国引き神話の聖地
長浜(ながはま)神社です。
出雲の国土をひろげた
八束水臣津野命
(やつかみずおみつぬ)
出雲国の
風土記(ふどき・地方史)でも
はじめに登場するかたで
いわば、
ご当地ヒーローのような存在
かもしれません。
出雲国風土記には
『
八雲立出雲國者
(やくもたついづものくには)
狹布之稚國在哉
(さぬのわかくになるかも)
初國小所作
(はつくにちいさくつくれり)
故將作縫
(かれつくりぬわん)
』
とあり、
八束水臣津野命は
「
八雲たつ出雲国は
狭い布のように若い国だな。
はじめに小さくつくりすぎた。
だったら、よし、つくり縫おう!
」
といって
国引きをはじめたようです。
布地のように土地を
「縫いあわせた」ようですね。
まず、はじめに
『志羅紀乃三埼(しらぎのみさき)』
を引いてくると
『支豆支乃御埼(きづきのみさき)』
としたようです。
「志羅紀(しらぎ)」は
「新羅(しらぎ)」のことで、
朝鮮半島にあった
新羅国だといいます。
「支豆支(きづき)」は
「杵築(きづき)」のことで、
杵築大社(出雲大社)
あたりのことだそうです。
国引きは島根半島の
西からはじまったようですね。
このとき、
綱をかける杭としたのが
『佐比賣山(さひめやま)』
であり、いまの
「三瓶山(さんべさん)」
だといいます。
また、
国引きにつかった綱は
『薗之長濱(そののながはま)』
になったといいます。
いまでは、
長浜海岸といい
神戸川(かんどがわ)の
河口から
差海川(さしみがわ)の
河口までつづく
8キロの砂丘海岸のこと
だそうです。
長浜神社は、長浜にある
薗松山(そののまつやま)
にあるといいます。
ですから、ここは
国引き神話はじまりの地
ともいえるかもしれません。
縄文時代に
宍道湾(しんじわん)
がひろがり
江戸時代に
神門水海(かんどのみずうみ)
が埋めたてられるまで、
出雲平野は
入り江だったといいます。
長浜は、そこへ
岬のようにつきだして
湾口を狭めていたようです。
薗松山は、
標高57メートルほどあり
小高い丘になっていますから
岬の突端にある社だった
のではないでしょうか?
妙見(みょうけん)信仰
のひろがりから、のちに
妙見山(みょうけんさん)
ともよばれたのも
北極星のように
航海の目印とされたから
ではないでしょうか?
豊臣秀吉は
朝鮮出兵のさい
長浜神社で
戦勝祈願をおこなった
といいます。
それは
新羅(朝鮮)から国を引いた
神話にあやかるだけでなく、
大阪城と立地が似ていたから
ではないでしょうか?
大阪平野にも、かつて
河内湾(かわちわん)という
入り江があり、
住吉大社(すみよしたいしゃ)
のあたりから浜がのびて
湾口を狭めていたといいます。
その岬の突端が
大阪城のあたりだったようです。
妙見信仰における
北極星や北斗七星は、
原初神・
天御中主神(あめのみなかぬし)や
国常立尊(くにとこたち)のこと
ともいわれます。
出雲では、
出雲国土創成の神・
八束水臣津野命に
妙見信仰が習合した
ようですね。
では、どのように
国を引いてきたかというと
『
童女胷鉏所取而
(をとめのむなすきところとらして)
大魚之支太衝別而
(おふをのきだつきわけて)
波多須々支穗振別而
(はたすすきほふりわけて)
三自之綱打挂而
(みつみのつなうちかけて)
霜黑葛聞々耶々爾
(しもつづらくるやくるやに)
河舩之毛々曾々呂々爾
(かはふねのもそろもそろに)
國々來々引來縫
(くにこくにことひききぬへる)
』
とあり、
「
少女の胸のように
なだらかに膨らんだ鋤を手に
大魚のエラを突くように
力一杯に鋤を大地に突きさして
ススキの穂がはたはたとなびくよう
なんども鋤を振り、土地をきりわけ
3本の綱をより合わせた
丈夫な綱をかけて
シモカヅラをくるくる手繰るように
くるやくるや、と呼び寄せて
河船をそろそろと引くように
もそろもそろ、と呼び寄せて
国よ来いと願いながら
くにこくにこ、と呼び寄せて
引いて来た土地を
縫いつけた
」
のだそうです。
八束水臣津野命は
4つの国を引くのですが、
土地をきりわけるときには
この言葉が繰り返されます。
ドラマチックというか
文学的な感じがしますね。
つぎに、
『佐伎之國(さきのくに)』
を引いてくると
『狹田之國(さだのくに)』
としたようです。
「佐伎之國」は
隠岐の島前のこと
ともいうようです。
「狹田之國」は
佐太(さだ)神社の
あたりですね。
つぎに、
『良波乃國(よなみのくに)』
を引いてくると
『闇見之國(くらみのくに)』
としたようです。
「良波乃國」は
隠岐の島後のこと
ともいうようです。
「闇見之國」には
久良彌(くらみ)神社
があるといいます。
ほかにも、
太平山を大倉山
枕木山を小倉山
といっていて
倉山が見えるから
「倉見(くらみ)」という
説もあるようです。
つぎに、
『都々乃三埼(つづのみさき)』
を引いてくると
『三穗之埼(みほのさき)』
としたようです。
これは、能登半島の
珠洲岬(すずみさき)
ともいうようです。
地蔵崎(じぞうざき)の
あたりですね。
美保(みほ)神社が
ありました。
国引きにつかった綱は
『夜見島(よみのしま)』
になったといいます。
これは
境港(さかいみなと)のあたりですね。
弓ヶ浜(ゆみがはま)
ともいうようです。
このとき、杭としたのは
『火神岳(ひのかみだけ)』
だといいます。
鳥取の霊峰・
大山(だいせん)のこと
だといいます。
4つの国を引き終えた
八束水臣津野命は、
意宇(おう)の社で杖をついて
意恵(おゑ)といったそうです。
これが、
出雲国風土記にのこる
国引き神話だといいます。
ところで、
大山や三瓶山は
北陸の白山(しらやま)
九州の九重山(くじゅうさん)・
雲仙岳(うんぜんだけ)とともに
「白山火山帯(しらやまかざんたい)」
を形成しているようです。
出雲の地は火山活動によって
国土がひろがった形跡もあるらしく、
三瓶山が
長浜や出雲平野をうみ
大山が
弓ヶ浜や境港をうんだ
とするならば
国引き神話もあながち
神話というだけではないようです。
また、祭神の
八束水臣津野命は
「水臣」というように
水神でもあるといいます。
神戸水海が干拓されて
出雲平野がひろがったように
出雲は、治水と干拓によって
国土をひろげたのかもしれません。
とすると、
「八束水臣」とは
「いくつもの水を治める大臣」で
「津野(つの)」が
お名前だったのでしょうか?
