出雲国の八重垣めぐり⑰ ~六所神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

出雲国総社の
六所(ろくしょ)神社です。

 


 

総社(そうしゃ)とは、
 

各国にある神社を

統(す)べる社だそうです。



朝廷から派遣された

地方長官である
「国司(こくし)」は、

地方政庁である
「国府(こくふ)」につくと

まず、
その国の神社をめぐるのが
ならわしだったといいます。

しかし、

これが大変なことから

総社をきずいて
国の神々をすべて祀り、

総社を参ることで

国をめぐったことにしたようです。

 



ですから、

各国の総社はかつての
国府ちかくにあるようです。

 

ここもまた、

古代出雲の中心地・

出雲国庁跡(いずもこくちょうあと)

にあるといいます。

 



古代日本は、
地方豪族が各地(国)を

おさめていたといいます。

初代・
神武(じんむ)天皇朝からは

国家としての
統治がすすめられ、


朝廷から
国造(くにのみやつこ)として
任命された

地方豪族や官人が
各国をおさめたようです。

 



7世紀の
大化の改新では、

律令制(法令)による
中央集権国家が
ととのえられるなか、

各国には
国府(こくふ)が築かれ、

朝廷から派遣された

国司(こくし)が

国をおさめたといいます。

それまでの
国造(地方豪族)は
郡司(ぐんじ)となって、

国司をささえた

ようですね。
 



とはいえ、もともと

地方をおさめていた
郡司のほうが
 

土地のひとびとの

信頼は厚かったようで、

実務はほとんど

郡司がおこなっていた

ともいうようです。

国司はあくまで

地方の監視役であり、

 

朝廷の意向を

伝えるためにいたのでしょう。



出雲国造(いずものくにのみやつこ)
郡司となったそうですが、
 

「国造」の称号がのこされた

特別な地だったようです。

それだけ、
出雲の勢力がおおきかった
のかもしれません。

 



意宇川(いうがわ)上流の
熊野大社(くまのたいしゃ)は

 

出雲国造の

本拠だったといいます。

 

そして、
交通・貿易の要衝である
意宇(おう)の地もまた

 

出雲国造が

治めた地だったようです。

 


 

奈良時代になると

 

出雲国造の本家は
郡司職を分家にゆずって

出雲大社のある
杵築(きずき)の地へ

遷ったといいます。

そして以降は、
出雲大社の祭祀に
専念したそうです。

 

なぜ遷ったのか?

これも出雲の謎のひとつです。

 

しかしここ、意宇の地が
出雲国造のふるさとには

かわりないようですね。

 


そんな、
意宇群(おうぐん)には
出雲国造ゆかりの社として

六所(ろくしょ)神社
眞名井(まない)神社
神魂(かもす)神社
八重垣(やえがき)神社
揖夜(いや)神社
熊野(くまの)大社

があります。

これらは
「意宇六社(おうろくしゃ)」

といわれ、いまでも

 

ひとびとの崇敬を

あつめているようです。
 



六所とは、

天神地祇(てんじんちぎ)と
天地四方(てんちしほう)の
神々を祀ることで、

天つ神(上)と
国つ神(下)と
四方(東西南北)という

6つの方位を
守ることによるようです。



また、

その国の神社を
管理することから、

「録社(ろくしゃ)」

といったのがはじまり

ともいいます。


各国の総社に
「六所神社」がおおいのは

そのためでしょう。



ここは、
出雲の総社ですから

神在月(陰暦十月)には


全国の神々はまず
六所神社にあつまる

ともいうようです。

神紋が、
「十」と「月」をあわせた

『有』であることも

 

「神有り」にかけている

のだといいます。


とはいえ、いまでは
神在祭(かみありさい)

おこなわれていないようです。



ご祭神は

伊邪那岐命(いさなぎ)
伊邪那美命(いさなみ)

天照皇大神(あまてらす)
月夜見命(つきよみ)
素盞鳴尊命(そさのを)

大己貴命(おほなむち)

だといいます。



ただし、
出雲国風土記には


『佐久佐社(さくさのやしろ)』
とあり、

青幡佐久佐比古命(あおはたさくさひこ)
を祀っていたといいます。

 

ソサノヲ(素戔嗚尊)の

子ともいうようです。

サクサヒコを祀るから
大草(さくさ・おおくさ)という
地名になったようです。



いまでは、本殿東の
丁明(ていみょう)神社に

 

