大和国のホツマツタヱ② ~石上神宮 その1~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

天理大学でも知られている
奈良県天理(てんり)市の
布留(ふる)町には、

布留川(ふるがわ)の南に
布留山(ふるやま)に抱かれた
石上神宮(いそのかみじんぐう)が
あります。

 



この神社は、
古代より天皇家の
武器庫として、

軍事をつかさどる
物部(もののべ)氏によって
奉斎されてきたといいます。



『日本書紀』にのこる
「神宮」は

伊勢(いせ)と
出雲(いずも)と
石上(いそのかみ)だけであり、

歴史は神代まで
さかのぼるといいます。



天照大神の孫に、


兄・櫛玉火明命

(クシタマホノアカリ)と
 

弟・瓊瓊杵尊(ニニキネ)が
いるのですが、

ホツマツタヱによると、
このふたりによって
朝廷はふたつにわかれて
いたといいます。

 



現在の天皇家は、
弟・ニニキネよりつならなる
神武(じんむ)天皇に
はじまりますが、

兄・ホノアカリは、
奈良の飛鳥に
アスカ王朝を築いて

2代目は親戚の

饒速日命(ニギハヤヒ)に
託したといいます。



日本神話にのこる
神武東征(じんむとうせい)は、

九州に暮らしていた
神武天皇が、

大和のニギハヤヒを
征伐にゆき、

ふたつの王朝を

ひとつにしたという話です。

 



その神武天皇が、
東征のさい

手にしていたのが、

布都御魂剣
(ふつみたまのつるぎ)

 

だといいます。



この剣は、
さらにむかし、

出雲をおさめていた
大国主(おおくにぬし)を

平定に向かったさい

 

鹿島(かしま)の
武甕槌神(たけみかづち)
持っていたという剣です。

 



いわゆる

「国譲り」の一幕ですが、

 

ここでも、
兄・天照大神がおさめる
天津神(あまつかみ)が、

弟・素戔嗚(ソサノヲ)が

おさめていた
国津神(くにつかみ)を、

平定したという話です。

大国主は、

ソサノヲを跡を継いで

出雲をおさめていました。

ですから、

神武天皇が東征のさいに

布都御魂剣を

かざしていたのは、

 

国譲りの故事に

あやかっっていた
のかもしれません。



また、国譲りでは、
 

武甕槌神とともに
経津主神(ふつぬし)
派遣されたといい、

この経津主神が、

布都御魂剣の
人格化であるとか、

逆に剣化されたとも
いわれているようです。



大国主もニギハヤヒも

事後、その御子は
朝廷に仕えたといいます。

大国主の子である

事代主クシヒコは、

 

天照大神の国造りに

大いに貢献しました。



神武天皇は、

ニギハヤヒの子である
宇摩志麻治命(ウマシマチ)に
 

この布都御魂剣を

奉斎させたといいます。

そうして代々、
軍事をつかさどるように
と命じたそうです。

それが、
物部氏のはじまり
だといいます。



布都御魂剣は、

はじめは朝廷内で

祀られていたのですが、

第10代・
崇神(すじん)天皇の世に、


石上神宮に
うつされたようです。



崇神天皇の世には、
宮中で祀られていた
天照大神の御霊(鏡)も


笠縫邑(かさぬいのむら)

遷されたといいます。

 

これが
元伊勢(もといせ)

はじまりです。



また石上神宮には

素戔嗚(ソサノヲ)が
ヤマタノオロチを切ったという


天羽々斬剣

(あめのはばきりのつるぎ)も
納められていたらしく、

その神霊を


布都斯魂大神

(ふつしみたま)
 

として祀っているといいます。

 



さらに、
兄・ホノアカリが
アスカ王朝を築いたさい、

天照大神より
十種神宝(とくさのかんだから)を

たまわったといいます。

 

これは、

弟・ニニキネがたまわった

三種神器(さんしゅのじんぎ)と

おなじく、

 

王位継承の

正当性をあらわす

神璽(しんじ)のようです。

東征後、十種神宝は
神武天皇へ捧げられた

といいますが、

石上神宮では、
その十種神宝も


布留御魂大神

(ふるのみたま)
 

として祀っているともいいます。

 



十種というように、
十種類の神宝であり、

1:オキツ鏡
2:ヘツ鏡
3:ムラクモ剣
4:ウナル玉
5:タマカエシ玉
6:チナル玉
7:ミチアカシ玉
8:オロチヒレ
9:ハハチシムヒレ
10:コノハヒレ

だといいます。

ここにある
ムラクモ剣は
天羽々斬剣のことだそうです。

 

鏡と剣と玉とヒレが

あるようですね。

「ヒレ」とは、
薄く細長い布のことで、

難をのがれる呪力があるとして、
ご婦人が肩から垂らしたり

(ショール?)

鏡を立てるときの
装飾として

用いられたといいます。

 



ここ、
布留の地に流れる
布留川には


不思議な伝承がありました。

そのむかし、
川上から一振りの剣が
流れてきたといいます。



その剣は、
触れるものを次々に
2つに切り裂きながら
下っていたそうです。

川下では、
うら若い娘が
洗濯をしていました。

娘はあわてて
剣を避けたのですが、

剣は
洗濯中の白い布のなかに
紛れてしまいました。



ああ、これは布も
断ち切られただろうと
娘が悲しげに川をのぞくと

剣は
布のなかに留まっていた

といいます。

これが地名にもなった
『布留(ふる)』の

はじまりだといいます。

もしかするとこれが
「ヒレ」だったのでしょうか?

 



十種神宝を称える
祝詞には
こんな一説があるそうです。


一二三四五六七八九十
(ひふみよいむなやここのたり)

布留部 由良由良止 布留部
(ふるべ ゆらゆらと ふるべ)




これは、
布瑠の言(ふるのこと)といい

十種神宝を振り動かしながら
この言葉を唱えれば、

死人さえ蘇ると
言われているそうです。

 

(ホツマツタヱでは

『ひふみよいむなやこと』)



この十種神宝は
いまだ見つかっていない

といわれています。

しかし、京丹後の

籠(この)神社には
オキツ鏡・ヘツ鏡が
奉安されているなど

各社に
伝承はのこっているようです。

その候補地として、

もちろん石上神宮も

あがっているといいますが、

 

さて、どうでしょうか?

 

爆  笑爆  笑爆  笑


大和国のホツマツタヱ③ へ つづく

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆大和国のホツマツタヱ全記事リスト☆

大和国のホツマツタヱ① ~ホツマツタヱ~
大和国のホツマツタヱ② ~石上神宮 その1~
大和国のホツマツタヱ③ ~石上神宮 その2~
大和国のホツマツタヱ④ ~桃尾の滝~
大和国のホツマツタヱ⑤ ~石上神社~
大和国のホツマツタヱ⑥ ~事代主クシヒコ~
大和国のホツマツタヱ⑦ ~大和神社~
大和国のホツマツタヱ⑧ ~大神神社~
大和国のホツマツタヱ⑨ ~久延彦神社~
大和国のホツマツタヱ⑩ ~鳥見社の勾玉池~
大和国のホツマツタヱ⑪ ~小夫天神社~
大和国のホツマツタヱ⑫ ~三輪恵比須神社~
大和国のホツマツタヱ⑬ ~志貴御縣坐神社~