しかしこの社伝には
疑問ものこることから、

それ以前より
自然信仰の地と

されてきたようです。



第16代・
仁徳(にんとく)天皇の時代まで

 

熊野那智大社は

滝のふもとにあったといいます。



またこの時代には、


インドより漂着した
裸上(らじょう)上人が


この地で

如意輪観音菩薩

(にょいりんかんのんぼさつ)を

感得したといい、

それが現在、
那智大社に隣接する
青岸渡寺(せいがんとじ)
由緒にもなっていました。

 


境内には、
光ヶ峯(ひかるがみね)の
遥拝石もありました。

これは、
那智権現が降臨したという
那智三峰のひとつ

光ヶ峯をまつるようです。

 



那智大滝は
落差133メートル、
落ち口の幅13メートル、
 

滝つぼの深さ
10メートルともいわれ、

日本三名瀑や
日本三大神瀑にも
かぞえられるといいます。



落ち口が
3つにわかれていることから
三筋の瀧(みすじのたき)
ともよばれるようです。



全長7キロという
那智川(なちがわ)の

上流にある
那智大滝ですが、

水源である
那智山(なちさん)には

ほかにも
60あまりの滝があるといいます。



そのうち

48の瀧は、
 

那智四十八滝

(なちしじゅうはちたき)という

行場になっていて、

 

『那智の滝』というのは

那智四十八滝の総称だった

といいます。



さらにそのうちの
28の滝は

「天の二十八宿」に
対応しているともいい、

これらの滝は
地上と天界を『むすぶ』
通路ともいわれていたようです。



なかでも
飛瀧神社の御神体である

この滝は
 

「一の滝」や
「那智大滝」といわれ、

 

最大のものだといいます。

 



第65代・
花山(かざん)天皇こと
花山法皇が
 

千日の滝篭りをしたのは
さらに上流にある
「二の滝」だといいます。



伝説によれば、
花山法皇は修行中に
龍神を感得して

如意宝珠(にょいほうじゅ)と
水晶念珠(すいしょうねんじゅ)と
九穴の貝(くけつのかい)を
授かったといいます。



九穴の貝は、

その身を食べると

不老不死になるという

妙薬だといいますが、

 

花山法皇は
後の修行者のために


那智大滝の滝つぼに

貝を沈めたといいます。



第72代・
白河(しらかわ)天皇こと
白河上皇は、


海士を滝つぼに潜らせ
この貝を求めたといいますが、

海士は


笠を広げたような
大きな貝が
『取ってはならぬ』と
おっしゃった


といって
気を失ったといいます。

 



いまでも
那智の水は

 

一杯飲めば寿命が10年延びる

 

といわれているようです。

 



四十八滝の所在は
口伝による
一子相伝とされたため、

明治以降は
途絶えてしまったといいます。

 

しかし近年、
青岸渡寺の
副住職らの尽力によって
復興されたそうです。

現在では

禁足地になっていますが、


那智勝浦町観光協会が主催する
『那智の滝 神秘ウォーク』に参加すれば

二の滝や三の滝を

めぐることができるようです。

 

 

もちろん

行場ですから、

 

正式な作法や

準備がいるようです。


役行者(えんのぎょうじゃ)や
空海(くうかい)
最澄(さいちょう)らも
この地で修業したといいますし、

安倍晴明(あべのせいめい)も
この地にこもった
といわれているようです。

 

とてつもない

聖地なのでしょうね。

 



またおおくの
歌人や俳人も
おとずれていたようです。

ぼくの大好きな
高浜虚子(たかはまきょし)は


神にませばまこと美はし那智の滝


とよみ、
その息子である
高浜年尾(としお)は


旅半ば春行く那智の大滝に


とよんだといいます。



また
若山牧水(わかやまぼくすい)は


末うすく落ちゆく那智の大滝のそのすゑつかたに湧ける霧雲



与謝野晶子(よさのあきこ)は


雲の中に那智の山あり人かよひ伐木すなり春夏秋冬


与謝野鉄幹(よさのてっかん)は


修行者が清き素足のあなうらに汝なれも作仏さぶつす那智の黒石


とよんだといいます。

 

この方々はほぼ

同時代人ですね。



ちなみに、

平安時代中期の
花山法皇は


いはばしる滝にまがひて那智の山高嶺を見れば花のしら雲


平安時代後期の
西行(さいぎょう)は



雲きゆる那智の高嶺に月たけて光をぬける滝の白糸


とよんだといいます。

 

枕草子にある

 

那智の滝は熊野にありと聞くがあはれなるなり

 

も平安中期であり

花山法皇の時代のようですね。

 

ときを越えて

詠まれる地である

ということでしょうか。

 



さて、この滝、
岸壁をよくみれば


上部と下部とで
構造がちがっています。

下部の

濡れひろがった部分は
柱状節理(ちゅうじょうせつり)で、

上部の

落ち口のあたりは
板状節理(ばんじょうせつり)

になっています。

 

縦割れの層と

横割れの層が

重なっていました。

 

 

これらの節理は、

マグマが冷え固まって

できたものだといいます。

 

およそ1500万年前、

南紀の東側は

火山活動が活発であり

 

噴火によって

巨大な熊野カルデラが

形成されたといいます。

 

 

いまでは

風化や侵食によって

形は変わっていますが、

 

その痕跡は

各所に残っているといい

 

那智大滝も

そのひとつだそうです。

 

 

火山活動によってできた

浸食に強い
熊野酸性火成岩類の
花崗斑岩と

比較的やわらかい
熊野層群の地層の
境界にあるといいます。

 

おもしろいのは、

熊野信仰の地が
巨大な熊野カルデラと
ほぼ重なるように
できているところです。

火山活動によてできた
巨岩奇岩が、

聖地や霊蹟として
祀られたというのです。



いまでは
南紀に活火山はないと
いわれているそうですが、

温泉地は

各地に残っており

高温の湯が、

いったいどこからくるのか

くわしくわからないといいます。


こうした「神の湯」が
熊野の信仰を支えている

ともいえるようです。
 

 

安倍晴明をえがいた

漫画『陰陽師』では、

 

那智大滝を

女陰にたとえていましたし、

 

ホツマツタヱにあるように

クマノクスヒがこの地で

イサナミを祀ったとしたのなら、

 

この滝を、

地母神的な

女性の象徴として

いたのかもしれませんね。

 

 

虹のかかる

那智の滝は

とても素晴らしいかったですキラキラ虹キラキラ

 

 

紀伊国の熊野めぐり⑨ へ つづく

 

 

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