河内国の交野めぐり③ ~星田妙見宮~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

交野(かたの)市にある
星田妙見宮
(ほしたみょうけんぐう)です。



ここは、
隕石が落ちた場所として
祀られた神社だそうです。



ただしくは
小松(こまつ)神社と
いうようですが、


これは
神仏分離の影響らしく、

星が落ちたという
妙見信仰(みょうけんしんこう)の
聖地としては、

星田妙見宮のほうが
親しまれているようです。




妙見信仰とは、
北極星(北辰)や
北斗七星(妙見)を
神さまとして祀る信仰で、

仏教のみならず
神道や道教・陰陽道など
おおくの体系に
またがっているといいます。



ですから、
星田妙見宮の祭神も

神道では
天之御中主大神
(あめのみなかぬし)

仏教では
北辰妙見大菩薩
(ほくしんみょうけんだいぼさつ)

道教・陰陽道では
太上神仙鎮宅霊符神
(たじょうしんせんちんたくれいふしん)

とそれぞれの名で

祀っているようです。

 



由緒によれば、
隕石落下を目撃したのは

弘法大師・空海
(こうぼうだいし・くうかい)
だといいます。



西暦800年ごろ、
第52代・
嵯峨(さが)天皇の世に、

空海がちかくの
獅子窟寺(ししくつじ)で
修行していたところ

七曜星(しちようせい)が
降ったといいます。

 



7つの星は、
3か所にわかれて
落ちたらしく、

それぞれ現在の

星田妙見宮

降星山 光林寺
(こうせいざんこうりんじ)

星の森(ほしのもり)

だといいます。

 



空海は、
それらの地で

聖石をみつけ

神仏が姿をあらわした
影向石(ようごうせき)として
祀ったのがはじまりだといいます。


 

この3か所は

1辺が
約8丁(872メートル)の
正三角形を描いていて、

八丁三所(はっちょうみどころ)
といわれているようです。

 



ただ、

正三角形というには
多少の誤差があるようです。

それに、
星が降るというのは

神仏の御霊が
地上に降りたったという
意味でもあるようですから

もしかすると、
隕石ではないのかもしれません。


しかしここ、
星田妙見宮は

隕石の衝突によって
山が馬蹄形にくぼんだ
ともいわれていて、

日本で2番目に古い
隕石落下の記録とも
いわれているようです。

 



さて、
どうでしょう?爆  笑

興味深いはなしとしては、
饒速日命(にぎはやひ)
降臨の地ですから、

十種神宝(とくさのかんだから)
をつかうときの祝詞である
『布留(ふる)』
かけたともいうようです。

星神が『降る』のと
天神の『布留』が
かかっていたら、
おもしろいですね。



妙見信仰は、
西暦600年ごろ
大陸から伝わったといいます。

百済(くだら)の
琳聖(りんせい)太子は

 

海をわたって

難波にはいると、

秦河勝(はたのかわかつ)
案内によって
聖徳太子(しょうとくたいし)

面会し、

 

妙見信仰を

伝えたといいます。



秦河勝は、

京都の
葛野(かだの)の
太秦(うずまさ)

大阪の
交野(かたの)
太秦(うずまさ)を


本拠にしていた

秦(はた)氏の長だったといいます。

 



また
星田妙見宮でいただける
霊験あらたかなお札、

太上神仙鎮宅霊符も
このときに伝わったそうです。



さらに
空海にさきがけること
数十年、

第50代・
桓武(かんむ)天皇は
交野の地で
北辰祭祀をしたといい、



もとよりここは、
妙見信仰の聖地だったようです。

そんないわれもあって、
境内には

北斗七星にあやかった
参拝方法がありました。

 

 

生年と干支から、

北斗七星に対応する

守護星をしらべて、


境内にある、

星に対応した観音像を

拝むようです。

 


 

石仏が
真新しくみえるのは、
 

星田妙見宮が
近年まで荒廃していた
からのようです。



1996年に宮司となった
佐々木久裕(ささき ひさひろ)さんによると、

40年前は、
草木がうっそうと茂り
塀は傾き
社はほこりまみれ、

滝は
ゴミと土砂に埋もれ
枯れていたといいます。



当時、
サラリーマンをしていた
佐々木さんは

 

