河内国の交野めぐり④ ~機物神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

天田(あまた)神社より
3キロほど北に
機物(はたもの)神社があります。

 



こちらは、
織姫(おりひめ)を祀るという

七夕(たなばた)の神社です。

7月7日の
七夕まつりでは、
色鮮やかな短冊で
境内が埋め尽くされるといいます。



星田妙見宮(ほしたみょうけんぐう)でも
書きましたが、

交野(かたの)市には

古くから七夕伝説があり

平安時代にはすでに
貴族のリゾート地として
七夕が演出されていたといいます。



交野市には
天野川(あまのがわ)が

流れていますが、

機物神社の向かいには、

 

彦星(ひこぼし)と
牽牛石(けんぎゅうせき)を祀る
中山観音寺があったといいます。

その地はいまでは、
観音山(かんのんやま)公園となり
牽牛石だけ残っているようです。



また天野川には
逢合橋(あいあいばし)がかかり

織姫と彦星は
年に一度そこで出会っていた
という言い伝えもあるようです。



七夕のテーマパークとも

いうようなこの地で、

平安貴族たちはこぞって、
七夕の恋愛歌を
詠み競っていたといいます。

 



ところが、この神社、

平安時代以前は

まったく別の神社だったようです。


『機物(はたもの)』神社はもともと
『秦者(はたもの)』神社であり、

秦(はた)氏にゆかりのある

漢人庄員(かんじんしょういん)が

祀られていたといいます。

 

機織りに従事すべく

この地を与えられた

渡来人であり、

 

薄くて丈夫で美しい布を織る

見事な業で

この地に栄えたといいます。

 

 

その子孫が
交野忌寸(かたのいみき)という

姓をたまわり、

交野を治めた一族と

なっていったようです。

 

『忌寸』というからには、

この地の祭祀をも
兼ねていたのかもしれません。

一族繁栄の祖神として、

漢人庄員を祀ったのが

この神社だといいます。

 



さらに、
交野山(こうのざん)の
山頂にある

観音岩(かんのんいわ)という
巨大な磐座が、

 

機物神社の

奥宮だったといいます。

冬至の日になると、
機物神社から

交野山の山頂に
日が昇り、


日輪を観ることが

できるといいます。



このライン上には、
伊勢神宮があるともいいますが
さて、どうでしょう?爆  笑

また、この観音岩、
もしくは機物神社は

長岡京(ながおかきょう)の
真南にあったといいます。

第50代・

桓武(かんむ)天皇が
北辰(ほくしん)祭祀をしたという、

南の守りの地
ここだったのかもしれません。



さてかつては
秦者神社だったそうですが、

現在では
七夕にちなんで
機物神社になっています。

その祭神は、

天棚機比売大神
(あめたなばたひめ)

栲機千々比売大神
(たくはたちぢひめ)

地代主大神
(とこしろぬし)

八重事代主大神
(やえことしろぬし)

だといいます。

 

織姫を

日本の神さまに
当てはめるために

タナバタ姫としたようですが、

タナバタ姫といえば、
天照大神のために
神衣を織ったといわれる
女神さまです。

ホツマツタヱでいえば、
天照大神の側室のひとり
タナバタ姫コタエでしょう。

廣瀬(ひろせ)大社
すこし触れましたが、

伏見稲荷(ふしみいなり)大社でも

祀られている
オオミヤ姫ミチコの妹で、

ともに
京丹後の出身のかたです。



ぼくが気になるのは、
次の
タクハタチチ姫のほうです。

こちらも
栲(たく)=梶の木の繊維
機(はた)=機
千々(ちぢ)=織・縮・広がる
という名から

機織(はたおり)にかかわる
女神とされていますが、

ホツマツタヱでは
タナバタ姫コタエの
姪っ子にあたり、

天照大神の世継ぎである
オシホミミの妻となられます。

 



面白いのは、
オシホミミと
タクハタチチ姫の子が
櫛玉火明命(くしたまほのあかり)で、

磐船(いわふね)神社
降臨した方ということです。



つまり、

交野の母神として
祀ってあるようなのです。

さらにいえば、
対岸の彦星が
オシホミミだとすれば、

ふたりの子が
天野川を下って
大和に王朝をひらいたとなり、

日本神話と七夕が
つながるような気がしてきます。

 



また、
本殿の東西に

末社があり、

東宮に
八幡(はちまん)大神

西宮に
住吉(すみよし)大神
比留子命(ひるこ)
祀られているといいます。

 



東の八幡とは、
岩清水(いわしみず)八幡宮の
ことでしょう。

交野は一時期
岩清水八幡宮の

社領だったといいます。



さらに
西に住吉大社は、

この地には
住吉神社がおおく、

天孫降臨の地でもあり、
海辺であった名残も
あるようです。



さらにヒルコとは、
ホツマツタヱでは
天照大神の姉であり、

幼少期は
兵庫の西宮にて、
住吉大神に育てられ

いまでも

西宮(にしのみや)神社

廣田(ひろた)神社

残っています。

こうみると、
ホツマツタヱとも
親和性のある神社のようですね。

この西宮の手前には、
葉書の語源にもなった

 

タラヨウの木があり、

おおくの方が葉っぱの裏に

メッセージを刻んでいましたキラキラびっくりキラキラ


河内国の交野めぐり⑤ へ つづく

 

 

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☆交野めぐり全記事リスト☆

河内国の交野めぐり① ~天田神社~
河内国の交野めぐり② ~磐船神社~
河内国の交野めぐり③ ~星田妙見宮~
河内国の交野めぐり④ ~機物神社~
河内国の交野めぐり⑤ ~岩清水八幡宮~