大和国のホツマツタヱ⑥ ~事代主クシヒコ~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

奈良の
山の辺の道
神社をめぐるにあたって、

事代主(ことしろぬし)に

想いをはせなければなりません。

 



いわゆる
恵比須(えびす)さま
のことです。

古事記・日本書紀には、
この方の活躍が
ほとんど書かれていません。

ですから今回は、
ホツマツタヱから

じっくり観てゆきたいと思います。



そもそも、
大物主(おおものぬし)も
事代主(ことしろぬし)も

神名ではなく
役職名だといいます。

たとえるなら


大物主は
内閣総理大臣で、

事代主は
内閣官房長官でしょうか。



この大役を
たまわったのが、

出雲(いずも)大社で祀られる
大国主(おおくぬし)こと

初代・大物主の
オオナムジ
(斎名クシキネ)と、

その御子である
初代・事代主
クシヒコです。


天照大神の弟である
素戔嗚尊(ソサノヲ)の
子孫であり、

出雲の地には、
ソサノヲからつづく
国つ神(くにつかみ)の
一族が住んでいました。



天照大神からつづく
天つ神(あまつかみ)の
一族は、

このとき、滋賀の
多賀(たが)大社
本拠地としており、

事代主のクシヒコは、
出雲と多賀を行き来して
両宮をつないでいたといいます。



ところが、
オオナムジの施策が
良かったのでしょう、

やがて

出雲のほうが
豊かになってくると

オオナムジは
自国の発展のみを
思うようになったといいます。

 



焦ったのは
中央政府の大臣たちです。

かれらは
策をめぐらせると、
オホナムジに
逆臣の汚名を着せて

武甕槌神(たけみかづち)らを
派兵しました。



オオナムジは、
抵抗しませんでした。
 

子・クシヒコは、
笑顔(えみすがお)で
こう答えたそうです。


われすずかにて
たらちねに
ほろろなけとも
ちのたゐぞ
さかなときるも
おろかなり
たかまはたみの
ゑみすだゐ
ゐとかけまくぞ
みことのり
わがちちさらば
もろともの


超訳するなら、


わたしは父に
忠告していたのですが
聞いてもらえませんでした。

わたしたちは
民のことを心から
思っていますので

笑顔で釣られる鯛のように
親子ともども歯向かわず
この身を捧げます。




これが、
記紀にいう
『国譲り(くにゆずり)』であり、

ホツマツタヱにいう
『カシマ断ち』です。

禍(わざわい)のある
洲(しま)を断罪した
というところでしょうか?

この武功から
武甕槌神は
鹿島(かしま)神となります。



あっさりと

国を明け渡した
情けない神さま、

に見えるかもしれませんが、


ぼくはここに、
国つ神の民の血を
流したくなかった

族長の想いがあるように感じます。

 

そしてもしかすると、

親子で結託して

一芝居うったような気もするのです。

またこのとき、
天つ神の軍のなかには

大物主が統括する
兵士の物部(もものべ)が
参戦していたといいます。

皇軍と戦えば、
部下を斬ることにもなります。



オオナムジは素直に
父・ソサノヲより受け継いだ
草薙剣(くさなぎのつるぎ)を

皇軍に差し出して
従ったといいます。



この一件により、

オホナムジは
大物主から降ろされ
青森に左遷されたそうです。

クシヒコは、
天津神の大臣の娘と
結婚させられると、

父の跡を継いで
2代目・大物主に
なったといいます。

 



これはおそらく、
出雲の民の反乱を恐れて
という面もあるのでしょう。

このとき結ばれた
天津神の娘というのが、

亀岡の
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)

祀られるミホツ姫です。



ふたりの宮は、
滋賀県高島市の
与呂伎(よろぎ)神社に
あったともいいます。



クシヒコには
逆心などまったくなく、

大物主となってからも
国に尽くしたといいます。

そこにはクシヒコの
この国を良くしたいという
強い思いがあったように感じます。

そうした
クシヒコの活躍がみられるのは、

天照大神の孫である、
兄・ホノアカリと
弟・ニニキネの時代に
なってからです。

 



天照大神から
十種神宝(とくさのかんだから)
たまわった
兄・ホノアカリは、

大和の斑鳩(いかるが)に
王朝をひらきます。

しかし
それからほどなく、
王宮から山を眺めていると
不吉なカラスが飛んだといって、


ホノアカリはすぐまた
遷都したいと

言い出したそうです。

 



鏡臣アマノコヤネ
たしためましたが、

羽臣フトダマや
カグヤマはへつらいました。

クシヒコはもう

怒り心頭です。


きなふよろとし
きみいわう
けふまたかわる
みやうつし
よろちはとおし
ひととせも
へざるおせめは
よのはじは
なんちのこころ
けがれより
きみあやからば
われおらす
あかねほのほに
つみすとも
まろかせはめど
けかれゑず


超訳すると、


昨日、
遷都を祝ったばかりなのに、

今日また
遷都を言いだすとは、

ながく安らかな国造りからは
程遠いではないか!

一年も待てない大君を
大臣として諫めないのは
心が穢れているからだ!

