鞍馬・貴船めぐり③ ~鞍馬寺と金剛床~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

鞍馬寺の
本殿金堂(ほんでんこんどう)です。

 



源氏物語で
紫上(むらさきのうえ)は、

ここの

桜見物にきていて、
光源氏(ひかるげんじ)に
見初められたといいます。

ですが、
いまここで有名なのは、


関西一のパワースポット
ともいわれる
金剛床(こんごうしょう)でしょう。

 

 

写真は、

一緒に神社めぐりに参加した、

大好きなてんからさんです。

 

1月2日には、

フトマニ図

描かせてもらいました。

 

ここは、

とてつもないパワーが

得られるということで、

行列ができるほどなんです。

 

もちろんぼくも

立たせてもらいました。

 



魔法陣のような造形は
星曼荼羅(ほしまんだら)を
模しているといいます。

中央にある、
六芒星(ろくぼうせい)は、

籠目紋(かごめもん)や
タビデの星といわれて
神聖視されていますが――

この形は、
循環や統合を
あらわしていて、

△は山、
上昇螺旋であり、

▽は谷、
下降螺旋であり、

それが
ひとつに調和されたものが
六芒星だといいます。



さらに、
この六芒星の中央に
三角形の敷石がみえます。

神代(しんだい)文字といわれる
ヲシテ文字でもそうですが、

世界的にみても、
△の象徴するものは、
「火」です。

おなじ原理でいえば、

○は
宇宙をあらわし、

□は
大地をあらわします。

 

この図形のなかには、

それらがすべて

描かれています。

 

それだけではありません。

本殿金堂で祀っているもの、
それは
「尊天(そんてん)」という
宇宙の大霊だといいます。



そして
本殿と向かい合うように、
配置されているのが、

翔雲台(しょううんだい)
という磐座です。



平安京の守護のため
本尊が降臨した場所
といわれています。

もとは、
金堂の裏手より出土した
経塚(きょうづか)の
蓋石だといいます。

つまりここには、
金堂(宇宙・○)と
金剛床(火・△)と
翔雲台(地・□)が

一直線に

並んでいるのです。

さらに、
金堂背後の
鞍馬山(△)と、

山門までつづく
九十九折の谷(▽)も
並んでいます。



また、
火というのは、
人間の意志や魂にも
親和性がありますから、

金剛床に立つことは、
宇宙と大地のあいだを
人間の心が結ぶ

ということでもあるようです。

 

おそらくそれが、
エネルギーを得る
ということなのでしょう。

 

これは

ヲシテ文字でいうところの

「あうわ」の関係であり、

 

現代でいえば、

「あうん」の関係になります。

 

ですから本殿前には、

阿吽(あうん)の虎が

守護しているのかもしれません。

 



となると、

本殿・床・石ラインと

阿吽の虎ラインは、

十字にクロスしている

ことになります。


面白いのは、
これらが意図的に
作られてあるということです。

ここで
鞍馬寺の変遷に
目を向けてみると、
興味深いことが

見えてきます。



創建は770年に、
鑑真(がんじん)の弟子の
鑑禎(がんてい)が


毘沙門天(びしゃもんてん)を
祀ったのが
はじまりだといいます。

796年には、
藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)の
夢枕に
貴船神社の神があらわれ、
 

鞍馬寺に

千手観音(せんじゅかんのん)を
祀るようにいわれたといいます。



太古より
霊場として栄えていた
鞍馬山には、

 

鑑禎の伝えた

律宗(りっしゅう)や、

伊勢人の

観音信仰の他にも、


古神道(こしんとう)・
陰陽道(おんみょうどう)・
修験道(しゅげんどう)・
真言宗(しんごんしゅう)
などが伝わったそうです。

そして
1110年ごろからはずっと、
天台宗(てんだいしゅう)の
寺社となったそうです。

江戸末期には
全山焼失や神仏分離にみまわれ、
苦しい時代がつづいたといいます。



そんなか、
復興に尽力したのが

住職・信樂香雲(しがらきこううん)です。

1945年の火災を機に、

香雲は天台宗から独立すると、


1947年に
鞍馬弘教(くらまこうきょう)を
開宗したといいます。

そしてここに、
護法魔王尊(ごほうまおうそん)を
祀ったといいます。

この香雲という方が、

とても興味深いのです。

 

というのも、
開宗にあたっては、

神智学(しんちがく)を
取り入れたというのです。

神智学とは、
19世紀にロシア人の
ブラヴァッキー夫人によって
提唱された
神秘主義的な考え方です。

宗教にとらわれず、
洋の東西を超えた
深淵な思想は

スピリチュアルを
大系的にまとめ上げた方
といえるようです。

ですから、
金剛床にしても、
そうした観点を
取り入れたのでしょう。

 


また、
開祖の信樂香雲は、
歌人でもあったらしく

その師匠は、
与謝野鉄幹(よさのてっかん)
与謝野晶子(よさのあきこ)
夫妻だったといいます。

香雲は、
たびたび鞍馬の地に、
ふたりを招いたといいます。

 

そんな歌碑が、

山中にも残っています。

 

この句にある

「花野」は、

 

もしかすると、

京都の古名

「葛野」と

掛けてあるのかもしれません。

その縁から、
鞍馬山中には、

ふたりが暮らした
東京の家の書斎である
冬柏亭(とうはくてい)が
移築されています。


また、

香雲の歌碑も
参道にあるといいます。


つづらをり
まがれるごとに
水をおく
やまのきよさを
汲みてしるべく


なんていう
奇しき縁でしょう。

 



さて、
本殿へはなしを戻します。

現在本殿には、

毘沙門天王、
千手観音菩薩、
護法魔王尊の

3像が

奉安されています。


鞍馬弘教では、
これらはすべて、
「尊天」の象徴であり、

これらが
三身一体となって
尊天となるのだそうです。

つまり尊天とは、
宇宙生命であり、
宇宙エネルギーであり、
真理そのものであるといいます。

その働きは、
光、愛、力となって
あらわれるといいます。

この3つの働きを、
それぞれあらわしたものが、
3尊であり、

太陽の精霊(光)
=毘沙門天王

月輪の精霊(愛)
=千手観世音菩薩

大地の霊王(力)
=護法魔王尊

となるようです。

おそらくこの関係が、
金堂(宇宙・光)と
金剛床(魂・愛)と
翔雲台(地・力)に
なるのでしょう。

そしてさらに
このラインを伸ばすと
こうなります。



貴船神社の奥宮と
一直線で繋がっているようです。

そこにはおそらく、
火と水の関係、

つまり
火水(かみ)の関係も
あるのでしょう。

さらには、
男性性の火と、
女性性の水で、

妹背(いもせ)にも
つながるでしょう。

そして、

その直線と、

 

貴船神社の里宮から

鞍馬山頂を結ぶラインは、

十字にクロスしているようなのです。

また
長くなってしまいました。

次回は、
信樂香雲が祀ったという
護法魔王尊について
書いてみようかと思います。

そこには、
650万年前に
金星より飛来したという
サナト・クマラのはなしが
あるといいます。

 

 

鞍馬・貴船めぐり④ へ つづく

 

 

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