荒れ果てた境内をみかねて

一念発起すると、


仕事を辞め、
自腹を切って、

神社の復興に
取り組んだといいます。



さらに
神職の勉強もはじめると、

 

氏子さんらと協力して
傷んだ社殿を修復し、


鳥居や絵馬掛け

提灯棚など

すべて手作りでまかない、

復興させていったといいます。

 

 

それから十数年、

 

神官となり

階位をあげていった
佐々木さんは、

 

星田妙見宮の

宮司に就任したそうです。

 

 

佐々木さんのお人柄と

神社にかける思いに、

 

すっかり

心打たれてしまいました。



そんな

おおくの人々の

思いがつまった社殿が
こちらですね。

 



さまざまな
要素が融合した
素晴らしい社殿です。

 



額には龍神さまと
玄武(げんぶ)がみえますね。

玄武は
北方守護ですから、

北極星や北斗七星とともに
祀られているのでしょうか?

 

 

また、

社殿の左から

 

ご神体である

影向石(ようごうせき)を

観ることができました。

 


いまでは、
織姫石(おりめいし)と
よばれているようです。


妙見信仰とともに
七夕(たなばた)伝説
大陸から

伝わったといいます。



七夕(しちせき)という
大陸の伝説に、

棚機(たなばた)とい
日本の機織りが
むすびついて

七夕(たなばた)に
なったようです。



機織りも、
大陸から伝来したと
されているようですが、

ホツマツタヱをおえば、
「たなばた」という
言葉や仕事は古来から
日本にあったようです。


天皇家の妻となるものは
天皇の衣を織るというのが
重要な仕事のひとつでも
あったといいます。

 



ここは、
秦氏の地でもありますから、


そんな大陸の伝説と

結びつきやすかった

のかもしれません。



この磐座を
織姫(おりひめ)として、

天野川(あまのがわ)を

はさんで同じ距離にある

天田(あまた)神社
彦星(ひこぼし)としている
といいます。

また、
星田妙見宮から
天田神社までの距離は

星田妙見宮から
磐船(いわふね)神社までの

距離とおなじであり、

二等辺三角形が
描かれるともいいます。



こちらは、

ほぼ正確な

距離のようです。

 

よくできてますねびっくり



ところで、
北極星というのは
時代ごとにかわるらしく、

1万年のむかしには
琴座の『ベガ』が
北極星だったようです。



ベガといえば、
織姫星ともいわれ

夜空の
天の川をはさんで、

わし座のアルタイルを
彦星として

七夕に
見立てられていますから、

妙見信仰も七夕も
根はおなじだと
いう説もあるようです。

 

おもしろいですねキラキラ

 

境内にはほかにも

おおくの摂社末社が

あるのですが、

 

龍神さまを祀っている社も

多いようです。

 



急な傾斜を登って

本殿までゆくので、

 

帰りも

急なくだりとなります。

隕石によって

削られたからか、

勾配のきつい道のりです。

 

その、

隕石落下地点だといわれる

滝がありました。

 



ここが、
星が落ちた聖地だと

いわれているようです。

たしかにとても
清澄な空間でした。

ぼくもゆっくりと

手を合わせます。


 

すっかり、

星田妙見宮さんに

魅せられてしまいました。

 

隕石が降ったというだけあって、

この土地には

なにか不思議な力が

宿っているようにも思います。

 

それは、

駅を降りたときにすぐ

気づくようなものでした。

 

この地の空気というのか、

大地のエナジーというのか、

 

そういったものがここには

凛と満ちているように感じました。

 



ここもまた、

たびたび訪れたい

神社さんです。
 

 

河内国の交野めぐり④ へ つづく

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆交野めぐり全記事リスト☆

河内国の交野めぐり① ~天田神社~
河内国の交野めぐり② ~磐船神社~
河内国の交野めぐり③ ~星田妙見宮~
河内国の交野めぐり④ ~機物神社~
河内国の交野めぐり⑤ ~岩清水八幡宮~