鞍馬・貴船めぐり⑥ ~貴船神社と牛鬼~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

山道から、
鞍馬寺西門を抜けると、

貴船川(きぶねがわ)沿いの
参道へでます。



鞍馬
男性的な火の場所だとすると、


貴船は
女性的な水の場所です。

ここまでくれば、
貴船(きふね)神社は
すぐそこです。

 

夏場には、

川面に畳を設えて

食事するという

川床(かわどこ)があらわれます。

川は
「きぶね」なのに、
神社を
「きふね」よぶのは、

水を祀る神社であり、
境内には
神水も湧くことから、

「濁らない」に掛けて
濁音がないといいます。



いまだに
お正月の記事を

書いていますあせる

ここをくぐると、
赤い灯篭のならぶ
階段があります。

これぞ
貴船神社という風景です。



貴船神社は川沿いに
本宮、中宮、奥宮と
わかれていまして

ここは、
本宮にあたります。

当初は、
奥宮のみだったと
いいますが、

1055年に、

水害のため
現在の本宮へと
社殿を移したそうです。



水に関わりの深い
神社ですから、

祭神も、
高龗神(たかおかみ)
という
龍神だといいます。

また、
奥宮の祭神も
闇龗神(くらおかみ)
という
龍神だといいます。



一説には、

高龗神は
山上の龍神で、


闇龗神は
谷底の龍神とも
いうようです。

これは、
金剛床の模様にも
繋がりますが、

それぞれ、
上昇螺旋(△)と
下降螺旋(▽)を
あらわしているようです。



古くから、
雨乞いや
雨止みの神社として、

朝廷から
重用されていた
といいます。

祈雨(きう)のときには
黒馬を
止雨(しう)のときには
白馬を

朝廷は
献じたそうです。

しかしいつしか、
生きた馬ではなく、
板に描かれた馬を
奉納するようになり――

それがいまの、
「絵馬」のもとに
なったといいます。



水を司る神社ですから、
境内は
水気に満ちていました。

ここで呼吸するだけで、
肺も浄化され、
細胞も活性化するような
気がしてきます。

「きふね」は
「氣生根」とも書き、

万物のエネルギーである
「氣」が
「生」じる
「根」源から
きているともいいます。

まさにそれを
体現するような、


御神木の桂には、

見蕩れてしまいます。



樹齢4百年で、
30メートルはあると
いいます。

この樹こそ、
まさに龍のようです。



境内に湧く神水は、
日本のルルドと
いわれるほどの名水で

これまでに一度も
枯れたことがないそうです。

また
3年汲み置きした水を
検査したところ、
 

腐らず変色もせず、
雑菌も繁殖していなかったといいます。





貴船神社で
もっとも人気なのは、
「水占おみくじ」

でしょう。

神水を利用した
水占齋庭(みずうらゆにわ)に、

白紙のおみくじを浸すと、
文字が浮かんでくるのです。

恋愛成就の
御利益もあることから、

多くの方々が
参拝に訪れていました。



さて、
気になるのはここからです。

社記によると、
貴船大神(きふねおおかみ)は

貴船山の中腹にある、
鏡岩(かがみいわ)という
磐座に降臨したといいます。

(現在は禁足地)

その
降臨した日時が

「丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻」

だというのです。

 



鞍馬山に降臨した
毘沙門天(びしゃもんてん)

「寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻」

でした。

丑は北北東、
寅は東北東、
艮(うしとら)は北東で、
鬼門になります。

ここを鬼門とする
場所を探してみると

嵐山に
嵯峨御所(さがごしょ)が、
ありました。



現在は

大覚寺(だいかくじ)という
寺になっています。


開基は

第52代・嵯峨(さが)天皇

だといいますが、

もとは、
空海(くうかい)が、
ここで修法を行ったのが
起源だそうです。

鞍馬山の不動堂には
最澄の像もあり……

ここに何か関係が、
ありそうな気もします。



ちなみに、
○の年、○の月シリーズは
結構あるようで、

滋賀県大津の
三尾神社には
「卯」がありました。



さて、
貴船大神が
降臨した際、

従者として、
仏国童子(ぶっこくどうじ)を
つれていたといいます。

この仏国童子が、
牛鬼(うしおに)だったと
言われているようです。

またしても
ウシです。

仏国童子はおしゃべりで、
神界の秘密も
軽々と他言してしまい、

貴船大神から、
舌を八つ裂きに
されたそうです。

仏国童子は、
奈良の吉野まで逃げて、

五鬼を従えて
首領になったといいます。

ですがやがて、
故郷が恋しくなったのか、

貴船の鏡岩にこっそり
もどってきて、
住んでいたといいます。

すると、
貴船大神も
お赦しになったそうです。

 



ですが、
その後も
仏国童子は貴船大神の
大事な弓を折ってしまい、

鎖でくくられたり、
重りをつけられたり
罰を受けるのですが、

言うことを
聞かなかったようです。

大食らいで、
130歳まで生きて、
最後は
雷に撃たれたといいます。

仏国童子の子は
僧国童子といい、

吉野で
丹生都比売(にうつひめ)
仕えていたようですが、

五鬼を引き連れて
貴船にもどり、
貴船大神に仕えたそうです。

それから代々、

貴船大神に
仕えたといいます。


4代目までは

鬼の姿だったそうですが、
5代目からは
人間の姿になったといいます。



かれらは、
祖先を忘れないように
「舌(ぜつ)」姓を
名乗ったといいます。

貴船神社には、
代々この舌さんが
神官として

仕えていそうですが、

1055年の
社殿再興以降は、

賀茂別雷神社(上賀茂神社)
摂社となってしまったようで、

神事は
賀茂(かも)一族が

行うようになり、

舌氏は
雑役担当になったといいます。



境内には、

牛一社(ぎゅういちしゃ)
という末社がありました。

いまでは
木花開耶姫命
(コノハナヤクサヒメ)を
祀っていますが、

ここはかつて、
牛鬼を

祀っていたといいます。

かつての神職にして、

牛鬼の子孫である、
舌氏の


祖神を祀っている、

ということでしょうか。


鞍馬・貴船めぐり⑦ へ つづく

 

 

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