近江大津めぐり③~三尾神社と猿田彦~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

滋賀県大津市の
三井寺(みいでら)は、

672年の
壬申の乱に起源をはっし、

第38代天智(てんじ)天皇
第40代天武(てんむ)天皇
第41代持統(じとう)天皇が

この寺の霊泉を
産湯に使ったことから、
「御井」が転じて
「三井」になったといいます。



また、
天智天皇の時代は、

都が飛鳥から、
大津に遷った時期
でもあります。

そんな

三井寺の境内に、
三尾(みお)神社があります。



神代の世に
父神イザナギが

背後の
長等(ながら)山に
降臨したのが
はじまりだそうです。

 



赤・白・黒の
三本の腰帯を
いつも垂らしていて、
それが尾にみえたことから、
三尾明神ともいうそうです。

腰帯はそれぞれ、
赤尾神(あかおかみ)
白尾神(しろおかみ)
黒尾神(くろおかみ)となり、

赤尾神は
長等山中の琴緒谷(ことおだに)に、

白尾神は
この三尾神社に、

黒尾神は
ちかくの鹿関(かせぎ)に
あらわれたといいます。

 



最初にあらわれた、
赤尾神が、

卯年卯月卯日卯刻、
卯の方角から現れたため、

ここでは
兎が神使とされているようです。

 



兎に所縁をもつことから
子宝の御利益が
あるといいます。

 



尾神を
龗神(おかみ)だとすると、

高龗神(たかおかみ)
闇龗神(くらおかみ)
にも通じる
龍のことともとれそうです。

また尾を
山尾=稜線ととると、


3本のルートが
あったともとれそうです。

 


この
「三尾」については
ホツマツタヱにも
記述がありました。

天照大神の孫である、
瓊瓊杵尊(ニニキネ)が

巡幸のため、
滋賀県高島市に
着いたときのことです。

突然、
猿田彦(さるたひこ)
があらわれて

道案内を
買ってでたのでした。



さるたして だけのいわくら
おしはなち いつのちわきの
よろいざき たけやかがみの
みおのつち つむみかみやま
いせきつく さるたおほめて
みおのかみ



猿田彦は 
固い岩盤を
払いのけて

伊豆神(ニニキネ)の
道行きを開拓しました

そして
鎧崎(よろいさき)や
岳山(たけやま)や
鏡山(かがみやま)の

三尾の土を積んで
三上山(みかみやま)を

つくりました

井堰(いせき)もつくりました

ニニキネは
猿田彦を褒めて
三尾の神の名を賜りました。

 

 

三尾明神とは、

イザナギではなく、

猿田彦のことらしいですね。

ですがこの訳にも、
諸説あります。



ニニキネの巡幸とは、
各地を開墾して

土地や民を
豊かにするための
ものだったといいます。

ですからこの
琵琶湖南西の地にも
ながく留まって、

干拓事業や
新道建設事業に
取り組んだといいます。

「つむみかみやま」は

「三尾地方から出た
土砂を積んでいると
対岸の三上山のようだ」

とも読めるようです。



さらに、

「よろいざき たけやかがみの」
三尾を3筋のルートと読むと、

山ルート、
沿岸ルート、
湖上ルートが見えてきそうです。

山ルートは、
山背国めぐり④ ~祟道神社~
でも書きました、
若狭街道のことかもしれません。


安曇川(あどがわ)を
遡上すると、
若狭街道へでます。

 



沿岸部は、
白髭(しらひげ)神社を通って、
比良山の東麓をゆくルートです。

この白髭神社は、
祭神が猿田彦です。

ニニキネを迎える際、
鵜川(うかわ)の宮という
仮宮にしていたといいます。



そして
湖上ルートです。

安曇川といえば、
安曇(あづみ)氏で
古代海人(あま)族にも

繋がりそうです。

祟道神社でも、
山背国めぐり③ ~カモ考~
でも書きましたが、
 

高島にも、
鴨川(かもがわ)があります。

鴨氏とも関係もあるでしょう。

さらに南下すると、
志賀(しが)があります。

志賀彦という、
志賀の国守がいたのですが、

この方も
船を操る一族で、
ワニ舟を考案された方
だといいます。

さらに南下すると
和邇(わに)氏の納めた地である
和邇があります。



もう少し南下すると、
琵琶湖大橋があります。

琵琶湖でいちばん
湖幅が狭い部分です。

大橋の東側には、
このとき
ニニキネが築いた仮宮、
瑞穂(みずほ)の宮が
あったといいます。

いまでは
水保(みずほ)町という
名前で残っているようです。

大橋を渡れば、
三上山、鏡山までは
すぐです。

おそらく、
この大橋部分にも、
渡し舟のようなルートが
あったのでしょう。

さらに南下すれば、
琵琶湖の南端、
大津です。



ですから、
ここ三尾神社は、
その三筋のルートの
最終合流地点で
あったのかもしれません。

では、
起点部分はどうかというと――

高島市岳山のふもとに
水尾(みお)神社があります。



水尾神社は、
猿田彦が残したという
天成神道(あめなるみち)という
教えが残っていたといいます。

そしてそれがどうやら、
ホツマツタヱのことだといいます。

後年、

ホツマツタヱを学ぶために、
三尾氏の祖となる、
磐衝別命 (いわつくわけ)が

この地に来たといいます。

この方は、
第11代・垂仁(すいにん)天皇の子です。

記紀では、
両道入姫命(ふたじいりひめ)の兄ですから、
ヤマトタケの義理の兄です。

ホツマでは違うようです。

母親は、
カリハタトベとか、
カマハタトベといわれているようですが――

ハタは秦氏のことだと
いう説もあるようです。



また、先代旧事本紀では
丹波道主の娘で
真砥野媛(まとのひめ)が
母親だともいうようです。

そしてその子孫が――
第26代・継体天皇に繋がるようです。

天皇家の
血筋断絶の危機にあらわれた、
遠縁の方で、

さまざまな議論もある方です。



近世では、
修験者の

和邇估容聡(わにこやすとし)が
三尾大明神を遙拝していたといいます。

そしてこの高島市では、
和邇估容聡の写本による
ホツマツタヱ全アヤが発見されたのでした。

 

お名前から察するに、

和邇氏のかたでしょう。



すっかり
壮大な話になってしまいました。

ここで三尾神社の
イザナギにもどります。

「サザナミノ」という
枕詞があり、

これは
滋賀や大津や長等や比良など
近江国の地名に冠して
用いるのだといいます。

イザナギ、イザナミ、
サザナミ……

ホツマツタヱによると、

4代アマカミである
ウビチニ・スビチニの時代に、

はじめて酒を献上した方が
ササナミという
名を賜ったそうです。

このササナミもまた
近江にいたといいます。

 

 

近江大津めぐり④ へ つづく

 

 

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