サクサヒコが
祀られているといいます。



本殿西には
王子神社があり

高御産霊命(たかみむすび)
神御産霊命(かみむすび)

が祀られるようですね。

国譲りをせまった
高木神(タカギ)

根の国をおさめた
ヤソキネでしょうか。



また、境内には
荒神も祀られていました。

 

藁蛇(わらへび)をまく
出雲の信仰もみえるようです。

 



六所神社の

境外にひろがるのが

出雲国庁跡
(いずもこくちょうあと)です。


昭和43年に

発掘されたといいますから、

近年まで
古代出雲の中心地は
謎とされていたようです。

 

 

ちなみに、

 

政治や儀式をおこなう庁舎を

『国庁』といい、

 

政務機関の役所群を

『国衙(こくが)』といい、

 

国衙や国庁のある都市を

『国府』というようですね。

 

 

北西には、出雲の

カンナビ山のひとつ

 

茶臼山(ちゃうすやま)

がみえます。

 


六所神社の

本殿のあたりには


政庁の

後殿があったようですね。

 



正殿のほうは、

 

令和のいまでも

発掘・整備中のようです。
 

 

参道は南の

意宇川(いうがわ)に

つづいています。

 

かつては

この川が主要路

だったのでしょう。

 

 

それにしても、

 

国引き神話の

『意恵(をゑ・おうぇ)』から

 

地名をとって

意宇(おう)群になったのに、

 

どうして川は

意宇(いう・ゆう)川と

よぶのでしょう?

 

 

国庁跡にある
六所神社はもちろん

遷座だといいます。

 

意宇の社(おうのもり)

比定地といわれる


正八幡宮(八幡社)が
旧座地とされるようですが

これも

諸説あるようです。

 


 

 

出雲国の八重垣めぐり⑱ へ つづく

 

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆八重垣めぐり全記事リスト☆
出雲国の八重垣めぐり① ~出雲~
出雲国の八重垣めぐり② ~出雲大社 参道~
出雲国の八重垣めぐり③ ~出雲大社 本殿~
出雲国の八重垣めぐり④ ~千家家と北島家~
出雲国の八重垣めぐり⑤ ~八雲の瀧~
出雲国の八重垣めぐり⑥ ~三歳社~
出雲国の八重垣めぐり⑦ ~稲佐の浜~
出雲国の八重垣めぐり⑧ ~塩掻島~
出雲国の八重垣めぐり⑨ ~国譲り~
出雲国の八重垣めぐり⑩ ~神在祭~
出雲国の八重垣めぐり⑪ ~命主社~
出雲国の八重垣めぐり⑫ ~宍道湖~
出雲国の八重垣めぐり⑬ ~佐太神社~
出雲国の八重垣めぐり⑭ ~美保神社~
出雲国の八重垣めぐり⑮ ~地蔵崎~
出雲国の八重垣めぐり⑯ ~意宇の社~
出雲国の八重垣めぐり⑰ ~六所神社~
出雲国の八重垣めぐり⑱ ~眞名井神社~
出雲国の八重垣めぐり⑲ ~神魂神社~
出雲国の八重垣めぐり⑳ ~八重垣神社~
出雲国の八重垣めぐり㉑ ~ヤヱカキ~
出雲国の八重垣めぐり㉒ ~玉作湯神社~
出雲国の八重垣めぐり㉓ ~熊野大社~
出雲国の八重垣めぐり㉔ ~出雲国造 その1~
出雲国の八重垣めぐり㉕ ~出雲国造 その2~
出雲国の八重垣めぐり㉖ ~稲田神社~
出雲国の八重垣めぐり㉗ ~やまたのおろち~
出雲国の八重垣めぐり㉘ ~イナタヒメ~
出雲国の八重垣めぐり㉙ ~須佐神社~
出雲国の八重垣めぐり㉚ ~ソサノヲ その1~
出雲国の八重垣めぐり㉛ ~ソサノヲ その2~
出雲国の八重垣めぐり㉜ ~ソサノヲ その3~
出雲国の八重垣めぐり㉝ ~ソサノヲ その4~
出雲国の八重垣めぐり㉞ ~長浜神社~
出雲国の八重垣めぐり㉟ ~都我利神社~
出雲国の八重垣めぐり㊱ ~万九千神社~
出雲国の八重垣めぐり㊲ ~御井神社~
出雲国の八重垣めぐり㊳ ~大国主命~
出雲国の八重垣めぐり㊴ ~大祓詞~
出雲国の八重垣めぐり㊵ ~まとめ~