大和国のホツマツタヱ③ ~石上神宮 その2~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

奈良の
布留郷(ふるのさと)にある
石上(いそのかみ)神宮です。



大和国のホツマツタヱ② ~石上神宮 その1~
で描いたように、
神代よりつらなる
由緒ある神社なのです。

しかし、
戦国時代以降は
社領没収されるなど
衰退していたといいます。



そんな石上神宮を
復興したのは

明治初期の
大宮司といわれる
管政友(かんまさとも)

だといいます。

 



水戸の国学者であった
管政友は、

維新後の混乱のなか
宮司に就任すると、

拝殿奥の禁足地を

掘り返して、

 

石上神宮の由緒とされていた
布都御魂剣
(ふつみたまのつるぎ)を

 

伝承通りに

発見したといいます。



当時は、

禁足地そのものを祀るため

拝殿しかなかったといいますが、

 

管政友は、

発掘した神剣を祀るため
 

禁足地のなかに

あらたに本殿を建て
納め祀ったといいます。



さらに管政友は、
禁足地内にある
神庫(ほくら)に納められていた

祭祀用の古い神具の
錆をはらい、

それが
神功(じんぐう)皇后の時代に
百済より献上された


七支刀(ひちしとう)だと
発見したのでした。



禁足地を掘り返したり

神器に傷をつけるという
行為の是非は難しいですが、

こうして
ほかにもおおくの神宝を
発掘した管政友によって、

石上神宮は

歴史が証明され、
復興を遂げたといいます。



ところが調べてみると、

こうした権威づけは

近代に限ったことでは

なかったようです。
 

たとえば、

拝殿にはこんな4柱が

配祀されているといいます。

宇摩志麻治命
(うましまじ)

市川臣命
(いちかわおみ)

五十瓊敷命
(いにしき)

第72代・
白河(しらかわ)天皇



ウマシマジは、
アスカ王朝を継いだ
饒速日(にぎはやひ)の子で、


石上神宮の初代祭主であり、
物部(もののべ)氏の
祖神だといいます。

 



市川は

春日の県主だったのですが、

 

神託があって
石上神宮へくだり


布瑠氏となって代々、
物部氏を補佐したようです。

春日大社の
藤原氏の紋が下り藤

石上神宮の
物部氏の紋が上り藤なのは
これに由来しているのでしょうか?

 



イニシキは
第12代・景行天皇の兄で
神庫(ほくら)の管理を
任されたそうです。

しかし後任は
物部十千根(とちね)に
譲られたといいます。

 



この十千根のとき、

丹波国造の家の飼い犬が
食い殺したムジナの腹から

八坂瓊曲玉(やさかにのたま)が
出てきたので、
石上神宮に奉納した
といいます。

紛失していたらしい
三種の神器のひとつによって、


石上神宮はこのときも
権威づけられたといいます。

 



また、
白河天皇は崇敬が厚く、
宮中の神嘉殿(しんかでん)を
拝殿として寄進したといいます。

本殿と見まごうこの拝殿は
現存する最古のものであり、
国宝に指定されているそうです。

 



この拝殿の奥に

禁足地があり、

 

本殿や神倉が

あるといいます。

 

禁足地は、剣先状の

石瑞垣(いしみずがき)に

かこまれていて、

平安時代の歌人
柿本人麻呂

(かきのもとのひとまろ)も


おとめらが
そでふるやまの
みずがきの
ひさしきときゆ
おもいきわれは


と謳ったといいます。

 



人麻呂でさえ、
「ひさしきとき」と

感じるほど古くから

「みずがき」にかこまれた

禁足地はあったようです。

またこの歌は、
布瑠の言にも通じるらしく

「みずがき」の近くをさす
「かきのもと」という名からも
呪術的なものを感じます。



ここからは、

摂社末社をみてゆきます。

 

まずは、

楼門の向かいにある、

出雲建雄神社

(いずもたけおじんじゃ)です。


 

こちらは国宝の

拝殿だといわれていますが、

 

もとは神宮寺であった

内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の

住吉社の拝殿だったといいます。

 

 

この神社は、
布留氏の神主が
尾張の宮簀媛(みやずひめ)

御霊を感得したことにはじまり、

草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂を
祀るといわれています。

 

その隣には、

小さな祠の

猿田彦神社がありました。

 


猿田彦神(さるたひこ)
住吉三神(すみよしさんしん)
息長帯比売命(おきながたらしひめ)
高龗神(たかおかみ)

を祀っているようです。

 

息長帯比売こと

神功皇后は
七支刀のゆかりでしょうか?

 


こちらは
天(てん)神社と
七座社(ななざしゃ)です。

高皇産霊神(たかみむすび)
神皇産霊神(かみむすび)



生産霊神(いくむすび)
足産霊神(たるむすび)
魂留産霊神(たまつめむすび)
大宮能売神(おおみやのめ)
御膳都神(みけつかみ)
辞代主神(ことしろぬし)
大直日神(おおなおび)

を祀るといいます。

 



これらは
宮中八神(きゅうちゅうはっしん)

神々ですね。

さらに境内の東にも
禁足地があるようで、

布留山へと
参道が伸びていました。

 



この奥には、
祓戸神社(はらえどじんじゃ)
があるといいます。

おおくの由緒や

歴史にささえられて、

 

神代より

武器庫として

栄えたこの地は、

しかし威厳に満ちた

張りつめた場所というより、


どこか
健やかな空気に満ちていた
ように思います。

 

 

ホツマツタヱには

トホコ(瓊矛)という言葉があり、

 

ここはどうやら

そのうちの「ホコ(矛)」に

関わりのある場所

なのでしょう。


たびたび

訪れたい場所です。

 

 

大和国のホツマツタヱ④ へ つづく

 

 

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