大君がわたしの言葉を
聞き入れないのなら、

たとえ
紅き炎に焼かれた鏝で
罪人のそしりを受けようとも、

枷を嵌められ
投獄されようとも、

穢れた宮中にはおれぬ!


そう啖呵を切って
出て行ったといいます。

 

格好良すぎてシビレます。

そんなクシヒコに
目をつけたのが
天孫の弟・ニニキネです。

良い国を造りたいと
願っていたニニキネは、

じぶんの本拠地となる
新しい宮の造営を
クシヒコに命じました。

 



するとクシヒコは、
図面や木材の手配や
基礎工事から

イカスリ、築造、
棟上げまで

すべてを
吉日・吉方に行うよう
事細かく算段して
事業を成し遂げました。



その手腕に
ニニキネは感服して、

ヲコヌシ(大地主)の
称号を与えたといいます。

これがいわゆる
大国主という称え名です。

記紀では
父であるナムジの称号と
なっていますが、

 

ホツマツタヱでは

大国主という称え名は

クシヒコのことだといいます。



ところで、
大物主というのは、
軍事を統括するので

 

物部(もののべ)氏とも

縁が深いのですが、

あるときクシヒコは、
天照大神に、

 

何故、国を治める神宝に
剣(つるぎ)という
物騒なものがあるのですか?

と質問をしたそうです。

すると、

天照大神は

とても丁寧に
応えたといいます。
 

 

国が豊かになれば、
おごり高ぶって慾に走り
国に背くものがでる。

そのときには、
罪を裁く矛が必要となる。

しかしそれは、
わが子である民を斬るための
武器ではなく、

不安や暴力から
国民(八民・ヤタミ)を

守るための八重垣だ。





ツ・ル・ギ

という言葉は、

日の沈む西(ツ)であり
尽きるでもある『ツ』と、

枯れたものを
炎で焼くという『ル』と、

日の登る東(キ)であり
再生をあらわす『キ』に
濁音をつけて滞らせ、

復活できないようにした『ギ』
からできた言葉だといいます。

 



すると、

天照大神は

 

父・イサナギと

母・イサナミから

受け継いだ

天の逆矛(あめのさかほこ)を

取り出しました。

 

 

ホツマツタヱには

瓊(と)・矛(ほこ)という

言葉があり、

 

瓊は

イサナギから受け継いだ

調和の教えのことであり、

 

矛は

イサナミから受け継いだ

逆矛の法であり、

法の実効力のことでもあります。

 

瓊は、

真瓊(まと)や

弥真瓊(いやまと)といい

 

これが

大和(やまと)の

語源になっているともいいます。

 

 

おそらく、

 

瓊の象徴物が

勾玉であり

 

矛の象徴物が

剣であり、

 

ここに

天照大神の象徴物である

鏡をくわえて

 

三種の神器と

なっていったのでしょう。

 

 

そんな

天の逆矛を、

 

天照大神は

クシヒコにさしだすと

あなたは

心根が素直で

大和の教えにも

適っています。

 

皇統をまもる

八重垣の臣として

あなたに

逆矛を授けましょう。

 

といい、
大和の道を護る

ヲコヌシとして

大國魂神
(ヤマトヲヲコノミタマカミ)の
称え名を賜ったといいます。

 




ときにくしひこ
おそれふし
しばしこたえず


しかし部下や、
同輩のアマノコヤネが
 

ともに忠誠を尽くそうと

教え諭すと、
ようやく顔をあげ

 

クシヒコは神妙に

逆矛を押しいただいた

といいます。



こうしてクシヒコは
以後も国のため

粉骨砕身働いたようです。

 

またその子孫たちも、

軍事をつかさどる

剣の臣・右の臣として

栄えたといいます。

 



しかしいよいよ、
年老いて身罷るとき、

クシヒコは
三諸山(みもろやま)に

窟を掘ると、


天の逆矛を持って

入っていったといいます。

 




のちのまもりは
とよけのり
たまのをいれて
すへらぎの
よよまもらんは
あめのみち


死してなお、
この国を守るため

 

逆矛の法の行使者として、
護國の先陣として、


その御霊を

三輪山に残したようです。

 

 

大和国のホツマツタヱ⑦ へ つづく

 

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大和国のホツマツタヱ① ~ホツマツタヱ~
大和国のホツマツタヱ② ~石上神宮 その1~
大和国のホツマツタヱ③ ~石上神宮 その2~
大和国のホツマツタヱ④ ~桃尾の滝~
大和国のホツマツタヱ⑤ ~石上神社~
大和国のホツマツタヱ⑥ ~事代主クシヒコ~
大和国のホツマツタヱ⑦ ~大和神社~
大和国のホツマツタヱ⑧ ~大神神社~
大和国のホツマツタヱ⑨ ~久延彦神社~
大和国のホツマツタヱ⑩ ~鳥見社の勾玉池~
大和国のホツマツタヱ⑪ ~小夫天神社~
大和国のホツマツタヱ⑫ ~三輪恵比須神社~
大和国のホツマツタヱ⑬ ~志貴御縣坐神社~