山背国の太秦めぐり② ~大酒神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

蚕の社(かいこのやしろ)の
西へ約500メートル、

広隆寺(こうりゅうじ)の
すぐちかくに
大酒(おおさけ)神社があります。

 



ここもまた、
秦(はた)氏ゆかりの神社です。

創建は不明ですが、
一説によれば

第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇の世に、
渡来してきた
功満王(こうまんおう)が、

祖先である
秦(しん)の始皇帝を
祀ったことに
はじまるといいます。

 



山口県の
忌宮(いみのみや)神社には、

秦の始皇帝の
11世孫である功満王が
養蚕をつたえたとありました。

このころには、
すでに豊前国まで
流入していたともいい、

大分の
宇佐(うさ)神宮
八幡(はちまん)大神
総本社といわれるのも、

秦氏の分派である
辛嶋(からしま)氏
祭祀に関わっていたからでしょう。

 



また、
第15代・
応神(おうじん)天皇の世には

功満王の子である
弓月君(ゆづきのきみ)が

百済の人民
約2万人とともに日本に渡り、
帰化したといいます。

このときに
帰化した人々が
秦氏のはじまりだと

いわれています。

 

もしかすると

応神天皇が

八幡大神といわれるのは、

 

八百万(やおよろず)の

秦(はた)氏を受け入れたことに

よるのかもしれません。



また

応神天皇の時代には、
 

縫工女(ぬいめ)を求めて
呉(くれ・ご)に派遣し、

呉織(くれはとり)、
穴織(あなはとり)などの
4人の婦女を連れ帰ったといいます。

服飾に従事した
この方々もまた
秦氏とされているのは、

機織(はたおり)の

「ハタ」とも関連があるようです。



つづく第16代・
仁徳(にんとく)天皇の世には、

秦の姓を
賜ったといいます。

これは、
蚕の糸によって
織られた絹が、


肌(はだ)のように
柔らかだったことからきている
ともいうようです。

また
年代は定かではありませんが、

亀岡にも流入していたようで、
桑田(くわだ)郡に棲みつき、

出雲(いずも)族とともに、
灌漑事業を行ったようです。



さらに第21代・
雄略(ゆうりゃく)天皇の世には、

弓月君の孫である
秦酒公(はたのさけのきみ)が
秦氏をまとめあげ、

大量の絹を
朝廷に貢いだところ、

うずたかく積まれた絹をみて
天皇はおおいに悦び、
埋益(うずまさ)といい、

禹豆麻佐(うつまさ)という姓を
秦酒公に賜ったといいます。

これが
太秦(うずまさ)の

語源だといいます。

ですがそれが
京都の太秦か、
大阪寝屋川の太秦かは、
諸説あるようです。



しかしながら、
第33代・
推古(すいこ)天皇の世には、

秦酒公の6代孫である
秦河勝(はたのかわかつ)が

聖徳太子(しょうとくたいし)より
弥勒菩薩像を賜って

京都の太秦に
広隆寺を建てたことから、

その時代にはすでに
この地に栄えていたようです。



これを踏まえて
祭神をみてみると、

秦氏の始祖でもある
秦始皇帝と、

その12代孫の
弓月王、

さらにその孫で、
秦氏をまとめあげて
「うずまさ」を賜った
秦酒公がならんでいます。

さらに相殿には、
呉服女(くれはとり)と
漢織女(あやはとり)も
祀られているといいます。



大酒神社は、
かつて広隆寺の東にある
桂宮院(けいきゅういん)の
鎮守だったといいます。

おなじく
秦氏の神社である
松尾(まつお)大社では、

酒の神としても
祀られていますし、

秦公酒からとって
「大酒」としたのかもしれませんが、

もとは
「大避」神社といい、

災厄を避けるという
意味があったといいます。

また、
「大裂(おおさけ)」として
土木事業にも
関わっていたといいます。

これは亀岡の
蹴裂伝説に通じそうですね。

またこれを
「大闢(おおさけ)」として、

中国語読みの『ダビデ』として
ユダヤとつなげるかたも
いらっしゃるようです。

おもしろいのは、
蚕の社の三柱鳥居とおなじく、

大酒神社の鳥居も、
柱が八角形だそうです。



本殿にはほかに、

木枯(こがらし)神社として
大国主命(おおくにぬし)が
祀られているといいますが、

ホツマツタヱによれば、
これは「オコヌシ」といって
養蚕もはじめられた
クシヒコさまのことでしょう。

さらには、
三神の社として祀られる
瓊々杵命(ににきね)さまは、

山背国(京都)の開拓をされた、
天照大神のお孫さまです。

八幡社では、
秦氏をうけいれた
応神天皇がまつられます。

稲積社は
お稲荷さまである
宇迦御魂神(うかのみたま)が
祀られますが、

これも
伏見稲荷(ふしみいなり)

祭祀をはじめた
秦氏が関わっているのでしょう。

こうしてみると、
どれもこれも
繋がっているのですね。


山背国の太秦めぐり③ へ つづく
 

 

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山背国の太秦めぐり① ~蚕の社~
山背国の太秦めぐり② ~大酒神社~
山背国の太秦めぐり③ ~広隆寺~
山背国の太秦めぐり④ ~蛇塚古墳~
山背国の太秦めぐり⑤ ~梅宮大社~
山背国の太秦めぐり⑥ ~月讀神社~
山背国の太秦めぐり⑦ ~ハタ考~