もしくは、
「津(港)」を治めたかた
なのかもしれません。
出雲国風土記には
系譜はないものの、
古事記には
須佐之男命の4世孫に
「淤美豆奴神(おみづぬ)」
がいるといいます。
出雲国風土記でも
八束水臣津野命のことを
「意美豆怒命(おみづぬ)」
ということから
おなじ神ではないか?
といわれるようですね。
国引きの神
淤美豆奴神を
妙見の神として
祀っているといいます。
また、古事記には
淤美豆奴神の妻に
布帝耳神(ふてみみ)
がいることから
長浜神社でも
淤美豆奴神の妻として
祀られているのだそうです。
境内奥にある
三つ鳥居は、
奈良の
国引きのさい
八束水臣津野命は
出雲の各地に
要石(かなめいし)を
置いたといいます。
ここの祀られている
夫婦石(めおといし)も
そのひとつなのだそうです。
いわれのある神社のようですね。
出雲国風土記では
「出雲社(いずものやしろ)」
延喜式では
「出雲神社(いずもじんじゃ)」
とあるのが、
長浜神社のこと
ともいうようです。
だとすると、ここは
大神山(おおがみやま)神社があり
ソサノヲの子・
大己貴命(おほなむち)が
祀られているといいます。
ですが、
大山は火山であり
火神(ひのかみ)岳というように
もともとは、
カグツチを祀っていた
ともいうようです。
もしかすると、
カグツチの生まれが
大山だったことから
イサナギはソサノヲに
さいごに、ご参考までに
出雲国風土記にのこる
国引き神話を載せてみました。
『
所以號意宇者
(おうとなづくるゆえは)
國引坐
(くにひきましし)
八束水臣津野命詔
(やつかみづおみづののみことのりたまひしく)
八雲立出雲國者
(やくもたついづものくには)
狹布之稚國在哉
(さぬのわかくになるかも)
初國小所作
(はつくにちいさくつくれり)
故將作縫詔而
(かれつくりぬわんとのりたまひて)
栲衾志羅紀乃三埼矣
(たくぶすましらぎのみさきを)
※
國之餘々有耶見者
(くにのあまりありやとみれば)
國之餘有詔而
(くにのあまりありとのたまいて)
童女胷鉏所取而
(をとめのむなすきところとらして)
大魚之支太衝別而
(おふをのきだつきわけて)
波多須々支穗振別而
(はたすすきほふりわけて)
三自之綱打挂而
(みつみのつなうちかけて)
霜黑葛聞々耶々爾
(しもつづらくるやくるやに)
河舩之毛々曾々呂々爾
(かはふねのもそろもそろに)
國々來々引來縫國者
(くにこくにことひききぬへるくには)
自去豆乃打絶而
(こづのをりたえより)
八穗米支豆支乃御埼也
(やほにきづきのみさきなり)
此而堅立加志者
(ここをもちてかためたつるかしは)
石見國與出雲國之堺有
(いはみのくにといづものくにとのさかひなる)
名佐比賣山是也
(なはさひめやまこれなり)
亦持引綱者
(またもちひけるつなは)
薗之長濱是也
(そののながはまこれなり)
亦北門佐伎之國矣
(またきたとのさきのくにを)
[※國之餘有~引來縫國者]
自多久乃打絶而
(たくのをりたえより)
狹田之國是也
(さだのくにこれなり)
亦北門良波乃國矣
(またきたとのよなみのくにを)
[※國之餘有~引來縫國者]
自手波縫之打絶而
(うなみのをりたえより)
闇見之國是也
(くらみのくにこれなり)
亦高志之都々乃三埼矣
(またこしのつつのみさきを)
[※國之餘有~引來縫國者]
三穗之埼也
(みほのさきなり)
持引綱者
(もちひけるつなは)
夜見島是也
(よみのしまなり)
固堅立加志者
(かためたつるかしは)
有伯耆國火神岳是也
(ははきのくなるひのかみだけこれなり)
今者國引訖詔而
(いまはくにはひきをえつとのりたまひて)
意宇杜爾御杖立而
(おうのもりにみつえつきたてて)
意恵登詔
(おゑとのりたまいひき)
故云意宇
(かれおうといふ)
』
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